出羽三山・生まれ変わりの旅 ~月山編~20.01.31
2020年1月31日(金)
いよいよ今回で、この「出羽三山・生まれ変わりの旅」のお話も、最終話となります。
四季の旅のツアー一行は、湯殿山、羽黒山と制覇して、残すは月山のみとなりました。
昨夜、僕が一夜を明かした宿は、民宿でも旅館でもなく、「宿坊(しゅくぼう)」と呼ばれる宿泊施設…
宿坊とは、お寺や神社が運営する宿泊施設とでも言ったら良いでしょうか。
いわゆる参拝者の為の宿なので、通常の場合、旅館のような心地良さは望めないですし、他の参拝者と大部屋で一緒に泊まるような事もあります。
でも、僕がお世話になった生田坊は、完全一人部屋でしたし、お世話してくださった宿のお坊さんも親切で、とても居心地の良い宿でした。
とはいえ、僕が目覚ましを掛けて起きたのは、朝の4時半ですので、空はまだ暗くて、たくさんの星が出ていました。
今日が晴天なのは、どうやら間違いなさそうです。
四季の旅のツアーの参加者は、生田坊の玄関の前にAM4時40分に集合…
昨夜の日本酒の酔いは、すっかり冷めているのですが、何せ羽黒山の石段2,446段が足腰に効いているし、何はともあれ、やっぱり眠いです(笑)
マイクロバスに乗り、宿坊の宮田坊に泊まった参加者と合流して、一路、出羽三山の最高峰の山、月山へと向かいました。

ついに、この時が来たか…
何とも言えない感慨が、胸をよぎります。
僕は3年前からずっと、この月山に登りたいと思っていたんです。
出羽三山は、3つの山にそれぞれの良さがあって、どの山も本当に素晴らしいです。
出羽三山を、時代劇によく出てくる、あきない問屋のキャラクターに例えるならば、羽黒山は、店の全てを任された「番頭さん」で、湯殿山は、艶っぽい「おかみさん」、そして月山が、あるじの「旦那様」といった所でしょうか。
まあ、これは僕の勝手なイメージですが…
やっぱり、出羽三山の主峰1,984mの月山は、出羽三山の主役といって良いと思います。
四柱推命講座を受講してくださったKさんが貸してくださった、桜井識子さんが著した「神社仏閣は宝の山」の出羽三山巡りのくだりの部分を、僕はコピーして、カバンの中に忍ばせていました。
そして、バスの中で改めて、それを読んでみました。
ここには「湯殿山→羽黒山→月山という順番に登拝する事で、亡くなった知人とのコンタクトが取れた」という、不思議な体験談が載っていました。
そして、この方法により、月山を登っている最中、その人とずっと会話ができた… とも、書いてありました。
さらに「これと同じ手順をふめば、誰でもすぐそばに会いたい人が来てくれるが、存在がわかりにくい場合は『サインをちょうだい』とその人に言えば、何らかのサインがもらえる」とも…
普通に考えれば、とても信じがたい話ですが、偶然にも今回のツアーの登拝の順はこの順番ですし、可能性があるのなら、試してみようと思いました。
僕の母は、20年前に亡くなっていますが、可能だというのなら、久しぶりに話してみたいと思ったのです。
でも、よく文章を読むと、「湯殿山や羽黒山に参拝バスや車道があっても、それを使わずに徒歩で登る」というのが、条件として書いてありました。
という事は、前日に、湯殿山や羽黒山へマイクロバスを使って登ってしまった時点で、もう失格という事ですね(笑)
とはいえ、湯殿山と羽黒山を、まともに下から徒歩で登っていたら、すでに体がもっていなかったと思います。
羽黒山の階段をただ下りただけで、息が切れてしまっているくらいですから…
まあ、今回はいさぎよく、あきらめるとしましょう。

バスがたどり着いた場所は、月山八合目の駐車場…
ここから下を見おろすと、足がすくみます…
何と、八合目までは、乗り物で行けちゃうのですね。
残り二合分を登るだけなら、そんな大変でもないのかな… と、一瞬、思ったのですが、昨日、わずか414mしかない羽黒山の階段を下っただけで、フラフラになってしまった事を思い出し、気を引き締めました。
昨夜、ツアーコンダクターの北さんに、旅行の感想を聞かれ、「久しぶりに体を動かしたので、全身もうクタクタです」と答えたら、「羽黒山はまだまだ序の口です。本当にハードなのは、明日の月山登山ですよ」と言われたのを、思い出しました。
どうやら、登山者の中にも、月山の登山途中で、あきらめて引き返す人も、いるらしいです。
僕は、根性だけは自信があるのですが、それでも、これはたやすい道ではない事を、肌で感じました。
北さんのアドバイスによると、登山に携帯する飲み物は、お茶でもコーヒーでもコーラでもなく、スポーツ飲料が一番良いそうです。
理由は、カフェインが入っている飲み物はトイレが近くなる事と、スポーツ飲料は、ミネラル・ウォーターよりも急速に体全体に水分が行きわたって、渇きをいやしてくれるからだそうです。
早速と思い、駐車場の所にある自動販売機で、アクエリアスを買おうとしたら、なんと500mlが300円でした!!
とはいえ、ここでわずかなお金を惜しんでいる場合では、ありませんね。
しっかりと買い込んで、ザックの中に入れました。
出羽三山の過去・現在・未来の生まれ変わりの旅で言うと、月山は「過去」に当たります。
昔ながらの登拝の順で言うと、まず「現在」の羽黒山に登ってから、「過去」を司る月山に登って、月山で大神の元で死後の世界の体験をし、最後に「未来」の湯殿山で未来の利益を頂くという順番です。
そして、この月山の大神というのが何かというと、おそらくは、月山神社の主祭神である「月読命(ツクヨミノミコト)」という事になるんですね。

月山八合目にある御田原神社(みたはらじんじゃ)、別名・月山中之宮(がっさんなかのみや)…
四季の旅のツアーの誰もが、完全な登山装備をしていますね。
この御田原神社の主祭神も、月山神社と同じく、月読命です。
御田原神社の社殿は、頂上にある月山神社の二十年に一度の式年遷宮の時の古材を、そのまま用いて建てられています。
それゆえに、月山の頂上にある月山神社に登拝する事ができない人は、この御田原神社を参拝する事で、本宮参拝と同様の御神徳にあやかる事ができると言われています。
だから、御田原神社にだけ参拝して、Uターンして帰る人もいますし、確かにここで引き返せば、めちゃくちゃ楽なのですが、せっかくここまで来て、そういう訳には行きませんね(笑)

この鳥居をくぐれば、はるか頂上の月山神社までの道が、ずっとつながっています。
もちろん、それが決して楽な道ではない事は、容易に想像がつきます。
僕はどうも、この月読命と不思議な縁があるらしく、今回の出羽三山ツアーを決めたきっかけになったのも、この月読命です。
元々、本当に僕が、この月読命と縁があったかどうかなんて、正直わからないのですが、僕自身がこの月読命を意識し出してからというもの、不思議と僕の人生に、月読命が絡んでくるようになりました。
そもそも、この月読命というのは何かというと、日本神話(古事記)に出てくる三貴神の一柱であり、三貴神とは、伊邪那岐(イザナギ)と伊邪那美(イザナミ)の夫婦神が生んだ3人の子供の事で、天照大御神(アマテラスオオミカミ)と月読命、そして素戔嗚尊(スサノオノミコト)の三柱の事を言います。
神話にあまり興味がない人でも、天照大御神とか素戔嗚尊という名前は、何となく聞いた事があるのではないかと思います。
あと、NARUTOの うちはイタチ を知っている人も(^^;;
話は少しそれますが、日本全国に、神社というのは、どれくらいの数あるかというと、何と8万5千弱と言われています。
この数は、日本全国にあるコンビニの数よりも多いです。
確かに、日本は「八百万の神の国」と呼ばれるのも、うなづける気がします。
この8万5千弱の神社の中で、天照大御神を祀っている神社は、13,582社であり、素戔嗚尊を祀っている神社は、13,542社で、ほぼ同数となっています。
ところが、月読命を祀っている神社の数は、たったの704社しかないんです。
古事記の中でも、天照大御神と素戔嗚尊は、ストーリーの中で縦横無尽の活躍をしていますが、月読命は、同じ三貴神の一柱でありながら、不自然なくらいに、ほとんど登場しません。
だから、誰かが古事記を改変して、月読神の記述を消したのではないか… という説もあるくらいです。
それに、月読命というのは、何の神様かも、あまり良く分かっていません。
月に関係する神様である事は間違いはないのでしょうけど、黄泉の国を司るとも、水を司るとも、夜を司るとも言われ、「月を読む」という事から、暦の月日を数える… つまり暦や占いの神ではないかと言われる事もあり、何にしても、謎の多い神様です。
そんな話を、一年前の暮れに、四柱推命講座・中級編の受講生でもあるNさんとしていて、その時から僕は、この月読命に、とても興味を持つようになったのでした。

この像、何だか、オオサンショウウオのようにも見えるのですが(笑)、実は兎(うさぎ)です。
この兎は「なで兎」と呼ばれていて、兎は月の精であり、古くからの月山神の使いであって、悪運から逃れる力があると、されています。
そして、この兔、月山の頂上にある月山神社の方向を、見上げているんです。
何でも、この「なで兎」をなでると、とってもご利益があるそうです。

この日の月山は、雲一つない快晴でした。
正直、こんな風に快晴になるのは非常に珍しい事で、月山の天気というのは、十日の内に1回晴れる事があれば、良い方だと言われています。
ある人は、過去に月山を5回ほど登った事があるそうですが、必ず雨か曇りかのどっちかだったそうで、月山と言えば、濃霧の山というイメージが、つきまとっているそうです。
暦を見たら、この日9月8日は、「天赦日(てんしゃにち)」という、新しい事を始めるには良いとされる日で、さらに「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」という、この日に始めた事が何万倍にもなると言われる吉日も重なり、その上「神吉日(かみよしにち)」と呼ばれる参拝に最良の吉日まで、重なっていました。
別に僕は、暦を気にして、この日を選んだ訳でもないし、普段、この種の暦に振り回される事もないのですが、あまりにも縁起が良い日が重なって、ちょっぴり嬉しくなりました。
ただ、一つだけ心配だったのは、この日、台風15号が関東地方の南側にあって、この進路だと、夕方あたりに関東に上陸するのではないかと言われていた事です。
もしかすると、今、出羽三山が快晴なのは、この台風15号の反動によるものかも知れません。

さて、それではいよいよ、登り始めます。
千里の道も、一歩からですね。
今回、この月山登山にも、地元の山伏さんが「先達(せんだつ)」と呼ばれる先導役となって、我々を山頂へと導いてくれます。
先達さんの後ろには、今回の四季の旅のツアーの参加者31名と添乗員の2名が続いているので、かなり長い列となっています。
僕は、だいたい列の真ん中ぐらいにいたのですが、それでもこの場所から、先達さんの姿をとらえる事は、できません。

下を見ると、すがすがしい景色… とはいえ、高所恐怖症の僕は、足がガクガクしてきます(笑)
これ、もし足を踏み外したら、一巻の終わりです。
僕は、極力、下を見ないようにしていました。
昨日の疲れが残っているせいもあってか、足はつらいし、少し息も上がっています。
まだ、登ったばかりだというのに、先が思いやられますね。

照り付ける太陽の日差しが、結構きついです。
月山は、普通だったら、濃霧に包まれているような山なので、こんな風に天気が快晴である事に、本当なら感謝しなければいけないのですが…
正直な感想をいうと、かなり暑いです(笑)
山は標高が高くなればなるほど、気温が下がるので、ザックの中には、携帯用のダウンジャケットも折りたたんで、入れてあるのですが、それを使う事があるのだろうかとさえ、思うようになりました。
ザックの中に入っていた300円のアクエリアスは、この時点で、もう飲み干してしまいました。

月山の登山道というのは、決して、楽ではありません。
こんな風に、石ころだらけのでこぼこ道も、ざらにあります。
今日の登山の装備は、元々、白山に登ろうとして用意した、少し値段が高い頑丈な登山靴と機能性が良いザック、そして、緑色のトレッキングポール(かなり稀少)…
登山装備は完璧だったのですが、服装に関しては、かなり準備不足で、厚手のスウェットにGパンでした。
特にGパンは失敗でしたね。
すっかり汗を吸ってしまって、重くなって気持ち悪いです。
このびしょびしょの状態で、山頂に行って気温が低くなったら、風邪をひいてしまいますし、冷えようによっては生命にも危険です。
ただ、登山靴は頑強なものをはいていて、本当に良かったと思っています。靴底が丈夫で、こんな石の上を歩いても、足に響かないんですね。やわな靴だったら、石の上を歩くたびに相当な疲労感が残ります。
もしも、スニーカーで来ようものなら、おそらく完全にアウトですね。
一体、どれくらいまで、登ったのだろう…
そればかりが、気になります。
暑さと疲労で、みんな無口になって、ただ黙々と前に歩みを進めています。

やっと… やっと九合目…
まだ、頂上までの半分しか登っていなかったのですね。
ここは、九合目にある、仏生池小屋(ぶっしょういけごや)です。
そして、仏性池小屋の前には、この真名井神社(まないじんじゃ)が、祀られています。御祭神は、伊勢神宮・外宮の御祭神と同じ豊受大御神(とようけのおおみかみ)…
天橋立にある元伊勢の籠神社(このじんじゃ)の奥宮が、真名井神社であり、なぜか、出雲にも真名井という地名がありますが、この場所に真名井神社があるのも、とても意味深です。
仏性池小屋は、月山九合目の休憩所であり、宿泊施設にもなっていて、コーヒーに甘酒、ぜんざいにソフトクリームに、山菜ラーメンやカレーライスまで、各種軽食もできます。
四季の旅ツアー一行は、ここで50分の休憩を取る事になりました。
正直、体がもう動かないほどにクタクタです。
これは確かに、前日の羽黒山の階段下りの比ではありません。
でも、まだ半分も登っていない…
僕は2,702mの標高のある白山に、たった一人で登ろうとしていた愚かさを、猛反省しました。
白山の3分の2の標高の1,984mの月山の8合目から9合目まで、たった一合分しか登っていないのに、この状態なのです。
僕の無謀を制して、白山登山を止めてくださった、四柱推命講座・上級編の受講生の皆さんに、心から感謝しました。
もしも、白山に出掛けて、そのまま一人で山に登っていたら、間違いなく遭難していました。
この時、もう白山登山などというバカな事を考えるのはやめようと、心の底から思いました。
しばらくの間、放心状態で見動きさえできなかったのですが、やっと正気を取り直して、小屋でコーンスープを飲みました。
本当はソフトクリームが食べたかったのですが、下手なものを食べて、下痢になったら元も子もないので、自重しました。
約50分の休憩が終わって、いくらか体力も戻った感じはしました。
でも、頂上まで、さっき登ってきた分と同じ距離があるのかと思うと、やっぱり気が重いです。
しかも、この先には、月山登山の一番の難所「行者返し」という急斜面の崖を越えなければいけないと言うではありませんか…
とはいえ、ここで引く訳にはいきません。
臆病になる自分を奮い立たせる為に、わざと勢いよく立ち上がりました。
再び、山道を黙々と登っていきます…
九合目だから、そろそろ涼しくなってくるかと思いきや、全くそんな事はなくて、暑くて暑くて死にそうです。
実際の気温が高いのと、体をフルに動かしている事が相乗効果になっているのでしょうが、いつも寒がり屋の僕が言うのですから、相当な暑さです。
あまりに暑くて、スウェットの中が汗でぐしゃぐしゃなので、脱いでTシャツ1枚になりました。
そして、迎えた月山登山一番の難所・行者返し…
山道に慣れた行者でさえも、手がつけられない崖道だと言います。
確かに…
足元さえ本当にわずかな道幅しかなくて、油断したら、奈落の底へまっしぐらです。
写真を撮っておきたいとも思ったのですが、下手に姿勢を崩したら、本当に事故にもつながりかねないと思い、あきらめました。
しかも、もしも僕が足を踏み外して落ちたら、僕一人だけではすまなくて、僕よりも下にいる人を全員まきぞえにしてしまいます。
とにかく、慎重に足を乗せる所を選んで、できる限り四つん這いになって、少しずつ前に進みました。
でも、怖いのは僕だけでなくて、みんな同じ…
みんなで励まし合いながら、前に進んでいきました。
こういう時に、たった一人で登るのと、仲間と一緒に登るのとでは、心の余裕が違ってきますね。
不意に下を見たら、目がくらんでしまいますし、僕一人だったら、まず100%この行者返しを登りきる事はできなかったと思います。

行者返しを登った所にある、来名戸神社(くなどじんじゃ)…
この神社は道祖神の一つとされていて、「来名戸」とは「来な処」であり、「来てはならない所」の意味を持っていて、道の分岐点とか、峠なんかで、外からの悪霊の侵入をふせぐための神様だそうです。
とはいえ、狭い所なので、立ち止まっていると後ろの人が前に進めません。
写真だけ撮らせて頂いて、参拝もせずに、そのまま前に進みました。

行者返しを越えると、にわかに、視界が開けてきた気がしました。
今、ものすごい場所にいる気がします。
それに、鈍感な僕でも、何となく感じるのは、さっきまでの土地の気と、まるで違った空間にいるという事です。
うまく言えないのですが、現実の世界とちょっと違う感じがするのです。
先達さんも、僕らがフラフラになっているのを察して、休憩を多めに取りながら、わざとゆっくり目に歩いてくださいました。

先達さんと2ショットです(^^)
日頃、外に出ていなくて真っ白だった肌が、真っ赤に焼けていたので、「すっかり、日に焼けましたねえ」と言われました。
体はクタクタなのに、心はすごく充実していて、幸せいっぱいな気分です。
不思議なもんだなあ… と思いました。
ものすごく清涼な空気に満ちているというか、磁場みたいなものが、明らかに下の世界と違っているんですね。
生まれ変わりの旅の伝承では、月山は「過去」の世界で、死後の世界の体験する所とされていますが、まんざら、ただの荒唐無稽な作り話でもないような気がしてきました。

すぐそこは、切りたった崖っぷち…
昔の僕だったら、足がすくんで身動きが取れなくなったと思いますが、なぜか、そんなに怖く感じませんでした。
ふと、行きのバスの中で読んだ「月山の登山中に、会いたかった故人と会話をした」という体験談の事を思い出しました。
確かに、この場所なら、そういう不思議な体験も、できるかも知れない…
僕も、母の気配をここで感じられるかどうかを試してみたのですが、やっぱり、よくわかりませんでした。
だいたい、僕にそこまでの能力はないですし、昨日、湯殿山と羽黒山を徒歩で登っていない時点で、ダメなのかも知れませんが、駄目元と思い「わかるサインをちょうだい」と、心の中でつぶやいておきました。

体力的には、もう限界を超えて、息はすっかり上がってしまっています。
だから、余計に思考がわいてこないのもあるのですが、自分自身がすごく澄み切った精神状態になっているのに気づかされます。
昔だったら、こんな崖を目の前にしたら、パニックになって、一歩も動けなくなっていたはずです(笑)
すぐ近くで、誰かが写真をバシバシ撮っている音が、聞こえてきます。
大体30秒に一回ぐらいの割で、携帯カメラのシャッター音が聞こえるので、一体そんなに何を取っているのだろうと思いつつも、後ろを振り返る力も残っていないまま、ただ歩みを進めました。
いつまでたっても、どこまで進んでも、一向に頂上が見えてきません。
そのままフラフラの状態で、しばらく歩みを進めた時、列の前の方の人達から、歓声が上がりました。

思わず、前を見上げると、そこには月山の頂上と、月山神社の建物が見えました!!
とはいえ、あそこまでの距離は、相当ありそうです。
目標は見えたものの、まだまだ先は長いです。
さっきから、ずっとカメラのシャッター音が続いているので、何か変だなあと思い、後ろを振り返ってみると、別に後ろの人は写真を撮っていなくて、僕のズボンのポケットに入っていた携帯カメラが誤動作して、30秒おきにシャッターが切られていたのでした。
後ろの人から笑顔で「さっきから、ずっと、一体何を撮影されているのかと思っていましたよ」と言われました。
ちょっぴり、恥ずかしくなりました。

やっと、あともう少しで頂上…
いよいよ最後の坂を登ります。
先達さんの号令で、ゆっくりと休憩を取りながら、坂を少しずつ上がっていきます。
坂の途中で休憩に入った時、携帯のカメラが何を写していたのか、見てみました。
シャッターが切られていた30枚の画像の内17枚は、山の景色ではなく、何とも言えない、きれいな模様が映っていました。
ちょうど、キラキラ画像の壁紙みたいな感じに、ローズ系の真珠色をした丸い円の形が大小重なって、幻想的で不思議な画像になっていました。
そして、残りの13枚は真っ黒な画像でした。
最初の方は、キラキラ画像が連続で写っていて、その後に2枚、すごく明るく光っている画像があって、その後は、光が急に暗くなって、真っ黒な写真になっていました。
普通、カメラの誤動作でシャッターが切られたなら、レンズの前にある意味のない何かがうつっているか、光が入らなくて真っ黒な写真になっているかのどちらかだと思うのですが、どうして、こんなきれいな模様の写真がうつっていたのか、全く謎です。
もしかしたら、母が、今住んでいる天国の世界を僕に伝えて、安心させようとしたのかも知れない…
まあ、単なる携帯カメラの誤動作かも知れませんけど、このあたりの空間は、多少おかしな事が起こっても、それが当たり前のように思えてくる不思議な境界です。

そして、やっとの事で、月山頂上・月山神社に到着しました!!
月山神社の中は、撮影禁止なので、写真でお伝えできないのですが、凛と澄み切った空間になっていました。
まずはお祓いを受けて、その後に本殿を参拝しました。
ただただ、感無量でした。
しばし境内を回っていると、神職の方から、「こんなに雲一つないほどに、晴れ渡っている日は、一年の内で1日あったら良い方です」と言われました。
山頂の状態がこんな風になっているのは、相当に珍しいようで、普段は、常に雲が立ち込めていて、雨が降ったりやんだりしているそうです。
なぜか神職の方が、僕の方をじっと見られて「きっと、これは、ここにいらっしゃる方の心が澄み切っているからに違いありません」とおっしゃってくださった時には、何だか照れくさい気持ちになりました。
本当に不思議なのですが、行者返しを越えたあたりから、全く雑念がわいてこないのです。
普段の僕は、決してそうではありません。
いつも雑念ばかりで、くだらない事ばかり考えているのですが、どういう訳かそのいつもの雑念が本当に一つも沸いてこない…
神職の方は「この月山の九合目より上は、月山神社のご神域ですから、地上とは気が全く違います」とおっしゃられました。
確かにそれは間違いないと、確信しました。
ツアーでの団体行動ですから、境内にいられる時間も限られていますし、そんなにゆっくりとはできません。
おりしもそんな中、神社の中で、塔婆(とうば)供養の申し込みができる場所を、偶然に見つけました。
さすがに時間的に無理かなと思っていたら、タイミング良く、すぐにその場で供養をして頂けるという事になり、慌てて、亡くなった母の塔婆供養を申し込む事にしました。
申込書に供養する人の戒名を記入する所があって、いつもだったら、メモを見なければ思い出せなかった母の戒名が、この時は、メモも見ずに、さらっと書けました。
神職の方が、その場で1mくらいある塔婆の木札に、母の戒名を書いてくださって、3名の神職の方が声を合わせて、みんなで供養してくださいました。
月山神社の境内は本当に狭いです。
でもそこは、広大な愛に包まれた空間とでも、言ったら良いでしょうか…
大げさに話しているつもりはありませんが、地上の世界とは、明らかに違う波動があります。
ありがたいなあ… という、ただただ感謝の気持ちがこみ上げてきて、涙が出そうになりました。
四季の旅ツアーのメンバーは、月山山頂にある休憩所で、持ってきたお弁当を食べる予定になっていたのですが、僕は、塔婆供養をやった関係で、すっかりお弁当を食べる時間がなくなってしまいました。
仕方ないので、歩きながら、お弁当のいなり寿司を飲み込むようにして、急いで食事を終わらせました。
これからまだ、山を下って行かなければなりません。
月山神社を後にして、少し離れた場所から、もう一度、山を振り返ってみました。

さようなら、月山神社…
さようなら、月読命…
「ずっと、これからもそばにいて見守っているから、さよならじゃないよ」
不意に、そんな風に言われたような気がしました。
羽黒山の出羽三山神社や湯殿山神社は、乗り物を利用すれば、山を登る事なく参拝できますが、月山神社に参拝しようと思ったら、必然的にこのハードな山道を登らなければなりません。
地上にある神社のように、誰もが気軽に参拝できる神社ではなく、体力や気力がない人には、参拝する事さえ叶わない…
だからこそ、その困難を乗り越えて登拝した人には、やっぱり、それだけのものは、与えられる…
これが、月山のパワーであり、この事が、月読神の懐(ふところ)の中に入るという事なのかも知れません。
さあ、これからが、いよいよ下山です。
山を登る時よりも、下る時の方がキツいし、怖いですね。
うっかりすると、下りるスピードに勢いがついてしまって、本当に山から転げ落ちる事になるので、慎重に慎重に足元を見ながら下りました。
予定では、帰りは、登った時の道とはまた別の道で、月山リフトの「上駅」を目指し、その後、リフトを使って「下駅」まで下りていきます。

これは「令和の鐘」… そばに、置かれているハンマーで鳴らす事ができます。
去年の令和元年スタートの5月に、この場所に作られました。
登山口と反対方向に下りていますが、もう、月山の九合目よりも下にいます。
そして、ここが月山リフトの「上駅」でした。

もうここからは、歩かずに済みます。
みんな、歓声を上げていました!!
僕は、スキーをやった事ないので、リフトに乗った事が全くありません。
この動いているリフトに、瞬間的に腰かけて乗らなければいけないのか… と思うと、いつもの高所恐怖症が出て、とたんに怖くなりました。
万が一、うまく腰掛けられなくて、下に振り落とされたらどうしよう… とか、背中から次のリフトのイスがぶつかってきて、そのまま奈落の先まで落ちたならどうしようとか… いろいろと考えたら、生きている心地がしませんでした(笑)
月山頂上では、何一つ雑念がわいてこなかったし、高い所から下を見ても、不思議とそんなに動揺しなかったのですが、ここはもう下界…
いつもの臆病な自分が出てきて、体が震えて、硬直しています。
リフトの係の人に「とにかく初めてで怖いです」と打ち明けると、「ゆっくりリフトは動いていますから、大丈夫ですよ」と励まされました。
僕にとっては、このリフトのスピードは全然ゆっくりではなくて、こんな怖いものに乗るくらいなら、徒歩で下山した方がまだいい… というのが本音でしたが、後に人がつかえているので、リフトの係の人に背中を押してもらって、何とか無事に、リフトに腰かける事ができました。
ああ、怖かったです…

こうやってリフトに乗っている時も、怖いので、ほとんど目をつむっていましたね。
勇気を出して撮影した写真は、この1枚ぐらいです。
月山リフトの「下駅」に着くと、今度は、そこでリフトを降りるのですが、それもまた怖い…
リフトから降りたはいいが、次のリフトのイスが後頭部からぶつかってきたらどうしようとか… このままリフトから降り損ねて、また山の上まで運ばれたらどうしようとか… いろいろな不安の雑念が頭の中をよぎりましたが、ちゃんと無事にリフトを降りる事ができました。
月山リフト「下駅」で、昔 懐かしい、中に玉が入っている瓶で、ラムネ(サイダー)を飲みました。
その後、マイクロバスに乗り、この近くにある西川町の水沢温泉に入って、体中の汗を流して、そこで、たくさんおみやげを買い込みました。

「登拝認定証」も、ちゃんと頂きました(^^)
いよいよ、旅も終わり…
ここからマイクロバスで、東京へと戻ります。
実はこの時、関東地方では、台風15号が接近していて、暴風域に入っていて、バスが東京に近づくと、雨が激しく窓をたたきました。
ところが新宿に到着した時は、意外にも雨は止んでいて、傘をさす事もなく、すんなりと家に帰りつく事が出来ました。
そして、家に帰り着くと、肉体の限界で倒れ込むように、布団の上で意識を失ってしまいました。
出羽三山・生まれ変わりの旅を終えて、確かに何かが変わったような気がします。
旅から戻って2日ぐらいは全身が筋肉痛で、顔と二の腕は、日焼けでこんがりと小麦色になって、皮膚がビリビリしていたのですが、それもやがて、おさまってきました。
湯殿山、羽黒山、そしてこの月山を巡って、自分自身が、大きく一回り成長させて頂けた事を、ものすごく実感します。
そして、体中がずっと、すがすがしい気分に満ちあふれているのを感じます。
(「出羽三山・生まれ変わりの旅」終わり)
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出羽三山・生まれ変わりの旅 ~羽黒山編~20.01.20
2020年1月20日(月)
毎日、喧騒に追われながら、ふと、あの出羽三山に登った時の事を思い出すと、なぜか、うんと遠い昔の出来事のように感じます。
出羽三山に登ったのは、9月の初旬… あれからまだ、4ヶ月位しか経っていないのですね。
あの2日間は、まるで真夏のように暑かったのを、覚えています。
最初に登拝した湯殿山神社で、心地良い神秘的な体験をして、いよいよ我々を乗せたバスは、羽黒山にある出羽三山神社へと向かいました。
この神社は、出羽三山の三社の代表のような場所…
出羽三山神社には三神合祭殿があって、ここに参拝しただけで、羽黒山、月山、湯殿山の三ヶ所の神様全ての参拝をした事になるという、昔からの習わしになっています。
だから、時間的にまたは体力的に、1つの山にしか行けないという人は、この羽黒山だけに登って三神合祭殿に参拝する事により、羽黒山、月山、湯殿山の三山全ての神様にご挨拶をしたという事になるんですね。
羽黒山の標高は414m…
月山(1,984m)や湯殿山(1,504m)に比べると、割と低い山で、山の入り口は、鶴岡市羽黒町という商店や宿坊が立ち並ぶ小さな街になっています。
まさに羽黒山は、出羽三山の玄関口という言葉が似合います。

月山と湯殿山は隣り同士の山ですが、羽黒山は、この2つの山から、かなり離れています。
湯殿山を登ったのなら、次は、すぐ隣にある月山に登った方が効率が良さそうですが、何で、湯殿山の次に、わざわざ離れた所にある羽黒山に登るのかというと、理由は簡単です。
月山と湯殿山を、たった1日で登って下りてくる事が、ものすごく大変だからです。
湯殿山の後、月山に登ったまではいいですが、もしも1,984mの下山途中に日が暮れてしまったら、それ以上、下りたくても下りられませんから…
そんなこんなで、四季の旅の一行は、2つ目の目的地である、羽黒山の出羽三山神社へと到着しました!!

生まれ変わりの旅の過去・現在・未来で言うと、羽黒山は「現在」に当たり、今現在における現世利益を祈る場所との事…
古来からの順番だと、3つの山で真っ先に登拝する山が、この羽黒山になります。
人は誰しも、今の自分が幸せでなければ、気力がわいてきませんし、人に幸せを分け与える事もできませんから…
鳥居の上の所には「出羽(いでは)神社 月山神社 湯殿山神社」と3つの神社の名が記されていました。
この3つの神社を総称した神社が、出羽三山神社です。
出羽三山神社の石段は2,446段あって、この数は、日本全国の神社の中でダントツ第1位です。
石段の数で有名な四国香川にある金毘羅(こんぴら)様が、第2位の1,368段ですが、出羽三山神社の石段の数は、その倍です。
それを登るのは、かなり大変だろうな… と覚悟していたのですが、今回、反対側の山の入り口から、バスで山頂に上がってしまった為、結局、石段を一段も登らずに済んだのでした。
出羽三山を制覇するのは、体力的に相当キツいと、以前からみんなに聞かされていたのですが、正直いって、拍子抜けした気分でした。
結局の所、バスに乗ったまま山の上まで行けてしまいますから、白い作務衣を羽織って、いかにもという格好をしていますが、実際には、登山らしい登山はしていません。
まあ、僕的には、それで一向に構わないのですが(笑)
2ヶ月前の7月に計画していた白山登山(結局、断念した)の為に準備した、ザックや、トレッキングポールなどの本格的なフル登山装備を、今回、持ってきていたのですが、必要なかったのかも知れない… とさえ、思うようになりました。

ここが、出羽三山神社の参集殿…
ツアーの31名は、ここに上がって、昇殿参拝をする事になりました。
参拝までの待ち時間、千佛堂(せんぶつどう)で、250体の仏像を拝観したのですが、それはもう圧巻でした。
さあ、いよいよ昇殿参拝です。
三神合祭殿で行う予定の昇殿参拝は、元々空いていた部屋の一つが、使用できなくなってしまった関係で、四国の高知県からいらっしゃった団体さんと、同じ部屋で一緒に御祈祷を受ける事となりました。
その団体さんが申し込んでいた祈祷が、何と一座20万円の「太々神楽(だいだいかぐら)祈祷」という超特別な御祈祷…
運が良い事に、我々もその末座に座らせて頂いて、ちゃっかりと、太々神楽祈祷を受けさせて頂けました。
鈴がついた棒で、頭の上から少し痛い位にこすりつけられて、時間を掛けて、しっかりお祓いをして頂いたり、見事な神楽の舞を、目の前で鑑賞させて頂いたりと、生まれて初めて体験する清々しくて贅沢な御祈祷に、涙が出るくらい感激しました。
受けた後、まるでデトックスをしたように、体がうんと軽くなりました。
かなり悪いものが取れたのではないか、という気がしますね。

この羽黒山では、何と、現地の本物の山伏さんが案内してくださいます。
しかも、写真掲載OKとの事、本当にありがとうございますm(_)m
羽黒山を登るコースとしては、商店や宿坊が立ち並ぶ町とつながっている随身門から、山に入っていくルートが一般的です。
まずは国宝・羽黒山五重塔に向かい、その後、そこから2,446段という数の石段を、えっちらおっちらと、山頂を目指して上っていくのですが、かなりキツいと聞いていました。
今回のツアーは、最初にバスで山頂脇まで行ってしまい、本殿を参拝して、帰りはその2,446段の石段を使って、下に下りてくるというプラン…
同じ2,446段とはいえ、上りではなく下りならば、かなり楽に違いないと、この時、そう思っていました。

こちらが、三神合祭殿の正面です。
御朱印はここで頂けるのですが、僕は御朱印を集めていないので、外をぶらぶらしていました。
すると、山伏さんが、すぐ近くの鏡池という池に、案内してくださいました。

緑に包まれたこの池がこそが、鏡池…
この池には、古来より多くの人々により奉納された銅鏡が沈んでいる事から、そう呼ばれています。
何とこの池は不思議な事に、年間を通して、ほとんど水位が変わらないのだとか…
そして、この鏡池こそが、この羽黒山・出羽神社の御神体なのだそうです。

この龍の形をした石碑は、昇龍降龍像と言うそうです。
やけに新しい石碑だなあ… と思っていたら、これが建てられたのは2018年11月23日で、つい最近の事のようです。

三神合祭殿の隣りにあるこの神社は、蜂子神社(はちこじんじゃ)…
出羽三山を開いた蜂子皇子(別名:能除仙(のうじょせん))については、前回のブログでも書きましたが、崇峻天皇の皇子であり、蘇我馬子の追手から逃れる為に、八咫烏(やたがらす)に導かれて、この出羽三山にたどり着いた人です。
この神社は、江戸時代の元和5年(1619年)に、蜂子皇子の尊像を祀ったのが始まりとされています。

これは、蜂子神社の隣にある羽黒山厳島神社…
広島の厳島神社の御祭神と同じく、宗像三神と呼ばれる、多紀理比売神(たぎりつひめがみ)、市寸島比売神(いちきしまひめがみ)、多岐津比売神(たぎつひめがみ)それに、津速魂神(つはやむすぎのかみ)が、御祭神です。

山伏さんが、2,446段の石段の入り口まで、見送ってくださいました。
そして、ほら貝を吹いて、我々の道中の無事を祈ってくださいました。
よく、お寺の御祈祷なんかでも、お坊さんがほら貝を吹く事があったりしますが、余程に熟練した人でないと、ほら貝というのは、うまく吹けません。
階段を下りていく僕らを見送りながら、山伏さんは、ずっとほら貝を吹き続けてくれたのですが、本当に見事で、うっとりする音色でした。

さあ、ここからが2,446段のスタートです。
上りではなく、下りだから、こんな階段なんて大した事はないはず… そう侮っていたのですが…
ツアーコンダクターの北さんが、階段を下りる際の楽しみ方を教えてくださいました。

それは、この石段にある、ひょうたんやら盃やらの絵を彫られている石を見つける事…
どうやら、こんな絵が33個あるのだそうです。
言い伝えでは、その内の18個見つけると、自分の願い事が叶い、もしも33個全部を見つられると、どんな願い事でも全て叶うとの事…

あっ、ここにもありました!!
僕も最初は、息まいて挑戦してみたのですが、残念ながら見つけられたのは、10個ぐらいでした。
正直に言いますと、ある程度、階段を下りていると、足がヘトヘトになって、息が切れてしまって、絵を探す所ではなくなってしまったのです(苦笑)
2,446段、下りだからといって、侮れないです。

とはいえ、階段を下りながら、そこから見える山の自然豊かな景色は、格別です。
体はクタクタ、汗はダクダクですが、空気はめちゃくちゃ美味しい…

途中にあった「芭蕉塚」…
こんな名前だから、まさか、こんな場所で、松井芭蕉が亡くなったなんて事は… と真面目に考えてしまったのですが、そんな訳ありませんね。
松尾芭蕉は、大阪の御堂筋で亡くなっています…

この芭蕉塚は「三日月塚」と呼ばれ、1769年(明和6年)に、芭蕉を偲んで建立されたものだそうです。
涼しさや ほの三か月の 羽黒山
(涼しいな、ボンヤリと三日月が照らす羽黒山…)
松尾芭蕉が、ここ羽黒山で読んだ句です。
だから、三日月塚なのですね。

三日月塚を後にして、ふと正面の空を見ると、夕日が出ています。
この分だと、急いで階段を下りないと、真っ暗になってしまいますね。

石段の途中にあった「火石」…
苔に覆われています。
一体これは何だろう… と、よく見てみたのですが、わかりませんでした。
その昔、この石は夜になると光りを放ち、参道を照らしていたとの事で、ふもとがまだ浜だった頃には、漁師が灯台の代わりに、この火石を頼りにしたそうです。
そんな馬鹿な事がある訳ないと思いつつ、どちらにしても「水の従旺格にするんだから、別に命式に火なんて欲しくないし、ここはスルーしよう…」と、意味不明な事を考えながら、石段を下っていきました(笑)

さらに階段を降りると、ありました!!
羽黒山で最も有名な建築物と言えば、おそらく、この国宝・五重塔でしょう。
早速、近づいて行く事に…

この五重塔は、東北地方で最古の塔と言われ、平安時代に、平将門が創建したと伝えられています。
写真ではわかりにくいのですが、下からライトアップされていて、とても幻想的でした。

これは、五重塔のすぐそばにある「爺杉(じじすぎ)」と呼ばれる巨木の杉です。
昔は隣に婆杉(ばばすぎ)も存在したようなのですが、1902年の台風で失われてしまったとの事…
「婆杉が倒れた時、爺杉は、三日三晩泣き続けた」と、現在に語り継がれています。

やっと、目的地の随身門に到着しました!!
もう、体中クタクタで、歩く気力もありません(笑)
この後、バスに乗って、宿坊の宮田坊に向かい、そこで旅の仲間と一緒に夕食を取りました。

夕食は、超豪華な精進料理…
よく見ると、肉も魚も一切入っていません。
それでも、めちゃくちゃ美味しかったです!!

そして、御神酒の升酒…
初めて会った、ツアーの仲間と一緒に楽しく語らい合いながら、飲みかわしました。
すごく美味しい地酒で、例によって、羽目を外し過ぎて、かなり飲み過ぎてしまいました。
宿泊は、ここから少し離れた所にある、生田坊のお風呂付きの一人部屋…

日頃から運動不足だった事もあってか、2,446段の階段を下りただけで、体中クタクタになってしまいました。
その上に、お酒が入って、本当はすぐにでも眠ってしまいたかったのですが、最後の力を振り絞って、お風呂に入り、さらに写真をインスタでアップしました。
時間はPM9:00ぐらいなのですけど、明朝はAM4:00起きです。
ぐっすりと休んで、明日の月山神社登拝に備える事にしました。
(「月山編」に続く…)
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出羽三山・生まれ変わりの旅 ~湯殿山編~20.01.11
2020年1月11日(土)
早いもので、2020年を迎えて、もう十日以上が過ぎてしまいました。
本当に月日が経つのは、あっという間ですね。
今でも瞳を閉じれば、昨年 登拝した出羽三山の情景が、色鮮やかによみがえります。
今回から、3回にわたって、出羽三山登山記「出羽三山・生まれ変わりの旅」を連載させて頂きます。
ここの所、ずっと鑑定のお客様が続いている事もあって、その鑑定の合間に、ブログの文章を少しずつ少しずつ書きたしながら、ようやく更新にこぎつけています。
なにせ、記事が「京都はんなり日記」以上に膨大なので(^^;;
出羽三山とは、文化庁認定の日本遺産であり、古から民衆の信仰を集めてきた山々…
昔ながらの言い伝えでは、この出羽三山をめぐる事により、生まれ変わりの旅ができると言われています。
僕が、この出羽三山に登ったのは、4ヶ月前の事です。
僕にとって出羽三山は、感動的でもあり過酷でもあった思い出の場所…
特に、三山の中でも一番高い月山の登山は、とてつもなくハードなものでした。
出羽三山が一体どこにあるのか、ご存じない方もいらっしゃるかも知れません。
「出羽」の国とは、現在の山形県の事であり、出羽三山とは、この東北地方の山形県にあります。

ただし、都心からの交通アクセスは、とんでもなく悪いです。
最寄り駅は山形県の鶴岡駅なのですが、東京から鶴岡まで、電車だと新幹線を使っても、5時間前後掛かります。さらに、そこからバスに1時間位、乗らなくてはいけません。
待ち時間の事も考えると、片道の移動時間に半日弱ぐらいは、見ておかないといけないですね。
僕が、この出羽三山の事を初めて知ったのは、今から4年前の事でした。
ある人から「夫婦の新婚旅行は、必ず出羽三山に行くように…」と、勧められたんです。
妻も、その気になっていたので、出羽三山の事を少し調べてみたら、とんでもなくアクセスが悪いし、ただ山に行くだけなのに、交通費やら宿泊代やら、やたらお金が掛かる…
「何でこんなにお金をかけて、こんな聞いた事もない山に登らなければならないんだ」とバカバカしく思えてきて、結局、その時は行きませんでした。
それから、2年ぐらいの時が過ぎて、エテイヤのエジプシャン・タロットの事でご縁を頂いた、ベストセラーも出している小説家の方から、ある日 送られてきたメールの中に、「ひょんな事から、ここへ行くべき感じがあって、来週、出羽三山に行ってこようと思います」と、書いてありました。
この時になって初めて、この出羽三山という山を、何となく意識するようになりました。
もちろんそれでも、わざわざ時間を掛けて、この山に登ろうとまでは、思いませんでしたが…
そして、2018年の暮れの事…
四柱推命講座を受講してくださっているNさんと、黄泉の国や占いの世界を司るという月読命(ツクヨミノミコト)の話になって、興味をひかれて話し込みました。
そして、その月読の神様が、出羽三山の一つ、月山の「月山神社」に祀られている、という話を聞いた時、何としても一度、この出羽三山に行ってみなくては、と思うようになったのです。

出羽三山というのは、湯殿山・羽黒山・月山という3つの山の総称の事で、出羽三山を制覇するとは、通常は、この3つの山にある3ヶ所の神社を登拝する事を言います。
標高は、湯殿山が1,504m、羽黒山が414m、月山はなんと1,984mもあります。
羽黒山と月山・湯殿山とは、かなり距離が離れていますから、移動もそれなりに大変です。
お金も掛かるし、時間も掛かる…
僕は意外と現実思考の持ち主なので、出羽三山の登りたいとは思いつつも、「この忙しいのに、そこまでして、こんな山に登る価値があるのか…」と、何度も何度も心の声が、そうつぶやきました。
少し前に、白山(標高2,702m)に一人で登山をしようとして、四柱推命講座・上級編の受講生の皆さんに止められてやめたのですが、出羽三山だって、一人で登るのはあまりにも危険すぎるし、自殺行為に等しい…
おりしもそんな時、上級編を受講してくださっているYさんが、「四季の旅」という、とっても良心的で格安のツアーを紹介してくださったのでした。
そのツアーの事を、Yさんから聞くやいなや、僕はすぐに申し込みました。
出発は、2019年9月7日の早朝…
新宿にあるバスターミナルから、ツアーバスに乗って、途中サービスエリアで休憩しながら、一路、出羽三山の湯殿山へと向かいました。

今回のツアーの参加者は、31名…
ツアーコンダクターの北さんが、旅の案内をしてくださいます。
東京から、出羽三山のある山形県に行くのに、埼玉県、栃木県、福島県の三県をまたぐ事になりますので、それなりに長旅ですが、ツアー料金に交通費も含まれていて、信じられないくらいに格安です。
江戸時代からの伝承で、出羽三山を制覇した人は、「死と再生」をたどる事ができ、生きながらにして、新たな魂として生まれ変われる、と言われています。
言い回しは大げさですが、確かにこの地に行ってみて、土地から湧き出している、ものすごいパワーというか、息吹のようなものを、肌でしっかりと感じました。
この世とあの世をつないでいるパイプから、力が噴き出しているみたいな感覚といいますか、それらしいエネルギーは、本当にここにあるのかも知れません。
それで、この出羽三山はそれぞれ、月山は「過去」、羽黒山は「現在」、そして湯殿山は「未来」を司るんです。
昔ながらの出羽三山詣の巡礼では、最初に「現在」を司る羽黒山から入り、次に「過去」を司る月山で修行を行い、最後に「未来」を司る湯殿山で再生するという形で、行われていました。
でも、最近では順番が入れ替わって、湯殿山→羽黒山→月山の順に参拝させる事が多くなっているそうで、今回のツアーもこの順番です。
同じく上級編を受講してくださっているKさんからも、出羽三山の色々な事をが教わりました。
そして、Kさんが貸してくださった、桜井識子さんが著した本の中に、出羽三山巡りの記述があるのですが、そこには、この湯殿山→羽黒山→月山という順番が推奨されていて、この順番に出羽三山を巡る事により、死者とのコンタクトが取りやすくなると書いてありました。
という事で、我々が最初に向かった山は、未来を司るといわれる湯殿山…
いよいよ、出羽三山の生まれ変わりの旅のスタートです!!

ツアーバスが止まった場所は、湯殿山にある湯殿山神社の大鳥居の前…
まだまだ夏の暑さがさめやらぬ9月上旬、山の高度があるので、地上ほど暑い訳ではありませんが、それでも汗が噴き出てきます。

あまりにも暑いので、参篭所の軒下に入って、自動販売機のジュースをがぶがぶ飲みました。
「四季の旅」のツアーに参加している人は、無料で白装束の羽織が借りられるという特典がついていて、せっかくなので、僕もこの白装束を羽織る事にしました。

まずは、気分からですね…
ちょっぴり、山伏になった気分です(笑)
この湯殿山が司るのは「未来」…
修験道の山伏たちが、来世の生まれ変わりを祈った神域です。
この出羽三山の生まれ変わりの伝承では、「羽黒山で現世利益の御神徳を賜り、月山で大神の元へ行って、死後の世界の体験をした後、この慈悲深い湯殿山の大神より、新しい生命を賜って、再生する」という流れになっています。
だから、昔ながらの順番では、本来最後に来る山なのですね。

この大鳥居から、湯殿山神社本宮までは、この本宮参拝バスを使います。
だいたい、15分~30分おきに発車しているのですが、ほら貝の観光アナウンスが流れたりと、このバスは中々の雰囲気ものなんですよ。

「湯殿山本宮」と書かれた石碑…
やっと、念願だった出羽三山に来れたんだなあ… と、しみじみと感じいりました。
湯殿山神社の主祭神は、大山津見神(おおやまつみのかみ)、大国主神(おおくにぬしのかみ)、そして薬の神でもある 少名毘古那神(すくなひこなのかみ)です。
本地仏は大日如来(だいにちにょらい)であり、出羽三山の神社は全て、神仏習合です。

湯殿山の本宮へと向かう階段には、「この先御手洗い、ありません」との注意書きが…
ここから先が、いよいよ聖域になるのですね。
北さんに言われたように、タオルを携帯して、階段を上がっていきました。

ふと見ると、こんな所に大黒様が…
湯殿山神社の主祭神・大国主神は、神仏習合でいうと大黒天になります。
なぜ、タオルを携帯しなければならないのかというと、足をふく為です。
ここは、普通の神社とは違う、ちょっと特殊な聖域なのですね。

「湯殿山御神牛」と書かれた石碑…
出羽三山は、崇峻天皇(すしゅんてんのう)の第三皇子、蜂子皇子(はちこのおうじ)によって開山された山…
崇峻天皇といえば、蘇我馬子に暗殺された悲運の天皇という事で、あまりに有名ですが、その皇子の蜂子皇子(別名:能除仙(のうじょせん))は、蘇我馬子の追手から逃れる為に、京都の宮津から船で日本海を北上し、出羽の国の由良に入ると、八咫烏(やたがらす)に導かれて、この出羽三山にたどり着いたと言います。
そして、三山で最後に開いた山こそが、この湯殿山であり、それは丑年丑日の出来事だったと言います。

ここにも、牛がいました(笑)
湯殿山神社では「丑歳御縁年」と言って、丑の年に登拝すると「12年分参詣したのと同じご利益がある」 と言われているほどなんです。

もっと写真を撮りたかったのですが、「禁撮影」の立て札が掲げられていました。
この湯殿山神社の神域の事は、古来から「語るなかれ、聞くなかれ」と言われていて、むやみやたらに、人に話してはいけない事になっています。
だからインターネットで検索しても、湯殿山神社についての詳しい記事は、あまり出てきませんね。
俳聖・松尾芭蕉も、出羽三山詣の巡礼を成し遂げた人ですが、この湯殿山を読んだ句にはこうあります。
語られぬ 湯殿に濡らす 袂(たもと)かな
そして「奥の細道」の中でも、「三山道中の事は、修行者の法式として他言する事を禁じているので、これ以上の事は書かない」と記しています。
という事で、僕もこの湯殿山神社の中の事を詳しく書くのは、差し控えようと思うのですが、おそらく許される範囲で書くとすれば、ここは靴下を脱いで登拝する場所であり、この湯殿山神社には、神社の御社のようなものは、一切ありません。
湯殿山の御神体は、褐色に染まった、とんでもなく巨大なものであり、これこそが「新たな生命」の象徴なのでしょう。
特に、この御神体の事は「言わず語らず。語らば聞くな、聞かば語るな」と、古くから戒められています。
実際に、この湯殿山神社に参拝されたなら、必ずや誰もが、あっと驚く事は間違いありません。
おそらく、こんな形態の神社は、日本中どこを探しても、ここ以外ないはずです。
言葉ではうまく説明できませんが、理屈を超えた世界で、身も心もじんわりとくる神社です。
この神域に参拝できて本当に良かった…
心の底から、そう思いました。
湯殿山と言われるくらいですから、お湯に関係している何かなのですが、その先は、参拝した人だけが知る独特の聖域ですので、皆さま、機会がありましたら、ぜひとも、参拝されてみてください。
必ずや満足して頂ける事は、間違いありません。
さてさて、湯殿山の神域で、ものすごいパワーを頂いて、ツアーは、2つ目の目的地である羽黒山へと向かいました。
(「羽黒山編」に続く…)
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今年の初夢と靖国神社参拝20.01.02
2020年1月2日(木)
新年、あけましておめでとうございます。
皆さまにとって、今年も素敵な一年になりますように…
2020年が始まって、今日で2日目です。
今朝 見た夢は、今年の初夢…
前日の元旦の夜から、紙とペンをしっかりと枕元に置いて、すぐにメモを取れるようにしておきました(^^)
振り返ってみれば、僕の2年前の2018年の初夢は、京都に行った夢だったのですね。
それで、実際に今、京都という街とは切っても切り離せないような縁ができています。
去年の2019年の初夢は、痩せこけて しょぼくれた感じの狼か犬かを、あえて選んで、可愛がっているという夢でした。
これが一体、何を意味している夢なのかは、正直、未だにわかりません。
ただ、僕にとって初夢は、この先の人生の方向性を案外、的確に示してくれているような気がするんです。
そんな訳で、昨夜の夜は、天からの啓示を受けるような気持ちで、布団に入ったのですが、興奮してなかなか寝付けませんでした(笑)
だから、寝入ったのは、今日の朝方だったのですが、あまりに夢の事ばかり考えていたせいもあって、本当に、訳のわからない夢になってしまいました。
夢の中で、僕は、パソコンの画面を見ていて、そこに地図が表示されているんですよ。
割と具体的な地図で、道が横に2本、縦に3本入っていて、おそらくどこかの駅からの道を記したものなのですが、夢の話なので、その辺りは全く分かりません。
どこで、未来のイベントが起こるのだろう… と画面を見ながら待っていると、フォルダの形の大きなアイコンが出てきて、パソコンの内臓ディスクが、シャカシャカと音を立てている…
それでしばらくすると、地図の何ヶ所かに、教会のアイコンが出て来たので、何だろうと思っていると、パソコンから、コンピューターの音声で「会話はできません」という声が聞こえてきました。
パソコンのそばには、自分以外にも誰かいるみたいで、男の声で「最新型の性能の夢やな」と、関西弁で言っているのが聞こえました。
そして、別の所からまた別の男の声がして、「夢が全部、これから現実に起こる事の予言だと思うのか?」と聞かれました。
僕は「いいえ、夢の中には、その人の深い意識の願望を示しているものもありますから、そうは思いません」と、声に向かって、大真面目に答えていました。
ふっと、声の方を見ると、発表スチロールでできた白いどんぶりがグルグル回りながら、そこから、さっき声が出ている…
大体の所は、そんな夢でした。
初夢を見たいと思う気持ちが、かなり夢に影響を与えてしまった気がします(笑)
正直、今朝の夢は解析不能ですね…
今日は、珍しく朝ゆっくりと起きると、靖国神社へ参拝に行ってきました。
ちなみに、昨日の元旦は、去年の仕事の疲れが溜まって、ずっとダウンしていました。
大みそかのカウントダウンの前から、時間に追われながらブログの更新をしていたので、正直、いつ新年に切り替わったかもわからないのですが、ブログの更新を終えると、そのまま横になって、元旦の初詣さえ行く気力も出ず、そのまま2日になった感じです。
去年を思い起こしてみると、結構 自分なりには頑張れたかな… という気はします。
まあ、はたから見たら、旅行ばっかりして遊び呆けていたように見えるかも知れませんが…
去年は、今年の仕事を始める為の準備をしていた年でもありました。
今年はもう、余分な事に時間を取られるのを極力抑えて、執筆の仕事に専念するつもりです。
去年の旅行記がたくさん貯まっているので、ブログのネタには事欠かないですし…

早速、靖国神社に出向いてみました。
今年も、すごく賑わっていましたが、正式参拝をする分には、意外とそんなに待つ事もなく、すんなり参拝できたりします。
正式参拝は、ちゃんと昇殿させて頂けて、しかも、御札やお饅頭、福引券や遊就館の割引券まで頂けますし、僕的にはこちらの方がおすすめですね。
拝殿参拝の長い列の最後尾に並んで参拝するよりも、早く参拝できますし、それに内容も濃いですし…
僕は毎年、靖国神社に参拝する度に、身が引き締まる思いがして、すがすがしい気分になります。
そして、遊就館にも行ってまいりました。

毎年、ほぼ同じ内容の展示物を見ているのですが、去年の秋、山口へ旅行に行った時に、維新の志士達の生家やお墓、遺品を見たりして、存分にその生い立ちに触れた分だけ、また感じ方も違いました。
日本の国を思う、たくさんの尊い志に触れて、戦争や貧困といった大変な苦難を受けながら、この日本の礎を築いてくれたご先祖様への感謝を、改めて思い出しました。
中には、靖国神社を「日本の軍国主義を認めて、戦争に駆り立てる思想の権化」みたいに思う人もいらっしゃるでしょうし、まあ、いろんな考え方があってもいいと思います。
でも、僕はむしろ、全くその逆だと思うんですよ。
ここに来るたびに、戦争なんて悲惨なものを、絶対に繰り返してはいけないという思いにさせられます。
だいたい、このおびただしい数の犠牲になった人達の遺品や、胸が苦しくなるような戦争の資料を見て、また戦争を起こしたいなんて気持ちになる人は、万に一人もいないはずです。
僕は、戦争を知らずに育ってきましたし、これから先、どんどん戦争を知らない世代が増えてくるでしょう。
そんな中で、戦争というものの悲惨さや、戦争で犠牲になった方の事や、戦争の最中、本当に苦しい想いをして、この国を築いてくださった方のお陰で、今の我々が平和に暮らしているという事を、この先もずっと、語り継いでいかなければならないと思うし、そういう役割をしてくれるのが、この場所だと思うんですね。
さてと、僕は明日から仕事はじめです(^^)
昨日今日と、ゆっくり休んだので、体の疲れもしっかりと取れました。
今年は、思い切り頑張ります!!
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