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新たなステージへは、それにふさわしい装いで19.04.19

2019年4月19日(金)

 

 2日前の4月17日に、僕は誕生日を迎え、ついに48歳になりました。

 

 こんな僕の誕生日を覚えていてくださった皆さま、本当にありがとうございました!!

 

 村野大衡先生、小田原の朱紅先生、福岡のソフィさん、愛知の物理学者I博士、自衛官のNさん、素敵なプレゼントを頂きまして、本当にありがとうございました!!

 

 それから、バースデーケーキを用意してくれていた高天麗舟先生生、すごく嬉しかったです。初級編第15期のSさん、ゆうやけLinda先生、素敵なバースデープレゼントをありがとうございます!!

 

 そして、木下順介先生真藤昌瑳熙先生、中級編11期のYさん、初級編12期のKさん、中級編10期のKさん、浅草とんぼ玉工房の黒澤忍さん、心のこもったお誕生日メール、本当に感謝です。

 

 それから、「あっ、今日は浅野の誕生日だ」と気がつきつつも、「コイツ、お礼の返信メールとかに気を遣うから、そっとしておいてやろう…」と考えて、遠くから見守っていてくださっている皆様、その気持ち、ちゃんと受け取っていますよ(^^)

 

 というのは僕も、そういうタイプで「明日の4月20日は受講生のHさん(男性)の誕生日だったな…」みたいに、結構、知り合いの誕生日が浮かんでくるんです。

 

 20代の頃とかは、アルバイト先なんかで、誰かの誕生日を聞くと、それがずっと記憶に残ってしまって、その職場で誰かの誕生日が来るたびに、みんなでサプライズで、ケーキを買ってお祝いをするような事が大好きでした。

 

 僕は人を仕切ったり、まとめたりするのが、大の苦手なのですが、その時だけはいつも、みんなのまとめ役になっていました。

 

 そのバイト先には、結構な人数がいたから、結果的にひと月に1回ぐらいの割で、誕生日パーティーをやるような事になってしまうのですが…

 

 さすがに、今では、そこまでの記憶力は衰えてしまいましたが、僕は子供の頃から、電話番号のような何の脈絡もないような数字の羅列なんかを、一瞬で暗記してしまうような事がすごく得意だったんです。

 「それが、どうした」と言われれば、それまでですが(笑)

 

 記憶力が良いというのは、良い事ばかりではなくて、例えば日常生活で、ちょっとした嫌な事が起こったら、いつまで経っても気になって、忘れられなくなってしまうという短所もあります。

 

 嫌な事が起こると、それを忘れようと思えば思うほどに、余計にそれが頭にこびりついて、離れなくなってしまう感じでした。

 

 「忘却は宝なり」とは、良く使われる言葉ですが、まさに真実だと思います。

 だから、若い頃は、何をやるにも本当に苦しかったですね。

 

 忘れようとしても忘れられない事というのは、誰の人生でも、一つや二つはあると思うのですが、そういう時には、無理やり忘れようとするのではなく、結局の所、それを乗り越えて、その事がいかに取るに足らないほどに小さくて、重要ではないという事に、気づく事が大切なのかも知れません。

 

 今、その過去を振り返ってみると、そういった辛い思い出も、こびりついて離れなかった出来事も、僕にとっては全部宝物です。

 

 その事に気づいたら、次々に記憶からこぼれ落ちていって、今ではもう、何が起こったのか、良く思い出せなくなってしまいました(笑)

 

 時間のスピードは、年を取るぼとにどんどん速くなって来るし、未来は向こうから押しよせてくるから、過去の出来事に囚われているような時間は、我々には残されていない…

 

 毎日を時間に終われるように忙しく過ごしていると、計画したのにやれなかった事も、いっぱい出てきます。

 ちなみに、このブログ、書き忘れていた事を思い出したり、内容を追加したくなった時には、後から加筆していたりします。

 

 最近、僕が心掛けているのは、今までの経験や結果だけで、限界を決めてしまわないようにするという事です。

 

 今回、僕は2回目の出張講座である「四柱推命講座・初級編 京都第1期」を京都の地で開く事にしたのですが、第1回目の出張講座は、今から3年前の2016年に名古屋で開催したのです。

 

 その名古屋講座についてきた妻は「もっと良い会場にしていたら、もっと多くの受講生が集まっていたのかも知れない」と、僕がその講座会場を選んだ事に反対しました。

 

 講座会場の場所は、名古屋駅から歩いてすぐの所にあって、部屋の設備も何一つ問題はないのですが、よくありがちな地元の公民館のように、作りは少し安っぽくて、あと、椅子の座り心地が今一つでした。

 それでも利便性はいいし、その割にかなりリーズナブルだったので、僕としては、かなり気に入っていたのですが…。

 

 当時、講座の為に捻出できた僕の資金は、ほんのわずかでしたから、高い費用の掛かる講座会場を予約して、もしも、受講生の方の集まりが悪かったら、売り上げよりも、経費の方が上回ってしまいます。

 

 だから当時は、一切、妻の意見を聞き入れる事はありませんでした。

 

 別に講座会場の雰囲気がどうだろうと、僕がやる講座内容は全く変わらない訳ですし、講座会場の居心地で参加するかどうかを決める人なんていません。

 だいたい、実際に講座が始まるまで、主催者の僕だって、現地の会場の居心地を知るすべはないのですから…

 

 前回、名古屋に集まってくださった受講生は、2名のみでしたので、その時はギリギリ、講座会場の経費と、東京と名古屋間の交通費とホテルの宿泊代を捻出できました。

 

 妻の言う通りに、もっと高級感があって、座り心地の良い椅子の会場にしていたら、間違いなく赤字になっていました。

 

 この時の経験と結果を踏まえた上で考えると、東京から離れた場所で講座を実施をするのなら、極力、低予算の講座会場を選ぶべきだし、いっそ、見送った方が良いという事になります。

 

 2年前の初夢で、京都に行く夢を見て、その後、たまたま京都にお住まいの方から、講座の依頼が来るという偶然が重ならなかったら、僕も、サロン ド シルフィーユ以外の場所で講座をやる事はなかったと思います。

 

 そして当然ながら、講座を実施すると決めてからも、とにかくリーズナブルで、なるべく費用が抑えられる講座会場を探していました。

 でないと、その方以外に誰も応募がなかった場合、目も当てられないくらいの赤字になってしまいますから…

 

 そして、僕の思惑通りの講座会場は、すぐに見つかりました。

 その会場は、使った人のレビューも悪くないし、何よりも低予算で借りられました。でも、会場の写真を見ると、設置されている椅子が丸椅子で、どうも高級感というものには欠ける感じだったんです。

 

 その時、妻が言った言葉を思い出しました。

 

 講座会場のグレードを良くしたら参加者が増えるなんて事は、まるで荒唐無稽ですけど、それでも赤字を覚悟で、もっと高級感のある講座会場にしてみようと、ふとそんな考えが浮かびました。

 

 僕は、どちらかというと、何でも地味に質素にやるのが好きなタイプです。

 

 質素倹約を常にした徳川家康を尊敬しているからという理由だけではありませんが、一人で旅行に行くなら、必ず飛行機はエコノミーにするし、宿泊先は極力リーズナブルな所にします。

 常日頃あんまり、お金のかかる遊びもしないです。

 

 ただ、講座の会場を決まるという事で言えば、自分の事以上に、参加される受講生の事を考えるのが、本当のいたわりなのかな… と、前回の出張講座から3年の時を経て、やっと考えられるようになりました。

 

 それに、僕自身、もうそろそろワンランク上に行くべき時期が来ているのかも知れない… というような気もしてきました。

 

 もちろん、自分一人でする食事とか、日常の生活の事に関しては、これまで通り変わらないと思います。

 

 でも、それに人が何らかの形で関わるのであれば、その人達が喜んでくれる為にも、質の良いものを選んだ方が良いのかも知れないと、考えるようになりました。

 必要以上に、見栄を張る事もありませんが、自分ができる範囲で、縁ができた人へのおもてなしとして…

 

 と、考えるようになったら、いつの間にか、初級編の京都の初講座のお申込みは、3名になっていましたし、東京での上級編の講座は満席になっていました。

 

 これで、何の不安もなく京都に長期出張できそうです。

 

 新たなステージへは、それにふさわしい装いで…

 

 48歳を迎えて、新たな気持ちに切り替えて、これからはよりもっと質の良いものを、周りの人に与えて行こうと、心に決めました。

 

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ピンチは、大きな幸せをつかむためのチャンス19.04.10

2019年4月10日(水)

 

 今、僕の周りでは、いろいろな事が慌ただしく過ぎていって、異様なくらい、時間が過ぎるのが速く感じます。

 気がついたら、いつしか4月の新年度に入って、もう10日が過ぎているのですね。

 

 自分の中で、ある程度予定を立てていても、急にやらなくてはならない所用ができたりして、全く予定に追いついていないです(汗)

 

 正直、ゆっくりとする時間はほとんど取れない状態…

 

 それでも、ありがたい事に、ものすごく充実しています。

 

 僕は季節の中では、春という季節が一番好きです。

 花粉症に掛かった今でも、それは変わらないですね。

 

 日常生活の中では、いろいろな事が起こりますが、深呼吸して我に返ると、春というのは、冬とは違ってポカポカと暖かくて心地よい…

 

 お薬をサボると、くしゃみがでたり、目が痛くなったりしますけど、それでも十分に幸せです。

 

そこそこ人生を生きていたかいもあって、最近では僕も、多少の事が起こっても、常に気持ちをノーマルな状態に戻す事ができるようになりました。

 

 別に、そんなに贅沢な暮らしをしている訳でもありませんが、自分の身の回りの事だけで言えば、いつも感謝の気持ちがこみ上げてきます。

 

 僕も、去年から今年の春先まで、色々な事が起きたし、人生には時々、悲しい事だってありますけど、昔と違って、流れ出る涙はサラサラとしていますね。

 

 20代の頃は、同じ流す涙でも、悔し涙というか、今よりもずっとドロドロした涙だった気がします。

 

 その頃に流した涙は、いつも自分のプライドが壊されるような悔しさにあふれていたのですが、ここ最近の涙は、そういうドロドロしたものはなくなっていて、心が震える時に流れるような涙です。

 

 悲しい事が起これば、当然悲しいのですが、昔みたいに、そこに自分のエゴが入っていないので、名画を観て感動した時の涙に近い感じです。

 

 もちろん、男が泣くなんて、あまり格好良いものではありませんし、僕も滅多に泣くなんて事はありませんよ(笑)

 だいたい、目の前に大変な事が起きたら、泣いているような余裕なんてありませんし…

 

 人生には、時々、ハラハラするような大変なピンチがやってくる事があります。

 人は、大きなものを背負えば、背負った分だけ、ピンチも大きくなるでしょう。

  ここ10年間で、一番ハラハラしたピンチと言ったら、やっぱり アレ かな(笑)

 

 それが、人の生死や一生の事が掛かったような事であれば、猛烈にプレッシャーが掛かります。

 

 占い師という職業は、そういうピンチの人が相談にお越しになる機会が多いですから、常にプレッシャーがつきものです。

 

 まあ、それとは関係なく、人生というのは誰でも平等に、度合いの大きい小さいはあれど、ピンチというのはやってきます。

 そして、多くの場合、そのピンチを上手くかわす手段や、そこから上手く逃げる手段も残されているものです。

  日主「壬」の人は特に、そこで立ち向かうか逃げるかで、その後の人生が大きく変わります(^^)

 

 10代20代の頃の僕は、そんな時にはいつも、「逃げる選択」をする事が多かったですね。

 

 ミュージシャンを目指している事を言い訳にして、「夢に関係ない、どうでも良い事には、一切かかわりたくない」とか言いながら、自分の目の前に起こる事柄から、逃避していました。

 

 今思えば、あれだけ懸命に努力していたのに、夢が叶わなかったのは、そういう姿勢に、問題があったせいだったように思います。

 

 最近わかったのは、ピンチの正体というのは、実は大きな幸せをつかむチャンスだという事…

 

 ピンチが目の前にやってきた時、それに正面から立ち向かっていけば、そこでさらに大きな困難と苦しみに出くわす事になります。

 

 だから、うまく逃げた方が楽ですし、絶対的に得です(笑)

 

 でも、この逃げるという選択をした人は、その時に、自分を成長させるチャンスを、永遠に放棄してしまった事にもなるんですね。

 

 あと、人が取る行動や対応というのは、常に周りの人に見られています。

 

 見られているから… というのを理由にするのは、ちょっと本質から外れるのですが、やっぱり、こういう時にピンチに立ち向かっていく人の方が、人から頼りにされますし、信頼だってされるでしょう。

 

 そう考えると、ピンチに立ち向かっていかないというのは、ものすごく勿体ない事なのかも知れません。

 

 もちろん、まるで自分の手に負えない事や、全く自分と関係ないようなピンチにまで、首を突っ込む必要なんてありません。

 

 ただ、「どう見ても、この問題を処理するのは自分だよね」みたいなシチュエーションで、自分に起こった事に関しては、やっぱり立ち向かっていった方が、良い気がするんですね。

 

 神様は、その人が絶対に乗り越えられない試練は与えないと言います。

 

 それに、そのピンチの正体は、幸せをつかむ為のチャンスでもあります。

 

 覚悟を決めて、ピンチに立ち向かっていくと、意外に難なく乗り越えられる事もあるし、それを通して積む経験と、乗り越えた時の爽快感は、かけがえのない人生の宝物になるはずです。

 

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みんな、さりげなく頑張っている19.03.30

2019年3月30日(土)

 

 時が経つのは、本当に早いと言いますか…

 気がついたら、もう3月も終わりです。

 

 泣いても、笑っても、どちらにしても時間は、絶え間なく流れていくのであれば…

 

 それならいっそ、人生を思いっきり楽しんで過ごした方が、はるかにお得かも知れません。

 

 毎年、村野大衡先生の誕生日が過ぎた頃になると、外も暖かくなって、僕が大嫌いだった冬も、いつしか過ぎ去っています。

 

 昨日と今日の東京は、なぜか異様に寒かったですけど、それでも確実に春は訪れていて、これから暖かくて過ごしやすい日々がずっと続きます。

 

 とはいえ僕も、今年から花粉症に掛かってしまったようなので、手放しに喜べないのですが(笑)

 

 何ていうか、僕もそろそろ本気で頑張ろうかな… なんて思えてきました。

 

 今まで、本気で頑張っていなかったのか… なんて、ツッコミを入れられそうですけど、実は少しだけ、甘えていたんですね。

 

 いつも僕の周りには、味方になってくれるたくさんの素敵な人がいて、応援をしてもらっているというのに、どうも、踏ん張りが効かなくて…

 

 ちょっぴり、もの悲しいような、アンニュイな気持ちから抜け出せなくて、それを言い訳にして、仕事の効率がめちゃくちゃ非効率だったのです。

 

 先日、久しぶりに村野大衡先生と、電話で話したのですが、やっぱり村野先生はすごいなあ… と思いました。

 

 何て事のない雑談をしていただけなのに、村野先生と話すだけで、なぜか不思議と元気になれるんですね。

 

 やる気が体中からみなぎってくるというか… 「もっと、頑張ろう」という気持ちになるというか…

 

 これが、村野先生のパワーなんだと思いました。

 

 村野先生は、東洋占術の世界において、唯一無二の実力者ですが、会話をしていても、ほとんど占いの話題になる事はありませんし、そもそも村野先生は、あんまり占い師というイメージを感じさせません。

 

 話は面白いし、持っている知識もすごいんですけど、巷でよく見かけるような「占い師っぽさ」は、ないんです。

 何一つ偉ぶった所もないし、本当にいつも、気さくにつきあってくれます。

 

 僕が思うに、どんな世界においても、本物と呼ばれる人というのは、「いかにも、それっぽい」というのがないように感じます。

 

 それから、一流の人というのは、ほぼ例外なく「今、一生懸命に頑張っています」とか「こんなに苦しみながら、生きています」みたいな雰囲気を、出さないですね。

 だいたい、いつも涼しげな顔をしています。

 

 もちろん、努力自体は素晴らしい事なんですけど、「こんなに努力しています」みたいなオーラが、見え隠れしている内は、まだまだなのかも知れません。

 

 一流の人は、さりげなく、普通の人がしないような努力をコツコツしていたり、人知れず、葛藤を抱えていたって、気丈に振舞っていたりしますから…

 

 これは、プロボクサーが誰もいない所で、一人孤独にロードワークをやっていたりとか、野球選手が、誰も見ていない所で、汗だくになってバットの素振りをやり続けているような感じなのだと思います。

 

 アスリートは、普通の人ができないようなキツい練習を、さらりと平気な顔でやっています。

 

 僕なんかは、どうもそういうのが苦手で、あかぬけないというか… どうしても調子が悪かったりすると、すぐ雰囲気に出てしまって、人に見破られてしまいますね。

 

 そんな風に周りの人を心配させてしまうなんて、やっぱり、まだまだダメだなあ、と反省させられます。

 

 だいたい、苦しい時や不安な時というのは、孤独の中にどっぷりと漬かって、「自分だけが苦しい…」みたいな感覚になっているのですが、自分の周りにいる人だって、自分と同じくらい… もしかしたらそれ以上に、苦しい努力をしているのかも知れない…

 

 今まで僕は、その事に気づけずにいたのですが、みんな、涼しげな顔でさりげなくも、必死に もがきながら、頑張っていたりするんですね。

 

 そこに気づいたら、僕も、自分だけ負けてはいられない、という気持ちになりました。

 

 米米CLUBのカールスモーキー石井さんの本の中に「弱気な部分は、8割は隠して、2割だけ人に見せるようにするのが、良いと思う」みたいな事が、書かれていたんです。

 この比率が、逆になってしまったりすると、それは「自分をわかってほしい」という押し売りになってしまうし、逆に、10割全部余裕な表情で取り繕ってしまうと、嫌味になって、可愛げがなくなってしまうとも…

 

 カールスモーキー石井さんらしい、的を射た面白い意見だと思いました。

 

 確かに、自分の苦しそうな表情を、周りの人達の前で8割出してしまったなら、みんなに心配を掛けるだけでなくて、自ら、物事がうまく行かなくなるようなサイクルを、作ってしまう事にもなります。

 

 周りにわかるように苦しい表情をする事によって、自分からその問題に立ち向かって、乗り越えようとする気概が、いつの間にか、あきらめの気持ちや、人への依存心なんかに、すり替わってしまいかねないですから…

 こうなってしまうと、天からやってくるパワーも、10ある内の1も受けられません。

 

 もちろん、時にはそれで、周りからの助けや協力を得られる事だって、あるかも知れないけど、基本的に、そういう自分の問題って、ほとんどは自分にしか解決できなかったりします。

 

 だから、弱気な部分を出すのは、やっぱり2割までに、とどめておいた方が良いのかも知れません。

 それで、8割を隠しながら、人知れず頑張っていると、周りの人も、実は涼やかな顔をしながらも、自分と同じように苦しんでいるという事に、気づけたりします。

 

 それまでは、自分一人が孤独で、八方塞がりだと思っていたのが、実は、周りにいる人達だって、孤独と戦いながら自分と同じように頑張っている同志なんだ… いう事に気づく…

 

 そうすると、コツコツする努力というものが、楽しいものに変わってきます。

 

 努力していて、これまで結果が出てこなかった事だって、ちょっとした気づきやきっかけで、急にうまく行く事もあります。

 

 もしも万一、結果が出ないままで終わってしまったとしても、それは別の形で、人生に生かされる時があるし、頑張った事そのものが、無駄になってしまう事は、絶対にありません。

 

 みんな、さりげなく頑張っている… だから僕も、頑張ろう。

 

 いよいよ、春真っ盛り…

 僕も、このまま一直線に走り続けます。

    いつまでも このノリだから、あかぬけないんですね(^^;;

 

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なにげない一日一日が大切な宝物19.03.19

2019年3月21日(祝)

 

 今日は、春分の日…

 「早く、春にならないかなあ…」と、ずっと待ちわびていた春が、気がついたら、もう来ていました。

 

 外を歩いてみると、暖かな春一番が吹き荒れていて、気持ち良いのを通り越して、体の細い僕は、吹き飛ばされそうでした。

 

 僕は毎年、春が来るたびに、嬉しくて大喜びではしゃぐのですが…

 (2013/4/5パリブログ 「一つにつながっていけ…」 参照)

 

 もう、これまでのように、素直にこの季節を喜べなくなりました。

 

 どうやら僕は、間違いなく、花粉症デビューをしてしまったようです(涙)

 

 先々週辺りから、しばらくずっと、熱はないのに、目が痛くて、くしゃみは止まらないし、鼻水は出るし、喉も痛くて頭がボーッとしていました。

 

 そうしたら、先週のブログを読んでくださったOさんが、素敵な漢方薬を紹介してくださいました。

 

 

 「イスクラ衛益顆粒S」というお薬なんですけど、これ本当に良く効きます。

 

 これを飲み始めたら、たちまち花粉症の症状が、ピタッと止まりました。

 しかも、自然の生薬のみで調合されているので、安心です。

 

 基本的には、朝・昼・晩、食前か食間に、1日3回飲むのですが、いつも虚弱体質のせいか、少し外出するだけで、すぐ体が疲れてしまっていたのが、これを飲んでからというもの、体中からパワーが湧いてきているような気がします!!

 

 それで、もしかしたら、花粉症はもう治ってしまったかも… と思い、忙しかった事もあって、今日は朝から薬を飲まないまま、予定を入れていた「四柱推命講座・中級編」の補講を行ったのですが…

 

 またしても、目が痛くなって、鼻水とくしゃみと喉の痛みにおそわれて、改めて、「イスクラ衛益顆粒S」のすごさを実感しました。

    別に、イスクラさんから広告料もらっている訳ではありません(笑)

 

 ちなみに、本日補講にいらした中級編の受講生のYさんも、去年はずっとこの薬を飲んでいたそうで、「ものすごく効く」とおっしゃっていました。

 

 お薬ですから、効き目には個人差があるとは思いますが、花粉症に苦しんでいる方がいらっしゃいましたら、一度試してみられるのも、良いと思います。

 

 今月の前半は、いろいろな事があって、心が本当に落ち着かなかったのですが、今になってようやく、落ち着いてきました。

 

 それにしても、人生というのは、出会いがある分だけ、別れがありますし、もう二度と会えない人の事を思うと、寂しい気持ちでいっぱいになるものです。

 

 昔、読んでいた漫画に「勝負師伝説 哲也」という、小説家である阿佐田哲也さんの生涯を、脚色化して描いた漫画があったんです。

 で、そこに出てくる「ドサ健」という登場人物が、次のような決めゼリフを言うんです。

 

 「人は一人で生まれて、一人で死ぬ。淋しいぐらいで、ちょうどいいんだ…」

 

 あの漫画を読んで、もう20年近くも経つというのに(確か「少年マガジン」だったと思う…)今でも、あの言葉が忘れられなかったりします。

 

 実は、お釈迦様が出家する時、すがりつく従者に言った言葉に「人間は一人で生まれてきて、一人で死んでいく」というのがあって、それを元ネタにしていたであろう事を僕が知ったのは、それから随分と後の事なんですけど…

 

 どちらにしても、人生というものには、寂しさというものは、つきもののような気がします。

 

 それでも、これから進んでいく未来には、たくさんの希望があるから、立ち止まってはいられない…

 

 四柱推命講座の受講生でもあり、この度、野尻泰煌先生の書のレッスンも受け始めたYさんが、オグ・マンディーノの著書を貸してくださって、今、何度もそれを、繰り返して読んでいるのですが、やっぱり、僕らの人生というのは、希望に満ち溢れたものだと思う。

 

 打ちひしがれた時には、ついつい「自分は、なんて無力なんだろう」と思ってしまいがちですし、時には「どうせ、この程度のものだ」と、自分が嫌になって、ふてくされてしまう事もありますけど…

 

 それでも、人生は何度だって、リベンジや、やり直しが効くのだから、自分が止まってしまわない限り、やっぱり、果てしなく希望は続くと思うんです。

 

 ついつい、僕らは「個」というものを重視しすぎるがあまり、自分というものを、オギャーと生まれた時から、息を引き取る時までのおおよそ100年弱の人生だけに限定してしまいがちですけど、本当はそうではなくて、あらゆるものがつながっているような気がします。

 

 僕の意志は、僕自身のものでは、あるのですけど、そこには、遠いご先祖様から受け継がれている意志も組み込まれているでしょうし、尊敬してやまない先人達の期待と遺志も宿していると思うし、途方もない話ですけど、それははるか昔、地球が誕生した時からずっと受け継がれている、神なるものの意志かも知れないし…

 

 こういう事を大真面目に熱く語るのは、ちょっと恥ずかしいのですが、ここ最近、いろいろな事があって、そんな風に感じられるようになりました。

 

 僕も、花粉症の悩みも漢方薬で解決したし、また、そろそろ歩き出そうか… と思っています。

 

 手始めに、今年の夏は、京都の地で「四柱推命講座・初級編 京都第1期」を開設する事にしました。

 

 以前に名古屋で会場を借りて、講座を開催した事があったのですが、その時に集まってくださった受講生は、お二人だけでした。

 逆に、東京から遠く離れた場所で、よくお二人も集まってくださったと思います。

 

 講座会場をレンタルして、旅費や宿泊代を掛けて講座を開いても、受講生の人が集まらなかったら、赤字になってしまうから、しばらくは、東京以外の講座はやめておこう考えていたのですが、今回また、思い切って挑戦する事にしたんです。

 

 物事はやってみなければわからないし、去年の初夢で、京都に行っている夢を見たり、去年の秋は実際に京都に行く流れになったりして、なんか、どうもこの地に導かれているような気がするんですね。

 (2018/1/2ブログ 「夢からのメッセージ」 参照)

 (2018/11/1ブログ 「雅の都・京都の地へ」 参照)

 

 理由はよくわからないのですけど…

 

 結果がどうなるか見当はつきませんが、とにかく始める事に意味があるし、例え、赤字になったとしても、その事で得られる人の縁は、それ以上のものを生み出してくれるかも知れない…

 

 僕はまだ20代の若者だった時は、「何かいい事ないかな…」なんて、よく口ぐせのように言っていたのを覚えています。

 本当、他力本願だったと言いますか…

 

 シンガーソングライターの河島英五さん(この方は「酒と泪と男と女」という曲の方が有名です)が、「何かいい事ないかな」みたいな歌を歌っているのを聞いて、まるで自分の事を言われているみたいに、恥ずかしくなった記憶があります。

 

 何もしないで、ただ幸せが来るのを待っていても、何も起こらないという事は、あの頃の自分も、良くわかっていたはずなんですけど…

 

 とはいえ、「何かを始めればいい」というものではないし、ましてや、「何かを始めなければいけない」と強制されるものでもありません。

 

 自分で、「何かを始めたい」と思った人だけが、始めればいいし、そうでなければ、それは大して意味を持たないでしょう。

 

 別に何かを無理して始めなくても、自分の目の前に与えられた一日一日を、出来る限りの力で精一杯、生きていったらいいと思うんですね。

 

 その結果が、未来を作っていくのだという気がします。

 

 さっき、いつものように、みどりん先生から「満月メール」が来ていて、ふいに、夜空を見上げてみたんです。

 

 そしたら、綺麗な満月が出ていました。

 

 

 春分の日に、偶然に満月が重なったんですね。

 

 なにげない一日一日が大切な宝物…

 

 例え100年生きたとしても、人生には36,500日しかありません。

 さすがの僕も、もうこの半分ぐらいは消費してしまったと思います。

 

 悔いがないように、これからも精一杯生きていこうと思います。

 

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