2019.06.282019年 ヨーロッパ紀行 第29話 ~最後の目的地・プラハへ~

2019年6月28日(金)

 

 (In Brno Czech Republic Date  19 May 2019)

 

 みんなと一緒に買い物に出掛けた草さんが、僕へのおみやげにと、ビールをプレゼントしてくれました。

 

 

 チェコのビールは、とても美味しくて、しかも値段が安いという事で評判です。

 

 チェコの国民一人あたりのビール消費量は、なんと世界第一位で、日本の消費量の約3倍の量だとか…

 

 プラハへ出発する朝、目覚めると開口一番で、草さんとこのビールで乾杯する事にしました(^^)

 

 朝からビール…

 こういうのも、アリだと思います(笑)

 

 そして、少しほろ酔い気味になりながら、旅のメンバー8人は、次の目的地である、チェコ共和国の首都・プラハへと向かいました。

 

 今度は、チェコ国鉄の電車に乗って、だいたい2時間半ぐらい掛けて移動します。

 

 ブルノとプラハは、同じチェコ共和国の都市で、その距離はおよそ185km…

 日本で言うと、だいたい東京~富士山間ぐらいの距離です。

 

 チェコ国鉄のブルノ駅は、晴れ。

 

 

 ブルノの思い出…

 正直言うと、あまり思い出せません。

 

 ハンガリーのブダペストでは、温泉に入った記憶や寺院に上った記憶、オーストリアのウィーンでは、馬車に乗ったり美術館に行ったりした記憶と、即座に出てくるのに、ブルノでは携帯電話がなくなってしまったという事が、記憶の中でクローズアップされてしまって、ブルノでの思い出が、かき消されてしまっています。

 

 昨日、草さんがバス会社にメールを送ってくださったのですが、当然ながら、すぐに返事が来る訳はなく、携帯は発見できないまま、このブルノの地は離れる事になりそうです。

 

 日本に帰って落ち着いた頃にでも、見つかって連絡が来てくれたなら、それで十分に本望です。

 もちろん、見つからなかったとしても、それはそれで受け止める覚悟も、今はちゃんとできましたし…

 

 ものすごい昔やっていた、クイズ番組の「世界一周すごろくゲーム」でも、「ガックリ都市」というのがあって、そこのマスにとまると、ふりだしに戻ってしまう都市というのがあったのですが(およそ、ブエノスアイレスとリマだった気がする…)、ブルノは、僕の中で、それにちょっぴり近いと言うか(笑)

 

 でも、そんな事言ったら、ブルノの街に申し訳ないですね。

 

 村上春樹の「ハナレイ・ベイ」という短編小説には、息子をサメに食い殺された主人公が、島民から「どうか、このカウアイ島を嫌いにならないで」と言われるシーンがあるのですが、たまたま息子が事故になった場所が、カウアイ島だったというだけで、そんな気持ちになってしまう…

 

 僕の中では、これまで京都という場所が、人生の中でそれに近かったんですね。

 でも、半年前に思い切って京都の地に飛び込んでいったら、だいぶその記憶が払拭されたし、今度は7月に、京都に3週間ぐらい滞在しようと思っています。

 

 場所だけではなくて、人生の中の人との出会いというのも、これとちょっぴり近い気がします。

 素敵な出会いもいっぱいある中で、思い出すだけで、ちょっぴり後味が悪い出会いというのも、誰だって、人生で一つや二つはあるものです。

 

 中には、相手に対して憎しみがこみ上げてくるものだってあるかも知れないけど、それは、その人と一緒に過ごしている時に、たまたま不幸な出来事が起こったから、そうなっただけの事かも知れない…

 

 まあ、そんなに簡単に割り切れるものではない事は、よく分かっていますが、僕はできるだけ、そういう風に考えようと思っています。

 

 きっと、すぐに出てこないだけで、素敵な思い出だって、いっぱいあるのだから…

 

 ブルノの思い出…

 古くて素敵な街並み、可愛らしいあの喫茶店、テレーザさんとの素敵な食事会…

 

 しっかりと、心に刻み付けておこうと思います。

 

 

 電車が走り出しました。

 ブルノの街が遠ざかっていきます。

 

 そして、2時間半後には、プラハに着く…

 

 プラハと言えば、パリに並ぶおしゃれな街というイメージがあるのですが、野尻泰煌先生は、「プラハの春という悲しい事件があった場所なんだよね」と、おっしゃいました。

 

 当時のチェコスロバキアは、ソビエト連邦を中心とする社会主義の東側諸国に組み込まれていました。

 

 プラハの春の発端は、チェコスロバキアの指導者・アレクサンデル・ドゥプチェクの「市場経済の導入や、表現の自由の擁護、国の検閲の廃止」といった独自の改革路線や、チェコのジャーナリストである、ルドヴィーク・ヴァツリークが起草した「二千語宣言」というものに対し、怒りを覚えたソビエト連邦が、最終的には、軍事介入という強硬手段を選んだ事による悲劇です。

 

 チェコに突如、侵攻してきたソビエト連邦率いるワルシャワ条約機構軍の戦車に、無防備の市民が、路線バスをバリケードにして立ち向かいました。

 それは、自分達の言論の自由を守る為の戦いでもありました。

 

 市民は必死になって抵抗し、100人余りの死者が出た言います。

 指導者・アレクサンデル・ドゥプチェクは軍に拘束されて、ソビエト連邦へ連行され、これによって、チェコの改革は頓挫し、プラハの春は終わる事となりました。

 

 確かに、胸が切なくなるような、悲しい歴史です。

 

 いよいよあと2時間後には、始めて目にするプラハ…

 この旅行の最後の目的地は、一体、どんな街なのだろう。

 

 胸がドキドキと、高なってきました。

 

 <旅の教訓29>

 どうせなら、心は素敵な思い出だけで満たそう。

 

※「2019年ヨーロッパ紀行」のアーカイブは、こちら

 

もし良かったら、クリックしてください(^^)