丙申年 甲午月 戊辰日 小雨 「死神・正位置」
今朝は、宇都宮のビジネスホテルで目覚めました。
いよいよ、これから日光東照宮へ旅立ちます。
これまでずっと、行こう行こうと思いつつ、結局行かずじまいだったあの日光東照宮に、やっと訪れる日が来ました。
日光東照宮の最寄駅は日光駅…
宇都宮駅から、日光線に乗って6駅でついてしまいます。
昨日の鑑定で使った、重い鑑定道具のセットを、宇都宮駅のコインロッカーに入れて、いざ、出発進行!
日光線って、とってもレトロです。
さあ、これから旅の始まりです!!
乗るのは、この電車…
45分ぐらい電車の中で過ごして、ついに、目的地の日光駅へたどり着きました。
まずは、駅の近くにある、お饅頭屋さんで、日光名物の ゆば を使った「ゆばまんじゅう」を食べました。
うちの奥さまは、小さい頃から何度も日光に行って、この辺りの道は全部知りつくしているので、本当に助かります。
ここから、うんと歩く事になるので、たっぷり腹ごしらえしなければ…
日光東照宮に一番近い「西参道」の停留所まで、バスに乗って5分です。
バスを降りてからの参道は、歩いて向かって行きます。
そして無事に到着(^^)
ちなみに、日光東照宮とは、僕の大好きな徳川家康を祭った神社の事です。
そして、今だけ限定で、家康公の御位牌が初公開されているのですね!
家康は1616年4月17日に没し、ます最初に、静岡県の久能山東照宮に葬られました。
そして、その後になってから、この日光東照宮に改装されたのです。
前にも書きましたけど、日光東照宮に、富士山、久能山東照宮の場所は、見事に一直線に結ばれています。
(2016/1/5ブログ 「この世界は必然に導かれている」 参照)
鳥居にたどり着きました。
この鳥居に書かれている「東照大権現」というのは、家康の神号の事です。
これは、家康の死の翌年、後水尾天皇から勅諡(ちょくし)されたものなんですね。
いざ、鳥居の中を抜けて、いよいよ日光東照宮の中に入ります。
東照宮に入って真っ先に目についたのは、「三猿」の彫刻がほどこされた建物…
有名な「見ざる聞かざる言わざる」というやつです。
このシャレの効いたことわざは、一体何が元になっているかというと、一説によれば、六十干支の「庚申(こうしん = かのえさる)」の日に行う「庚申信仰」が元になったとか…
庚申信仰というのは、「人間の体内には、三匹の虫(「尸(し)」)が潜んでいて、庚申の夜、眠っている間に抜け出して天帝のもとに上り、その人の罪や過失を告げて、命を奪わせる」という伝説…
ただ、眠る事さえなければ、その三匹の虫(三尸)が抜け出せないので、庚申の日の晩だけは何とか眠らないようにして過ごす… という慣わしです。
庚申の「申」は、猿ですので、「三尸」が「三猿」に変化した可能性は、十分にあります。
続けて目に入った五重塔…
これは、徳川家の重臣で老中にまで出世した酒井忠勝が、寄進した五重塔です。
この日は小雨…
五重塔のてっぺんには霧が掛かって、ちょっぴりシュールな感じです(笑)
そして、これが豪華絢爛な日光東照宮の「唐門」です。
日光東照宮で最も有名なのは「陽明門」なのですが、残念な事に現在改装工事中で、よく見えませんでした(涙)
この後、日光東照宮の果てしない階段を上へ上へと昇っていって、ついにたどり着いたのが…
なんと、ここが家康の墓所です。
この下に、あの徳川家康が眠っておられるのですね。
なんとも言えない感慨深さに、しばらく身動きができないほどでした。
この後も、日光東照宮のあちこちを見学しました。
撮影禁止になっている場所も多く、全てを紹介し切れませんが、見事な漆塗りの建造物や彫刻は、もう圧巻でした。
最後に、宝物館に行って、徳川家康が関ヶ原の合戦で実際に身につけていた鎧や、愛用していた硯とか、直筆の手紙なんかを見て、すごく満たされた気持ちで、日光東照宮を後にしました。
P.S.
日光東照宮を歩き回って、激しい階段を上り下りしているうちに、すっかりお腹も減ってしまいました。
奥さまと一緒に、東照宮を出てすぐの所にあった、食堂兼おみやげ屋さんで、「ゆばうどん」を食べました。
値段はちょっぴりしましたが、味は最高にうまいです。
そして、徳川家康の肖像画がプリントされた、超レアなTシャツをおみやげに買いました。
こんなすごいTシャツ、どこを探したってありません♪
(普通、こんなもの誰も買わないだろうし…)
大好きな家康三昧の、最高に充実した旅になりました!
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