2019.06.212019年 ヨーロッパ紀行 第22話 ~晩餐の夕べ~
2019年6月21日(金)
(In Vienna Austriay Date 16 May 2019)
馬上の客席で、心地よくおだやかに揺られながら、ウィーンを巡った20分…
馬車から降りたのに、まだ、体が揺られているような感触が残っています。
夢のような時間をすごしたのち、また5人で、ウィーンの街を歩きました。
ふと時計を見ると、夕方の5時半…
オーストリアはサマータイムを実施している事もあって、まだまだ昼のように明るいです。
夜7時に、通訳のナナさんとのお食事会があるので、残された自由時間はあと少しです。
よくよく考えてみれば、明日の朝には、もうウィーンを離れなければなりませんから、こうしてオーストリアを観光していられる時間も、あとわずかしかありません。

このウィーンの街並みとも、お別れかと思うと、少し寂しい気持ちになります。
でも、また明日からは、チェコですから、旅は終わらないのですけど…
旅も、そして人生も、出会いと別れの繰り返しだと思う。
全てが一期一会なんだから、過去に引きずられてなんかいないで、常に目の前の事に、全力を注がなくては…
せっかく残された時間があるのだから、かのクリムトの象徴でもあるウィーン分離派のセセッシオンにも行ってみようという事になりました。

とりわけ、このウィーンの街並みの中で目立っていて、目が行ってしまう、この「金のキャベツ」こそが、セセッシオン…
セセッシオン(Secession)という言葉は、そのまま「分離」とか「離脱」とかいう意味になるのですけど、この建物こそが、クリムトを中心とした芸術家たちの拠点です。
クリムトは、保守的な美術家組合を嫌った若手芸術家達をまとめて、分離派(正式名称は「オーストリア造形芸術家協会」)を結成、その初代会長に就任しました。
その後、クリムトは若手芸術家達とも、そりが合わなくなって、何人かの仲間と分離派を脱退する事になるのですが、クリムト脱退までの期間に、この館で、計23回の展覧会が開催されています。
早速、セセッシオン館に行ってみたのですが、タイミング悪く、ちょうど18:00で閉館した所でした。

クリムトファンの高天麗舟先生は、ちょっぴり残念そうでしたが、せめて建築様式だけでも見ておきたいという事で、建物の写真を撮っていました。
この後のナナさんとのお食事会まで、1時間余り…
お食事の会場は「プラフッタ」というオーストリアのレストランで、ここから徒歩で行くには、少し距離があります。
とはいえ、晩餐までに1時間ほどありますから、みんなでウィーンの街並みを楽しみながら、ゆっくり歩く事にしました。
のんびりと大通りを、ウィーンの風に吹かれながら、歩きました。

ウィーン料理「ターフェルシュピッツ」を扱う高級レストランの老舗「プラフッタ(Pluchutta)」
ターフェルシュピッツとは、その昔、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が好物としてよく食べていた牛肉料理…
このプラフッタは、オーストリアに各国からの要人が訪問する時にも、よく使われているという、要人御用達のレストランです。
お店の前で落ち合ったナナさんと、昨日の泰永書展のレセプションの成功を祝して、みんなで乾杯しました。

プラフッタのターフェルシュピッツは、この日本語のサイトに詳しく載っていますが、ボリュームいっぱいで、ものすごく美味しいにもかかわらず、全部食べつくす事ができませんでした(^^;;
こんなボリューミーな高級料理を、フランツ・ヨーゼフ1世は食べてたのか、と思うと、感慨もひとしおです。
今回の式典を取り仕切ってくださった横澤様も到着して、再度乾杯…

頑張った後で、力を合わせた仲間達と飲むお酒は、最高に美味しいです。
本当に素晴らしい夜でした。
帰りは、トラム(路面電車)を使って、まずはウィーンのホテルの本館に戻り、みんなで一緒くたにホテルに出しておいた、パジャマやら下着やらをひと所に広げて、各自、自分の持ち物を袋詰めしました。
いくつか、誰の下着だかわからなくなってしまった、同じメーカーのシャツなんかもありましたが、みんな細かい事は気にしないので、全然オーケーです(笑)
さあ、これで、明日からのチェコの着替えも、バッチリ大丈夫です。
ホテルのベッドに入って、ウィーン最後の夜を、ゆっくりと眠りました。
<旅の教訓22>
頑張った後のお酒は、美味しい。
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