2019.12.18京都はんなり日記 その15 ~伏見ほろ酔い日記~

2019年12月18日(水)

 

 今年も、もう間もなく終わり…

 

 振り返ってみると、今年1年は、僕にとって、色々な事がありました。

 今年は本当に、あちこち移動してばかりだったので、新しい素敵な出会いもいっぱいあった一年でした。

 

 でも、それと同時に今年は、悲しい別れを経験したのも、本当に多かった年でした。

 

 生きてさえいれば、いつか人はまた会えるというけれど、人は誰もが命に限りがあるから、時には、本当に大切な人と永遠の別れを経験しなければならない事もある…

 

 もちろん、人生と言うのは、そういうのを全てひっくるめて、存在しているものだし、楽しい事も悲しい事も全部ひっくるめて、受け止めていかなくっちゃならないだと思うけど…

 

 そんな時、旅というのは、時に悲しみの心を癒してくれるし、そこで目にする新鮮な風景や出会いは、煮詰まった自分を解放してくれたりもします。

 

 だから、気持ちが落ち込んだ時には、占いを受けるのも一つの手ですが、思い切って、少し遠くに旅をしてみるのもいいのではないかと思います。

 

 京都に滞在して、1週間ぐらい過ぎた頃の事でした。

 この日は、Iさんに、京都の伏見のあたりを案内して頂いたんです。

 

 伏見といったら、真っ先に浮かんでくるのが、豪華絢爛な桃山文化、そして、何と言っても伏見城の事でしょうか。

 豊臣秀吉がその生涯を閉じた場所も、伏見城です。

 

 また、徳川家康が将軍宣下を受けたのも、この伏見の地…

 

 そして、関ケ原の戦い前夜の「伏見城の戦い」では、家康と幼い頃からずっと共に過ごしてきた忠臣・鳥居元忠が、徳川方の城代として伏見城を守っていましたが、西軍の攻撃の格好の的となって、大軍に取り囲まれてしまいます。

 それでも、鳥居元忠は決して降伏する事なく、多勢に無勢の負けるとわかっている戦を最後まで戦い抜いて、この伏見城で華々しく散りました。

 

 よく歴史区分で、「安土・桃山時代」などと言います。

「安土」と言うのは、織田信長が建てた安土城がある滋賀県安土市の事ですが、それでは「桃山」というのはどこかというと、この京都伏見の事を言います。

    誤解されがちですが、桃山は大阪の事ではありません…

 

 桃山というのは、秀吉が建てた伏見城(指月伏見城)の跡地のあたりの場所の地名の事で、後からそこに、桃の木をたくさん植林した事から、後に「桃山」と呼ばれるようになったんですね。

 

 だから、秀吉が生きている時代から、この地が「桃山」と呼ばれていた訳ではありませんが、桃山文化と言えば、豊臣秀吉がこの伏見の地で政権を取っていた頃の、雄大で豪華絢爛な特徴を持つ文化の事を、指すようになりました。

    美術史的には、桃山文化とは16世紀後半~17世紀前半までのかなり広範囲の文化を指します…

 

 この伏見の地は、秀吉の時代の日本の中心地であった事は、間違いありません。

 

 あと、伏見と言うと、人によっては、稲荷山にある「伏見稲荷」の千本鳥居を思い浮かべる人もいるかも知れません。

 

 僕はまだ、一度も行った事がありませんが、あそこの鳥居は山全体で数えると、千本どころか、一万本くらいあるそうです。

 そして、あの場所は「外国人に人気の観光スポットのナンバー1」に、今年で、6年連続選ばれ続けています。

 

 とはいえ、今回は伏見城跡も伏見稲荷も、どちらも行きませんでした。

 

 Iさんが、案内してくださった、伏見のその場所とは…

 

 

 なんと、酒蔵の街並みでした!!

 

 清酒・月桂冠「月の蔵人」… 日本酒、大好きです(^^)

 

 どうやらこのお店は、月桂冠の酒蔵を改築してできた、築百年の歴史情緒あるお店のようです。

 でも、我々が到着した時には、ちょうどお昼休みで、営業していませんでした(涙)

 

 伏見は、かつては「伏水」とも記されていたそうで、質の高い伏流水が非常に豊富で、桃山丘陵の下をくぐった水脈が、今でも山麓の近くから湧き出てくるとの事…

 やがて、この伏見の地は、日本を代表する酒どころとなりました。

 

 そんな町全体が酒蔵の伏見ですから、まあ、たった1つぐらい、お店に入り損ねても、いくらでも次があります(笑)

 

 

 ここは、黄桜カッパカントリー…

 

 なんで「カッパ」なの… と疑問に思う方もいらっしゃるかも知れませんが、黄桜と言えば、カッパのかなりきわどいアニメのCMで、昔は有名だったのです。

 

 

 建物の中に入ると、その懐かしい原画が展示されていました。

 あと、その隣はミニシアターみたいになっていて、昔の黄桜のCMが何度も繰り返して見られるようになっていました。

 

 カッパッパ~、ルッパッパ、カーッパ黄桜パッパッパ~

 

 改めて見ると、このCM絶対に、今の時代には放送できませんね…

 子供の教育上、非常に良くないという事で、すぐにクレームになると思います(笑)

 

 

 中は、かっぱの博物館みたいになっていました。

 水木しげるの妖怪ギャラリーに、負けてないと思います。

 

 「かっぱのプロフィール」「世界のかっぱ」「かっぱの起源」「かっぱの歴史」「かっぱの呼び名」「かっぱの好きなもの」「かっぱの嫌いなもの」「かっぱのくすり」「かっぱの贈り物」「かっぱのミイラ」と続きます。

 

 一体これは何なのでしょう… 日本酒のテーマパークなのか、かっぱのテーマパークなのか、訳が分からないです(笑)

 

 

 もちろん、別にかっぱの事を知りたかった訳ではなくて、どちらかというと、楽しみはこっちですね…

 

 ここは日本酒直営店ですから、購入したお酒を、外のテーブルで飲む事ができるんです。

 

 

 という事で、日本酒の3点飲み比べセットです。

 日本酒好きには、たまりませんね。

 

 

 それでもって、これにビールとおつまみまで、くっつけてみました。

 もう、調子に乗って、ハメ外し過ぎています…

 

 この後、急ににわか雨が降ってきたので、慌てて建物の中に入ったりもしたんですけど…

 

 このカッパカントリーには、お座敷やカウンター席など、お酒を飲める場所がいっぱいあるのですが、そこには寄らず、ほろ酔い気分で、お店の外に出ました。

 

 Iさんがこの伏見に案内してくださった理由は、単に酒蔵を巡るのが目的ではありません。

 この後、幕末の歴史が好きな僕が喜びそうな、ある事件の名所を、ちゃんと用意してくださっていました。

 

 

 あの有名な寺田屋です!!

 

 寺田屋事件と言うと、正確には、幕末に起こった二つの事件が当てはまります。

 

 一つは、まだ公武合体の流れの中で、薩摩藩の尊王派が、薩摩藩の実権を持つ島津久光が派遣した説得チームによって、結果的に惨殺された事件、そしてもう一つが、坂本龍馬が伏見奉行所の幕府役人に襲撃された事件です。

 

 どちらも、この寺田屋で起こった事件である事には間違いないのですが、今では寺田屋事件と言えば、だいたいは、後者の坂本龍馬が受難した事件を言っている事が多いようです。

 

 

 この石碑には「伏見寺田屋殉難九烈士之脾」と書いてあります。

 

 この九烈士とは、島津久光の説得チームに切られた七人と、重症のまま生き延びたものの後に切腹させられた二人を合わせた、薩摩藩の尊王派の九人の事を言います。

 という事は、前者の方の寺田屋事件の被害者の碑ですね。

 

 この人達は、公武合体の時代には、犯罪者のような扱いをされ続けましたが、後の倒幕の時代になると、悲劇のヒーローとなる訳ですね。

 逆に、新選組なんかは、公武合体の時代にこそ、京の秩序を守ってくれる警察官のような扱いだったのに、時代の趨勢が倒幕に傾くやいなや、お尋ね者になってしまいました。

 

 もう一つの坂本龍馬が受難した寺田屋事件は、ご存知の方も多いと思いますが、龍馬の物語なんかではクライマックスの場面です。

 

 この事件が起こったのは、龍馬が薩長同盟を成し遂げて、間もなくの頃でした。

 

 龕灯提灯(がんどうちょうちん)や槍(やり)を携えた役人達が、寺田屋前をうろついているのを、入浴している時、浴室の窓の隙間から見た、龍馬の妻・お竜(りょう)は、一糸まとわぬ姿で二階にいる龍馬の元へ走り、夫に危機を知らせに行く… というのが、よく知られているストーリーです。

 

 でも、当時の文献によると「体が濡れたまま、帯もつけずに着物をひっかけて二階に行った…」というのが、本当の所のようです。

    まあ、それが普通ですよね…

 

 伏見奉行の役人がやってきた時、坂本龍馬は高杉晋作からもらった拳銃で防戦するも、役人の刀によって、両手に深手を負ってしまいます。しかしながら、お竜の機智で、裏木戸から家屋を脱出して、奇跡的にからくも薩摩藩邸に逃げ込む事ができたというお話です。

 

 とはいえ、その一年後の近江屋事件の時は、さすがの龍馬の悪運も尽き、暗殺されてしまいましたが…

 

 寺田屋は見学も可能で、建物の中には、お竜が入浴していた風呂桶とか、階段の刀傷や弾痕なんかもあるそうです。

 すごく中に入りたかったのですが、営業時間は15時40分までで、すでに終わった後でした。

 

 

 日本酒とビールが体の中で混ざりあって、気持ちが龍馬になった気分です。

 

 日本を今一度せんたくいたし申候…

 

 本当、調子に乗り過ぎですね。

 

 実を言うと、この寺田屋の建物は、実際に当時の寺田屋事件が起こった建物ではなく、明治38年に新たに建て直されたものなんです。

 当時の寺田屋は、鳥羽・伏見の戦いの時に焼失してしまっていて、現在の建物の東隣りに建てられていたらしいという事が分かっています。

 だから、お竜の風呂桶とか、刀傷や弾痕というのは、かなり怪しい…

 

 まあ、時が流れれば、そういう事があっても不思議ではないですし、致し方ない事だと思います。

 

 

 しばらく歩いていくと、例によって、お酒を飲めそうな所がありました。

 

 入口の横には「喫茶 唎酒処(ききざけどころ)」の看板が…

 ここは「伏見 夢百衆(ゆめひゃくしゅう)」という、大正時代に建造された月桂冠株式会社の旧本店社屋を、改造して作られた唎酒喫茶店なのです!!

 

 この期に及んでまだ飲むか… という感じですが、何となく中に入ってみました。

 

 

 伏見の清酒の酒米セット…

 一つずつの味わいが、微妙に違います。

 

 でも、どれも美味しいです(^^)

    さすがにIさんも、今回はお酒につきあってくれませんでした…

 

 かなり足元がふらついてきましたが、Iさんの案内をされながら、この伏見の最後の目的地へと向かいます。

 

 

 本当は酔っぱらって、フラフラになっているのですが、わざと見栄張って、直立しています。

 

 ここは、御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)

 この神社は清和天皇の時代から有名で、「境内から良い香りの水が湧き出し、その水を飲んだら病が治った」と言われている神社で、伏見の地の代表的な神社です。

 まさに、伏見(伏水)ならではの水の神社ですね

 

 

 ここの御香水、本当に美味しいです。

    お酒がまわっている時には、体にしみわたります…

 

 誤解のないように述べておきますと、僕は、お酒を買って家で一人で晩酌するような事は、ありませんし(頂いたお酒は別)、誰かと一緒でないと、基本的にお酒を飲む事は、ほとんどありません。

 

 だから、こんな風に酔っぱらう機会も、そんなには、ないのです。

 

 でも、たまには、こういうのも良いですね。

 その分、また明日から仕事頑張ります…

 

 

 京都伏見のほろ酔い日記… 

 

 今宵は、ここまでに致しとうございます。

 

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