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エテイヤについてETTEILLA


 このページでは、現在のタロット占いの生みの親でもある、エテイヤ (1738~1791)の事を、くわしく紹介していければと、思っております。
 少しずつ作っていきますので、気長にお待ちください(^^)

浅野太志


  タロット占いのパイオニア

  エテイヤの生涯

  トランプ占い

  「原始世界」のタロット古代エジプト説

  秘められたカバラとの対応

  エテイヤの与えた影響

  エテイヤタロット(GRAND ETTEILLA)の意味



▲ エテイヤ(Etteilla)











タロット占いのパイオニア

 
エテイヤ(Etteilla)の名前を知っている方は、きっと、かなりタロットの歴史に造詣の深い方だと思います。少し前までは、アルファベット読みした「エッテッラ」という名前で、日本のタロット愛好家に知られていました。
エテイヤは、現在のタロット占いの土台を作り上げた、18世紀のフランス人です。
フランス語の発音では、Etteillaは、むしろ「エテラ」という発音が近いかも知れません。元祖、タロット占いのパイオニア的人物です。

日本のタロットの歴史学の権威である伊泉龍一先生は、著書「タロット大全」の中で「タロット占いの歴史は、エテイヤの一連のアレンジである」と断言されています。エテイヤがいなかったら、おそらく現在における世界中のタロット占いのブームは、存在しなかった事でしょう。

それにもにもかかわらず、昨今のタロティストの間ではエテイヤの名前は軽視され、あまりにも過小評価され過ぎている気がします。さまざまな理由はあると思いますが、後世のタロット研究者が、エテイヤの表面的な部分しか見る事ができなかった事が、その原因ではないかと思います。

エテイヤの作り上げた「エジプシャン・タロット」は、扱い方が難解でわかりにくく、きちんこれを扱えるタロティストは滅多にいませんし、エテイヤに理解のない人は、この全てのタロット占いの元となったタロットパックを、「バッタ物」扱いする人さえいます。
しかしながら、近年、このエテイヤの功績は、ロナウド・デッカーを始めとした21世紀のタロット研究者などによって、再評価されつつあります。

すっかり過小評価されてしまったエテイヤの実績と、本来のありのままの彼の人となりを、もう一度見直していく事ができれば、嬉しく思います。



エテイヤの生涯


 
▲ジャン・バプティスタ・アリエット
  (=エテイヤ)
エテイヤの本当の名前は、ジャン・バプティスタ・アリエット(Jean-Baptiste Alliette)と言い、1738年3月1日にパリで生まれました。

父の名前もジャン・バプティスタ・アリエット(同姓同名)、母はマリー・アン・ボトレという女性でした。
エテイヤの両親は、穀物や種の行商を営んでいました。

エテイヤは、この夫婦の2番目の男の子ですが、驚くべき事に、この夫婦の長男(つまりエテイヤの兄)の名前も、ジャン・バプティスタ・アリエットです(笑)


ご存知の方も多いとは思いますが、エテイヤの名前は、アリエットという本名のアルファベットのつづりをさかさまにしたものです。

  

エテイヤは思春期の頃、トランプ占いに非常に興味を持つようになりました。今で言う、ちょっと変わったオタク少年だったのかも知れません。

現代において世界中に普及している、♣
のフレンチスートのトランプ(プレーイング・カード)は、まさにエテイヤが生きていた18世紀後半にパリで作られ、大流行したものです。少年のエテイヤはこのトランプを肌身離さず持って、一人でトランプ占いの研究をしていました。
この頃のエテイヤは、すっかりこのトランプ占いのとりこになっていたようです。

少年のエテイヤは、トランプ占いの1枚1枚のカードの意味などを、まとめた資料を印刷し、人々に配って解説していたほどでした。後に、エテイヤは、この1753年に出した印刷物が、自らの最初の出版物であると述べています。

弱冠15歳にして、精力的なトランプ占い講師活動を始めたエテイヤでしたが、意外な事に、大人になったエテイヤは、占い師の道を進もうとはしませんでした。世間一般的な、結婚して子供を持つという普通の人生を選んだのです。

エテイヤは、1763年ジャンヌ・ヴァチエールと結婚し、ルイという男の子が生まれます。二人は、エテイヤの両親と同じように、種や穀物の行商で生計を立てていました。
しかし、1767年には、二人は離婚してしまいました。妻は、地に足がついていないエテイヤに嫌気が差したのかも知れません。彼女はその後も引き続き、穀物の行商を続けていました。

この頃からエテイヤは、子供の頃から大好きだったトランプ占いの世界へと、いよいよ足を踏み入れて行く事になります。

時は1770年、フランス革命前夜のパリでは、ルイ王朝による圧政により、市民は貧困に苦しみ続けていました。エテイヤは、そんな政治を変えようと活動していた活動家でもあります。
また、政府による厳しい取り締まりにより、投獄の憂き目にあっていた、年老いたカード占い師達を助けたりもしました。

この頃、エテイヤは、間もなくフランスで革命が起こる事や、多くの人々がそれによって生贄にされる事を予見していたと、伝えられています。

公式に認められている、エテイヤの初の出版物は、1770年の「M***によるカードパックとその使用を楽しむ為の方法(Etteilla, ou Manière de se Récréer avec un Jeu de Cartes per M***)」というものです。この頃から、エテイヤのパリにおけるカード占い師としての地位は、不動のものになっていきました。

続けざまに、1772年には「毎日の神託の書(Lettre sur l'Oracle du Jour)」を出版、続く1773年には、1770年の「M***によるカードパックとその使用を楽しむ為の方法」の改訂版を出版しました。
一連の全ての本は、トランプ占いに関する内容が中心に書かれたものです。

その後、エテイヤは10年間沈黙を守ります。この期間エテイヤは、どうやらパリだけではなく、ストラスバーグでも活動していたようです。
そして1781年、クール・ド・ジェブランの「原始世界 第8巻」をパリの地で手に取り、これがその後のエテイヤの人生の方向性を、大きく決定する事になります。

この「原始世界 第8巻」が発行されて2年後の1783年から、エテイヤは「タロットと呼ばれるカード遊びの楽しみ方(Manière de se récréer avec le jeu de cartes nommèes tarots)」と題した、四部作の超大作の本を、出版検閲局に何度も拒否されながら、ようやく出版にこぎつけます。これは、記念すべき、タロット占いがメインの内容として出版された世界初の本です。

その後、エテイヤは矢継ぎ早に、錬金術の本、人相の本、手相の本を、たて続けに出版していきました。

そして、1788年エテイヤは、「トートの書の解釈会(Soiété des Interprètes du Livre de Thot)」を設立します。この時には、ドドゥセ、ヒスラー、ハーガンといった弟子たちがエテイヤの元に集まっていました。

1789年フランス革命のその年、エテイヤによる世界初の占い用タロットである「エジプシャン・タロット(Caratonomanie Égiptienne)」が世に出ます。
このカードの後に大アルカナと呼ばれる22枚の絵柄は、エテイヤによって、全てエジプト風に改編されました。これは「原始世界 第8巻」を参照してはいるものの、ほぼエテイヤの独創です。しかしながら、特に2番のカードから8番のカードまでの7枚のカードには、カバラともつながった秘められた意味があります。

翌年の1790年には、魔術学校である「ヌーベル・エコール・マギ(Nouvelle École de Magie)」パリに設立されます。この時には、息子のルイもエテイヤの仕事の手伝いをしているようです。
世の中は、フランス革命の余波で、ごったがえしていた時代です。
しかし、この時すでに、エテイヤの寿命はたった1年しか残されていませんでした。

この頃、弟子の一人ドドゥセが、エテイヤの魔術学校の活動の一翼を担っていました。
ドドゥセは常にエテイヤの傍らにいて、最初は信頼関係で結ばれていたものの、二人の仲はだんだんと険悪になっていきます。それは、政治的な見解の違いによる理由が大きく、エテイヤが革命賛成派であるのに対し、ドドゥセは最後まで王政主義者であり、その思想は完全に対立していました。
この頃、ドドゥセは「Dodo」(ドードー鳥=「愚か者」)と、呼ばれていた事からも、二人の関係の確執の深さがわかります。

エテイヤは正式な自分の後継者を、弟子の一人であるハーガンに指名しましたが、結局、エテイヤの死後、彼の事務所を占拠し、エテイヤの事業を引き継いで権力を握ったのは、ドドゥセの方でした。
エテイヤの死因は未だによくわかっておらず、少なくとも、死の4か月前までは、精力的に執筆活動をしていました。
(ちなみに、ドドゥセは1804年「サインの科学(Science des Signes)」という本を出した後、1808年、王党派の危険人物として警察に逮捕され、その後の消息を絶っています)

1791年、エテイヤの人生最後の年、精力的に政治や社会についての主張を綴ったパンフレットを、発行していました。中には、新政府に対して、死刑制に反対する主張を述べたものまでありました。

恐怖政治による粛正で、一つ間違えばいとも簡単にギロチンの上で首を切られる恐ろしい時代…
この時代のエテイヤの関心は何よりも、混乱している社会を少しでも良くする事にありました。

エテイヤはその生涯の最後に、トランプをアレンジした、占い用パックを出版しています。エテイヤの占いの原点は、あくまでもトランプ占いにあったのでしょう。

その年の8月、次に発行する予定のカード占いの本の序文を書き終えたエテイヤは、同年12月12日、53歳で人生の幕を下ろしています。

エテイヤの死は秘せられ、オセルにあるサン・ジェルマンの共同墓地に埋葬されました。
葬儀に立ち会ったのは、息子のルイ、ルイの家主、そしてムッシュ・ルネという理髪師の3人だけだったそうです。
エテイヤの元々の職業は理髪師であった、という誤情報は、後のエリファス・レヴィの著書からが始まったものですが、レヴィが、葬儀に参列したムッシュ・ルネが理髪師であった事を、間違ってエテイヤの職業として取り上げてしまった為ではないかと、指摘されています。



トランプ占い

エテイヤが少年時代の頃、パリで流行っていたトランプ占いの手法は、52枚のカードの内、数札の2~6までを除いた残りの32枚を用いて占っていくというものでした。

この頃にフランスで活躍していた占い師は、全部で3人いました。その内、1人が男性で2人が女性であり、全員が年老いた占い師だったようです。

そしてこの頃にはすでに、おおよそのカードの意味なども、決まっていました。
例えば、♠は不幸の象徴として、とても忌み嫌われていました。また、は喜びを表し、は田舎の生活を、♣はお金(※注)を表わしていました。

※注 現在では、をお金、♣を田舎の生活、と対応させるのが自然のようですが、従来はそうではありませんでした。

また例えば、の9には、この頃からすでに「願いが叶うカード」という意味がもたらされていました。
少年のエテイヤは、彼らの占い上のカードの意味のとり方や、それぞれの細かな違いを、事細かく聞き込みリサーチし、15歳の時には、トランプのカードの占い上の意味の一覧表を印刷し、人々を集めて発表をしたりもしました。

実はエテイヤは、この綿密なトランプ占いのリサーチを元にして、タロットカードの小アルカナに占い上の意味を対応させたのです。

決して、エテイヤは自分の思いつくままに、勝手にタロット・カードの解釈を作り上げた訳ではありません。この1枚1枚のトランプの意味付けの作業を、念入りにリサーチを重ね、数多くの意味の中で最もふさわしいと思われるカードの意味をチョイスし、つなげ合わせて行ったのです。

エテイヤの全ての占いの探究心の源は、元をたどればこの「トランプ占い」への情熱にあります。
晩年のエテイヤは、「エジプシャン・タロット」で大成功したにもかかわらず、下のようなトランプをアレンジした占い用カードパックを出版しています。



▲ エテイヤが最晩年に出版した、33枚からなる占い用カードパック


現在では、「トランプ占い」というと、俗っぽいような印象を抱いてしまいがちですが、エテイヤにとっては、このトランプこそが、1枚1枚のタロットカードの数札に、占い上の意味をたぐりよせる事ができた、唯一のツールでした。

エテイヤはこの後述べるように、「タロット・カードにはエジプトの叡智が込められている」と固く信じていましたが、実際の所、そのタロットの数札1枚1枚に当てはめられたエジプトの叡智の意味を読み解くには、当時のトランプの数札に当てはめられた、占い上の意味をリサーチする以外に、方法がありませんでした。(実際の所、そもそもタロット・カードは、エジプトとは無関係ですから…)

確かにトランプ(プレーイング・カード)も、元々はゲームをする為に考案されたものに過ぎません。それでも、13世紀に中近東イスラムのあたりで作られてから、エテイヤの時代までの500年の長い歴史の中で、名も知られていない人々の間で占い用のツールとして使われ、いつしか1枚1枚のカードに占い上の意味が定着し、それが伝承され続けるようになっていました。

エテイヤがタロットの小アルカナに、具体的な意味を対応させる事ができたのは、この地道なトランプ占いのカードの意味のリサーチによるものです。

下記の表が、当時のトランプ占いの意味をまとめて、集大成させたエテイヤのメモです。
当初のトランプ占いは、今日のウェイト版タロットのように、正位置・逆位置で読み分けていました。現代のトランプは、上下の見分けがつかない物が一般的ですが、フレンチスートのトランプが作られた当初は、上下が容易に判別できました。

   ♠(スペード)  (ハート)  (ダイヤ) ♣(クラブ)
 エース <正位置>
装身具
<逆位置>
楽しむ事
 <正位置>
贈り物
<逆位置>
利益
 <正位置>
手紙
<逆位置>
メモ
 <正位置>
財布
<逆位置>
気高さ
 キング  <正位置>
法律家
<逆位置>
男やもめ
 <正位置>
白人の男
<逆位置>
栗色の髪の白人の男
 <正位置>

<逆位置>
 <正位置>
浅黒い肌の男
<逆位置>
栗色の髪の浅黒い肌の男
 クイーン  <正位置>
未亡人
<逆位置>
世俗的な女
 <正位置>
白人の女
<逆位置>
栗色の髪の白人の女
 <正位置>

<逆位置>
 <正位置>
浅黒い肌の女
<逆位置>
栗色の髪の浅黒い肌の女
 ジャック  <正位置>
案内人
<逆位置>
スパイ
 <正位置>
白人の少年
<逆位置>
栗色の髪の白人の少年
 <正位置>
兵士
<逆位置>
使用人
 <正位置>
浅黒い肌の少年
<逆位置>
栗色の髪の浅黒い肌の少年
 10  <正位置>

<逆位置>
喪失
 <正位置>

<逆位置>
遺産
 <正位置>

<逆位置>
裏切り
 <正位置>

<逆位置>
恋人
 9  <正位置>
聖職者
<逆位置>
病気
 <正位置>
勝利
<逆位置>
退屈
 <正位置>
遅れ
<逆位置>
冒険的な事業
 <正位置>
効果
<逆位置>
プレゼント
 8  <正位置>
病気
<逆位置>
修道女
 <正位置>
白人の少女
<逆位置>
栗色の髪の白人の少女
 <正位置>
田舎
<逆位置>
悲しみ
 <正位置>
浅黒い肌の少女
<逆位置>
栗色の髪の浅黒い肌の少年
 7  <正位置>
希望
<逆位置>
友情
 <正位置>
熟考
<逆位置>
願望
 <正位置>
うわさ話
<逆位置>
誕生
 <正位置>
お金
<逆位置>
当惑

上記を見て頂きますと、ところどころ全く同じ意味が重なっていたり、ひょっとすると未完成なのではないかと思わされるような、適当な意味が書かれている部分もあります。

さて、トランプのカードの意味を、タロットのカードに対応させるにあたって、エテイヤの前に、二つの課題が立ち塞がりました。

一つは、タロットの4つのスートが棒・カップ・剣・コインだったのに対し、フランスの最先端のトランプのスートは、(スペード)
(ハート)(ダイヤ)♣(クラブ)だった事です。

これについては、エテイヤは、「原始世界 第8巻」に出てくる、ド・メレの記述に従い、以下のように対応させています。

(スペード)= 剣
(ハート)= カップ
(ダイヤ)=  棒
(クラブ)= コイン

※注 現代一般的には、棒を♣(クラブ)に、コインを♦(ダイヤ)に対応させるのが普通ですが、当初は、上記のように、♦=棒、♣=コインと対応させていました。

これで、タロットのキング・クイーン・ペイジ、そして10~7の数札の意味は、大まかに決める事はできました。

しかし、もう一つ大きな問題点がありました。
それは、2~6の数札とナイトに当てはめるべきキーワードが、どこにも存在していないという事です。

当時のトランプ占いは、上の表のようにエース・キング・クイーン・ジャック、そして10~7の数札のみで行っていました。
トランプ占いをする際には、常に2~6の数札のカードを除いて行うのが、常識だったのです。

この理由から、例えばトランプの「ジャック」のカードを、タロットの「ペイジ」のカードに対応させる事ができたとしても、タロット・カードの2~6の数札、及びタロットの「ナイト」に相当するカードの意味が、見つけられなかったのです。

そこで、エテイヤは苦肉の策として、とりあえずタロットの各スートの2~5の数札に、トランプ占いの対応したスートの7~10の数札の逆位置の意味を、ほぼ、そっくりと当てはめています。
エテイヤには、残念ながら、これ以外には「エジプトの叡智」を復元させる方法が、残されていませんでした。(そもそも、エジプトとタロットは無関係ですから…)

そして、残りのナイトのカードと、数札の6のカードには、一体どこから持ってきたのかは不明ですが、オリジナルな意味が当てられています。

コートカードの内で、キング・クイーン・ペイジが、おおよそ人物像の意味を当てはめているのに対して、ナイトだけは行動や動きに関するような意味になっているのは、こういう事情によるものです。
また、それぞれのスートの数札の6のカードの意味も、興味深いものがあります。

棒の6  (正位置)内輪の事  (逆位置)待機
カップの6 (正位置)過去  (逆位置)未来
剣の6  (正位置)歩み  (逆位置)宣言
コインの6 (正位置)周囲  (逆位置)野心

どれも、範囲の内側と外側を示すようなキーワードです。

エテイヤはこうして、全ての小アルカナの意味を当てはめる事に成功した訳ですが、これは一つの法則性に一致している訳ではなく、かなりアバウトな部分があります。
一見、エテイヤが適当に意味を決めたようにも見えますし、今までは、そのように思われ続けていました。
しかし、エテイヤは、基本的には真面目な学者肌の人間です。
ただ、自分の想像で思いつくままに、適当に残りの小アルカナの意味を決めたとは、考えられません。

では、何によって現代に伝わる小アルカナの意味を導きだしたのでしょう。タロットの研究家・ロナウド・デッカーは、この秘密はカバラにあると、はっきりと主張します。

まだ僕も研究中ですので、解明でき次第、また、このページでお知らせしたいと思います。


「原始世界」のタロット古代エジプト説

 

▲ クール・ド・ジェブラン
(Antoine Court de Gébelin)
 1781年パリで名の売れた考古学者である、アンソニー・クール・ド・ジェブラン(Antoine Court de Gébelin)は、「原始世界(Monde Primiif) 第8巻」を出版しました。
この中には、ド・ジェブランによるタロット・カードと古代エジプトに関するエッセイ、そして、ド・メレなる人物のエジプトで実際に行われていた、タロット・カードの占い方が掲載されていました。

アンソニー・クール・ド・ジェブラン… 当時のパリで名の知れた考古学者。
スイスの地で、牧師の息子として生まれ、最初は父と同じく牧師になる道を、選んだそうです。
とにかく、いつも変わった事ばっかりに興味を持った学者でした。フランスのパリに渡ると、フリーメーソンに入団し、その教義にすっかり魅入られてしまいました。
ド・ジェブランが、人類の理想郷としての「エジプト」を思い描くようになったのは、この後の事です。
元々この人は、アンソニー・クールという名前だったのですが、貴族階級の雰囲気の名前にしようと、自ら名前の末尾に「ド・ジェブラン」とくっつけました。
今日のタロットの研究家には、むしろこちらの名前の方が知れ渡っています。

ある日パリで、友人のエルヴェシウス夫人の家で行われたパーティーに出席した時の事…
ド・ジェブランは、数人の男たちが、タロット・カードのゲームに戯れているのを目撃しました。
タロットのゲームはフランスでは、もうすっかり忘れ去られていましたが、ドイツやスイスではこの頃も盛んに行われていました。元々タロット・カードというのは、賭博のゲームの為に、考案されたデッキに過ぎません。

そしてこの時、ド・ジェブランは生まれて初めて、このタロットカードに出くわしました。
ド・ジェブランの全身に、すさましいほどの衝撃が走りました。ド・ジェブランは、そのタロット・カードを見るなり、「このカードの絵こそが、エジプトの叡智が記された寓意画に違いない」と、宣言しました。
そして、ブツブツと感嘆のさけび声を上げながら、ゲームに夢中になっている男たちから、タロット・カードを取り上げてしまいました。いきなりゲームを台無しにしてしまった、ド・ジェブランのこの暴挙に、きっとその場にいた誰もが、唖然となった事でしょう(笑)

この後、ド・ジェブランの頭の中は、常にタロットというものに占拠されてしまったようです。
ド・ジェブランの発行した「原始世界 第5巻」には、「TAROT」の「TAR」は、王を表わし、「ROT」は、道を表わす。ゆえに「TAROT」の語源は、本来「王の道」という意味なのである、というような記述が出てきます。
もっとも、これは、語源学的には何一つ根拠のない記述なのですが…

このド・ジェブランの「原始世界」は、時のフランス国王・ルイ16世が、その新しい巻が出るたびに100部を注文したと言われた人気図書です。それほどまでにフランスでは、ド・ジェブランの考古学者としての名は高まっていました。

しかしながら、ド・ジェブランの一切の学説には、その根拠となる理由も証拠も、かかげられていません。いわば、全てがド・ジェブランの頭の中で描いた空想が、長々と述べられているに過ぎませんでした。
ただ、この当時のフランスでは、この著名な考古学者であるド・ジェブランが思い描いた事全てが、真実として、世の人々に受け入れられていたのです。

ド・ジェブランは頑なに、タロットのルーツは、古代エジプトにさかのぼる事ができると信じていました。そして、この「原始世界 第8巻」の中に、自分と同じく、タロットのエジプト起源説を信じるド・メレという人物の、実際にエジプトで行われていた、タロット・カードの占い方というレポートも、本文と一緒にまとめて掲載しました。

ド・メレ(comte de Mellet)
この人物がどういう人物なのかは、現在でも依然として、謎のままです。わかっているのは、「将官であり、プロヴァンス地方の役人である」という事実だけで、肖像画もありませんから、好奇心と夢にあふれた、地方官吏の男の顔を想像するしかありません。

とはいえ、エテイヤのエジプシャン・タロットの占い方は、全てではないにしろ、このド・メレからの影響力を非常に色濃く受けています。ド・メレは、あのエリファス・レヴィよりも70年以上も先行して、タロット・カード22枚に22文字のヘブライ文字を対応させた人です。
逆にレヴィは、文字の対応こそは違えども、ド・メレの思想の影響下にあったと言っても、良いでしょう。

このド・ジェブランとド・メレの2人が、「原始世界 第8巻」で主張しているのは、次の通りです。

タロットは古代エジプトの神官によって発明され、それは彼らの教義を記した本であった。やがて火災から逃れるために、本はカードという形で持ち出され、やがてそれがヨーロッパに伝承した。
ところが、無知なカードメーカーにより、実際の絵柄はかなり間違って伝えられてしまっている…

この「原始世界 第8巻」を読んだエテイヤにとって、この間違って伝わってしまった、偽りのタロット・カードを、本来の古代エジプトの時代のタロット・カードに復元する事が、生涯をかけての夢になりました。

面白いもので、実際の話、今からわずか30年前の1980年ごろまで、このド・ジェブランの「タロットはエジプトで誕生した」という主張は、真実として受け取られていました。

つい最近でも、「タロットの発祥の地の候補は諸説あるが、その中でもエジプトである可能性が一番高い」などとWebページに書かれていたほどです。
このド・ジェブランの「原始世界」の影響力には、本当に驚かされます。

摩訶不思議な事が大好きで、古代叡智の探求に、我を忘れて一生を費やしたクール・ド・ジェブラン… 彼は生涯を独身のまま通し、最晩年は全ての病気が治るという、摩訶不思議な「動物磁器桶」という桶の中で、その一生を閉じました。


秘められたカバラとの対応

エテイヤは、軽薄な商売占い師というような印象が、常につきまとっていますが、そういった評判は後のエリファス・レヴィや、パピュスの書に書かれている、彼の一面的な評価に過ぎません。

実際にエテイヤは、誰よりも真面目にカード占いをリサーチし、タロット占いの発展に貢献した功労者でした。カルトマンシー(Cartonomancie)=「カード占い」という言葉は、現在、フランス語圏や英語圏で当たり前の言葉になっていますが、これはエテイヤが生み出した言葉です。

そして昨今、エテイヤが小アルカナのカードに割り当てた占い上の意味が、カバラの生命の樹と結びつける事ができる事が、タロットの研究家・ロナルド・デッカーにより示唆されています。

エテイヤの著書には、1757年からフランスのブルターニュ地方で、エテイヤは山麓の老人から8年の間、タロットの知識を伝授されていたという記述が、何度も出てきます。

この記述は、後の研究者から全く根拠のない作り話のように、扱われる事がほとんどですが、確かに額面通り、この時期エテイヤが8年間、誰かに弟子入りをしていた事は考えづらいものの、師のような存在と出会い、その人物から何らかの教えを受けていた可能性は十分に考えられます。

タロットの研究家・ロナウド・デッカーは、エテイヤの綴ったカードの数の意味と、カバラ伝来の生命の樹の意味などが、見事な形での符合を示してしている事から、エテイヤが言うこの山麓の老人こそが、カバリストもしくは、カバラの知識をカバリストから受け継いだ人物であった可能性があると、著書で述べています。

(続く)





エテイヤの与えた影響

エテイヤは、現代のタロット占いの様式に、たくさんの影響を与えました。中でも、エテイヤが最も信頼していた弟子であった、クラウド・ハーガンにその様式は受け継がれていきました。
また、アーサー・E・ウェイトが作った、ウェイト版タロットへの影響は、計り知れないものがあります。

(続く)



 浅野太志オフィス
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