2019.06.192019年 ヨーロッパ紀行 第20話 ~大理石の誘いと衝動と苦悩~
2019年6月19日(水)
(In Vienna Austriay Date 16 May 2019)
ここ、美術史美術館は、オーストリア・ウィーンを代表する美術館であり、ルーブル美術館、メトロポリタン美術館とともに、世界三大美術館の一つにも数えられています。
(※ただし、世界三大美術館の定義は他にもあります)

みんなで、この美術史美術館に入ってみようという事になりました。
僕は、昨日のシェーンブルン宮殿で、おみやげ代として、ユーロを全て使い切ってしまったのですが、クレジットカードでも、入れるようです。
今さらながら、クレジットカードを作って、本当に良かったと思います。
(2012/5/14パリブログ 「固定観念を打ち破れば、運が開く」 参照)
という事で、僕が、クレジットカードで5人分のチケット代を立て替えて、みんなから頂いたユーロで、昨日、草さんに立て替えてもらったユーロを、返済すする事ができました。
これにて、ユーロ枯渇問題は、一件落着(笑)

チケットを受け付けの人に渡して、中に入ると、そこはものすごく大きな円柱状のホールでした。
あまりの天井の高さに、度肝を抜かれます。

みんながお手洗いに行っている間、野尻泰煌先生と椅子に座って、少しだけ、ひと休みしました。
こうやって、椅子が置いてあると、本当にありがたいです。

絵画の展示物を見る前に、この美術館の建築物の美しさに圧倒されてしまいます。
さすが、世界三大美術館の一つだと、言われるがけの事はありますね。

そして、巨大で力強い彫刻の作品にも…
とにかく、何もかもが、ものすごい迫力です。

この豪華な階段を上がっていくと、たくさんの名画の展示コーナーと、世界で最も美しいカフェと呼ばれる、美術史美術館内カフェがあります。
天井を見渡すと、思わずうっとりとしてしまう、美しき紋様の建造物と大理石の誘い…

カフェを飲みながら、みんなで話していた事ですが、シェーンブルン宮殿の部屋の作りは、確かに豪華絢爛なのですが、少しだけ嫌味な派手さがあったり、部分的に全体に調和しきれていないような所があったようにも思えます。
ところが、この美術史美術館の内装は、もう本当、非の打ち所がないと言いますか、つけ焼き刃ではない、どっしりとした優雅さがあります。

建築様式にすごく興味を持っていて、特に大理石にすっかり魅了されてしまった、高天麗舟先生は、ずっと大理石の模様を眺めて、写真を撮りまくっていました。

カフェを出て、今度は絵画の展示会場に入りました。
世界の名画と言われる、珠玉の作品の目白押しです。

例えば、この作品は、どこかで見覚えがあると思われた方も多いとは思いますが、ベラスケスの「青いドレスの王女マルガリータ・テレサ」という作品…
マルガリータはハプスブルク家の血を引く少女です。
僕は昔は、油絵が好きで、上野の美術館に良く足を運びましたが、この彼女には、おそらく20年ぐらい前に、国立西洋美術館でお会いしています。
ベラスケスは、印象派の一つ前の時代の人ですが、その画力には圧倒されます。

この肖像画が誰を描いているのかをご存知の方は、結構多いのではないでしょうか。
そうです… かのフランス王妃マリー・アントワネットです。
これは、ルイーズ・ルブラン作のマリー・アントワネットですが、マリー・アントワネットは、オーストリア帝国の皇后(実質的には女帝)マリア・テレジザの末娘です。
とはいえ、この美術史美術館の目玉といったら、おそらく、これでしょう。

野尻先生も、じっとこの作品を見ていましたが、これが有名なブリューゲル作の「バベルの塔」です。
少し余談ですが、タロットカードに造詣がある方の中には、「バベルの塔」という言葉を聞くと、瞬間的に「塔」のカードを連想される方も多いと思います。
でも、実際の所、この二つの塔は、「それが塔である」という事以外は、何の共通点もありません。
よく、バベルの塔というと、「人間の高慢さを打ち砕く為に、神が怒り狂って、雷を塔に落として破壊する」という意味にとられやすいのですが、それは、タロットの塔のカード(主にウェイト版の)の事であって、バベルの塔の物語とは、全く関係ありません。
(あと、占いの中で塔のカードが出ても、必ずしも悪い事が起こるとは限らず、時に、好ましいアクシデントが起こる前兆にも、目にするカードです)
このブリューゲル作の「バベルの塔」を見ても分かるように、塔は、落雷によって壊されてもいませんし、神がこの塔を破壊している訳でもありません。
確かに、左右不均衡で、何となく倒れそうな、ぎこちない塔が描かれてはいますが…
ちなみに、旧約聖書「創世記」に書かれている「バベルの塔」のストーリーはこうです。
その頃の世界は、たった一つの言葉を使って、話していた。
東の方から移動をしてきた人々は、シンアルの地に住み着いた。
彼らは、「天まで届く、巨大なタワーを建築しよう」と、どんどん高く高くレンガを積み上げていった。
それを見て、主は、こう言われた。
「彼らは、一つの言葉を話しているから、このような無知な事を、始めたのだ。これでは、彼らが企みを企てたとしても、防ぎようがない。ならば、彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられないようにしてしまおう…」
僕が思うに、破壊神とか、ご眷属はともかくとして、本物の神様は、怒って雷を落として人間を苦しめるなんてマネは、絶対にしないですね。
(感情を越えた高い次元の領域で、それをやるとか、人間の苦しみを思いつつ、いたたまれない気持ちで、それをやるとか… もしかして、そういうパターンなら、あるのかも知れないけど、「怒って、罰を与える」なんてのは、少なくとも神様のやる事ではないです … 個人的見解です)
話がそれましたが、バベルの塔で、創世記に出てくる主がやった事というのは、雷を落として塔を壊したのではなく、世界中にたくさんの言語ができて、誰か通訳ができる人がいないと、お互いに言葉が聞き分けられなくしてしまった、という事だったようです。

なんと、名画「雪中の狩人」を模写しています。
こんなすごい光景は、絶対にこの美術館でなければ、目にする事はできませんね。
超有名の作品を目前で見て、有名人に会って話をしたような、何とも言えない悦に浸っていたのですが…
実は、それ以外の所で、どうも心が乱れるというか、気持ちが動揺してしまう絵があったのです。

クラーナハの「ホロフェルネスの首を持つユディト」
少し前に、クラーナハ展を上野の美術館でやっていたので、この作品も来日したと思うのですが、僕はこの手のは好きではないので、見に行きませんでした。
ただ、この絵の感想を、ただの嫌悪感だけで終わらせてしまったら、もったいないな… と思いました。
正直、気持ちは良くないのですけど、自分の心が何を感じているのかを、きちんと知る事で、たくさん学べる事はあるのかも知れない…
クラーナハの絵は、まだ、人ごとで見れたのですが、次の絵には参りました。

ちょっと写真だと、縮小されて分からないのですが、この絵は、表情がものすごいリアルなんです。
さっきのクラーナハの絵をはるかに上回る衝動に、心に動揺が走って、写真だを撮って、逃げ出すようにその場を離れてしまったので、誰が描いたか絵だとか、全く分からなくなってしまいました…
恥ずかしい話、この絵のインパクトが強すぎて、ブリューゲルのバベルの塔や、ベラスケスの肖像画群の印象が、思い出せないくらいです。
正直「見てはいけないものを、見てしまった…」という感じでした。
「たかが絵を見て、そんな大げさな…」と思われそうですけど、そのくらいに、すごい絵でした。(縮小された写真では、全く伝わりませんが…)
この後、相模泰生先生とはぐれてしまって、みんなで探していたのですが(絵に衝撃を受けて、いなくなったのかと思った…)無事に落ち合う事ができました。
持ち合わせの場所を間違えて、外で待っていた…

美術館を出て、外を歩いていても、あの絵が忘れられないですね。
あと、草さんがブダペストで送ってくれた動画の内容とかが心によぎって、情緒どっぷり不安定… という感じです(笑)
自分の中に、認めたくない得体のしれない感情があるのを発見したというのが、正直な所かも知れません。
人知れず悶々と苦悩しながら、美術史美術館を出て、少しだけ歩くと、像が立っていました。

文豪ゲーテの像のようです。
本当の自由な心とは、「認める」という事である。
全てを今すぐに知ろうとは無理な事。雪が解ければ見えてくる。
ゲーテの言葉が、何だかやけに、心に染みました。
<旅の教訓20>
自分の心の衝動を、目をそらさないで受け入れる時、もっと心が広くなる。
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