2020.12.14西日本紀行記 ~出雲・山口への旅~<29>長旅の帰途と「山頭火」談義

2020年12月14日(月)

 

 いよいよ、今年もあと半月あまりで終わり…

 本当に、一年というのは、あっという間に過ぎていきます。

 

 だんだん冷え込みが強くなってきますから、皆さまお体だけは気をつけて、暖かくしてお過ごしくださいね。

 

 この西日本旅行記も、いよいよ次回の30話を以って終了…

 

 来年末までに何とかすると宣言した例のプロジェクトが、本当にまずい事になって来ているので、次回の30話を書いたら、目途が立つまで、このブログを休止するつもりです。

 

 こんな僕のつたないブログを、いつも見に来てくださる皆さまに、心からお礼を言いたいです。

 

 本当に本当に、ありがとうございます!!

 

 さてさて、長かった出雲・山口の旅も、これで終わり…

 

 この日(2019年11月14日)、東京の羽田空港に着陸する20:10発の飛行機に搭乗する為に、山口宇部空港へと向かうべく、湯田温泉駅からJR山口線で、新山口駅まで戻りました。

 

 

 夕暮れ時を迎え、空が幾分暗くなっています。

 

 いつものこの時間なら、もっと空は暗くなっているはずなのに… と、改めて、ここが山口の地だという事に気づきました。

 

 兵庫県明石市を基準にすると、山口県山口市の地方時差は「-14分」、東京都23区の地方時差は「+19分」…

 つまり、山口は東京と比べると、日の入りの時間が33分も遅いのですね。

 

 ちょっぴり、山口がうらやましくなりました(^^)

 

 この新山口のバスターミナルから発車する「空港バス」に乗って、30分ほどで、山口宇部空港に到着します。

 

 

 いよいよ東京に帰るのか… と思うと、名残惜しい気持ちでいっぱいになりました。

 

 17:40発の宇部空港行のバスの出発時間まで、まだ少し時間があるようなので、新山口の駅前を少しぶらついてみる事にしました。

 

 新山口駅の新幹線口の方を歩くと、網代笠(あじろがさ)を持った、壮年の男の像がありました。

 

 

 この雲水姿をした男こそが、山口県が生み出した俳人・種田山頭火(たねだ さんとうか)

 

 山頭火は「漂泊(ひょうはく)の俳人」などと評されて、現在でも、一部の人には、絶大なる人気があります。

 

 何気に僕は、この山頭火の事を、良く知っています。

 この人の師匠が、荻原井泉水(おぎわら せいせんすい)という名前であるという事も…

 

 この種田山頭火を知るきっかけになったのは、今から4年前に開催した四柱推命講座でした。

 その講座には、今、来年末までにやり遂げる予定のプロジェクトにおいて、すごくお世話になっているKさんが、受講生として参加していらっしゃったのです。

 

 いつも、四柱推命講座・初級編の第1講座では、恒例の「真似してはいけない四柱推命一日講座」というのをやるのですが、その講座の中で「納音(なっちん)」というものを、一通り説明します。

 

 この納音というのは、全部で30種類あって、海中金(かいちゅうきん)、爐中火(ろちゅうか)、大林木(たいりんぼく)、路傍土(ろぼうど)、釼鋒金(じんぼうきん)山頭火、潤下水(じゅんげすい)、城頭土(じょうとうど)、白鑞金(はくろうきん)、楊柳木(ようりゅうぼく)、井泉水、屋上土(おくじょうど)、霹靂火(へきれきか)、松柏木(しょうはくぼく)、長流水(ちょうりゅうすい)、沙中金(さちゅうきん)、山下火(さんげか)、平地木(へいちぼく)、壁上土(へきじょうど)、金箔金(きんぱくきん)、覆燈火(ふくとうか)、天河水(てんがすい)、大駅土(たいえきど)、釵釧金(さいせんきん)、桑柘木(そうしゃくもく)、大溪水(だいけいすい)、沙中土(さちゅうど)、天上火(てんじょうか)、柘榴木(ざくろぼく)、大海水(たいかいすい)とあり、年でいうなら2年ごとに、次の納音に移り変わっていきます。

 

 よく、算命学なんかで「納音の関係」とか言いますけど、そのネーミング元の納音というのも、これの事です。

   一つの干支から数えて30番目にくる干支は、システム上、必ず同じ納音五行になりますから…

 

 つまり、連続した六十干支2つずつに対して、1つの納音が割り当てられているのですね。

 

 流派によって、潤下水が澗下水(かんかすい)となっていたり、井泉水が泉中水(せんちゅうすい)となっていたりしますが、意味は変わりありません。

 

 例えば、今年の干支の 庚子 と、来年の干支の 辛丑 には「壁上土」という納音が、割り当てられているという具合です。

 

 丙午は「天河水」で水ですし、壬子は「桑柘木」で木ですし、干支の五行と全く脈絡のない納音五行が当てはめられているので、何やら隠された深い意味があるのでは… などと考えたくなりますが、実はただ、十干と十二支に数字を割り当てて、足し算をして、その数字に五行を当てはめているだけです。

 

 昔ながらの古風な四柱推命では、この納音というものを使って、健康運がどうとか、寿命が長いとか短いとか、断じたりしました。

   このブログ、一応は占い師ブログなんだから、たまには占いの話もしないとですね(^^;;

 

 さてさて、4年前の四柱推命講座・初級編 第1講座の当日、近くのコンビニで「山頭火」という名前のカップラーメンを見つけたんです。

 これは、納音の講座の話題にピッタリだと思い、それを買って、その日の講座に臨みました。

 

 それで、納音の説明の前振りとして、買ってきたカップラーメンを見せて「この山頭火というラーメン屋さんは、全国チェーンになっているのですが、もしかすると、この納音の事を知っていて、それで名前を思いついたのかも知れません」という話をしました。

 

 すると、その当時、受講生だったKさんが「そのラーメン屋さんは多分、種田山頭火から名前をとったのですよ」と、教えてくれました。

 

 納音の一つを、勝手に自分の俳号にしてしまう、この種田山頭火という人は、一体、何者なのだろう…

 

 その時から、僕は、この俳人に興味がわいて、いろいろと調べ始めました。

   2021年1月~「初級編 Zoom版 第2期」、3月~「初級編 第18期」を開催します(ちゃっかり、講座の宣伝…)

 

 ちなみに種田山頭火が、30もある納音から、山頭火を選んだのは、別に生まれ年の干支や生まれ日の干支が、山頭火だったからではないようです。

 

 それは、ただ単に「さんとうか」という音の響きが良かったからとの事…

 

 どうやら、占いに造詣(ぞうけい)が深い俳人という訳では、なさそうですね(笑)

 

 種田山頭火の師匠は、萩原井泉水というのですが、この人は本当に、生まれた年干支が「井泉水」だったから、それを俳号にしたようです。

 でも、種田山頭火の場合は、師匠をまねて、納音を俳号にしてはいますが、あまり細かい事まで考えて「山頭火」を選んだ訳ではないようです。

 

 「山頭火」を、納音占いで見てみました(^^)

 

 山頭火 … 魅了されるほど激しく燃え上がる火で、ひときわ目立つ存在です。火葬場の火とも言われ、理想とプライドは高いものの、実用性は乏しい火と言われます。自我が強く、時折、怒りを爆発させる傾向にあるので、人間関係に苦慮する傾向を伴います。手に職を持つと、成功しやすいでしょう。

   納音占いを「安倍晴明占い」と呼ぶ人がいますが、納音と安倍晴明は、何のゆかりも関係もありません(笑)

 

 さっきの種田山頭火の像の台座には、山頭火が作った俳句が書かれていました。

 

 “まつたく雲がない 笠をぬぎ”

 

 これって、ちゃんと五七五になっているの? と疑問に思われた方もいらっしゃるかも知れません。

 

 こういう形式に囚われない俳句を「自由律俳句」というらしく、種田山頭火は、まさに自由律俳句・層雲派(そううんは)の代表的な俳人でした。

 

 この句は「雲が全くない、澄みきった秋空を見上げて感動し、思わず笠をぬいだ…」というような意味で、詠われています。

 どうりで、この山頭火の像は、網代笠をかぶる事なく、両手で持っているのですね。

 

 宇部空港行のバスの発車時間までの時間つぶしに、今度は、新山口駅の北口の辺りを散策してみました。

 

 

 駅の所に、種田山頭火の解説と、一つの見事な句が書かれていました。

 

 種田山頭火 Taneda,Santōka … (1882-1940)現・山口県防府市に生まれる。俳句に親しみ、43歳のときに出家してからは、各地を行乞(ぎょうこつ)しながら数多くの俳句を作りました。小郡(おごうり)には1932年に訪れ、其中庵(ごちゅうあん)を結庵(ゆいあん)し、1938年まで6年間暮らしました。現在の其中庵は、当時の記録を基に1992年に再現したものです。庭には山頭火が俳句に詠んだ草や木が植えられています。

 また、山口市小郡文化資料館には種田山頭火が書いた書や使用した道具が展示されています。

 

   “山あれば山を観る

 

   雨の日は雨を聴く

 

   春夏秋冬

 

   あしたもよろし

 

   ゆふべもよろし”

 

 この詩を読んだ時、何というか、種田山頭火が詠む雄大な大自然の世界観に吸い込まれて、身動きできないくらいに、心がゆさぶられました。

 

 思わず、ちっぽけな事であれこれ悩んでいた自分が、バカみたいに思えてくるような、気づきを与えてくれる句です。

 

 改めて、種田山頭火というのは、すごい俳人だと思います。

 

 そのまま歩いていると、新山口駅の北口にある柱の1つ1つに、山頭火の句が掲示されていました。

 

 “其中雪ふる一人として火を焚く”

(其中というのは、山頭火が結んだ庵… 雪の中、一人で火を焚いていたのでしょう)

 

 “春風の鉢の子一つ”

(鉢の子は、托鉢僧が持つお金を入れる為のお椀… 春風の中、鉢の子を持つ山頭火が浮かんできます)

 

 “うれしいこともかなしいことも草しげる”

(ちゃっかり、僕の前のブログのタイトルにお借りしてます^^)

 

 “音はしぐれか”

(朝、山頭火が厠に座っていた時、ぼとぼとと水の音がして、思わずつぶやいた言葉を句にしました…)

 

 種田山頭火の句の良さというのは、全く格好つけない所がいいんですね。

 不完全だから、完全だというか…

 

 四柱推命講座・初級編の第1講座の中で、納音の説明をする前振りとして、

 

 “まつすぐな道でさみしい”

 

 という有名な種田山頭火の句を、プロジェクターに映して僕が詠むと、毎回 “チーン…” という雰囲気になって、なぜか、笑いが起きるのですが(笑)

 

 何気にこの句は、意味が分かると、ものすごく心を揺さぶられるような句だと思うんです(^^)

 

 この句の中の「道」というのは、普通に歩いている道という意味だけではなく、おそらく、自分がこれから歩いて行く人生の道という意味も、重ね合わせているのだと思います。

 

 まっすぐで殺風景で、何にもないこの道を、オレ(山頭火)はこれからも、こうやって歩き続けていくんだよなあ… さみしいなあ… みたいな感覚でしょうか。

 

 おそらく、向かうあてなんて、何もないのだと思います。

 何か目標があって、それに邁進しているのなら、さみしくなんてないはずですから…

 

 孤独な人生を送ってきた山頭火が詠むからこそ、伝わって来る悲哀というか、でも、その向こう側には、何とも言えない広大な世界があったりして、それがまた、心をゆさぶります。

 

 種田山頭火の本名は、種田正一と言って、山口県の大地主である種田家の長男として生まれました。

 

 山頭火が10歳の時、母が父の芸者遊びなどを苦にして、井戸に身を投げて自殺をする所を、たまたま目撃してしまいます。

 

 この事件が、この後もずっと、山頭火の心に重くのしかかったんですね。

 

 頭はすごく良くて、学友らと文芸同人雑誌を発行して、俳句を作りながらも、学校は首席で卒業し、早稲田大学大学部の文学科に入学するも、神経衰弱を患って、退学してしまいます。

 

 その後、のちに師となる荻原井泉水が主催する「層雲」に俳句を投稿し、それが掲載されたのがきっかけになり、山頭火はやがて、層雲派の中で頭角を現すようになります。

 

 27歳で、山頭火は結婚して、男の子を授かっていますが、34歳の時に、父の酒造業の経営が立ち行かず破産し、そのまま父も、行方不明となってしまいます。

 

 仕方なく、友人を頼って熊本に行き、古本屋や額縁屋なんかを経営するも、うまく行かず、そんな矢先に弟が自殺し、それからというもの山頭火は、酒を浴びるように飲むようになりました。

 

 やがて、妻と離婚して上京するも、東京でも酒におぼれ、精神的にも不安定で、自殺未遂を図ったりしました。

 

 そんな自堕落な生活から抜け出そうと、寺男(てらおとこ)として、お寺に住み込む事を決意します。

 出家の道を目指すものの、その時、山頭火はすでに44歳であり、お寺の和尚から、年齢的に修行に耐えられないだろうからと、出家を断られてしまいました。

 

 その後、山頭火は寺を出て、全国行脚(あんぎゃ)の道を選び、雲水の格好で各地を行乞しながら、俳句を投稿し続けました。

 

 行脚の道の途中、山頭火は、健康不安から自殺未遂をした事もありましたし、死ぬまでずっと無一文で、いつもいつも托鉢(たくはつ)で得られるわずかなお布施だけが、唯一の収入源でした。

 

 そして、58歳の時、お酒の飲み過ぎからくる脳溢血で、何の前触れもなく、突然この世を去りました。

 

 山頭火は、晩年の日記に「無駄に無駄を重ねたような一生だった。それに酒を絶えず注いで、そこから句が生まれたような一生だった」と、自分の人生の事を記しています。

 

 種田山頭火の句、好きなの一杯ありますね。

 

 “また一枚脱ぎ捨てる旅から旅”

 

 “濁れる水の流れつつ澄む”

 

 “どうしようもない私が歩いている”

 

 “酔うてこほろぎと寝ていたよ”

 

 この人は、何て素直なんだろう、と思わずにはいられません。

 

 確かに、そんなに立派な生き方をした訳ではないかも知れませんが、山頭火が残した句は今でも、そしてこれからも、人々の心を揺さぶり続ける事でしょう。

 

 さてさて、もうすぐそろそろ、山口宇部空港行のバスがやってきます。

 

 そして、この長かった旅もいよいよ終わり…

 

 最後の旅の余韻に、しっかりと浸ろうと思います。

 

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