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西日本紀行記 ~出雲・山口への旅~<12>さらなる西へ、新たなる旅立ち20.05.22

2020年5月22日(金)

 

 気がつけば、もう5月も、半ばを過ぎてしまいました。

 

 大阪などの関西圏も含めて、多くの地域で、緊急事態宣言が解除されて、少しだけ、ホッとしています。

 

 もちろん、これで油断したら、せっかくの今までの頑張りも水の泡ですし、サロン ド シルフィーユのある東京などの関東圏では、解除はもう少しだけ、先になりそうですが、とりあえず、峠は越したのかも知れません。

 

 さて、僕もいよいよ、Zoomを使った講座に挑戦していこうと思います。

 

 本当にちゃんとZoomを扱えるかどうか不安で、準備に時間を掛けた割に、二の足を踏んでいたのですが、やってみなければ、何も始まらないですから、今、新たな講座の日程を組んで、少しずつ受講生の方に、連絡を取っている所です。

 

 初めての事というのは、ついつい気後れしますが、失敗は覚悟の上で、前に進んで行こうと思います。  万一、うまく扱えなかったら、本当にごめんなさい…

 

 さて、去年11月の西日本旅行記のお話は、これから、第二幕「山口編」へシフトしてまいります。

 

 粋(いき)な古刹(こさつ)の一畑薬師(いちばたやくし)を最後に巡って、ILU開運ツアーの全日程も、これで全部終わり…

 

 ツアーバスはこれから、出雲空港、米子駅、米子空港の順に停車していき、ツアーに参加したメンバーは、その中の希望の場所で降りて、お別れをします。

 もちろん、中には、もう一泊して、さらに出雲の旅を続ける人もいます。

 

 一人一人が、バスを降りる前に、バスに備え付けのマイクで挨拶をして、みんなに別れを告げました。

 

 この3日間、一緒だった仲間達…

 本当に、忘れられない思い出になりました。

 

 最初の出雲空港で、ツアーの3分の1ぐらいの人と、お別れをしました。

 

 時刻は、夕方の5時です。

 

 僕は次の米子駅で下りて、そこから列車で新山口へと向かい、今夜は、新山口の東横インの部屋に、泊まる予定です。

 

 何時頃に、新山口に着けるのかが、見当がつかないので、多少遅くなっても大丈夫なように、チェックインは、少し遅めの午後10時にしておきました。

 

 バスを降りる支度をし始めた時、隣りの席のHさんが「携帯の乗換案内で、一応、目的地までのルートと時間を、確認しておいた方がいいですよ」と、アドバイスをくれました。

 

 いつものごとく僕は、列車の路線とか、発車の時刻とか、全く調べていなかったのです。

 

 米子から新山口までの距離は、東京-名古屋間とほぼ同じぐらいだし、東京-名古屋間なら、新幹線で1時間40分もあれば行けるのだから、仮にその倍の時間が掛かったとしても、最大3~4時間ぐらい見ておけば、まあ大丈夫だろうと、タカをくくっていたのですね。

 

 それで、早速、携帯の乗換案内で時間を調べてみると、僕の見込みが、ものすごく甘かった事が分かりました(笑)

 

 30分後の17:30に米子駅のホームに到着したと仮定して、新山口までのルートと到着時間を出してみると、なんと、新山口到着が23:48だったのです。

 

 えーっ、何で6時間以上も掛かるの!?

 

 正直、すごく驚きました。

 

 というより、これは僕の完全なミスですね。

 

 特急列車の本数が少ないので、もしも一本タイミングを逃すと、次の特急列車まで、かなり待ち時間があるのです。

 

 でもまあ、逆に言うと、今日中に新山口に着くという事だけでも、感謝しないといけないのかも知れません。

 もしも、終電までに着かなかったら、経由地のどこかで宿泊場所を探さなくてはいけないし、新山口のホテルのキャンセル料も、当然、掛かってきてしまいます。

 

 次の米子駅で下りるのは、出雲の湖畔の宿「くにびき」で、同じ部屋だったSさんと、Nさんと、僕の3人だけでした。

 

 藤尾美友先生、僕をこのツアーに誘ってくださったKさんとYさん、そして一緒に旅をした素敵な仲間に別れを告げて、バスを降りました。

 

 

 米子駅に下りたってからも、3人で、バスに向かって手を振っていると、バスの中からみんなが、手を振っているのが見えました。

 

 バスが見えなくなるまで、ずっと見送っていました。

 

 帰る方向が違うNさんと、駅でお別れの挨拶をして、僕は、写真家で鉄道オタクのSさんと一緒に行動しました。

 

 携帯電話を見ると、次の山口での旅で、お世話になる五気調整術の水木杏香先生から、着信が入っていました。

 

 その場で、すぐにお電話して、水木先生にご挨拶して、明日からの日程の事を話しました。

 

 しばらくの間、水木先生と話していると、Sさんが手招きしているのが見えます。

 

 水木先生と電話で話しながら、Sさんが手招きする方向へ向かうと、そこは自動券売機でした。

 

 何と、Sさんは短い時間に、新山口まで行く為に、次に僕が乗る列車から、路線ルートから、全部調べてくださって、しかも、電車の特急券や、新幹線の切符の種類のボタンなど、全部押して、後は、僕がお金を入れるだけでいい状態に、してくださっていたのです。

 

 一分後の17:26に発車する「特急やくも26号」に乗って、岡山駅で「新幹線のぞみ49号」に乗り換えれば、最速で新山口に到着するから、急いだほうがいいとの事…

 

 Sさんにうながされるまま、きっぷの券売機に現金を入れて、Sさんの指し示す改札口から、目の前に停車している特急列車に乗りました。

 

 

 僕が乗り終えると、すぐに電車ドアは閉まりました。

 

 ドアの窓から、手を振りながら、Sさんにお別れしました。

 

 僕は本当に、周りの人に助けてもらいながら、こうやって無事に生かされている…

 

 感謝の気持ちで、胸がいっぱいになりました。

 

 

 これからの旅の日程…

 

 米子駅から、この特急やくも26号に乗って、伯備線(はくびせん)で、少し東に戻るような形で、岡山へと向かいます。

 

 そして、ここから新幹線のぞみ49号博多行に乗って、一気に西へと向かっていきます。

 

 まさに、電車に詳しいSさんが、調べてくださった完璧な最短コースです。

 

 

 やくも26号の中は、意外にすいていて、ほとんど乗客はいませんでした。

 

 帰りのツアーバスの中で、Tさんに「伯備線は振り子電車だから、すごく揺れる」と聞いたので、乗り物酔いになるのが、少し心配だったのですが、こんなきれいな最新型の車両なら、その心配もなさそうです。

 

 イスのリクライニングを思いっきり下げて、思う存分くつろぎながら、2時間10分あまりの贅沢な車両の旅を楽しみました。

 

 岡山駅に到着したのは、19:39…

 よく考えてみたら、岡山駅に降りたのは、生まれて初めてです。

 

 ものすごく、大きくて立派な駅でした。

 

 

 岡山という場所も、すごく興味があったのですが、残念ながら、この先予定が詰まっていて、時間が取れそうにありません。

 

 すぐに、のぞみ49号に乗り換えて、これからの新しい旅の目的地である、山口へと向かいました。

 

 車窓の外は、すっかり夜の闇に包まれています。

 

 ものすごいスピードで、列車は、西へ西へと向かっていきました。

 

 やがて、新幹線のアナウンスが、列車が新山口に到着した事を、知らせてくれました。

 

 新山口に到着したのは、何と20:57でした。

 もしも、Sさんがいらっしゃらなかったら、間違いなく、到着は深夜の24時近くになっていたと思います。

 

 

 初めて見る、山口の街…

 

 東横イン 新山口駅新幹線口は、駅から歩いてすぐの所にあります。

 水木杏香先生に、どこに泊まったらいいかを相談した所、山口を観光するのに最もアクセスが良い、この新山口をお勧めして頂きました。

 

 駅を出てすぐの所にある、コンビニ ポプラで少しお腹の足しになるものを買い込んで、今日のねぐらに向かいます。

 

 

 東横イン、すぐに発見!!

 

 ホテルに着くと、フロントの方から、水木杏香先生からメッセージを預かっている事を、告げられました。

 

 「明日の朝、東横インの玄関口に、車でお迎えに上がります」

 

 いよいよ明日から、ここ山口で、新たなる冒険が始まります。

 

 気分がどんどんが高揚して、今、胸が高鳴っています。

 

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西日本紀行記 ~出雲・山口への旅~<11>一畑薬師探訪記20.05.13

2020年5月13日(水)

 

 非常事態宣言が1ヶ月延長されて、5月31日までになってしまった事から、僕はまたしても、自宅でコツコツと仕事をする為の時間が増えたのですが…

 

 ものすごく気に掛かっているのが、延期になって、どんどん先延ばしになっている、僕の四柱推命講座の事です。

 

 このまま、非常事態宣言が解除されなかったら、ずっと講座ができないし、仮に「日本の経済活動に、深刻な影響を与える」という理由で、非常事態宣言が解除されたとしても、やはり、この状況の中、電車に乗り継いで、サロン ド シルフィーユで講座を受けるのを、不安に思われる受講生の方は、多くいらっしゃるはずです。

 

 そんな理由で、Zoom講座という形でやろうと、今、準備の真最中なのですが、逆に、画面を通して講座を受けるなんて嫌だし、遅くなってもいいから、直接講座を受けたいという受講生の方も、やっぱり、いらっしゃると思うんですね。

 

 実は案外、僕がそういうタイプだから、この気持ちも、すごく良くわかるんです。

 

 でも、それに合わせると、Zoomで早く講座を受けたいというお客様まで、いつになるかわからない非常事態宣言の終息まで、お待たせしてしまう事になるし…

 

 う~ん、一体どうしたらいいんだろう… と、しばらく悩んでいたのですが、決めました。

 

 要は、Zoom講座と直接講座と、二度、講座を行えばいいだけの話ですね♪

 

 それで、受講生の方がどちらか好きな方を選んで、参加して頂ければ、全て解決です。

 

 なんか、スッキリしました!!

  お騒がせしました(^^)

 

 …という事で、去年の11月の西日本旅行記ですが、今日は、出雲の最後の目的地である一畑薬師(いちばたやくし)へ、行ってきた時のお話です。

 

 ツアーのメインイベントである、出雲大社の縁結大祭も終わって、出雲そばも食べて、ILU開運ツアーの旅も、いよいよ終わりに近づいてきました。

 

 旅の仲間を乗せたツアーバスは、旅の終着点である米子空港へ向かって、東へと走り出しました。

 

 ツアーに参加している多くの方は、米子空港から飛行機に乗って家に帰るのですが、中にはもっと、出雲の旅を続けるという人もいるし、僕のように、次の旅の日程を組んでいる人もいます。

 

 僕はこの後、米子空港の手前の米子駅でバスを降りて、山口へと向かう予定なのですが、もう一つ最後に、ILU開運ツアーで、最後の思い出を作る目的地が残っています。

 

 それは、一畑薬師(醫王山一畑寺(いおうざん いちばたじ)という古刹(こさつ)

 

 このツアーの主催者で、すっと旅の先達をして、我々を案内してくださっている藤尾美友先生が、バスの運転手さんから聞いた話ですと、なんと、この日の朝、出雲の空に、虹が出ていたそうです。

 

 しかも、これがダブル・レインボーだったとの事で、きっと、出雲に参拝に訪れた人を祝福してくれているのではないか、との事でした。

 

 旅の道中、藤尾美友先生には、とても良くして頂きました。

 

 僕は基本的に、聞かれない限りは、自分が占い師であるという事を、自らしゃべったりはしないのですが、藤尾先生のご主人が、ツアーの皆さんに僕が占い師をしている事を紹介してくださって、そのお陰もあって、ツアーの全員の人と親しくさせて頂く事ができました。

 

 出雲の縁結大祭の時に、忘れ物に気づいて、タクシーを飛ばしてホテルに往復したという話を聞いた藤尾先生は「言ってくれれば、バスの運転手さんに頼んで、運転してもらったのに…」と、おっしゃってくださいました。

 

 本当に、素敵なご縁を頂いた事に感謝です。

 

 

 ここが一畑薬師…

 

 この時は例によって、全く予備知識なしだったので、このお寺はどんなお寺なのかとか、どういう由緒があるのかとか、全く知らないまま到着しました。

 

 薬師という名前なんだから、おそらく薬師如来が祀られていて、健康の事をお願いする人が多いのかな… などと思いを巡らせながら、歩いていました。

   NARUTOの医療忍者の薬師カブトは、AB型という設定らしい…  なんかわかる気がする

 

 ここが、普通のお寺とはちょっと違うという事に、初めて気づいたのは、このオブジェを見ての事でした。

 

 

 め、めだまのおやじがいる…

 しかも、茶わん風呂に、お賽銭を入れられているし(笑)

 

 “うん(運)と頂く結縁(けちえん)の道” と、書いてあります。

 

 なんか、思わず魅入ってしまいました。

 それにしても、キュートです。

 

 ふと、米子空港で「目玉のおやじ」に夢中になって、ツアーとはぐれてしまった、苦い記憶を思い出し(2020/2/18 ブログ 「出雲・山口への旅~<2>美保神社は雨のち晴れ」 参照)気を引き締めました(笑)

 

 

 目玉のおやじが、転んでいます(笑)

 

 “欲にころぶな 元気におまいり”

 

 このキャラクターって、どう見たって、ゲゲゲの鬼太郎の目玉のおやじですよね。

 いいの、これ? 著作権とか大丈夫なの?

 

 この時は、まだ何も知らなかった僕は、本気で心配してしまいました。

 

 一畑薬師の古参道は、一畑坂下から1,270段もある参道石段を上がっていくのですが、ツアーバスが駐車できる大駐車場から「けちえんの道」を上っていけば、150段の階段を上がるだけで、お寺の本堂へ入っていけます。

 

 

 階段の上り口に、目玉のおやじが、横になって休んでいました。

 

 “果報はねてまて 涅槃(ねはん)おやじ” と書いてあります。

 

 …って、「涅槃おやじ」じゃなくて、どう見ても、鬼太郎のお父さんだよね… と、思わずツッコミを入れそうになりました(笑)

 

 

 石の階段の下に建てられている、ご真言塔には、薬師如来の真言である「おんころころ せんだり まとうぎ そわか」の文字が彫られています。

 

 ͡この階段は、参拝を終えて、山から下りる時に、通常使われます。

 

 もう一つの階段の方へ向かっていくと…

 

 

 なんと、階段の下で、目玉のおやじが座禅を組んでいました。

 

 見れば見るほど、原作の目玉のおやじにそっくりです。

 というか… これ、目玉のおやじそのものですよね。

 

 ゲゲゲの鬼太郎の作者の水木しげる先生は、境港の出身だし、もしかすると、これ、ちゃんと許可を取っているのかも知れないな… と、この辺りに来て、やっと思い始めました。

 

 でも、それだったら、主役の鬼太郎とか、せめて、目玉のおやじのバックに、一反木綿(いったんもめん)ぐらい、一緒にいても良さそうなものなのに、なんで、目玉のおやじだけなのだろう、という疑問が残りましたが…

 

 

 階段を上りきった所には、山号である「醫王山(いおうざん)」の字が彫られた巨大な額が掲げられた仁王門が、ありました。

 

 そして、この門を入ると、いよいよお寺の境内に着きます。

 

 

 境内には、二体のお地蔵様があって、お賽銭箱がありました。

 

 ゲゲゲの鬼太郎には、多分登場しないけど、明らかにこの二体の石像のタッチは、水木しげる先生が描いたキャラクターっぽい…

 

 一体、誰をイメージした石像なのだろう…

 

 二体のお地蔵様の後ろに立てられている案内板の説明を読んで、初めて、一畑薬師と漫画家・水木しげる先生のつながりが分かったのでした。

 

どうやら、この子供の石像が、幼い頃の水木しげる先生で、老婆の石像は「のんのんばあ」と、水木しげる少年が呼んでいた実在の人物をイメージした石像のようです。

 

 案内板には、次のように書かれていました。

 

 「のんのんばあ」一畑薬師の由縁

 

 「のんのんばあ」とは、少年時代の水木しげる先生(本名・武良茂)の家に手伝いに来ていた「景山ふさ」という実在の老婆です。この地方では神仏そのものや、神仏を拝む人を「のんのんさん」と呼びます。

 

 ふささんは、一畑薬師を熱心に信仰する「拝み手」の妻だったため「のんのんばあ」と呼ばれました。彼女は、しげる少年が四才のとき一畑薬師に連れてお参りし、たびたび妖怪やお化けの世界を語って聞かせ、後年の妖怪漫画家・妖怪研究家への素地を作ったともいえる人物です。

 

 (中略)

 

 水木しげる先生の著書である「のんのんばあとオレ」は、先生の少年時代の楽しくまた切ない思い出がつづられているエッセイで、その不思議な魅力から漫画化やドラマ化を通してたくさんの方々に親しまれています。先生は、妖怪の絵やマンガをかくようになったのは、「のんのんばあ」がいろいろな妖怪を知っていて、それぞれどこにいて、どんなことをするのか、いわば実地で教えてくれたからだと、エッセイの中で述べています。

 

 (中略)

 

 妖怪の心のふるさとと言える「のんのんばあ」の、一畑薬師への篤い信仰を称え、その献身的な功績に報いるために、しげる少年とともに、ここに永く地蔵菩薩として祀り、もってこの地域の発展と参拝者の安寧を願うものであります。

 

 なんと、ゲゲゲの鬼太郎の世界観は、この一畑薬師の熱心な信仰者である「のんのんばあ」によって、作られたものだという事なのですね。

 

 それであれば、ここにたくさんの目玉のおやじのオブジェが存在する理由も、うなずけます。

 

 どうして、目玉のおやじだけ… と思っていたのですが、その理由は、この一畑薬師は「目のお薬師様」として全国的に知られている、お薬師さんだからなのですね。

 

 どうりで、目玉のおやじだけが、特別扱いされる訳です。

 

 実際に、この目玉のおやじ像の除幕式には、晩年の水木しげる先生も、車いすで参加されたとの事…

 

 一畑薬師の境内を少し歩き、境内に設置された、ガラス張りの六角形の小さな建物の中に入って、ろうそくを灯して、お線香をあげました。

 

 

 次に、薬師本堂に行って、参拝…

 

 この後で、全員が薬師本堂に上がって、正式にご祈念をして頂きました。

 

 そしてその時に、ご住職から、この一畑薬師の由来のお話を聞かせて頂いたんです。

 それは、次のようなお話でした。

 

 今からおよそ、千百年ほど前の平安時代のお話…

 一畑山の麓(ふもと)にある海岸に、与市という漁師が、目の見えない母親と二人で暮らしていました。

 

 ある日、与市は、ミサゴという鳥に導かれて、船を海に出していくと、水の中からピカッと光るものがあります。そこへ行ってみると、なんと、金色に輝く仏像がありました。

 

 与市は、そのお像を海からすくい上げて、家に持ち帰りました。村人達は、与市が手に持っている立派な仏像を見て、皆おどろきました。

 

 与市は、自分の家にその仏像を置いて、朝な夕なに、お茶やお水、珍しい物などを、お供えして、毎日拝んでおりました。

 すると、どういう訳か、村に大風が吹いたり、突然大雷や、大雨や、地鳴りなど、不思議な事が起こり出しました。

 

 ある日、一人の僧が与市の家に、宿を求めてやって来ました。

 僧は、その仏像を見て、宿を借りたお礼に、与市に言いました。

 

「これは、左手に薬り壷、右手に施無畏(せむい)の印を示しておる。間違いなく、薬師如来様の像であろう。このまま家に置いておくのは良くない。どこか良い霊地を選んで、お堂を建ててて安置するように…」

 

 そんな事があったある日、薬師如来が、与市の夢枕に立ちました。

 

 「親孝行な与市よ、そなたの信仰心の深さを証明する為に、百丈が滝の崖から、跳びおりなさい。そうすれば、母親の眼は治ります」

 

 与市は、夢のお告げを信じ、百丈が滝の崖から跳びおりる決心をしました。これを伝え聞いた村人達は、必死に思いとどまるように説得しましたが、与市は聞き入れません。

 

 与市は千把(せんば)の藁(わら)を体中に巻きつけて、崖の上から、跳びおりました。

 

 与市は、みるみる崖を転げ落ちていき、千把の藁はバラバラになりました。

 ところが気がつくと、与市は大きな石の上に安座しており、怪我一つありませんでした。

 

 与市を案じて、手探りで駆け寄った母親の眼は、見えるようになり、二人はしっかりと抱き合い、お互いの無事を喜びました。

 

 その後、与市は、薬師如来の像を安置する場所を探し続けて、ようやく、その場所にたどり着きました。そこは、良いお茶が栽培され、足の下には水晶のような清水が湧き出ている美しい場所でした。

 

 そして、与市は、比叡山延暦寺へおもむき、出家して名を「補然」(ほねん)と改め、摩訶止観の法を受けて、その場所に「醫王寺(いおうじ)」という薬師如来のお寺を開きました。

 

 一畑にある醫王寺が、目に霊験あらたかであるという評判は、近隣や遠方にも広がり、やがて「一畑のやくし」と呼ばれるようになったそうです。

 

 本当に、心温まるお話です。

 母親の目を治したいという、与市の藁をもつかむ気持ちと優しさが、薬師如来に出会わせ、奇跡を起こしたのですね。

 

 ご住職のお話と御祈祷が終わると、みんな一人ずつ順番に、仏前で手を合わせました。

 

 その後、ご住職に案内して頂いて、本堂の廊下から、宍道湖の方を見渡すと、そこは絶景の眺めでした。

 

 

 一畑山の紅葉が、眼下に見渡せます。

 

 ご住職が、至れり尽くせりでお世話してくださり、本当に感謝の気持ちでいっぱいで、心が震えました。

 

 

 続けて、観音堂へ参拝し、全員で中に上がらせて頂きました。

 

 薬師如来様、観音様など、たくさんの仏様の種類があって、この観音様の中にも、また、いろいろな種類に分かれたりして、それによって、唱える真言が全く異なるのですね。

 

 藤尾先生は、それを即座に使い分けて、真言を唱えられました。

 

 まさに、神仏の世界のプロフェッショナルだと思いました。

 

 

 次に、十六羅漢像を見て回りました。

 

 十六羅漢(じゅうろくらかん)とは、お釈迦様の高弟の十六人の修行僧の事で、信者からの施しを受けるにも値する、貴い人という意味です。

 

 賓度羅跋囉惰闍(びんどらばらだじゃ)、迦諾迦伐蹉(かなかばっさ)、迦諾迦跋釐堕闍(かなかばりだじゃ)、蘇頻陀(すびんだ)、諾距羅(なこら)、跋陀羅(ばだら)、迦理迦(かりか) 伐闍羅弗多羅(ばじゃらほたら)、戍博迦(じゅばか)、半託迦(はんたか)、囉怙羅(らごら)、那迦犀那(なかさいな)、因掲陀(いんかだ)、伐那婆斯(ばなばす)、阿氏多(あじた)、注荼半託迦(ちゅだはんたか)という十六人の尊者です。

 

 羅漢は、正式には「阿羅漢(あらかん)」と呼ばれ、六道輪廻(2019/11/27 ブログ 「京都はんなり日記 その13 ~龍安寺と仁和寺、京の古刹を巡って~」 参照)はもちろん、欲界・色界・無色界の三界(さんがい)からも解放された、四向四果(しこうしか)の最上位に当たります。

 

 どの羅漢様も、それぞれに個性的で、良いお顔をされていらっしゃいました。

 

 その後、下生閣(あさんかく)と呼ばれる寺務所に行って、お守りや板札、お香、数珠などの仏具、それから、ほうじ茶など、おみやげ物を見ていました。

 

 何とこの下生閣で、一畑薬師の境内にある薬草畑で採れたお茶を、頂く事ができるそうです。

 また、このお茶は、まぶたにつけると、目が良くなるご利益があるとの事…

 

 みんなで、下生閣の屋内のイスに腰かけて、一畑薬師の美味しいお茶を頂きました。

 最後にほんの少しだけ残ったお茶を、指につけて、まぶたに塗ってみました。

 

 僕は最近、本当に目が悪くなって、小さな文字が読めなくて、常にメガネを離せなくなってしまったのですが、一畑の薬師如来の力で、視力も回復するような気がしてきました。

 

 みんな、それぞれに、旅のおみやげをたくさん買い込んで、階段を下りていきました。

 

 道すがら、横の木々に目をやると…

 

 

 二本の椨(たぶのき)が絡まって、一つになっていました。

 

 立て看板には「結縁の木(一)」と書かれています。

 

 「結縁」とは「仏様と御縁を結ぶ」という本来の意味があり、これが今日の「縁結び」の語源になっているとの事…

 

 「目のお薬師様によって、心の目を開き、悪縁を断ち、良縁を結んでお帰りください…」と書かれていました。

 

 一畑薬師は目を良くしてくれる仏様ですが、それだけではなく、心の目を開いてくれる働きも、してくれるのですね。

 

 縁結びの旅の最後に、とても素敵な仏様に、出会わせて頂きました。

 

 さらに、もう少し山を下っていくと…

 

 

 今度は、椨と紅葉の木が、結合していました。

 

 立て看板は「結縁の木(二)」となっています。

 

 お互いに、種類が違っても、一つになれるんですね。

 

 まあ、人と人のご縁も、これと同じような感じで、タイプが全然違う相反するような性格であっても、案外うまく行く事だってある…

 

 「出雲大社の縁結び」というと、何となく、赤い糸で結ばれた結婚相手との縁をたぐり寄せる… みたいなイメージになっている部分もありますけど、僕は、神仏が結んでくれる縁というのは、結婚相手だけに限らないと思うんですね。

 

 縁には、たくさんの種類の縁があるし、人生というのは全て、縁というものでできている… と言い切ってしまっても、間違いではないような気がします。

 

 その縁をしっかりと掴み取る為にも、目の前の一つ一つの出会いを、本当に大切にしていかなければいけない…

 

 ふと、そんな風に感じました。

 

 一畑薬師の石の階段を、全て下りきって、ツアーバスへと向かいます。

 

 これでもう、出雲とはお別れか…

 そう思うと、少し寂しい気持ちになりました。

 

 出雲駅へと向かう帰りのバスでは、隣りの席のHさんと、ずっとお話をしていました。

 

 話の中で、Hさんが十干十二支気学の笹木龍一先生の鑑定を受けて、お引越しをしたという話をお聞きしました。

 

 笹木先生の話が出たのは、偶然と言われれば偶然かも知れませんが、本当に不思議なものです。

 

 方位学のスペシャリストである笹木先生のアドバイスで引っ越したのでしたら、もう絶対に大丈夫だと、話しておきました。

 

 笹木先生の鑑定は、誰に聞いても評判がいいし、ブログを読んでも、ポジティブで元気になるし、さすがだなあ… と思いました。

 

 僕もこれまでの人生、たくさんの素晴らしい人とのご縁を頂いて、今の自分があるのを、気づかされます。

 

 もう間もなくして、ツアーバスが米子駅に着けば、みんなとお別れ…

 

 たくさんの旅の思い出に浸りながら、思う存分、出雲の余韻を楽しみました。

 

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西日本紀行記 ~出雲・山口への旅~<10>縁結びの大神に全てをゆだねて20.05.03

2020年5月3日(祝)

 

 気がつけば、もう5月…

 

 春が、僕は全季節の中で一番好きですが、4月でも時折、寒いと感じてしまう寒がり屋の僕にとって、とりわけ、新緑の5月は、本当に過ごしやすくて、大好きです。

 

 とはいえ、世界中が新型コロナの猛威にさらされている今、このゴールデン・ウィークも、ずっと家にこもって、パソコンで仕事をしている事になりそうです。

 

 新型コロナの影響で、講座を延期にしたり、直接鑑定をお断りしたりと、思うようにならない事も多いのですが、逆に、こういう時期でもなければ、これほどまでに仕事に集中できなかったと思うし、なるべくポジティブに、僕は考えるようにしています。

 

 書きすすめておきたい文章が山ほどあって、このブログも、1週間から10日おきぐらいになってしまっていますが、ほとんど遊びに時間を使う事なく、毎日、仕事に精を出しています。

 

 いつかそう遠くない未来、今書いているこの文章を、皆さまにお披露目できたらと、思っています。

 

 ただ、こうしてずっと、文章を作っていると、気持ち良いこの陽気のせいか、たまらなく眠気に襲われて、ここ最近、うたた寝してしまう事が、本当に多くなりました(笑)

 

 さて、今回の「西日本紀行記」は、出雲編のメインイベント「出雲大社 縁結大祭」に参加した時のお話です。

 

 あれからもう、半年余りの月日が経っているのですが、実は、この縁結大祭に参加して、明らかに、素敵な縁が結ばれたと、実感できる事があるのです。

 

 半年前の頃の僕は、京都への長期滞在で、東京でやらなければいけない仕事が、ものすごく溜まってしまっていて、今以上に時間に追われていました。

 そんな状態で、サロン ド シルフィーユの後片付けさえも、ままならない状態でした。

 

 資料を見ながら、原稿を作る仕事をパソコンでやっていると、広げた資料なんかが、床に積み重ねられていき、たまに、食事をしながら仕事をしたりする時があっても、仕事に集中すると、部屋を片付けなかったりするものですから、本当に散らかっていました。

 

 そして、翌日が鑑定日だったり、講座の開催日だったりした時は、その散らかっているものを全部、押し入れに突っ込むという悪循環を繰り返しをしている内に、だんだんとひどい事になっていきました(笑)

 

 京都のIさんは、その状況を知っていたので、心配して「掃除に行きましょうか」と持ちかけてくれたのですが、何せ、遠く離れた東京ですから、頻繁に来れるような場所でもありません。

 

 実は、縁結大祭に参加して2か月後のお正月、僕がまだ独立して仕事を始める前からお世話になっている、ある女性の方から、Rさんをアルバイトに雇ってはどうか… という提案があったのです。

 

 Rさんは、サロン ド シルフィーユの近くに住む家庭の主婦で、ちょうどお昼の空いている時間帯を、うまく活用できる短い時間のお仕事がないか、探しているとの事…

 

 このタイミングでの話ですので、きっと良い縁に違いないと思い、すぐにお願いする事にしました。

 

 早速、お仕事をして頂いたのですが、Rさんは家庭の主婦だけあって、お仕事が手際よくて、押し入れの中の後片付けは、ほんの2日余りで終わってしまったのでした!!

 

 サロン ド シルフィーユのソファーの下とか、本棚の中とかには「絶対に取っておいても使わない事はわかっているけど、捨てられない物」が、たくさん入っていたのですが、Rさんは、僕を説得して、それらを全部片っ端から捨ててくれました。

 

 それから不思議な事に、仕事上でも人間関係においても、本当に必要なものかそうでないものかの区別が、僕の中でハッキリつくようになって、やるべき事がハッキリと見えてきて、見違えるほどに運が良くなったのです。

 

 Rさんを紹介してくださった、その女性の方は、子供の頃から日本舞踊をされていて、小学生の時の生まれて初めての舞台が、なんと出雲大社の神楽殿での舞踊だったとの事…

 

 まさに、これは出雲の神様が引き寄せてくださった縁だとしか思えません。

  メルマガには、「出雲大社の巫女をしていた」と書いてしまったのですが、思い込みの誤情報でした(^^;;

 

 さて、縁結大祭の前日は、藤尾美友先生や、ツアーのメンバーと直会(なおらい)で、お酒を浴びるくらいにのみ、気がついたら部屋のベッドで眠っていました。

 そして、翌日の朝、一緒の部屋のSさんが、僕を起こしてくれていました。

 

 Sさんは、写真が趣味で鉄道オタクでもあるという、優しい男性です。

 

 そして、ぼんやりとした頭で、朝食を食べ、その後、スーツケースの中に荷物を詰め込みました。

 

 出雲の旅、3日目の朝…

 今日は、これから出雲大社で開かれる「縁結大祭」に参加し、その後、いくつかの神社仏閣に行って、米子駅でツアーのメンバーと別れて、そこから電車に乗って、山口へ向かう予定となっています。

 

 

 「湖畔の温泉宿くにびき」は、神西湖(じんざいこ)に面しているホテルで、料理も美味しくて、温泉もとても良い湯でした。

 

 お店の売店で、思い出にと、大国主神(オオクニヌシ)が、ほのぼのとした顔で書かれている、神在之里(かみありのさと)本舗さんのTシャツを購入して、ツアーバスに乗り込みました。

 ちなみに、神在之里本舗の「ひどい八十神(やそがみ)おみくじ」の内容は、危険すぎる(笑)

 

 向かう先は、縁結大祭の会場である出雲大社本殿…

 

「湖畔の温泉宿くにびき」からですと、神戸川を渡って、10km近く北上した所に、出雲大社があります。

 

 

 ツアーバスに乗って、20分弱ぐらいで、昨日も参拝させて頂いた、出雲大社に到着をしました。

 

 バスから降りて、鳥居をくぐり、出雲大社の本殿の方へ向かって、歩いていきます。

 

 この頃には、僕もツアーのほとんどの方と顔見知りになって、お話しできるようになっていました。

 

 僕は、男性のHさんと、いろいろお話をしながら、出雲大社の境内へと向かう参道を歩きました。

 

 

 縁結大祭だけあって、ものすごく込み合っています。

 

 それもそのはず、日本全国の各地から、この縁結び大祭に参加しようと、ものすごい数の参拝客が訪れるのですから…

 

 この頃は、その後、中国武漢で発生して大問題になる新型コロナの事も、全く報じられていない時でしたから、ここにいる誰もが、まさか数ヶ月後に、世界がこんな状況になっているとは、思い浮かびもしなかったはずです。

 

 その日は11月にもかかわらず、結構暖かくて、Hさんと「今日は暖かくて過ごしやすいですね…」みたいな話をしていました。

 

 「東京でも、結構暖かかったので、出発した日の朝、うっかりコートを忘れて家に取りに帰ったら、大変な目に…」

 

 …と、ここまで話した僕は、ハッとしました。

 

 今、その家に取りに帰ったはずのコート(2020/2/7 ブログ 「出雲・山口への旅~<1>プロローグ」 参照)を、着ていないのです。

 

 急に黙り込んでしまったので、Hさんに「どうしました?」と、心配されたりしましたが、これは、ちょっとシャレにならない状況である事に、すぐに気づきました。

 

 どうやら、コートを「湖畔の温泉宿くにびき」の部屋の中に、置き忘れてしまったようです。

 

 事情を話すと、みんなが集まって来てくれて、相談に乗ってくれました。

 

 出雲大佐の縁結大祭のスタートまで、もう1時間ぐらいしかありません。

 

 僕をこのツアーに招待してくれたKさんは、「僕の分の受付を代わりにしておくので、今すぐ、タクシーでホテルまで飛ばして往復すれば、ギリギリ間に合うから、コートを取りに行った方がいい」とアドバイスをくれました。

 

 それとは逆に、Tさんは、もうすぐ縁結び大祭が始まる前に、受付で絵馬に願い事を書いたりする時間も必要だから、コートはあきらめて、新しくこっちで買った方がいいのではないか…」と、アドバイスをくれました。

 確かに、その方がタクシー代も掛からないし、合理的かも知れません。

 

 即座に決断を迫られる状況でしたが、僕はKさんの意見に従って、今、持っている荷物をKさんに預け、タクシーを探す事にしました。

 

 この後のスケジュールの中で、コートを取りに行く事ができるのは、今しかなく、もしも、そのままにしてしまったら、山口に行ってからコートを買うしかありませんが、山口で過ごしている時も、ずっと出雲に置いたままのコートの事を、心の片隅で気にしていなければならないのが、たまらなく嫌だと思ったからです。

 

 もちろん、この場を離れれば、絵馬に願い事を書く時間は、なくなってしまう可能性が高いのですが、この時ふと「もう、それは書かなくていいかな…」と、思ったのです。

 

 半年前の頃の僕は、正直いうと、心の中で「こうなったらいいな…」みたいに思っていた縁を、まだ持っていた時期でしたから、絵馬に願い事を書けるなら、こんな事を書きたいな… みたいなものも、少なからずあったのです。

 

 とはいえ、その願い事が叶う事が、正直言って、大局的に見た時、本当に良い事かどうかなんてわからない…

 

 だったら、そんな小さな願い事はしないで、この機会に、全てを神様に委ねてしまおう… と、この時思いました。

 

 僕は、大通りに向かって、全速力で走って、タクシーを探しました。

 

 5分ほど、タクシーが見つからなくて、道路をうろうろしていたのですが、何とか1台見つけて、「湖畔の温泉宿くにびき」に、直行しました。

 

 タクシーの運転手さんに、ホテルの前で待っていて頂いて、フロントに事情を話し、部屋の鍵を借りて、休んでいた部屋へ直行しました。

 

 部屋の衣装ケースの中に、コートだけではなく、他にも、前日に来ていたスーツとかネクタイとか、たくさん忘れていました(笑)

 

 お酒のせいもあるとはいえ、何という、間抜けなのだろうと、自分で自分の事がおかしくなりました。

 

 とにかく、それらの衣類を、コートを風呂敷がわりにしてくるんで手に持ち、タクシーで大慌てで、出雲大社へと引き換えしました。

 

 所要時間は約50分、往復でかかったタクシー代は、6千円ぐらいでしょうか…

 

 Kさんに連絡をして、息を切らしながら、縁結大祭の会場へと急ぎました。

 

 

 Kさんが全部受付も済ませてくれて、しかも僕の為に、最高に良い席を取っておいてくださいました。

 

 なんと、座りながらにして、本殿で行われている縁結び会場の神事の様子が、ここから伺えるのです。

 ありがたいなあ… と思い、涙が出そうになりました。

 

 しかも、Kさんが絵馬も取ってきてくださっていて、今、絵馬を書けば、受け付けてくださるとの事…

 

 僕はボールペンで、書き綴りました。

 

 当初、書こうと思っていた内容は、書かない事にしました。

 本当に大切な縁なんて、どこにあるかわからないし、自分のちっぽけな思惑を願えば願うほど、清らかでなくなってしまう気がしたんです。

 

 少なくとも、それは澄み切ったこの場所にふさわしくないように、感じました。

 

 だから「自分の得意分野の占いで、世の中の人の役に立ちますように…」とだけ、絵馬に書きました。

 

 きっと必要な縁は、大国主命が導いてくださるはずだし、神様なのだから、絵馬なんかに書かなくたって、今の気持ちも全部察してくれた上で、最良の縁を授けてくれるはずです。

 

 そして、いよいよ縁結大祭が、始まりました。

 

 境内の中には、2千人ぐらいの参加者が集まっていて、ひしめき合っていました。

 

 縁結大祭では、北海道から順に沖縄までの四十七都道府県と海外に分けて、住んでいる地域ごとに8つに区分し、それそれの代表の方が絵馬を奉納して、みんなで柏手を打ったのですが、東京を含む6つの都道府県の柏手が、一番響き渡っていました。

 

 おそらく、関東圏の方の参加している割合が、最も多かったのではないかと思います。

 

 席の前に設けられている柵の隙間から、出雲大社の千家国麿(せんげくにまろ)宮司が、本殿の階段を上がっていくのが見えました。

 

 本殿の帳(とばり)が開けられ、出雲大社の千家宮司が参進し、お神酒などが次々と奉納されました。

 

 その後、その場の全員がお祓いを受け、その場の全員で謝恩詞(しゃおんじ)を奏上し、その後、いよいよ宮司の祝詞奏上となります。

 

 凛とした澄み切った空気の中、おごそかで清らかな時間が過ぎていきました。

 

 目に見えない世界では、日本全国の八百万の神々も、この場に集まって、大国主命の元で粛々と会議をしているのかも知れません。

 

 縁結大祭を終えて、人だかりの中、ツアーのメンバーは、縁結大祭の授与品を受付で受け取り、もう一度集合しました。

 

 そして、先達の藤尾美友先生の後について、本殿から歩いて10分ぐらいの所にある出雲大社の摂社「命宮社(いのちのぬしのやしろ)」へと、向かいました。

 

 

 命宮社の主祭神は「神皇産霊神(カミムスビノカミ)」…

 

 あんまり聞いた事のない名前ですが、神皇産霊神は万物創生の根源の神とされ、この世界が作られた時の「天地開闢(テンチカイビャク)」の中の造化三神(ゾウカサンシン)の一柱であり、造化三神と言えば、伊邪那岐(イザナギ)や伊邪那美(イザナミ)の夫婦神に、たどりつく神世七代(カミヨナナヨ)よりも前の別天津神(コトアマツカミ)の神様です。

    うちはシスイのコトアマツカミは無敵…

 

 と説明しても、一般の人には「なにがなんだか」だと、思いますが…

 

 ちなみに、皮を剥がれたウサギに海水に浸かるようにすすめた、あの意地悪な八十神は、なんと大国主神を、陰謀によって、一度殺してしまうのです。

 

 その時に、𧏛貝比売(キサガイヒメ)と蛤貝比売(ウムギヒメ)の二人の女神を遣わして、もう一度、大国主神を生き返らせたのが、この神皇産霊神だと言われています。

 

 

 そして、この命主社の社の前には、巨大な椋(むく)の木があります。推定樹齢が一千年ほどと言われていて、高さが17mもある見事なまでの巨木です。

 

 全員で、命主社に参拝し、この巨大な御神木のパワーを浴びました。

 

 命主社を出て、さらに東に向かって歩いていくと、そこには湧き水がありました。

 

 

 これは「真名井の清水(まないのしみず)」呼ばれる湧き水で、島根の名水百選にも選ばれています。

 

 真名井の清水の御祭神は「彌都波能賈神(みづはのめのかみ)」と言われていて、伊邪那美の尿から出来たとされる神様です。

 

 みんな急いでいたので、長く立ち止まる事なく、真名井の清水は通り過ぎていきました。

 

 ずっとしばらくの間、ひたすら東へと歩いていくと…

 

 

 階段の上に、ひっそりと祠が経っていました。

 

 この神社は、出雲井(いずもい)神社と言い、岐神(くなどのかみ)が主祭神です。

 

 岐神とは、大国主神の国譲りの際に、大国主神の命で、天照大神(アマテラスオオミカミ)の道案内をしたという神様で、交通安全や道案内にご利益がある神様です。

 

 いよいよ昼食の時間…

 ツアーバスに再び乗り込んで、昼食の会場へと向かいます。

 

 向かった先は、本格出雲そば「そば縁」…

 

 

 出雲のお蕎麦というのは、殻のついた玄そばを石臼で挽いて作るので、普通のお蕎麦と違って、黒っぽいのが特徴です。

 その分、香りが濃くて、風味が強いので、とっても美味しいのです(^^)

 

 茶わん蒸しや、天ぷらなんかもついていて、最高の味わいの出雲そばでした。

 

 美味しい昼食を食べた後は、僕が参加するILU開運ツアーでの、最後の目的地となります。

 

 その場所は、ここから20kmほど北東へ向かった先にある「一畑大師(ひとはたたいし)」というお寺です。

 

 いよいよ、出雲編の最後の冒険へと向かい、旅立ちます。

 

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西日本紀行記 ~出雲・山口への旅~<9>いざ、出雲大社の境内へ20.04.24

2020年4月24日(金)

 

 先週の金曜日、僕は49歳の誕生日を迎えました。

 

 毎年のように、村野大衡先生から、甘くておいしいスイートが届いて(村野先生の誕生日の3月27日に僕が甘いものを贈って、僕の誕生日の4月17日に村野先生から、甘いものが届くというこの慣例は、もう20年近くも続いている…)、名古屋の物理学のI博士からは、緑のきれいなタオルが何枚も届いたり、そして高天麗舟先生とそのご家族からは、緑の素敵なマグカップとピンバッジを頂いたり…

 

 それから、福岡のソフィさん、モスクワの木下順介先生、Iさん、Kさん、Rさん、Aさん、Fさん、Sさん、Nさん、Tさん、僕の誕生日を覚えていてくださって、本当にありがとうございました。

 

 ここの所、ブログは10日に1回ペースですし、たまたま前回、ブログを更新したタイミングが、僕の誕生日の前日だったので、まさか、こんなに多くの方から連絡が来て、お祝いして頂けるなんて、夢にも思いませんでした。

 

 今まで頑張って生きてて、本当に良かったです。

 

 今年は、新型コロナの影響で、お花見も行かなかったし、相変わらず僕は自宅にこもりっきりで、コツコツと仕事をこなしながら迎えた、自分の誕生日でした。

 

 それにしても、今年の初めまでは、まさか、こんな時代が来るなんて、夢にも思いませんでした。

 

 大変な事は山ほどあるけれど、それでも、そばに自分の事を大切に思ってくれている人がいてくれる…

 だから、それだけで生きていける、いや、だからこそ、その人の為にしっかりと生きていこう… と、改めて思いました。

 

 という事で、また例によって、昨年11月の西日本旅行記は、いよいよ前半「出雲編」のクライマックスです(^^)

 

 稲佐の浜で弁天島を参拝した、ILU開運ツアー一行は、先達の藤尾美友先生の先導で、出雲大社の社殿のある方へ向かって、みんなで、細い道を通りながら、歩いていきました。

 

 とはいえ、ツアーは30人近くの大所帯ですから、中には、道の途中ではぐれてしまう人もいたりしましたが、携帯で連絡を取り合って、無事に全員、出雲大社まで到着しました。

 

 出雲大社に向かうまでに、道沿いにある、出雲大社の摂社の「上宮(かみのみや)」と、末社である「下宮(しものみや)」へと、立ち寄りました。

 

 摂社とか末社という言葉は、よく神社に行くと耳にしますが、これらは、その神社の本社とは別に、そこの神社の管轄にある、小規模な神社の事を指します。

 

 ちなみに、摂社と末社の違いをいうと、摂社というのは「その神社の主祭神とゆかりの深い神様が、祀られているお社」で、末社というのは「それ以外の神様が、祀られるお社」という事になります。

 

 神社の格式という事でいえば、一般的には「摂社の方が、末社よりも上」と、されています。

 

 

 最初に、天照大御神(アマテラスオオミカミ)が祀られている末社の下宮に、参拝しました。

 

 皇室の御祖先神にもかかわらず、意外と小さな祠(ほこら)で、しかも名前も「下宮」なんですね。

 

 由緒には「天照大御神は皇室の御祖先神です。優れた御霊徳で、その御神徳は広大無辺とされます」と書いてあるだけで、それ以外、この下宮に関する説明も情報も、何もありません。

 全く、謎の多い祠です。

 

 狭い場所なので、みんなが一列に並んで、次々とお賽銭を入れて、それぞれに参拝しました。

 

 

 次に立ち寄ったのが、この上宮…

 

 実は、ここは今回、神在月に出雲大社参拝をする上で、非常に重要な場所なのです。

 

 というのは、この上宮こそが「神在祭で、全国の神が集まって会議をする場所」と、されているからなんですね。

 

 中に入ると、とても人が混み合っていて、参拝をした後、お神酒(みき)を頂きました。

 何と、その時使った盃を、物実(ものざね)として、持ち帰る事ができるんです。

 

 上宮の主祭神は、天照大御神の弟神に当たる、素戔嗚(スサノオ)です。

 弟の素戔嗚が「上宮」で、姉の天照大御神が「下宮」というのが、出雲らしくて、何とも面白いです。

 

 ただ、この上宮という場所が「全国の神が集まって会議する場所」という、重要な場所であるとすれば、ここの主祭神が、本宮の主祭神の大国主神(オオクニニシ)ではなく、素戔嗚であるというのは、ちょっとだけ、辻妻が合わないように思います。

 

 一応「出雲大社の主祭神・大国主神の元に、八百万の神が集まってくる」というストーリーになっているのですし、大国主神の義父の素戔嗚が、娘婿の為に、全国の神様をお出迎えするというのも、何だかおかしな話ですし…

 

 何でこうなっているのだろうと思って、いろいろ調べてみたら、過去の歴史の一時期だけ、何と、出雲大社本宮の主祭神が「大国主神」ではなく「素戔嗚」に、変化していた時代があったのですね!!

 

 もちろん、出雲大社の創建時は、古事記の国譲り伝説にもあるように、紛れもなく、主祭神は「大国主神」でした。

 

 出雲大社の主祭神が、一時的に素戔嗚に変化した理由は、出雲大社の近くにある鰐淵寺(がくえんじ)の影響だと、言われています。

 

 鰐淵寺は、山陰屈指の天台宗の霊場なのですが、鎌倉時代になって、神仏習合(しんぶつしゅうごう)の影響下において、出雲大社と密接な関係になり、一時期、鰐淵寺は出雲大社の別当寺(神社を管理する為に、置かれた寺)にも、なっていたのだとか…

 

 この鰐淵寺の中には、二体の牛頭天王坐像(ごずてんのうざぞう)が祀られているのですが、神仏習合の一つ「本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)」によると、牛頭天王と素戔嗚というのは、同一の存在と見なされるんです。

 

 つまり、鰐淵寺にとって、素戔嗚という神様は、特別な存在だったのですね。

 

 さらに、この鰐淵寺には「もう一つの国引き神話」というのが伝わっていて、それは、「仏教の聖地であるインドの霊鷲山(りょうじゅせん)の一部が欠けて、海に漂流していたのを、素戔嗚が持ってきて、島根半島につなぎ止めた」というお話なんです。

 

 通常の国引き神話は、八束水臣津野命(やつかみずおみつぬ)が新羅などから、四度にわけ、土地を綱で引き寄せた話…

 

 つまり、鰐淵寺が主張する説では、出雲国を作ったのは素戔嗚という事になって、出雲大社に祀られるべきは、当然、素戔嗚でなければおかしい… という事になります。

 

 そして、鎌倉時代あたりになって、鰐淵寺が出雲大社に影響力を持ってくると、出雲大社本宮の御祭神が、大国主神から、素戔嗚へと、変えられてしまったのです。

 

 そういう事であれば、この八百万の神が集まってくる上宮の主祭神が素戔嗚であっても、不思議ではありません。

 ストーリー自体が「素戔嗚の元に、八百万の神が集まって来る」という風に、変わっただけですから…

 

 ところが江戸時代になって、出雲国造家が、江戸幕府の寺社奉行に「元々、出雲大社の主祭神は、大国主神だったのだから、元に戻したい」という主張をして、それが受け入れられ、また主祭神に、大国主神がカムバックしました。

   メデタシ、メデタシ…

 

 この上宮に参拝させて頂いて、さすがに、ここに全国の神が集まって会議している気配までは、わかりませんでしたけど、ものすごいパワーを頂けた気がしました。

 

 そして、いよいよ、念願の…

 

 

 僕がずっと行きたかった「その場所」は、たくさんの人で賑わっていました。

 

 ここは「勢溜(せいだまり)の大鳥居」と呼ばれる、出雲大社の入り口です。

 

 出雲大社には4つの鳥居があって、それぞれが、石、木、鉄、銅の4種類の材質で作られていると、されていました。

 

 ちなみに、この勢溜の大鳥居は、元々は木製の鳥居だったのですが、2018年の平成の大遷宮の時に、新日鉄住金の「COR-TEN(コルテン)」の素材の鳥居に、造り替えられました。

 

 時代と共に形が変化するのは、神社だって例外ではないという事ですね。

   木製の鳥居も、見たかったな…

 

 

 この威厳ある石碑…

 やっと念願の場所に来れたという、実感がわいてきます。

 

 ちなみに、出雲大社は一般的に「いずもたいしゃ」と呼ばれる事が多いのですが、本来は「いずもおおやしろ」と呼ぶのが、しきたりです。

 

 

 境内を入った所にある「御慈愛の御神像」…

 

 いうまでもなく、出雲神話の「因幡(いなば)の白うさぎ」がモチーフになっている像です。

 

 知っている人も多いと思いますが、現代風に訳すと、大体こんな感じです。

 

 むか~し、むかし、沖ノ島の岩山に、一匹の白ウサギが住んでいました。

 

 向こう岸の因幡の土地は、草がフサフサと生えていて、ウサギは、この海を渡って因幡に行けたなら、どんなにいいだろう… と思っていました。

 

 そこである日、ウサギは、向こう岸へ行く為に、海にいるサメをだまして、うまく利用してやろうと考えました。

 

 「ねえ、サメさん、サメさんはたくさん仲間がいるみたいだけど、サメさんの数と僕らウサギの数を比べっこしようじゃないか。サメさんの数を数えるから、向こう岸まで一列に並んでみてよ」

 

 サメ達が向こう岸まで一列に並ぶと、ウサギは数を数えるふりをして、サメの背中をぴょんぴょんと跳んで、向こう岸の因幡まで、渡っていきました。

 

 「馬鹿なサメだね、こんなに簡単に、だまされるなんてサ(笑)」

 

 口を滑らせたウサギに、最後の一匹のサメがガブリと噛みつき、ウサギの皮をはいでしまいました。

 

 その頃、おおなむぢ(大国主神)の兄達(八十神=ヤソガミ)は、美しいと評判の、やがみ姫(八上比賣)に求婚をしようと、因幡の国に来ていました。

 

 海岸で、皮を剥がれてたおれているウサギを見ると、おおなむぢの兄達は、こう言いました。

 

 「海の塩水に浸かれば、すぐに良くなるよ(笑)」

 

 その言葉を真に受けたウサギが、その通りにすると、海水が傷にしみ込んで、さらに怪我が、ひどくなってしまいました。

 

 そこへ、兄達の荷物を一人で背負って歩いていた、おおむなぢがやってきました。

 

 おおなむぢは、ウサギから事情をきくと、ウサギを可哀そうに思い、傷ついたウサギの体を水門の真水で洗ってから、持っている薬を塗ってあげました。

 

 ウサギの傷はみるみる良くなり、毛が生えて、元の白ウサギになりました。

 

 元気になったウサギは「あなたこそ、やがみ姫の婿になるべきです。あんな奴らは、ふさわしくありません」と言い残して、やがみ姫に、さっきの事を伝えに行きました。

 

 それを聞いたやがみ姫は、おおなむぢの兄達が求婚に来ると「あなた方の言う事は聞きません」とはねつけ、兄達の荷物を背負っている、おおなむぢを見つけると「袋を背負われているあなた様が、私を自分のものにしてください」と言い、おおなむぢの妻となりました。

 

 その後、おおなむぢとやがみ姫の二人は、末永く幸せに暮らしましたとさ。

 

 この昔話は、典型的な勧善懲悪(かんぜんちょうあく)のストーリーですが、大国主神の優しい人柄(神柄?)というのが伝わって来て、結構僕は好きです(^^)

 

 まさに、大国主神というのは、国を治めるにふさわしい神ですね。

 

 

 これは、「ムスビの御神像」と言われる像…

 

 向こう側の人物が大国主神なのは分かるのですが、こちら側にある丸い玉って何だろう… と思っていると、こう説明がありました。

 

 大国主神が、まだ若者だった頃、突然、日本海に「幸魂(さきみたま)」や「奇魂(くしみたま)」といった魂(たましい)が現れ、その魂の導きによって、大国主神は、国を作る知識や教養を身につけていき、最後は「ムスビの大神」になっていったというお話が、古事記の中にあり、この像はそれを元に作られた。

 

 だから、大国主神というのは、人と人との縁を結ぶ神であり、出雲大社が縁結びの神社になった訳ですね。

 

 

 こちらの鳥居が、銅の鳥居と呼ばれる鳥居です。

 

 そして、この銅の鳥居をくぐると、出雲大社の境内の中心部に入れます。

 

 ここの鳥居を最初に建てたのが、かの毛利輝元です。

   五大老の一人で、関ケ原の西軍の総大将にされて負けた人(詳しくはパリブログ「周りの人に流されない」)

 

 毛利輝元は、いわずと知れた長州藩の藩祖ですが、長州藩の話は、この旅ブログの第二部「山口編」で、イヤというほど出てくる事になると思うので、今回は省きます(笑)

 

 輝元が建てた鳥居は木製だったのですが、損傷が激しくなったので、長州藩二代藩主・毛利綱広が、この銅の鳥居に造り替えました。

 

 実はこの銅の鳥居には、こんな銘文があります。

 

 素戔嗚尊者雲陽大社神也

 (素戔嗚こそが、雲陽(出雲)大社の神なり…)

 

 つまり、この頃まで出雲大社は、素戔嗚が祀られている事になっていたのですね。

 

 

 出雲大社の拝殿です。

 

 ツアーの皆さんと一緒に、参拝させて頂きました。

 

 ご存知の方も多いと思いますが、一般の神社では「二礼二拍手一礼」ですが、出雲大社の参拝作法は「二礼四拍手一礼」なんですね。

 

 また、特別な日に行う参拝作法は「二礼八拍手一礼」するとの事…

 

 だいたい「二礼二拍手一礼」というのも、明治政府の太政官が布達をし、戦後になって定着した参拝方法で、それ以前には、いろいろな参拝方法があったようです。

 

 出雲大社の拝殿に参拝した後、各自、自由行動となりました。

 

 

 思わず僕は、巨大しめ縄がある神楽殿に向かって、歩いていきました。

 

 あそこに、しめ縄がある… という、訳のわからない興奮が、どうしても抑えられませんでした(笑)

 

 生まれて初めて、出雲大社の巨大しめ縄を見ました。

 ただただ、感激です!!

 

 

 近くで見ると、本当、これどうやって、しめたのだろうと思います。

 

 大体の神社では、神様に向かって右側が上位で、左側が下位になるので、一般の神社では、右側が縄のない始めになり、左側を縄のない終りになります。

 

 ところが、出雲大社のしめ縄は、その逆に、左側が縄のない始めになり、右側が縄のない終りになっています。

 

 出雲大社は古来から、神様に向かって左側が上位で、右側が下位と、一般の神社とは逆に考えているからなんですね。

 

 

 こちらは、出雲大社内で一番のパワースポットと言われている素鵞社(そがのやしろ)です。

 

 主祭神は、紛れもなく素戔嗚…

 

 前回のブログ(2020/4/16 ブログ 「出雲・山口への旅~<8>日御碕神社と稲佐ヶ浜の潮風」 参照)に書いた、稲佐の浜で取ったお砂を、この素鵞社に納めて、こちらから、御神気の入ったお砂を頂くのですね。

 

 それにしても、自由行動と言われると、かえってどこに行ったらいいのか、わからなくなります(笑)

 

 一番間違いないのは、ツアーの先達である藤尾美友先生にピッタリついていく事だと思った僕は、藤尾先生と行動を共にしました。

 

 

 どこに行くのかわからないまま、藤尾先生と数人のグループに混ざって、ついていくと、山道のような所に入っていきました。

 

 アスファルトで舗装された、比較的歩きやすい山道を15分ほど歩いていくと…

 

 

 小さな祠がありました。

 

 祠は小さいのですが、この辺りの空間は本当に澄み切っていて、結界が張られた聖域のように感じました。

 

 ここは、「三歳社(みとせのやしろ)」と言って、出雲大社本殿の北西に位置しています。

 

 主祭神は、事代主神(コトシロヌシ)で、大国主の息子の神です。

 

 藤尾先生を先達にして、みんなで参拝しました。

 

 さわやかな風が、吹き抜けていきます。

 

 ふと気がつくと、随分と空が暗くなっていました。

 11月に入って、すっかり日も短くなっています。

 

 この後、ツアーバスに戻って、途中スーパーに寄って、各自、今夜の直会(なおらい)のおつまみやお酒の買い出しをしました。

 

 この直会が、また楽しいんですね。

 

 そして、ツアーバスは、2日目の宿泊宿である「湖畔の温泉宿 くにびき」へと向かいました。

 

 僕は、このツアーで知り合ったSさんと、同じ部屋で、宿泊をする事になりました。

 Sさんは、写真が趣味で、鉄道オタクでもあるという、とても気さくな男性です。

 

 ツアー参加者全員で囲む夕食…

 

 

 食事の後、温泉でゆっくりと体を癒しました。

 

 そして、夜の9時半ごろ、ホテルの一室を直会会場にして、みんなでお酒を持ち寄って、ワイワイとやりました。

 

 どういう話の流れでそうなったのか、よく分かりませんが、藤尾先生が「僕に良い人を見つけてあげよう」みたいなノリに、なっていました。

 

 「どういうタイプの女性が、好きですか」とか、みんなから聞かれたり、藤尾先生が「絶対に、年上の相手がいいと思う」と、どういう理由でそういう結論になったかは分からないのですが、太鼓判を押してくれたり…

 

 答えは、はぐらかしたままにしていましたが、昨夜と同じように、調子に乗ってお酒を飲んでいる僕を、KさんとYさんは、心配そうに見てくれていました(笑)

 

 一日目の直会の時は、すっかり寝入っていたTさんは、面白い話をして、場を盛り上げてくれました。

 

 何だかわからないですけど、楽しくて楽しくて、あっという間に深夜になっていました。

 

 どうやって自分の部屋に戻ったか、例によって、全く覚えていないのですが、多分、Sさんが、部屋まで誘導してくれたのではないかと思います。

 

 明くる日の朝…

 

 

 Sさんが、ホテルの部屋の窓から撮影した写真…

 

 写真家として十分にやっていけるのではないかと思うほどの、素敵な写真です。

 

 これから朝食をとった後、いよいよ出雲大社の「縁結び大祭」に参加します。

 

 ところが、ここで、またしても僕は、とんでもない失敗をやらかしてしまう事になるのですが…

 

 出雲の大国主神の縁に導かれて、はたしてどこまで行くのやら…

 

 行ける所まで、とことん行ってみたいと思います(^^)

 

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