2020.04.24西日本紀行記 ~出雲・山口への旅~<9>いざ、出雲大社の境内へ

2020年4月24日(金)

 

 先週の金曜日、僕は49歳の誕生日を迎えました。

 

 毎年のように、村野大衡先生から、甘くておいしいスイートが届いて(村野先生の誕生日の3月27日に僕が甘いものを贈って、僕の誕生日の4月17日に村野先生から、甘いものが届くというこの慣例は、もう20年近くも続いている…)、名古屋の物理学のI博士からは、緑のきれいなタオルが何枚も届いたり、そして高天麗舟先生とそのご家族からは、緑の素敵なマグカップとピンバッジを頂いたり…

 

 それから、福岡のソフィさん、モスクワの木下順介先生、Iさん、Kさん、Rさん、Aさん、Fさん、Sさん、Nさん、Tさん、僕の誕生日を覚えていてくださって、本当にありがとうございました。

 

 ここの所、ブログは10日に1回ペースですし、たまたま前回、ブログを更新したタイミングが、僕の誕生日の前日だったので、まさか、こんなに多くの方から連絡が来て、お祝いして頂けるなんて、夢にも思いませんでした。

 

 今まで頑張って生きてて、本当に良かったです。

 

 今年は、新型コロナの影響で、お花見も行かなかったし、相変わらず僕は自宅にこもりっきりで、コツコツと仕事をこなしながら迎えた、自分の誕生日でした。

 

 それにしても、今年の初めまでは、まさか、こんな時代が来るなんて、夢にも思いませんでした。

 

 大変な事は山ほどあるけれど、それでも、そばに自分の事を大切に思ってくれている人がいてくれる…

 だから、それだけで生きていける、いや、だからこそ、その人の為にしっかりと生きていこう… と、改めて思いました。

 

 という事で、また例によって、昨年11月の西日本旅行記は、いよいよ前半「出雲編」のクライマックスです(^^)

 

 稲佐の浜で弁天島を参拝した、ILU開運ツアー一行は、先達の藤尾美友先生の先導で、出雲大社の社殿のある方へ向かって、みんなで、細い道を通りながら、歩いていきました。

 

 とはいえ、ツアーは30人近くの大所帯ですから、中には、道の途中ではぐれてしまう人もいたりしましたが、携帯で連絡を取り合って、無事に全員、出雲大社まで到着しました。

 

 出雲大社に向かうまでに、道沿いにある、出雲大社の摂社の「上宮(かみのみや)」と、末社である「下宮(しものみや)」へと、立ち寄りました。

 

 摂社とか末社という言葉は、よく神社に行くと耳にしますが、これらは、その神社の本社とは別に、そこの神社の管轄にある、小規模な神社の事を指します。

 

 ちなみに、摂社と末社の違いをいうと、摂社というのは「その神社の主祭神とゆかりの深い神様が、祀られているお社」で、末社というのは「それ以外の神様が、祀られるお社」という事になります。

 

 神社の格式という事でいえば、一般的には「摂社の方が、末社よりも上」と、されています。

 

 

 最初に、天照大御神(アマテラスオオミカミ)が祀られている末社の下宮に、参拝しました。

 

 皇室の御祖先神にもかかわらず、意外と小さな祠(ほこら)で、しかも名前も「下宮」なんですね。

 

 由緒には「天照大御神は皇室の御祖先神です。優れた御霊徳で、その御神徳は広大無辺とされます」と書いてあるだけで、それ以外、この下宮に関する説明も情報も、何もありません。

 全く、謎の多い祠です。

 

 狭い場所なので、みんなが一列に並んで、次々とお賽銭を入れて、それぞれに参拝しました。

 

 

 次に立ち寄ったのが、この上宮…

 

 実は、ここは今回、神在月に出雲大社参拝をする上で、非常に重要な場所なのです。

 

 というのは、この上宮こそが「神在祭で、全国の神が集まって会議をする場所」と、されているからなんですね。

 

 中に入ると、とても人が混み合っていて、参拝をした後、お神酒(みき)を頂きました。

 何と、その時使った盃を、物実(ものざね)として、持ち帰る事ができるんです。

 

 上宮の主祭神は、天照大御神の弟神に当たる、素戔嗚(スサノオ)です。

 弟の素戔嗚が「上宮」で、姉の天照大御神が「下宮」というのが、出雲らしくて、何とも面白いです。

 

 ただ、この上宮という場所が「全国の神が集まって会議する場所」という、重要な場所であるとすれば、ここの主祭神が、本宮の主祭神の大国主神(オオクニニシ)ではなく、素戔嗚であるというのは、ちょっとだけ、辻妻が合わないように思います。

 

 一応「出雲大社の主祭神・大国主神の元に、八百万の神が集まってくる」というストーリーになっているのですし、大国主神の義父の素戔嗚が、娘婿の為に、全国の神様をお出迎えするというのも、何だかおかしな話ですし…

 

 何でこうなっているのだろうと思って、いろいろ調べてみたら、過去の歴史の一時期だけ、何と、出雲大社本宮の主祭神が「大国主神」ではなく「素戔嗚」に、変化していた時代があったのですね!!

 

 もちろん、出雲大社の創建時は、古事記の国譲り伝説にもあるように、紛れもなく、主祭神は「大国主神」でした。

 

 出雲大社の主祭神が、一時的に素戔嗚に変化した理由は、出雲大社の近くにある鰐淵寺(がくえんじ)の影響だと、言われています。

 

 鰐淵寺は、山陰屈指の天台宗の霊場なのですが、鎌倉時代になって、神仏習合(しんぶつしゅうごう)の影響下において、出雲大社と密接な関係になり、一時期、鰐淵寺は出雲大社の別当寺(神社を管理する為に、置かれた寺)にも、なっていたのだとか…

 

 この鰐淵寺の中には、二体の牛頭天王坐像(ごずてんのうざぞう)が祀られているのですが、神仏習合の一つ「本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)」によると、牛頭天王と素戔嗚というのは、同一の存在と見なされるんです。

 

 つまり、鰐淵寺にとって、素戔嗚という神様は、特別な存在だったのですね。

 

 さらに、この鰐淵寺には「もう一つの国引き神話」というのが伝わっていて、それは、「仏教の聖地であるインドの霊鷲山(りょうじゅせん)の一部が欠けて、海に漂流していたのを、素戔嗚が持ってきて、島根半島につなぎ止めた」というお話なんです。

 

 通常の国引き神話は、八束水臣津野命(やつかみずおみつぬ)が新羅などから、四度にわけ、土地を綱で引き寄せた話…

 

 つまり、鰐淵寺が主張する説では、出雲国を作ったのは素戔嗚という事になって、出雲大社に祀られるべきは、当然、素戔嗚でなければおかしい… という事になります。

 

 そして、鎌倉時代あたりになって、鰐淵寺が出雲大社に影響力を持ってくると、出雲大社本宮の御祭神が、大国主神から、素戔嗚へと、変えられてしまったのです。

 

 そういう事であれば、この八百万の神が集まってくる上宮の主祭神が素戔嗚であっても、不思議ではありません。

 ストーリー自体が「素戔嗚の元に、八百万の神が集まって来る」という風に、変わっただけですから…

 

 ところが江戸時代になって、出雲国造家が、江戸幕府の寺社奉行に「元々、出雲大社の主祭神は、大国主神だったのだから、元に戻したい」という主張をして、それが受け入れられ、また主祭神に、大国主神がカムバックしました。

   メデタシ、メデタシ…

 

 この上宮に参拝させて頂いて、さすがに、ここに全国の神が集まって会議している気配までは、わかりませんでしたけど、ものすごいパワーを頂けた気がしました。

 

 そして、いよいよ、念願の…

 

 

 僕がずっと行きたかった「その場所」は、たくさんの人で賑わっていました。

 

 ここは「勢溜(せいだまり)の大鳥居」と呼ばれる、出雲大社の入り口です。

 

 出雲大社には4つの鳥居があって、それぞれが、石、木、鉄、銅の4種類の材質で作られていると、されていました。

 

 ちなみに、この勢溜の大鳥居は、元々は木製の鳥居だったのですが、2018年の平成の大遷宮の時に、新日鉄住金の「COR-TEN(コルテン)」の素材の鳥居に、造り替えられました。

 

 時代と共に形が変化するのは、神社だって例外ではないという事ですね。

   木製の鳥居も、見たかったな…

 

 

 この威厳ある石碑…

 やっと念願の場所に来れたという、実感がわいてきます。

 

 ちなみに、出雲大社は一般的に「いずもたいしゃ」と呼ばれる事が多いのですが、本来は「いずもおおやしろ」と呼ぶのが、しきたりです。

 

 

 境内を入った所にある「御慈愛の御神像」…

 

 いうまでもなく、出雲神話の「因幡(いなば)の白うさぎ」がモチーフになっている像です。

 

 知っている人も多いと思いますが、現代風に訳すと、大体こんな感じです。

 

 むか~し、むかし、沖ノ島の岩山に、一匹の白ウサギが住んでいました。

 

 向こう岸の因幡の土地は、草がフサフサと生えていて、ウサギは、この海を渡って因幡に行けたなら、どんなにいいだろう… と思っていました。

 

 そこである日、ウサギは、向こう岸へ行く為に、海にいるサメをだまして、うまく利用してやろうと考えました。

 

 「ねえ、サメさん、サメさんはたくさん仲間がいるみたいだけど、サメさんの数と僕らウサギの数を比べっこしようじゃないか。サメさんの数を数えるから、向こう岸まで一列に並んでみてよ」

 

 サメ達が向こう岸まで一列に並ぶと、ウサギは数を数えるふりをして、サメの背中をぴょんぴょんと跳んで、向こう岸の因幡まで、渡っていきました。

 

 「馬鹿なサメだね、こんなに簡単に、だまされるなんてサ(笑)」

 

 口を滑らせたウサギに、最後の一匹のサメがガブリと噛みつき、ウサギの皮をはいでしまいました。

 

 その頃、おおなむぢ(大国主神)の兄達(八十神=ヤソガミ)は、美しいと評判の、やがみ姫(八上比賣)に求婚をしようと、因幡の国に来ていました。

 

 海岸で、皮を剥がれてたおれているウサギを見ると、おおなむぢの兄達は、こう言いました。

 

 「海の塩水に浸かれば、すぐに良くなるよ(笑)」

 

 その言葉を真に受けたウサギが、その通りにすると、海水が傷にしみ込んで、さらに怪我が、ひどくなってしまいました。

 

 そこへ、兄達の荷物を一人で背負って歩いていた、おおむなぢがやってきました。

 

 おおなむぢは、ウサギから事情をきくと、ウサギを可哀そうに思い、傷ついたウサギの体を水門の真水で洗ってから、持っている薬を塗ってあげました。

 

 ウサギの傷はみるみる良くなり、毛が生えて、元の白ウサギになりました。

 

 元気になったウサギは「あなたこそ、やがみ姫の婿になるべきです。あんな奴らは、ふさわしくありません」と言い残して、やがみ姫に、さっきの事を伝えに行きました。

 

 それを聞いたやがみ姫は、おおなむぢの兄達が求婚に来ると「あなた方の言う事は聞きません」とはねつけ、兄達の荷物を背負っている、おおなむぢを見つけると「袋を背負われているあなた様が、私を自分のものにしてください」と言い、おおなむぢの妻となりました。

 

 その後、おおなむぢとやがみ姫の二人は、末永く幸せに暮らしましたとさ。

 

 この昔話は、典型的な勧善懲悪(かんぜんちょうあく)のストーリーですが、大国主神の優しい人柄(神柄?)というのが伝わって来て、結構僕は好きです(^^)

 

 まさに、大国主神というのは、国を治めるにふさわしい神ですね。

 

 

 これは、「ムスビの御神像」と言われる像…

 

 向こう側の人物が大国主神なのは分かるのですが、こちら側にある丸い玉って何だろう… と思っていると、こう説明がありました。

 

 大国主神が、まだ若者だった頃、突然、日本海に「幸魂(さきみたま)」や「奇魂(くしみたま)」といった魂(たましい)が現れ、その魂の導きによって、大国主神は、国を作る知識や教養を身につけていき、最後は「ムスビの大神」になっていったというお話が、古事記の中にあり、この像はそれを元に作られた。

 

 だから、大国主神というのは、人と人との縁を結ぶ神であり、出雲大社が縁結びの神社になった訳ですね。

 

 

 こちらの鳥居が、銅の鳥居と呼ばれる鳥居です。

 

 そして、この銅の鳥居をくぐると、出雲大社の境内の中心部に入れます。

 

 ここの鳥居を最初に建てたのが、かの毛利輝元です。

   五大老の一人で、関ケ原の西軍の総大将にされて負けた人(詳しくはパリブログ「周りの人に流されない」)

 

 毛利輝元は、いわずと知れた長州藩の藩祖ですが、長州藩の話は、この旅ブログの第二部「山口編」で、イヤというほど出てくる事になると思うので、今回は省きます(笑)

 

 輝元が建てた鳥居は木製だったのですが、損傷が激しくなったので、長州藩二代藩主・毛利綱広が、この銅の鳥居に造り替えました。

 

 実はこの銅の鳥居には、こんな銘文があります。

 

 素戔嗚尊者雲陽大社神也

 (素戔嗚こそが、雲陽(出雲)大社の神なり…)

 

 つまり、この頃まで出雲大社は、素戔嗚が祀られている事になっていたのですね。

 

 

 出雲大社の拝殿です。

 

 ツアーの皆さんと一緒に、参拝させて頂きました。

 

 ご存知の方も多いと思いますが、一般の神社では「二礼二拍手一礼」ですが、出雲大社の参拝作法は「二礼四拍手一礼」なんですね。

 

 また、特別な日に行う参拝作法は「二礼八拍手一礼」するとの事…

 

 だいたい「二礼二拍手一礼」というのも、明治政府の太政官が布達をし、戦後になって定着した参拝方法で、それ以前には、いろいろな参拝方法があったようです。

 

 出雲大社の拝殿に参拝した後、各自、自由行動となりました。

 

 

 思わず僕は、巨大しめ縄がある神楽殿に向かって、歩いていきました。

 

 あそこに、しめ縄がある… という、訳のわからない興奮が、どうしても抑えられませんでした(笑)

 

 生まれて初めて、出雲大社の巨大しめ縄を見ました。

 ただただ、感激です!!

 

 

 近くで見ると、本当、これどうやって、しめたのだろうと思います。

 

 大体の神社では、神様に向かって右側が上位で、左側が下位になるので、一般の神社では、右側が縄のない始めになり、左側を縄のない終りになります。

 

 ところが、出雲大社のしめ縄は、その逆に、左側が縄のない始めになり、右側が縄のない終りになっています。

 

 出雲大社は古来から、神様に向かって左側が上位で、右側が下位と、一般の神社とは逆に考えているからなんですね。

 

 

 こちらは、出雲大社内で一番のパワースポットと言われている素鵞社(そがのやしろ)です。

 

 主祭神は、紛れもなく素戔嗚…

 

 前回のブログ(2020/4/16 ブログ 「出雲・山口への旅~<8>日御碕神社と稲佐ヶ浜の潮風」 参照)に書いた、稲佐の浜で取ったお砂を、この素鵞社に納めて、こちらから、御神気の入ったお砂を頂くのですね。

 

 それにしても、自由行動と言われると、かえってどこに行ったらいいのか、わからなくなります(笑)

 

 一番間違いないのは、ツアーの先達である藤尾美友先生にピッタリついていく事だと思った僕は、藤尾先生と行動を共にしました。

 

 

 どこに行くのかわからないまま、藤尾先生と数人のグループに混ざって、ついていくと、山道のような所に入っていきました。

 

 アスファルトで舗装された、比較的歩きやすい山道を15分ほど歩いていくと…

 

 

 小さな祠がありました。

 

 祠は小さいのですが、この辺りの空間は本当に澄み切っていて、結界が張られた聖域のように感じました。

 

 ここは、「三歳社(みとせのやしろ)」と言って、出雲大社本殿の北西に位置しています。

 

 主祭神は、事代主神(コトシロヌシ)で、大国主の息子の神です。

 

 藤尾先生を先達にして、みんなで参拝しました。

 

 さわやかな風が、吹き抜けていきます。

 

 ふと気がつくと、随分と空が暗くなっていました。

 11月に入って、すっかり日も短くなっています。

 

 この後、ツアーバスに戻って、途中スーパーに寄って、各自、今夜の直会(なおらい)のおつまみやお酒の買い出しをしました。

 

 この直会が、また楽しいんですね。

 

 そして、ツアーバスは、2日目の宿泊宿である「湖畔の温泉宿 くにびき」へと向かいました。

 

 僕は、このツアーで知り合ったSさんと、同じ部屋で、宿泊をする事になりました。

 Sさんは、写真が趣味で、鉄道オタクでもあるという、とても気さくな男性です。

 

 ツアー参加者全員で囲む夕食…

 

 

 食事の後、温泉でゆっくりと体を癒しました。

 

 そして、夜の9時半ごろ、ホテルの一室を直会会場にして、みんなでお酒を持ち寄って、ワイワイとやりました。

 

 どういう話の流れでそうなったのか、よく分かりませんが、藤尾先生が「僕に良い人を見つけてあげよう」みたいなノリに、なっていました。

 

 「どういうタイプの女性が、好きですか」とか、みんなから聞かれたり、藤尾先生が「絶対に、年上の相手がいいと思う」と、どういう理由でそういう結論になったかは分からないのですが、太鼓判を押してくれたり…

 

 答えは、はぐらかしたままにしていましたが、昨夜と同じように、調子に乗ってお酒を飲んでいる僕を、KさんとYさんは、心配そうに見てくれていました(笑)

 

 一日目の直会の時は、すっかり寝入っていたTさんは、面白い話をして、場を盛り上げてくれました。

 

 何だかわからないですけど、楽しくて楽しくて、あっという間に深夜になっていました。

 

 どうやって自分の部屋に戻ったか、例によって、全く覚えていないのですが、多分、Sさんが、部屋まで誘導してくれたのではないかと思います。

 

 明くる日の朝…

 

 

 Sさんが、ホテルの部屋の窓から撮影した写真…

 

 写真家として十分にやっていけるのではないかと思うほどの、素敵な写真です。

 

 これから朝食をとった後、いよいよ出雲大社の「縁結び大祭」に参加します。

 

 ところが、ここで、またしても僕は、とんでもない失敗をやらかしてしまう事になるのですが…

 

 出雲の大国主神の縁に導かれて、はたしてどこまで行くのやら…

 

 行ける所まで、とことん行ってみたいと思います(^^)

 

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