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歴史と史跡を訪ねて ~近畿への旅<3>「京都探索・その2」~18.11.02

2018年11月2日(金)

 

 時間がたつのは早いもので、いつしかもう11月…

 それにしても、今回、本当に、京都の地に訪れて良かったと思っています。

 

 京都の地は、明治になって、都が東京に移るまでは、ある意味ずっと、日本の中心地でした。

 それは、天皇という存在が、ずっと日本という国を、平和に治め続けてきたという事でもあります。

 

 桓武天皇の平安京遷都以来、源頼朝が鎌倉で幕府を開いたり、徳川家康の子孫たちが江戸でこの国の政治を取り仕切ったりしましたが、やっぱり日本の中心地は、この京都であり続けたように思います。

 時の権力者たちも、常に天皇にだけは、敬意を払っていました。

 

 だから、日本の中心地である京都は、常に動乱に巻き込まれて、火の海にされる危険がありました。

 特に、応仁の乱以降の戦国時代とか、幕末の動乱期なんかはそうでした。

 

 この京都の地には、日本の歴史が大きく変えた瞬間の記憶が、たくさん刻まれている…

 

 戦国時代と幕末の動乱期との違いを、一つだけ挙げるとすれば、戦国時代には、おのおのの大名が覇権を取る事で国を一つにしようとしていたのに対し、幕末期には、そういった己の野心ではなく、志士たちが自らの命を賭して、日本という国を一つにしようとしていた事でしょうか。

 

 幕末の京都の町で、志士たちは、自分の命の危険を顧みる事なく、ただただ、この国が一つになって、隣りの清国のように、世界の列強諸国の植民地になってしまう事だけは、回避しようとしたのでしょう。

 

 今で言えば、当時の京都は、集団テロと殺人がまかり通っていた恐ろしく治安の悪い無法地帯という事になります。

 でも、この場所で生きた、志士たちの志を感じてみると、目が覚めるような思いがします。

 

 人は、「自分の人生を幸せに生きる権利がある」と言います。

 

 いや、「権利がある」という言い方にすると、利己主義を思い起こしかねないですから、「義務がある」という言い方にした方が、良いかも知れません。

(2012/4/22パリブログ 「パリに行って変わった事」 参照)

 

 例えば、結婚もしたいし、仕事も成功させたいし、お金もたくさんあった方がいいし、子供もほしい… と、次々と望みや悩みが出てくるのは、ごく自然な事ですし、もしも、それで幸せになれるのだったら、その理想を叶えるべく、ひたすらに頑張ったら良いと思います。

 

 とはいえ逆に、そういった人生の目標に囚われてしまう事で、自分の事を、自ら不幸にしてしまう事もあります。

 

 また、その成功を手に入れたら入れたで、今度は、それを失ってしまう恐れに心を縛られて、身動きが取れなくなる事だってあります。

 

 僕が、このタイミングで無性に旅に出たいと思ったのは、そんなちっぽけな自分を捨てたかった…

 そういう思いがありました。

 

 坂本龍馬とか、西郷隆盛とか、桂小五郎とか、高杉晋作とか… 幕末の志士たちの生き様を見ると、僕は、このままじゃいけない… という気持ちになります。

 

 まあ、彼らはちゃんと結婚していますけど、中には若くして、結婚もしないまま散った人もいます。

 

 そういった人達の事を、「この世的な成功をしていないから、不幸な可哀想な人達だ」などと、狭い価値観で考えるのは、あまりにも失礼極まりない事です。

 

 維新の志士たちは、みな、自分の幸せ以上に、日本が一つになって、この国が幸せになる事に、重きを置いていたのですから…

 

 こう書くと、人によっては、命を軽く見ているように思われるかも知れないし、時代錯誤の右翼的な思想だ、などと思われるかもしれませんが、僕にはそういう意図は全くありません。

 

 もちろん、人が殺し合うなんて、絶対にあってはいけない事ですし、政治思想の事なんて、ここでは関係ないです。

 

 彼らが尊いのは、自分だけの個人の幸せに腐心するのではなく、みんなが幸せでいられる事を優先して行動した所です。

 彼らがもしも、この平和な現代に生まれたなら、当然、殺人とは無縁な、大きな視野を持った愛のあふれる人になるに違いありません。

 

 まあ、若くして亡くなってしまった多くの人は、記録も何も残っていないので、その生き様を知る事自体が難しいのですが、今でこそ有名になっている志士たちだって、名を成す前は、命を賭す覚悟ぐらいできていたと思います。

 

 でなければ、こんな偉業は成し遂げられていなかったでしょう。

 

 もちろん、結果的に朝敵として悪役にされてしまった江戸幕府や新選組とても、それは同じでしょう。

 立場は違えども、日本を一つにしたいという思いは、変わりないはずですから…

 

 Iさんに案内して頂いて、京都の街の史跡ツアーの始まりです。

 

 

 ここは、京都御苑の西側に位置する「蛤御門(はまぐりごもん)」です。

 

 この後、この門の中に入って、京都御所を見て回ったのですが、幕末時代からしたら、この門から中に入るなんて、とんでもない事です(笑)

 

 1864年「禁門の変」とか「蛤御門の変」と呼ばれる大きな武力衝突が、この場所でありました。

 この門の扉や、門の梁には、小さな穴が開いているのですが、それはまさしく、当時の銃弾がめり込んだ後なのですね。

 

 公家の三条実美らと結びつき、過激な尊王攘夷論(天皇を尊び、諸外国を討ち払おうという考え方)を展開していた長州藩に対し、会津藩と薩摩藩らの主導とした諸大名は、長州藩を警備担当の任を解き、京都からの退去を勧告しました。

 

 ちなみに、長州藩は、関ケ原の戦いで優柔不断な対応をして、徳川家康に減封された毛利輝元の子孫の藩です。

(2012/11/8パリブログ 「周りの人に流されない」 参照)

 

 これに不服とした長州藩の急進派である来島又兵衛らは挙兵し、無理やり御所の中に入って、長州藩の無実を訴えようしました。

 そして、この蛤御門で、会津藩や桑名藩兵などと戦闘を起こし、敗北し、多くの長州藩士が討ち死にします。

 

 長州藩急進派の考え方は、あまりに過激で、誰もついていけませんでした。

 それに、同じ長州藩の中でも、桂小五郎や高杉晋作らは、もっと慎重に事を構えていました。

 

 今、この状況で、長州藩だけのメンツにこだわっている場合ではない事を、桂小五郎も高杉晋作もちゃんと分かっていたんですね。

 

 

 京都ホテルオークラの正面北側(元々、長州藩の京都屋敷跡)に立つ桂小五郎像…

 

 僕は、明治維新の志士の中では、この桂小五郎が一番好きですね。

 

 なるべく相手との戦闘を避けようとした事から「逃げの小五郎」などとも呼ばれていたのですが、本当は、神道無念流・免許皆伝の凄腕を持つ剣の達人です。

 

 維新の三傑の一人として讃えられる割には、坂本龍馬とか、西郷隆盛、高杉晋作なんかと比べると、地味で臆病な人のようなイメージを持たれてしまうのですが、間違いなく、明治維新を率先して主導した人でした。

 

 

 この石碑が建つ場所は、今は居酒屋になっていたのですが、「池田屋事件」と言って、局長・近藤勇が自ら率いる新選組が、長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派志士の会合を急襲し、20名あまりの命が奪われた場所です。

 

 桂小五郎は、たまたま到着が早すぎて、一旦、池田屋の外に出て、友人と話し込んでいた事で、難を逃れたと言います。

 

 

 ここは、近江屋の跡地…

 

 「近江屋事件」で有名な坂本龍馬と中岡慎太郎が命を落とした場所です。

 

 坂本龍馬という男は、幕末動乱期の日本に、どうしても必要とされていた時代の寵児でした。

 そして、一通りの役目を全部終えると、早々と散っていった…

 

 身分はたかだか土佐の一藩士で、しかも人に誘われて、脱藩してしまいます。

 当時、脱藩というのは、藩内で罪人扱いされていて、ここまでの龍馬はどう見てもアウトローです。

 

 ところが勝海舟との出会いを契機にして、龍馬は一気に時代の表舞台に出る事になります。

 

 龍馬と中岡慎太郎が、西郷隆盛と桂小五郎を引き合わせ、薩長同盟が結ばれる事により、時代は急展開で本来の方向に動き始めます。

 

 そして、龍馬が草案した船中八策により、15代将軍・徳川慶喜が政権を朝廷に返上するという大政奉還を成功させてしまいます。

 

 

 その大政奉還が行われた場所が、この二条城…

 

 もしも大政奉還が無かったら、おそらく日本は、内戦で疲弊して、欧米列強諸国の植民地にされてしまったであろう事は、容易に想像できます。

 

 二条城の中は撮影禁止なので、写真に出来なかったのですが、二の丸御殿の中の徳川慶喜が大政奉還を発表した歴史的な部屋である一の間、二の間も当時の面影のまま、見る事ができました。

 

 また、歴史は少しさかのぼって、徳川家康と豊臣秀頼が会見した部屋もありました。

 

 この二条城は、江戸幕府の京都の出張所みたいなものであり、言うまでもなく、これを建てたのは徳川家康です。

 

 そして、ここは常に、日本の歴史を大きく動かした場所でもありました。

 

 京都に来て、本当に良かった…

 

 自分の事よりも、もっと大きな事の為に生きた先人の軌跡を、肌で感じる事ができました。

 

 せっかく生まれてきたのだから、自分のちっぽけな事だけに、汲々としながら悩むのはもうやめよう… 改めて、そう思いました。

 

 さあ、いよいよ次は、この旅の目的でもある天河神社へ向かう為に、この京都の地を出て、奈良の天川村まで南下します!!

 

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雅の都・京都の地へ ~近畿への旅<2>「京都探索・その1」~18.11.01

2018年11月1日(木)

 

 旅行中に溜まってしまったメールの返信に追われつつ、旅ブログを更新しなければ… と頑張っていたら、またしても、パソコンの画面の前で居眠りしたまま、時間が過ぎてしまいました。

 本当に申し訳ありません。

 

 今、かなり質問メールが溜まってしまっています。

 

 なるべく早く返信しますので、どうか、もうしばらくお待ちください。

 

 須賀大社を出て、時間に追い立てられるように、近江鉄道に乗り、そこから彦根駅まで出て、一途、京都へ…

 

 彦根は彦根で、「ひこにゃん」で有名になった井伊直政の息子達の彦根城や、石田三成の佐和山城跡などがあって、特に徳川家康が好きなこの僕にとっては、本当に魅力的な場所だったのですが、もちろん、今回は時間が無いので、後ろ髪惹かれるような思いで、彦根を後にしました。

 

 彦根から京都は、JR琵琶湖線で10駅… 1時間足らずで行けてしまいます。

 

 そして一刻一刻と、二つ目の目的地でもあり、今回の旅のそもそものメインテーマである京都が近づいてきました。

 

 

 

 僕にとって、実は、京都というのは特別な場所なんです。

 

 幼い頃には、よくこの場所に行っていたのですね。

 だから、かすかですけど、5歳か6歳ぐらいの時の京都の記憶があります。

 

 もちろん、小学校の修学旅行も京都だったので、その時の記憶もあるのですが、その後はすっかりこの京都の地には寄り付かなくなってしまいました。

 

 特にミュージシャンを目指して東京に上京してからは、意識的に、この場所を避けるようにも、なりました。

 

 そして、この先の一生、もう、この京都という場所で電車を降りる事はないだろうと思っていたのですが…

 

 本当にわからないものです。

 

 1月2日の初夢を見て思ったのは、「この京都の地に行って、僕の心の中にあるトラウマを解決しておかなければ、このまま人生が先に進めないのではないか…」という予感でした。

 

 京都というのは、魔界の地とも呼ばれています。

 

 この場所に、「僕にとっての何か」があるのは確実で、この状況の中で、四柱推命講座の受講生でのあるIさんが案内役として、そばにいてくれる事はとても心強いです。

 

 そして、あっという間に京都駅に到着…

 

 

 この駅に降りたのは、35年ぶりぐらいです。

 

 ちなみに、戦国時代に生きた大名達にとっては、この京都に足を踏み入れるというのは、ものすごく特別な事だったのです。

 

 京都に入る事を、よく「上洛する」と言います。

 この「洛」というのは、中国の都の洛陽の事で、平安時代の頃から、貴族たちが日本の都である京都にこの名を当てはめ、「洛陽」と呼んでいました。

 

 応仁の乱が起こって、世が戦国時代になると、京にある室町幕府は形骸化され、室町将軍は実権を失い、大名達が京に上洛する事は、「天下を取る」に等しい意味をも持つ事になりました。

 

 駿河の今川義元しかり、甲斐の武田信玄しかり、京都に上洛する為に兵を進めましたが、今川義元は信長の奇襲によって、武田信玄は病によって、志半ばにしてこの世を去りました。

 

 そして結果的に、一度目は、足利義昭を室町幕府の将軍として奉じる為に、二度目は義昭を京都の地から追放する為に、二度の上洛を果たした織田信長が、天下の覇権を握る事になりました。

 

 それに比べると、現代の上洛は、何と味気ないものなのでしょう(笑)

 

 

 駅を降りて、改札を出ると、目の前に京都タワーが…

 

 僕は幼い頃から、京都タワーが大好きだったのです。

 だから、僕が小学校3年生か4年生の時に図工の時に作った焼き物は、この京都タワーでした。

 

 最近、改修工事や外壁の塗り直しが行われて、綺麗になりましたが、昔からこのデザインと色合いは変わっていません。

 

 Iさんと京都駅で待ち合わせをしていたのですが、あまりの懐かしさに、つい待ち合わせ場所を間違えてしまったようです。

 

 ちゃんと落ち合う事は出来たのですが、1時間ほど予定が遅れての出発になりました。

 本当に、申し訳ない事をしてしまいました。

 

 Iさんは、大学に進学する時に京都に訪れ、すっかりとこの街の魅力に魅入られて、その後、この京都で40年過ごしている、まさに京都のベテランです。

 

 これほどに、心強い味方はいません。

 

 Iさんの京都の旅の最初のプランは、僕の四柱推命の十二支を全部クリアするというもの…

 

 僕は、講座の時に自分の命式を題材にしてますので、受講生の方はみんな僕の命式を知っています。

 

 「亥」「辰」「申」「寅」の4つの十二支が揃うと、僕の命式はコンプリートされるのですが、Iさんからそのプランを聞いた時には、一体どうやって、十二支をクリアするのかが、さっぱりわかりませんでした。

 

 という事で、最初にIさんが連れて行ってくれた場所は、「八坂庚申堂」という場所でした。

 

 

 色鮮やかで華やかなお堂が、たくさんの観光客で賑わっていました。

 

 「これに近いものを最近どこかで見た気がする…」と感じながらも、思い出せずにいたのですが、今、思い出しました。

 

 LUSHのバスボムです(笑)

 

 

 八坂庚申堂のお堂に、参拝させて頂きました。

 

 このお堂が、おそらくは「庚申信仰」(2018/2/5ブログ 「感じているものの実体は、比較でしかない」 参照)から来ているであろう事は、僕もすぐにわかったのですが、まさか、こんなにファンシーな場所だったとは…

 

 

 お堂を見ていて、ようやく気付きました。

 

 こんな所に「見ざる聞かざる言わざる」の三猿がいるではありませんか…

 

 

 確かに、三猿は庚申信仰とは密接なつながりがあって、言い伝えによると「庚申の日になると、天帝に人の悪事を報告する三匹の虫(三尸虫)を封じる為に、信仰者は一切の悪事を見ざる、聞かざる、言わざるに徹した」という事です。

 

 なるほど、僕の四柱推命の干支は、「庚申」ではなく「壬申」ですが、この地に訪れる事によって、確かに「申」をゲットしました。

 

 Iさんの先導で、この後、残りの十二支の「寅」「亥」「辰」を取っていきました。

 

 

 建仁寺塔頭の「両足院」の毘沙門天堂を守る2匹の虎の石像で「寅」…

 

 

 

 建仁寺塔頭の「禅居庵」の摩利支尊天堂を守るイノシシ、そして、「護王神社」の主祭神・和気清麻呂公を守った300頭のイノシシにちなんで、神社の中のいたる所に存在するイノシシの像で「亥」…

 

 

 

 さらに、建仁寺の法堂の天井の見事な龍の絵で「辰」…

 

 このあたりの写真は、インスタグラムの方に、いっぱい載せていますので、もしよかったら、ご覧になってみてください。

 

 この後、六波羅蜜寺というお寺に入りました。

 寺務所には、なんと「開運推命みくじ」なるものもあって、四柱推命を元に、生年月日と性別の表で番号を出し、1番から100番までのおみくじで今年の運勢を示してくれます。

 

 「100パターンで占うという事は、十干百態論でも使って見ているのか…」と、色々思いを巡らせながら、値段も400円とお手頃だったので、早速1枚引いてみました。

 

 これは、大運の十干から見た通変と、年運の十干から見た通変の10×10で占っているようです。

 でも、「劫財や傷官や偏官や偏印だから凶」みたいな決めつけはなく、良心的なおみくじでした。

 

 「おみくじ式四柱推命」ならぬ「四柱推命おみくじ」…

 さすがに五行バランスまでは見れませんが、高い鑑定料を出して、おみくじ式四柱推命の鑑定を受けるよりも、こちらの方が断然おすすめです。

 

 Iさんの先導で、東山区を中心に、神社やお寺、昔ながらの趣きや、わびさびを味わえるような場所、さらに、ちょっぴり魔境を思わせるような不思議な場所も、行きました。

 

 改めて、京都というのは、雅(みやび)の地でもあり、反面、かなり強い魔界的な一面も持っているのだなあ… と思いました。

 

 その中でも印象に残っているのは、この安井金比羅宮です。

 

 

 ここは、何でも「縁切り寺」という事で有名で、ものすごい効果があるという事も、人づてに聞いていました。

 

 僕自身は別段、行きたいとは思いませんでしたが、Iさんの案内に導かれて、ふと気づいたら、目の前がそこだった… という訳です(笑)

 

 何気なく、そこに掛かっていた絵馬に書いてある願掛けに、目が行ってしまいました。

 

 「○○と縁が切れて、○○が地獄に落ちて苦しみますように…」とか、「○○が一日も早く死にますように」みたいな願掛けがいっぱい書いてありました。

 もちろん全部が全部、そういうのばかりではないのですが…

 

 おそらく、これを書いた人は、その相手から相当ひどい目に遭わされたのでしょう。

 だから、こんな風に相手の苦しみを願ってしまうのもわかるし、これが、人の性なのかも知れません。

 

 でも、この願いが叶うのと引き換えに、自分も同等の苦しみに遭う事も、覚悟しておかなければならないでしょう。

 

 「人を恨まば、穴二つ」とは昔から言ったものですが、本当に大切なのは、恨みと憎しみの負のスパイラルから抜け出す事です。

 

 別に、「憎んでいる相手を許そう」などと思う必要はありません。

 

 そんな相手の事なんて、どうでもいいのですが、自分自身の心だけは、その憎しみの地獄から救ってあげる事が何よりも大切です。

 

 

 この「縁切り縁結び碑」の穴をくぐると、縁を切りたい相手と縁が切れるそうで、実際にものすごい効果があって、全国からここに人が訪れるそうです。

 

 Iさんに「試しにくぐってみますか?」と勧められましたが、僕はやめておきました(笑)

 

 また、そういう相手が現れた時は、ここに来るかも知れませんが、少なくとも今は、縁を切りたいと思う人はいませんから…

 それに、可能な限りは、今ある縁を大切にしたいと思います。

 

 翌日の朝、Iさんが案内してくださった神社は、「晴明神社」…

 

 

 鳥居に五芒星が入っていて、まるで西洋の魔術結社のようです。

 

 安倍晴明の映画「陰陽師」が流行ってから、この神社はいつも観光客でごった返しているらしいのですが、僕が訪れた時は、朝早かった事もあって、ほとんど誰もいませんでした。

 

 

 晴明神社は、今は新しく綺麗に修復されていますが、安倍晴明ブームの前には、古くてボロボロの神社だったそうです。

 でも、Iさんが言うには、その時の晴明神社の方が、趣きがあって良かったそうです。

 

 

 これは、晴明神社の「厄除桃」…

 

 この桃をなでると、すがすがしい気持ちになるという事…

 僕もいっぱい、なでておきました(笑)

 

 

 こちらは「晴明井」…

 

 病気平癒のご利益があるとされ、水もただで飲めるので、僕はまだ体の悪い所はないのですが、病気にならないように願いを込めて、少し水を飲んでみました。

 

 やっぱり、京都という街はすごいなあ…

 改めてそんな風に思いました。

 

 Iさんは「たった一日しかないので、ご紹介できるのは京都のほんの一握りに過ぎませんが、他にもいっぱいご案内したい所がございます」とおっしゃいます。

 

 また、この街に行きたいと思います。

 

 そして、僕の京都でやってみたかった事のもう一つは「歴史探索」…

 また、このお話は、次回のブログに譲りたいと思います。

    悔しい… またもや、パソコンの前で居眠りをしてしまった…

 

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全てはここから始まった ~近畿への旅<1>「滋賀・多賀大社へ」~18.10.31

2018年10月31日(水)

 

 いつしかすっかり秋も深まって、朝晩は上着を着ないまま外に出ると、少し寒いくらいになりました。

 僕は、先週の23日から、京都や奈良などの神社仏閣、そして三重県の伊勢神宮を巡る旅をしてきました。

 

 「今年の内に京都に行こう」というのは、1月2日の初夢を見た時以来、何となく心に決めていたのですが、そのタイミングが、ようやく今になったという訳です。

(2018/1/2ブログ 「夢からのメッセージ」 参照)

 

 身の回りの事がゴチャゴチャしていたので、自分の頭の中をスッキリとさせたいという思いもありましたし…

 

 この旅では、途中、いくつかのトラブルに見舞われながらも、何とか無事に東京に帰ってくる事ができました。

 

 特に、電車の中で携帯電話を失くしてしまったのは、痛かったです。

 あれがないと、インスタグラムも出来ませんから、インスタの投稿が中途半端な所で止まってしまって、たくさんの方に心配をお掛けしたみたいです。

 

 本当に申し訳ありません。

 その騒動のあらましも、また改めてブログに書きたいと思います。

 

 この旅行をたった1日のブログで書くには、あまりにも無理があるので、今日から8日連続で、この旅道中の日記を、その時の自分の心の気づきも合わせて、綴ってみたいと思います。

 

 この旅に出ようと思ったきっかけは、京都の初夢を見た事もそうですが、そもそも発端は「天河神社という神社に訪れてみたい」と思ったからなんです。

 

 それで、「京都に行きたい」という話を、何気なく四柱推命講座をやっている時にした所、講座に参加してくださっていた京都在住のIさんが道案内を名乗り出てくださって、あっという間に京都行きの話がまとまってしまいました。

 

 これと似た経験は、6年前にパリに行った時にもしました。

 あの時も、「パリに行きたい」と、ふと口にしたら、自分の手の届かない所で話があっという間に進んで、その3ヶ月後に、僕はパリの地にいました。

 

 僕がもしパリに行かなかったら、今の人生は絶対になかったし、そういった意味でもパリに行ったのは、すでに運命で決まっていたような気もするのですが、今回の京都行きも、これと同じような感覚がありました。

 

 ところが、僕は、とんでもない勘違いをしていたのです。

 なんと、事もあろうに、すっかり天河神社は京都にあるものだと、思い込んでいたんですね。

 

 Iさんから「天河神社は奈良ですよ」と聞いた時、思い描いていた旅の構想が一気に崩れてしまいました。

 

 でも、せっかくなので、旅行の期間を当初の予定より長くして、京都も奈良も両方とも行く事に決めました。

 

 こうなってくると、本当はちゃんと方位とかも見ていくべきなのですが、このタイミングを逃すと、うんと先になってしまうし、「まあ、一つの方位に長居しなければいいや…」 という気楽な発想で、早速旅の準備を整えました。

 

 その後、やはり四柱推命講座の受講生であるNさんの補講をやらせて頂いた時に、伊勢神宮と月読命(ツクヨミノミコト)についてのお話や、奈良の三輪大社のお話を聞いて、伊勢神宮や三輪大社も、一緒に行ってみたくなりました。

 

 それで、Googleの地図を調べていると、天河神社、三輪大社、そして伊勢神宮は、近鉄線で見事につながっているのですね。

 

 それならば、全部一気にまとめて観光してしまえばいいや… という事で、今回の壮大な旅の計画になったという訳です。

 

 そして、旅の前々日ぐらいに、ふとラララ・ラム子さんのある記事が目に入ったのです。

 

 その記事に書かれていたのは、滋賀に多賀大社という神社があって、そこには伊勢神宮の主祭神である天照大御神(アマテラスオオミカミ)の親神に当たる伊邪那岐(イザナギ)と伊邪那美(イザナミ)が祭られていて、「お伊勢参らばお多賀へ参れ。お伊勢お多賀の子でござる」というような歌まであると言ったお話が書かれていました。

 

 多賀大社のある場所を、Googleの地図で確かめてみると、東京から京都の道筋の途中で下車すれば、立ち寄る事ができるという事がわかりました。

 

 「よし、今回は伊勢神宮に行くのだから、多賀大社にも参拝しよう」と思い立ったという訳です。

 

 改めて、旅の計画を地図に書き入れてみました。

 

 

 ①まず最初に、滋賀県の多賀大社に寄って、参拝する。

 

 ②そこからJR線で京都に入って一泊する。

 

 ③さらに奈良県に南下して、天河神社に参拝する。

 

 ④ここから近鉄線で少し北上して、三輪大社(大神神社)に参拝する。

 

 ⑤最後は伊勢神宮に行って、外宮と内宮、さらには月読命の月夜見宮、月読宮に参拝。(プロジェクト終了)

 

 「壮大な旅行」とか言ってみても、東京から京都というのは意外と近くて、新幹線で2時間半で着いてしまいます。

 いつも東京と関西を移動しているような人からしたら、「京都に行く程度で、何が壮大な旅行計画だよ…」って、きっと、あきれられるに違いありません。

 

 今回は、新幹線の東京―京都間の途中駅である米原で降りて、そこからJRの在来線に乗り換え、彦根で途中下車をする事によって、予算も節約しながら、たやすく多賀大社に立ち寄る事ができました。

 

 彦根から、近江鉄道で多賀大社駅へ行くと、駅のコミュニティハウスには、「お伊勢参らばお多賀へ参れ。お伊勢お多賀の子でござる」の歌が…

 

 

 ああ、最初の目的地に来たのだな… と、思わず感動しました。

 

 朝の5時に電車に乗って、今の時刻が8時53分…

 かなりの距離を、一気に移動しました。

 

 

 多賀大社の場所は、京都よりも、はるかに東京に近いのですが、在来線を使った分、時間が掛かりました。

 

 それでも、やっぱりこの多賀大社は寄っておきたいと思ったのは、主祭神である伊邪那岐(イザナギ)と伊邪那美(イザナミ)こそが、日本神話に出てくる多くの神々を生み出した夫婦神だからです。

 

 もちろん、伊邪那岐・伊邪那美の時間軸の前にも、男女一対の神はいるのですが、夫婦神は伊邪那岐・伊邪那美が初めてで、そこからたくさんの神が産まれています。

 

 多賀大社は、駅からそんなに遠くはないのですが、途中、道路工事をやっていて、迂回したら、やっぱり道に迷ってしまいました。

 

 僕は、「超」がつくほどの方向オンチなので…

 

 それでも、やっと到着です。

 

 

 僕は、神社に個人的なお願い事をする為に参拝する事もないし、かといって、たくさん存在する宗教団体の教祖様のように、神社参拝をして世の中を変えようなどと大それた事を思っている訳でもありませんが、あえて理由を言えば、この我々の遠い祖先にご挨拶したかったといった所でしょうか。

 

 だから、この多賀大社の事を知った時、直感でここにも行こうと追いました。

 

 

 本殿にたどり着いて、しばし参拝…

 

 きっと神様は、我々子孫の心がきれいになって、みんなが幸せになる事を願っていると思ったので、僕もそれと同じ事をお祈りしてきました。

 

 神話の世界のお話は、現代に生きている我々にとっては、荒唐無稽な話ですけど、はるか遠い昔にモデルがいたのかも知れないし、ただのフィクションかも知れない…

 

 それでも、我々の遠い祖先は何千年前から存在しているのは、紛れもない事実であって、その頃からこの地球は人間や生き物を包み込むように育んでいたに違いありません。

 

 全てはここから始まった…

 

 多賀大社の周りの美しく茂った緑が、あまりにも眩しくて、しばし立ち尽くしてしまいました。

 

 

 

 伊邪那岐・伊邪那美の神代の時代…

 その頃も、この輝くような緑は存在していたに違いありません。

 

 そんな思いに浸ると、遥かな過去の時の流れの中にタイムトリップしたような気持ちになりました。

 

 時間軸は違えども、それは確かに今でも存在する…

 

 ふと、我に返り時計を見ると、道に迷ったせいか、かなりの時間が過ぎてしまったようです。

 

 急いで近江鉄道に乗って、彦根に戻り、そこから途中下車した切符でJR線に乗って京都へ…

 

 駆け足で駅に向かい、この地を後にしました。

 

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役者になりきれれば、人生がどんな状況でも楽しめる18.10.21

2018年10月21日(日)

 

 気がつけば、吹き抜ける風もいつしか冷たくなって、すっかり秋らしくなりました。

 あんなに暑かった今年の夏の事が、まるで夢のようです。

 

 人生というのは、日々いろんな事が起こりますが、皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

 

 僕は今になって、20代の頃に、俳優の勉強を一生懸命やっていた事を、本当に良かったと感じています。

 

 あの頃は元々、シンガーソングライターみたいなものを目指していたのですが、僕はいつもあがり症で、オーディションやライブの本番になると、あがって声が出なくなってしまうので、それを治したくて、俳優の勉強を始めたんです。

 

 それに、音楽でブレイクする前に、俳優でブレイクできたのなら、それでもいいかな… という、やましい下心もありました(笑)

 

 とはいえ「30歳になる前に成功しなかったら辞める…」と、自分に誓いを立てていた事もあって、結局、音楽も俳優も、どちらも日の目を見るもなく、そこで終わってしまったんですけど…

 

 30歳になったばかりの頃は、すごく悔しくて、俳優養成所に通っていた頃の記憶を思い出す度に、「何て不毛で馬鹿馬鹿しい事に、時間とエネルギーを使っていたんだ…」という、やりきれない気持ちがこみ上げていました。

 

 ところが、俳優になる夢なんて、とっくに忘れてしまった今になって、この時の体験… 特に「メソッド演技」を学べたのが、すごくありがたい事だと感じるようになったんです。

 

 メソッド演技とは、もう何度もブログのネタにしていますが、役の内面を深く掘り下げて、その感情を追体験し、理想としては、自分が役と同一化する事によって、最高にリアリティーのある演技を目指す技法です。

(2012/5/28パリブログ 「イメージした自分が現実になる」 参照)

 

 もちろん、これは舞台や映像などで、クオリティーの高い演技をする為にある技法であって、そういう事に関わりのない人には、普通に考えてみれば、何の役にも立ちません。

 

 せいぜい役立つと言えば、詐欺師が人をだます時に、これを使って悪用する事ぐらいだろう… と、僕も思っていたのですが、案外そうでもないんですね。

 

 メソッド演技は、役の感情を追体験する技法ですから、究極には、自分の感情を、演じる役や、自分の理想とするイメージに合わせて、カスタマイズするという離れ業ができるようになります。

 

 もちろん、それができるようになる為には、雲をつかむような、つかみ所のないエクササイズを、毎日続ける地道さが必要になってくるのですが、(多くの人は、本当に効果が出るのか疑問に思ったり、馬鹿馬鹿しくなったりして、途中でやめてしまいますが…)僕は20代の頃、毎日休む事なく、一定時間必ずそれをやっていたんです。

 

 どんなエクササイズだろうかと、興味を持たれる方もいらっしゃるかも知れませんが、そうですね… もしも、「これは、メソッド演技の練習です」と説明しないまま、人前でこのエクササイズをやってしまったら、まず間違いなく、緑の救急車で病院に連れていかれます(笑)

 

 僕が今になって、この練習が役に立っていると思うのは、人生である程度厳しい状態に立たされても、比較的ポジティブにいられるという事です。

 

 こう書いてしまうと、「苦しい事があっても、自分に暗示をかけて、苦しいと感じないようにしている…」というイメージに捉えられそうですが、そうではありません。

 苦しい事があれば、苦しいと感じるし、悲しい事があれば、悲しいと感じるし、その部分は変わらないですし、逆に、それでいいと思います。

 

 演劇というのは、当たり前の話ですが、台本というものがあって、俳優はその台本をしっかり覚えた上で、そのシナリオに沿って、セリフを言ったりアクションをしたりします。

 

 どんなに「メソッド演技」が、その役になりきる演技法だと言っても、もう一人の俳優としての自分が、そこに存在して、冷静に自分の演技をコントロールしています。

 

 もしも、完全に100%自分と役とが同一化してしまって、それをコントロールする俳優の自分がいなくなってしまったら、もう舞台が成り立ちません。

 (「ライオンキング」の舞台の上に、なぜか本物のライオンがいるようなものです…)

 

 おそらくこれが、「役者が大好きでやめられない」という人の理由ではないかと思うのですが、役をコントロールしている操り手の俳優の方の自分の意識は、どんなに悲惨な境遇の役を演じていようが、どんなに怒り狂った役を演じていようが、常に上機嫌で楽しいんです。

 

 メソッド演技ですから、悲しい役をやれば悲しみがこみ上げてくるし、怒り狂った役をやれば怒りがこみあげてくるのですが、それは役柄の方の自分の感情であって、その役と同時に存在する操り手の自分は、いつも上機嫌で楽しい…

 

 もちろん、「台本をちゃんと覚えていない」とか、「練習不足で段取りがつかめていない」とか、そういう理由により、全く楽しい気持ちになれないまま、ハラハラドキドキしながら舞台に上がっている俳優さんもいるかも知れませんが、そういうのは論外です(笑)

 

 演劇の中には、通常のきちんとシナリオがある演劇だけではなく、インプロヴィゼーション(即興演劇)とかエチュードとか呼ばれる、即興のアドリブで演技をしなければならないものもあります。

 

 これは、それぞれ役柄や、場所の設定(「船着場」とか「宇宙船の中」とか、もう何でもアリです)は、決まっているのですが、セリフは何も決まっていなくて、自分が好きなように、アドリブでそこに登場している他の役を演じている人と絡みながら、舞台を進めていくという特殊な演劇です。

 

 セリフを覚えなくていい分、余計な所に意識が持っていかれないので楽ですが、逆に、役作りをきちんとしておかないと、何をどうやって演じたらいいのか分からなくなってしまいますし、俳優自身の中にある臆病さを、一時的にでも払拭できないと、舞台で何もできなくなってしまいます。

 

 とはいえ、セリフや台本がきちんと決められている演劇も、こういった即興演劇も、基本の部分は変わりありません。

 

 いわゆる名優と呼ばれる俳優は、台本やシナリオが決まっていても、決まっていなくても、どんな役を与えられたとしても、存在感が本当にすごくて、ものすごく魅力的に映ります。

 

 例え、それが全くセリフのない執事とか、家政婦の役であったとしても、なぜか際立ってしまうんですね。

 

 チャールズ・チャップリンは、映画の幕開けの時代のスーパーヒーローですが、その中で演じている役と言えば、帽子とステッキを携えた、チョビ髭を生やした浮浪者役でした。

 

 貧乏で汚くて、人生の悲哀に満ちている、おそらく誰もやりたいとは思わないような役なんですけど、チャップリンが演じると、それが見事に、道化師よりも滑稽で、愛らしくて魅力的な存在に変わってしまうから、本当に不思議です。

 

 ついつい夢中になって、長々と演劇の話ばかりしてしまいましたが、何が言いたいかと言いますと、我々の人生は、もしかすると、この演劇と大して変わらないのではないかと、最近思えてきてしまったんですね。

 

 人生の舞台は、どちらかというと即興演劇に似ていて、セリフは一切決まっていないのですが、さらに都合がいい事に、自分の役柄の設定も自由に選べるし、場所の設定も、自分が舞台にしたい所に足を運ぶだけで、全てが思うがままです。

 

 さらに、自分の人生の舞台に登場させたい人物だって、基本的に、自分の意思で選べます。

 もちろん、登場させた人物のセリフやアクションに対して、口出しをする権限まではありませんが…

 

 舞台演劇には、舞台監督や演出家という存在がいて(もちろん、映像演劇の世界も同じです…)俳優は基本的に、その指示に従わなくてはいけません。

 

 でも、人生という舞台には、そういう存在もありません。

 しいていえば、それが「神様」という存在なのかも知れませんが、もしも神様に「どういう役を演じたらいいですか…」ってお伺いを出したとしたら、多分こう言うと思います。

 

 「ヘイ、YOU、好きにやっちゃいなよ…」って(笑)

 

 それで、人生を舞台だと仮定して、自分の役になり切って演じる事ができるようになると、どんな役をやっていても、どんなシチュエーションのシーンをやっていても、もちろん、悲しくて惨めなシチュエーションをやっている時は、涙を流して泣いていたりするんですけど、どこかで、それを見守っている、やけに冷静で達観した、もう一人の自分の存在に気づく事があります。

 

 僕が20代の頃、俳優養成所で、演技指導のインストラクターの先生から、よく注意された事があるんです。

 

 僕は良く、シナリオを演じている最中に、その演劇とは関係ない自分の事が頭によぎって、急に我に返って、冷めちゃったりした事があるんです。

 

 そんな時、よく怒声が飛びました。

 

 「演じている俳優が冷めて、どうするんだよ。バカヤロー」みたいな(笑)

 

 まあ、そりゃそうなんですよね。ドラマなんかでも、演じている俳優が、急に我に返って、動きをフリーズさせてしまったら、その瞬間にNGになってしまいます。

 これが舞台だったら、一瞬にして、その作品が台無しになってしまいます。

 

 基本的に、人生というものには、シナリオもなければ、設定も自分の自由にできるのですが、もしも、役を演じる自分が冷めてしまったら、やっぱり台無しになってしまうと思うんですね。

 

 時々、自分の内に籠って、悶々と物思いにふけるのは良いのですが、その時間があまりにも長くなってしまうと、舞台としては、すっかり興が冷めてしまいます。

 

 人生と演劇とで、明らかに違う点を挙げるとすれば、演劇はシナリオがあろうがなかろうが、だいたいの筋書きや流れは決定しているのに対して、人生は時折、とてつもない大きな岐路があって、右に倒れるか、左に倒れるかによって、とんでもなく大きくシナリオが変わってしまうという所かも知れません。

 

 ただそれでも、例えどちらに転ぼうが、次のシーンが必ず続くという所は同じです。

 

 そのシーンが楽しくて幸せなシーンなら、その主人公を演じながら、人生を楽しんだらいいし、もしも、それが悲しくて惨めなシーンなら、チャールズ・チャップリンさながら魅力的にその役を演じながら、人生を楽しんだらいい…

 

 役者になりきれれば、人生がどんな状況でも楽しめる…

 

 長い舞台でも、たかだか100年あまり…

 役を演じる集中力だけは、途切れさせないようにしながらも、どこか冷静に達観して、上機嫌な気持ちでそれを楽しんでいる、もう一人の自分の存在も感じつつ、最高の舞台を作り上げようではありませんか。

 

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