ブログ

西日本紀行記 ~出雲・山口への旅~<8>日御碕神社と稲佐ヶ浜の潮風20.04.16

2020年4月16日(木)

 

 またしても、ブログの更新が、すっかり遅くなってしまい、申し訳ありません。

 

 今のこの時期ですし、僕の本拠地は東京ですから、あんまり更新が遅れると、ブログを読んでくださっている人に、余計な心配を掛けてしまうかも… と思いつつ、結局、今日になってしまいました。

 

 日頃は、危機管理能力の低い僕も、さすがに政府の緊急事態宣言が出されてからは、どうしても動かせない用事と、松屋と近所のスーパー以外は、極力、家から出ないで、室内でコツコツと仕事をしています。

 

 こんな時期にもかかわらず、仕事が山積みになっているのは変わらないし、僕は、一つの事に集中すると、のめり込んでしまうタイプなので、前にも増して、日々の時間に追われながら暮らしています。

 

 それにしても、今がインターネットやメールが発達している時代で、本当に良かったと、つくづく感じます。

 

 もしも、一昔前、そういったものがない時代にこういう事態になったなら、僕の場合、家にこもっているままでは、何一つ仕事がはかどりませんし、緊急事態宣言を守っているほとんどの方が、何もできないストレスで、まいってしまうと思いますね。

 

 …という事で、毎度毎度の事ですが、去年の11月の西日本旅行記の続きです(笑)

 

 物部神社を後にして、ILU開運ツアーの旅の一行を乗せたバスは、次の目的地へと向かって走り出し、バスが泊まった場所は、潮風の香りがする素敵な所でした。

 

 

 この海の向こうに見える島は、経島(ふみしま)と呼ばれる無人島…

 

 これから行く日御碕(ひのみさき)神社の下之宮でもあり、一般の人は、基本的に禁足地になっています。

 

 海の向こうから、ウミネコの涼し気な鳴き声が、聞こえてきます。

 

 この経島は、ウミネコの繁殖地でもあるのですね。

 

 いよいよ旅もクライマックス…

 

 この場所から、日御碕神社へと向かい、その後、稲佐の浜に立ち寄って、いよいよ最終目的地の出雲大社入りをします。

 

 バスが止まれる駐車場から、潮風の香りがする道を、神社に向かって進むと、途中には、美味しそうな焼きイカや、乾物なんかを販売しているお店があったりして、みんなでワイワイ楽しみながら、歩いていきました。

 

 

 しばらくすると、目的の日御碕神社が見えてきました。

 

 まるで、竜宮城みたいです。

 

 この日御碕神社の事を、僕が初めて知ったのは、以前、月読命(ツクヨミノミコト)の事をいろいろ教えてくださったNさんからでした。

 

 Nさんは、伊勢神宮や天照大御神(アマテラスオオミカミ)の事が大好きな方なのですが、そのNさんが一押しの神社が、この日御碕神社だったのです。

 

 日が昇る神社が、伊勢神宮だとすれば、日が沈む神社というのがある…

 伊勢神宮が、この国の昼を守る神社であるのに対し、この日御碕神社こそが、夜を守る神社になっていて、ペアの関係なのですね。

 

 そして、この神社の日沈の宮(ひしずみのみや)には、三貴子である天照大御神、月読命、素戔嗚(スサノオ)のシンボルが刻まれているという話も、お聞きしました。

 

 

 鳥居を通り抜け、そのまま進んで行くと、美しい朱色の楼門がありました。

 

 今回のこの開運のツアーに、僕を誘ってくださったKさんも、旅行前から、この日御碕神社の事をとても勧めてくださっていました。

 そして、ここに、有名な「御神砂守(おすなまもり)」というお守りがあるという事を、教えて頂いたのです。

 

 日御碕神社へ行く道すがら、ずっとKさんと神社の事を話しながら、歩いていました。

 

 この日御碕神社には、二つの宮があります。

 一つが先ほどの「日沈の宮」で、これが下の本社にあたります。

 そして、上の本社として、日沈の宮より少し高い所に建っている「神の宮」があります。

 

 日沈の宮は、天暦二年(948年)に、村上天皇勅命により祀られていましたが、神の宮が祀られたのは、さらにうんと古いと言われています。

 そして、江戸幕府三代将軍・徳川家光によって、現代の社殿は造営されました。

 

 

 まずは、みんなで「日沈の宮」の拝殿に、参拝しました。

 

 御祭神は、言うまでもなく、天照大御神…

 太陽神の天照大御神が、日の出を伊勢神宮に、そして日の入りを、この日沈の宮に祀られているんですね。

 

 

 日沈の宮の本殿の屋根の所の妻飾りを見上げると、まさにNさんが言っていた三貴子のシンボルがありました。

 

 中央に、真っ赤な太陽、右側には黄色い三日月、そして左側には星と思われる彫刻があります。

 

 それぞれ、天照大御神(太陽)、月読命(月)、素戔嗚(星)を象徴しています。

    うちは一族の中でも、すぐれた忍びは、この三種全ての術を操れる…(アニオタ以外意味不明)

 

 

 こちらは、境内にある末社で、右の大きな社が荒魂(あらみたま)神社、左の小さな社が蛭児(ひるこ)社です。

 

 真ん中にあるのは、昭和天皇の御製の御歌が記された石です。

 

 秋の果ての碕(さき)の浜の みやしろ(御社)

  をろがみ(拝み)祈る 世のたひらぎ(平らぎ)

 

 日沈の宮を参拝した後、先達の藤尾先生を先頭に階段を上がって、「神の宮」へと向かいました。

 

 

 こちらの神の宮の主祭神は、素戔嗚…

 

 暴れん坊の弟神(素戔嗚)が姉神(天照大神)の上で、鎮座している形になっているのですね。

 

 みんなで神の宮に参拝していると、心地よい風が吹き抜けていきました。

 

 

 Kさんに連れて行って頂いて、社務所でうわさの「御神砂守」を授かってきました。

 

 あと、とっても魔よけになりそうな鈴もおかれていたので、これも一緒に、授かってきました。

 サロン ド シルフィーユに、飾っておこうと思います(^^)

 

 Kさんから、最初に伺っていたのですけど、この御砂のお守りは、こちらから申し出ないと出して頂けないお守りで、ものすごいご利益があるのです。

 

 頂いた説明書きには、このように書いてあります。

 

 日御碕神社の「お砂」は古来、出雲屋敷と申す地鎮祭の鎮(しず)めものとして用い、神社敷地と同じ清らかな屋敷になるよう、お清めとして使う「お砂」でありますが、昭和四十年に群馬県の堀田靖二氏が新店舗の地鎮祭の為「お砂」を戴き、たまたま交通事故で医師から見放された友人に塗り付けたところ一命を取り留め、しかも全快、従前通りの運転手の仕事ができるようになり、その他交通安全、車酔止め、悪霊退散など不思議な奇跡体験者が多数となり…

 

 ちなみに、御神砂守の色は、赤、青、白の三種類があります。

     緑はなかったので、直感で白にした…

 

 日御碕神社は、KさんやNさんから伺った通りの本当に素晴らしい神社でした。

 

 この後、バスで20分ぐらい移動して、出雲大社のすぐ近くの海岸にある稲佐の浜へと行きました。

 

 

 浜辺には、かの有名な弁天島がありました。

 

 この島は、昭和60年頃までは海の中にあったのですが、近年になって急に砂浜が広がり、現在では、島まで歩いて行けるようになったそうです。

 

 浜辺に下りる階段の所に、お近くに住む写真家の方が、タブレットで撮った見事な写真を、みんなに披露していて、しばらくその写真に魅入っていたのですが、その後、大急ぎで弁天島に駆け寄っていきました。

 

 ここまで来て、浜辺に下りない手はありません。

 

 日御碕神社へバスで向かう時に、とても道が渋滞していたのですが、それはみんながこの稲佐の浜へ立ち寄って、お砂を取っていくからだという事でした。

 

 その時、バスの運転手さんから、いろんな話が聞けたのですが、今、稲佐の浜の砂をお守りにする参拝方法というのが、ブームになっているそうです。

 

 簡単にかいつまんで言うと、「まずは、稲佐の浜で御砂を頂いて、それを出雲大社の素鵞社(そがのやしろ)に納め、代わりに、そこにある御砂を頂いて持ち帰る」という、方法だそうです。

 

 何でも、テレビか何かでこの参拝方法が紹介されて、急にこの出雲大祭の時期には、この辺りの道路が大渋滞になったのだとか…

 

 僕は、日御碕神社のお砂の御守りを手に入れていますから、あえて、稲佐の浜の御砂は取りませんでした。

 

 

 弁天島の近くに言って、参拝してきました。

 

 一体、どうやってあんな場所にお社を建てたのだろう…

 

 ふと、素朴な疑問がよぎります。

 

 この稲佐の浜は、まさに、大国主神(オオクニヌシノカミ)の国譲り伝説の舞台でも、ありました。

 

 賣豆紀(めづき)神社(2020/2/29 ブログ 「出雲・山口への旅~<3>古代の女神に導かれて」 参照)の時に、国譲り伝説の事を、少しだけ書いたのですが…

 

 大国主神に懐柔されて、下照比売(シタテルヒメ)の夫となった天若日子(アメノワカヒコ)が、高天原(たかあまはら)から射られた矢に当たって、亡くなってしまった後、絶対に融通が利かなそうな武神、建御雷(タケミカヅチ)が派遣されました。

 

 これは懐柔できないと悟るや、争いを望まなかった大国主神は、この稲佐の浜で、国を譲る事を決断しました。

 

 細かく書けば、それはこの後の、大国主の息子の事代主(コトシロヌシ)の服従と、同じく大国主の息子の建御名方(タケミナカタ)と建御雷の戦いの後の事なのですが、とにかくこの国は、大国主神ら国津神(くにつかみ)から、天津神(あまつかみ)へと、譲られる事になるのです。

 

 大国主神は「国を譲る代わりに、私の住む所として、天津神の御子が住まうのと同じ位、大きな宮殿を建ててください。そうすれば私は、永遠にそこに住まい、表舞台に出ない事を誓いましょう」と言いました。

 

 そして、その大国主神の住まいとして建てられたのが、出雲大社という訳です。

 

 この話を聞く度に、この大国主の神様というのは、何て心が広くて貴い神様なのだろうと、つくづく思います。

 

 さて、いよいよ旅はクライマックス…

 

 これから徒歩で、待望の目的地である、大国主神が鎮座する出雲大社へと向かいます!!

 

もし良かったら、クリックしてください(^^)

西日本紀行記 ~出雲・山口への旅~<7>古神道の始祖・物部氏のパワー20.04.05

2020年4月5日(日)

 

 今日のお昼に、丸亀製麺のうどんを食べに行こうと思ったら、なんとお休みでした!!

 

 まあ、この時期ですから、仕方がありませんね。

 

 僕も、なるべくは出歩かないようにして、家にこもって、講座の資料を作ったりと、コツコツ仕事をしているのですが…

 

 それにしても、新型コロナウィルスの影響が、まさかここまで大きくなるとは、年の初めには思ってもいませんでした。

 

 特に、接客業で人と会う仕事をされていらっしゃる方は、大変な目に遭われていらっしゃいますし、このウィルスを終息させるべく、真正面から戦っていらっしゃる医療関係者の方には、本当に頭が下がります。

 

 今、我々の行動も、どうしても選択肢が制限されてしまいがちですけど、この与えられた環境の中で、少しでも有意義に時間を使っていけたらと思います。

 

 …という事で、いつもの事ながら、半年前の西日本旅行記のブログの続きです(^^;;

 

 素戔嗚(スサノオ)の魂が眠るという、須佐神社を後にして、ILU開運ツアーの一行は、一旦、出雲市から外に出て、島根県太田市にある物部(もののべ)神社へと向かいました。

 

 

 物部神社は、石見国(いわみのくに)一宮と呼ばれています。

 

 ちなみに「一宮」とは、その地域の中で、最も社格の高いとされる神社を言います。

 

 前回のブログの須佐神社と出雲大社は、出雲国(いずものくに)の一宮です。

 一宮が2つあるというのも、本来おかしいのですが、だからこそ、須佐神社と出雲大社は、張り合っている部分があるのかも知れません。

 

 おそらくは、元々は須佐神社が一宮で、そこに新たに出雲大社ができて、同じく一宮になったのでしょう。

 

 

 石見国一宮・物部神社、到着…

 

 僕自身、このツアーの出発前は、ずっと東京で時間に追われていて、出雲大社に参拝するという事以外は、どういうプランで、どこの神社に立ち寄るかとか、きちんと把握していませんでした。

 

 だから「次に行くのは、物部神社です」とバスの中で言われた時も、「飛鳥時代の前あたりに、蘇我氏と争って覇権を奪われた物部氏の神社か…」ぐらいにしか、思いつかず、正直そんなに興味もわいていませんでした。

 

 半年前の僕は恥ずかしながら、あんまり物部氏の事も、知らなかったのです。

 

 

「物部」と書いて「もののふ」とも読ませるように、物部とは、古代日本においては、兵権と刑罰を担う職業でした。

 物部氏というのは、大和朝廷において「物部神道」と呼ばれる古神道や、呪術なども担当していたそうです。

 

 その後、仏教崇拝の蘇我氏と対立し、一時は仏教に弾圧を加えるも、その後、蘇我馬子や後に推古天皇となる炊屋姫(かしきやひめ)によって、粛清され、没落していきます。

 

 物部氏というのは、神武天皇よりも前に、国を治めていた饒速日(ニギハヤヒ)の子孫であるとされ、それは元伊勢である籠(かご)神社、そして、この籠神社は、よくこの手の話題で取りざたされる謎多き童謡「カゴメ唄」とも、密接な関係があると言われます。

 

 

 境内に入ってみると、いきなり鶴の置物がありました。

 

 このツアーは、藤尾美友先生が先達となって、神社や古神道の説明をしてもらいながら、とってもレアな神社を廻るのですが、常に、藤尾先生のご主人が、ツアーに参加している我々のお世話をしてくださっていて、時々、謎かけをされる事もあります。

 

 物部神社の境内に入った時、藤尾先生のご主人から、あるお題を渡されました。

 

 それは「この神社のどこかには、鶴と亀がいます。それぞれ、どこにいるか見つけてください」というもの…

 

 鶴は、誰でもすぐに見つけられたと思うのですが、亀の方はどこにもいません。

 

 

 境内全体を見渡してみましたが、亀らしきものは、どこにも見当たらないです。

 

 鶴と亀… と聞いて、ふと「カゴメ唄」の事を思い出しました。

 

 かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる

 夜明けの晩に 鶴と亀が滑った 後ろの正面だあれ

 

 この歌は少なくとも、江戸時代以前からある歌だと言われています。

 余談ですが、その頃の文献によれば、「鶴と亀が滑った」とか「後ろの正面だあれ」という部分は、まだ歌詞になくて、全く別の歌詞になっています。

 

 もちろん、鶴と亀、後ろの正面バージョンの歌詞が、ただ残されていなかっただけかも知れませんが…

 

 あまりにも、みんなが亀を見つけられないので、藤尾先生のご主人が、正解を教えてくれました。

 

 

 なんと、拝殿の向こうから、ちょっぴり顔を出している本殿の屋根の所に、亀がいるではありませんか…

 

 これは、さすがに気づきませんでした。

 

 

 お手水の所にも、勾玉のようなものが、描かれています。

この手水石に彫られた4つの曲玉(まがたま)に触れる事で、勝運や財運が強くなるとの事…

 

 まずは、お手水の水入れそのものが、曲玉の形になっていて「浄の曲玉」と呼ばれ、そして、彫られている勾玉は、左から順に「勝の曲玉」「財の曲玉」「健の曲玉」「徳の曲玉」と、名づけられています。

 

 早速、お手水をして、4つの勾玉に触れておきました(^^)

 

 みんなで拝殿に参拝して、その後、藤尾美友先生に、屋根の造りなどの説明を聞きながら、本殿にも手を合わせました。

 

 物部神社の御神徳は、勝負運…

 古代日本の兵権と懲罰を担った物部氏の神様だけあります。

 

 物部神社の主祭神は、宇摩志麻遅命(ウマシマジノミコト)

 物部氏の初代とされる神です。

 

 

 その後、摂社である「後神社(うしろじんじゃ)」に、参拝しました。

 ここの御祭神は、宇摩志麻遅命の妃である師長姫(シナガヒメ)が、祀られています

 

「後ろの正面だあれ…」

 なぜか例のカゴメ唄が、耳にこびりついてきます。

 

 2本の杉の木に守られた、後神社…

 静かで、とても清々しい場所です。

 

 

 そして、藤尾先生がおすすめの末社が、この神代七代(かみのよななよ)社…

 

 神代七代とは、三貴子(さんきし)である、天照大御神(アマテラスオオミカミ)、月読命(ツクヨミノミコト)、素戔嗚を生んだ、伊邪那岐(イザナギ)と伊邪那美(イザナミ)の夫婦神を含む七代の神様の事です。

 はっきり言って、これらの神様が祀られている神社は、かなり珍しいです。

 

 御祭神名の所には、国常立尊(クニトコタチノミコト)、国狭槌尊(クニノサツチノミコト)、豊斟淳尊(トヨクムヌノミコト)、泥土煮尊(ウイジニノミコト)、大戸道辺尊(オオトノベノミコト)、面足尊(オモダルノミコト)、惶根尊(カシコネノミコト)、そして、伊邪那岐・伊邪那美の名前が書かれていました。

 

 国常立尊は、多少知名度がありますが、それ以外の神様はあんまり聞いた事がないです。

 古代から、物部神道において、この神代七代の神様が奏上されて、常に祀られているのかも知れません。

 

 

 こちらは、願いが叶えられやすくなるという「勝石(かちいし)」…

 

 伝えられている所によれば、物部神社の御祭神・宇摩志麻遅命が鶴に乗っておりたち、この石に腰を下ろされたと言います。

 

 運気の籠ったこの勝石を撫でると、全ての願いに通じる「勝ち運」を受けられるそうです。

 

 せっかくなので、いっぱい撫でておきました(^^)

 

 気のせいかも知れませんが、何だかやる気がわいてきました!!

 

 古神道の始祖・物部氏のパワーが満ち溢れた神社で、元気をたっぷりチャージしました。

 

 さて、この後は、日御碕(ひのみさき)神社に参拝し、稲佐ヶ浜(いなさがはま)に立ち寄って、いよいよ人生初の出雲大社に参拝させて頂きます。

 

 旅のクライマックスは、これから…

 とっても、ドキドキします。

 

もし良かったら、クリックしてください(^^)

西日本紀行記 ~出雲・山口への旅~<6>須佐神社と御神木のパワー20.03.29

2020年3月29日(日)

 

 今日(3月29日)は元々「第16期 四柱推命講座・初級編」の最終日だったのですが、今週末土日の「東京都の外出自粛要請」を受けて、日程を5月10日に延期にしました。

 

 実は最初、たかだか一つの部屋に5人集まったぐらいで、コロナに感染する事なんてまずないだろうし、随分前から予定していた事だから決行しよう… と、思っていたんです。

 

 でも、考えてみれば、受講生の皆さんが、サロン ド シルフィーユに来るまでには、電車を乗り継いだり、混雑した都心の駅構内を歩かなければいけないし、やっぱり、さすがにこの時期はマズいな… という事で、急遽、延期に踏みきった次第です。

 

 それで「今日はやけに寒いなあ…」と思って、さっき、窓から外を見たら、な、なんと雪が降っているではありませんか…

 

 毎年、寒がり屋の僕も、さすがに村野大衡先生の誕生日(3月27日)を過ぎたあたりからは、寒さを忘れるのですが、今年はどうやら例外になりそうです。

 3月29日だというのに、なぜか外は吹雪だし、猛烈に寒いです。

 

 今日の講座、休校にして、本当に良かったです。

 

 …という事で、せっかくなので、タイムラグのあり過ぎる西日本旅行記のブログを、書いておこうと思います(^^)

 

 1日目の宿泊先の「玉峯山荘」で、お酒を飲んだ後、自分の部屋に戻った記憶がまるで無いまま、朝までぐっすりと眠って、翌朝はKさんとYさんと同じ席で、美味しい朝食を食べました。

 

 あれだけ飲んだのに、目覚めがすごく良くて、全く体にお酒が残っていないから、不思議です。

 

 その後、大きなスーツケースを、ツアーバスの運転手さんにまたお願いして、荷台に入れて頂いて、朝8時にバスは出発しました。

 

 ツアーも2日目になると、僕もたくさんの人と仲良くなって、バスの中でも、ずっとお話をしていました。

 僕はどちらかというと、人見知りする性格なのですが、みんな気さくで、話しやすい人ばっかりです。

 

 前に、Kさんから紹介して頂いて、立川のタロット講座にもお越し頂いていたHさんの他に、Tさん、Yさん、Kさん、Oさん、Sさん… と、Kさんが仲を取り持ってくださって、一度にたくさんの友達ができました。

 

 この日(11月10日)の最後の参拝地は、この旅の目的地でもあり、僕が一生の内に一度は参拝したいとずっと思っていた出雲大社…

 ツアーバスは、玉峯山荘から、雲南市を横切って、出雲市へ向かい、念願の出雲入りを果たしました。

 

 この日の最初の参拝の目的地は、須佐神社…

 

 素戔嗚(スサノオ)が祀られている神社なのですが、電車はもちろん、バスの停留所からも遠くて、遠方から行くには、かなりアクセスが悪い場所です。

 

 

 こういった場所に、こんな風に楽に行けるのも、貸切バスを借り切ったILU開運ツアーならではですね。

 

 須佐神社は、素戔嗚と櫛名田姫(クシナダヒメ=素戔嗚が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治して救い、のちに素戔嗚の妻となる)の御子の子孫とされている須佐家が、代々仕えているという神社です。

 

 出雲国風土記には、素戔嗚が「この土地は狭い所であるが、住みよい所である。だから、我が名を木や石にはつけず、この土地につけよう」と言い、自分の御霊(みたま)を土地に鎮めたとあります。

 だから、素戔嗚が祀られている、ゆかりの神社は、日本全国にたくさんあるのですが、その中で、素戔嗚の御霊をお祀りしている神社は、出雲の須佐神社ただ一つだけなんですね。

 

 

 いざ、素戔嗚が鎮座する須佐神社へ…

 

 鳥居をくぐると、荘厳な気持ちになりますね。

 この出雲の須佐神社は「怖いくらいに畏怖感がある」という記事が、ネットでちらほら出てきます。

 暴れん坊の神様・素戔嗚の御霊が鎮まっているというのだから、それも当然かと思ったのですが、僕の感想としては、正直、怖いとは感じませんでした。

 

 それよりも、温かくて、包まれるような感じがする素敵な神社です。

 

 

 お賽銭を入れて、まずはみんなで、拝殿にて参拝しました。

 そんなに大きな神社という訳ではないのですが、澄み切った感が半端ないです。

 

 須佐神社という事で、ネットで調べてみると、日本全国で7か所あるらしいのですが、いずれも素戔嗚が祀られている事で共通しています。

 

 昨日から、やたらと素戔嗚の神社ばかり参拝しているような気がしているのですが、出雲は素戔嗚の国でもありますから、まあ、そうなるのも当たり前ですね(笑)

 

 

 境内にある「亀石」…

 石が亀の甲羅のように並べられています。

 

 すごく歴史のあるモノかと思いきや、これが奉納されたのは平成9年で、つい最近のようです。

 

 

 本当に歴史のあるのは、この「塩の井」です。

 御神水をひしゃくで掌(てのひら)に移して、口に入れてみたら、ちょっとだけ塩味がしました。

 

 素戔嗚自らが、塩をくんで、この地を清めたという伝説があり、須佐神社七不思議の1つと言われています。

 

 ちなみに、須佐神社七不思議とは「塩の井」「相生(あいおい)の松」「神馬(しんめ)」「落ち葉の槇(まき)」「影無桜(かげなしざくら)」「星滑(ほしなめら)」「雨壺(あまつぼ)」の7つとされています。

 興味のある方は、須佐神社のホームページをご覧ください(^^)

 

 

 こちらは「大杉さん」と呼ばれる御神木…

 推定樹齢は1,300年と言われていて、幹の周囲が6メートルで、樹高がなんと21メートルもある大木です。

 

 この後、ツアーの先達の藤尾美友先生から、この御神木の説明がありました。

 そして、パワーをたくさん頂ける秘策を教わりました。

 

 その時、スーッと気持ち良い風が吹きつけてきて、まるで神様が返事をしてくれたみたいで、本当にたくさんのパワーを頂けたように感じました。

 

 

 こちらは、境内の一番奥にある「三穂社(みほしゃ)」…

 

 御祭神は、三穂津姫(ミホツヒメ)と事代主(コトシロヌシ)となっています。

 三穂津姫とは天津神系の神様で、大国主神(オオクニヌシノカミ)の后になった神様です。

 

 この後、須佐神社のご本殿と向かい側にある天照社(あまてらすしゃ)に行きました。

 

 

 数年前までは古いお社だったようですが、つい最近、建て直さたそうです。

 

 御祭神は言わずと知れた、三貴子の一柱であり、素戔嗚の姉にあたる天照大御神(アマテラスオオミカミ)

 この出雲という場所は、天津神と国津神の融合の地とも、言えそうです。

 

 

 須佐神社付近にある素鴨川…

 橋を渡って、これからまた次の目的地へ向かう為に、ツアーバスに戻ります。

 

 写真が大好きで、鉄道マニアでもあるSさんから、空を見るように勧められて、見上げてみると…

 

 

 そこには、まるで龍が泳いでいるのように、まっすぐに走った白い雲がありました。

 

 周囲は、見事な秋晴れ…

 とても、気持ち良いです。

 

 この後は、不思議に満ちた物部(もののべ)神社に向かう予定です。

 

 一体どんな神社なのか、ワクワクします!!

 

もし良かったら、クリックしてください(^^)

西日本紀行記 ~出雲・山口への旅~<5>出雲・熊野大社の息吹と温泉宿の宴20.03.20

2020年3月22日(日)

 

 気がついたら、いつしか、お彼岸を過ぎてしまいました。

 日もすっかりと長くなって、外も少しずつ暖かくなってきているのを感じます。

 

 僕は、3月12日~17日の約一週間の間、「四柱推命講座・初級編」の大阪講座をかねて、大阪と神戸の旅に行ってまいりました。

 

 素敵なお客様と会食をさせて頂いたり、伊泉龍一先生からご縁を頂き、大阪梅田の占いスクール「ベネディーレ」を運営されている、延原めぐみ先生にお会いして、お話をお聞きしたり…

(なんと、延原めぐみ先生のブログにも、紹介して頂きました)

 

 それから、日本に初めてタロット占いを広めたアレキサンドリア木星王先生にも、神戸の三宮で、お会いしてきました。

 

 あまりにも、盛りだくさんなので、また、改めて書きたいと思いますが、本当に最高に充実した一週間でした。

 

 改めて、のろまな今の自分の仕事のスピードのままでは、この仕事量はとてもこなせないと思いました。

 これからは、自分の仕事の無駄をことごとく削って、もっと大真面目に、目の前の事に取り組みたいと思います。

 

 さてさて、ブログの方ですが、相変わらず、去年の11月の旅のお話の続きです(笑)

    本当、仕事効率悪いです…

 

 玉作湯神社を後にして、ILU開運ツアーのメンバーは、この日の最後の参拝の目的地である、松江市にある熊野大社へと向かいました。

 実はここは、出雲大社に匹敵するぐらいの神社であると、言われているんです。

 

 

 電車の路線からは遠く離れているし、この熊野大社へ行こうと思ったら、車がなければ、かなり厳しいです。

 

 ちなみに「熊野大社」と呼ばれる神社は、全国にたくさんあります。

 どちらかというと、和歌山にある熊野本宮大社の事を思い浮かべる方も多いと思うのですが、熊野本宮大社の創建も、ものすごく古くてハッキリした事は不明ですが、こちらの熊野大社の創建も相当に古く、ハッキリした事はわかっていません。

 

 当時、この辺りは「熊野村」と呼ばれていて(現在は、島根県松江市八雲町熊野)、この熊野村の住人が紀伊国に移住した時に、この熊野大社の分霊を勧請したのが、和歌山にある熊野本宮大社の元である、という説もあるくらいです。

(もちろん、全く別系統の神社であるという説もあり、正直、ハッキリした事は何もわかりません)

 

 

 熊野大社の拝殿…

 この熊野大社は、出雲大社と共に「出雲国一宮」で、火の発祥の神社と言われています。

   今年と来年は「火」はあまり取りたくないです(^^;;

 

 出雲にある神社は、大きくて立派なしめ縄がすごいです。

 このしめ縄を見ると、気持ちが引き締まりますね。

 

 僕の鎮守神社(Kさんに調べて頂いた)である新宿十二社も、熊野系統なので、何気に親近感を感じます。

 

 この拝殿は、明治10年に改築されたもので、元々、この熊野大社は、ここから3kmほど離れた熊野山(現在は「天狗山」と呼ばれている)にあったのですが、後に、上の宮と下の宮に分かれて祀られ、さらに明治時代には、明治政府による「一村一社制」の方針で、上の宮の方は破棄されて、下の宮の方に合祀されました。

 つまり、現在あるこの敷地は、昔は下の宮だったという訳です。

 

 御祭神は「伊邪那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命(イザナギノヒマナゴ カブロギクマノノオオカミ クシミケヌノミコト)」…

 

 長い名前ですが、これで一柱の神様です。

 櫛御気野命(クシミケヌノミコト)というのは、通常は素戔嗚(スサノオ)の事と考えられていて、直訳すると「伊邪那伎(イザナギ)が可愛がる御子で、神聖な熊野の祖神である素戔嗚」となります。

 伊邪那伎は、素戔嗚の父にあたる神ですが、何でこんな長ったらしい修飾語がついているのか、謎です。

 

 古事記によれば、伊邪那伎と伊邪那美(イザナミ)の夫婦神によって、素戔嗚らの神が生まれてくるのですが、伊邪那美は火の神・カグツチを出産した時に、大やけどを負って、それが原因で、亡くなってしまいます。

 

 のちに素戔嗚は、父である伊邪那伎から「大海原を治めるように…」という指示を受けたのですが、母である伊邪那美が恋しくて、母が住まう「底根(そこね)の国」に行きたいと言ってそれを拒否し、伊邪那伎の怒りをかって追放されてしまうという、悲しいエピソードがあるんです。

 

 もしかすると、この長い修飾語は、素戔嗚はちゃんと父に愛されているよ… という思いを込めて、誰かがつけたのかも知れません。

 

 

 ここが伊邪那美神社…

 今は、熊野大社の摂社という形で、本殿の隣りにあって、ここには素戔嗚の母である伊邪那美神が鎮座しています。

 

 元々は、伊邪那美神社は上の宮にあったのですが、明治政府の一村一社制によって、下の宮に遷され、結果的に母子が再開できたのですね。

 

 向こう(上の宮)に祀られていた神様を、全部こちらに持ってきているので、この伊邪那美神社には、他にも19社の神様が合祀されていて、その割に、お社は小さくてコンパクトですが、まあ仕方ないとしますか…

 

 

 こちらは、鑽火祭(きりびまつり 又は さんかさい)の舞台となる鑽火殿(さんかでん)です。

 開運ツアーの先達である、藤尾美友先生が、このお祭りの事をいろいろと教えてくださいました。

 

 このお祭りの中でも「亀太夫神事(かめだゆうしんじ)」という神事は、かなり変わっていて、ユーモアのあるものだそうです。

 

 この亀太夫神事を取り行う為に、わざわざ出雲大社の宮司が、こちらにお越しになるのですね。

 

 そして、燧臼(ひきうす)・燧杵(ひきりぎね)という、古代の人々が火をおこす際に使った道具が、熊野大社から、出雲大社の宮司に手渡されます。

 出雲大社で行う新嘗祭(にいなめさい)は、熊野大社にある燧臼と燧杵がどうしても必要なので、借りに来る… という設定のようです。

 

 その時に、出雲大社の宮司に応対するのが、熊野大社の下級神官の亀太夫さんなのです。

 

 燧臼・燧杵をお借りするお礼に、出雲大社の宮司から亀太夫さんに、餅が渡されるのですが、お決まり事として、亀太夫さんが、この餅の出来栄えについて、「色が悪い」とか「形が悪い」とか、口やかましく悪態をついて文句を言う、というシナリオになっているそうです。

 

 その後、出雲大社の宮司による「百番の舞」が舞われ、この神事が終了するのですが、わざわざ出向いて行って、毎年、熊野大社の下級神官から文句を言われるという、この宮司の役どころには、頭が下がります。

 

 亀太夫役をやる人は、代々、この熊野大社の近くに居を構える、ある家の人がやると決まっているそうで「今年はどんな悪態をついてやろうか」と、毎年楽しみにしているのだとか…

 また、過去に亀太夫神事に参加した出雲大社の神職さんが、出雲大社に戻った時に「いかに神事とは言え、つらいものがあります」と、ボソリとこぼした事があるとか(笑)

 

 本当、不思議な神事です。

 

 きっと、熊野大社側としては「うちは、出雲大社よりも格上である」という思いが強かったのだと思います。

 熊野大社の御祭神が素戔嗚神なのに対し、出雲大社の御祭神は、その娘婿に当たる大国主神(オオクニヌシノカミ)ですし、その割には、出雲大社の方がうんと目立っちゃっていますから、これくらいのストレス発散は、仕方ないのかも知れませんね。

 

 境内には他にも、稲田神社や荒神社などがありました。

 

 この後、今度は、上の宮が元々あった神社跡へと向かいました。

 普通、中々行かないような場所だと思うのですが、こういうマニアックな所が、ILU開運ツアーの魅力的な所ですね。

 

 

 確かに、ここには何にもないのですが、何かとても清々しい気が漂っているのを感じます。

 

上の宮跡には、それぞれの神社があった場所を示す石柱があります。

 

 伊邪那美神社跡、速玉神社跡、事解男神社跡、五所神社跡、八所神社跡、久米神社跡…

 

 もしかすると、この場所にはまだ、神様がいらっしゃるのかも知れません。

 

 

 大きなご神木がありました。

 何とも言えない、すごいパワーを感じます。

 

 この後、みんなで、この背後にある御笠山に登る事になりました。

 

 熊野大神は元々、熊野山の頂上に祀られていたのですが、御笠山の上には、その熊野山が見渡せる遥拝所があるとの事…

 

 ふと、自分が高所恐怖症である事を思い出したのですが、まあ、出羽三山の月山だって制覇しているのですから、大丈夫だろうと思い、登山に参加する事にしました(^^;;

 

 

 かなり急な斜面もあったのですが、月山の時の登山と比べたら、なんて事ありません(笑)     当たり前…

 

 途中、「明見水(みょうけんすい)」と呼ばれる御神水の滴る巨岩がありました。

 この水で目を洗うと眼病に効き、子供を産んだ女性がこの水を飲むと母乳が満ち足りるという、言い伝えがあるそうです。

 

 登る事、15分ぐらい…

 

 

 熊野山の遥拝所に到着しました。

 

 はるか彼方に見える熊野山…

 はるか昔、上の宮と下の宮に分かれるその前の熊野大社は、あの山の上にあったのですね。

 

 何とも感慨深いです。

 

 その後、山を下りて、また現在の熊野大社に立ち寄り、帰途につきました。

 

 

 意宇川に掛かった橋を渡って、バスの中へ…

 

 途中スーパーマーケットに降りて、みんなで買い出しをしたりして、今日の宿泊地である玉峯山荘へと向かいました。

 

 

 みんなで食べる、宿の夕食…

 旅の疲れが、一気に癒されます。

 思いっきり、出雲の地酒も堪能しました(^^)

 

 温かい温泉に入って、寝る前に、めいめいがスーパーマーケットで買ったお酒や食料を持ち寄って、直会を行いました。

 

 藤尾美友先生、藤尾先生のご主人とも、いろいろ語らい合ったりして、思い切り日本酒を飲みました。

 本当に楽しくて、最高のひと時でした。

 

 次回の旅行は、関東の東国三社のレイラインのツアーを行うとか、毎年のように、四国でお百度のツアーを行っているとか、いろいろと興味深いお話をお聞きしました。

 

 KさんもYさんも、その場にいらっしゃったのですが、調子に乗ってお酒をガブガブ飲んでいる僕を、心配してくれていました。

 翌日が仕事だったら、絶対にこの飲み方はありえないですけど、旅はまだ初日、これから始まったばかりですから(笑)

 

 宿泊部屋に帰った記憶がないくらいに飲んで、その夜はぐっすりと休みました。

 

 2日目の朝は、いよいよ出雲市入りして、素戔嗚が祀られている須佐神社から、参拝スタート…

 きっと、マニアックで稀少価値のある、すごい神社参拝巡りになる事、うけあいです。

 

 とっても、楽しみです!!

 

もし良かったら、クリックしてください(^^)