占い暦481 本物の芸術は、微かな味わいがある

丁酉年 甲辰月 壬午日 晴れ 「法王・正位置」

 

今日は、月一回受けさせて頂いている、野尻泰煌先生の書のレッスンの日…

 

板橋区十条にある教室に、書き上げた書を持っていきました。

 

いつものように、野尻先生に次のレッスン日までに仕上げる書のお手本を書いてもらいながら、高天麗舟先生と、とんぼ玉の第一人者で浅草とんぼ玉工房の主催者の黒澤忍さんと、素敵なお話を聞き入りました。

 

ちなみに、今回から僕は、王羲之の書の練習をする事になりました。

 

 

野尻先生が、王羲之の書体でお手本を書いてくださっています。

 

野尻先生は、ハンガリーのラデイ博物館での泰永書展を終えて、日本に帰国されて、さらに元気にパワーアップされていました。

 

この泰永書展は、現地のテレビニュースでも放映されています。

 

https://www.facebook.com/taieikai/(この中の4月21日 6:45投稿の動画参照)

     僕の書いた作品も、テレビに映っています♪

 

野尻泰煌先生と共に、高天麗舟先生、坂口峰陵先生、そして、実業家の草さんら泰永会の精鋭メンバーでの遠征となった訳ですが、現地のインターネット情報でも大々的に取り上げられているように、書という東洋の芸術を、ヨーロッパ・ハンガリーの地で、最高の形で紹介する機会になったのではないかと思います。

 

そして、今回のレッスンでは、野尻先生から、真の芸術についての、とても興味深い内容のお話をお聞きする事ができました。

 

劇作家で詩人のT.S.エリオットは、「真の芸術とは、伝統の踏襲であって、没個性的である」と言っているそうですが、これこそが本物の芸術作品を作る真髄であり、作者のオリジナリティーを前面に出す行為というものは、芸術作品を小さな枠に閉じ込めてしまうと、野尻先生はおっしゃいました。

 

確かに、古い時代からある芸術作品や、これまで受け継がれながら存在している伝統芸術の手法は、どんなに時が過ぎても、色あせないものばかりです。

 

ただ、そういった作品は概して地味で、なんとなく野暮ったくも見えるので、その良さが、わかりにくいのもまた事実です。

 

例えるなら、薄味の懐石料理の味わいのようなものでしょう。

 

もしも、調味料と油たっぷりのハンバーグのような味わいの作品なんかと比べられたなら、その途端に、何が何だかわからなくなってしまいます。

 

味の濃いハンバーグを食べてから、高級料亭の懐石料理を食べてみても、何も味が感じられませんから…

 

ただ、そういった味の濃いわかりやすい作品には、その作品を作った人の個性というものに、心が揺さぶられる事はあっても、それ以上大きなものにはたどり着けません。

 

一方、伝統に立脚した没個性的な作品には、その作品を通じて、例えるなら、この地球や宇宙、もしかすると、時間を超えて、天とか神とか呼ばれるようなものとも、つながる事ができるかも知れない…

 

だから、それをちゃんと理解する事さえできれば、次元の違う、魂が震えるような感動を味わう事ができる…

 

おそらく、そんな感じの意味ではないかと思います。

 

野尻先生は、芸術作品を作るにおいて、個人のアイデアも作為も要らないし、むしろそう言ったものは無い方がいいとおっしゃいます。

 

 

そういったものがあると、真の芸術から遠ざかってしまうという事なのでしょう。

 

本物の芸術は、微かな味わいがある…

 

僕も、まだまだ駆け出しですが、そんな微かな味がわかるような、素敵な芸術家になりたいです。

 

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2017年4月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : futoshi