2019.09.22京都はんなり旅日記 その6 ~祇園祭りの思い出~

2019年9月22日(日)

 

 東京では、ここの所、急に涼しくなったせいか、僕は今、少しばかり体調を崩しています。

 

 まだ、お彼岸を迎える前だというのに、寒いし、咳は出るし、関節が痛いしで、毛布とお布団の中にブルブル震えながら、過ごしています(笑)

 

 メールの返信の結びに「季節の変わり目、体調を崩しやすい時期ですので…」なんて書きながら、まさに自分の状態だなぁ… と、苦笑いしています。

 

 でも、不幸中の幸いなのは、この3日間、大家のS君がOKなら、一緒に白山登山を決行しようと予定を空けておいた事です。

 

 まあ、S君の予定を聞く前に、自分の体調がこんな事になってしまうなんて、思ってもみませんでしたが、そういう意味では、予定変更もする事なく、家でゆっくりと休養を取る事ができて、本当に良かったです。

 

 前回は首が回らなくなって、今回は風邪の症状ですが、どちらがマシかといったら、絶対的に今回のほうがマシです。

 

 首が回らなくなってしまった時は、痛くてつばを飲み込む事も、横になる事もできず、本当、これは地獄の苦しみだと思ったものですが、今回は咳は出ても、ちゃんと横になって休む事ができてます。

 この2日間、ほとんど布団の中で寝ていますね。

 

 人間というのは、こんなにも眠れるものかと驚いていると言いますか、これまでの足りなかった睡眠時間を一気に取り返していると言いますか… まさに、そんな感じです。

 

 もちろん、時間に余裕がある訳ではなくて、早く復活して、上級編のテキストのブラッシュアップにさっさと取り掛からなくちゃなんですけど…

 

 さてさて、この京都はんなり日記は、「その3」が三条通り、「その4」が四条祇園、「その5」が五条清水と、うまい具合に構成できてしまったのですが、さすがに「六条」というと、ネタがありません。

 もちろん、当初からそういうつもりで京都滞在をしていたら、何かしら用意できていたかも知れないのですが…

 

 仕方ないので、今回はちょっと開きなおって、日本最大の祭りと言われる祇園祭を見た時の事について、書いてみようと思います。

 

 

 この日は、7月16日…

 祇園祭の前祭(さきのまつり)の宵山(よいやま)の日でした。

 

 午後6時になると、いよいよ歩行者天国が始まります。

 交通整理の警察の方が、車両の通行を止めて、いよいよお祭りムードに突入です!!

 

 宵山(よいやま)というのは、お祭りの前夜祭の事…

 7月17日に行われる前祭(さきのまつり)の山鉾巡行の前3日間である14日・15日・16日の事を、前祭の宵山と言います。

 

 Iさんから聞いた所、山鉾巡行の前日の16日が宵山、その前日の15日が宵々山(よいよいやま)、その前日の14日が宵々々山(よいよいよいやま)と、言うそうです。

 

 宵山というのは、祇園祭当日に街を巡行する、巨大な山鉾が、思う存分見る事ができるという醍醐味が味わえます。

 そして、前祭の宵山の時には、そこらあたり中に夜店が出て、本当に風情のある京の祭りの雰囲気を味わえるんです。

 

 

 山鉾と一括りにしてしまいましたが、おおよそ「山」と「鉾」の2種類に分かれます。

 

 一つは「鉾」と呼ばれるもので、平安時代の前期までは、全国で蔓延していた疫病を鎮めようと、悪いものを吸い取ると言われている鉾を、氏子が持って、町中を巡廻したのが始まりだとか…

 

 その鉾がだんだん巨大化して、今のように、すごい物になってしまったという訳です。

 

 この鉾は「長刀鉾(なぎなたぼこ)」と言って、毎年、山鉾の巡行の順番は、基本的にくじで決められるのですが、この長刀鉾だけは、くじを引く事なく、必ず一番前を巡行するという習わしになっています。

 

 祇園祭の全ての山鉾の中で、唯一、鉾の上に、美しく着飾った本物の稚児(ちご)が乗っているという鉾で(他の鉾は、稚児を象った木製の人形だったりする)、この稚児役の少年は、長刀鉾の代表者と形式的に養子縁組をし、7月1日に八坂神社(祇園社)に公式参拝をして、稚児に選ばれた事の報告をし、祭りの無事を祈るのが習わしで、それを以って、祇園祭のスタートとなります。

 

 つまり「長刀鉾」というのは、祇園祭において、ちょっと特別な山鉾なのですね。

 

 

 Iさんが、長刀鉾の中に入る事ができるというので、早速、入ってみました(^^)

 笛や鈴のおはやしが、何とも心地よく聞こえてきます。

 

 

 僕は、高所恐怖症なのですが、これくらいの高さなら、何とか許容範囲です。

 

 

 とは言っても、そこそこ高いですけど…

 

 でも、怖い以上に、京都のブランド鉾「長刀鉾」に乗っているというのが、感慨深いです。

 

 長刀鉾を降りて、少し歩いていくと、立派な傘がありました。

 

 

 一体これは、山(やま)なのか、鉾(ほこ)なのかと、疑問に思ったのですが、一応、鉾の仲間のようです。

 これは昔ながらの鉾の古い形態だとか…

 

 名前は「綾傘鉾(あやがさぼこ)」と言います。

 

 

 これは「岩戸山(いわとやま)」という山ですが、ほとんどの山は「舁山(かきやま)」と呼ばれている形の山なのに対し、前祭の中では唯一「曳山(ひきやま)」と呼ばれている山です。

 僕の素人目には、この岩戸山は、大きさからしても、鉾と全く見分けがつかないし、いっその事、鉾と呼んでしまっても良いのではないかと思ってしまうのですが、一応「山」です。

 

 

 近くに、岩戸山の展示資料館がありました。

 これは、まさしく、天の岩戸開きのお話をモチーフにしたもののようですね。

 

 でも、面白いのは、ここでは中世日本紀に基づき、天照大神(アマテラスオオカミ)は、美男子の男神として、表現されている事なんです。

 

 

 だんだんと、日が暮れてまいりました。

 これは、「芦刈山(あしかりやま)」…

 

 山というのは、基本、鉾よりもかなり小振りになります。

 

 

 そして、こちらは「蟷螂山(とうろうやま)」…

 僕はこの蟷螂山が、全ての山鉾の中で一番ユニークで、好きですね。

 

 「蟷螂之斧(とうろうのおの)」の故事にちなんで、からくり仕掛けのカマキリが動くのですが、ここからでは確認できません。

 

 今年はくじで、2番目となって、長刀鉾のすぐ後を進むらしいのですが、明日の巡行が楽しみです。

 

 

 酒樽が何とも、風情があって良い雰囲気です。

 これは「霰天神山(あられてんじんやま)」…

 

 ちなみに、この山がある住所はというと、「錦小路室町西入ル天神山町」なんです。

 

 さっきの蟷螂山は「西洞院四条上ル蟷螂山町」ですし、岩戸山は「新町仏光寺下ル岩戸山町」です。

 つまり、地域で作っていた山鉾の名前が、そのまま住所になった場所が多いという事です。

 

 

 この茅の輪は、山伏山の所にありました。

 もう、一つ一つに山鉾が、小さな神社みたいに扱われているんですね。

 

 さすが、祇園祭の宵山… スケールがでかいです。

 

 気がつくと、すっかりと日が暮れていました。

 

 

 これは「放下鉾(ほうかぼこ)」…

 夜の街に映える、山鉾の提灯が何とも言えない風情を感じます。

 

 

 だいたいぐるっと一周して、最後にたどり着いた山鉾が「函谷鉾(かんこぼこ)」でした。

 

 その日は、京都の街が、まるで過去の歴史に迷い込んだような不思議な雰囲気になっていました。

 

 

 

 ここは、四条通鴨川沿いの先斗町…

 今日の先斗町は、ものすごく賑わっています。

 

 この日は、Iさんと夕食を食べて、七条のマンスリーマンションに帰り、翌日の祇園祭の山鉾巡行当日、四条河原町の高島屋の前の巡行のメイン通りで、僕はじっと一人で、山鉾が来るのを待ち構えていました。

 

 

 真っ先に、四条河原町の交差点に、颯爽と入ってきたのは「長刀鉾」です。

 

 この「長刀鉾」こそが、京都祇園の山鉾の代表みたいなもので、中には、この鉾だけを見て、帰ってしまう人もいるくらいです。

 

 

 この長刀鉾は、重さ11トン、高さ25m…

 これを動かしているのが、全て人力だというから、本当に驚きです。

 

 

 そして、この長刀鉾こそが、祇園の山鉾の中で唯一、稚児と、金色のうちわを持った二人の禿(かむろ)を乗せている特別な鉾なのです。

 

 

 2番目にやってきたのは、蟷螂山…

 

 

 このカマキリが、からくり仕掛けで動くのですが、とてもキュートと言いますか、とにかく可愛いのです。

 

 京都の祇園祭にお越しになる方は、この蟷螂山は、ぜひチェックしてほしいと思いますね。

 浅野太志のいち押しの山鉾です。

 

 

 3番目にやってきたのは「芦刈山」…

 

 謡曲「芦刈」が、その題材となっています。

 家が没落して、貧しさのあまり、仲睦ましかった夫婦は離別し、やがて、妻は都で宮仕えをし、高貴な人の家に乳母として奉公します。

 3年の年月が過ぎ、生活が安定した妻は、従者を連れて、里帰りをしますが、夫は行方知れずになっていました。

 夫がいなくて落ち込む妻の為に、従者が「何か良い気晴らしはないものか」と、里の人に尋ねると「いつも芦を売りに来る、芦売りの男が面白い」との答えが返ってきます。

 従者がその男に会いに行くと、その男は、芦を売る姿に落ちぶれた身の上を嘆きつつも、芦を刈る風雅を語り、謡曲を唄い、見事な舞を見せます。

 

 従者からその話を聞いた妻は、従者に、男に芦を一本持ってきてもらうよう頼みます。

 そして、男は妻に芦を持っていくのですが、妻を一目見て、恥ずかしさのあまり小屋に隠れてしまいます。

 なんと、その男こそ、行方知れずの夫だったのですね。

 

 「どうか、姿を見せてください」という妻に「こんな姿をさらさなくてはならないとは、思い沈むばかりだ」という夫、「人の心はわからないもの。もしかしたら、昔の妻と別れ、新しい妻を迎え入れたという事なのでしょうか」と問い詰める妻に「例え身は落ちぶれても、愛してやまない本妻をないがしろにして、どうして他の女の事など考えられようか」と答える夫。

 

 やがて観念して出て来た夫に、従者が「これはめでたい。このまますぐに都に参りましょう。さあ、烏帽子をつけてください」と言って、ハッピーエンドに終わるというストーリーです。

 

 昨日の夜は、良く見えなかったのですけど、芦と鎌を持った夫である日下左衛門(くさかのさえもん)を、しっかりと見る事ができました。

 

 この「芦刈山」は、山鉾最古級であり、日下左衛門が着ている「綾地締切蝶牡丹文様片身替」は、国の重要文化財にもなっています。

 

 

 次にお目見えするのが、「木賊山(とくさやま)」です。

 

 世阿弥の謡曲「木賊」が題材で、我が子を賊にさらわれた翁が、信濃国に行って、賊を刈るというストーリーです。

 

 

 そして、また巨大な鉾がやってきました。

 

 昨夜、最後に見た「函谷鉾」も、夜の街で見るのと、こうして昼見るのとでは、まるで印象が違います。

「函谷鉾」は、春秋戦国時代の勇者・孟嘗君(もうしょうくん)が、函谷関に着いた時のお話が元になっています。

 

 

 これは「郭巨山(かつきょやま)」です。

 

 中国の故事の話で、貧困のあまり、郭巨は、思い悩んだ挙句、母と我が子を山に埋めようとしましたが、そこで黄金の釜を掘り当て、母親孝行をしたというお話です。

 

 この日の京都の温度は34度…

 この辺りになると、みんな山鉾を見るのをやめて、その場を去っていきました。

 

 だから、何となく混雑が少し解消されている気がします。

 この暑さですから、無理からぬ所ですね。

 

 

 次にやってきたのが、昨日も見た「綾傘鉾」です。

 

 前祭では、全部で23の山鉾が巡行します。

 という事は、後16山鉾の巡行が残っているのですね。

 

 

 これは、「伯牙山(はくがやま)」…

 

 中国・周の時代の事の名人・伯牙が、自分の理解者である鐘子期(しょうしき)の死を嘆き、琴の弦を絶ったという故事から来ています。

 

 

 そして、これが「菊水鉾(きくすいほこ)」…

 

 町内にあった井戸である「菊水井」が、きっかけになったそうです。

 

 

 これは「油天神山(あぶらてんじんやま)」です。

 だいたい「〇〇天神山」という名前の山は、この鳥居を乗っけた形になっているようですね。

 

 

 これは「太子山(たいしやま)」…

 

 聖徳太子を祭る山で、老人に大杉の霊木を教えられ、六角堂を建てたという伝説が元になっています。