2019.07.283泊4日加賀旅行記<後編>
2019年7月28日(日)
この度、浅野太志は、18日間の京都出張を終えて、無事に東京に戻ってまいりました。
ヨーロッパ旅行から帰るやいなや、すぐに金沢に行き、京都に行きと、何だかんだで、ずっと東京から離れていました。
でも、東京に戻ってきたら戻ってきたで、上級編講座の後は、中級編DVD撮影、朝日カルチャーセンターのタロット実践編、そして、東京池袋で行われる第30回泰永書展… と、どっちにしても、あんまりサロン ド シルフィーユにいないんですね(笑)
まあ、こういう忙しいのは、何気に好きです。
こうやって常に動き回っていれば、つまらない事を考える時間の余裕もないから、いつも元気でハッスルしていられます。
さてさて、かなり時間差ができてしまっていますが、前回の金沢旅行の続きのお話です(^^;;
標高178mの舟岡山に登り下りして、すっかりフラフラになった状態で、金劔宮に参拝し、ビジネスホテル ナカダに着くと、部屋のベッドに倒れるように眠ってしまいました。
そして、そのまま翌朝…
つまり、3泊4日の旅行の3日目であり、最初は、白山登山を予定していた日を迎えました。
でも、昨日の疲れがまだ足に残っていて、起伏のない道なら歩けますが、この状態では、さすがに山道は歩けなかったと思います。
上級編講座の皆さんに止めてもらって、本当良かったです…
今日の予定のまず一つ目は、浅野神社に参拝する事…
その後の事は、きちんと決めていませんが、とりあえず、金沢市内を散策してみようと思っています。
前回、浅野神社に参拝したのは、まだ暗い早朝でした。
(2018/12/10 ブログ 「遠い祖先からのメッセージ」 参照)
周りもうす暗くて、浅野神社もそこまで行く道にあったものも、正直しっかりと見えていませんでした。
改めて、こうしてお昼に行ってみると、随分と印象が違いますね。
これが、金沢市にある浅野川…

穏やかな流れの川です。

前回は、この中島大橋を渡って、川の向こう側に行ったのですね。
昼と夜とでは、まるで印象が違います。
この橋を渡って、神社に行っても良かったのですけど、もう少し川沿いを歩いてみたかったので、浅野川に沿って、神社に近くなる方向へと、歩いていきました。

そして、川沿いにあったこの昌永橋という小さな橋を渡ったら、見事に、道に迷ってしまいました(笑)
道に迷っていると、小さな公園にたどり着きました。
それで、その公園に咲いている紫陽花の花が、とっても綺麗で、思わず写真におさめたくなったんです。

公園の中に入って、バシャバシャ写真を撮っていると、その公園を清掃されていた職員の方から、「こっちの方に、もっといっぱい紫陽花が咲いているよ」と、声を掛けられました。
優しそうな60才~70歳の年配の男性の方です。
僕は、「ありがとうございます」とお礼を言って、公園の奥の紫陽花も、写真におさめていました。
写真を撮った後、この方なら、浅野神社がどこにあるか知っているに違いないと思い、道を尋ねてみました。
すると、この男性は、浅野神社にとてもお詳しい方で、神社の由来や神主さんの事など、普通なら聞けないようなお話を教えてくださいました。
「現在の宮寺さんは女性の方で、詳しい話が聞けるから、社務所の呼び鈴を押して、お話するといいよ」
…と、おっしゃってくださったのですが、僕はさすがにそれは気が引けるので、やめておこうと思いました。
神社までの道も、とても分かりやすく教えてくださったので、迷う事なく浅野神社に到着…

約、半年ぶりの参拝です。

まずは、この手水屋で、手を洗って口を漱ぎました。

暗い早朝に参拝した時には、気づかなかったのですけど、古い木の看板に、ちゃんと「浅野神社」と書いてあります。
間違いなく、正真正銘の浅野神社です(笑)
当たり前…

参道に茅の輪があったので、それをくぐっていると、一台の車が、神社の境内に入って来ました。
その車から、背筋がピンと伸びて、矍鑠(かくしゃく)とした威厳がある女性が、降りてこられたので、思わず「宮司さんですか?」と、声を掛けてしまいました。
その後、宮司さんと、たくさんお話をさせて頂きました。
インターネットが流行り出してからというもの、今では何と、全国各地から、たくさん浅野さんがいらっしゃるようになったのだそうです。
ちなみに、先程の清掃をされていた職員の方は、代々の浅野神社の総代さんなのだそうです。
それにしても、いろんな偶然が重なって、まるで何かに導かれているのではないか… という気持ちになりました。
ちなみに、浅野神社には、若宮白山社が摂社として祀られているのですが、この勧請元は、白山比咩神社でした。

その後、兼六園方面にも行ってみる事にしました。
兼六園とは、元々、金沢城の外郭に造営された藩庭です。

金沢城の加賀百万石の城主と言えば、この人、前田利家公です。
豊臣秀吉が亡くなった後、天下を取ろうとしていた徳川家康にとって、目の上のたん瘤のような人で、秀吉の古き友人で信任も厚く、この時代、家康に対抗できたのは、この前田利家ぐらいしかいませんでした。
利家の死によって、家康の天下が決まったと言っても、過言ではないでしょう。

兼六園の入園料はいくらだろうかと、見てみると、何と、たったの310円ではありませんか。
早速、人生初の兼六園巡りをしてみる事にしました。

あふれるような新緑のシャワー…

そして、この詫びさびの風情…

最初、まつ(前田利家の妻)の銅像かと思ったのですが、違いました。
どうやら、ヤマトタケルの銅像のようです。
金沢の地に、どうしてヤマトタケルなんだろうと、一瞬、疑問に思ったのですが、これは、西南戦争戦没者の慰霊の為に建設されたもので、「九州征伐の英雄」という事でヤマトタケルの像になったようです。

ちょうど、七夕の時期だった事もあって、趣ある建物に、笹の葉に短冊が飾られているのが、何とも言えない風情を感じます。

美しい霞ヶ池…

そして、池と徽軫灯籠の見事な調和…
兼六園は、本当に心をうっとりとさせてくれる庭園でした。

兼六園を出て、半年前は夜に訪れた金城霊沢にも行ってきました。
(2018/12/9 ブログ 「夜の金沢を歩いて」 参照)

やっぱり、昼見るのと夜見るのとでは、全然違います。
この泉で、芋掘藤五郎が芋を洗っていると、沢から砂金が出てきたそうで、この事から「金沢」という地名ができたそうです。

さらに、歩いていると、なんとこの近くに「鈴木大拙館」がある事が分かりました。

鈴木大拙(1870~1966)と言えば、言わずと知れた、近代の禅や仏教における世界的研究者で、かのケン・ウィルバーでさえも、鈴木大拙には、常に一目置いています。
僕も“鈴木大拙”という名は、良く知っていましたし、何冊か本も読んだ事はありますが、まさか金沢の人だったという事は、恥ずかしながら、今の今まで知りませんでした。
迷う事なく、入場しました。

これは、鈴木大拙館にある水鏡の庭…

こちらは、「思索空間」という部屋の入り口を通して見える、外の風景…

鈴木大拙の生誕地とされる場所に、胸像が飾られていました。
僕は何気に、この鈴木大拙先生の諭す禅というものが好きですね。
「無心」であるという事…
それは、森羅万象と一つにつながるという事…
その感覚を知る事で、せまい価値観の独りよがりや、はた迷惑なおせっかいに陥る事もなくなる…
まだまだ、僕にはほど遠い世界だけれど、いつしかそうなれたらと思う。
この日は、うっとりとして気分で、ホテルナカダに帰りました。
翌日の4日目の朝のチェックアウトは、まだまだ間に合うだろうと高をくくっていて、時間ギリギリになってしまったのですが、奇跡的に、京都の講座会場に間に合いました。
そして、「四柱推命講座・初級編」の1日目を「Kolme Kyoto」の会場で開催し、これにて3泊4日の加賀旅行は終わり…
その夜、新幹線で、無事に東京へと帰還しました。
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