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役者になりきれれば、人生がどんな状況でも楽しめる18.10.21

2018年10月21日(日)

 

 気がつけば、吹き抜ける風もいつしか冷たくなって、すっかり秋らしくなりました。

 あんなに暑かった今年の夏の事が、まるで夢のようです。

 

 人生というのは、日々いろんな事が起こりますが、皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

 

 僕は今になって、20代の頃に、俳優の勉強を一生懸命やっていた事を、本当に良かったと感じています。

 

 あの頃は元々、シンガーソングライターみたいなものを目指していたのですが、僕はいつもあがり症で、オーディションやライブの本番になると、あがって声が出なくなってしまうので、それを治したくて、俳優の勉強を始めたんです。

 

 それに、音楽でブレイクする前に、俳優でブレイクできたのなら、それでもいいかな… という、やましい下心もありました(笑)

 

 とはいえ「30歳になる前に成功しなかったら辞める…」と、自分に誓いを立てていた事もあって、結局、音楽も俳優も、どちらも日の目を見るもなく、そこで終わってしまったんですけど…

 

 30歳になったばかりの頃は、すごく悔しくて、俳優養成所に通っていた頃の記憶を思い出す度に、「何て不毛で馬鹿馬鹿しい事に、時間とエネルギーを使っていたんだ…」という、やりきれない気持ちがこみ上げていました。

 

 ところが、俳優になる夢なんて、とっくに忘れてしまった今になって、この時の体験… 特に「メソッド演技」を学べたのが、すごくありがたい事だと感じるようになったんです。

 

 メソッド演技とは、もう何度もブログのネタにしていますが、役の内面を深く掘り下げて、その感情を追体験し、理想としては、自分が役と同一化する事によって、最高にリアリティーのある演技を目指す技法です。

(2012/5/28パリブログ 「イメージした自分が現実になる」 参照)

 

 もちろん、これは舞台や映像などで、クオリティーの高い演技をする為にある技法であって、そういう事に関わりのない人には、普通に考えてみれば、何の役にも立ちません。

 

 せいぜい役立つと言えば、詐欺師が人をだます時に、これを使って悪用する事ぐらいだろう… と、僕も思っていたのですが、案外そうでもないんですね。

 

 メソッド演技は、役の感情を追体験する技法ですから、究極には、自分の感情を、演じる役や、自分の理想とするイメージに合わせて、カスタマイズするという離れ業ができるようになります。

 

 もちろん、それができるようになる為には、雲をつかむような、つかみ所のないエクササイズを、毎日続ける地道さが必要になってくるのですが、(多くの人は、本当に効果が出るのか疑問に思ったり、馬鹿馬鹿しくなったりして、途中でやめてしまいますが…)僕は20代の頃、毎日休む事なく、一定時間必ずそれをやっていたんです。

 

 どんなエクササイズだろうかと、興味を持たれる方もいらっしゃるかも知れませんが、そうですね… もしも、「これは、メソッド演技の練習です」と説明しないまま、人前でこのエクササイズをやってしまったら、まず間違いなく、緑の救急車で病院に連れていかれます(笑)

 

 僕が今になって、この練習が役に立っていると思うのは、人生である程度厳しい状態に立たされても、比較的ポジティブにいられるという事です。

 

 こう書いてしまうと、「苦しい事があっても、自分に暗示をかけて、苦しいと感じないようにしている…」というイメージに捉えられそうですが、そうではありません。

 苦しい事があれば、苦しいと感じるし、悲しい事があれば、悲しいと感じるし、その部分は変わらないですし、逆に、それでいいと思います。

 

 演劇というのは、当たり前の話ですが、台本というものがあって、俳優はその台本をしっかり覚えた上で、そのシナリオに沿って、セリフを言ったりアクションをしたりします。

 

 どんなに「メソッド演技」が、その役になりきる演技法だと言っても、もう一人の俳優としての自分が、そこに存在して、冷静に自分の演技をコントロールしています。

 

 もしも、完全に100%自分と役とが同一化してしまって、それをコントロールする俳優の自分がいなくなってしまったら、もう舞台が成り立ちません。

 (「ライオンキング」の舞台の上に、なぜか本物のライオンがいるようなものです…)

 

 おそらくこれが、「役者が大好きでやめられない」という人の理由ではないかと思うのですが、役をコントロールしている操り手の俳優の方の自分の意識は、どんなに悲惨な境遇の役を演じていようが、どんなに怒り狂った役を演じていようが、常に上機嫌で楽しいんです。

 

 メソッド演技ですから、悲しい役をやれば悲しみがこみ上げてくるし、怒り狂った役をやれば怒りがこみあげてくるのですが、それは役柄の方の自分の感情であって、その役と同時に存在する操り手の自分は、いつも上機嫌で楽しい…

 

 もちろん、「台本をちゃんと覚えていない」とか、「練習不足で段取りがつかめていない」とか、そういう理由により、全く楽しい気持ちになれないまま、ハラハラドキドキしながら舞台に上がっている俳優さんもいるかも知れませんが、そういうのは論外です(笑)

 

 演劇の中には、通常のきちんとシナリオがある演劇だけではなく、インプロヴィゼーション(即興演劇)とかエチュードとか呼ばれる、即興のアドリブで演技をしなければならないものもあります。

 

 これは、それぞれ役柄や、場所の設定(「船着場」とか「宇宙船の中」とか、もう何でもアリです)は、決まっているのですが、セリフは何も決まっていなくて、自分が好きなように、アドリブでそこに登場している他の役を演じている人と絡みながら、舞台を進めていくという特殊な演劇です。

 

 セリフを覚えなくていい分、余計な所に意識が持っていかれないので楽ですが、逆に、役作りをきちんとしておかないと、何をどうやって演じたらいいのか分からなくなってしまいますし、俳優自身の中にある臆病さを、一時的にでも払拭できないと、舞台で何もできなくなってしまいます。

 

 とはいえ、セリフや台本がきちんと決められている演劇も、こういった即興演劇も、基本の部分は変わりありません。

 

 いわゆる名優と呼ばれる俳優は、台本やシナリオが決まっていても、決まっていなくても、どんな役を与えられたとしても、存在感が本当にすごくて、ものすごく魅力的に映ります。

 

 例え、それが全くセリフのない執事とか、家政婦の役であったとしても、なぜか際立ってしまうんですね。

 

 チャールズ・チャップリンは、映画の幕開けの時代のスーパーヒーローですが、その中で演じている役と言えば、帽子とステッキを携えた、チョビ髭を生やした浮浪者役でした。

 

 貧乏で汚くて、人生の悲哀に満ちている、おそらく誰もやりたいとは思わないような役なんですけど、チャップリンが演じると、それが見事に、道化師よりも滑稽で、愛らしくて魅力的な存在に変わってしまうから、本当に不思議です。

 

 ついつい夢中になって、長々と演劇の話ばかりしてしまいましたが、何が言いたいかと言いますと、我々の人生は、もしかすると、この演劇と大して変わらないのではないかと、最近思えてきてしまったんですね。

 

 人生の舞台は、どちらかというと即興演劇に似ていて、セリフは一切決まっていないのですが、さらに都合がいい事に、自分の役柄の設定も自由に選べるし、場所の設定も、自分が舞台にしたい所に足を運ぶだけで、全てが思うがままです。

 

 さらに、自分の人生の舞台に登場させたい人物だって、基本的に、自分の意思で選べます。

 もちろん、登場させた人物のセリフやアクションに対して、口出しをする権限まではありませんが…

 

 舞台演劇には、舞台監督や演出家という存在がいて(もちろん、映像演劇の世界も同じです…)俳優は基本的に、その指示に従わなくてはいけません。

 

 でも、人生という舞台には、そういう存在もありません。

 しいていえば、それが「神様」という存在なのかも知れませんが、もしも神様に「どういう役を演じたらいいですか…」ってお伺いを出したとしたら、多分こう言うと思います。

 

 「ヘイ、YOU、好きにやっちゃいなよ…」って(笑)

 

 それで、人生を舞台だと仮定して、自分の役になり切って演じる事ができるようになると、どんな役をやっていても、どんなシチュエーションのシーンをやっていても、もちろん、悲しくて惨めなシチュエーションをやっている時は、涙を流して泣いていたりするんですけど、どこかで、それを見守っている、やけに冷静で達観した、もう一人の自分の存在に気づく事があります。

 

 僕が20代の頃、俳優養成所で、演技指導のインストラクターの先生から、よく注意された事があるんです。

 

 僕は良く、シナリオを演じている最中に、その演劇とは関係ない自分の事が頭によぎって、急に我に返って、冷めちゃったりした事があるんです。

 

 そんな時、よく怒声が飛びました。

 

 「演じている俳優が冷めて、どうするんだよ。バカヤロー」みたいな(笑)

 

 まあ、そりゃそうなんですよね。ドラマなんかでも、演じている俳優が、急に我に返って、動きをフリーズさせてしまったら、その瞬間にNGになってしまいます。

 これが舞台だったら、一瞬にして、その作品が台無しになってしまいます。

 

 基本的に、人生というものには、シナリオもなければ、設定も自分の自由にできるのですが、もしも、役を演じる自分が冷めてしまったら、やっぱり台無しになってしまうと思うんですね。

 

 時々、自分の内に籠って、悶々と物思いにふけるのは良いのですが、その時間があまりにも長くなってしまうと、舞台としては、すっかり興が冷めてしまいます。

 

 人生と演劇とで、明らかに違う点を挙げるとすれば、演劇はシナリオがあろうがなかろうが、だいたいの筋書きや流れは決定しているのに対して、人生は時折、とてつもない大きな岐路があって、右に倒れるか、左に倒れるかによって、とんでもなく大きくシナリオが変わってしまうという所かも知れません。

 

 ただそれでも、例えどちらに転ぼうが、次のシーンが必ず続くという所は同じです。

 

 そのシーンが楽しくて幸せなシーンなら、その主人公を演じながら、人生を楽しんだらいいし、もしも、それが悲しくて惨めなシーンなら、チャールズ・チャップリンさながら魅力的にその役を演じながら、人生を楽しんだらいい…

 

 役者になりきれれば、人生がどんな状況でも楽しめる…

 

 長い舞台でも、たかだか100年あまり…

 役を演じる集中力だけは、途切れさせないようにしながらも、どこか冷静に達観して、上機嫌な気持ちでそれを楽しんでいる、もう一人の自分の存在も感じつつ、最高の舞台を作り上げようではありませんか。

 

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