2019.06.262019年 ヨーロッパ紀行 第27話 ~時間旅行~
2019年6月26日(水)
(In Brno Czech Republic Date 18 May 2019)
5月のチェコの陽気は、暑くもなく寒くもなく、とても過ごしやすい国でした。
僕は、元々かなりの寒がり屋なので、僕がこう感じるという事は、普通の人には、もしかすると、少し暑いくらいの陽気だったのかも知れません。
チェコの民族の直接の祖先は、スラヴ人だと言います。
ボヘミア地方やモラヴィア地方で、9世紀あたりに「チェヒ国」という国ができ、この国こそが、チェコの片鱗とも言えます。
やがて、この辺りにはカトリックの教えが普及し、この地域を支配していたプシェミスル・オタカル1世は、1192年に神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世によって「ボヘミア王」の称号を与えられました。
やがて、代々のボヘミヤ王は、神聖ローマ帝国・選帝侯の地位を、与えられる事となります。
この時に成立したボヘミヤ王国こそが、チェコ共和国の前身と言っても良いでしょう。
今 来ているブルノは、チェコ共和国の第2の都市ですが(チェコの首都はプラハ)、ドイツ人の植民が進んだ都市であり、街は確実にその影響を受けています。
ブルノで過ごして、2日目…
どうも、体の調子が思わしくない僕は、なるべくベッドの上で横になって、養生する事にしました。

いつの間にか、ヒデ君に写真を撮られていました…
部屋に掛かっていた時計を見ると、6:25を指しています。
外はまだ昼のように明るいし、携帯がなくて確かめようがないので、午前なのか午後なのか、一瞬迷う所ですが、間違いなく午後でしょう。
チェコはサマータイムが導入されているから、夕方でも外が明るくて当然だし、少なくとも、今が朝の6:25である事はありえないですから…
まるで、時間が止まったような感覚です。
昨日はあれほど、携帯電話がなくなった事に大騒ぎしていたのに、今日は、かなり淡々とした気持ちでいる自分がいます。
時間というものには、動揺したり傷ついたりした心の痛みや傷を、沈静化してくれる魔法の力があるのかも知れません。
それにしても、あの携帯電話は、一体どこに消えてしまったのだろう…
自分でも驚くほどの冷静な気持ちで、あの日の事を振り返ってみました。
よくよく思い出してみれば、バスから降りる時、一瞬、自分が携帯電話を持ったかどうか、気に掛かった瞬間があったんです。
半年前に奈良で携帯を失くしてからというもの、席を立つ時にはいつも、自然と自分の持ち物をチェックする癖がついてしまいました。
それにもかかわらず、何でこんな結果になってしまったかと言えば、自分の席の周りをしっかりと見渡して、そこに何も忘れ物がなかったから、「携帯は(持っているかは、確かめていないけど)カバンかポケットか、必ずどこかに入っているに違いない」という結論に至ったからです。
隣りの席だった松里さんも、あの席には何もなかったとおっしゃっていたし、バスガイドさんも、席には何も忘れ物はなかったと証言していたのだし、やっぱり、僕がバスを降りた時には、すでに、あの場所に携帯電話はなかったという事は、間違いなさそうです。
いや、でも、オーストリアからチェコの国境に入る時、携帯にKDDIから何本ものメッセージが入ったのを覚えています。
という事は、チェコとの国境に入る時には、やはり、携帯電話は席にあったという事になります。
となると、いつ、携帯電話は消えてしまったのだろう?
待てよ… 携帯に何本もKDDIからメッセージが入った記憶は、ハンガリーからオーストリアの国境に入った時の記憶と、混同してしまっているのかも知れない…
もしそうだとしたら、そもそもバスに乗る時に、携帯を持っていたかどうかも、怪しくなってきます。
そんな事を考えている内に、いつしか眠りについてしまいました。
1時間か2時間ぐらい、眠っていたような感覚なのですが、ふと、壁に掛かった時計を見てみると…

示している時間は、6:25…
あれ、さっきも6:25だったような…
壁に近づいて、その時計を見ると、秒針がピクリともしていません(笑)
どうやら最初から、時計は止まっていたみたいです。
一体、今は何時なんだろう…
ベッドから降りて、キッチンの方に行くと、松里さんが携帯のカメラで1枚の写真を出して、僕にこう言いました。
「浅野さん、これを見てください」

「これは、浅野さんのチェスの駒の配置を記憶しておこうと、撮影した写真ですが、ここに浅野さんの携帯が写っています!!」
これは、ものすごい情報です。携帯がこの場所にあったのは、絶対に間違いありません。
画面のチェスの駒の配置を見ると、ポーン(歩兵の駒の事)が、ほとんど動いていなくて、序盤戦である事が分かります。
緑のダウンコートも写っていますし、確実にここに僕はいます。
という事は、トイレに立つ前です。
草さんが、この写真を見て言いました。
「やっぱり、バスの中にあったんですね。ちょっと試しに、電話を掛けてみてもいいですか」
「あっ、お願いします。僕の携帯番号は…」
草さんが、電話を掛けた所、呼び出し音が鳴っているようです!!
GPSによる場所特定は、いまだにできないものの、呼び出し音は鳴っている…
どこかで、携帯は生きているのです。
問題は、携帯がどこにあるのかが分からない事ですが…
ブルノにバスが到着して、この席を離れる時には、携帯は座席のどこにもなくて、僕がチェスをやり始めた時は、間違いなくこの場所に、携帯はあった…
という事は、怪しいのはトイレに立った時だけです。
この時に、携帯を持ってトイレに行ったのかどうか…
恥ずかしい事に、この部分に関しては頭が真っ白で、全く記憶がありません。
携帯を持って、トイレに行って、何らかの拍子にどこかに携帯を置いてしまい、動揺している内に、その事さえも忘れてしまった…
と、こう考えれば、筋は通ります。
草さんが、冷静な口調で言いました。
「一度、私がバスの会社に浅野先生の名前で、メールを送っておきますよ。そのメールに、松里さんのこの写真を貼り付けて、このバスに絶対に携帯があるという事を主張しておきましょう」
草さんの温かい厚意と男気に、涙が出るほどに、感謝しました。
壁に掛かった時計は、相変わらず止まったまま…
時間は、心の傷をいやしてくれる力だけではなくて、我々に、たくさんの可能性を切り開いてくれる魔法の力がある。
しばしの時間旅行から帰ってきて、人の心の温かさと、人生の味わい深さが、心にじんわりと染みました。
<旅の教訓27>
時間には、人の心を癒す力と、たくさんの可能性を切り開く魔法の力がある。
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