2019.11.02京都はんなり日記 その10 ~下鴨神社と緑のシャワー~
2019年11月2日(土)
ふと気づけば、もう11月…
いよいよ今年も、あと2ヶ月です。
ここの所、このブログの更新度が、めっきり遅くなってしまっているのですが、相変わらず、僕は仕事に明け暮れています。
ほとんど毎日、自由な時間はなく、時間に追われっぱなしですね。
上級編テキストと、中級編のDVD用のリメイクテキストで、挟み撃ちにあっています(^^;;
最近、疲れがたまってきた事もあって、家のベッドで寝そべってノートパソコンで仕事をしながら、疲れたらすぐ寝るみたいなパターンになっています(笑)
でも、こうやって、やりたい仕事を朝から晩までやれている事を、本当に感謝しています。
仕事が特にこんなに忙しくなったのは、やっぱり今年の夏に、京都に行ってからだと思います。
あの旅の中で、四柱推命の貴重な資料を頂けて、上級編のテキストをリメイクに奮い立ったのですが、あまりにも、前のテキストに付け加える事が多くて、未だに出口が見えないです。
それにしても、あの京都滞在の3週間の記憶は、僕の人生で忘れられない思い出になっています。
特に、下鴨神社と糺(ただす)の森を訪れた時の事は、忘れられないですね。
前回のブログで、上賀茂神社と下鴨神社は、なぜ「賀茂」と「鴨」で字が違うのか、みたいなお話をしましたが、この2つの神社は、元々一つの神社だったという事を書きました。
一つの神社が上と下に分かれたのなら、何となく「上」の上賀茂神社の方がメインなのかと思われそうですが、そんな事はなくて、この2つの神社は、雰囲気からして全然違うし、まるで比べようがない感じです。
本当に元は一つだったの?… というくらい、何もかもが違います。
Iさんに京都の観光地を案内して頂く時、前もってリクエストをある程度お伝えしたのですが、そのリクエストの中にこの下鴨神社を加えたのは、ながいつばささんが、京都でお勧めの名所という事で、ここを一番に紹介してくれたからです。
他にも、貴船神社とか、前田コーヒーとか、月ヶ瀬のあんみつとか、つばささんから、たくさん場所を教えて頂いたのですが、その中でも、一押しの場所というのがこの下鴨神社で、つばささんは昔、毎日のように、この下鴨神社や糺の森に行っていたそうです。
…と、ユーチューブ動画で言っていました(^^)
京都市内を、滔々(とうとう)と流れている鴨川…
上流にある二つの川の流れが合わさって、鴨川となって流れているのですが、その上流の川の一本が賀茂川と言います。
まさに、その場所こそが、下鴨神社と上賀茂神社の場所です。
地図を見るとわかる通り、鴨川はきれいな形で「Y」の字に合流していて、その交わった所に、京阪電車線と叡山電車線のターミナル駅である出町柳駅があります。
ここの場所には、川の中に人が向こう岸に渡れるように、上に乗る事ができる石が1m間隔ぐらいで置いてあったりするのですが、またそれは次の機会にでも書くとして…
下鴨神社の場所はちょうど、このYの三角の部分に位置するんですね。

僕がこの下鴨神社に訪れた第一印象は、女性的で、何か包み込むような感じがする神社だなあ… というものでした。
元々、つばささんからのお勧めで訪れた神社でもあったし、それが多少の先入観になっていた事もあるかも知れませんが…
前回のブログで書いた上賀茂神社は、どちらかと言うと、さわやかで男性的な威厳を感じさせるような雰囲気だったのに対し、下鴨神社は、柔らかくて、うるっとした水っぽい雰囲気が漂っているなあ… みたいに感じたんです。
これは僕の個人的な感想ですし、これまでの思い込みや経験で、そう感じてしまっている可能性も、ない訳ではありませんが…

外側から鳥居だけ見ると、確かに元は一つだというだけあって、上賀茂神社に何となく似ています。
下鴨神社の正式名称は、「賀茂御親神社(かもみおやじんじゃ)」…
前回、上賀茂神社の所でも少し触れましたが、下鴨神社の主祭神は、古代の京都を開いた神「賀茂建角身命(かもたけつねみのみこと)」と、その娘で賀茂一族の姫である「玉依比売命(たまよりひめのみこと)」の二柱です。
玉依比売命は、上賀茂神社の主祭神でもある賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)の母神に当たります。
前回のお話で、「玉依比売命が、川で身を清めていると、上流から一本の矢が流れてきて、それを持ち帰り、床に祀って休んだら、御子を授かった…」という資料のくだりを読んで、なんて無茶な話だと思ったのですが(笑)
あの資料は、どうやらかなり省略されていたみたいで、その丹塗矢(にぬりのや)の正体というのが、乙訓郡(おとくにぐん)に奉られている火雷神(ほのいかづちのみこと)だったそうで、だから、その子供である御子神が「賀茂別雷大神」と呼ばれているという訳です。
そんな伝説により、この下鴨神社は、縁結びと子育てに御神徳があると言われています。
また「賀茂始祖伝」によると、神武天皇の東征の道案内をした八咫烏(やたがらす)の正体は、賀茂建角身命であるとされ、道開きの導きや勝利といった御神徳もあります。

これは、下鴨神社の境内を流れる御手洗川(みたらしがわ)と、川に掛かる輪橋(そりはし)…
僕が行った時には、ほとんど水は流れていなくて、枯れはてていました。
土用の丑の日には、足を浸して病を封じるという「足つけ神事」があるそうなのですが、なぜか、その日が近づくと、不思議な事に川の水が湧き出てくるのだそうで、 これは、「京の七不思議」の言い伝えの中の一つに数えられているそうです。

早速、下鴨神社の拝殿に参拝させて頂きました。
写真ではわからないのですが、この拝殿の先に、左側に、賀茂建角身命が祀られた西本殿が、右側に、玉依媛命が祀られた東本殿があります。
西本殿と東本殿は、国宝に指定されていて、それ以外の建物の多くも、国の重要文化財となっています。
下鴨神社はとにかく広い神社で、境内の中には、たくさんの摂社末社があります。
ふと、周りを見渡してみると…

十二支によって、分けられている、小さなお社がありました。
数えてみると、全部で7つあります。
「丑と亥(北方合半会)」、「寅と戌(三合火局半会・化気せず)」、「卯と酉(冲)」、「辰と申(三合水局半会・化気せず)」、「巳と未(南方合半会)」それに「子」だけのお社と「午」だけのお社がありました。
これらの社は「言社(ことしゃ)」と呼ばれています。
どうやら、生まれた年の十二支のお社に、お参りするような感じです。
この言社には「大国主さん」という別名があって、大国主神(おおくにぬしのかみ)と言えば、出雲大社の御祭神でもあり、意外な事に、下鴨神社と出雲大社との繋がりは、実は、ものすごく深かったりします。
どうやら、賀茂氏の出自は、出雲の流れをくんでいるらしく、境内の摂社に「出雲井於神社(いずもいのへのじんじゃ)」という神社もあるし、下鴨神社から賀茂川に出た所に掛かっている橋は、「出雲路橋(いずもじばし)」と言います。
また、この出雲路橋を渡った所にある加茂街道周辺の地名は「出雲路松ノ下町」、「出雲路立テ本町」、「出雲路俵町」、「出雲路神楽町」となっていて、出雲との深いつながりを感じさせてくれます。
僕はこの時すでに、11月の神在祭に出雲大社に参拝する事を決めていたので、ものすごく感じるものがありました。
調べてみると、この言社の7つのお社には、それぞれ次の神様が祀られているようです。
「丑亥」の社は、大物主神(おおものぬしのかみ)
「寅戌」の社は、大己貴神(おおなむちのかみ)
「卯酉」の社は、志固男神(しこおのかみ)
「辰申」の社は、八千矛神(やちほこのかみ)
「巳未」の社は、大国魂神(おおくにたまのかみ)
「午」の社は、顕国魂神(うつしくにたまのかみ)
そして、「子」の社は、元祖「大国主神」です。
この中で、「丑亥」の大物主神だけは、知っていましたけど、それ以外の神様の名前は、どれも初めて聞くなあ… と思って調べてみたら、なんの事はありません。
全部、大国主神の別名でした(笑)
ちなみに、大物主神といえば、三輪大社に祀られている神様で、国造りを成就させる為に、大国主神の前に現れた神様だと思っていたのですが、一説によると、これも実は大国主神の別名である(日本書紀の「一書に曰く」)としていたり、実は、大国主神の幸魂と奇魂が大物主神であるという説(大神神社ご由緒)もあったりします。
何だかわからないですけど、全部、大国主神だという事です(笑)
さらに、神仏習合でいうと、大黒天も大国主神…
なんだか、あの大黒天様の笑顔に吸い込まれたような気持ちになりました。

僕は、亥年生まれですから、「丑亥」の社に参拝するという事になるのでしょうけど、たまたま他の参拝客の方が参拝していたのと、何となく、こっちのお社に参拝しておきたいたいな… という気持ちになり「子」の大国主神の社に参拝しました。
これで、「子」を取り入れて、子・亥・申・辰の水の亡神成立…
水の比劫大過で、我がままのし放題… ではなくて、水の従旺格が完成です(笑)
もちろん、この後にちゃんと「丑亥」の大物主神にも参拝していますよ。
亥・子・丑の北方合も完成(笑)

Iさんの勧めもあって、人形形代(ひとがたかたしろ)をやってみました。
「人形(にんぎょう)」と呼んでしまいそうになりますが、これは紙の形代の事で、それに自分の分身を宿して、お焚き上げをして頂く為の拠り所です。
という事で、なんとなく言社の参拝方法が間違っていたような気もしなくもないのですが、下鴨神社の拝殿を後にしました。

その後、Iさんに下鴨神社で最も人気があるとも言われる「相生社(あいおいのやしろ)」に案内して頂きました。
巷では、最強の縁結びのパワースポットという事で、連日、参拝客が絶えないとの事…
確かに、参拝するのに、結構並びました。
特にここで、お願い事をした訳ではありませんが、一番良い形で、人の縁というものができたら良いと思います。
その後、実は一番最初に、この下鴨神社に入った時に目に飛び込んできて、ずっと気になっていた、河合神社に入りました。

河合神社は、下鴨神社の摂社なのですけど、まるで一つの独立した神社のような風格です。
前に、五条通りの「若宮八幡宮社」の事を紹介した時にも、少しだけ触れたのですが(京都はんなり旅日記 その5 「五条清水探訪記」 参照)、まさにこの神社は、美しくなりたい女性が集う神社です。
美御前社と、若宮八幡宮社と、さらに、この河合神社に参拝すれば、もうパーフェクトです…
中に入ると、あまり神社にはそぐわないような感じの若い女性ばかりが一ヶ所に集まって、何やら色を塗っていました。
それは「鏡絵馬」と呼ばれる、顔が描かれた木製の絵馬で、その絵馬にお化粧を施しているのですね。
目線をどこに持っていっていいのかわからなくて、そのまま、さり気なくスルーして、先に進みました。
この河合神社の主祭神も、下鴨神社の主祭神の一柱である玉依比売命…
何となくですが、この下鴨神社のお二柱の主祭神は、賀茂建角身命よりも玉依比売命の方が目立っている気がします。(個人的感想です…)

河合神社の拝殿にも、参拝させて頂きました。
女性の気持ちが、ちゃんと分かるようになれますように…
その後、境内を見渡すと、何やら庵(いおり)のようなものがありました。

なんと、これ「方丈記」で有名な鴨長明の庵を、復元したものなんです。
行く川の流れは絶えずして、しかも、元の水にあらず。よどみに浮かぶ泡沫(うたかた)は、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と住処も、またかくのごとし。
鴨長明、好きですね。
鴨長明という名前は、まるで物書きのペンネームのような名前ですけど、本名も鴨長明(かものながあきら)と言って、下鴨神社の禰宜(ねぎ/神社のナンバー2・宮司の次に偉い人)である鴨長継の次男として生まれました。
そして、神職の子らしく、7歳の時から神職の道に入ったんです。
やがて、長明は学問にも和歌にも通じ、若くして歌人として有名になりました。
ところが、父が亡くなると後ろ盾を失った長明は、周囲との対立を深め、神職としての出世の道を閉ざされてしまいます。
長明がちょうど50歳の時、河合神社の禰宜の欠員が出て、しかも後鳥羽上皇から推薦を得るという千載一遇のチャンスをつかんだ長明でしたが、結局は、その時の下鴨神社の禰宜の長男にそのポストを奪われ、失意の末、出家してしまうのです。
まあ、だからこそ、800年の時を経た現代まで、その名前が残っている訳ですが…
なんだか、こんな庵に住んでみたくなりました(笑)
河合神社を出て、表の参道をゆっくりと歩いてみる事にしました。

向こう側にある緑…
あれが「糺の森」なんですね。
いてもたってもいられず、森に近づいていきました。

降り注ぐ緑のシャワー…
もう、つまらない事はどうでも良くなってしまいそうな、癒しのシャワーです。
ありがとう、下鴨神社… ありがとう、京都…
しっとりと、はんなりと、みずみずしい神様の気に包まれたような気持ちになりました。
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