2020.10.02西日本紀行記 ~出雲・山口への旅~<24>黄昏の赤間神宮

2020年10月2日(金)

 

 いつしか、10月を迎え、吹く風もすっかりと涼しくなりました。

 

 新型コロナの事で、右往左往しながら始まった2020年も残りあと3ヶ月…

 本当に、時が過ぎるのはあっという間ですね。

 

 10月21日、11月4日、18日、12月2日、16日の5日間、僕は立川の朝日カルチャーセンターで「タロット占い入門」を、やらせて頂く事になりました。

 

 タロット占いに、ご興味のある皆さま、よろしかったら、JR立川駅直結の朝日カルチャーセンターにて、お会いいたしましょう(^^)

 

 さて、この前のブログの続きですが、平安時代末期の源平最後の戦いの場でもあった、関門海峡の壇ノ浦古戦場で、しばしの時を過ごした後、水木杏香先生の車に乗って、赤間神宮へと向かいました。

 

 本来の水木先生のプランですと、壇ノ浦古戦場の次は、「関門トンネル人道」に入って福岡県まで歩いてみる… というスケジュールだったんです。

 壇ノ浦古戦場と、関門トンネル人道は、もう目と鼻の先ですから…

 

 

 そして、その後に赤間神宮に行き、時間があれば、ここから少し北上した所にある福徳稲荷神社にも参拝する… というプランだったのではないかと、思います。

 

 ところが、僕が「関ヶ原展」に行きたいと言って、無理やりそのスケジュールをねじ込んでしまった事で、関門海峡に来た時点で、もう夕方近くになってしまっていました。

 

 そこで、水木先生が急遽、順番を入れ替えて、神社の門が閉まってしまう前に、赤間神宮へ先に行く事になったという次第です。

   僕のせいで、水木先生のプランがぐちゃぐちゃになってしまいました…

 

 福徳稲荷神社に行くのは、また今度、山口に来た時ですね。

 

 

 駐車場に、車を止めて、少しだけ歩くと、大きな道路の信号を渡った所に、赤い綺麗な建物がありました。

 

 まるで、竜宮城のように見えるこの建物こそが、赤間神宮です。

 

 信号が青になるのを待って、横断歩道を渡り、早速、鳥居の下をくぐって行きました。

 

 

 黄昏(たそがれ)の空に、赤い建物が妙に映えて、何だか別世界にいざなわれるような感覚になります。

 

 ここが、壇ノ浦の合戦で、幼くして命を絶った、悲劇の天皇・安徳天皇を祀った神社…

 

 よくある事ですが、元々、この赤間神宮はお寺だったのです。

 安徳天皇が祀られる前から、阿弥陀寺(あみだじ)として、この場所に存在していました。

 阿弥陀寺は、かの「耳なし芳一」の舞台にもなったお寺です。

 

 そして、江戸時代までは、安徳天皇御影堂といい、この頃までずっと、安徳天皇は仏式により祀られていました。

 

 前にも書いたように、明治政府の神仏判然令によって、明治維新と同時に、それまでの日本の神社や仏閣のスタイルが、すっかり変わってしまったんですね。

 (2020/6/9 ブログ 「鳥居のあるお寺と、二人の少年と天狗の面」 参照)

 

 

 階段を上りきった所から、振り返って下を見てみると、さっきの下関海峡が見えました。

 

 少し前の僕は、こういう高い所から下を見ると、もう、足が震えて動けなくなってしまったのですが、いつの間にか、平気になっていました。

 

 空は少しずつ薄暗くなってきて、ちょっとだけ冷え込んで来ましたが、吹き抜ける風がとても気持ちいいです。

 

 

 安徳天皇が祭られている、赤間神宮の拝殿である「大安殿(たいあんでん)」に手を合わせました。

 

 「平家物語」の先帝入水の巻には、安徳天皇の最期が語られています。

 

 二位尼(にいのあま)は、わずか6歳の安徳天皇を抱き寄せ、宝剣を腰にさして神璽(しんじ)を抱え、「波の下にも、素晴らしい都がございます。そこへ一緒に参りましょう」と、天皇を慰めながら、共に海に身を投じました。

 

  昔は、戦さに負けるという事は、死を意味していましたから、このような悲劇が、戦さの数だけ、日本全国にあったという事です。

 

 

 大安殿の向かって右側には、鎮守八番宮(ちんじゅはちまんぐう)がありました。

 正しくは、日本西門鎮守八幡宮と言います。

 

 ここは、壇ノ浦の合戦のさらに300年ほど前、貞観(じょうがん)の頃に建てられたお寺…

 

 行教和尚(ぎょうきょうおしょう)が、京都の石清水八幡宮にご分霊をした時、日本の西門の守り神として、下関のこの場所に、この鎮守八幡宮が建立されました。

 

 今度は、大安殿の左側に行ってみると…

 

 

 なんか、独特の空気感が漂っている場所がありました(^^;;

 この場所こそが「芳一堂(ほういちどう)」…

 

 ご存じ、耳なし芳一が祀られているお堂です。

 

 これは、世にも不思議な話…

 

 昔々、阿弥陀寺に、芳一という盲目の琵琶法師の僧侶がおりました。

 平家物語を語らせたら、この上なく素晴らしく、特に壇ノ浦の合戦の鬼気迫るその語りと琵琶の音は、人々の大評判でした。

 

 ある晩、その芳一の前に、どこからやって来たとも知れない、一人の武士が現れました。

 

 武士は、芳一に、自分達がいる屋敷に来て、琵琶を弾いて欲しいと頼みます。

 

 そして、芳一は武士に手を引かれるように、その屋敷に入り、七まがり八まがりの廊下をめぐって大広間に通されました。その部屋には、武士や女官達が居住まいを正して座っていました。

 

 「戦に負けた侍(さむらい)の悲しい物語を頼む」

 

 そう言われた芳一は、そこにいる武士や女官たちの為に、心を込めて平家物語を弾き語りました。

 

 その演奏は大変に素晴らしく、武士や女官たちは、みな涙を流し、嗚咽(おえつ)しながら、聞きいっていました。

 

 「実に満足した。又明日もあさっても、七日七夜頼みたい。ただし、この事は誰にも言ってはいけない」

 

 芳一はかたく約束をして、阿弥陀寺の自分の部屋に帰りました。

 

 次の日も、また次の日も、芳一の元に、その武士が現れ、芳一は屋敷へと出かけていきました。

 

 毎日、どこかへ出かけていく芳一に、阿弥陀寺の僧たちは、どこに行くのかと尋ねますが、芳一は、約束を守って、決して口を開こうとしません。

 

 不審に思った僧たちは、そっと芳一の後をつけると、芳一はある墓の前に、導かれるように歩いて行きました。

 そして、無数の鬼火に囲まれながら、芳一は鬼気迫る顔で、琵琶の演奏をしているのでした。

 

 僧たちは、そこで見て来た事の一部始終を、阿弥陀寺の和尚に話しました。

 

 和尚は「これはいかん。平家の亡霊が恨みをもって、墓のあたりをさまよっているのだ。このままだと、芳一はとりつかれて殺されてしまう」と言い、どうしたものかと思案しました。

 そして和尚は、芳一の体中に経文を書く事にしました。

 

 和尚は、芳一の頭から顔から足の先まで、経文を書き終えると、芳一に「今夜は決して何があっても、声を出したり、動いて音を立ててはいけない」と、言い聞かせました。

 

 いつものように、芳一を迎えに武士がやってきますが、今夜は、芳一がどこにも見つかりません。

 

 芳一に、呼びかけてみましたが、芳一は和尚から「声を出してはいけない」と言われているので、じっと黙ったままです。

 

 「どういう事だ。今宵(こよい)は、姿もなければ、呼びかけてみても、返事もない」

 

 武士が周りを見渡すと、闇夜の中に、二つの耳だけがくっきりと浮かんで見えました。

 

 「しかたない。ここに迎えにいったという証に、せめて、あの耳だけでも、持ち帰るとするか」

 

 和尚が帰宅して、芳一の所に行ってみると、そこには、耳を取られた血だらけの芳一が、気を失っていました。

 

 「しまった。耳にだけ、経文を書くのを忘れてしまった」

 

 和尚は、芳一に耳に経文を書き忘れた事を詫び、手厚く芳一を看病しました。

 

 やがて、耳の傷も癒えると、やっと芳一も元気になりました。

 そして、その後、芳一の琵琶の音と語りは、ますます磨き(みがき)がかかり、琵琶法師としての名声は、いっそう高まっていったのです。

 

 誰もが一度は、聞いた事のあるであろう「耳なし芳一」という昔話です。

 そして、この芳一がいた阿弥陀寺とは、まさに、この赤間神宮の事です。

 

 この後、水木先生と一緒に、芳一堂の前にある平家塚(へいけづか)に行きました。

 

 平家の落武者のいくつもの墓がそこにあり、黄昏時の塚は、異様な雰囲気に漂っていて、僕はなんか怖くなって、すぐにその場を離れました。

 

 その後、水木先生から、向こう側の階段を上った所に、紅石(べにし)稲荷神社という神社があるという事を聞いたのですが、その参道というか、階段の雰囲気がどうも苦手で、「やっぱり、ここはやめて、次の目的地に行きましょう」と、水木先生に提案しました。

 

 本当、僕は臆病ですね。

 でも、やっぱり神社というのは、黄昏時よりも朝行く方が、すがすがしいな… と、改めて感じました。

 

 

 赤間神宮の中から見た「水天門」…

 門の向こう側の空が、暮れかかっています。

 

 水木先生の話では、毎年5月2日~4日に「先帝祭」というお祭りがあって、この水天門の所に、巨大な赤い橋が掛けられるのだそうです。

 

 ここでいう先帝とは、安徳天皇の事…

 この祭りの見所は、たくさんあるのですが、中でも「安徳帝正装参拝(あんとくていせいそうさんぱい)」と「上臈道中(じょうろうどうちゅう)」が、すごいらしいです。

 

 「安徳帝正装参拝」は、特別に掛けられた巨大な赤い橋の上で、平清盛の四男で壇ノ浦の合戦の総大将である、平知盛(とももり)を先頭に、平清盛の長男・平重盛(しげもり)、平清盛の弟である平経盛(つねもり)と続いて入場、そしてその後に、主役の安徳天皇が入場し、平清盛の妻である二位の尼・平時子、そして、安徳天皇の母の建礼門院(けんれいもんいん)・平徳子(とくこ)と、続きます。

 

 一方の「上臈道中」の方は、橋の上で、華やかな衣装をまとった女官が舞を舞います。

 

 上臈とは、地位の高い女官… 転じて、身分の高い遊女の事…

 

 壇ノ浦の合戦で、安徳天皇の後を追って、海に身を投げた女官の中には、不本意ながらも一命をとりとめ、その後、遊女として生き延びた女性もいました。

 その元女官の女性たちが、安徳天皇の命日に、御廟所に参拝したのが「上臈参拝」の起源である、とされています。

 

 今年は、この新型コロナの騒ぎで中止となってしまいましたが、お祭りは毎年、盛大に繰り広げられるそうです。

 

 

 赤間神宮を後にして、振り返ってみると、ライトアップされて映る赤間神宮が、とても美しく見えました。

 

 下関の旅もいよいよ、クライマックス…

 

 これからいよいよ、水木先生との最後の旅の目的地へと向かいます。

 

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