2019.02.28人は交わる事でいくらでも変化する

2019年2月28日(木)

 

 気がつけば、2月も今日で終わり…

 本当に、早いものです。

 

 日常の雑事に時間を追われて、もたもたしていたら、またしてもブログの間隔があいてしまいました。

 

 よく、人間の運命とか、人間の生まれながらの性質というのは、絶対に変わらない、などと言います。

 仮にそこまでは言わなくても、そういったものを変えるのは、並大抵の努力ではない… と言います。

 

 確かに…

 

 人の運命がそんなに簡単に変わってしまったら、運命学なんて存在しない事になってしまいますし、「三つ子の魂百まで」のことわざ通り、生まれながらの性格だって、やっぱり根本的に死ぬまで変わらないのかも知れません。

 

 もちろんそれでも、死ぬほどの努力をしたら、もしかしたら多少変わる事もあるかも知れませんけど、間違っても、そういったものは簡単には変わる事はない… これが常識です。

 

 例えば、人づきあいが苦手で、人間関係に苦慮淡々としている人もいれば、人が大好きで、誰とでもうまく打ち解けるようなタイプもいます。

 

 こういった生まれながらの性質が、簡単に変化してしまうとか、そういう悩みを抱える運命傾向が、たやすく変わってしまうとか言われても、まるで夢物語です。

 

 ところが、こういうものが、本当に大した努力もなしに、簡単に変わってしまうとしたら…

 

 そんな事を大真面目に話そうものなら、「それって、危ない宗教の勧誘じゃないですか…」って言われそうです(笑)

 

 でも、実は一つだけ方法があるんですよ。

 もちろん、宗教なんて全く関係なく…

 

 それは、自分の一部を、他の人のものと入れ替えてしまうという方法です。

 

 一番オーソドックスな方法で言えば、輸血とか臓器移植です。

 もちろん、性格や運命を変えたくて、そんな事をする人はいないでしょうし、それ自体できない相談ですけど…

 

 だからこそ、そういう治療は、適合しなかった時には、常に死と隣り合わせになるリスクがありますし、特に臓器移植なんかに関しては、倫理的な是非も取りあげられています。

 

 7年前のパリブログにも何度か書いたのですけど、実際に臓器移植や輸血によって、我々の一般的な常識ではにわかに信じられないような形で、その人の性格が変化したりとか、ドナーの人の体験や記憶が、提供された人に移ってしまったりという事が起こったりしています。

 (2013/3/12パリブログ 「レバーの話」 参照)

 (2013/3/13パリブログ 「世の中には不思議な事がいっぱいある…」 参照)

 

 性格が変わるのはわかるとして、さすがに臓器移植で運命が変わるというと、ちょっと奇異な感じがするかも知れませんが、運命というのは、その人の持っている性格… より正確には、その人の持つ波長のようなものが引き寄せますから、性格が変われば、運命だって変わる事になります。

 

 例えば、女性はお腹の中に子供を宿すと、食べ物の好みや日々の感情が変化すると言います。

 そして、その時の食べ物の好みや感情こそが、生まれてくる子供の食べ物の好みだったり、性質だったりします。

 きっと、経験のある女性も、いらっしゃるのではないかと思うのですが…

 

 当然ながら、自分の運命を変える為に、臓器移植や輸血をするなんて、絶対に無理ですけど、そこまでの急激な変化は期待できなくても、確実に性格や運命に影響を及ぼすのが、体のスキンシップです。

 

 よく「夫婦になるとお互いが似てくる」と言いますが、あれは決して、常日頃から一緒に居て、相手の行動を見ているせいで、似てくる訳ではありません。

 多少はそういうのでも影響を受ける事はあっても、やっぱり一番大きいのは、スキンシップによって、お互いの気が循環するからに他なりません。

 

 夫婦になると、お互いの運勢は、足して2で割ったようになるとも、言われます。

 だからこそ結婚生活は、お互いがお互いを認められなくなってしまうと、破綻する事になります。

 

 あまりにも、お互いの波長が違ってきてしまうと、もう運命がつながる事さえもできなくなってしまうという訳です。

 

 そう考えると、世の中には、異性が星の数だけいると言っても、本当の意味で縁がある異性というのは、そんなに多くは存在しないのかも知れません。

 

 だから、相手の事を良く知らないままに、体の関係を持つという事は、運勢的に言えば、ある意味、あまりに無防備であると言わざるをえません。

 交わる相手によって、自分の波長が変化してしまいますから、ある程度、自分にしかできない役割を持ったりするようになったなら特に、交わる相手は、慎重に選ぶ必要があります。

 

 体の関係というのは、お互いの性格や運命にそれなりの大きな影響を与えますが、握手をするとか、ちょっと肩に触れたりするようなスキンシップなんかでも、わずかとはいえ、気は循環します。

 

 極端な話、お風呂屋さんのような循環式(かけ流しではない)のお湯に、複数の人が浸かれば、お湯を通して気が循環します。

 もちろん、それに神経質になる必要はありませんが…

 

 人間の体というのは、水で出来ていますから、そういった些細な事でも、それぞれのエネルギーが混じり合っていきます。

 

 西洋医学などに、多く見られがちな思想の一つですが、自分という存在やアイデンティティーは、全部脳の中に存在していて、そこに自分の全てがある、というような考え方があります。

 心などというものは、そもそも存在しなくて、人の思考とは、単なる脳細胞の信号の送受信に過ぎないというような…

 

 その延長線上で考えると、脳死の状態イコール死んでいるのと同じという事になり、もう、その人の臓器は摘出しても構わないという結論にたどり着きます。

 

 そもそも、こういう発想は、自分という存在と他人という存在を完全に分離して、おのおのを個というもので、セパレートする所から始まっています。

 

 ところが実際の所はどうかというと、決してそんな事はありません。

 

 人の心は、脳細胞の信号の送受信なんかではありませんし、そういったものは、我々の体全体に巡っています。

 さらに、人と人とが交われば、お互いに確実に影響を受けます。

 

 逆に、脳細胞の信号こそが、自分の心の動きが、三次元の物質に反映された結果だと考えるべきでしょう。

 

 だから、厳密に言えば、自分の心と他人の心との境でさえも、絶対ではないし、自分というものを、「これが自分なんだ」みたいな思い込みの枠でくくってしまう事は、本来の自分の可能性をせばめてしまう事にもなります。

 

 我々は普通、自分自身の肉体の事を、「自分」という存在だと思い込んでいます。

 前にも書きましたが、この自分の肉体でさえも、完全に自分の所有物だと認識するのは、正しいとは言えません。

 あくまでも、この体は、この人生を歩んで行く為に、受け継いだ「器」であって、借り物だと考えるべきでしょう。

 (2012/4/22パリブログ 「パリに行って変わった事」 参照)

 

 また、自分の事を、この百年あまりの肉体だけに限定して認識するのも、早計です。

 

 僕らはみな、何憶万年も続いている宇宙でもあり、46億年以上動いている地球の意思でもあり、さらに、それらは常に交わり合っています。

 

 人は交わる事でいくらでも変化する…

 

 この地上にある、素晴らしいと思えるものともっともっと交わって、自分の運命も、この世界の運命も、どんどん良く変わっていったなら、とっても素敵な事だと思います。

 

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