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つかみどころのない話18.05.26

2018年5月26日(土)

 

 慌ただしく月日が過ぎて、もう5月も終わりなんですね。

 

 今月は 僕にとっては、連日の講座や、「四柱推命講座・初級編DVD」の発売で、本当にせわしい月でした。

 

 といっても本当に大変だったのは、僕よりもむしろ、DVDのパッケージのデザインや、お客様の注文の受注や発送に手間暇を掛けてくださった真藤昌瑳熙先生とスタッフの方のほうですね。

 

 こうしてDVDの夢が現実になった事を、心から感謝しています。

 

 このDVDの企画は、2年ぐらいの間ずっとストップしたまま動かなかったので、僕の中では、つい最近まで「おそらくこのDVDの発売はできないな…」ぐらいに考えていたのですが、本当、せきを切ったように急に話が進んでいきました。

 

 物事の展開というのは、本当にわからないものです。

 

 もしかしたら、この2年の間に、目には見えない気のようなものが少しずつ熟成されていて、それが今になって、結実したのかも知れません。

 

 僕が思うに、この世の中の出来事というのは、日常の世界の水面下にある、目に見えないエネルギーのようなものによって、突き動かされているような気がします。

 

 それが何なのかは、うまく説明できないのですが、例えばそれは、人の思いだったりとか、天の意思だったりとか、そういうものが混ぜ合わさったものではないかという気がします。

 

 だからきっと、あるプロジェクトがうまくいくかどうかとか、誰と縁ができて、その人と結ばれるかどうかとか、そういったものは、現実の世界に反映される前に、その目に見えない世界で、大元のシナリオができ上がるんじゃないかという気がしますね。

 

 それを磁場と呼んだら良いのか、波動と言ったらいいのか、分かりませんけれど、その世界では全てのものがつながっているという気がするんです。

 

 「気がする」を連呼するのは、あくまでも僕の推測でしかないし、証明のしようがないからでもあるのですけど…

 

 それにしても、こういう類いの話はつかみどころがないし、だいたい、言葉を使って正確に説明する事自体、不可能ではないかと思います。

 

 科学の実験だったら、「硫黄(S)が燃えて、酸素(O2)と結合したら、二酸化硫黄(SO2)ができました」とか理路整然と言葉にできるのですが、こういう精神世界の話は、物質とはあまり関係ない所の話ですから、そういう訳にもいきません。

 

 そもそも、頭で理解する事ができる話でもないでしょうし、こういう類いの話を理路整然と知的に語ろうものなら、たちまち嘘つきになってしまうでしょう。

 

 だいたい、物質の体の器官である脳が認識できるような代物ではありませんから(笑)

 

 もしも、誰かが「それは、こういう事でしょう」と言いきった瞬間に、その人の認識や思い込みがそこに入って、それは正しくないものになってしまいます。

 

 だから、こういう類いのものを、言葉で伝えようと思ったら、なるべく具体例をいっぱい上げて、相手に想像してもらうぐらいしか方法がないように思いますね。

 

 これはきっと、心のような抽象的なものを語る時の言葉もそうだと思うし、もしかすると、誰かを励ましたり、アドバイスをしようとする時なんかに使う言葉も、同じ事なのかも知れません。

 

 確かに一般論としてだったら、言葉で語る事もできるのでしょうが、人の認識は人それぞれですから、そのアドバイスの言葉が相手の人にとって、どれだけの意味を持つのかは、全く見当がつきません。

 

 言葉の中にある程度、言葉を発した人の主観が入ってしまうのはいいとしても、例えば、誰かに励ましやアドバイスをする時なんかに問題になってくるのは、そこに、その人のちっぱけな思い込みや、思惑やエゴが入ってしまうと、それが、相手にとって不快なものになってしまう事すらある事です。

(2012/5/23ブログ 「人の価値観はそれぞれ違う」 参照)

 

 もちろん、そういった思い違いが多少入り込む事を覚悟の上で、誠心誠意、相手の事を思って言葉を発しているのであれば、それでも伝わる事はあるとは思いますが…

 

 ただ、言葉というものは、時に相手の心を傷つける刃物になってしまうのも確かですから、やっぱり取り扱いは慎重にしなければいけないと思うんですね。

 

 だから、自分の感情のままに、人に対して失礼極まりない暴言を吐くような行為は、決して許されるような事ではないし、たかが言葉なんだから、それで相手が傷つこうが傷つくまいが、そんなの関係ない… などと開き直るのは、もっての他だと思うんです。

 

 それだけ慎重に気をつけていても、知らず知らずの内に、言葉で人を傷つけている事だって、あるのかも知れないのですから…

 

 自分は相手の為を思ってアドバイスをしたつもりなのに、かえって相手から恨まれてしまった… という経験がある人も、いらっしゃるかも知れません。

 

 僕も、過去にそんな苦い経験があります。

 

 今、その頃の自分を反省してみると、知らず知らずに、傲慢な言い方になっていたり、生意気な物言いになっていたり、恩着せがましい言い方をしてしまっていたような気がしますね。

 

 本当に、反省です。

 

 それで、その時の自分の心の中を分析してみると、「自分が、相手の間違っている部分を変えてやるんだ」とか、「自分の方が、相手よりも上なんだ」みたいな、鼻持ちならない自分がいたりする…

 

 だいたい、「自分が、相手の間違っている部分を変えてやろう」なんて、思い違いもはなはだだしいし、その考え方自体おこがましいのですが、その頃の僕には、まるでそれに気づけませんでした。

 

 もしも、仮にそんなやり方で本当に人が変わったとしたら、それは本当にその人が変わったのではなくて、ただ目の前のその人が、自分に隷属しているだけに過ぎませんし、それは、決して良い状態ではありません。

 

 とどのつまり、自分にできる事と言ったらせいぜい、目の前の人に何かしらのきっかけを与えて、その人が成長する為のお手伝いをさせて頂く事ぐらいのものです。

 

 人が成長して変わる事ができるのは、何かしらのきっかけは与えられたとしても、結局の所、その人自身が内面に持っている力と、その人を取り巻いて守ってくれているエネルギーの力によるものだと思います。

 

 もちろん、自分だってその人を取り巻いているエネルギーの一部なのだから、厳密な意味で「自分が相手を変えた」と言っても、間違いではないと思うのですが、その自分というのは、潜在意識の深い部分(ユングが言う普遍的無意識の部分)のエネルギーの自分であって、決して、ちっぽけな「個」の自分の事ではないはずです。

 

 思いのまま綴っていたら、なんだか訳のわからない話のブログになってしまいました…

 

 僕が思うに、誰もが、人生を一生懸命生きていれば、周りの目に見えないエネルギーが見守ってくれて、最終的には必ずや良い方向に導いてくれるような気がします。

 

 とらえ所のない話ですし、証明のしようもない話ですけど、今、そんな風に確信しています。

 

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