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天の流れに身をゆだねれば、必ず幸せにたどり着く19.01.28

2019年1月28日(月)

 

 早いもので、お正月もいつしか過ぎて、もう間もなく1月も終わり…

 そして、いよいよ一年で一番寒い2月がやって来ます。

    寒いの嫌い…

 

 どちらにしても、あと一週間ほどで、干支の切り替わりですね。

 まあ、これは来週のブログのネタにするとしまして(笑)

 

 先日ふらっと、世田谷代田にある「白髭のシュークリーム工房」に行ってきたんです。

 

 

 お世話になっている人へのおみやげと、僕自身も、甘いものが欲しいのもかねて、トトロのシュークリームをたくさん買い込みました(^^)

 

 ちなみに、トトロの頭にくっついているチョコレートのアクセサリーは、シュークリームの味を表しています。

 

 

 緑の葉っぱがカスタードで、桜の花がストロベリー、青の帽子がチョコレートで、黄色の帽子がキャラメル味…

 

 食べる時は、トトロの頭からガブリつくのですが、どのシュークリームもクリームたっぷりで、すごく美味しいです。

 

 

 それにしても、最近、人との出会いというものは、つくづく不思議なものだなあ… と思います。

 結局の所、それによって、人生が決まってしまうようにも感じます。

 

 これは、誰の人生でも言える事だと思うのですが、自分自身が大した才能が無くても、すごい才能を持っている人が自分のサポートをしてくれたら、一人では叶えられそうにない夢だって、叶ってしまいます。

 

 例えば、漫画家さんでも、元々すごい実力を持った漫画家さんもいれば、自分自身は大した事ないのに、すごい才能のある担当がついて、その助言を受けながら漫画を描いて、成功する例だってあります。

 

 こういった事は、どういう分野の職業でも、多少なりとも、ありえる事ですし、職業だけに限らず、人生そのものがそういうものだとも言えます。

 

 素敵な人が自分の味方についてくれれば、それだけで人生は素晴らしいものになる…

 もちろん、その為には、ある程度は自分も立派になっていないといけないのですが…

 

 僕の場合、ここ最近特に、これまでになく、すごい実力を持った人とのご縁がつながっていって、本当にありがたい事に、そういうすごい方からの協力が得られたりします。

 

 これまでの僕は、本当に甘え下手で、何でも自分一人でやろうとして空回りしてきたのですが、これからは甘えられる所は甘えて、その分、自分でできる事を精いっぱい頑張って、恩返ししていこうと、考えられるようになりました。

 

 思い起こせば、去年の後半に、京都と奈良への旅、そして、伊勢神宮と白山比咩神社に参拝して、あと、捨てられなかったある一つの執着を手放したら、あっという間に、周りの環境がガラッと変わってしまいました。

 

 昔から僕は、(とはいってもおそらく、この性格は20代後半ぐらいから身に着き始めたと思うのですが…)自分が「絶対にゆずれない」と思う事以外は、あまり自分の主張はしないで、流れに任せるような人間でした。

 

 くだらない話ですけど、例えば、回転ずしなんかでは、何一つ自分の食べたいものが回っていない時は別として、ほとんど自分からオーダーしないで、流れてくる皿の中で好みに合うものを取って、それで済ましてしまういう感じです。

 

 でも、これは悪く言うと、「自分の意志がない」とか「自分で決められない」というような所にも、つながっていて、昔はよく「もっと自分の意見を持ちなさい」とか、「ちゃんと言うべき事は言いなさい」と、目上の人から注意される事も多かったですね。

 

 でも僕は案外、主張するべき時には主張するし、一旦、ゆずれないと思ったら、テコでもゆずらなかったりするんですけど、案外、周りからはそんな風には見えないみたいです(笑)

 

 う~ん、やっぱり、自分の主張を貫き通さなくてはいけない時というのは、あると思います。

 

 でも、自分の意見を強く主張してしまいたくなる時って、たいがいは自分の感情やプライドで譲れなくなってしまうような場合が、ほとんどのような気がします。

 

 だいたいは、どっちの意見も大して違いはなかったりするし、自分の意見を引っ込める事で、みんなが穏やかにまとまるのなら、僕はあえて意見を言わない事も多いですね。

 

 相手の意見の方が正しいという可能性だって、あるかも知れない訳で、あえて成り行きに任せるというのも、僕は一つの立派な選択だと思うんです。

 

 でも、その意見が、自分達に都合ばっかり考えて、周りの人に迷惑を掛けるものだったりとか、とにかく、絶対に良くない事だと思ったら、僕は、迷う事なくそれに反対します。

 

 まあ、そういうおかしな事を考える人は、もう僕の周りにはいないので、今では、自分の主張をする事はほとんど無く、流れに従って生きていますが…

 

 人生には、時に、ずっとそこにあると思っていたものが、スッと消えてなくなってしまうような事もあります。

 

 それは、ずっとそばに寄り添ってくれた人かも知れないし、これまで当たり前に思っていた自分の立場やポジションかも知れないし、いつも思い描いていた未来の可能性かも知れませんし…

 

 それが何であったとしても、自分の予想に反して、大切なものが消えてしまう事は、やっぱり悲しいものです。

 

 でも、これは、仕方がない事だとも思うんです。

 それによって、また新たなものが生まれてくるのだとも思うし…

 

 そんな時、僕は冷静に、そうなった原因が、自分の落ち度によるものなのか、そうではなく、ある意味、何かの大きな流れなのかを見極める事にしています。

 

 もしも、自分に落ち度がないとすれば、それは天の計らいである可能性だってあります。

 

 もしも、自分に落ち度があって、そういう結果に結びついたのなら、その時はしっかりと反省して、最大限、その失敗を取り返す努力をすべきでしょう。

 

 でも、自分に落ち度があったというよりは、何かしらの流れでそうなってしまった時は、無理やりそこにしがみつくのではなく、それは一旦捨てて、次の手段を冷静に考えられる人が、人生の道が開ける人だと思うんですね。

 

 目の前に起こったその変化は、もしかしたら、天の計らいかも知れませんから…

 

 例えそれが一見すると思わしくない事でも、あくまでも現状を維持させる事だけにしがみついてしまうと、せっかくの天がくれた大きな運の流れを、つかみ損ねてしまう事になります。

 

 そんな時は、天を信じて、その変化に身を任せながら、冷静に次の手段を講じるのが良いでしょう。

 

 ただし、天の流れに身を委ねて、自分自身も幸せにたどり着きたいと思うならば、人が見ていても人が見ていなくても、ちゃんと、天が味方してくれるような日頃の行いをしている事が必要でしょう。

 

 これは、立派だと言われる生き方を、堅苦しく自分に強いなければいけないという意味ではなく、自分で自分の心をきちんと直視した上で、自分にやましいと感じる部分がなければ、とりあえずはそれでいいと思います。

 

 あとは、自分の目の前に立ちはだかった問題に目をそらす事なく、全力で取り組んでいくだけです。

 

 例えば、そうですね…

 

 戦国時代で言えば、六文銭の旗印で有名な猛将・真田幸村の兄に、真田信幸(信之)という人がいて、この人は、すごく地味なんですけど、戦国時代の大名としては最高齢の92才まで生きた人です。

 

 信幸は、徳川家康の配下の名将、本多忠勝の娘(小松姫)を嫁にしていた事もあり、常に徳川方の旗印の下で、戦国時代を戦ってきました。

 

 関ケ原の合戦の時、弟・真田幸村は、石田三成の盟友で、西軍についた大谷刑部吉継(2014/1/5パリブログ 「カッコよく恩に応えたい」参照)の娘を嫁に迎えていた事もあり、父・昌幸と共に西軍についてしまうのですが、信幸は、本多忠勝との義理を大切にして、父や弟と袂を分かち、徳川方の東軍として戦う事になります。

 

 信幸としては、苦渋の選択だったと思います。

 

 でも、この時代の価値観においては、おろらく信幸も幸村もこの選択しかなかったでしょう。

 

 真田一家が東軍・西軍どっちかでまとまろうとすれば、片方に不義理になってしまいますから…

 

 まあ、東軍・西軍どっちが勝っても、真田家が生き延びられるようにという目論見もあったかも知れませんが、その結果、心が通った肉親同士で戦わなければいけなくなってしまいました。

 

 でも、結果は、これで良かったのかも知れません。

 

 兄の信幸が、自分の恩賞と引き換えに、父と弟の助命嘆願をし、その結果、死罪が流罪となって、三人とも無事に生きながらえる事となったんです。(幸村は、のちの大坂夏の陣で討死)

 

 結局の所、ちゃんとした生き方をしていれば、最後はなるようになっていくんですね。

 

 天の流れに身をゆだねれば、必ず幸せにたどり着く…

 

 例えどんな事が起ころうと、自分勝手な思惑や私心を捨て、目の前の事にベストを尽くしていれば、最後は必ず、幸せな結果にたどり着くはずです。

 

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