2020.04.16西日本紀行記 ~出雲・山口への旅~<8>日御碕神社と稲佐ヶ浜の潮風

2020年4月16日(木)

 

 またしても、ブログの更新が、すっかり遅くなってしまい、申し訳ありません。

 

 今のこの時期ですし、僕の本拠地は東京ですから、あんまり更新が遅れると、ブログを読んでくださっている人に、余計な心配を掛けてしまうかも… と思いつつ、結局、今日になってしまいました。

 

 日頃は、危機管理能力の低い僕も、さすがに政府の緊急事態宣言が出されてからは、どうしても動かせない用事と、松屋と近所のスーパー以外は、極力、家から出ないで、室内でコツコツと仕事をしています。

 

 こんな時期にもかかわらず、仕事が山積みになっているのは変わらないし、僕は、一つの事に集中すると、のめり込んでしまうタイプなので、前にも増して、日々の時間に追われながら暮らしています。

 

 それにしても、今がインターネットやメールが発達している時代で、本当に良かったと、つくづく感じます。

 

 もしも、一昔前、そういったものがない時代にこういう事態になったなら、僕の場合、家にこもっているままでは、何一つ仕事がはかどりませんし、緊急事態宣言を守っているほとんどの方が、何もできないストレスで、まいってしまうと思いますね。

 

 …という事で、毎度毎度の事ですが、去年の11月の西日本旅行記の続きです(笑)

 

 物部神社を後にして、ILU開運ツアーの旅の一行を乗せたバスは、次の目的地へと向かって走り出し、バスが泊まった場所は、潮風の香りがする素敵な所でした。

 

 

 この海の向こうに見える島は、経島(ふみしま)と呼ばれる無人島…

 

 これから行く日御碕(ひのみさき)神社の下之宮でもあり、一般の人は、基本的に禁足地になっています。

 

 海の向こうから、ウミネコの涼し気な鳴き声が、聞こえてきます。

 

 この経島は、ウミネコの繁殖地でもあるのですね。

 

 いよいよ旅もクライマックス…

 

 この場所から、日御碕神社へと向かい、その後、稲佐の浜に立ち寄って、いよいよ最終目的地の出雲大社入りをします。

 

 バスが止まれる駐車場から、潮風の香りがする道を、神社に向かって進むと、途中には、美味しそうな焼きイカや、乾物なんかを販売しているお店があったりして、みんなでワイワイ楽しみながら、歩いていきました。

 

 

 しばらくすると、目的の日御碕神社が見えてきました。

 

 まるで、竜宮城みたいです。

 

 この日御碕神社の事を、僕が初めて知ったのは、以前、月読命(ツクヨミノミコト)の事をいろいろ教えてくださったNさんからでした。

 

 Nさんは、伊勢神宮や天照大御神(アマテラスオオミカミ)の事が大好きな方なのですが、そのNさんが一押しの神社が、この日御碕神社だったのです。

 

 日が昇る神社が、伊勢神宮だとすれば、日が沈む神社というのがある…

 伊勢神宮が、この国の昼を守る神社であるのに対し、この日御碕神社こそが、夜を守る神社になっていて、ペアの関係なのですね。

 

 そして、この神社の日沈の宮(ひしずみのみや)には、三貴子である天照大御神、月読命、素戔嗚(スサノオ)のシンボルが刻まれているという話も、お聞きしました。

 

 

 鳥居を通り抜け、そのまま進んで行くと、美しい朱色の楼門がありました。

 

 今回のこの開運のツアーに、僕を誘ってくださったKさんも、旅行前から、この日御碕神社の事をとても勧めてくださっていました。

 そして、ここに、有名な「御神砂守(おすなまもり)」というお守りがあるという事を、教えて頂いたのです。

 

 日御碕神社へ行く道すがら、ずっとKさんと神社の事を話しながら、歩いていました。

 

 この日御碕神社には、二つの宮があります。

 一つが先ほどの「日沈の宮」で、これが下の本社にあたります。

 そして、上の本社として、日沈の宮より少し高い所に建っている「神の宮」があります。

 

 日沈の宮は、天暦二年(948年)に、村上天皇勅命により祀られていましたが、神の宮が祀られたのは、さらにうんと古いと言われています。

 そして、江戸幕府三代将軍・徳川家光によって、現代の社殿は造営されました。

 

 

 まずは、みんなで「日沈の宮」の拝殿に、参拝しました。

 

 御祭神は、言うまでもなく、天照大御神…

 太陽神の天照大御神が、日の出を伊勢神宮に、そして日の入りを、この日沈の宮に祀られているんですね。

 

 

 日沈の宮の本殿の屋根の所の妻飾りを見上げると、まさにNさんが言っていた三貴子のシンボルがありました。

 

 中央に、真っ赤な太陽、右側には黄色い三日月、そして左側には星と思われる彫刻があります。

 

 それぞれ、天照大御神(太陽)、月読命(月)、素戔嗚(星)を象徴しています。

    うちは一族の中でも、すぐれた忍びは、この三種全ての術を操れる…(アニオタ以外意味不明)

 

 

 こちらは、境内にある末社で、右の大きな社が荒魂(あらみたま)神社、左の小さな社が蛭児(ひるこ)社です。

 

 真ん中にあるのは、昭和天皇の御製の御歌が記された石です。

 

 秋の果ての碕(さき)の浜の みやしろ(御社)

  をろがみ(拝み)祈る 世のたひらぎ(平らぎ)

 

 日沈の宮を参拝した後、先達の藤尾先生を先頭に階段を上がって、「神の宮」へと向かいました。

 

 

 こちらの神の宮の主祭神は、素戔嗚…

 

 暴れん坊の弟神(素戔嗚)が姉神(天照大神)の上で、鎮座している形になっているのですね。

 

 みんなで神の宮に参拝していると、心地よい風が吹き抜けていきました。

 

 

 Kさんに連れて行って頂いて、社務所でうわさの「御神砂守」を授かってきました。

 

 あと、とっても魔よけになりそうな鈴もおかれていたので、これも一緒に、授かってきました。

 サロン ド シルフィーユに、飾っておこうと思います(^^)

 

 Kさんから、最初に伺っていたのですけど、この御砂のお守りは、こちらから申し出ないと出して頂けないお守りで、ものすごいご利益があるのです。

 

 頂いた説明書きには、このように書いてあります。

 

 日御碕神社の「お砂」は古来、出雲屋敷と申す地鎮祭の鎮(しず)めものとして用い、神社敷地と同じ清らかな屋敷になるよう、お清めとして使う「お砂」でありますが、昭和四十年に群馬県の堀田靖二氏が新店舗の地鎮祭の為「お砂」を戴き、たまたま交通事故で医師から見放された友人に塗り付けたところ一命を取り留め、しかも全快、従前通りの運転手の仕事ができるようになり、その他交通安全、車酔止め、悪霊退散など不思議な奇跡体験者が多数となり…

 

 ちなみに、御神砂守の色は、赤、青、白の三種類があります。

     緑はなかったので、直感で白にした…

 

 日御碕神社は、KさんやNさんから伺った通りの本当に素晴らしい神社でした。

 

 この後、バスで20分ぐらい移動して、出雲大社のすぐ近くの海岸にある稲佐の浜へと行きました。

 

 

 浜辺には、かの有名な弁天島がありました。

 

 この島は、昭和60年頃までは海の中にあったのですが、近年になって急に砂浜が広がり、現在では、島まで歩いて行けるようになったそうです。

 

 浜辺に下りる階段の所に、お近くに住む写真家の方が、タブレットで撮った見事な写真を、みんなに披露していて、しばらくその写真に魅入っていたのですが、その後、大急ぎで弁天島に駆け寄っていきました。

 

 ここまで来て、浜辺に下りない手はありません。

 

 日御碕神社へバスで向かう時に、とても道が渋滞していたのですが、それはみんながこの稲佐の浜へ立ち寄って、お砂を取っていくからだという事でした。

 

 その時、バスの運転手さんから、いろんな話が聞けたのですが、今、稲佐の浜の砂をお守りにする参拝方法というのが、ブームになっているそうです。

 

 簡単にかいつまんで言うと、「まずは、稲佐の浜で御砂を頂いて、それを出雲大社の素鵞社(そがのやしろ)に納め、代わりに、そこにある御砂を頂いて持ち帰る」という、方法だそうです。

 

 何でも、テレビか何かでこの参拝方法が紹介されて、急にこの出雲大祭の時期には、この辺りの道路が大渋滞になったのだとか…

 

 僕は、日御碕神社のお砂の御守りを手に入れていますから、あえて、稲佐の浜の御砂は取りませんでした。

 

 

 弁天島の近くに言って、参拝してきました。

 

 一体、どうやってあんな場所にお社を建てたのだろう…

 

 ふと、素朴な疑問がよぎります。

 

 この稲佐の浜は、まさに、大国主神(オオクニヌシノカミ)の国譲り伝説の舞台でも、ありました。

 

 賣豆紀(めづき)神社(2020/2/29 ブログ 「出雲・山口への旅~<3>古代の女神に導かれて」 参照)の時に、国譲り伝説の事を、少しだけ書いたのですが…

 

 大国主神に懐柔されて、下照比売(シタテルヒメ)の夫となった天若日子(アメノワカヒコ)が、高天原(たかあまはら)から射られた矢に当たって、亡くなってしまった後、絶対に融通が利かなそうな武神、建御雷(タケミカヅチ)が派遣されました。

 

 これは懐柔できないと悟るや、争いを望まなかった大国主神は、この稲佐の浜で、国を譲る事を決断しました。

 

 細かく書けば、それはこの後の、大国主の息子の事代主(コトシロヌシ)の服従と、同じく大国主の息子の建御名方(タケミナカタ)と建御雷の戦いの後の事なのですが、とにかくこの国は、大国主神ら国津神(くにつかみ)から、天津神(あまつかみ)へと、譲られる事になるのです。

 

 大国主神は「国を譲る代わりに、私の住む所として、天津神の御子が住まうのと同じ位、大きな宮殿を建ててください。そうすれば私は、永遠にそこに住まい、表舞台に出ない事を誓いましょう」と言いました。

 

 そして、その大国主神の住まいとして建てられたのが、出雲大社という訳です。

 

 この話を聞く度に、この大国主の神様というのは、何て心が広くて貴い神様なのだろうと、つくづく思います。

 

 さて、いよいよ旅はクライマックス…

 

 これから徒歩で、待望の目的地である、大国主神が鎮座する出雲大社へと向かいます!!

 

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