占い暦570 喜び方で幸せの消費量も違ってくる

丁酉年 丁未月 辛亥日 晴れ 「棒のナイト・正位置」

 

サロン ド シルフィーユに、千葉のHさんから、僕の大好きなエビスビールが24本も届きました!!

 

     

 

これで当分の間、ビールが足りなくなる心配もありません。

 

Hさん、本当にありがとうございました!!

 

昨日、「中級編フォローアップ講座」第2弾の第1日目を終えて、近い未来における僕にとっての大きなイベントは、「in 山梨 タロットカード☆セミナー」だけとなりました。

 

残された1週間、山梨のセミナーに参加された方が少しでも満足して頂ける内容になるように、全力で頑張ります!!

 

僕も5年前ぐらいまではずっと、自分の人生に不満を感じてばかりだったのですが、今になってやっと、与えられた人生に、心から感謝できるようになりました。

 

大分前に、ブログで「人生において、誰もが幸せになる量(徳)が決まっていて、自分が幸せになる事により、その徳を消費していく」みたいな話を書いた事があるのですが…

(2012/5/20ブログ 「幸せの種をまき続けよう」 参照)

 

そう考えた時、随分と人によって、人生の幸せ度合いに差があるような気がしたんです。

 

例えそれが、先祖や前世の影響を受けているという理由であったとしても、これほどまでに人生に差が出るという事は、それだけではなく、それ以外にも何か原因があるような気がするんですね。

 

最近ふと思ったのは、人生で幸せを感じる事が起こった時に、その人の喜び方によって、幸せの元(徳)の消費量も違ってきてしまうのではないかという事…

 

もちろん、「だから、幸せになったとしても、あんまり喜んではいけません」というオチではなくて(笑)

 

幸せを感じたのなら、それを喜ぶのが当然ですし、そこは自然にしたら良いと思います。

 

ただ、何か喜び事が起こった時に、ガツガツと自分の小さな我の中でエゴイスチックな喜びに浸りすぎると、やっぱり必然的に幸せの元の消費の度合いは、多くなってしまう気がするんですね。

 

逆に、現実の世界でどんなに大きな喜び事が起こったとしても (…例えば、宝くじで6億円当たるとか(笑))、心は悠然と構えて、エゴイスチックにならずに、穏やかな気持ちで感謝をする事ができる人は、あんまり幸せの元の消費量も多くないのではないかと思います。

 

だいたいそういう人は、自分一人の小さな事には一喜一憂しません。

 

自分一人の満足感に浸るのではなく、周りの幸せと自分の幸せとを同時に考えられる心の余裕があれば、ガツガツしないし、その人の幸せの元の消費量もわずかです。

 

僕は若い頃、そういう事が本当に苦手でしたし(今でも苦手ですが…)、感謝が本当にできない人間でした。

 

あの頃は良く、「感謝をしないと幸せが続かない」とか「感謝をする事で運を開かせよう」とか、大真面目にそんな事ばかり考えて、無理やり感謝をしようとしたものですが、やっぱりうまくいきませんでした。

 

今ふりかえれば、あの頃の自分の喜び方というものに、随分と問題があったように思います。

 

あんまり、小さな我の中での喜びを噛みしめすぎてしまうと、本当の意味で感謝というものが、何が何だかわからなくなったりします。

 

自分が今の幸せを失いたくないからという理由で、感謝をしているようなフリはできていても、腹の底にある本心の自分をのぞきこめば、そこには恐れはあっても、本当の感謝はない…

 

今になってみれば、それがよくわかる気がします。

 

それでも、いろんな人生経験を積んで、やがて、もう少し広い視野でも物を考えられるようになると、別に無理やり感謝をしようとしなくても、自然と感謝ができるんですね。

 

もう、人生そのものに感謝… みたいな…

 

「この幸せがなくなったら、どうしよう」などと、心が恐れに支配されて、戦々恐々とする事もない分だけ、今まで、感じる事ができなかった周囲の気みたいなものも感じられるし、いつも感謝の気持ちに満たされてきます。

 

喜び方で幸せの消費量も違ってくる…

 

あまり、損得勘定や手段で考えるのは本末転倒ですが、誰もが必ず、幸せに満たされた素敵な人生を歩む事ができるはずです。

 

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2017年7月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : futoshi