2020.05.13西日本紀行記 ~出雲・山口への旅~<11>一畑薬師探訪記

2020年5月13日(水)

 

 非常事態宣言が1ヶ月延長されて、5月31日までになってしまった事から、僕はまたしても、自宅でコツコツと仕事をする為の時間が増えたのですが…

 

 ものすごく気に掛かっているのが、延期になって、どんどん先延ばしになっている、僕の四柱推命講座の事です。

 

 このまま、非常事態宣言が解除されなかったら、ずっと講座ができないし、仮に「日本の経済活動に、深刻な影響を与える」という理由で、非常事態宣言が解除されたとしても、やはり、この状況の中、電車に乗り継いで、サロン ド シルフィーユで講座を受けるのを、不安に思われる受講生の方は、多くいらっしゃるはずです。

 

 そんな理由で、Zoom講座という形でやろうと、今、準備の真最中なのですが、逆に、画面を通して講座を受けるなんて嫌だし、遅くなってもいいから、直接講座を受けたいという受講生の方も、やっぱり、いらっしゃると思うんですね。

 

 実は案外、僕がそういうタイプだから、この気持ちも、すごく良くわかるんです。

 

 でも、それに合わせると、Zoomで早く講座を受けたいというお客様まで、いつになるかわからない非常事態宣言の終息まで、お待たせしてしまう事になるし…

 

 う~ん、一体どうしたらいいんだろう… と、しばらく悩んでいたのですが、決めました。

 

 要は、Zoom講座と直接講座と、二度、講座を行えばいいだけの話ですね♪

 

 それで、受講生の方がどちらか好きな方を選んで、参加して頂ければ、全て解決です。

 

 なんか、スッキリしました!!

  お騒がせしました(^^)

 

 …という事で、去年の11月の西日本旅行記ですが、今日は、出雲の最後の目的地である一畑薬師(いちばたやくし)へ、行ってきた時のお話です。

 

 ツアーのメインイベントである、出雲大社の縁結大祭も終わって、出雲そばも食べて、ILU開運ツアーの旅も、いよいよ終わりに近づいてきました。

 

 旅の仲間を乗せたツアーバスは、旅の終着点である米子空港へ向かって、東へと走り出しました。

 

 ツアーに参加している多くの方は、米子空港から飛行機に乗って家に帰るのですが、中にはもっと、出雲の旅を続けるという人もいるし、僕のように、次の旅の日程を組んでいる人もいます。

 

 僕はこの後、米子空港の手前の米子駅でバスを降りて、山口へと向かう予定なのですが、もう一つ最後に、ILU開運ツアーで、最後の思い出を作る目的地が残っています。

 

 それは、一畑薬師(醫王山一畑寺(いおうざん いちばたじ)という古刹(こさつ)

 

 このツアーの主催者で、すっと旅の先達をして、我々を案内してくださっている藤尾美友先生が、バスの運転手さんから聞いた話ですと、なんと、この日の朝、出雲の空に、虹が出ていたそうです。

 

 しかも、これがダブル・レインボーだったとの事で、きっと、出雲に参拝に訪れた人を祝福してくれているのではないか、との事でした。

 

 旅の道中、藤尾美友先生には、とても良くして頂きました。

 

 僕は基本的に、聞かれない限りは、自分が占い師であるという事を、自らしゃべったりはしないのですが、藤尾先生のご主人が、ツアーの皆さんに僕が占い師をしている事を紹介してくださって、そのお陰もあって、ツアーの全員の人と親しくさせて頂く事ができました。

 

 出雲の縁結大祭の時に、忘れ物に気づいて、タクシーを飛ばしてホテルに往復したという話を聞いた藤尾先生は「言ってくれれば、バスの運転手さんに頼んで、運転してもらったのに…」と、おっしゃってくださいました。

 

 本当に、素敵なご縁を頂いた事に感謝です。

 

 

 ここが一畑薬師…

 

 この時は例によって、全く予備知識なしだったので、このお寺はどんなお寺なのかとか、どういう由緒があるのかとか、全く知らないまま到着しました。

 

 薬師という名前なんだから、おそらく薬師如来が祀られていて、健康の事をお願いする人が多いのかな… などと思いを巡らせながら、歩いていました。

   NARUTOの医療忍者の薬師カブトは、AB型という設定らしい…  なんかわかる気がする

 

 ここが、普通のお寺とはちょっと違うという事に、初めて気づいたのは、このオブジェを見ての事でした。

 

 

 め、めだまのおやじがいる…

 しかも、茶わん風呂に、お賽銭を入れられているし(笑)

 

 “うん(運)と頂く結縁(けちえん)の道” と、書いてあります。

 

 なんか、思わず魅入ってしまいました。

 それにしても、キュートです。

 

 ふと、米子空港で「目玉のおやじ」に夢中になって、ツアーとはぐれてしまった、苦い記憶を思い出し(2020/2/18 ブログ 「出雲・山口への旅~<2>美保神社は雨のち晴れ」 参照)気を引き締めました(笑)

 

 

 目玉のおやじが、転んでいます(笑)

 

 “欲にころぶな 元気におまいり”

 

 このキャラクターって、どう見たって、ゲゲゲの鬼太郎の目玉のおやじですよね。

 いいの、これ? 著作権とか大丈夫なの?

 

 この時は、まだ何も知らなかった僕は、本気で心配してしまいました。

 

 一畑薬師の古参道は、一畑坂下から1,270段もある参道石段を上がっていくのですが、ツアーバスが駐車できる大駐車場から「けちえんの道」を上っていけば、150段の階段を上がるだけで、お寺の本堂へ入っていけます。

 

 

 階段の上り口に、目玉のおやじが、横になって休んでいました。

 

 “果報はねてまて 涅槃(ねはん)おやじ” と書いてあります。

 

 …って、「涅槃おやじ」じゃなくて、どう見ても、鬼太郎のお父さんだよね… と、思わずツッコミを入れそうになりました(笑)

 

 

 石の階段の下に建てられている、ご真言塔には、薬師如来の真言である「おんころころ せんだり まとうぎ そわか」の文字が彫られています。

 

 ͡この階段は、参拝を終えて、山から下りる時に、通常使われます。

 

 もう一つの階段の方へ向かっていくと…

 

 

 なんと、階段の下で、目玉のおやじが座禅を組んでいました。

 

 見れば見るほど、原作の目玉のおやじにそっくりです。

 というか… これ、目玉のおやじそのものですよね。

 

 ゲゲゲの鬼太郎の作者の水木しげる先生は、境港の出身だし、もしかすると、これ、ちゃんと許可を取っているのかも知れないな… と、この辺りに来て、やっと思い始めました。

 

 でも、それだったら、主役の鬼太郎とか、せめて、目玉のおやじのバックに、一反木綿(いったんもめん)ぐらい、一緒にいても良さそうなものなのに、なんで、目玉のおやじだけなのだろう、という疑問が残りましたが…

 

 

 階段を上りきった所には、山号である「醫王山(いおうざん)」の字が彫られた巨大な額が掲げられた仁王門が、ありました。

 

 そして、この門を入ると、いよいよお寺の境内に着きます。

 

 

 境内には、二体のお地蔵様があって、お賽銭箱がありました。

 

 ゲゲゲの鬼太郎には、多分登場しないけど、明らかにこの二体の石像のタッチは、水木しげる先生が描いたキャラクターっぽい…

 

 一体、誰をイメージした石像なのだろう…

 

 二体のお地蔵様の後ろに立てられている案内板の説明を読んで、初めて、一畑薬師と漫画家・水木しげる先生のつながりが分かったのでした。

 

どうやら、この子供の石像が、幼い頃の水木しげる先生で、老婆の石像は「のんのんばあ」と、水木しげる少年が呼んでいた実在の人物をイメージした石像のようです。

 

 案内板には、次のように書かれていました。

 

 「のんのんばあ」一畑薬師の由縁

 

 「のんのんばあ」とは、少年時代の水木しげる先生(本名・武良茂)の家に手伝いに来ていた「景山ふさ」という実在の老婆です。この地方では神仏そのものや、神仏を拝む人を「のんのんさん」と呼びます。

 

 ふささんは、一畑薬師を熱心に信仰する「拝み手」の妻だったため「のんのんばあ」と呼ばれました。彼女は、しげる少年が四才のとき一畑薬師に連れてお参りし、たびたび妖怪やお化けの世界を語って聞かせ、後年の妖怪漫画家・妖怪研究家への素地を作ったともいえる人物です。

 

 (中略)

 

 水木しげる先生の著書である「のんのんばあとオレ」は、先生の少年時代の楽しくまた切ない思い出がつづられているエッセイで、その不思議な魅力から漫画化やドラマ化を通してたくさんの方々に親しまれています。先生は、妖怪の絵やマンガをかくようになったのは、「のんのんばあ」がいろいろな妖怪を知っていて、それぞれどこにいて、どんなことをするのか、いわば実地で教えてくれたからだと、エッセイの中で述べています。

 

 (中略)

 

 妖怪の心のふるさとと言える「のんのんばあ」の、一畑薬師への篤い信仰を称え、その献身的な功績に報いるために、しげる少年とともに、ここに永く地蔵菩薩として祀り、もってこの地域の発展と参拝者の安寧を願うものであります。

 

 なんと、ゲゲゲの鬼太郎の世界観は、この一畑薬師の熱心な信仰者である「のんのんばあ」によって、作られたものだという事なのですね。

 

 それであれば、ここにたくさんの目玉のおやじのオブジェが存在する理由も、うなずけます。

 

 どうして、目玉のおやじだけ… と思っていたのですが、その理由は、この一畑薬師は「目のお薬師様」として全国的に知られている、お薬師さんだからなのですね。

 

 どうりで、目玉のおやじだけが、特別扱いされる訳です。

 

 実際に、この目玉のおやじ像の除幕式には、晩年の水木しげる先生も、車いすで参加されたとの事…

 

 一畑薬師の境内を少し歩き、境内に設置された、ガラス張りの六角形の小さな建物の中に入って、ろうそくを灯して、お線香をあげました。

 

 

 次に、薬師本堂に行って、参拝…

 

 この後で、全員が薬師本堂に上がって、正式にご祈念をして頂きました。

 

 そしてその時に、ご住職から、この一畑薬師の由来のお話を聞かせて頂いたんです。

 それは、次のようなお話でした。

 

 今からおよそ、千百年ほど前の平安時代のお話…

 一畑山の麓(ふもと)にある海岸に、与市という漁師が、目の見えない母親と二人で暮らしていました。

 

 ある日、与市は、ミサゴという鳥に導かれて、船を海に出していくと、水の中からピカッと光るものがあります。そこへ行ってみると、なんと、金色に輝く仏像がありました。

 

 与市は、そのお像を海からすくい上げて、家に持ち帰りました。村人達は、与市が手に持っている立派な仏像を見て、皆おどろきました。

 

 与市は、自分の家にその仏像を置いて、朝な夕なに、お茶やお水、珍しい物などを、お供えして、毎日拝んでおりました。

 すると、どういう訳か、村に大風が吹いたり、突然大雷や、大雨や、地鳴りなど、不思議な事が起こり出しました。

 

 ある日、一人の僧が与市の家に、宿を求めてやって来ました。

 僧は、その仏像を見て、宿を借りたお礼に、与市に言いました。

 

「これは、左手に薬り壷、右手に施無畏(せむい)の印を示しておる。間違いなく、薬師如来様の像であろう。このまま家に置いておくのは良くない。どこか良い霊地を選んで、お堂を建ててて安置するように…」

 

 そんな事があったある日、薬師如来が、与市の夢枕に立ちました。

 

 「親孝行な与市よ、そなたの信仰心の深さを証明する為に、百丈が滝の崖から、跳びおりなさい。そうすれば、母親の眼は治ります」

 

 与市は、夢のお告げを信じ、百丈が滝の崖から跳びおりる決心をしました。これを伝え聞いた村人達は、必死に思いとどまるように説得しましたが、与市は聞き入れません。

 

 与市は千把(せんば)の藁(わら)を体中に巻きつけて、崖の上から、跳びおりました。

 

 与市は、みるみる崖を転げ落ちていき、千把の藁はバラバラになりました。

 ところが気がつくと、与市は大きな石の上に安座しており、怪我一つありませんでした。

 

 与市を案じて、手探りで駆け寄った母親の眼は、見えるようになり、二人はしっかりと抱き合い、お互いの無事を喜びました。

 

 その後、与市は、薬師如来の像を安置する場所を探し続けて、ようやく、その場所にたどり着きました。そこは、良いお茶が栽培され、足の下には水晶のような清水が湧き出ている美しい場所でした。

 

 そして、与市は、比叡山延暦寺へおもむき、出家して名を「補然」(ほねん)と改め、摩訶止観の法を受けて、その場所に「醫王寺(いおうじ)」という薬師如来のお寺を開きました。

 

 一畑にある醫王寺が、目に霊験あらたかであるという評判は、近隣や遠方にも広がり、やがて「一畑のやくし」と呼ばれるようになったそうです。

 

 本当に、心温まるお話です。

 母親の目を治したいという、与市の藁をもつかむ気持ちと優しさが、薬師如来に出会わせ、奇跡を起こしたのですね。

 

 ご住職のお話と御祈祷が終わると、みんな一人ずつ順番に、仏前で手を合わせました。

 

 その後、ご住職に案内して頂いて、本堂の廊下から、宍道湖の方を見渡すと、そこは絶景の眺めでした。

 

 

 一畑山の紅葉が、眼下に見渡せます。

 

 ご住職が、至れり尽くせりでお世話してくださり、本当に感謝の気持ちでいっぱいで、心が震えました。

 

 

 続けて、観音堂へ参拝し、全員で中に上がらせて頂きました。

 

 薬師如来様、観音様など、たくさんの仏様の種類があって、この観音様の中にも、また、いろいろな種類に分かれたりして、それによって、唱える真言が全く異なるのですね。

 

 藤尾先生は、それを即座に使い分けて、真言を唱えられました。

 

 まさに、神仏の世界のプロフェッショナルだと思いました。

 

 

 次に、十六羅漢像を見て回りました。

 

 十六羅漢(じゅうろくらかん)とは、お釈迦様の高弟の十六人の修行僧の事で、信者からの施しを受けるにも値する、貴い人という意味です。

 

 賓度羅跋囉惰闍(びんどらばらだじゃ)、迦諾迦伐蹉(かなかばっさ)、迦諾迦跋釐堕闍(かなかばりだじゃ)、蘇頻陀(すびんだ)、諾距羅(なこら)、跋陀羅(ばだら)、迦理迦(かりか) 伐闍羅弗多羅(ばじゃらほたら)、戍博迦(じゅばか)、半託迦(はんたか)、囉怙羅(らごら)、那迦犀那(なかさいな)、因掲陀(いんかだ)、伐那婆斯(ばなばす)、阿氏多(あじた)、注荼半託迦(ちゅだはんたか)という十六人の尊者です。

 

 羅漢は、正式には「阿羅漢(あらかん)」と呼ばれ、六道輪廻(2019/11/27 ブログ 「京都はんなり日記 その13 ~龍安寺と仁和寺、京の古刹を巡って~」 参照)はもちろん、欲界・色界・無色界の三界(さんがい)からも解放された、四向四果(しこうしか)の最上位に当たります。

 

 どの羅漢様も、それぞれに個性的で、良いお顔をされていらっしゃいました。

 

 その後、下生閣(あさんかく)と呼ばれる寺務所に行って、お守りや板札、お香、数珠などの仏具、それから、ほうじ茶など、おみやげ物を見ていました。

 

 何とこの下生閣で、一畑薬師の境内にある薬草畑で採れたお茶を、頂く事ができるそうです。

 また、このお茶は、まぶたにつけると、目が良くなるご利益があるとの事…

 

 みんなで、下生閣の屋内のイスに腰かけて、一畑薬師の美味しいお茶を頂きました。

 最後にほんの少しだけ残ったお茶を、指につけて、まぶたに塗ってみました。

 

 僕は最近、本当に目が悪くなって、小さな文字が読めなくて、常にメガネを離せなくなってしまったのですが、一畑の薬師如来の力で、視力も回復するような気がしてきました。

 

 みんな、それぞれに、旅のおみやげをたくさん買い込んで、階段を下りていきました。

 

 道すがら、横の木々に目をやると…

 

 

 二本の椨(たぶのき)が絡まって、一つになっていました。

 

 立て看板には「結縁の木(一)」と書かれています。

 

 「結縁」とは「仏様と御縁を結ぶ」という本来の意味があり、これが今日の「縁結び」の語源になっているとの事…

 

 「目のお薬師様によって、心の目を開き、悪縁を断ち、良縁を結んでお帰りください…」と書かれていました。

 

 一畑薬師は目を良くしてくれる仏様ですが、それだけではなく、心の目を開いてくれる働きも、してくれるのですね。

 

 縁結びの旅の最後に、とても素敵な仏様に、出会わせて頂きました。

 

 さらに、もう少し山を下っていくと…

 

 

 今度は、椨と紅葉の木が、結合していました。

 

 立て看板は「結縁の木(二)」となっています。

 

 お互いに、種類が違っても、一つになれるんですね。

 

 まあ、人と人のご縁も、これと同じような感じで、タイプが全然違う相反するような性格であっても、案外うまく行く事だってある…

 

 「出雲大社の縁結び」というと、何となく、赤い糸で結ばれた結婚相手との縁をたぐり寄せる… みたいなイメージになっている部分もありますけど、僕は、神仏が結んでくれる縁というのは、結婚相手だけに限らないと思うんですね。

 

 縁には、たくさんの種類の縁があるし、人生というのは全て、縁というものでできている… と言い切ってしまっても、間違いではないような気がします。

 

 その縁をしっかりと掴み取る為にも、目の前の一つ一つの出会いを、本当に大切にしていかなければいけない…

 

 ふと、そんな風に感じました。

 

 一畑薬師の石の階段を、全て下りきって、ツアーバスへと向かいます。

 

 これでもう、出雲とはお別れか…

 そう思うと、少し寂しい気持ちになりました。

 

 出雲駅へと向かう帰りのバスでは、隣りの席のHさんと、ずっとお話をしていました。

 

 話の中で、Hさんが十干十二支気学の笹木龍一先生の鑑定を受けて、お引越しをしたという話をお聞きしました。

 

 笹木先生の話が出たのは、偶然と言われれば偶然かも知れませんが、本当に不思議なものです。

 

 方位学のスペシャリストである笹木先生のアドバイスで引っ越したのでしたら、もう絶対に大丈夫だと、話しておきました。

 

 笹木先生の鑑定は、誰に聞いても評判がいいし、ブログを読んでも、ポジティブで元気になるし、さすがだなあ… と思いました。

 

 僕もこれまでの人生、たくさんの素晴らしい人とのご縁を頂いて、今の自分があるのを、気づかされます。

 

 もう間もなくして、ツアーバスが米子駅に着けば、みんなとお別れ…

 

 たくさんの旅の思い出に浸りながら、思う存分、出雲の余韻を楽しみました。

 

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