2018.02.05感じているものの実体は、比較でしかない

2018年2月5日(月)

 

 立春を過ぎて、いよいよ、戊戌年を迎える事になりました!!

 

 一昨日、昨日と四柱推命講座・中級編の最終講座と、初級編の初回の第一講座が続いていて、その準備に追われて、2日間ほぼ徹夜で過ごしました。

 

 さすがに、その疲れが出たせいか、今日は昼まで寝ていました(笑)

 

 暦の上では、もう春です。

 

 確かに少し前と比べると、随分と暖かくなっているのを感じます。

 

 今日の東京の気温は8度…

 本当はまだまだ寒いんですけど、1月がすごく極寒だったので、何となく暖かく感じてしまうんですね。

 

 1月には、東京でも-4度まで温度が下がったのですが、ここまで気温が下がったのは、48年ぶりだそうです。

 

 なんでも日本中で、エアコンが効かないという事で、電機メーカーに問い合わせが殺到したそうです。

 

 ちなみに、今でこそ、エアコンはどこの家でもあるものですが、40年前には、よっぽどお金持ちの家でもなければ、そんなものはありませんでした。

 

(2014/10/16 パリ・ブログ 「たくさんの時代の積み重ねの上で…」 参照)

 

 あの頃は、寒さをしのぐと言ったら、ストーブかコタツぐらいしかなかったですから、コタツに頭まで入っていないと、本当、寒くて仕方なかったのですが、みんな、それが当たり前だと思っていたから、寒いという事がそれほど苦にもなりませんでした。

 

 でも、もっと昔、例えば江戸時代の庶民なんて、暖房器具すらもありませんでしたから、それはもう大変だったと思うし、現代人なら多分耐えられないんじゃないかと思うのですが、それでも当時の人は、そんなもんだと思って、我々が思うほど、苦しんではいなかったと思うんですね。

 

 どんなに寒くたって、「これが普通だ」と思っている人には、それが直接、苦しみにつながる事も少ないものです。

 

 逆に、いつも冷暖房完備の部屋の中で過ごしていて、出かける時も暖かいコートとカシミヤのマフラーで身を包んでいる人が、いきなり江戸時代の真冬にタイムスリップして、薄っぺらな着物一枚で、すきま風が吹くボロボロの長屋のせんべい布団で眠ろうとしても、寒くて寒くて、おそらく朝まで眠れないし、間違いなく風邪をひくでしょう。

 

 僕が思うに、全ての物事において、心が「苦しいなあ、辛いなあ」と感じるか、「恵まれているなあ」と感じるかは、自分が「これが普通だ」と思うものとの比較でしかない、という気がするんです。

 

 例えば、お金持ちが幸せで、貧乏な人は不幸せかと言ったら、そうとも限らないと思うんですね。

 

 だから、よくテレビのドキュメンタリーなんかで、世界の貧困な国の人々の暮らしなんかを見て、「あの人たちは、なんて不幸なんだ」と思い込むのは、ちょっと早計だという事になります。

 

 でも、これだけは言えると思うのは、今、自分の置かれた状況がどんな状況であろうとも、それに満足できている人は幸せだし、どんなに満たされていようが、不平不満ばかりがわいてくる人は、不幸だという事です。

 

 とはいえ、その不平不満が、今の自分の生活を、もっと良くしていこうという行動力にもつながるから、必ずしも悪い物だと決めつける事は出来ませんが…

 

 ただし、今置かれた生活が豊かになったなら、本当に心が幸せに満たされるのかと言ったら、そういうものでもないんですね。

 

 幸・不幸は、自分が「これが普通だ」と思うものとの比較でしかないから、今の生活が当たり前だと思ってきてしまったら、また何かしら不平不満が出てきます。

 

 たまによく、禅寺なんかにいって体験修行をしたい… という人がいます。なんで、わざわざ苦しい事をしたいと思うかといったら、自分の事を見つめなおしたい、というのもあるでしょうけど、きっと、この事を良く知っているからではないかという気がします。

 

 冬の寒い時期に、霜降を着て、禅寺の廊下で座禅を組んだり、朝早く起きて、廊下を雑巾がけしたり、こういう生活をしばらく続けていれば、日常生活に戻った時に、なんて幸せなんだ… と感じるに違いありません。

 

 ちなみに、ある程度満たされた生活が続いている人には、その満たされた生活が終わってしまう事に、とてつもなく恐怖を感じるような事があるそうです。

 

 これは今に限った事ではなく、例えば、平安時代には、上流階級の貴族が今の幸せな人生がずっと続くようにと、「庚申信仰」というものをやっていました。

 

 庚申信仰とは、庚申の日(六十干支で庚申が巡る、60日に一回の日)の夜には、三戸という三匹の天界の虫が、その人がこれまでやってきた悪事の全てを、寝ている間に天の神様に報告するという言い伝えが信じられていて、庚申の夜は絶対に眠らないように、みんなで歌を詠みながら、眠いのを我慢して起きていたんです。

 

 余談ですが、時代が下って、安土桃山時代になると、庚申の日の夜は、寝ないで夜通しで酒宴をするという習わしに変わっていき、「柏崎物語」には、織田信長が配下の武将達を集めて、庚申の日に酒席を執り行ったという記載があります。

 

 その時に、明智光秀が、何度も何度も厠に行く為に中座していたら、「きんかん頭(光秀の事)、なんで中座するのか」と言って、信長がヤリを持って追いかけてきたそうです。

 

 もしかすると、信長は、厠に行って居眠りをした隙に、三戸の虫が入って、天の神様に信長自身の悪行まで残らず報告してしまう事を恐れていたのかも知れません(笑)

 

 話が少しそれてしまいましたが、「自分が幸せになりたい」という気持ちは、それはそれで悪い事ではないのですが、あまりにもそればかりを意識すると、かえって幸せから遠のくし、いつも不安な気持ちになってしまいます。

 

 自分が感じているものの実体は、「これが普通だ」と思うものとの比較でしかない…

 

 今の自分が、この場所に生かされているという事に気づいて、おのずと感謝の気持ちがわいてきた時に、幸せは揺るぐ事のないものになるし、全ての不安から解放される事になるでしょう。

 

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