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京都はんなり旅日記 その6 ~祇園祭りの思い出~19.09.22

2019年9月22日(日)

 

 東京では、ここの所、急に涼しくなったせいか、僕は今、少しばかり体調を崩しています。

 

 まだ、お彼岸を迎える前だというのに、寒いし、咳は出るし、関節が痛いしで、毛布とお布団の中にブルブル震えながら、過ごしています(笑)

 

 メールの返信の結びに「季節の変わり目、体調を崩しやすい時期ですので…」なんて書きながら、まさに自分の状態だなぁ… と、苦笑いしています。

 

 でも、不幸中の幸いなのは、この3日間、大家のS君がOKなら、一緒に白山登山を決行しようと予定を空けておいた事です。

 

 まあ、S君の予定を聞く前に、自分の体調がこんな事になってしまうなんて、思ってもみませんでしたが、そういう意味では、予定変更もする事なく、家でゆっくりと休養を取る事ができて、本当に良かったです。

 

 前回は首が回らなくなって、今回は風邪の症状ですが、どちらがマシかといったら、絶対的に今回のほうがマシです。

 

 首が回らなくなってしまった時は、痛くてつばを飲み込む事も、横になる事もできず、本当、これは地獄の苦しみだと思ったものですが、今回は咳は出ても、ちゃんと横になって休む事ができてます。

 この2日間、ほとんど布団の中で寝ていますね。

 

 人間というのは、こんなにも眠れるものかと驚いていると言いますか、これまでの足りなかった睡眠時間を一気に取り返していると言いますか… まさに、そんな感じです。

 

 もちろん、時間に余裕がある訳ではなくて、早く復活して、上級編のテキストのブラッシュアップにさっさと取り掛からなくちゃなんですけど…

 

 さてさて、この京都はんなり日記は、「その3」が三条通り、「その4」が四条祇園、「その5」が五条清水と、うまい具合に構成できてしまったのですが、さすがに「六条」というと、ネタがありません。

 もちろん、当初からそういうつもりで京都滞在をしていたら、何かしら用意できていたかも知れないのですが…

 

 仕方ないので、今回はちょっと開きなおって、日本最大の祭りと言われる祇園祭を見た時の事について、書いてみようと思います。

 

 

 この日は、7月16日…

 祇園祭の前祭(さきのまつり)の宵山(よいやま)の日でした。

 

 午後6時になると、いよいよ歩行者天国が始まります。

 交通整理の警察の方が、車両の通行を止めて、いよいよお祭りムードに突入です!!

 

 宵山(よいやま)というのは、お祭りの前夜祭の事…

 7月17日に行われる前祭(さきのまつり)の山鉾巡行の前3日間である14日・15日・16日の事を、前祭の宵山と言います。

 

 Iさんから聞いた所、山鉾巡行の前日の16日が宵山、その前日の15日が宵々山(よいよいやま)、その前日の14日が宵々々山(よいよいよいやま)と、言うそうです。

 

 宵山というのは、祇園祭当日に街を巡行する、巨大な山鉾が、思う存分見る事ができるという醍醐味が味わえます。

 そして、前祭の宵山の時には、そこらあたり中に夜店が出て、本当に風情のある京の祭りの雰囲気を味わえるんです。

 

 

 山鉾と一括りにしてしまいましたが、おおよそ「山」と「鉾」の2種類に分かれます。

 

 一つは「鉾」と呼ばれるもので、平安時代の前期までは、全国で蔓延していた疫病を鎮めようと、悪いものを吸い取ると言われている鉾を、氏子が持って、町中を巡廻したのが始まりだとか…

 

 その鉾がだんだん巨大化して、今のように、すごい物になってしまったという訳です。

 

 この鉾は「長刀鉾(なぎなたぼこ)」と言って、毎年、山鉾の巡行の順番は、基本的にくじで決められるのですが、この長刀鉾だけは、くじを引く事なく、必ず一番前を巡行するという習わしになっています。

 

 祇園祭の全ての山鉾の中で、唯一、鉾の上に、美しく着飾った本物の稚児(ちご)が乗っているという鉾で(他の鉾は、稚児を象った木製の人形だったりする)、この稚児役の少年は、長刀鉾の代表者と形式的に養子縁組をし、7月1日に八坂神社(祇園社)に公式参拝をして、稚児に選ばれた事の報告をし、祭りの無事を祈るのが習わしで、それを以って、祇園祭のスタートとなります。

 

 つまり「長刀鉾」というのは、祇園祭において、ちょっと特別な山鉾なのですね。

 

 

 Iさんが、長刀鉾の中に入る事ができるというので、早速、入ってみました(^^)

 笛や鈴のおはやしが、何とも心地よく聞こえてきます。

 

 

 僕は、高所恐怖症なのですが、これくらいの高さなら、何とか許容範囲です。

 

 

 とは言っても、そこそこ高いですけど…

 

 でも、怖い以上に、京都のブランド鉾「長刀鉾」に乗っているというのが、感慨深いです。

 

 長刀鉾を降りて、少し歩いていくと、立派な傘がありました。

 

 

 一体これは、山(やま)なのか、鉾(ほこ)なのかと、疑問に思ったのですが、一応、鉾の仲間のようです。

 これは昔ながらの鉾の古い形態だとか…

 

 名前は「綾傘鉾(あやがさぼこ)」と言います。

 

 

 これは「岩戸山(いわとやま)」という山ですが、ほとんどの山は「舁山(かきやま)」と呼ばれている形の山なのに対し、前祭の中では唯一「曳山(ひきやま)」と呼ばれている山です。

 僕の素人目には、この岩戸山は、大きさからしても、鉾と全く見分けがつかないし、いっその事、鉾と呼んでしまっても良いのではないかと思ってしまうのですが、一応「山」です。

 

 

 近くに、岩戸山の展示資料館がありました。

 これは、まさしく、天の岩戸開きのお話をモチーフにしたもののようですね。

 

 でも、面白いのは、ここでは中世日本紀に基づき、天照大神(アマテラスオオカミ)は、美男子の男神として、表現されている事なんです。

 

 

 だんだんと、日が暮れてまいりました。

 これは、「芦刈山(あしかりやま)」…

 

 山というのは、基本、鉾よりもかなり小振りになります。

 

 

 そして、こちらは「蟷螂山(とうろうやま)」…

 僕はこの蟷螂山が、全ての山鉾の中で一番ユニークで、好きですね。

 

 「蟷螂之斧(とうろうのおの)」の故事にちなんで、からくり仕掛けのカマキリが動くのですが、ここからでは確認できません。

 

 今年はくじで、2番目となって、長刀鉾のすぐ後を進むらしいのですが、明日の巡行が楽しみです。

 

 

 酒樽が何とも、風情があって良い雰囲気です。

 これは「霰天神山(あられてんじんやま)」…

 

 ちなみに、この山がある住所はというと、「錦小路室町西入ル天神山町」なんです。

 

 さっきの蟷螂山は「西洞院四条上ル蟷螂山町」ですし、岩戸山は「新町仏光寺下ル岩戸山町」です。

 つまり、地域で作っていた山鉾の名前が、そのまま住所になった場所が多いという事です。

 

 

 この茅の輪は、山伏山の所にありました。

 もう、一つ一つに山鉾が、小さな神社みたいに扱われているんですね。

 

 さすが、祇園祭の宵山… スケールがでかいです。

 

 気がつくと、すっかりと日が暮れていました。

 

 

 これは「放下鉾(ほうかぼこ)」…

 夜の街に映える、山鉾の提灯が何とも言えない風情を感じます。

 

 

 だいたいぐるっと一周して、最後にたどり着いた山鉾が「函谷鉾(かんこぼこ)」でした。

 

 その日は、京都の街が、まるで過去の歴史に迷い込んだような不思議な雰囲気になっていました。

 

 

 

 ここは、四条通鴨川沿いの先斗町…

 今日の先斗町は、ものすごく賑わっています。

 

 この日は、Iさんと夕食を食べて、七条のマンスリーマンションに帰り、翌日の祇園祭の山鉾巡行当日、四条河原町の高島屋の前の巡行のメイン通りで、僕はじっと一人で、山鉾が来るのを待ち構えていました。

 

 

 真っ先に、四条河原町の交差点に、颯爽と入ってきたのは「長刀鉾」です。

 

 この「長刀鉾」こそが、京都祇園の山鉾の代表みたいなもので、中には、この鉾だけを見て、帰ってしまう人もいるくらいです。

 

 

 この長刀鉾は、重さ11トン、高さ25m…

 これを動かしているのが、全て人力だというから、本当に驚きです。

 

 

 そして、この長刀鉾こそが、祇園の山鉾の中で唯一、稚児と、金色のうちわを持った二人の禿(かむろ)を乗せている特別な鉾なのです。

 

 

 2番目にやってきたのは、蟷螂山…

 

 

 このカマキリが、からくり仕掛けで動くのですが、とてもキュートと言いますか、とにかく可愛いのです。

 

 京都の祇園祭にお越しになる方は、この蟷螂山は、ぜひチェックしてほしいと思いますね。

 浅野太志のいち押しの山鉾です。

 

 

 3番目にやってきたのは「芦刈山」…

 

 謡曲「芦刈」が、その題材となっています。

 家が没落して、貧しさのあまり、仲睦ましかった夫婦は離別し、やがて、妻は都で宮仕えをし、高貴な人の家に乳母として奉公します。

 3年の年月が過ぎ、生活が安定した妻は、従者を連れて、里帰りをしますが、夫は行方知れずになっていました。

 夫がいなくて落ち込む妻の為に、従者が「何か良い気晴らしはないものか」と、里の人に尋ねると「いつも芦を売りに来る、芦売りの男が面白い」との答えが返ってきます。

 従者がその男に会いに行くと、その男は、芦を売る姿に落ちぶれた身の上を嘆きつつも、芦を刈る風雅を語り、謡曲を唄い、見事な舞を見せます。

 

 従者からその話を聞いた妻は、従者に、男に芦を一本持ってきてもらうよう頼みます。

 そして、男は妻に芦を持っていくのですが、妻を一目見て、恥ずかしさのあまり小屋に隠れてしまいます。

 なんと、その男こそ、行方知れずの夫だったのですね。

 

 「どうか、姿を見せてください」という妻に「こんな姿をさらさなくてはならないとは、思い沈むばかりだ」という夫、「人の心はわからないもの。もしかしたら、昔の妻と別れ、新しい妻を迎え入れたという事なのでしょうか」と問い詰める妻に「例え身は落ちぶれても、愛してやまない本妻をないがしろにして、どうして他の女の事など考えられようか」と答える夫。

 

 やがて観念して出て来た夫に、従者が「これはめでたい。このまますぐに都に参りましょう。さあ、烏帽子をつけてください」と言って、ハッピーエンドに終わるというストーリーです。

 

 昨日の夜は、良く見えなかったのですけど、芦と鎌を持った夫である日下左衛門(くさかのさえもん)を、しっかりと見る事ができました。

 

 この「芦刈山」は、山鉾最古級であり、日下左衛門が着ている「綾地締切蝶牡丹文様片身替」は、国の重要文化財にもなっています。

 

 

 次にお目見えするのが、「木賊山(とくさやま)」です。

 

 世阿弥の謡曲「木賊」が題材で、我が子を賊にさらわれた翁が、信濃国に行って、賊を刈るというストーリーです。

 

 

 そして、また巨大な鉾がやってきました。

 

 昨夜、最後に見た「函谷鉾」も、夜の街で見るのと、こうして昼見るのとでは、まるで印象が違います。

「函谷鉾」は、春秋戦国時代の勇者・孟嘗君(もうしょうくん)が、函谷関に着いた時のお話が元になっています。

 

 

 これは「郭巨山(かつきょやま)」です。

 

 中国の故事の話で、貧困のあまり、郭巨は、思い悩んだ挙句、母と我が子を山に埋めようとしましたが、そこで黄金の釜を掘り当て、母親孝行をしたというお話です。

 

 この日の京都の温度は34度…

 この辺りになると、みんな山鉾を見るのをやめて、その場を去っていきました。

 

 だから、何となく混雑が少し解消されている気がします。

 この暑さですから、無理からぬ所ですね。

 

 

 次にやってきたのが、昨日も見た「綾傘鉾」です。

 

 前祭では、全部で23の山鉾が巡行します。

 という事は、後16山鉾の巡行が残っているのですね。

 

 

 これは、「伯牙山(はくがやま)」…

 

 中国・周の時代の事の名人・伯牙が、自分の理解者である鐘子期(しょうしき)の死を嘆き、琴の弦を絶ったという故事から来ています。

 

 

 そして、これが「菊水鉾(きくすいほこ)」…

 

 町内にあった井戸である「菊水井」が、きっかけになったそうです。

 

 

 これは「油天神山(あぶらてんじんやま)」です。

 だいたい「〇〇天神山」という名前の山は、この鳥居を乗っけた形になっているようですね。

 

 

 これは「太子山(たいしやま)」…

 

 聖徳太子を祭る山で、老人に大杉の霊木を教えられ、六角堂を建てたという伝説が元になっています。

 

京都はんなり旅日記 その5 ~五条清水探訪記~19.09.12

2019年9月12日(木)

 

 関東を直撃した台風15号も、無事に温帯低気圧と変化して、日本を通り過ぎていきました。

 

 僕は、この台風が来る直前、山形県の出羽三山(羽黒山・月山・湯殿山)に行っていたのですが、人生初の本格登山は思った以上にハードで、まだ、体が悲鳴を上げています。

 登山というのは、上りよりも、下りの方がハードですね。

 

 特に、高所恐怖症の人は(笑)

    もしも、白山を一人で登っていたら、下りて来られなかったと思う…

 

 でも、無事に出羽三山の3つの神社(羽黒山神社・月山神社・湯殿山神社)を参拝し、にわかには信じられないようなお陰まで頂いて、気持ちだけは、ものすごくリフレッシュしています!!

 

 また、旅行の内容は、次のメルマガや、この「京都はんなり日記」の連載が終わった後に、ブログに載せようと思っています。

    おそらくブログの連載は、かなり後になってしまいますが…

 

 そんなこんなで、月日はどんどん過ぎて行って、京都の思い出も、だんだんと遠い過去になっていくのを感じます(^^;;

 

 前回のブログで、京阪電鉄で七条から三条まで行く途中には「清水五条」という駅と「祇園四条」という駅がある事を、ご紹介しました。

 

 清水五条駅の「清水」とは、言うまでもなく、清水寺の清水の事ですが、この清水五条駅から清水寺までは、かなり距離があって、歩くとだいたい30分弱ぐらい掛かります。

 

 そう考えると「清水五条」という駅名にする事自体、ちょっと無理があるのではないか… という感じですね(笑)

 

 ちなみに、僕が住んでいる七条から、一番手っ取り早く清水寺に行こうと思ったら、バスに乗るに限ります。

 

 直線距離で言えば、七条駅からでも、清水五行駅からでも、清水寺までの距離は、そんなに変わりなかったりします。

 つまり、ここ七条から清水寺まで、歩こうと思えば歩けます。

 30分ぐらい掛かりますけど…

 

でも、せっかくバスが走っているのですから、この日は、京都市営バスに乗って、清水寺へと観光をしてきました(^^)

 

 清水寺は、僕の書の師匠である野尻泰煌先生の「京都に行ったら、行ったら良い名所リスト」の中に入っています。

 

 そして、同じく野尻先生が勧める名所である「三年坂(産寧坂)」も、清水寺から歩いてすぐの所にあります。

 

 七条駅の停留所から、清水寺に一番近い停留所の「五条坂」まで、バスで約8分…

 あっという間に、清水寺に着いてしまいました。

 

 

 大方の予想通り、大変混んでおります(笑)

 写真は仁王門ですが、この程度の混み具合だったら、まだマシな方で、もしも、修学旅行生の団体とぶつかってしまおうものなら、前に進めないような状態になります。

 

 まあ、清水寺と言えば、京都の観光名所の中でも、誰もが知る超有名な仏閣ですから、仕方ありませんね。

 

 

 向かって右側にある、西門(さいもん)の方に、歩みを進めてみました。

 

 西門の後ろに見えるのは、三重塔です。

 

 現在の西門と三重塔は、江戸時代初期の1631年に、徳川家光の命により再建されたものです。

 

 

 こちらが三重塔…

 

 こちらも、徳川家光の命により、大火で失ったものを1631年に建て直したのですが、400年近くになるのに、なぜこんなにきれいなのかと言えば、これまでに幾度にも渡って、修復作業をしているからなんですね。

 一番最近では、4年前の2015年に修復作業が入っています。

 

 そして、この三重塔のすぐ近くの隋求堂(ずいぐどう)には、「胎内めぐり」というのがあります。

 

 胎内巡りの拝観料は、たった100円…

 きわめて良心的な価格です(^^)

 

 以前、清水寺を訪れたことがある方は、「えっ、そんなものあったっけ…」と思われた方もいらっしゃると思います。

 それもそのはず、この胎内巡りは、2000年からスタートしていますから、それ以前は行われてなかったのですね。

 

 何だか面白そうなので(←失礼)早速、僕もトライしてみました。

 

 受付の方に説明を聞いて、早速、中に入ると、真っ暗で、光が完全に遮断されているので、本当に何も見えません。

 完全な闇という感じです。    真っ暗、「剣の9」よりひどい闇(笑)

 

 ただ、壁に着いている数珠を触りながら、手探りで前に行くしかありません。

 言うまでもなく、写真撮影は厳禁です。

 

 途中、何ヶ所かある緩やかなカーブを曲がりながら、前に進んでいくと、ボンヤリとした光の中に、梵字が書かれている石(随求石)を見つける事ができます。

 この石をなでながら、一つだけ願い事をすると、その願いが叶うとの事…

 

 「どういう形でも構わないから、天の神様のお役に立つお役割をさせてください」 と、祈っておきました。

 

 そして、また真っ暗な道をたどって、元の場所に戻ってくるのですが、中々これは良かったです。

 母親の胎内に戻って、もう一度、生まれ変わったかのような気持ちになります。

 

 さてさて、清水寺で一番有名なものと言えば、なんといっても「清水の舞台」…

 

 

 でも、残念ながら、只今、その「清水の舞台」のある本堂は改修工事中…

 シートで、すっかり覆われてしまっていました。

 

 「清水の舞台から飛び降りるつもりで…」という言葉は、思い切って何かをする時に、よく使われる言い回しですが、過去には本当に、この清水の舞台から飛び降りた人が、何人もいたそうです。

 あの言い回しは、決して、ただの比喩表現ではなかったのですね。

 

 江戸時代には「清水の舞台から飛び降りて、もしも生きていれば、自分の想いが添い遂げられる」みたいな噂があり、これまでに200人ぐらいの人が、この12mもある舞台から、実際に飛び降りているそうです。

 

 しかし、江戸時代は現代と違って、地面の土もアスファルトで固められていないし、樹木もいっぱい茂っていたので、一命を取り止めた人も、案外、多かったそうです。

 その人達の想いが、本当に添い遂げられたかどうかは、知る由もありませんが…

    どういう訳か、傘をさして飛び降りる人が多かった(江戸時代の歌舞伎の影響)

 

 あまりにも、ここから飛び降りる人が多いので、明治5年には、当時の京都府により「飛び降り禁止令」が発令されたとか…

 

 

 本堂の舞台には上がれなかったので、向こう側にある奥の院の舞台から、下を見下ろしてみました。

 

 奥の院の舞台も12mの高さですから、本堂の「清水の舞台」と、全く同じです。

 

 こ、こわいです…

 こんな所から、絶対に飛び降りたくありません。

    まあ、吹きさらしのエッフェル塔の上の怖さよりは、はるかにマシですけど…

 

 奥の院を出て、清水寺の起こりとなった「音羽の滝」へとめぐり、その後、子安塔へと向かいました。

 

 

 さっき出てきた三重の塔に、非常によく似ていますが、別物です(笑)

 

 この子安塔は、聖武天皇と光明皇后が安産祈願の為に参詣し、無事にお子を授かったお礼に建てた塔だと言われています。

 

 そして、この後行く事になる三年坂(産寧坂)は、この子安塔にある御本尊・子安観音へ参詣する為の参道だったそうです。

 

 子安塔から、来た道を少し戻って、奥の院と本堂の間の階段をどんどん上に上がっていくと、そこは神社になっていました。

 

 

 地主神社… 「じぬしじんじゃ」ではなく「じしゅじんじゃ」です。

 決して、地主さんの為の神社ではありません。    …当たり前

 

 ものすごくきれいな神社だったので、最初、最近出来た神社かな… と思ってしまったのですが、歴史は思いのほか古く、奈良時代より前から本殿があった可能性があるようです。

 

 そして、現代の社殿は、1633年に徳川家光が再建したものです。

 

 ご神徳は、何と言っても「縁結び」…

 地主神社の主祭神は、出雲大社と同じ大国主命(おおくにぬしのみこと)で、境内には「因幡の白うさぎ」の話にちなんで、大国主命とうさぎの銅像があります。

 

 入ってみたら、若い女性でごった返していて、どう見ても場違いな存在だったので、そそくさと出てきました。

 

 

 ここは、百体地蔵堂…

 中には、百体ものお地蔵さんがいらっしゃいます。

 

 子供を失くした親達が、夏の地蔵盆会に集まって、たくさんのお地蔵さんの中から、自分の子供にそっくりな地蔵を探して拝んでいたと言います。

 

 清水寺の境内を出て、次なる目的地「三年坂」へ

 

 

 この場所も、野尻先生のおすすめの場所の一つです。

 

 三年坂は、何とも言えない京の風情を味わえる場所でした。

 

 清水寺を後にして、来た時に使ったバス停が、どこだったかわからなくなってしまったので、たまたま案内表示の標識にあった清水五条駅に向かって、歩いていく事にしました。

 

 その途中、偶然にも、とっても素敵な神社を見つけてしまいました。

 

 

 若宮八幡宮社… 「永遠の美の神」と言われている神社です。

 

 ここで授与されている美の鏡御守りは、美をあやかれるように特別に御祈願したものだそうで、女性に大人気だそうです。

 

 四条・八坂神社の摂社「美御前社」、そして、五条のこの「若宮八幡宮社」さらに、また次の機会にブログに書こうと思いますが、下鴨神社内の「河合神社」の三社を巡れば、美しさを求める女性にとって、最強の神社ツアーになるはずです。

 

 

 僕が、この若宮八幡宮社に行った時は、ほとんど人がいませんでした。

 

 この神社が「美の神社」になった理由は、御祭神として祭られている神功皇后(じんぐうこうごう)が、身も心も美しく、凛々しかったから… とか。

 

 神功皇后が実際に実在したかどうかは、若干、疑わしい部分もなくはないのですが…

 

 神功皇后は仲哀天皇(ちゅうあいこうごう)の妻であり、仲哀天皇とは、あのヤマトタケル(日本武尊)の子供なのですが、古事記に書かれている所によれば、神功皇后にくだった神のご神託を信じようとしなかった事から、仲哀天皇は神に祟られて、琴を弾いている途中、いきなり崩御してしまうんです。

 

 その後、神功皇后は、お腹に子供(のちの応神天皇)を宿したまま、夫のあとを継いで、反乱を起こした九州の部族を従わせる事に成功し、さらにご神託に従って、朝鮮半島に攻め入って、新羅・百済・高麗の国々を服従させてしまうというお話です。

 

 神功皇后の活躍は、ヤマトタケルの武勇伝と比べても、まるで遜色ありませんし、日本史史上、これほどまでに気高くたくましい女性は、他にいないでしょう。

 

 とはいえ、神功皇后の容姿の事なんて、文献には一つも書かれていないと思うのですが、まあ、概してアクティブで凛々しい女性というのは、輝いていて美しいものです。

 

 

 この石は、蓬莱石と言います。

 

 足利尊氏が病気平癒を、若宮八幡宮社に祈った時、無事に快癒した事により、献上した品の一つと言われています。

 

 ちなみに、僕が野尻泰煌先生から頂いた書の雅号は、“豊峰蓬莱”です。

 なんか、この石にすごく親近感を感じるのですけど…

 

 

 若宮八幡宮社の中にある、ピカピカに磨かれた鏡…

 

 「身も心も美しく」という言葉に、身が引き締まる気持ちになります。

 

 若宮八幡宮社を後にして、五条通りをまっすぐ歩いていくと、やがて京阪電鉄の清水五行にたどり着きました。

 

 五条清水をあちこち探訪して、素敵な思い出がいっぱいできました。

 

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京都はんなり旅日記 その4 ~四条祇園は夢のあと~19.09.01

2019年9月1日(日)

 

 皆さま、お久しぶりです。

 ブログの記事のアップの間隔が、またしても、ものすごく開いてしまい、ご心配をお掛けしました。

 

 実は、この2週間の間、本当にいろいろな事がありまして…

 鑑定や講座で、お会いになった方は、もうご存知の事とは思いますが、実は、首の筋を痛めてしまい、ずっと、首にコルセットをしていました。

 

 格好悪いし、余計な心配を掛けるので、正直したくなかったのですが、結構、痛みが深刻で、コルセットが外せなかったのです。

 

 こうなってしまった直接の原因は、時間に追われながら「四柱推命講座・上級編のテキスト」の大規模加筆をしている時…

 

 眠ってしまう前に、少しでも四柱推命の資料を頭の中にインプットしようと、枕を二つ折りにして、資料を読み続けて、限界になってそのまま眠ったら、朝、ものすごく首に違和感を覚えました。

 

 そして、その日は一日中ずっと首が少し痛かったのですが、何せ、テキストを作る時間に追われていたので、その日の夜も、また、同じように、枕を二つ折りにして、資料を読みながら寝てしまったら、そのあくる朝、もう首があまりにも痛くて、少しも動かせなくなってしまったのです。

    つまり、懲りる事なく、同じ過ちを繰り返した自分が悪い…

 

 それからというもの、食べ物を喉に通す度に、首に激痛が走るので、缶ジュースをアゴを上げて飲み干す事もできないし、丸亀製麺の1杯のうどんを食べるのにも、30分以上掛かってしまうという有様でした。

 

 そして最後は、つばを飲み込むだけでも、首筋が痛いので、言葉もちゃんと話せなくなってしまいました。

 

 丸亀製麺の帰りに、すぐに中野坂上の近くにある形成外科に駆け込んだのですが、ロキソニンと首のコルセットをもらったものの、特に注射を打ってもらえる訳でもなく、首を動かすと激痛が走るので、夜、眠る事さえ、できなくなってしまいました。

 

 これはまずいと思って、すぐさま、中級編の受講生でもあるMさんが勤める銀座の治療所に、予約を入れました。

 

 そんなこんなで、満身創痍の状態で、四柱推命講座・上級編の当日を迎えた訳ですが、僕が本当に運が良かったのは、その講座に体のスペシャリストで、埼玉でケアマッサージをしているCさんがいらした事…

 

 講座が終わった後に、Cさんに、僕の体を徹底的にケアして頂いたおかげで、めちゃくちゃ楽になって、その日の夜は、ぐっすりと眠る事ができました。

 

 そして、その翌日、サロン ド シルフィーユにいらしてくださった、マモル堂西光路マモル先生に、首のケアをやって頂いたら、わずかに残っていた首の痛みもスーッと消えていきました。

    なんと、西光路マモル先生に、僕の鑑定の事を、8月31日のブログに載せて頂きました!!

 

 さらに、僕が首を痛めている事を聞きつけてくださった高天麗舟先生が、首の筋の痛みを消すレメディーを、郵送で送ってくださいました。

 そのレメディーを飲んだら、もう全然、痛みが気にならなくなってしまいました。

 

 そして、予約を入れた銀座の治療所に行ったら、A先生から体全体にエネルギーを注入して頂いて、首を痛める前よりも、めちゃくちゃ元気になりました。

 

 そんなこんなで、本当に、この2週間は、ブログの方に気が回らなくなってしまったのですが、僕にとって、健康というもののありがたみを、ひしひしと感じる事ができた貴重な期間でした。

 

 ふと、気がつけば、京都から戻って、もう1か月近くが経っているのですね。

 

 京都で、僕が住んでいた場所は、京阪電鉄の七条駅の近く…

 前回は、三条通りの事を書いたのですが、僕の住んでいた七条の駅から、三条の駅まで行くには、「清水五条」という駅と「祇園四条」という駅があります。

 

 つまり、七条から三条までに行くのに、五条と四条を通過していくという訳です。

 なぜか「六条」という駅はないですけど(笑)

 

 ちなみに、「清水五条」と「祇園四条」は、2007年までは、それぞれ「五条」「四条」と呼ばれていました。

 

 2008年に、四条駅が「全国ブランドの繁華街である祇園の中心に位置している」という理由から「祇園四条」と、五条駅が「名所・清水寺の最寄り駅である」という理由から「清水五条」と、駅名を改称されたんです。

 

 まあ、これは、京都市営地下鉄にも「四条」とか「五条」という駅があるので、利用する人が混同しないように、京阪電鉄が気を遣って、これらの駅の名前を変えたという理由も、あるとは思うのですが…

    おけいはん、ほんに おおきにどす…

 

 それはさておき、四条通りと祇園とは、やっぱり密接な関係があるようです。

 

 四条通りを東へと、鴨川に掛かる四条大橋を渡って、さらに進んでいくと、そこは祇園の交差点…

 

 

 この交差点の先には、明治以前には「祇園社」と呼ばれていた「八坂神社」があります。

 昔は、この四条大橋から、現在の八坂神社の場所までが、祇園社の参道でもあり、この辺りは、神社の敷地内だったのですね。

 

 今では、おしゃれな繁華街となってしまっていますが…

 

 

 ちなみに、八坂神社のすぐ近くに、この「よしもと祇園花月」があって、ここに時々、桂文枝さん(元・桂三枝さん)や、宮川大助・花子さんなんかも、来るらしいです。

 

 この建物、吉本興業の劇場になる前は、なんと、映画館やディスコだったそうです。

 

 どちらにしても、今から200年前の江戸時代の人からしたら、まさか由緒ある祇園社の境内に、こんなビルができるなんて、信じられない事だと思いますね。

 

 反対に、四条通りをどこまでも西へ西へと進んでいくと、桂川という川に、ぶつかります。

 そして、その桂川の橋を渡ると、松尾大社があって、その摂社には、京都の月読神社があるんです。

 

 今回、この月読神社にも、ずっと参拝したいと思っていたのですが、残念ながらスケジュールが取れず、断念しました。

 

 桂川を背にして、四条通りを東に進んでいくと、阪急京都線の「西院」の駅にたどり着きます。

 

 ここには「高山寺」という、安産祈願のお寺があります。

 前々回のブログで書いた足利義政の正室・日野富子が安産祈願をした所、無事に元気な男の子を授かったと言います。

 

 まあ、この男の子(足利義尚)と、足利義政が還俗させて呼びつけた弟(足利義視)との後継者争いから、応仁の乱になってしまう訳ですから、本当、禍福はあざなえる縄のごとしです。

 

 さらに東に進んで、四条大宮あたりまで行くと、「餃子の王将」があります。

 

 

 この「餃子の王将」は、ただの「餃子の王将」では、ありません。

 

 なんと、この四条大宮こそが「餃子の王将」の発祥の地であり、この「餃子の王将」こそが、記念すべき第1号店だったのです!!

    と思いつつも、結局、食べず終まいになってしまった…

 

 この四条大宮の辺りは、壬生の屯所の「八木邸」があります。

 すなわち、この辺りは、京都の新選組の本拠地としても、有名なんです。

 

 ちなみに、僕は一時期「壬生明生」という鑑定師ネームを使っていた事があるのですが、実はこの「壬生」から取っています。

 まあ、自分の日主が「壬」だからというのも、ありますけど…

 

 四条大宮をさらに東に進むと、四条烏丸(しじょうからすま)、そして、さらに進むと、四条河原町(しじょうかわらまち)

 

 歴史通の人は、三条河原とか、六条河原とかいうと「ああ、あの処刑場がある場所ね…」となると思うのですが、四条河原は、その中間に位置するも、そういう陰気なイメージは全くありません。

 

 祇園であるだけに、四条河原町は、やっぱり華やかです。

 

 また、次の機会に書こうと思いますが、今回の京都滞在で、日本最大級の祭りである「祇園祭」を見てきました。

 その時に、巨大で優美な山鉾が、この四条河原町の交差点で、人の力だけで90度ぐるっと進行方向の角度を変えるのが、本当に見事でした。

 

 

 四条河原町から鴨川の方向へ向かいつつ、左を見ると、京都先斗町(ぽんとちょう)への入り口があります。

 

 「富士の高嶺(たかね)に振る雪も」

 「京都先斗町に降る雪も」

 「雪に変わりは、ないじゃなし」

 「溶けて流れりゃ、みな同じ」

 

 この歌は「お座敷小唄」という古い歌ですけど、禅の境地のようなものを、唄っているようにも思えて、僕は、すごく好きですね。

 

 先斗町は、京都の有名な花街で、風情たっぷりの路地裏…

 

 昔ながらの料亭の老舗もあって、鴨川の流れを眺めながら、最高級の料理やお酒を味わえるという名所です。

 

 

 四条大橋を渡ってすぐに、右手に見えるのが、宇治茶の老舗「辻利(つじり)」…

 

 一時期、日本中に辻利のお茶のペットボトルが出回りましたが、まさに、このブランドです。

 

 ただ、辻利といえども、この「辻利一本店」系列の他に「祇園辻利」というお店があって、同じ系列ではありますが、別物です。

 あと「都路里(つじり)」というのもあって、混乱させられます。

 

 この都路里とは、辻利一本店の中にある茶房の事で、実はこのお店の2Fこそが、都路里の店舗になっているのです。

 しかも、お茶だけではなく、うどんや、もり蕎麦や、かき氷やわらび餅なんかまで、いろいろとあります。

 

 早速、2Fの都路里に行って「白川」セットを注文しました!!

 

 

 緑三昧の食事に、満足満足(^^)

    なんか、この緑のおそば見てたら、ミクカフェ思い出した…

 

 老舗だけあって、抹茶の味がものすごくまろやかで、最高の味わいでした。

 

 

 辻利を出て、さらに東に入っていった所に、眼病予防に効くと言われる「めやみ地蔵」がありました。

 

 老眼が良くなるように、参拝しました。

    年齢のせいだから、どうにもならないって…

 

 そのまま、少し東に行くと、何とそこに、ながいつばささんが勧めてくれた、あんみつ処「月ヶ瀬」がありました。

 

 

 つばささんから、「月ヶ瀬のあんみつを、ぜひ食べてみてください」と言われていたので、早速、入ってみる事に…

 

 

 豪華な「抹茶アイス入りあんみつ」に、思わず感激です!!

 

 あんみつの味も、最高に美味しいです。

 優雅な時間を独り占めしてしたような、うっとりした気分になりました。

 

 そうそう、先日、真藤昌瑳煕先生がプロデュースする「四柱推命講座DVD」の撮影があったのですが。その時、前もって、つばささんから、一緒にユーチューブの撮影をしましょう… と誘われていたのです。

 

 つばささんも、四条大宮に住んでいた事を思い出して、自分なりにイメージして、京都のアイテムなんかを揃えようと、朝、急いで買い物をしていたのですが、どうしても欲しいものが見つからず、結局、撮影に遅刻するという大失態をしてしまいました。

    本当にごめんなさい…

 

 そんな訳で、結果的に、つばささんのユーチューブには、僕は写真でしか出ていないのですが、すごく良い出来の動画になっていますので、ぜひご覧になってみてください。

 

 ながいつばさのYoutubeセラビー

 「占い師のアシスタントしてみた    Kさんが持ってきたデーツネタ、良かった…

 

 つばささんのユーチューブの動画は、どの動画も面白くて、なんか、はんなりするので、すごくお勧めです。

 

 つばささん一押しの「月ヶ瀬」を出て、さらに祇園の交差点へと向かって、そのつきあたり…

 

 

 この神社こそが、かつて「祇園社」と呼ばれていた「八坂神社」です。

 

 日本人の誰もが知る「祇園祭」は、この八坂神社の祭礼なのですね。

 

 八坂神社は、今でこそ素戔嗚(スサノオ)が祭られている神社で通っていますが、それは神仏習合の結果で、元々は「牛頭天王」という祇園精舎の守護神が、祭られていました。

 

 八坂神社は、じわっと心が暖かくなるような、素敵な神社でした。

 

 

 さらに、八坂神社の後ろに回り込むと…

 

 

 そこには、京都のIさんが、こっそりと僕に教えてくれた、宗像三女神の「美御前社」がありました。

 

 ここは「美のパワースポット」としても有名で、境内で湧いている天然の美容水は、地元の舞妓さん・芸子さんや、化粧品業界の人や、美容理容関係者などから、あつく信仰されているとの事…

 

 そして、この美御前社に、全国から訪れる女性参拝者が、後を絶たないそうです。

 

 

 この時は、雨が降っていたので、誰も参拝客はいなかったのですが、この美容水を求めて、全国からいらっしゃるのですね。

 

 僕も若返ろうと、美容水を、思いっきり顔につけてきました(笑)

    今の所は、まだこれといった変化はないようです…

 

 四条通りは、京都市の中心部を走るメイン通り…

 

 こうして瞳を閉じると、四条通りの思い出と共に、祇園四条の通る山鉾と一緒に、鳴り続ける祭囃子の笛や鈴の音が、今でも聞こえてくるようです。

 

 四条祇園は夢のあと…

 

 素敵な京都の思い出が、また、一つ増えました。

 

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京都はんなり旅日記 その3 ~三条通り散策記~19.08.19

2019年8月19日(月)

 

 お盆を過ぎたというのに、ここの所、猛烈に暑い日が続いています。

 皆様、いかがお過ごしでしょうか。

 

 今年は、梅雨が長引いていたせいか、7月の下旬までは、すごく過ごしやすくて、「何か夏らしくない」と思ったほどですが、今頃になって、急に暑くなった様な気がします。

 

 まあ、僕はそれでも、この夏という季節は嫌いではないのですが、ここの所、部屋のエアコンをしっかりと効かせて、時間に追われながら、山積みの仕事に取り掛かっています。

 

 次回の25日の上級編講座の時に「改訂版のテキストが、間に合っていなくて、本当にごめんなさい!!」などと、前回と同じセリフは言えないですから(笑)

    と、ここで宣言した限り、もう絶対に、言い訳できませんね…

 

 他の仕事は、極力後回しにして、クーラーを利かせた部屋にこもって、せっせと頑張っています。

 

 僕が、この京都に滞在していた期間は、7月10日から7月27日までの18日間…

 まだ、梅雨が、完全に明けきっていなかった時期でした。

 

 だから、京都では、ほぼ毎日、雨が降っていました。

 もちろん、朝から晩まで雨という日は、時々しかなかったですけど、だいたい1日に1回は雨が降ってきましたね。

 

 京都は、雨のせいで全然暑くなくて、とても過ごしやすかったです。

 

 京都から東京に帰ったのが、7月28日でしたが、その頃から、急に暑くなって、「京都は、本当に過ごしやすかったのに、東京というのは、何て暑いんだ…」と思ったのを、覚えています。

 

 本当は、京都の夏の方が、キツいはずなんですけどね。

 何せ、京都市は盆地ですし、埼玉の熊谷市、岐阜の多治見市と並んで、日本で夏に最も気温が上がる、三大都市の一つですから…

 

 京都でお世話になっているIさんからは「浅野先生が京都に来はってからは、ずっと雨ばっかどすなぁ…」と言われるほどに、本当、まるで、僕が雨男ではないかと、疑われてしまうほどに、雨ばっかりでした(笑)

 

 それで僕は、来る日も来る日も、雨に降られながら、「この京都の街は、泣いているのかも知れない」なんて、ちょっぴりポエムチックに、思ったりもしたんです。

 

 というのも、僕の方で一方的に、この京都の街を恨んでいたからなんですね。

 別にこの街は何も悪くないのに、僕の方から勝手に、二度と来たくないと思っていたといいますか…

 

 そんな僕の心を知って、こうやって仲直りできた事に、京都の街は、涙を流して喜んでいるような風に感じたんです。

 

 とはいっても、それはそのまま、僕の心の中の心象風景であって、この京都の街と和解できた事に、心の中で涙を流していたのは、多分、僕の方なんでしょうけど…

 

 Iさんから前もって、この街での暮らし方をレクチャーしてもらったので、18日間の京都滞在の間、すごく効率的に、あちこち移動したり、必要な用事を済ませたりする事ができました。

 

 京都という街は、碁盤の目のようにできていて、街の呼び名は、まるで将棋の棋譜のように、縦と横の名前の組み合わせで出来ているんです。

 

 

 細かい行き止まりなんかは省略して、かなり大雑把な地図にしていますけど、だいたい、上のような感じです(^^)

 

 将棋なんかですと、「☗7六歩、☖3二金(悪手 …振飛車される)」みたいに、縦と横の数字で、駒の位置を特定するのですけど、京都の街も、まさにこんな感じで、「烏丸御池」とか、「四条大宮」とか、縦と横の2つの通りを合わせた地名によって、その場所がだいたいどのあたりかが、わかってしまうのですね。

 

 この地図には載せていないですけど、寺町よりも東にも、新椹木町通、河原町通、木屋町通、川端通…と、東大路通まで続いています。

 このあたりになると、鴨川が流れているせいか、完全に碁盤の目には、なっていないようですけど…

 

 ちなみに僕が住んでいた所は、「七条川端」ですし、今回、四柱推命講座の会場をお借りした、メガネ屋さんのコルメ京都(kolme kyoto)の場所は、「三条柳馬場」です。

 

 つまり、コルメ京都に行くには、三条通を、柳馬場通の方向へずっと進んでいけば、たどり着けるという訳ですね。

 これは、Iさんから教えて頂いた事の受け売りですけど…

 

 「姉(あね)さん六角タコにしき…」という、あの聞き覚えのある手毬歌(てまりうた)は、「丸竹夷(まるたけえびす)」という題名なのですけど、姉は「姉小路通」、さんは「三条通」、六角は「六角通」、タコは「蛸薬師通」で、にしきは「錦小路通」という事なんですね。

 

 丸竹夷二押御池、姉三六角蛸錦、四綾仏高松万五条、雪駄ちゃらちゃら魚の棚、六条三哲通りすぎ、七条越えれば八九条、十条東寺でとどめさす♪

 

 この謎めいた歌は、それだけでミステリアスなので、「名探偵コナン」の映画のテーマに出てきたりとか、古くは、「必殺仕事人Ⅴ激闘編」の時代劇のストーリーの中に出てきたりとか、色々と、取り上げられますが、実は、京都市の東西に走る通りを、北から南に順に唄ったものだったのです。

 

 Iさんから、僕が「七条川端」にあるマンションから、講座会場の「三条柳馬場」まで、無事に行けるように、しっかりとレクチャーして頂きました。

 

 僕のマンションの最寄り駅「七条」は、京阪電鉄の駅…

 

 僕が、東京でいつも利用している丸の内線の電車の中に、たまに、下のような京阪電鉄の広告が貼られるんです。

 

 

 今回、京都に行ってみたのですが、残念ながら、こんな大勢の舞妓さんがプラットホームに立ち並ぶ風景は、一度も目にする事は、ありませんでした(笑)

    この広告によって、関東圏の住人は、あらぬ妄想を抱きながら、京都に来る事となる…

 

 僕のマンションの最寄り駅「七条」から「三条」まで行こうと思ったら、この京阪電車で一本で行けます。

 

 本当、今回の京都滞在は、京阪電車のお世話になりました。

    おけいはん、おおきにどす…

 

 

 …という事で、いきなりですけど、三条駅に着きました(^^)

 

 三条周辺には、いろいろなものがありますが、名所と言えば、やっぱりこれ…

 

 

 村野大衡先生も、ブログの記事の中で紹介していましたが、これぞ勤王の志士・高山彦九郎像です。

 

2019.7.28. ほのぼの占い師 “村野大衡”ブログ「風雲児たち

 

 実を申しますと、僕は恥ずかしながら、この像を見るまで、高山彦九郎がどういう人なのかという事を、全く知りませんでした。

 

 高山彦九郎は、寛政時代に活躍した「勤王志士の元祖」と言っても良い人物で、後の時代の志士である吉田松陰らに、多大な影響を与えた勤王志士です。

 

 ちなみに、地元の若い人達には、この像は「土下座」と呼ばれているとの事…

 例えば「今度の土曜日さぁ、三条京阪の『土下座』の前で待ち合わせね~」みたいに、呼ばれるそうです。

    高山先生~ せんないねぇ ううっ(涙) By 吉田松陰

 

 ちなみに、高山彦九郎さんは、決して土下座をしている訳ではなく、帝の住まう京都御所に向かって、拝礼をしているのですが…

 

 Iさんから、三条駅周辺の施設を、いろいろと案内して頂きました。

 

 

 これは、京都府立図書館です。

 

 図書館ですから、たくさんの本が置いてありますし、自習室もあります。

 だから、本を調べながら、仕事をしたい時には、最高の場所なのですが、今回はなかなか時間の余裕ができず、この時一回だけ行ったきり… となってしまいました。

 

 そして、歴史通には、たまらない場所がここ…

 

 

 明智光秀の首塚です。

 

 とは言っても、この下に光秀の首が埋まっているというのは、かなり疑わしいですけど…

 

 明智光秀は、本能寺の変で織田信長を討った後、羽柴(豊臣)秀吉に、山崎の合戦で敗れ、坂本城に落ち延びる途中、落武者狩りの野武士に竹槍で刺され、死亡した事になっています。

 とはいえ、光秀の最期は、諸説あって判然としないのです。

 

 

 これは、三条を横切る白川…

 風情ある、柳並木が魅力的です。

 

 京都を流れる川には、鴨川、高瀬川、白川と3つありますが、鴨川は大きな川ですが、白川と高瀬川は、簡単に向こう岸にわたれるような小川です。

 

 という訳で、三条駅から、四柱推命講座の講座会場がある三条柳馬場のコルメ京都まで、行ってみました。

 

 

 まずは、この三条名店街の中に、入ってですね…

 

 そこから10分ぐらい、ひたすら真っすぐ進み、商店街を抜けて、左側にあるYMCAのビルの角を曲がると、そこは三条柳馬場通り…

 

 最初にコルメ京都に行った時は、最寄駅の烏丸御池から、地図を見ながら、迷いつつ行ったのですが、こんな簡単に行ける方法があったとは!!

 

 

 そして、ながいつばささんが勧めてくれた、喫茶店「イノダコーヒー」が、なんと、コルメ京都の目と鼻の先にありました!!

 

 講座の始まる前に、つばささんお勧めのモーニングセットを食べて、腹ごしらえしようと、入ってみました。

 

 

 すごく、おしゃれで豪華なモーニングセットに、度肝を抜かれました!!

 味も、最高に美味しいです。

 

 一人でフラフラと喫茶店に来て、こんな贅沢をしていていいのか… と思うほどに、美味しかったです(笑)

 

 もしも、誰かと大切な人と一緒に朝食をするのなら、絶対にこれはお勧めです。

 

 腹ごしらえも、しっかりとしてと…

 

 

 講座開始の時間まで、まだ少しあります。

 

 せっかくだから、お世話になっているコルメ京都で、眼鏡を作ってもらおうと思い立ちました。

 

 実は僕、最近、近くの文字が見えなくて、本を読もうとすると、字がかすむのです。

 少しだけ本を、目から離すと、見えるのですが…

    これ、老眼じゃないですよね …いや、明らかに老眼の症状です(涙)

 

 だから、ずっと、いつか眼鏡が欲しいなあ… と思っていました。

 

 店長さんに相談して、すぐに目の検査をしてもらい、初めてのMy眼鏡をオーダーしました。

 

 そして、できあがって来た眼鏡がこれ…

 

 

 この眼鏡を掛けたら、本を読む時、漢字のフリガナまでしっかりと見えるようになりました。

 コルメ京都の店長さん、ありがとうございます!!

 

 でも、近く専用で度数を合わせてあるので、掛けたままだと、危なくて道を歩けません(笑)

 

 

 さて、四柱推命講座のお時間…

 

 集まってくださった皆様、本当に本当にありがとうございました。

 

 今、京都での事を振り返ると、本当に夢のような、はんなりとした優しい気持ちになります。

 

 あの三条通りの界隈に、いつかまた、行きたいです!!

 

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