2019.05.312019年 ヨーロッパ紀行 第5話 ~ハンガリーの隠れ家~

2019年5月31日(金)

 

 (In Budapest Hungary Date  11 May 2019)

 

 経由地のモスクワに滞在する事、2時間…

 

 最初の目的地であるハンガリー・ブダベストに向かうべく、アエロフロート便の17:55発の飛行機に乗り込みました。

 

 この2時間あまりの間、モスクワの売店で、ノートパソコンに充電する為のUSBケーブルを、ずっと探していたのですが、結局、そういったお店はなく、次の飛行機の機内で充電しながら、講座の準備の仕事をしようという試みは、あきらめました。

 

 まあ、せっかくこうして、日本をはるかに離れた場所に旅をしているのですから、仕事の事を忘れるぐらいの余裕も、必要なのかも知れない…

 

 ふと、そんな風に思いました。

 

 

 乗り継ぎした飛行機でも、また、機内食が出てきました。

 

 今度の食事は、洋風の食事です。

 個人的には、さっきの便の飛行機の機内食の方が、好みでした。

    ぜいたくを言ってはいけませんね…

 

 講座の準備はいさぎよくあきらめて、僕は、これから行くハンガリーという国の事を、考えていました。

 

 あれ、ハンガリーって、「ハンガリー王国」だったっけ、「ハンガリー共和国」だったっけ…

 

 という、素朴な疑問がわいてきました。

 

 どうやら「ハンガリー共和国」が、正解のようですね。

 もちろん、過去には「ハンガリー王国」だった時代もあるのですが…

 

 西暦1000年、イシュトヴァーン1世がハンガリー王国を建国したのが、今のハンガリーの元になっていて、これまでには、モンゴル帝国が攻めてきたり、オスマン帝国の影響で国が二分されたりと、常に、外敵の脅威にさらされた国でした。

 

 ハンガリーと言えば、古城が似合う風景明媚な国のイメージですが、古城が建てられた理由は、こういった外敵に備える為だったようです。

 

 一時期は、オーストリア=ハンガリー帝国という、現在のオーストリアとハンガリーの領土だけではなく、チェコ、スロバキア、それにポーランドやルーマニアの領土の一部を複合した巨大国家の一翼を担った時代もありましたが、第一次世界大戦で、帝国は解体され、今のハンガリーに戻りました。

 

 その後も、ハンガリーは、ナチス・ドイツの協調国になったり、ソビエト連邦の圧力を受けて、東側諸国の共産圏に組み込まれたりと、常に、苦労が多かったようです。

 

 冷戦時代… 世界が、アメリカを中心とした西側の国々と、ソビエトを中心とした東側の国々とで、真っ二つに対立していた時代には、東側に組み込まれたハンガリーの国民は、自由に西側の国々に出国する事さえ、できなかったんです。

 

 そして、1989年に、当時のハンガリーの首相であるネーメト・ミクローシュにより、ハンガリー(東側諸国)と、隣国のオーストリア(西側諸国)の国境間に存在していた鉄条網が撤去され、これが、東西陣営の鉄のカーテンに穴をあけ、世界の冷戦終結のきっかけにもなるのですが、その後のハンガリーは、NATO(北大西洋条約機構)やEU(ヨーロッパ連合)にも加盟し、現在に至っています。

 

 飛行機に乗って、3時間あまり…

 

 どうやら、ハンガリー上空に着いたようです。

 (今度は、窓際ではなかったので、写真は取れませんでした…)

 

 

 到着したのは、現地時間の19:40…

 

 ハンガリーは現在サマータイムの時期なので、日本との時差は7時間になります。

 つまり、我々にとって、5月22日という一日は、33時間も続く、という事になる…

 

 もしかして、地球と反対周りにずっと飛行機で移動していたら、永遠に1日を終わらせないまま過ごせるかも… なんて、馬鹿な事を考えてみたりして(笑)

 

 そんな訳、ありませんね。

 

 太平洋の真ん中あたりに張りめぐらされている日付変更線を、飛行機がくぐる毎に、ちゃんと日付は変わります。

 

 ハンガリーの入国審査を通過して、7名のメンバーは、2台のタクシーに分かれて、ブダベスト市内にある宿泊先に向かいました。

 

 

 タクシーから見た、ハンガリーの首都ブダベストの車窓…

 

 やっと長い一日も、夜が暮れ始めました。

 

 ハンガリー人のタクシーの運転手さんは、とても陽気な方で、Red Bullを飲みながら、片言の英語で、我々を楽しませてくれました。

 

 

 運転手さんに、お礼を言って別れ、我々のハンガリーの隠れ家であるアパルトマンに、いよいよ入城!!

 

 …と、ここまでは良かったのですが、アパルトマンには着いたものの、受付がどこにあるのかがわかりません。

 

 仕方がないので、エレベーターで、直接、借りた部屋のフロアに行ってみる事になりました。

 

 7人一度にはエレベーターに乗れないので、僕は、後の便で、松里さんと、ヒデ君と3人で、フロアに行ってみたのですが、真っ暗です。

 

 そのフロアに、他の4人のメンバーがいるかも知れないと思って、エレベーターを降りると、ドアが閉まって、真っ暗なフロアに取り残されてしまいました。

 

 当然、他の4人のメンバーも、見つかりません。

 

 初めての異国の、見知らぬアパルトマンの、明かりが消えた真っ暗なフロアに、3人で置き去りです…

 

 もしも、迷い込んだこの場所が、ルーマニアから来たマフィアのアジトだったなら、もう、二度とは日本に帰れません(笑)

 

 3人で相談した結果、まずは1Fの出口に戻ろう… という事になって、エレベーターに乗り込み「1」のボタンを押して降りてみると、そこは2Fでした。

 

 そうか、確かこっちの方の国では、2Fが1Fになるんだ…

 

 でも、運よく、そのフロアの降りた所に、アパルトマンの管理人らしき人がいるので、その人に聞いてみる事にしました。

 

 とはいえ問題は、この場に、草さんがいない事です。

 

 7人のメンバーの内、唯一、英語を完全に話せるのは、草さんだけ…

 

 果たして、我々3人だけで、ちゃんと管理人さんと会話ができるのか。

 

 ヒデ君が、持っている英語力を駆使して、会話を試みるのですが、どうも、この管理人さんには、言葉が通じていないようです。

 

 僕も、ヒデ君の応援に回ってみましたが、やっぱりダメでした。

 

 学校で習った英語の発音だと、現地の人に、中々通じなかったりするんですね。

 

 それに、ハンガリーの公用語は、ハンガリー語ですから、この管理人さんが英語を話せるのかどうかも、怪しい…

 

 その時、松里さんが「宿泊を申し込んでいる人の名前を言えば、通じるかも知れない」と、アドバイスしてくれました。

 

 そこで、ヒデ君が「レイシュウ タカマ」と、何度も繰り替えすのですが、やっぱり通じません。

 

 「多分、本名で申し込んでいると思うよ」と僕。

 

 今度は「ミユキ ○○○○」と繰り返すヒデ君…

 でも、やっぱり、管理人さんには通じていません。

 

 すると、管理人さんが、「紙に書いてよ」というジェスチャーで、紙を渡してくれたので、ヒデ君が「Miyuki…」と紙に書くと、「OK!!」と返事がきました。

 

 管理人さんの話では、ここから20mぐらい離れた場所に、受付があるとの事で、そこまでの地図を、紙に書いてくれました。

 

 

 3人で胸をなでおろしながら、その地図の通りに進んでいくと、管理人さんの言う通り、アパルトマンの受付があって、そこで、残りの4人のメンバーとも、無事に落ち合う事ができました。

 

 いやぁ、ハラハラしました。

 

 受付で鍵をもらって、さっきのフロアの鍵を開けて、明かりをつけると、そこは、とてもきれいな部屋でした。

 

 荷物を下ろして、中央の間に集う7人…

 

 

 左から、高天麗舟先生(左下)相模泰生先生(左上)野尻泰煌先生、松里さん、ヒデ君、草さん、そして僕です。

 

 この後、次の目的地であるオーストリアのウィーンで、ヒデ君の母でもあるKさんが、メンバーに合流する事になっていて、そこからは8人で行動します。

 

 みんな、それぞれに得意分野があって、個性豊かな面々…

 

 明日から思う存分、このメンバーとヨーロッパを楽しみつくすつもりです。

 

 <旅の教訓5>

 ピンチに陥っても、みんなで知恵を出し合って協力すれば、切り抜ける方法は見つかる。

 

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