2019.11.27京都はんなり日記 その13 ~龍安寺と仁和寺、京の古刹を巡って~

2019年11月28日(木)

 

 早いもので、今年もあと1ヶ月余りで終わり…

 さっき、サロン ド シルフィーユで仕事をしていたら、クロネコヤマト宅急便で、笹木龍一先生からのお歳暮が届きました。

 

 もう、そんな季節になってしまったのかと、思いを巡らせながら、包みを開けたら…

 

 

 笹木先生の出身地である宮城県の旬の具材が詰まった、美味しそうな鍋セットでした。

 しかも、今の僕にとってありがたい事に、電子レンジですぐ調理できるという…

 

 笹木先生の心づくしに、本当に感謝です。

 

 そして、この度、ホームページリニューアルをされたとの事、本当におめでとうございます(^^)/

 

 笹木龍一先生ホームページ↓↓

   https://sasaki-unmei.com/

 

 思えば、笹木先生が紹介してくださったIさんが、いろいろと段取りを整えてくださったお陰で、あの京都滞在は成功したようなものです。

 

 もう、あれから、4か月近くが経つんですね。

 

 龍安寺(りょうあんじ)と仁和寺(にんなじ)に訪れたのは、京都に滞在している期間の中でも、特に暑い日だったのを覚えています。

 

 京都滞在の3週間余りの期間は、雨降りの日が本当に多かったのですが、この日は、からっからの快晴で、少し外を歩いただけでも、汗が噴き出すような暑さでした。

 

 意外に思われるかもしれませんが、京都に滞在している間、ずっと僕は、毎日が時間との戦いだったのです。

 

 なにせあの時は、上級編のテキスト作りに追われていましたから、正直いって、観光なんてしている場合ではなかったのかも知れません。

 

 そんな無理をしてでも、この2つの古刹(こさつ)に巡るのを、強引に敢行したのは、僕の書の師匠である野尻泰煌先生から、「京都に行ったら、ぜひ龍安寺の石庭(せきてい)は見た方が良い」と言われていた事と、龍安寺のすぐ隣りにある仁和寺は、今回の京都講座の受講生で、広島から通ってくださったUさんが、「講座のついでに仁和寺に観光したら、ものすごく良かった」と報告してくださったからです。

 

 7年前の僕だったら、絶対に仕事優先にして、マンションに籠って、ずっとテキストを作っていたと思うのですが、パリで色々あって、だいぶ考え方が変わりました。

 (2012/3/16パリブログ 「気づきの薬」 参照)

 

 という訳で、そんなこんなで、七条のマンションからの最短ルートを検索して、早速出発です。

 

 

 インターネットでルートを調べてみると、三条まで京阪電車で行って、このバスに乗るのが一番早いようなので、早速、バスに乗り込みます。

 

 今回は、Iさんはいないので、完全に一人…

 

 まあ、言葉の通じないパリで、どこに行くのかよくわからないバスに乗って、凱旋門まで行った経験を思い出せば、何も怖くありません(笑)

 (2012/3/5パリブログ 「雨のパリと凱旋門」 参照)

 

 乗車時間40分ぐらいで、最初の目的地の龍安寺に到着しました。

 

 

 「名勝 龍安寺庭園」

 どうやら、ちゃんとたどり着けたようです(^^)

 

 

 拝観受付で、拝観料500円を払って、中に入ると、「石庭拝観」の立て札があって、その矢印の方向に沿って、進んでいきます。

 

 驚いたのは、観光客の3分の2以上が外国人の方だった事で、英語や中国語が当たり前に飛び交う中で、まるで異国に迷いこんだような錯覚に陥りました。

 

 

 庭の途中にある優しそうな石仏様…

 

 思わずほっこりと、心が癒されます。

 

 

 そして、庫裏(こり)の入り口から方丈(ほうじょう)に入ると、その縁側から、目的の石庭が見えました。

 

 

 これが、野尻先生がおっしゃっていた石庭か…

 

 しばらくの間、感慨深く見つめていました。

 

「この空間の意味って、何だろう」と考えてみても、答えは出ませんね。

 ただただ、侘び寂び(わびさび)の宇宙観が、心を洗い流してくれるというか…

 

 もしも、冬、雪が降り積もっている時にここに来てみたなら、また、全く違う景色を見せてくれるかも知れません。

 

 

 石庭も素晴らしいけれど、この仏殿前の庭園の緑も、中々のものです。

 思わず、時間が止まったような感覚になります。

 

 

 というか… この方丈という建物自体が、日本家屋の芸術そのものと言っても、良いかも知れません。

 自分がいるこの空間さえも、日常と違って感じます。

 

 龍安寺を建立したのは、細川勝元…

 この人は、室町幕府の管領の守護大名のトップであり、応仁の乱で足利義政側について、山名宗全らと戦った人です。

(2019/8/11 ブログ 「銀閣寺(慈照寺)巡り」 参照)

 

 結果的に、応仁の乱の戦火によって、龍安寺は焼失してしまいますが、細川勝元の子である細川政元により、またすぐに再建されていますので、正真正銘500年以上の歴史を誇る古刹です。

 

 

 庫裏を上がった所にある、書が書かれた屏風…

 明治から昭和にかけて活躍した漢学者の寺西乾山(てらにし けんざん)氏による、中国の漢詩だそうです。

 

 なんだかこの屏風、もの凄い存在感が漂っています。

 

 

 庫裏から外に出て、鏡容池(きょうようち)の方に出てみました。

 龍安寺と言えば、鏡容池のほとりのお店で湯豆腐を食べるのが、粋な楽しみ方らしいのですが、まあ、今回は時間もないし、たった一人で湯豆腐を食べるのも淋しいので、パスしました。

 

 幸せな気分に満たされて、緑のシャワーがあふれている、池の周りの道を通って、龍安寺を後にしました。

 

 野尻先生がおっしゃっていた石庭も見たし、さあ、次の目的地である仁和寺に急がなくては…

 

 

 向こうに小さく見えるのが、仁和寺…

 

 龍安寺から仁和寺までは、徒歩で10分ぐらいで到着しました。

 

 外は猛烈な暑さでしたから、早歩きでここまで歩いただけで、汗がとめどなく吹き出してきます。

 

 

 この中門(ちゅうもん)を抜けると、そこは、龍安寺とはまた違った、独特の世界観があるお寺でした。

 

 本当の事を言うと、仁和寺はさらっと全体を見たら、すぐにマンションに帰って、仕事をしようと思ってたのです。

 ところが、中に入ってみたら、とてもそうはいかないという事に、気づきました。

 

 なんと、おりしもタイミングよく、観音堂と金堂(こんどう)の特別公開が行われていたのです。

 ここまで来て、これを見ないで帰るなんて、いくら何でも勿体なさ過ぎます。

 

 徒然草の「仁和寺にある法師」のように、見るべきものがある事を知らなければ、さっさと帰れるのですが、こうして知ってしまった以上は、やっぱりそうはいきませんね。

 

 

 境内を歩くと、まずは見事な五重塔が目を引きます。

 

 境内は日陰がないので、思わず、この五重塔の陰に隠れたくなります。

 シャツはもう汗だくですが、ただでさえ時間がないので、足早に回る事にしました。

 

 

 そして、この建物が経蔵(きょうぞう)です。

 これは、経典や仏教に関する書物を収蔵する為の蔵ですね。

 

 

 これが霊明殿…

 ここには、ものすごくキメ細やかに作られた、10cmほどの薬師如来座像が祀られているんです。

 

 仁和寺は、平安時代の仁和2年、光孝天皇のご意志により建て始められたもので、天皇は完成を見ないまま崩御され、その後の宇多天皇の時代になって、寺は完成しました。

 仁和に作られた寺なので、仁和寺という名前なのですね。

 

 この仁和寺は、皇族や公家が代々住職を務めた、最も歴史の古い門跡寺院であり、宇多天皇が出家して仁和寺に入ってから、明治時代に、純仁(あきひと)親王が最後の皇族の門跡となるまで、ずっと皇族が住職だったという類まれなるお寺です。

 

 仁和寺の別称を「御室(おむろ)」と言うのですが、これは「天皇の隠居所」の意味です。宇多天皇がこの仁和寺で隠居されたのをきっかけに、そう呼ばれるようになりました。

 体温計のオムロンという会社がありますけど、あの名称は、この御室から取っています。

 

 

 この建物こそが、今回のイベントの主役でもある観音堂です。

 

 今回、観音堂修復完成記念の特別公開で、拝観料が別途、1,000円掛かるのですが、中に入ると、たった1,000円でいいのか、というほどに、言葉で語りつくせない感動の連続でした。

 もちろん、中は撮影禁止ですが、丁度、拝観料を支払った時に頂いたパンフレットに中の写真が載っているので、ここから写真から掲載しますね。

 

 

 パンフレットなので、ちょっと画像が荒いですが、こんな風にたくさんの観音様がいらっしゃって、傍らには風神・雷神までいました。

 

 しかも今回は特別に、この観音様の後ろにある屏風の裏側に描かれていた絵を、拝観できるのです。

 

 そこにあったのは、驚くべきキメ細やかでリアルな障壁画でした。

 この絵は、江戸時代の絵師・木村徳応らによって、描かれたもので、373年の間ずっと秘されてきた「幻の障壁画」と言われ、今回が初公開です。

 

 上の段には、見事な観音様が描かれ、下の段には、いわゆる「六道輪廻(りくどうりんね)」の世界が、ギョッとする程、赤裸々に描かれていました。

 

 そして、壁画のそばに立っている係の方が、その絵の内容を丁寧に解説をしてくれます。

 

 撮影禁止なので、パンフレットに載っていた写真で、ちょっとだけご紹介したいと思います。

 

 六道輪廻の世界観というものについて、僕が知っている限りで説明するとですね…

 輪廻の世界にある「天道」「人間道」「修羅堂」「畜生道」「餓鬼(がき)道」「地獄道」の6つで、六道と言うんです。

 

 人気アニメの「NARUTO」に出てくる、敵の首領のペイン六道の元ネタは、これです。

  アニオタしかわからない話で、ごめんなさい…

 

 この六道というのは、人が輪廻転生する道で、自分の前世などの行いによる業(ごう)が、そこに反映された結果だとされています。

 

 もちろん、この六道輪廻が実在するかどうかなんて、誰も確かめようがありませんが、僕は何となく、この世で生きている我々の心の在り方の中に、この六道のようなものがあるような気がするんですね。

 

 

 ちょっと画質が悪いのですが、横に長い障壁画の一番左の部分が、この絵になっていて、「天道」の世界を描いています。

 天女がいっぱいいて、幸せで楽しそうです。

 

 六道の中で、一番上位にあるのが、この天道です。

 ここに住まう人は、幸せいっぱいですし、性格も極めて善良なのですが、とはいえ、悟りを開いている訳ではなく、煩悩を捨てられている訳でもありません。

 

 極楽浄土と天道というのは、同じようなものかと思いきや、仏教においては、全く別の概念であり、極楽浄土が「仏が住まう永遠の安らぎのある場所」なのに対して、天道というのは、「輪廻の繰り返しの中で、一時的に行く場所」であって、天道に住んでいる天人にも、ちゃんと寿命があります。

 

 それで、その寿命を迎えると「天人五衰(衣服が垢で汚れ、脇から汗が出て、体が臭くなり、頭上にある花が萎れ、自分のいるべき場所の事を好きでなくなる)」と呼ばれる苦しみの果てに、また、輪廻転生へと戻っていかなければならないという事。

 

 なるほど…

 この天道は快楽に満たされていて、苦しみも一つもないし、幸せいっぱいですから、もっと自分を高めようとか、人の幸せの為に生きようという気持ちにも、中々なりにくい…

 

 だから、このまま自分だけの幸せに満足してしまったら、これまで自分が積んだ功徳をどんどん消費してしまうだけになってしまう、という事を表しているのでしょう。

 

 これが本当の話かどうかは別として、言わんとしている事は、何となくわかる気がしました。

 

 

 さて、これが天道の下にある人間道です。

 

 なんか、椅子に座っている男の人が、閻魔様の姿のようにも見えるので、もしかしたら、閻魔様が判決を言い渡す場面かも… と思ったのですが、他に「人間道」の描写らしき所もないので、やっぱり、これは閻魔様ではなく、地位のある人間を描いているのだと思います。

 

 観音堂の係の人に、人間道の部分はどこですかと、尋ねてみたのですが、明確な答えは得られませんでした。

 

 人間道とは、我々が生きている地表の世界の事で、仏教でいう「四苦八苦」の苦しみに満ちているのですが、同時に楽しい事もたくさんあって、それらの苦楽を通して、自分を高めたり、徳を積んだりする事もしやすいと言えます。

 

 それで「唯一自力で、仏様に出会える世界」が、さっきの天道ではなくて、実はこの人間道だとされているんですね。

 だからやっぱり、苦しみというのも、時には人間に必要なのだと思います。

 

 

 ここから先は、気分が滅入るので、正直あんまり解説したくはないのですが(笑)

 

 人々が武器を取り合って、戦っています。大きな赤鬼のように見えるのは、多分、阿修羅を表現しているのではないかと思います。

 

 これは「修羅道」という道であり、常に他者と争って、怒りが絶えない世界です。

 慢心や猜疑心によって、生みだされる世界であり、苦しみが絶えないのですが、地獄のような場所ではないとされています。

 

 この現実世界でも、そういう人、いると思いますし、僕も今思えば、20代の頃はずっと修羅道にいた気がします。

 

 六道を2つに分け、天道・人間道・修羅道を「三善道」、のちの畜生道・餓鬼道・地獄道を「三悪道」にわけるという説があります。

 また、修羅道を後の方に入れて、修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道の4つで「四悪道」とする説もあります。

 

 僕は、後者の方に賛成です。

 確かに、畜生道・餓鬼道・地獄道に比べたら、修羅道はいくらかは向上心がありそうな感じはしますが、怒りは自分の我見の狭さから来ていますし、相手と共存する気もない我儘な心の状態なのですから、どう考えても、これを天道や人間道と一緒くたにして、三善道とするのは、明らかにおかしいと思うんですけどね。(あくまでも、個人的意見です…)

 

 

 争いの絶えない世界も嫌ですけど、これはもっと嫌です(笑)

 人間が、ケンタウルスになってます。

 

 これが「畜生道」というやつですね。

 この世界は、獣のような弱肉強食の世界です。

 周囲の事や人の気持ちなど全く考えず、自分の本能や欲望のままに生きた結果、畜生(動物)のレベルまで、堕ちてしまったという状態を言っているのでしょう。

 

 ここは、強いものが弱いものを使役して、あぐらをかくという構図で、自分より弱い者にはやりたい放題するのですが、逆に、自分より強い者に対しては、常に怯えていなければならないという、恐怖と暗黒の世界です。

 

 向上心や、人を慈しんだり、いたわる事を忘れている結果、下等動物のようになってしまった訳ですから、そこを思い出して反省すれば、一旦この畜生道の世界に迷い込んでも、ちゃんとここから、抜ける事ができると思うんですけどね。

 

 

 ちょっと、グロすぎます。勘弁してほしいです…

 

 これは「餓鬼道」の世界観を表したものです。

 

 餓鬼というのは、お腹がふくらんだ飢えた鬼の事で、この餓鬼になった者は、壮絶な飢えに苦しんでいて、常に、何でも良いから口に入れたくてしょうがないという衝動にかられています。

 だから、この人たちは、共食いをしているという描写になっています。

 

 強欲のまま、むさぼりの心に執着すると、この餓鬼道に落ちてしまうという訳ですね。

 

 何でも、餓鬼には、何一つ口に入れる事ができないという「無財餓鬼(むざいがき)」と、粗末な物を少しだけ食べられる「少財餓鬼(しょうざいがき)」と、食べるには全く困っていないが、どれだけ食べても満足できないという「大財餓鬼(たいざいがき)」の3つに分類する事ができるのだそうです。

 

 執着して、むさぼればむさぼるほどに、苦しむのがこの世の法則ですから、そのむさぼる癖をなくしたなら、この餓鬼道から抜けられるのかも知れません。

 

 

 最後は、この地獄道です。

 もう説明したくもないので、解説は省きます(笑)

 

 観音堂に入って、この障壁画を見ていて、色々と考えさせられました。

 人間が死んだら、こんな異様な世界があって、生まれ変わる度に、こんな所を行ったり来たりしなければならないなんて、考えただけでも心が暗くなります。

 仏教の教えと言うのは、「だからこそ、この六道輪廻から速やかに解脱して、仏の道に生きるべきなんだ」としているのですね。

 

 まあ、死んでからの事なんて、わかりませんが、案外この六道の考え方は、こうして生きている間に心が陥る感情を、物語っているような気がするし、そこから脱出するすべを述べているようにも感じるんですね。

 

 例えば、無性に怒りがわいてきて、ムカムカし始めた時には、自分の心は修羅道にいるし、目の前にご馳走があって、周りの人の目も忘れて、無我夢中でごうつくばっている時は、心は餓鬼道に落ちてしまっているのかも知れません。

 

 でも、「今、餓鬼道に落ちていたから、反省しよう」と思ったなら、その道から、すぐに戻ってこれると思うんですよ。

 少なくとも、行きっぱなしになんて、ならないはずです。

 

 行きっぱなしになってしまうのは、自分の人生をあきらめてしまった人か、反省心がなくて、自分は絶対に正しいと思っている自信過剰な人か、そのどちらかだと思います。

 

 観音堂の特別公開は、僕が京都にいた時には「11月24日まで」という事だったのですが、今、改めて情報をチェックしたら、なんと「12月8日まで」に期間延長されていました!!

 

 京都の近くにお住まいの方や、京都に行かれる用事のある方は、ぜひぜひ、仁和寺の観音堂にも、拝観されてみてください。

 

 観音堂を後にして、直射日光の日差しの下を、汗だくになりながら、もう一つの特別公開の場所でもある金堂へと向かいました。

 

 

 この金堂は、仁和寺の建物の中で、唯一国宝に指定されている建物です。

 

 仁和寺という寺もまた、龍安寺と同じように、やはり応仁の乱の戦火により、焼失してしまった寺です。

 龍安寺は、応仁の乱の東軍の守護大名・細川勝元の寺であった事から、燃えてしまったのですが、逆に、仁和寺の方は、西軍の守護大名・山名宗全の本陣とされた事で、そのほとんどが燃え尽きてしまいました。

 

 実は、この仁和寺を復興させたのは、江戸幕府三代将軍・徳川家光なんです。

 この時、家光の妹にあたる和子(まさこ)が、時の天皇である後水尾天皇の妃として、入内(じゅだい)していました。

 

 そして、当時の仁和寺の住職は、後水尾天皇の兄にあたる覚深(かくじん)入道親王であり、徳川家光が京に上洛した時に、仁和寺の再建を頼んで、無事に受け入れられたという訳です。

 

 どうして金堂だけが、他の建物と違って国宝の扱いを受けているかと言うと、この金堂を建てるのに使った木材は、元々、京の天皇の住まいである内裏(だいり)の紫宸殿(ししんでん)に使われていた木材で、その紫宸殿をそのまま、金堂として移築したからです。

 

 その金堂に上がれるだけでも貴重なのですが、今回の特別公開では、仁和寺が建てられた平安時代の当初から存在し、応仁の乱の時は、外に持ち出されて戦火を免れたという国宝の阿弥陀三尊像も、公開されていました。

 

 

 これが、国宝の阿弥陀三尊像の真ん中の像である、阿弥陀如来坐像です。(写真は、パンフレットより拝借しています)

 

 お顔が神々しくて、見ていて、うっとりとします。

 この中には、本当に仏様の魂が入っているのではないか… というくらい神々しいです。

 

 仁和寺の係の人が、ここに来館された人全員に、さっきの話のような仁和寺の歴史を聞かせてくれます。

 

 

 仁和寺の境内の北庭にある池…

 

 まるで、極楽浄土みたいな場所です。

 

 この後、仁和寺を出た僕は、バスに乗って一直線で七条に帰り、シャワーを浴びて汗を流してから、早速、上級編のテキスト作りに取り掛かりました。

 

 それでも心は、あの龍安寺の石庭や、仁和寺にあった六道の障壁画や阿弥陀三尊像に、釘付けのまま…

 

 最高級の建築物や仏像や絵画を見て、感動して、たくさんの事を考えて、一回りも二回りも自分が成長できたような気がしました。

 

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