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人生は可能性のるつぼ19.01.20

2019年1月20日(日)

 

 気がつけば、七草粥も、成人の日も、どんと焼きも終わり…

 1月もいつの間にか、3分の2が終わってしまいました。

 

 年を取れば取るほどに、時間が速く進むと言いますが、こんなに時間が速く感じるのは、僕も年を取ったという事なのでしょうか…

 

 あんまり、認めたくはないのですが(笑)

 

 NHKの番組のチコちゃん(声:木村祐一さん)が「大人になると、あっという間に1年が過ぎるのは、人生にトキメキがなくなったから…」と、言っていました。

 

 あれは厳密には、心理学者の一川誠教授の説で、一川教授によると そのように感じるのは、加齢による身体機能の低下により動作や判断が緩慢になる事と、日常で心を動かされる事や楽しみな事が少なくなって「待ち遠しい」という時間が長く感じる機会が少なくなるから… というのが、原因なのだそうです。

 

 う~ん、僕は今年は特に、結構、楽しみで、待ち遠しい事だらけなのですけど…

 

 まあ、僕の場合は、人と比べて体力がある方ではないので、それによる身体機能の低下が、原因なのかも知れません(笑)

 

 でも、何かこれ以外にも、時間が速く感じられる原因がある気がするんですよね。

 

 これは、手相家の西谷泰人先生の「年を取るほど時間は速く進む」という本にも書いてあるのですが、手相の流年法を見ていく場合、若い頃の一年の長さは、幅を広く、年齢が進めば進むほど、幅をせまく取っていきます。

 

 どちらにしても、年を取れば取るほど、時間というものが短く感じられる事だけは、間違いないようです。

 

 それはともかく、人生には時折、大きな選択を迫られる事があって、生まれた時には、無限の選択肢が用意されているけれど、年を取るにしたがって、その選択肢が減っていき、最後の最後には、生きるか死ぬかの選択しかできなくなる… などと言います。

 

 なるほど、確かに、人生の選択をしていくごとに、可能性の選択肢はどんどんと削ぎ落されていって、結局、最後は何もなくなっていくんだね~… なんて、妙に達観した気持ちになれる言葉です。

 

 フランスの哲学者・サルトルは、「人間は、自由という刑に処せられている」と言っていたし、選択肢がなくなれば、悩みも減って、諦観の悟りに近づいて行くかも知れませんし…

 (2013/12/20パリブログ 「悩みの原因は、選択の自由にある」 参照)

 

 確かに、人生の一面において、これは見事に言い当てているでしょう。

 

 でも、僕は、別の一面を見れば、人生はいくつになっても、無限の選択肢と可能性に満ちているように思います。

 

 さっきの「可能性の選択肢をどんどん削ぎ落していく」というのは、あくまでも、生まれ持った自分の性格や考え方のスタンスが、あまり変わらなかった時の場合だけです。

 

 まあ普通、生まれ持った性格は、そうたやすく変えられませんから、ほとんどの人はそうなっていくでしょうし、命理学を宿命論的にとらえた場合の考え方も、これに当てはまります。

 

 でも、生まれ持った性格や考え方だって、絶対に変えられない事はないと思うんですね。

 むしろ、人生はそれを変える為にあるような気がします。

 

 そしてこれは、年を取れば取るほど、いろいろな経験を積んでいる訳ですから、変えやすくなります。

 

 いや、年を取れば取るほど、頑固に凝り固まってくるんだから、性格は変えにくくなるんだ… と言われそうですけど、それは、自分を変える事をあきらめた人と、最初から変える気がない人だけに言える事です(笑)

 

 僕も、自分以外の人、特に自分が影響を及ぼす事ができない人に関しては、性格を変えるなんて、とっくにあきらめていますけど、こと自分自身に関しては、性格も考え方も、いくらでも変えられると思っています。

 

 かと言って、急に無理やり、自分の考え方を変えようとか、気持ちが乗らない事を、あえて性格を変える為にやろうとか… 最近は、そういう事はやらなくなりました。

 

 どうせ、後から反動が押しよせて、無理が来る事は経験済みですから…

 

 「自分を変えよう、変えよう」と、いくら頑張ったって、自分の想念の堂々巡りの渦の中から抜け出せないのですが、例えば、誰かの為に、自分の中の何かのこだわりを捨てる必要性に迫られたりした時に、ふっと自分が軽くなって、何かが変わるような気がするんですね。

 

 とはいっても、不平不満を抱えながら、義務感だけで、無理やり何かを捨てた時はダメです。

 この場合は、やっぱり後で反動が来ますね(笑)

 

 どちらにしても、性格や考え方と言うのは、そのこだわりや執着を「捨てる」事でしか、変えられないのではないかという気がします。

 

 人生というのは、捨てる事によって、その空いたスペースに宝物が入ってくるものです。(言いかえると、捨てた分だけ天とつながりやすくなる… と言えます)

 

 その捨てるコツさえつかめれば、焦って「この性格を変えなければ…」などと力まなくても、自然に性格や考え方は変わってきます。

 

 その為にきっと、人との出会いというものが、あると思うんですね。

 

 余談ですが、僕は去年、白山比咩神社に行ってから、信じられないくらいに次々と、新たな不思議な出会いにたぐり寄せられています。

 (2018/12/8ブログ 「白山菊理姫に会いに ~北陸への旅<1>「白山比咩神社へ」~」 参照)

 

 性格や考え方が、自然に良い方向へ変わっていくと、今までだったら、怒りや恐れといったネガティブな感情に囚われてしまう場面を、ものすごく冷静にクールな目で分析できるようになるし、今までの自分よりも高い視点で、長期的なビジョンで、物事を考えられるようになります。

 

 こうなってくると、当然、自分を運命も変わってしまいます。

 

 だから、人生というのは、いつだってたくさんの選択肢と可能性が存在していると思うんですね。

 

 この場合の選択肢というのは、目の前に決断を迫られている選択肢だけではなく、自分が変って視界が広がる事によって、新たに見えてくる選択肢を含めています。

 

 いつだって、人生は可能性のるつぼ…

 

 一見、目の前の状況が完全に閉ざされてしまったように見えても、あきらめる事さえなければ、必ず道が開けていくはずです。

 

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