2018.03.11人生は、一回限りの珠玉のロードショー
2018年3月11日(日)
「東日本大震災」という、被災された方にとって、人生を変えてしまう大災害のあった日から、今日でまる7年が経ちました。
7年たった今でも、東北地方では、まだ完全に復興がなされている訳ではありません。
地震と津波によって、かえがえのない家族や大切な財産を奪われた方々にとって、あの災害は、人生の中に、ぬぐい切れないような大きな爪痕を残した出来事だったはずです。
改めまして、被災地と被災された皆さまの一日も早いご復興を、お祈り申し上げます。
それにしても、人生の中で一回失ったものというのは、もう二度と取り戻す事ができないというのが、この世のおきてと言いますか、それを思うと、人生とは本当に非情なものだと思います。
今回のような災害は、その最もたるものですが、これまである程度の長さの人生を生きて、何も失ったものがないという人は、おそらくいないでしょう。
失恋や裏切りや拒絶による別れ、事故や病気による体の障害、事業の失敗…
失ったものは、目に見える形あるものだったり、目に見えない形のないものだったり…
その中でも、特に近しい人の死は、その両方の要素を持ち合わせるから、最も辛いもののはずです。
そして、失ったものはもう二度と、戻って来ることはない…
この心が張り裂けそうな喪失感は、今ここで生きている我々だけではなく、人類が始まって以来、この世に生を受けた全ての人が、多かれ少なかれ体験した思いだと思います。
いや、人間だけではなく、例え動物であっても、家族を失う悲しみはきっと同じでしょうから、この悲しみは、人類が誕生するはるかな昔から、この地球に存在していたのかも知れません。
もちろん、そこにあるのは悲しみの感情だけではなく、喜びや感動、それぞれの思い、時には怒りや恐れなんかも、混ぜ合わさっているのでしょうが…
ただ、どんな生物でも、寿命というものがあるから、どんなに長かったとしても、せいぜい数百年でその思いも消える…
よく「鶴は千年、亀は万年」なんて言いますが、本当の所は、鶴の寿命は20~30年、亀は種類によって寿命に差があるそうですが、おおよそ20年~150年といった所だそうです。
どんなに長くても、150年もすれば、喜びや悲しみを感じ取る被写体である、その生命自身が消えていく…
我々、人間の場合も、例外ではありません。
僕は、人生というのは、一回限りの映画のロードショーみたいなものだと思うんですね。
喜びも悲しみも、怒りも恐れも、その物語の中にはいろいろなものが入り混じっていて、中には、復讐劇のようなロードショーだったり、ホラー映画みたいなロードショーも、あるかも知れませんけど…
どっちにしても、人の場合でしたら、その映画は長くてせいぜい100年ぐらいで終わる…
名作と言われるロードショーには、うきうきするような楽しい場面もあれば、悲しみの場面も、怒りを誘うような場面も、いっぱい組み込まれています。
でも、それらの場面が、エンディング間際になると、見事に感動に結びつくような筋書きに、できているんですね。
人生もこれと同じで、シーンの一場面で、何かを大切なものを失ってしまったその時には、思い切り悲しんだらいいと思うんです。
とはいえ、その失ったものをもう一度取り戻そうとした所で、元には戻らないのが、おきてですし、その事に悔やんでばかりで、ずっと自分に閉じこもっているのは、気持ちはわかるのですが、本当にもったいない事です。
人生のロードショーは、たえず次のシーンが始まっていますから、その場面で見るのをやめて心を閉ざしてしまったなら、感動のエンディングに結びつかなくなってしまいます。
よく、「人生から、全ての悲しみや苦しみがなくなればいいのに…」なんて言う人がいるけど、もしも本当にそうなってしまったら、きっと人生は、味気ないものになってしまうでしょう。
悲しみや苦しみが、まるで料理のスパイスのように、人生を味わい深いものにしているのも事実です。
人生は、一回限りの珠玉のロードショー…
まだまだ、幕は上がったばかりです。
死ぬ瞬間のエンディングまでの長い時間、思いっきりショーを楽しみましょう。
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