2018.11.09旅の後日譚 ~変わりゆくものと変わらない真実と…~
2018年11月9日(金)
今日の東京は朝から、雨がシトシトと降り続いています。
また、いつものように、時間に追い立てまわされる生活…
今日は3件の鑑定をやらさせて頂きながら、その合間に溜まっているメールを返信したり、その途中で、少しウトウトしてしまったり… と、いつも通りの生活が始まりました。
でも、この慌ただしい生活、何気に好きです。
今回の近畿の旅の途中で、失くしてしまった携帯電話は、意外な形で発見されました。
携帯がなくなった時の状況をもう一度、整理すると…
下市口駅前から、近鉄線8:46発「特急・大阪阿部野橋 行き」に乗って、インスタグラムで京都の写真をアップして(つまり、この時点で確実に携帯はあった…)その後、橿原神宮前(かしはらじんぐうまえ)駅に降りた。
そして、橿原神宮前のホームにあるベンチにいったん腰を下ろして、そこで荷物を整理して、今度は「青山町行き」の電車に乗り込み、電車の中で、初めて携帯がない事に気づいた。
この中で、携帯がなくなる可能性があるとしたら、
<1つ目のパターン>
「特急・大阪阿部野橋 行」の電車の中に、携帯電話を置きっぱなしにして、橿原神宮前駅に降りてしまった。
<2つ目のパターン>
橿原神宮前のホームのベンチで、荷物を整理している時に、携帯電話をバックに入れず、ベンチに置いたままにしてしまった。
という、2つのパターン以外には、考えられません。
もちろん、歩いている途中で、携帯を落としたという可能性も、ゼロではないのですが、基本、持ち物を用心深くポケットの奥にしまう僕は、歩いていて、物を落とす事は、まずありません。
とはいえ、駅事務所で調べてもらった結果は、僕が乗った「特急・大阪阿部野橋 行き」は、すでに車内点検も済んで、とっくに車庫の中に入っているが、携帯電話は、どこにも発見できなかったとの事…
また、橿原神宮前のプラットホームのベンチは、自分の足でその場所に行き、そこには確実にない事を、この目で確認しています。
にもかかわらず、その日の夕方になっても、携帯電話の落とし物の届け出はない…
この結果をふまえると、「誰かが、特急電車の中、もしくは橿原神宮前のプラットホームのベンチで携帯電話を見つけて、その場から持ち去ってしまった…」という結論に、どうしても、たどり着いてしまいます。
それからというもの、心の中が、何とも言えない怒りに支配されて、翌日の月読宮に行って参拝するまでは、ずっと気持ちが塞いだままでした。
失意のまま東京に帰り、その日は、夕方からの用事で夜遅くなってしまったので、翌日、I Phoneの会社であるアップル社に、携帯の止めてもらって、可能であれば、遠隔操作で中のデータを抹消してもらうべく、電話をしました。
その時のアップル社の電話対応は、まさに「神対応」と言っても良いくらい、親切で最高のものでした。
「携帯を失くしてしまわれたのですね。それは大変心配ですね。まずは、GPSで携帯の場所を特定してみましょう。パソコンをお持ちでしたら、リモートサービスでつないで、ご案内させて頂きますが、いかがでしょうか。」
「そんな事ができるのですね!!ぜひとも、お願いします。」
「はい。もしも、携帯に電源が入っていれば、現在の携帯の場所の特定は可能です。それでは、次のページで「ICloudID」と「パスワード」を入力してみてください」
そして、僕のパソコンには、次のような画面が映りました。

地図の真ん中の緑色の丸印が、ピコピコ動いています。
「どうやら、携帯はこの場所にあるようですが、心当たりはありますか?」
「河内天美駅ですか… 行った事もないし、初めて聞く名前の駅ですが、携帯を失くした日に僕が利用した近鉄線の駅のようです。あとは近鉄線の人に聞いてみます。本当にありがとうございました。」
「また、お困りの事がございましたら、遠慮なくお電話ください」
まさか、こんなに簡単に携帯の場所がわかるとは…
この地図を目を凝らして、よくよく見ると、「河内天美」という駅の線路の上にあるのですね。
大体の事情は、何となく把握できた気がしました。
つまり、「特急・大阪阿部野橋 行き」の車内点検が甘くて、車内にある僕の携帯電話が発見できないまま、ずっと放置されていたに違いありません。
そして、点検の後、電車はそのまま、発着駅である河内天美駅に、止められたままになっているという事なのでしょう。
この後、近鉄に電話をして、「河内天美」駅に止まっている特急電車の中を調べてもらいました。
そして、無事に、電車が止まっているそのポイントの場所で、携帯電話は発見され、それを無理にお願いして、着払いの宅配便で、至急、東京に発送してもらいました。
それにしても、GPSというものの機能と正確さには感服です。
一番悪いのは、携帯を電車の中に置き忘れた僕ですが、電車の点検のチェックが甘く、携帯電話を乗せたまま、電車が車庫に入ってしまったので、ずっと発見されないままの状態で、時間が過ぎてしまったいう訳です。
携帯電話を持ち去った悪人なんて、どこにも存在していないにもかかわらず、僕はずっと、疑心暗鬼の思い込みから抜け出せずにいました。
本当に、恥ずかしい話です。
それにしても、今回の旅行は、僕に素晴らしい体験をさせてくれました。
人というものは弱いもので、物事が自分の思惑とは違った風に動くと、途端に不安になって、何とか、元の通りにならないものかと、焦ったりするものですが、それを一旦受け入れる事によって、次のステージに進む事ができる…
携帯電話をなくしてしまった時の僕のように、「何でこうなるんだ」と心を閉ざしてしまえば、途端に疑心暗鬼に陥って、怒りのスパイラルから出られなくなったり、普通なら、絶対にやらないようなミスをして、とんでもない時間が無駄になったりと、何もかもが、チグハグな状態になってしまいます。
人生もこれと同じで、いきなりのハプニングで、自分が思い描いていた未来のビジョンがいきなり崩れてしまう事だって、あるかも知れない…
そんな時には、一旦その状況を受け入れて、冷静に最善の方法を考えてみるのが良いでしょう。
人生はまさに「塞翁が馬」で、まさしく禍福はあざなえる縄の如しなのですから…
(2014/3/13パリブログ 「人生、塞翁が馬」 参照)
変わりゆくものと変わらない真実と…
今、自分の周りの縁が、音を立てて、変わっていくのを感じています。
僕自身は、今のまま、縁が続いてくれたらいいと思っていても、どうやらそういう訳にも行かないようで、例え、安井金毘羅宮の「縁切り縁結び碑」をくぐらなくたって、切れていく縁は切れていく…
確かにそれは悲しい事だけど、それと同時に、また新しい縁が結ばれていく…
全てが変わりゆくのが、この世の定めですし、その変化が人生に、大峰山の紅葉のような彩(いろどり)を与えてくれる…
とはいえ、この世界の屋台骨は、変わらない真実によって、できているとも思う。
どんな状況になろうが、自分の心にやましい所がなく、常に自分が正しいと思う生き方が貫ければ、必ず、ピンチから抜け出せるし、今の自分にふさわしい縁がどんどんできてくる…
だから、今、目の前の縁のある人に、自分ができる精一杯の事をしながら、共に楽しんで生きていこう…
ふと、そんな風に、思いました。
P.S.
「近畿への旅」を、これまでの8回のブログで綴ってみたのですが、眠気や疲れと戦いながら文章を書いていたので、アップしたての時の最初の文章は、本当に申し訳ないぐらいに、読むに堪えないリズム感のない文章でした。
あとから何度か推敲し、内容は変える事なく、加筆修正しておりますので、まだ、アップしたての時の文章でしか読んでいない方は、ぜひ、もう一度ご覧になってみてください。
全てはここから始まった ~近畿への旅<1>「滋賀・多賀大社へ」~
雅の都・京都の地へ ~近畿への旅<2>「京都探索・その1」~
歴史と史跡を訪ねて ~近畿への旅<3>「京都探索・その2」~
天照大御神と月読命 ~近畿への旅<7>「三重・伊勢神宮外宮へ」~
目に見えないものとのつながりを確かめながら ~近畿への旅<8>「三重・伊勢神宮内宮へ」~
※ちなみに、これ以外の過去のブログも、時々読み直しては、内容は変えないで、加筆修正しています(^^;;
もし良かったら、クリックしてください(^^)