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夢の話の続きと死後の世界について18.01.03

2018年1月3日(水)

 

お正月の三が日も、今日で終わり…

本当、早いものですね。

 

昨日の朝見た僕の初夢は、京都に行く夢だったのですけど、なんでいきなり「京都」何だろうって、しばらく考えてみたんです。

 

もしかしたら、これは「京都に行け」という、夢を通した天からの啓示なのかも知れないませんし(笑)

 

ですが、普通に考えて、日常の生活の中で、京都にちなむ何かに出会っていて、無意識の内に「京都」というキーワードが頭にインプットされていた可能性の方が高そうです。

 

しばらくの間、考えても何も思い出せなかったのですけど、ふと、仕事に疲れた時に、一週間に一度、気晴らしに見る「名探偵コナン」のエンディングで流れる倉木麻衣さんの「渡月橋」のアニメーションが影響しているな… と、気付きました。

 

今現在、僕が唯一見るテレビ番組(と言っても、日本テレビのホームページからインターネットの再放送で見ているのですが…)は、一週間に一度それのみですから、自然に記憶の中に色濃く蓄積されていったのかも知れません。

 

そう気がつくと、本当「しょうもな~(服部平次風に…)」という感じですが、ちょっとスッキリしました…

もちろん、だからと言って、この夢が天の啓示である可能性が亡くなった訳ではありませんが、もしも、本当に天の啓示だったなら、同じようなメッセージが、きっと後何回かは来てくれるはずですから、これ以上、京都に囚われないようにしようと思います。

 


昨日のブログでは、「夢の中の自分の性質は、現実の自分と変わらない…」 とは述べたのですが、夢の中では、現実世界だったら絶対に取らない行動を、平気で取ったりする事があります。
例えば、人をナイフで刺しちゃったりとか…

 

それで、そのまま夢の中のお尋ね者になっちゃったり、お巡りさんに追い掛け回されたりする羽目になる事もあります。

 

目覚めた時には、「自分は、人をナイフで刺すような野蛮な所を持っているのかも知れない」なんて、不安になるかも知れませんが、これは夢の中の出来事で、実際には、誰もナイフで刺されていませんから、問題ありません(^^)

 

夢の世界は、常に衝動が中心になって動いていますから、「人をナイフで刺したら、そのまま警察に捕まって、刑務所行きだからやめよう」というような理性も働きにくいので、まあ、そういう事にもなったりします。

 

あと、夢の中では、いつの間にか、自分がナイフで人を刺したシーンになってしまう事もありますが、そこにも、何かしらの意味があるのでしょう。

 

昨日のブログでも紹介しました、西谷泰人先生の「夢判断」によると、刃物で相手を刺したりとか、逆に自分が刺されたりとかは、大きな幸運が起こったり、出世や金運の他、願いが叶う大吉の夢です。

 

ちなみに、心理学者のカール・ユングは、夢を分析して、心理療法として活用していた事で有名ですが、ユングは、「その夢の中に表れているテーマに気づき、そのテーマが少しずつ進行していく様子を見守る事が大切だ」と説きました。

 

夢の中でナイフで人を刺したからと言って、決して、「自分が人をナイフで刺したい」という衝動であるとも限らず、自分の中にある何らかの不安の表れかも知れませんし、場合によっては、人から良く思われたいと思う衝動かも知れません。

 

毎晩見る夢の変化でわかる、自分の中の心のテーマが、少しずつ良い方向に進行していれば理想的だと、ユングの夢診断では考えるのですね。

 

ただ、やっぱり、夢の中の自分の性質には、間違いなく、現実の自分の思考回路が投影されています。

 

例えば、「浮気をする事は、良くない事だ」というこの世的な価値観を持っている人は、やっぱり、夢の中でも奥様以外の女性と恋愛はしないし(もちろん、夢の中で、自分は独身であるという設定になっていれば話は別ですが…)もしも、万が一にも夢の中で浮気をしてしまったなら、罪の意識でドキマギしながら、コソコソと夢の世界を逃げ回るでしょう。


でも、「浮気は男の甲斐性だ。何が悪い」という価値観を持っている人なら、ここぞとばかりに、夢の中のハーレムを楽しむはずです。
まあ、その内に、夢でないがしろにした奥様から、夢の中で刺されるかも知れませんが(笑)

 

夜眠っている時にどんなひどい夢を見たとしても、朝、目覚めたなら、ちゃんとこの現実の世界に戻ってこられますから、安心な訳ですが、いつしか我々の体は、寿命が来て、消えてなくなる日が来ます。

 

死後の世界というものが、どうなっているかについては、全く確かめようがないし、本当様々な考え方がありますが、僕は少なくとも、「心というものは幻で、脳が停止した瞬間に、人の意識が全てが消滅する」という考え方だけは、賛成できないです。

 

人の意識は、そもそもエネルギー体だと思うし、あんまりおどろおどろしい事は書きたくないのですが、霊魂の存在や影響というのは、はるか昔から、暗黙の内に認められています。

 

とはいえ、そういったものを過度に怖がる必要もないし、かといって逆に、そういった事ばかりに興味を持ち過ぎるのも、辞めた方がいいと思うのですが、やっぱりそういう存在は、間違いなくあるような気がします。

 

例えば、臓器移植をされたら、性格が変わったとか、生前その臓器を持っていた人の記憶が宿ったという話も、決して作り話ではないと思うし、あっても別に不思議ではないと思うんですね。

(2013/3/13 パリ・ブログ 「世の中には不思議な事がいっぱいある…」 参照)

 

体を持っている人間そのものだって、謎だらけなんですから、体を持たないエネルギーの存在があっても、全然不思議ではありません。

 

それで、もしかすると、死後の世界は、ずっと夢の世界で生きているんじゃないかな… なんて気もするんです。

 

死んで間もない頃は、「人をナイフで刺したらよくない」とか「浮気をしたらよくない」とか、みんなこの世の固定概念に縛られているでしょうけど、やがて、この世の記憶も消えていくでしょうから、そういう固定概念も無くなっていくでしょう。

まあ、想像ですが(笑)

 

ただ、そういうこの世の固定概念がなくなっても、自分の性質というものは、よっぽどの人ではない限り、死後も残っていると思うし、死んだ後にも、利己主義が元になっているような強い衝動を持っていると、いろいろと問題が残るような気がします。

 

なんだか、今日のブログは変テコな話になってしまいました。

 

この現実世界には、この世的な理想論は星の数ほどありますけれど、そのほとんどは、その通りに行かないのが現実ですし、それぞれが抱いている理想にこだわり過ぎる事によって、世界中に争いが絶えないのが、今の現状だと思います。

 

もちろん、だからといって、理想に向けての努力を放棄するのが良い訳ではありませんが、今している努力が、結果的に他者を排除したり、非難するだけのものになっていたのなら、それは、かなり危ういと言わざるをえないでしょう。

 

だからこそ、ただただ、この世に存在する全てのエネルギーである心が、それぞれに納得して、本当に安らかで、幸せに満ちたものになってくれたらいいな… などと思う、今日この頃です。

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