2020.05.30西日本紀行記 ~出雲・山口への旅~<13>萩・長州藩の学舎を訪ねて

2020年5月30日(土)

 

 早いもので、もう5月も終わり…

 

 新型コロナウィルスによる緊急事態宣言も、ようやく解除されて、少しずつ普段生活に戻りつつあります。

 

 もちろん、世界に目をやれば、このウィルスに対して、決してまだまだ油断が許されない状況である事は、変わりありません。

 

 それにしても、世界中の国々が新型コロナにより、立ち直れないほどの大打撃を受けている中、日本という国は、この状況を比較的うまく乗り切っている優秀な国だと思います。

 

 僕は、この緊急事態宣言の時期、かなりの仕事を進める事が、できました。

 

 あと、新しく「Zoom講座」を開催するスキルなんかも、身に着けました。

 

 慣れてくると、Zoomというのは楽しいですね。

 プロジェクターのスクリーンを、画面共有するのはもちろんの事、最近では、画面上のホワイトボードにペンタブレットで文字や絵を描く方法まで、マスターしました。

 

 もちろん僕も、直接鑑定を休業にしたり、講座の日程をキャンセルしたり、予約した大阪講座の会場代が全額無駄になったりと、相当に損失もあるのですが、転んでただでは起きなかったですし、トータルすれば、プラスの方が多くなった気がします。

 

 こうして、せっかく緊急事態宣言が解除されたのですから、第二波には十分に注意しながらも、前に進んで行くしかありませんね。

 

 さて、今日の「西日本紀行記」は、いよいよ第2幕である「山口での旅」のお話です。

 

 新山口駅前の東横インのビジネスホテルに宿泊して、迎えた朝…

 

 山口のプロの鑑定師で、五気調整術協会の代表理事の水木杏香先生が、午前8時に、東横インの玄関に、車で迎えに来てくださいました。

 

 水木先生とは、前回サロン ド シルフィーユで会って以来、半年ぶりぐらいです。

 

 

 水木先生の赤い車に乗って、これから2日間、山口の見所を心ゆくまで観光する予定です。

 

 僕は、山口県に来るのは、実は、生まれて初めてなんです。

 

 だから、山口の事は、右も左も分からないのですが、水木先生が僕が興味を持ちそうな山口の名所をピックアップしてくださって、案内して頂ける事になりました。

 

 観光のスタートは、この新山口から、真北へまっすぐ行った所にある萩市(はぎし)

 

 

 萩と言えば、歴史好きな方なら、誰でも知っている、長州藩の本拠地…

 

 萩にある吉田松陰の松下村塾は、かなり有名ですが、萩は、維新の志士である高杉晋作とか、桂小五郎とか、伊藤博文とか、山縣有朋なんかを輩出した街です。

 

 さて、今回の旅行の行き先ですが、全部、水木先生にお任せです。

    本当、僕は、人任せな人間ですね(笑)

 

 

 最初にたどり着いた場所は、ものすごく古い校舎のような場所…

 

 少し前まで、本当に小学校の校舎だったのですが、小学校は隣の敷地に移転して、この建物は「萩・明倫学舎(はぎ めいりんがくしゃ)」となったのです。

 

 でも、さらに歴史をさかのぼれば、ここは「明倫館(めいりんかん)」と呼ばれる長州藩の藩校…

 

 当時の日本の各藩には、学府と呼ばれる学び舎(まなびや)があって、日本三大学府と呼ばれる、水戸藩の弘道館(こうどうかん)、岡山藩の閑谷黌(しずたにこう)、そして、この明倫館は、中でも、トップレベルの藩校でした。

 

 

 古めかしい明倫館の門があります。

 

 明倫館の出身者の有名所で言えば、幕末の超有名ヒーローである高杉晋作や桂小五郎(のちの木戸孝允)などがいます。

 

 他にも、長州藩ではいつも伊藤博文と共に行動し、維新後は外務大臣や大蔵大臣として、陰ながら日本の経済発展を支えた井上馨(いのうえかおる)や、日露戦争の時、大国ロシアを相手に、陸軍大将として大活躍をした乃木希典(のぎまれすけ)も、この明倫館出身です。

 

 ちなみに、後に叔父から譲り受けた松下村塾を開校する事になる吉田松陰は、9歳の時、なんと、この明倫館の兵学師範をしていたのだとか…

 

 まあ、この場所には、そうそうたるメンバーが集っていた訳ですね。

 

 

 水木先生に案内されて、大きな石碑の前に行きました。

 

 細かい字がいっぱい書いてあります。

 これは、長州藩十三代藩主・毛利敬親(もうりたかちか)が、新明倫館の開校を記念して建てたもの…

 

 よ~く見ると、碑文の最後の方に、一ヵ所だけ削られている部分があります。

 

 

 「□□□為」と三文字、削られていますが、ここには「幕命而」という文字だったようです。

 

 「幕府の命を奉って…」みたいな意味だと思うのですが、その文言を、学生達が削り取ったのでしょう。

 

 時代は尊王攘夷の真っ只中…

 長州藩と言えば、まさにその急先鋒ですから、無理からぬ所です。

 

 明倫館は、1719年に長州藩五代藩主・毛利吉元(もうりよしもと)が家臣の子弟教育の為に開いた藩校だったのですが、明治維新の頃には、この建物は明倫小学校となり、今から5年前の2014年に、明治維新の幕末ミュージアムとなりました。

 

 という事で、これから、ここに入ってみます。

    とっても楽しみです(^^)

 

 1Fのエントランスの観光インフォメーションセンターから、歴史ある木の階段を上って、2Fの幕末ミュージアムに入ると、そこは天文・地理・医学・化学に分けられ、当時の最先端の学問の資料をそのまま紹介していました。

 

 

 これは、伊能忠敬が使用していた物と同じモデルの「象限儀(しょうげんぎ)」という天体観測の道具です。

 

 他にも、時計の代わりになったり、航海道具になったり、測量に欠かせない道具になったりと、当時は万能の最新機器だったんですね。

 

 今では、ただの骨董品にしか見えませんけど、当時は天体というものと暮らしが、密接に結びついていたという事だと思います。

 

 

 こちらは、日時計…

 

 四柱推命で使う時間は、日時計で算出される視太陽時を使います。

 

 さすがにこれでは、夜の時間は分かりませんけど、当時は、現代のように、細かい時間に汲々(きゅうきゅう)とする事も、なかったのでしょう。

 

 

 地理のコーナーに展示されていた、精度の高い地図が描かれた地球儀…

 

 これ、現代の地球儀の地図と、ほとんど変わらないです。

 

 この時代は、まだ飛行機もなかったし、当然ながら、人工衛星も何にもないのに、さっきのような象限儀を使って、ここまで精密な地図が描けてしまうんですね。

 

 

 それより少しだけ、古い時代の日本地図…

 

 少~しだけ、北海道の形が変だったり、能登半島や下北半島がなかったりと、ツッコミどころが満載ですが、これを伊能忠敬という人が、さっきの象限儀で、精密な日本地図にしていったのですね。

 

この当時の人達が、現代のインターネットのGoogle地図の機能を見たら、腰を抜かすだろうと思います。

 

 我々は、本当に恵まれた時代に生まれてきているのだと、改めて実感しました。

 

 

 これは「三球儀(さんきゅうぎ)」と言って、太陽・月・地球の動きを説明する為の道具だそうです。

 

 手前の黄色い球が地球で、割と正確な世界地図が描かれているのですが、後から、付けたされたものだという事でした。

 

 その周りの小さい球が、月で、メガホンみたいなのが太陽を表しているのだと思います。

 

 なんか、食い入るように見てしまいました。

 

 

 これ、望遠鏡ですね。

 

 一緒にいた水木杏香先生が、「西洋の望遠鏡はいたってシンプルなのに、日本の望遠鏡は、蒔絵が施されていて、見事ですね」とおっしゃっていました。

 

 日本人は昔から、欧米で開発されたものを、ただ真似るだけでなく、洗練されたより優れた物に作り替えていく天才なのだと思います。

 

 

 ここからは、医学の展示コーナー…

 

 この絵、僕、見た事あります。

 

 つい最近「四柱推命講座・上級編」の健康運の所のテキストを作っていた時に、漢方の事を調べようと思って、国会図書館で「類経図翼(るいけいずよく)」という本を読んでいた(というか、見ていた)のですが、その中の絵と全く同じです。

 

 しかも、類経図翼の絵は白黒ですが、この掛け軸の絵はカラーなので、すごく感動しました。

 

 他にも、この医学のコーナーは、たくさんの興味深いものが展示されていました。

 

 その中に、ものすごく精密なつくりの子供の頭蓋骨があったので、なんか怖いなあ… と思っていたら、展示室の方から「それ、モノホンなんです」と声を掛けられて、腰を抜かしました。

 

 当時は、そういったものが平気で、身近に置かれていたのですね。

 

 このミュージアムは、一部の物を除いて全て写真撮影がOKなのですが、さすがにこれは、撮影しようとは思いませんでした(^^;;

 

 

2Fから1Fに階段を使って降りていくと、そこは「幕末動乱の軌跡」のコーナーになっていて、大砲とか銃とか、当時の武器がたくさん展示されていました。

 

 これは、長州藩の毛利の家紋が入った火薬箱と銃…

 

 これが、日本の明治維新の直接的な原動力になったのですね。

 

 

 その後、世界遺産ビジターセンターに行くと、松下村塾の再現コーナーがあって、立体シアターになっていました。

 

 アニメキャラの松下村塾の出身者が、立体シアターでいろいろと語らい合っていて、これを見ると、吉田松陰がいかにこの頃の日本の工業教育に重きを置いていたのかが、分かります。

 

 シアターの近くに、幕末維新の歴史のクイズに三択で答えるATMみたいな機器があって、水木先生から、それをやるように勧められました。

 

 僕は、この幕末維新の歴史は少しは自信があったので、そこそこ答えられるだろうと、自信満々で挑戦してみたのですが…

 

 結果は、惨憺たるものでした。(つまり、ほとんど分からなかった…)

 

 この問題、いくら何でも難しすぎです(笑)

 

 

 水木先生に案内されて、長州ファイブ(長州藩から船でヨーロッパに派遣されて、ロンドン大学ユニヴァーシティ・カレッジなどに留学した豪傑5人)と一緒に写真撮影しました。

    写真は、左から井上馨、遠藤謹助、野村弥吉、浅野太志、山尾庸三、伊藤博文…

 

 なんか、すっかり絵に溶け込んでますね(^^)

 

 この後も、水木先生と一緒に、萩市から長門市に向かって、山口県の北部の観光が続きます。

 

 時計を見ると、まだお昼前…

 

 明倫学舎を出た後、山口県のすごい所に、たくさん連れて行って頂きました。

 

 初めての山口で、どんな素敵なものに出会えるか、すごくワクワクしています。

 

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