2019.02.11消えゆくものと永遠のもの

2019年2月11日(祝)

 

 無事に立春と旧正月(春節)を迎え、干支も己亥になって、一週間が過ぎようとしています。

 今日は「建国記念の日」なんですね…

 

 学校に通っている時は、絶対にそんな事はなかったのですが、あんまり祝日に予定を左右されない仕事をしていると、祝日の認識が希薄になってきますね。

 そういえば、学校を卒業して以来、僕はきっちりと、土日祝日はお休みという職場には、一度もお勤めした事がありません。

       まったく、あきれるくらい風変わりな人生です(^^;;

 

 去年、白山比咩神社に参拝してからというもの、本当に驚くくらいに、人とのご縁が変わっていくのを感じています。

 

 そして、ここ最近、これまでになく、この「人との縁」というものの大切さを感じるようになりました。

 

 人とのご縁によって、この世の全ての恩恵を運ばれてくれる。

 だからこそ、人とのご縁は大切にしなければならない…

 

 今まで僕は、こんな風に考えていたのですが、最近になって、少しだけ変わりました。

 

 まあ、この考え方自体は、間違ってはいないと思うんですけど、でも、うがった見方をすると、「自分が恩恵を受けたい」というのが一番大切で、その為に「人とのご縁」を利用したい… という風にも取れます。

 

 とはいえ、それでもいいと思います。

 

 例え、それが本当の理由でも、みんなが「人との縁」を大切にするようになれば、お互いに幸せが波及していく訳ですし、「自分が恩恵を受けたい」というのは、自然な事で、決して恥ずかしい事でもありません。

 

 人の縁の大切さに気づく事ができないで、人を粗末にしたり、人を傷つけても平気で、結果的に自分も不幸になっていく… というのが、一番問題だと思うんですね。

 

 ただ、やっとこの年になって、少し考え方が変わったんです。

 

 我々はたくさんの恩恵を受ける事によって、幸せを感じながら、この世界で生きているのですけど、もしかしたら、それ以上に大切な何かがあるのかも知れないと…

 

 「恩恵」と一言で言っても、お金とか、社会的地位とか、住まいとか、理想の恋人とか… 様々な形の恩恵があります。

 

 例えば、お金という恩恵がなければ、日々の生活に汲々とせざるをえなくなるから、それに時間を取られて、自分の未来の可能性は制限されてしまいます。

 

 「貧すれば鈍する」という言葉がありますが、余程の人でない限り、本当にその言葉の通りになってしまうのも事実です。

 

 そういった意味で言えば、確かに、この世の中で人を幸せにしてくれる一番のものは「お金」という事にもなるでしょう。

 僕も、お金自体を悪いものだとは思っていません。

 

 ただ、お金だけで、人は本当に幸せになれるか… と言ったら、決してそんな事はない気がするのですね。

 間違った扱いをすれば、お金というのは、人を利己主義に陥れて不幸にしてしまう事もあるし、そういった意味では「両刃の剣」だと思います。

 

 衣食住を満たす為には、絶対的にお金は必要です。

 また、お金は良い使い方をすれば、人をうんと幸せにする事もできます。もしかしたら、これがお金の価値の真骨頂なのかも知れません。

 

 でも、「お金があれば、人を自分の意のままに動かす事もできるし、好きな異性の心さえを買えてしまう…」という考えは、おそらく幻想だと思います。

 

 確かに、お金を渡された相手は、一見、自分の言いなりに動いてくれるように見えるし、中にはそれだけで、自分の恋人になってくれるような異性もいるかも知れません。

 

 でも、本当の意味で、相手の心をお金で買う事なんて、できないでしょう。

 目の前の相手は、ただお金が欲しいという理由だけで、その人に服従しているに過ぎません。

 その事にふと、自分で気づいてしまうと、どんなにお金を持っていたとしても、とてつもなく寂しくなってしまうと思うんですね。

 

 その先には、孤独しかないから…

 

 それに、究極の事を言えば、お金なんて、死んであの世に旅立つ時には、持っていく事ができません。

 中にはもしかして、あり余るお金で立派な墓を建てて、さらには、ちゃんと永代供養も頼んで、死んだ後も未来永劫幸せになるんだ… という人がいるかも知れませんけど、そんなに都合良くはいかないと思うんですね。

 

 人は死んだら、おそらくは、その人の心のままの世界に行くのだと思う。

 心が冷たい人は、冷たい世界に行くと思うし、心が温かい人は、きっと温かい幸せな世界に行くと思うし…

 

 最近の僕は、年のせいか(笑)、いつしか自分があの世に行く時にも、ずっと持っていけるようなものが欲しいなあ… と考えるようになったんです。

 

 それで、あの世に持ち帰る事ができる究極の宝物って何だろう… と色々思い浮かべた時、「人との縁」というものに勝るものはないかなあ… という結論に至りました。

 

 もちろん、死ぬ時には、この世で縁が結ばれた人ともお別れしなければなりませんが、その人との素敵な思い出や記憶は、あの世の世界にも持っていけるだろうし、例え自分の肉体がなくなっても、縁のある人の心の中に、永遠に生き続ける事ができる…

 

 最近の僕が「人の縁を大切にしたい」と思う理由は、その縁によって自分が得をしたいというよりも、もっとシンプルに、良い縁で結ばれた人と共有する時間こそが、この人生で、何よりも宝物ではないかと思うようになったからです。

 

 その人がそばにいてくれる事で、お互いが心の温もりを共有し合えるとか、切磋琢磨して、お互いが高めあっていける喜びを感じられるとか… いろいろなパターンはありますけど、そういう人の縁こそが、もしかしたら人生で一番のかけがえのないものなのかも知れません。

 

 もちろん、そんな風に思える人との縁というのは、そう滅多にはないでしょう。

 だからこそ、一つ一つの縁を大切にしつつ、その縁を育てていかなければならないのだとも思う…

 

 そうは言っても、もちろん縁には、良い縁というものもあれば、悪い縁というのもあります。

 

 自分自身の心が磨かれていけば、自分が引き寄せる人の縁を、全体的に良いものに変えていく事はできるとは思いますが、それでも、悪い縁を完全に消し去る事は不可能です。

 

 この世の中には、自分の事しか考えていない傍若無人な人間もたくさんいますし、どんなに人の縁を気をつけていても、玄関先にいきなり、悪徳商法で人を陥れようとする詐欺師が訪ねてくる事だって、あるかも知れません。

 

 こういう相手との縁まで、全部良い縁にしよういうのは、いくらなんでも無理があります。

 

 とはいえ、例えそんな縁の相手であっても、なるべく憎まずにいられたら良いと思う…

 

 そんな時に僕は、良寛さんのある逸話を思い出すんです。

 

 良寛とは、言わずと知れた、江戸時代後期の名僧と讃えられた傑人…

 これは、良寛を師と仰ぐ解良栄重(げら よししげ)が著した「良寛禅師奇話」という書物に載っているお話です。

 

 ある時、良寛が、解良家に泊まっていた時の事…

 

 智海という僧が、ひどく酒に酔って、解良家を訪ねてきました。

 この智海という僧は、驕慢で自惚れが強く、周りの僧を見下すような態度を取っていた人物らしいのですが、そこにたまたま居合わせていた良寛を見るなり、妬みと怒りが高ぶって、物も言わず、いきなり良寛に殴りかかったんです。

 

 周囲の者は驚いて、慌ててそれをおさえると、智海はそのまま外に出ていってしまいました。

 

 しばらくすると、ポツポツと雨が降ってきました。

 

 その降り出した雨を見て、良寛は「あの僧は、雨具を持っているのだろうか(原文:前の僧は雨具を持ちしや)」と、自分に殴りかかった僧の事を、心配したと言います。

 

 この話は、何度聞いても、ほっこりとさせられます。

 

 良寛ほどの人物ともなれば、この僧の心理状態がどんなものか、自ずと感じ取ってしまう事もできるのでしょうが、それにしても、自分に殴りかかってきた相手なのに、外でずぶ濡れになっていないかという事を心配する良寛という人の心の広さと凄みを感じさせるエピソードです。

 

 まあ、良寛の場合、自分の家に泥棒が入られた時にも、何も盗むものがない事を不憫に思って、寝返りを打ったふりをして、自分の布団を盗みやすくしてやった… という逸話があったりしますから、ちょっと度を超えていますけど(笑)

 

 少し話がそれましたが、人の縁という事に話を戻すと、やっぱり人生には、良い縁というものもあれば、悪い縁というのもあると思うんです。

 

 悪い縁の相手と接している時、多くの時間は、憎しみや不快感が伴うものです。

 

 よく、そういう相手に対しては、温情を掛けるのは絶対に禁物で、こちらも非情に接するべきだ… などと言います。

 

 あの老子も「天は仁ならず」と言っていますし、6年前にも、僕はこれと同じような事を悩んだ事があります。

 (2013/1/14パリブログ 「例え天が冷たくても…」 参照)

 

 確かに、現実的にはその通りだと思います。

 下手にこういう相手に温情を掛ければ、相手がつけあがって、こちらがいいように利用されてしまいますから…

 

 でも、心の部分に関しては、やはり良寛さんのように、そんな相手の事でも、慈しむ事ができる自分でいたいなあと思う。

 

 確かに、老子の「天は仁ならず」というのは、正しいと思います。

 天とか、神様というのは、この世の全てのものを包括していて、人間の感情を超えた部分で動いていますから、普通の人間から見たら冷たく見えるんです。

 

 でも、人間がこれを真似して「相手がどうなろうと知ったこっちゃない…」とやるのは、ちょっと違うし、そういう気持ちになってしまっている時点で、すでに、その相手の悪い波長に影響されてしまっているとも言えます。

 

 一番理想なのは、心の部分では、相手の心情を理解して慈しみながら、現実的な対応は、非情に徹するという所でしょうか。

 (でないと、相手を甘やかして、つけあがらせてしまいますから…)

 

 僕は、こんな風に偉そうに語っていますけど、まだまだ人間ができていませんから、やっぱり良寛さんのように、うまくはいきません。

 

 未だに、こういう場面になったら、感情的になってしまう所がありますね。

 いつしか、憎しみに支配されていたりします。

 

 そして、憎しみに振り回されている自分の事が、本当に嫌いになってしまいます。

 

 だからもっと心を錬磨して、素敵な自分になって、ちゃんと自分を好きでいられるように、精進したいと思います。

 

 この世で蓄えたお金も、地位も、名誉も、いつ消えてしまうかわからないし、少なくとも死を迎えた時には、全部なくなってしまうけれど、人との縁や素敵な思い出、この世で培った強い心は、ずっと永遠のものだと思うから…

 

 そういうものを大切にして、いつしかあの世に行く時は、素敵なおみやげをたくさん持って、笑顔のまま旅立てたらなあ… と思っています。

 

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