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トピックス ~史記 日者列伝~sujets



 占いという職業の一番最初に見られる記憶は、紀元前91年に成立した司馬遷の「史記」の日者列伝に始まります。その中に出てくる、司馬季主という人物こそが、古代の占い師の原型だったのかもしれません。

史記 日者列伝 司馬遷・編纂


岩波文庫 史記列伝・五より  小川環樹・今鷹真・福島吉彦・訳(敬称略) 


 斉と楚、秦と趙の各国において、日の占いをする人々は、それぞれにその用いられる慣習がある。それらの大体のやりかたを次々と観てゆく。
 ゆえに、日者列伝を作る ― 太史公(司馬遷)自序


 古えより天の命を受けて王となった者は、いつでも亀卜(きぼく)と筮法(ぜいほう)の占いによって、天の意志を見定めない者はなかった。その慣わしは周代において、事に多く用いられたし、秦の時代になっても、あきらかに見られる。代王(後の漢の文帝)が都に入り帝位に即くべきかどうかを考えた時も、決定は占い者にゆだねられた。太卜(たいぼく)の官は、漢初からして置かれていたのである。

 司馬季主は、楚の国の人であって、長安の東の市場において占いをおこなっていた。宋忠(そうちゅう)は中大夫(文帝の宮中顧問官)、賈誼(かぎ)は博士であったが、たまたま同じ日に休暇をもらって洗沐(せんもく/頭を洗い入浴する為の休暇)にさがった。二人は「易経」について議論をはじめ、その本文を引用し、それが古代の帝王や聖人の道と教えであり、かつあらゆる人生の諸相の奥にふれたものだとしたが、顔を見合わせて嘆息した。

 賈誼は言った、「古えの聖人は朝廷に地位がない時には、きっと占い者か医者の仲間にいたものだ、と聞いている。ところで、僕は三公九卿(さんこうきゅうけい)の大臣達や、朝廷の役人達の顔を知っている。どんな風かは皆わかっている。ひとつ占い者の中で、どんな人物があるか見つけようじゃないか。」

 二人はすぐに輿(くるま)に同乗し、市場へ出かけ占い者の出ている所をまわって歩いた。雨が降ったばかりで、道ゆく人はまれであった。司馬季主は暇で坐っていたが、そばにいた三、四人の弟子に、天と地の道とか、太陽や月の運行とか、陰と陽がもたらす吉と凶の根源などを解き明かしていた。

 二人の大夫(宋忠と賈誼)は再拝して彼に面会をもとめた。司馬季主は彼らの顔形をじっと見て、知識人らしいと知り、すぐあいさつを返し、弟子に言いつけてそこに席をしつらえた。二人が座につくと、司馬季主はさきの議論にもどり、天地の終わりと始めの循環、太陽と月および星や星座の運行のすじ道をはっきりと示し、仁と義のわかれめを秩序立て、吉と凶の前兆を列挙して、数千語におよんだが、何一つ道理にかなわぬ点はなかった。

 宋忠と賈誼は驚きにうたれ、冠のひもを締めなおし、上着のえりを正し、きちんと座って言った、「先生のお顔を拝見し、お言葉をうけたまわりましたが、今まで世の中で見てまいりました中に、先生ほどのかたはありませんでした。どうしてこんないやしい者の間に住まわれ、また人のさげすむなりわいをなさるのでしょうか。」

 司馬季主は腹を抱えて大笑いした、「お二人の様子を見ていると、道の教えについてお心得があるらしく思ったが、何とつまらぬ事を言われるものですかな。その言葉も卑俗ですなあ。ところで、先生がたは、一体どうゆうものを賢者とし、誰をうやまわれるのか。年上の者をいやしいなどと言われるのは、どういう訳じゃ。」

 二人は言った、「高官と豊かな禄をうける人々を世間では尊敬しまして、賢才ある人がその地位につくのです。ただいま先生のおられます場所が違いますから、いやしいと申しました。言葉は信用されず、行いに証拠がなく、不正な手段で金を取る(そのような占い者のわざである)のですから、さげすまれると申しました。大体亀卜や筮法は、世間からは卑賤な仕事だと思われております。誰しも言います、『あの占い者なんぞの言う事は誇大で当てにならぬ、それで人の心のうちをつかんでいる。人の禄や命が高くなるなどとありもせぬ事を言って、欲を満足させ、災難が起こると勝手な予言をして、人の胸を痛ませ、幽鬼や神霊の言葉だと嘘をついて、財産を使い果たさせ、莫大な礼金と感謝を受けて、自分のふところをこやすのだ。』そういうやり方は、私どもには恥を知らぬと思われます。ですから、いやしいと申したのです。」

 司馬季主は言った、「まあ、お楽になさい。あなたがたは、まだ髪もゆわない小さな子をごらんでしょう。太陽や月の光のある時は出て歩き、光のない時は外へ出ません。日食や月食が吉か凶かなぞと聞いた所で、その訳は言えません。そこから考えれば、賢と愚のわかちを知る事のできる人はごく少ない。

 賢者の行いとは、まっすぐに道をたてて、間違った事にはあからさまに諫め、三度諫めて主君に聞き入れられねば身を引く。人はほめても、礼を言われる事を望んでではなく、人をあしざまに言うときも、怨みを受ける事は顧慮しない。国家と人民の利益をはかるのが義務だとする。だから自分がその任でないと思えば、官職につかず、その功ではないと思えば、禄も受けない。人の不正を見つければ、それが貴人であっても敬わず、人が汚い事をすれば、それが賢者であっても屈しない。地位を得てもよろこびとせず、それを去る事も悔やまない。自分の罪でない場合は縄目をも愧(はじ)とはしない。そういうものです。

 ところが、あなたがたのおっしゃる賢者たち、ありゃあみんな恥じゃありませんか。身を低くして進み出、へつらいと追従の言葉をならべるし、勢力を得るために徒党を組み、利益につられて人を引き立て、悪人どうし仲間になって正しい者を排斥する。それでもって栄誉を求め、国の俸禄を受ける。私の利益だけに熱中し、君主の法律を曲げ、農民からいくらでも取り立てる。官職は人を脅すために使われ、法律もわなに使われる。利益の為には、どんな凶暴な手段でもとる、それは白刃をつきつけて強盗をはたらくのと違いはない。

 最初の官吏試補になった時から、悪賢い詐偽にありたけの力を出し、ありもせぬ功績を言い立て、嘘の報告をでっちあげて、主君をたぶらかす。任用されて上位につけば大いばり、試補を採用する時賢才にはあてがわない。自分の功績をならべるには、事実の上に作り事をかさね、何もなかったのを、さもあったように見せ、少ない場合は多く増やし、それでもって有利な勢力と高い地位を求める。宴会だの遊猟だのには美女や歌手をひきつれ、その親達の嘆きをかえりみず、法をおかし民に損害を与え、公の費用を食いつぶす。これらは矛や弓を使わない盗み、弦や刃を使わない反乱ですぞ。自分の父母をあざむいても罪せられず、主君を殺しても征伐されぬ、そういうもの共です。

 そんな官吏どもは、匪賊(ひぞく)が出て来た時に、それをしずめる事はできないし、蛮族が服従しない時、そのおさえはできない。悪人がおこっても、その道をふさげない。政府の失費と混乱を正す事はできないし、季節の不順を整える事はできず、穀物が不作でも適切な処置は取れない。もし賢才でありながら、それをせずにいたのであれば、不忠である。賢才でなくてただ官位によりかかり、主君の俸禄をむさぼって、賢者の居るべき所をさまたげたのであれば、位をぬすむというものである。仲間の多い者を推薦し、財産豊かな者には丁寧にする、それは偽善である。ふくろうやとんびが鳳凰とともに高く舞い上るのを見た事はないか。蘭やよろいぐさやおんなぐさの香ばしい草が広い野に捨てられたままで、よもぎなどの雑草が林の様に茂るのを見なかったか。徳ある君子は退いて認められずにある。それは、あなたがた大勢のした事なのだ。

 『述べて作らず』とは君子の守るべき事である。ところで占いをする者は、天と地を法とし、四季の象(かた)どおりに、仁と義にしたがって、めどきをわけ卦を定め、盤をまわし石をおき、その上で天と地における有利と不利、くわだての成功するか失敗するかを予言する、必ずそのようにせねばならぬ。

 むかしの帝王が国家の大事を決するにあたり、必ずまず亀卜と筮法および日月の観測によって、しかるのち征伐をおこし、正しき時と日付を決めて、そののちに都に入った。家で男子出生のおりも、必ずまず吉凶を占ってのちにはじめて養育した。伏羲(ふくぎ)氏が八卦をはじめて作り、周の文王はそれをこまかにひろげて三百八十四の爻に定め、それで天下は秩序だてられた。越王句践(えつおうこうせん)は文王の八卦の法をまなんで、敵国を破り天下の覇者となった。そこから言えば、卜や筮の法術にうらぎられる事がどうしてあろうか。

 そればかりではない。卜や筮を行う者は、掃き清めた所に座をしつらえ、冠と帯をきちんとして、その上で予言をする。これは礼の大法にかなっている。彼の言葉によって、鬼神もささげものをうけたまい、忠臣はこれによって主君に仕え、孝子はこれによって親をみとり、情け深い父はこれによって子をいたわる。これは徳ある者ではないか。それで義として何十文か百文の銭を手に入れるのだ。

 彼のおかげで病める者が癒される事があり、死にかけた者も生きかえる事があり、娘を嫁にやる事もうまくいって、天寿を全うする。かような功徳が何十文か百文の銭の値打ちもないというのか。これこそ老子のいわゆる『上徳は徳とせず、是を以って徳をたもつ』ものである。卜筮をする者の恵みはかくも大きく、謝礼はこんなに少ない。とすれば老子の言った事と違わないではないか。

 荘子は言った、『君子は内には飢えと寒え(こごえ)の患いなく、外に劫奪(きょだつ)の憂いなく、上(かみ)に居りて敬さられ、下(しも)に居りて害せざれず。これ君子の道なり』と。いまかの卜筮(ぼくぜい)する者の修めた事は、いくら積みあげても山にはならず、しまっておく倉庫は不用で、移動するのに荷車も不用だ。それを背負う重さはなく、どこかにとまって役立てるのに、どれほど使っても尽き果てる時はない。尽きる事なきこの物を運んで、窮まりなき世間を渡り歩く。それは荘子の旅行だって、これ以上のものではないのだ。どうしてあなたがたは占いが役に立たぬというのか。

 天は西北の一隅で落ちこんだから、星辰(せいしん)はその方へと動く。大地は東南に傾いているから、あらゆる水は東と南の海にあつまる。太陽は空の真ん中に達すれば、必ずくだってゆき、月輪は円く満ちれば必ず欠けてゆく。古の帝王の政道も、あるいは続きあるいは消えた。あなたがたが占い者の予言が必ず的中すべきだと攻撃されるのは、やはり惑いではないだろうか。

 あの談論の士や雄弁家たちを、あなたがたは見なかったか。国家の政策は、あの人々によって予見し決定された。しかし、ひと言では君主たちの心をとらえる事ができなかった。だから話をはじめるのに必ず先王をもち出し、何かと言えば上古を述べた。政策を議して予測と決定を行うにあたっては、先王のいさおしを大げさに言い、その失敗と損害を語って、君主たちの心に恐れと喜びを与えて、目的をとげようとした。口数多く誇張と虚飾にみちた事、彼らに勝る者はなかった。しかし国家を強大にし君主の成功をうけあい忠実な臣下であるためには、こうする他に身の立てようがなかったのだ。

 ところで占い者は、迷えるをみちびき愚かなるをさとすものである。迷える愚かな人々に、ただひと言で知らせる事ができようか。いかほど口数が多くとも多すぎる事はない。だから駿馬はやせたろばとは一つにつながれず、鳳凰はつばめやすずめの群れには入らない。そして賢者もまた愚人の列には加わらないのだ。ゆえに君子はいやしく目立たぬ所に身をおき群集から遠ざかり、おのれを隠して常人には背をむける。ほんのわずかな暗示で、従うものに恵みがあり、大勢のそねみをまぬがれ、天より受けた本性を明らかにし、君主を助け人民を保護する。その手がらと利益は偉大だが、地位と栄誉は求めない。
 まあ、あなたがたのような人は魚がぶつぶつ泡をふくようなものである。事にたけた者の道は、とてもわかるまいな」。

 宋忠と賈誼はこれを聞くうち、すっかり自分を見失い、顔の血の気もうせ、ぼんやりと口をつぐみ物も言えずにいたが、このときになって上衣をかきあわせ身をおこし、再拝して別れを告げると、あてもなく歩き出した。市場の門を出ると、やっとの事で輿に乗りこんだが、横木につかまったまま、うなだれて、いつまでも元気は取り戻せなかった。

 三日たって、宋忠は宮門も門前で賈誼に出会った。目につかない片隅に入りこんで、言葉をかわしたが、どちらもためいきをついて言った、「道のすぐれた人ほど安全で、権威が高くなるほど危険なのだな。輝かしい威勢の上に居れば、足をふみはずす日はまもなく来る。だいたい占いをしてはずれたとて、礼金を取りかえされたためしはない。君主のために方策を立て、はずれた時は、身の置き所はなくなる。これはたいへんな違いじゃないか。天と地、冠と履(くつ)ほどの事だ。『老子』にいう『名なき者は万物の始めなり』とは、この事だ。広大な天地の間に、あらゆる物はそれぞれ生を営み、安きもあり危うきもあって、どこに居るのがよいかわからない。僕と君などは、あの司馬季主の仲間入りはできそうにもないな。彼は長生きすればするほど安泰だ。荘子の守ったところでも、あれより上とは言えぬわけだ」。

 しばらくして宋忠は匈奴(きょうど)族へ使者にやられたが、使者を果たしえないで戻ってきて、刑罰を加えられた。そして賈誼は梁(りょう)の懐王(かいおう)のもり役となったが、懐王が落馬して死ぬと、彼は絶食し、痛心と悔恨に責められて死んだ。この二人は世の華やかさに目をうばわれて命のもとを断ち切ったのであった。


 大史公曰く、古代の卜人(ぼくじん)についてここに載録しないわけは、多くは確かな書籍には見えないからである。司馬季主に関しては、わたくしはよく記憶しているから、それを書き記した。




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