2020.06.18西日本紀行記 ~出雲・山口への旅~<15>維新の街の香り

2020年6月18日(木)

 

 全国的に梅雨入りを迎えて、東京もここの所、曇り空が多くなっています。

 

 この度、お世話になっている伊泉龍一先生をご紹介をいただき、次回の大阪で開催する四柱推命講座・初級編の前日7月24日(祝)に、大阪・梅田の占いスクール・ベネディーレにて、「陰陽五行から見た、未来を良くするための四柱推命」を、開催させて頂く事になりました。

 

 ちなみに、ベネディーレの講座は、Zoom参加や録画受講もあるので、全国から参加できます。

 よろしかったら、ぜひ、ホームページにアクセスしてみてください(^^)

 

 さてさて、西日本旅行記は、まだまだ続きます。

 おそらくこの話、終わるまでに30話分ぐらいになってしまうのではないかと思います。

 そして、山口編の旅行記のクライマックスは、まさにこれからです。

 

 五気調整術協会の理事である、水木杏香先生の山口の地に行ったのは、元々、水木先生から、漢方や五行によって、体を健康にする処方箋を学ぶ、という目的がありました。

 

 そしてもちろん、この山口という明治維新の原動力となった地に、足を踏み入れて、一度、自分の体でそのパワーを確かめてみたい、という気持ちが強かったからでもあります。

 

 水木先生は、薬膳の処方や漢方の医療に精通されていて、それを五行と連動させて、実際に様々な効果や実績を出されていらっしゃるプロフェッショナルですから、この時、予定していた上級編講座の「健康運」の内容をブラッシュアップするには、この上なく力強い味方です。

 

 そんなこんなで、車の中では、漢方の蔵象論(ぞうしょうろん)のお話や、健康を保つにはどうしたらよいか… といった話を、ずっと水木先生からお聞きしていました。

 

 自分で言うのもなんですが、僕は本当に仕事人間で、こんな風に観光をしていても、いつも次の講座の内容の事や、書きたい本の事なんかが、ずっと頭をよぎっているんです。

 

 車の中で水木先生から、蔵象の肝・心・脾・肺・腎の五臓の極意と言っても良いようなお話を聞きながら、しっかりとメモと取っていました。

 

 旅の最初の目的地の「明倫学舎」の駐車場で車を止めて、その後は、ちょうどそこから北西の方向にある萩城の城下町を目指して、歩いていきました。

 

 

 緑があふれて、とっても清々しい、萩中央公園の脇の道を、水木先生と一緒に散歩しました。

 

 そして、その道の途中で、この地に生誕した偉人達のたくさんの像と、遭遇しました。

 

 

 最初に遭遇したのは、制帽をかぶり、馬にまたがった明治の元勲、山縣有朋公の銅像でした。

 

 言わずと知れた、この国の第3代および第9代内閣総理大臣になった人です。

 この人が、他の内閣総理大臣と違う所は、現役軍人であり続けながら、総理大臣になった所…

 

 明治天皇から「特に功労が大きい」という理由で、本人の希望を尊重して、特別に現役軍人であり続けながら、総理大臣となりました。

 

 若い頃は、吉田松陰の晩年期(晩年期といっても、吉田松陰28歳ですが…)の門下生であり、ずっと生涯を通じて「松陰先生門下生」と称し続けた人で、高杉晋作と深い親交があり、晋作亡き後の騎兵隊を率いています。

 

 西郷隆盛が下野した征韓論政変で煮え切らない態度を取ったので、桂小五郎(木戸孝允)と一時的に険悪な状態となった事もあるのですが、その能力から、後に許され、関係を修復しています。

 

 自由民権運動を封じ込めたり、日本の軍部の影響を大きくし、軍制改革や徴兵制を取り入れて、軍備拡張を推し進めていった人であり、そういった意味では、のちの日本が、軍国主義の道を突き進む下地を作った人とも言えるでしょう。

 

 だから、山縣有朋の評価は、今でも賛否両論ですね。

 

 でも、勝海舟にして「あれは、正直一辺倒の男だ」と言わしめるほどの、愚直なほどに、まっすぐな人物でした。

 

 

 この胸像は、佐々木義彦翁のもの…

 すみません。どんな方なのか、この時は全くわからなかったので、いろいろと調べてみました。

 

 戦前、戦後を通じ、日本の産業経済の発展に尽力し、学校や公会堂の施設整備や灌漑用水の整備などに多額の寄付をし、教育の充実や福祉に多大な貢献をした方です。

 いわば、この萩の救世主のような方ですね。

 

 さらに、そこから、萩中央公園に沿って、まっすぐ北に進んでいくと…

 

 

「久坂玄瑞進撃像」が、ありました。

 

 逆光になって、写真が真っ黒になってしまっていますが(^^;;

 

 円政寺にあった竹にも、吉田松陰四天王の一人として、久坂玄瑞の名がありましたが、まさに、松下村塾の松陰門下生の中で、高杉晋作と共に双璧と言われた人物で、幕末史に興味がある方なら、ご存じの方もいらっしゃると思います。

 

 でも、名前は良く聞くし、聞き覚えがあるけど、何をやった人かはよくわからない… という人も多いかも知れませんが(笑)

       まるで、ニッシンボーのCMみたいな…

 

 久坂玄瑞というのは、まだ十代の頃から、当時ペリーの黒船来訪で、朝廷の勅許も得ず、押し付けられて無条件開国をしてしまった幕府のふがいなさを憂い、この国の未来を慮っていた強烈な志士で、最初は吉田松陰とも、書簡で激論を交わしたような熱血漢です。

 

 吉田松陰からも一目置かれ、松陰は自分の一番下の妹と玄瑞との結婚の話をまとめ、玄瑞を義弟としました。

 

 後の奇兵隊の前身となる光明寺党を結成した人でもあり、当時の長州藩の藩主である毛利敬親に建白書を上提し、それまで、俗論派の長井雅楽(ながい うた)によって握られていた藩論を覆してしまった人です。

 そしてさらに、桂小五郎と協力して、長井雅楽を失脚に追い込みました。

 

 もしも、久坂玄瑞のこの働きがなかったら、長州藩は相変わらず、俗論派に牛耳られたままですので、明治維新につながる事もなかったでしょう。

 

 久坂玄瑞の最期は、京都の蛤御門(はまぐりごもん)の変でした。

 薩会同盟(さっかいどうめい/薩摩藩と会津藩の同盟)が成立し、八月十八日の政変が起こって、長州藩の排除が決定されると、長州藩の過激派は「武力をもって京都に進発し、天皇に長州の無実を訴える」と主張し、兵を率いて上洛し、戦闘が起こります。

 

 これが、蛤御門の変(禁門の変)です。

 

 最初、久坂玄瑞は桂小五郎と協力して、過激派をなだめて、行動を押しとどめていたんです。

 でも、それまで京都にいた島津久光とかが、国元に帰っていくと、急に心変わりし、過激派が主張する進発派にくみします。

 

 その後、朝廷からの退去命令が出た事で、兵を引き上げようとしたものの、来島又兵衛らの意見を押しとどめられず、そのまま戦闘に参加し、敗北して、仲間と刺し違え、自害して果てました。

 

 明治維新という偉業は、志半ばにして亡くなっていった、名もなきたくさんの志士達の犠牲の上に、成り立っていると言えましょう。

 

 

 いよいよ、世界遺産でもある「萩城城下町」の街並みに入りました。

 

 この道、右側は普通の住宅街なのですが、左側は、まるでタイムトリップしたかのような、昔の街並みが続いています。

 

 街が世界遺産に指定されてしまうと、そこに住んでいる住人の方も、勝手に家を改築したりする事が出来なくなってしまうそうです。

 それだけなら、まだしも、エアコンの室外機を人の目に触れる所に置く事も、できないのだとか…

 

 真夏にも、エアコンが自由に設置できないなんて、想像しただけでもキツいです。

 

 水木先生のお話を聞きながら、世界遺産に指定されるのも、楽じゃないんだなあ… なんて思いました。

 

 円政寺を拝観し、明治維新の三傑の一人である桂小五郎の旧宅に立ち寄って、そろそろお腹がすいてきたので、昼食をとる事にしました。

 

 

 世界遺産の街で、閑静なとても素敵な食堂を見つけました。

 

 お店の名前は「晦事」と書き、「コトコト」と読ませるようです。

 

 四柱推命をやっていて、晦という字を見ると、「晦火」とか「晦気殺」とか、色々と変なものが浮かんできます(笑)

 

 

 部屋のガラス戸越しに見える庭の景色が、何とも言えない趣(おもむき)があって、すごく素敵です。

 

 毎日の始まりの事を「晦事(ことこと)」と言うとの事で、それがお店のネーミングになりました。

 

 

 水木先生がお勧めしてくれた、チーズの入った「焼きカレー」を注文してみました。

 

 水木先生の話では、この焼きカレーの発祥の地は、山口県の隣りの県である福岡県なのだそうです。

 考えてみれば、この場所からすぐの所に、九州があるのですね!!

 

 チーズがまろやかにからまって、とても良い良い味を出しています。

 

 普通にご飯にかけて食べるカレーとは、ある意味、全く違う味わいですね。

 

 

 そして、萩の名物の一つといえば「夏みかん」なんです。

 その夏みかんから作った、しぼりたての美味しいジュースを頂きました!!

 

 夏みかんの甘い香りがたまらない…

 

 本当に美味しいジュースです。

 

 

 お店の方に、水木先生と一緒の写真を撮って頂きました。

 

 ちょっと、逆光になってしまって、写真うつりは悪いのですが、まるで時の流れが止まったかような、安らぎに包まれた雰囲気のお店でした。

 

 この萩の城下町のあたりは、ものすごい数の偉人や政治家、実業家も輩出しているんです。

 

 もしかすると、このあたりには、目に見えない巨大なエネルギーの渦のようなものがあるのかも知れない…

 

 街を歩いていて、どうしてもそんな風に感じてしまう自分がいました。

 

 そのエネルギーを体中に受けながら、この後、この城下町にある維新の志士の生家などをめぐっていきました。

 

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