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京都はんなり旅日記 その11 ~京都の日常と茶道体験~19.11.08

2019年11月8日(金)

 

 バタバタしている内に、どんどん時間が過ぎて、あっという間に、旅行の日が来てしまいました。

 僕は明日の朝、いよいよ出雲ツアーと山口周遊に旅立ちます。

 

 という事で、もしも今日この「京都はんなり旅日記」を書いておかないと、また一週間ぐらいブログが更新できなくなってしまうので、急いで書いています(笑)

 

 京都の旅日記といっても、実際の所、京都に来た目的は、四柱推命講座を実施する事だった訳で、いつもいつも遊んでいた訳ではありません。

 

 あの時も今と同じように、時間ギリギリに追い詰められていて、旅立つ直前に、テキストこそは完成させられたのですけど、他の資料とか印刷物は、全く間に合っていなかったんです。

 

 そこで焦りながら、ヨドバシカメラに行って、京都へ旅立つ寸前に手に入れたものが、これ…

 

 

 キャノンの携帯用プリンターとスキャナです。

 

 実は最初、エプソンのプリンターを買おうとしていたんですけど、そばにいる店員さんらしき方に話し掛けたら、その方はキャノンからの出向で、ヨドバシカメラに来ていた方でした。

 これも多分、縁だと思って、キャノンで揃えてみました。

 

 そして、このプリンターが、今回の京都講座で縦横無尽の働きをしてくれたんです!!

 残念ながら、スキャナの方は、一回も使う機会がありませんでしたけど…

 

 京都滞在の半分以上の時間は、ウィークリー・マンションの部屋で、仕事漬けになっていました。

 ブログでは、遊んでいる事しか書いていないから、毎日遊び呆けているように見えるでしょうが、案外そうでもないんですよ(笑)

 

 仕事モードの日の一日の息抜きは、外で外食をする事ぐらいです。

 

 京都に滞在していた時、どこで食事をしていたかというと、だいたいはマンションから近い、「坊歩」というラーメン屋さんかマクドナルドでした。

 あと、たまにコンビニで、お弁当やカップ麺を買って、食べたりもしましたね。

 

 そして、たまに、少し遠出して、京都で一度は食べておきたい名店に、行ったりもしたんです。

 

 その一つが、「第一旭」というラーメン店…

 

 京都のラーメンの名店と言うと、真っ先に名前が出てくるのが、この「第一旭」です。

 

 

 名店だけあって、いつも人が並んでいます。

 この日は雨が降っていたので、これでも待ちは少ない方です。

 

 村野大衡先生も前に、東京に出店したお店の事をブログで書いていました。

 

 2018.12.14. ほのぼの占い師 “村野大衡”ブログ「京都の名店

 

 ブログの中で、村野先生があまり感動している訳でもなさそうなので、僕もそんなに味は期待していませんでした。

 

 お店の人が一押しだと言う「特製ラーメン」を頼んでみると…

 

 

 うお~、これは、何というボリュームでしょう!!

    この量を普通に完食している村野先生もすごい…

 

 別に大盛とか頼んだ訳ではないのですけど、この量です。

 僕には、食べきれないです。

 

 味はですね… 正直、村野先生と同じ感想ですね。

 決してマズくはないのですが、まあ普通といいますか… 確かにこういう感じの味は、何度も食べている内に、病みつきになるのかも知れません。

 

 かなりのボリュームでしたが、残すのはもったいないので、僕も、全部完食しました!!

 

 ふう~ お腹いっぱいです。

 

 あと、四条烏丸にある前田コーヒー本店にも、行って来ました。

 前田コーヒーは、京都の老舗の喫茶店という事で、すごく有名なんです。

 

 

 ここは、ながいつばささんが、勧めてくれた喫茶店でもあるんですね。

 

 つばささんは、ここのモーニングセットの中の「クロワッサンサンドのセット」が美味しいと勧めてくれたので、早速それを注文してみました。

 

 

 値段も780円とお手頃ですし、とっても良い感じです(^^)

 前田コーヒーのモーニングは、8種類もあって、その中からお好きなものを選べます。

 

 ゆったりと落ち着ける空間でした。

 

 Iさんに、第一旭と前田コーヒーに行ってきた、という話をしたら、せっかく京都に来たのだから、京都でしかできない体験をしてほしいと言われました。

 

 これは、また別の日の話なのですが、Iさんから、本当に素敵な体験ができる場所に、案内して頂いたのです。

 

 それがこのお店…

 

 

 皐盧庵茶舗(コウロアン チャホ)

 

 ここは、本格的な茶道を体験する事ができる場所…

 

 ううっ、緊張します。

 僕、まだ生まれてこの方、茶道の経験を一度もした事ないんです。

 

 

 目の前に置かれている茶臼が、ものすごく気になります。

 

 最初にこの部屋で、お茶が畑で育てられて、摘み取られて、加工されていく過程を、パソコンの写真を見ながら、わかりやすく説明をしてもらえます。

 

 そして、この茶臼を挽(ひ)いて、実際に抹茶の粉を作るのを、体験させて頂けるんです。

 

 

 大さじのスプーンで1~2杯ぐらいの量を挽くだけなのに、結構、腕がきつくて大変です。

 

 この体験をする人のほとんどが、途中で全部挽くのをあきらめて、やめてしまうそうです。

 

 それを聞いた僕は、絶対にあきらめないで、このお茶を全部挽いてやる… と、心に固く誓いました(笑)

 

 ちゃんと時間は計っていませんが、だいたい20分ぐらい茶臼を回していたでしょうか…

 

 

 やっと、全部すり終えました!!

 腕がもう、クタクタです。

 

 今では機械でする事がほとんどで、あんまりこんな風に手で挽く事はないそうなのですが、昔の人は、お茶を飲む度に、この作業をやっていたのですね。

 

 そしてこの後、この挽いたばかりのお茶で、お茶をたてて頂けました。

 

 2階にある8畳の広い茶室に案内して頂いて、そこで本格的な茶道体験…

 

 

 皐盧庵の店主で、茶道の先生でもある神田先生が、自らお茶をたててくださいました。

    ブログでの写真掲載、OKして頂けました… 本当に感謝です

 

 そして、茶道の作法や、「どうしてそのようにするのか」という理由などを、たくさん教えて頂きました。

 

 

 これは、茶道に使うお茶碗…

 

 客人や季節によって、その日に使うお茶碗を変えるのだそうです。

 その茶碗の選び方自体に、心配りやおもてなしの気持ちがあるとの事…

 

 茶道の道は、深いなあと思いました。

 

 

 僕も、見よう見まねでやってみましたが、まだまだですね。

 

 本当に、素敵な体験をさせて頂きました。

 京都の茶の湯の文化に浸って、心がはんなりと豊かになりました。

 

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京都はんなり旅日記 その10 ~下鴨神社と緑のシャワー~19.11.02

2019年11月2日(土)

 

 ふと気づけば、もう11月…

 いよいよ今年も、あと2ヶ月です。

 

 ここの所、このブログの更新度が、めっきり遅くなってしまっているのですが、相変わらず、僕は仕事に明け暮れています。

 

 ほとんど毎日、自由な時間はなく、時間に追われっぱなしですね。

 上級編テキストと、中級編のDVD用のリメイクテキストで、挟み撃ちにあっています(^^;;

 

 最近、疲れがたまってきた事もあって、家のベッドで寝そべってノートパソコンで仕事をしながら、疲れたらすぐ寝るみたいなパターンになっています(笑)

 

 でも、こうやって、やりたい仕事を朝から晩までやれている事を、本当に感謝しています。

 

 仕事が特にこんなに忙しくなったのは、やっぱり今年の夏に、京都に行ってからだと思います。

 あの旅の中で、四柱推命の貴重な資料を頂けて、上級編のテキストをリメイクに奮い立ったのですが、あまりにも、前のテキストに付け加える事が多くて、未だに出口が見えないです。

 

 それにしても、あの京都滞在の3週間の記憶は、僕の人生で忘れられない思い出になっています。

 

 特に、下鴨神社と糺(ただす)の森を訪れた時の事は、忘れられないですね。

 

 前回のブログで、上賀茂神社と下鴨神社は、なぜ「賀茂」と「鴨」で字が違うのか、みたいなお話をしましたが、この2つの神社は、元々一つの神社だったという事を書きました。

 

 一つの神社が上と下に分かれたのなら、何となく「上」の上賀茂神社の方がメインなのかと思われそうですが、そんな事はなくて、この2つの神社は、雰囲気からして全然違うし、まるで比べようがない感じです。

 本当に元は一つだったの?… というくらい、何もかもが違います。

 

 Iさんに京都の観光地を案内して頂く時、前もってリクエストをある程度お伝えしたのですが、そのリクエストの中にこの下鴨神社を加えたのは、ながいつばささんが、京都でお勧めの名所という事で、ここを一番に紹介してくれたからです。

 

 他にも、貴船神社とか、前田コーヒーとか、月ヶ瀬のあんみつとか、つばささんから、たくさん場所を教えて頂いたのですが、その中でも、一押しの場所というのがこの下鴨神社で、つばささんは昔、毎日のように、この下鴨神社や糺の森に行っていたそうです。

 …と、ユーチューブ動画で言っていました(^^)

 

 京都市内を、滔々(とうとう)と流れている鴨川…

 上流にある二つの川の流れが合わさって、鴨川となって流れているのですが、その上流の川の一本が賀茂川と言います。

 まさに、その場所こそが、下鴨神社と上賀茂神社の場所です。

 

 地図を見るとわかる通り、鴨川はきれいな形で「Y」の字に合流していて、その交わった所に、京阪電車線と叡山電車線のターミナル駅である出町柳駅があります。

 

 ここの場所には、川の中に人が向こう岸に渡れるように、上に乗る事ができる石が1m間隔ぐらいで置いてあったりするのですが、またそれは次の機会にでも書くとして…

 

 下鴨神社の場所はちょうど、このYの三角の部分に位置するんですね。

 

 

 僕がこの下鴨神社に訪れた第一印象は、女性的で、何か包み込むような感じがする神社だなあ… というものでした。

 元々、つばささんからのお勧めで訪れた神社でもあったし、それが多少の先入観になっていた事もあるかも知れませんが…

 

 前回のブログで書いた上賀茂神社は、どちらかと言うと、さわやかで男性的な威厳を感じさせるような雰囲気だったのに対し、下鴨神社は、柔らかくて、うるっとした水っぽい雰囲気が漂っているなあ… みたいに感じたんです。

 

 これは僕の個人的な感想ですし、これまでの思い込みや経験で、そう感じてしまっている可能性も、ない訳ではありませんが…

 

 

 外側から鳥居だけ見ると、確かに元は一つだというだけあって、上賀茂神社に何となく似ています。

 

 下鴨神社の正式名称は、「賀茂御親神社(かもみおやじんじゃ)」…

 前回、上賀茂神社の所でも少し触れましたが、下鴨神社の主祭神は、古代の京都を開いた神「賀茂建角身命(かもたけつねみのみこと)」と、その娘で賀茂一族の姫である「玉依比売命(たまよりひめのみこと)」の二柱です。

 

玉依比売命は、上賀茂神社の主祭神でもある賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)の母神に当たります。

 

 前回のお話で、「玉依比売命が、川で身を清めていると、上流から一本の矢が流れてきて、それを持ち帰り、床に祀って休んだら、御子を授かった…」という資料のくだりを読んで、なんて無茶な話だと思ったのですが(笑)

 

 あの資料は、どうやらかなり省略されていたみたいで、その丹塗矢(にぬりのや)の正体というのが、乙訓郡(おとくにぐん)に奉られている火雷神(ほのいかづちのみこと)だったそうで、だから、その子供である御子神が「賀茂別雷大神」と呼ばれているという訳です。

 

 そんな伝説により、この下鴨神社は、縁結びと子育てに御神徳があると言われています。

 また「賀茂始祖伝」によると、神武天皇の東征の道案内をした八咫烏(やたがらす)の正体は、賀茂建角身命であるとされ、道開きの導きや勝利といった御神徳もあります。

 

 

 これは、下鴨神社の境内を流れる御手洗川(みたらしがわ)と、川に掛かる輪橋(そりはし)

 

 僕が行った時には、ほとんど水は流れていなくて、枯れはてていました。

 

 土用の丑の日には、足を浸して病を封じるという「足つけ神事」があるそうなのですが、なぜか、その日が近づくと、不思議な事に川の水が湧き出てくるのだそうで、 これは、「京の七不思議」の言い伝えの中の一つに数えられているそうです。

 

 

 早速、下鴨神社の拝殿に参拝させて頂きました。

 写真ではわからないのですが、この拝殿の先に、左側に、賀茂建角身命が祀られた西本殿が、右側に、玉依媛命が祀られた東本殿があります。

 

 西本殿と東本殿は、国宝に指定されていて、それ以外の建物の多くも、国の重要文化財となっています。

 

 下鴨神社はとにかく広い神社で、境内の中には、たくさんの摂社末社があります。

 

 ふと、周りを見渡してみると…

 

 

 十二支によって、分けられている、小さなお社がありました。

 

 数えてみると、全部で7つあります。

 「丑と亥(北方合半会)」、「寅と戌(三合火局半会・化気せず)」、「卯と酉(冲)」、「辰と申(三合水局半会・化気せず)」、「巳と未(南方合半会)」それに「子」だけのお社と「午」だけのお社がありました。

 

 これらの社は「言社(ことしゃ)」と呼ばれています。

 どうやら、生まれた年の十二支のお社に、お参りするような感じです。

 

 この言社には「大国主さん」という別名があって、大国主神(おおくにぬしのかみ)と言えば、出雲大社の御祭神でもあり、意外な事に、下鴨神社と出雲大社との繋がりは、実は、ものすごく深かったりします。

 

 どうやら、賀茂氏の出自は、出雲の流れをくんでいるらしく、境内の摂社に「出雲井於神社(いずもいのへのじんじゃ)」という神社もあるし、下鴨神社から賀茂川に出た所に掛かっている橋は、「出雲路橋(いずもじばし)」と言います。

 

 また、この出雲路橋を渡った所にある加茂街道周辺の地名は「出雲路松ノ下町」、「出雲路立テ本町」、「出雲路俵町」、「出雲路神楽町」となっていて、出雲との深いつながりを感じさせてくれます。

 

 僕はこの時すでに、11月の神在祭に出雲大社に参拝する事を決めていたので、ものすごく感じるものがありました。

 

 調べてみると、この言社の7つのお社には、それぞれ次の神様が祀られているようです。

 

「丑亥」の社は、大物主神(おおものぬしのかみ)

「寅戌」の社は、大己貴神(おおなむちのかみ)

「卯酉」の社は、志固男神(しこおのかみ)

「辰申」の社は、八千矛神(やちほこのかみ)

「巳未」の社は、大国魂神(おおくにたまのかみ)

「午」の社は、顕国魂神(うつしくにたまのかみ)

 

 そして、「子」の社は、元祖「大国主神」です。

 

 この中で、「丑亥」の大物主神だけは、知っていましたけど、それ以外の神様の名前は、どれも初めて聞くなあ… と思って調べてみたら、なんの事はありません。

 全部、大国主神の別名でした(笑)

 

 ちなみに、大物主神といえば、三輪大社に祀られている神様で、国造りを成就させる為に、大国主神の前に現れた神様だと思っていたのですが、一説によると、これも実は大国主神の別名である(日本書紀の「一書に曰く」)としていたり、実は、大国主神の幸魂と奇魂が大物主神であるという説(大神神社ご由緒)もあったりします。

 

 何だかわからないですけど、全部、大国主神だという事です(笑)

 

 さらに、神仏習合でいうと、大黒天も大国主神…

 

 なんだか、あの大黒天様の笑顔に吸い込まれたような気持ちになりました。

 

 

 僕は、亥年生まれですから、「丑亥」の社に参拝するという事になるのでしょうけど、たまたま他の参拝客の方が参拝していたのと、何となく、こっちのお社に参拝しておきたいたいな… という気持ちになり「子」の大国主神の社に参拝しました。

 

 これで、「子」を取り入れて、子・亥・申・辰の水の亡神成立…

 水の比劫大過で、我がままのし放題… ではなくて、水の従旺格が完成です(笑)

 

 もちろん、この後にちゃんと「丑亥」の大物主神にも参拝していますよ。

    亥・子・丑の北方合も完成(笑)

 

 

 Iさんの勧めもあって、人形形代(ひとがたかたしろ)をやってみました。

 

 「人形(にんぎょう)」と呼んでしまいそうになりますが、これは紙の形代の事で、それに自分の分身を宿して、お焚き上げをして頂く為の拠り所です。

 

 という事で、なんとなく言社の参拝方法が間違っていたような気もしなくもないのですが、下鴨神社の拝殿を後にしました。

 

 

 その後、Iさんに下鴨神社で最も人気があるとも言われる「相生社(あいおいのやしろ)」に案内して頂きました。

 

 巷では、最強の縁結びのパワースポットという事で、連日、参拝客が絶えないとの事…

 

 確かに、参拝するのに、結構並びました。

 特にここで、お願い事をした訳ではありませんが、一番良い形で、人の縁というものができたら良いと思います。

 

 その後、実は一番最初に、この下鴨神社に入った時に目に飛び込んできて、ずっと気になっていた、河合神社に入りました。

 

 

 河合神社は、下鴨神社の摂社なのですけど、まるで一つの独立した神社のような風格です。

 

 前に、五条通りの「若宮八幡宮社」の事を紹介した時にも、少しだけ触れたのですが(京都はんなり旅日記 その5 「五条清水探訪記」 参照)、まさにこの神社は、美しくなりたい女性が集う神社です。

    美御前社と、若宮八幡宮社と、さらに、この河合神社に参拝すれば、もうパーフェクトです…

 

 中に入ると、あまり神社にはそぐわないような感じの若い女性ばかりが一ヶ所に集まって、何やら色を塗っていました。

 

 それは「鏡絵馬」と呼ばれる、顔が描かれた木製の絵馬で、その絵馬にお化粧を施しているのですね。

 

 目線をどこに持っていっていいのかわからなくて、そのまま、さり気なくスルーして、先に進みました。

 

 この河合神社の主祭神も、下鴨神社の主祭神の一柱である玉依比売命…

 

 何となくですが、この下鴨神社のお二柱の主祭神は、賀茂建角身命よりも玉依比売命の方が目立っている気がします。(個人的感想です…)

 

 

 河合神社の拝殿にも、参拝させて頂きました。

    女性の気持ちが、ちゃんと分かるようになれますように…

 

 その後、境内を見渡すと、何やら庵(いおり)のようなものがありました。

 

 

 なんと、これ「方丈記」で有名な鴨長明の庵を、復元したものなんです。

 

 行く川の流れは絶えずして、しかも、元の水にあらず。よどみに浮かぶ泡沫(うたかた)は、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と住処も、またかくのごとし。

 

 鴨長明、好きですね。

 

 鴨長明という名前は、まるで物書きのペンネームのような名前ですけど、本名も鴨長明(かものながあきら)と言って、下鴨神社の禰宜(ねぎ/神社のナンバー2・宮司の次に偉い人)である鴨長継の次男として生まれました。

 そして、神職の子らしく、7歳の時から神職の道に入ったんです。

 やがて、長明は学問にも和歌にも通じ、若くして歌人として有名になりました。

 

 ところが、父が亡くなると後ろ盾を失った長明は、周囲との対立を深め、神職としての出世の道を閉ざされてしまいます。

 

 長明がちょうど50歳の時、河合神社の禰宜の欠員が出て、しかも後鳥羽上皇から推薦を得るという千載一遇のチャンスをつかんだ長明でしたが、結局は、その時の下鴨神社の禰宜の長男にそのポストを奪われ、失意の末、出家してしまうのです。

 

 まあ、だからこそ、800年の時を経た現代まで、その名前が残っている訳ですが…

 

 なんだか、こんな庵に住んでみたくなりました(笑)

 

 河合神社を出て、表の参道をゆっくりと歩いてみる事にしました。

 

 

 向こう側にある緑…

 あれが「糺の森」なんですね。

 

 いてもたってもいられず、森に近づいていきました。

 

 

 降り注ぐ緑のシャワー…

 

 もう、つまらない事はどうでも良くなってしまいそうな、癒しのシャワーです。

 

 ありがとう、下鴨神社… ありがとう、京都…

 

 しっとりと、はんなりと、みずみずしい神様の気に包まれたような気持ちになりました。

 

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京都はんなり旅日記 その9 ~船岡山と上賀茂神社~19.10.22

2019年10月22日(祝)

 

 今年の秋は、ずっと夏のように暑くて、このまま寒くならないのかな… ぐらいに感じてしまったのですが、ここ最近になって、急に肌寒くなってきました。

 

 気がつけば、今日は新天皇陛下の即位式…

 今年も、残す所もう、あと2ヶ月と少しです。

 

 本当に、時間が過ぎさっていくのが、速く感じています。

 

 何かに夢中になって生きていると、時間の経つのが本当に早いと言いますが、京都にいた時も、本当にそうでした。

 

 3週間弱、滞在した京都の思い出を、こうして今、まとめてみると、思った以上に、あちこちの場所に、出掛けている事に気づかされます。

 

 前回の平安神宮のブログの中で、京都の街は「四神相応(しじんそうおう)」と言って、風水で出てくる青龍・朱雀・白虎・玄武の4つが、ちゃんと配置されているというお話をしました。

 

 これら四神(青龍・朱雀・白虎・玄武)と呼ばれる伝説上の霊獣は、それぞれ、特定の地形に当てはめられます。

 

 このブログを読んでくださる方の中には、ご存知の方も多いとは思いますが、一応説明すると…

 

 まずは、青龍と呼ばれる鱗のある青い龍ですが、これは龍の鱗から連想されるように、川を意味します。

(より細かい事を説明すると、青龍を川に当てはめるのは「山川道澤(さんせんどうたく)説」を取り入れた日本式風水で、元々の中国風水では「砂」といって、玄武のそれよりも、やや低い丘や山脈を、青龍に当てはめていました。ちなみに、山川道澤説とは、北の玄武に「山」、東の青龍に「川」、西の白虎に「道」、南の朱雀に「澤」を当てはめるという説です)

 

 山川道澤説ですと、鴨川が青龍に相当します。

 まさに鴨川は、京都の東側を滔々(とうとう)と流れている川ですから…

 

 次に、朱雀というのは、鳳凰のような神格を持った鳥の霊獣ですが、地形で言うと、池や沼などを表します。

 京都の地形で言うならば、干拓されてなくなってしまった巨椋池(おぐらいけ)が、これに当たります。

 今や、巨椋池が干されてしまっているので、京都は実際の所、もう四神相応ではありません。

 

 その次に、白虎というのは、細長い体つきをした白い虎の事を表していて、これは地形で言うと、広い道になります。(中国風水では、白虎も本来「砂」を当てはめます)

 京都の地形だと、山陽道がこれに当てはまります。

 

 最後に、玄武ですが、蛇が巻き付いた亀のような姿をした北の守護神で、地形としては、高い丘陵や山を表しています。

 そして、これが京都市内の小山である、船岡山に相当します。

 

 ちなみに「京都五社めぐり」というのがあるのですけど、これは、四神にそれぞれ、京都市内の神社が配当されているのです。

 

 すなわち、東の青龍が、四条通りの東の突き当りの八坂神社であり、南の朱雀が城南宮、西の白虎が松尾大社となり、北の玄武は上賀茂神社となります。

 これに、中央の平安神宮を足して、京都五社めぐりとなるという訳です。

 

 北の玄武の水気を補いたかった僕は、Iさんにお願いして、船岡山と上賀茂神社に案内して頂く事になりました。

 

 

 これが、船岡山の玄関口…

 船岡山の標高は、わずか111.7mです。

 

 実は今回、ここに来る2週間ほど前に、僕は、石川県白山市にある舟岡山にも登っているのです。

(2018/12/9 ブログ 「3泊4日加賀旅行記<前編>」 参照)

 

 白山の舟岡山の標高は178mですから、2つの山を比べると、この京都の船岡山は67mも低いです。

 山というよりも、小高い丘という表現の方が、船岡山には合っているように感じます。

 

 京都の船岡山は、石の階段がしっかりと敷き詰められていますし、日頃、体をちゃんと動かしている人には、そんなにキツくないはずですね。

 でも、日頃から運動不足の僕は、たかだか111mの丘なのに、少し息が切れてしまいました(笑)

 

 思い返せば、2週間ほど前、本気で2702.14mある白山登山を、一人で決行しようと、息巻いていたのですから、本当に恐ろしいです。

   止めてくださった上級編の受講生の皆さん、本当にありがとうございました(^^;;

 

 さて、この船岡山に登りたかった理由は、もう一つあって、ここには、織田信長を祭っている建勲神社(けんくんじんじゃ)という神社があるのです。

 

 先日たまたま、京都七条を歩いていて、豊臣秀吉を祀った豊国神社に参拝する機会を頂きはんなり日記・その7参照)、大好きな徳川家康に関しては、栃木県の日光東照宮占い暦「日光東照宮への旅」参照)など、あちこち参拝しています。

 

 でも、織田信長を祀った神社は、僕はこれまで、一度も参拝した事がありません。

 正直、織田信長がそんなに好きな訳でもないし…

(2012/7/28 ブログ 「三英傑の話」 参照)

 

 というか…「織田信長を祀った神社なんて存在するの?」と、つい最近まで思っていたほどでした。       なんて失礼な…

 

 ところが、桜井識子さんの「京都でひっそりスピリチャル」という本を読んで、京都の船岡山にあるという「建勲神社」という織田信長を祀った神社がある事を、つい先日、知ったのです。

 

 

 息をゼーゼーさせながら、必死なって、Iさんの健脚な歩みについていき、船岡山の頂上にたどり着くと、そこは船岡山公園になっていて、公園のベンチに腰を下ろしたら、しばらく動けなくなってしまいました(笑)

 

 夏場の船岡山は、やぶ蚊が多いですね。

 かなり食われてしまいましたが、この後、気を取り直して、建勲神社へと向かいました。

 

 建勲神社の主祭神は、織田信長公と、信長の長男である織田信忠公…

 

 どちらかというと、僕はこの二人なら、息子の織田信忠の方が好きですね。

 あんまり知名度は、ないですけど…

 

 よく、織田信忠は、信長とは似ても似つかない、凡庸な武将のように評される事がありますが、決してそうではありません。

 織田信長の命で殺された徳川家康の長男・松平信康と比較されて、大した理由もなく、凡庸という事に、されてしまっているだけです。

 

 本当に凡庸なのは、信長の次男の信雄と、三男の信孝の方です(笑)

 この二人は、お家の事情で、三男の信孝の方が、次男の信孝よりも、早く生まれていたりするのですが、日頃から仲が悪く、その反目を豊臣秀吉に付け込まれて、天下を横取りされてしまいました。

 

 それに比べると、長男の織田信忠は、信長の後継者としての器は十分でしたし、父ほどの天才ではないにしろ、逆に、父のような残忍性もありませんでしたから、生き延びていれば、十分に織田政権は維持できたはずです。

 

 本能寺の変が起こった時、父の援護をしようと京都にいた信忠は、安土城への脱出を試みる事もなく、いさぎよくその場で自害してしまいました(涙)

 

 

 建勲神社は、正式には「たけいさおじんじゃ」と読むのですが、一般的には「けんくんじんじゃ」で通っています。

 明治天皇の「日本が外国に侵略されなかったのは、織田信長が一早く戦国時代を終結させてくれたからである」というお考えから、明治2年に創建された神社です。

 

 なんで、この船岡山が神社の場所に選ばれたかというと、豊臣秀吉が、この船岡山を「信長公の廟所」という風に決めたからです。

 

 そして、その12年後、信長の長男である織田信忠も、合祀される事となりました。

 

 信忠は、信長の後継者という親のレールが完全にひかれていたのにもかかわらず、結局、それは叶いませんでした。

 やっぱり、全ては運の導きなのかなあ… と、馬鹿正直にいさぎよい織田信忠に、思いを馳せてみました。

 

 あんまり織田信長の方には、気持ちが行きませんでしたね(笑)

 

 山を下りる時も、ずっと人間の運というものについて、思いを募らせていました。

 

 運と言う意味では、織田信長という人の運は、やはり人並外れて強かった…

 

 あの時代において、性格はどうあれ、絶対的に天があの天才を必要としていた事は間違いないと思うし、長男の信忠の方は、もしも信長の息子でなかったら、正直、名前すら世に出ていなかった人だと思う…

 

 それでも、天下を最後まで掌中にする事なく、二人共、世を去ってしまいました。

 

 明智光秀の本能寺の変というのは、最初から天のシナリオに組み込まれていたのだろうか…  正直、僕にも良くわかりません。

 

 北の玄武の船岡山の気を十分に浴びて、また後日、今度は北の玄武に対応させられた神社である上賀茂神社に、Iさんに案内して頂きました。

 

 

 上賀茂神社と言えば、下鴨神社…

 

 なんで、上賀茂は「加茂」なのに、下鴨は「鴨」なのだろうと、ずっと疑問に思っていたのですが、思いのほか早く、その疑問は解消しました。

 

 

 

 上賀茂神社は、京都市の北に位置する神社…

 

 特に縁結びの神様として知られていて、紫式部の時代から、有名な神社でした。

 だから、結婚式場としても使われていますし、そういう意味では最強の神社だと思います。

 

 本当に穏やかで、すがすがしい神社です。

 

 上賀茂神社は、正式名称を「賀茂別雷(かもわけいかづち)神社」と言って、京都で最も古い社であるとされ、その起源は、はるか2600年以上前にさかのぼる事ができます。

 

 太古の昔、山城の地(京都の事)に移り住んだ賀茂一族の姫・賀茂玉依比売命(かもたまよりひめのみこと)が、川で身を清めていると、上流から丹塗矢(にぬりのや)が流れてきて、それを家に持ち帰って、床に祀って休んだら、御子を授かりました。   なんでやねん…

 

 やがて、その御子が元服し、一族の長で、御子の祖父に当たる(つまり、玉依比売命の父)である賀茂建角身命(かもたけつねみのみこと)が、その御子に「なんじの父と思う神に、盃を捧げよ」と言った所、その御子は「わが父は天津神なり」と答えて、雷と共にそのまま天に昇ってしまったというお話が、賀茂神話にあります。

 

 この御子神こそが、賀茂別雷大神であり、この上賀茂神社の御祭神です。

 

 そして、御子神の母である玉依比売命と、一族の長である建角身命が御祭神になっている神社が、下鴨神社であり、下鴨神社の正式名称は「賀茂御祖(かもみおや)神社」となっています。

 

 つまり、親子関係で言うと、上賀茂神社の御祭神は、下鴨神社の御祭神の(玉依比売命にとって)息子であり、(建角身命にとって)孫である、という事になるんですね。

 

 

 この拝殿の前に置かれている二つの砂山は「神山」を象ったものと言われていて、陰と陽の一対になっているそうです。

 

 まさに、縁結びの神様という感じです。

 

 Iさんの勧めもあって、特別拝観に申し込む事にしました。

 特別拝観と言っても、たった500円しか掛からなくて、直会殿(なおらいでん)の畳の部屋に通して頂き、ここでお祓いを受け、内庭と高倉殿(たかくらでん)に、案内して頂けます。

 

 

 まだ、直会殿の部屋に誰もいなかったので、ちょっと遊んでみました(笑)

   鞍馬山で買った天狗のお面…

 

 もしも、こんなお面をかぶった怪しい参拝客が座っていたら、神主の方は、どんな対応をするのでしょう!!

 

 もちろん、神主の方が入ってくる前に、ちゃんと面は取りましたけど…

 

 そして、この時の神主の方のお話で、なぜ上賀茂神社は「加茂」と書くのに、下鴨神社は「鴨」の字を使うのか… という疑問が氷解しました。

 

 結論を言えば、どちらでも同じという事でした。

 どちらの神社も、賀茂一族の神社であって、どうやら元々一つの神社だったそうです。

 

 どうして、下鴨神社が「鴨」になってしまったかというと、どうやら、上賀茂と混同するのを避ける為らしいです。

 

 朝廷の位階には「正一位(しょういちい)」とか「従三位(じゅうさんみ)」みたいに、色々あって、基本、正と従があって、正の方が上なのですが、これが四位以下になると、さらに上と下に分けられて、同じ四位でも「正四位上(しょうしい の じょう)」「正四位下(しょうしい の げ)」「従四位上(じゅうしい の じょう)」「従四位下(じゅうしい の げ)に分かれます。

 

 それでもって、官職と名前の前に、これを持ってくるのですね。

 

 例えば「正二位 内大臣 徳川家康」とか「従四位下 侍従 浅野長政」みたいな感じです。

 

 ちなみに、明治時代以前は、神社の神様にも、神階というのがあって、人の位階と同じように「正二位」とか「従四位下」みたいに、位があったのです。

 

 進階は、公卿の会議で議論されて、天皇陛下に奏上されて、決定がなされるのですが、神社の神様は人間と違って寿命がないので、どんどんと進階されてしまって、最高位の正一位の神様も、ザラにいらっしゃいます。

 

 それでもって、神社名の前に、この神階を持ってくるのですね。

 

 そうすると、文字で「従四位下上賀茂」とか「従五位上下賀茂」とか書かれたら、もうややこしくて、どっちがどっちだか分からなくなるので、「賀茂」と「鴨」に字を使い分けて、賀茂といえば「賀茂別雷神社(上賀茂神社)」、鴨といえば「賀茂御祖神社(下鴨神社)」にしたという訳です。

 

 ちなみに、上賀茂神社の賀茂別雷神も、下鴨神社の賀茂御祖神も、どんどん進階して、今では神階は、最高位の「正一位」まで賜っております。

 

 参考までに、熊野本宮大社の熊野坐神は「従二位」、月山神社の月山神も同じく「従二位」、白山比咩神社の白山比女神は、その一つ下の「正三位」です。

 

 正直、こんなの全然、気にしなくていいと思います(笑)

 

 上賀茂神社は、式年遷宮を終えたばかり…

 

 直会殿の畳の部屋で神主の方のお話を拝聴した後、今度は、内庭の方に案内して頂きました。

 ここの気は、本当にすがすがしくて、もう最高です。

 

 上賀茂神社の特別拝殿は、絶対にお勧めですね。

 

 その後、高倉殿の宝物を拝観して、うっとりとした気持ちになって、上賀茂神社を後にしました。

 

 京の北のみずみずしい玄武の水の気を、しっかりと体内に取り込んだせいか、ものすごく元気になりました(^^)

 

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京都はんなり旅日記 その8 ~平安神宮の情景~19.10.11

2019年10月11日(金)

 

 台風19号が、関東地方に進路を向けて、ジワリジワリと近づいてきます。

 今度の台風の前評判はすごくて、過去最強クラスの予想もつかないような、かなり、ヤバそうな代物との事…

 そんなものが上空にやって来たら、一体どうなるのだろうと思ってしまいます。

 

 天気予報を見る限り、どうやら避けて通れそうにないので、僕も極力、家に閉じこもって、溜まった仕事をこなしながら、この台風をやり過ごそうと思います。

 

 特に、河川の近くにお住まいの方や、土砂災害危険地域にお住まいの方は、本当、今の内から準備万端にして、お過ごしになってください。

 

 さてさて、僕はここ1、2ヶ月の間、首が痛くて動かなくなったり、風邪をひいたりと、これまでの自分では考えられないくらい、体調が悪かったのですが、やっとここにきて、いつもの調子に復活しました。

 

 まさに、四柱推命講座の受講生のNさんが言ってくださったように、これは僕にとってのデトックスだったと思います。

 

 その間ずっと、健康のありがたみというのを、ひしひしと考えさせられました。

 

 どんなに気合いで乗り切ろうとしても、体の調子が思わしくないと、やっぱりダメですね。

 たった一人の自営業者ですから、誰かに仕事をやってもらう訳にもいかないし、今、その分のツケで、たっぷりと仕事が溜まっています(笑)

 

 でも、もう復帰しましたから、これから思い切って、バリバリ仕事をこなしていくつもりです。

 

 という事で、ずっと、やらなきゃやらなきゃと思っていた講座の開催の告知を、ホームページ上に出しました(^^)

 

 来週の水曜日の10月16日から始まる「朝日カルチャーセンター かんたんタロット」、そして12月からの「四柱推命講座・初級編 第16期 ~日曜コース~」と、初めての試みである「四柱推命講座・初級編 大阪第1期」と合わせて、本日、前々からリクエストを頂いていた平日開催の講座「四柱推命講座・初級編 第17期 ~平日コース~」を来年2月から開催する事にしました。

 

 皆様のご参加を、心よりお待ちしております(^^)

 

 そんなこんなで、京都はんなり旅日記は、まだまだ続きます。

    一体どこまで、引っ張るつもり(^^;;

 

 今日は、古の社殿と見事な庭園が、見事に調和した京都の名所「平安神宮」の事を書こうと思います。

 

 

 平安神宮は、京都市左京区にある神社…

 二条通りか三条通りを鴨川を突き抜けて、ずっと東に行くと、神宮道と交差するので、そこを左折して北に直進したら、すぐの所にあります。

 

 この日はずっと雨…

Iさんに三条京阪の高山彦九郎像や、府立図書館を案内して頂いた後、この平安神宮に、寄ってみたんです。

 

 

 朱色で鮮やかに染められた、格調高い應天門(おうてんもん)を入ると、そこは平安神宮…

 

 ここは、平安京(京都)への遷都を実行した、かの桓武天皇を御祭神とする神社です。

 

 えっと、平安京遷都をした桓武天皇が御祭神で、しかも「平安神宮」という名前なのだから、きっと平安時代に建立された神社かな…

 

 とまあ、普通の人は考えると思うのですが…

 

 Iさんに聞いた所、この神社の建立は、比較的最近という事で、なんと、明治28年に建立されています。

 

 …って、めちゃくちゃ新しいじゃないですか(笑)

 

 明治時代、東京遷都が行われた後に、京都の街を復興させようと、古の都の象徴として、この平安神宮が創建されたという事です。

 

 そして、昭和15年、新たにご祭神として、幕末期の難局に常にお心を悩まされ続けた孝明天皇が、京都御所最後の天皇という事で、この平安神宮に祀られました。

 

 最初の計画では、京都のど真ん中である、実際に平安京の大内裏があった千本丸太町に、この神社を建立する計画をしていたらしいのですが、さすがに用地の買収ができず頓挫…

 

 仕方なく、京の中心部からは少し外れた鴨川の東側に、こうして建てられる事になったそうです。

 

 そして、平安京の正庁・朝堂院を8分の5の大きさのモデルで再現したのが、この平安神宮という訳です。

 

 

 早速、お手水で身を清めてと…(^^)

 雨が降っているせいか、人通りがすごく少ないです。

 

 平安神宮と言えば、京都の名所として誰もが知る神社ですから、普段なら観光客でごった返しているのですが、今日は少し静かです。

 

 

 広い境内を独り占めしたような、贅沢な気分です。

 

 この平安神宮は、平安京の正庁であった朝堂院を8分の5のスケールで、再現したもの…

 という事は、当時の本物の朝堂院(ちょうどういん)は、この2倍弱の大きさだったという事ですね。

 

 イメージしてみたら、あまりの大きさに、目まいがしそうです(笑)

 

 京都の街は「四神相応の都」と言って、風水で出てくる青龍・朱雀・白虎・玄武の四神が、ちゃんと配置されて、作られていると言います。

 そして、この平安神宮にも、西側に白虎楼というのがあり、東側に蒼龍楼(青龍楼)というのがあります。

 

 言うまでもなく、この白虎楼と蒼龍楼は、平安神宮のモデルである朝堂院(平安京の正庁)にも、あったものです。

 

 そして、元々の朝堂院の應天門の南側には、朱雀門というのがありました。

 さすがに、平安神宮の方は8分の5サイズとはいえ、朱雀門を作るまでの土地の余裕はなかったようですが…

 

 う~ん、残念ながら、玄武の名前だけは、どこにも見当たらないですね。

 

 まあ、京都の街がちゃんと四神に守られていますから、問題はないでしょうけど…

 

 ちなみに、京都の街の玄武は、大きく見れば、丹波高地に当たり、小さく見れば、舟岡山がそれに当たります。

 京都を守る神社で言えば、玄武に当たるのは、「上賀茂神社」となります。

 

 玄武の水の気を取りたかった僕は、舟岡山や上賀茂神社にも行っているのですが、またそれは、改めて記事に書こうと思います。

 

 

 Iさんが次に案内してくださった所は、平安神宮の中にある平安神宮神苑…

 

 明治の造園家である、7代目小川治兵衛(おがわじへえ)によって造られた名勝です。

 

 拝観料600円で、中に入る事が出来ます。

 

 

 そこは、まるで、木々の緑のシャワーが浴びているような、素敵な場所でした。

 緑色をこよなく愛する僕には、もう、たまらないです(笑)

 

 

 そして、池に浮かぶ無数の睡蓮…

 

 侘び寂び(わびさび)というか、心がしっとりとする世界です。

 

 

 この景色は、見る季節によって、全く別の物になってしまうのでしょうね。

 

 当たり前のようですが、これこそが、四季がある日本ならでは自然の姿…

 

 

 それにしても、この大自然と建物との調和が見事です。

 

 この静けさというか、その景色の中に、奥深くて豊かなものが感じられると言いますか…

 

 

 何と言ったら良いのでしょう。

 心がものすごく、満ち足りてくるのを感じます。

 

 

 石がいっぱい出っ張っていて、転びそうな所を抜けて、池の淵まで行ってみました。

 

 この平安神宮神苑の池の水は、琵琶湖の水から水路で引き込んでいるので、淡水魚や貝など、琵琶湖の生態系が同じような反映されているとの事…

 

 大きな鯉も泳いでいるし、他にも、ニゴロブナ、タナゴ、モロコ、ヨシノボリなどが生息しているそうです。

 

 

 晴れた日は晴れた日で、また、さわやかなのでしょうけど、こんな雨の日は、またそれはそれで風情がある…

 素敵な夢を見ているような気分です。

 

 

 これが東神苑(とうじんえん)

 そして、この建物を、泰平閣(たいへいかく)と言います。

 

 ここには、鯉にやるエサのお麸(ふ)が50円で売っています。

 

 

 いつもは、食欲旺盛の鯉がたくさんいるみたいなのですが、この日は雨のせいか、お麸を池に撒いても、何も寄ってきません。

 

 風が強いので、力一杯、お麸を向こうの方に投げても、風で戻ってきてしまいますね。

 

 悔し~い!!

 

 

 …と思ったら、さっき僕の撒いたお麸を目掛けて、何か大きなものがやってきました。

 

 一体何なんだろう… と思ったら…

 

 

 大きな亀でした!!

 

 鯉よりも、こっちの方が大物かも知れません。

 食べるつもりは、ありませんけど…

 

 亀と言えば、玄武です。(玄武は、足の長い亀に蛇が巻き付いているイメージの霊獣)

 

 これで、平安神宮の四神が全て揃いました(笑)

 

 玄武と言えば、方位は北、五行では水の極みです。

 僕の四柱推命の命式にとって、今、一番欲しかった五行です。

(内格ではなく、従旺格を目指しているので…)

 

 何だか、幸先がいいです(^^)

 

 平安神宮を出て、三条通りを歩いていると、一つの石碑がありました。

 

 

 何と、ここが坂本龍馬とお龍の結婚式場だったのですね。

 晴れて、二人は、この場所で夫婦の盃をあげたのかと思うと、感慨深いです。

 

 それにしても、この日は何だか縁起が良い一日でした。

 

 3ヶ月たった今でも、この日の平安神宮の情景が、しっかりと心に焼き付いています。

 

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