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京都はんなり旅日記 その13 ~龍安寺と仁和寺、京の古刹を巡って~19.11.27

2019年11月28日(木)

 

 早いもので、今年もあと1ヶ月余りで終わり…

 さっき、サロン ド シルフィーユで仕事をしていたら、クロネコヤマト宅急便で、笹木龍一先生からのお歳暮が届きました。

 

 もう、そんな季節になってしまったのかと、思いを巡らせながら、包みを開けたら…

 

 

 笹木先生の出身地である宮城県の旬の具材が詰まった、美味しそうな鍋セットでした。

 しかも、今の僕にとってありがたい事に、電子レンジですぐ調理できるという…

 

 笹木先生の心づくしに、本当に感謝です。

 

 そして、この度、ホームページリニューアルをされたとの事、本当におめでとうございます(^^)/

 

 笹木龍一先生ホームページ↓↓

   https://sasaki-unmei.com/

 

 思えば、笹木先生が紹介してくださったIさんが、いろいろと段取りを整えてくださったお陰で、あの京都滞在は成功したようなものです。

 

 もう、あれから、4か月近くが経つんですね。

 

 龍安寺(りょうあんじ)と仁和寺(にんなじ)に訪れたのは、京都に滞在している期間の中でも、特に暑い日だったのを覚えています。

 

 京都滞在の3週間余りの期間は、雨降りの日が本当に多かったのですが、この日は、からっからの快晴で、少し外を歩いただけでも、汗が噴き出すような暑さでした。

 

 意外に思われるかもしれませんが、京都に滞在している間、ずっと僕は、毎日が時間との戦いだったのです。

 

 なにせあの時は、上級編のテキスト作りに追われていましたから、正直いって、観光なんてしている場合ではなかったのかも知れません。

 

 そんな無理をしてでも、この2つの古刹(こさつ)に巡るのを、強引に敢行したのは、僕の書の師匠である野尻泰煌先生から、「京都に行ったら、ぜひ龍安寺の石庭(せきてい)は見た方が良い」と言われていた事と、龍安寺のすぐ隣りにある仁和寺は、今回の京都講座の受講生で、広島から通ってくださったUさんが、「講座のついでに仁和寺に観光したら、ものすごく良かった」と報告してくださったからです。

 

 7年前の僕だったら、絶対に仕事優先にして、マンションに籠って、ずっとテキストを作っていたと思うのですが、パリで色々あって、だいぶ考え方が変わりました。

 (2012/3/16パリブログ 「気づきの薬」 参照)

 

 という訳で、そんなこんなで、七条のマンションからの最短ルートを検索して、早速出発です。

 

 

 インターネットでルートを調べてみると、三条まで京阪電車で行って、このバスに乗るのが一番早いようなので、早速、バスに乗り込みます。

 

 今回は、Iさんはいないので、完全に一人…

 

 まあ、言葉の通じないパリで、どこに行くのかよくわからないバスに乗って、凱旋門まで行った経験を思い出せば、何も怖くありません(笑)

 (2012/3/5パリブログ 「雨のパリと凱旋門」 参照)

 

 乗車時間40分ぐらいで、最初の目的地の龍安寺に到着しました。

 

 

 「名勝 龍安寺庭園」

 どうやら、ちゃんとたどり着けたようです(^^)

 

 

 拝観受付で、拝観料500円を払って、中に入ると、「石庭拝観」の立て札があって、その矢印の方向に沿って、進んでいきます。

 

 驚いたのは、観光客の3分の2以上が外国人の方だった事で、英語や中国語が当たり前に飛び交う中で、まるで異国に迷いこんだような錯覚に陥りました。

 

 

 庭の途中にある優しそうな石仏様…

 

 思わずほっこりと、心が癒されます。

 

 

 そして、庫裏(こり)の入り口から方丈(ほうじょう)に入ると、その縁側から、目的の石庭が見えました。

 

 

 これが、野尻先生がおっしゃっていた石庭か…

 

 しばらくの間、感慨深く見つめていました。

 

「この空間の意味って、何だろう」と考えてみても、答えは出ませんね。

 ただただ、侘び寂び(わびさび)の宇宙観が、心を洗い流してくれるというか…

 

 もしも、冬、雪が降り積もっている時にここに来てみたなら、また、全く違う景色を見せてくれるかも知れません。

 

 

 石庭も素晴らしいけれど、この仏殿前の庭園の緑も、中々のものです。

 思わず、時間が止まったような感覚になります。

 

 

 というか… この方丈という建物自体が、日本家屋の芸術そのものと言っても、良いかも知れません。

 自分がいるこの空間さえも、日常と違って感じます。

 

 龍安寺を建立したのは、細川勝元…

 この人は、室町幕府の管領の守護大名のトップであり、応仁の乱で足利義政側について、山名宗全らと戦った人です。

(2019/8/11 ブログ 「銀閣寺(慈照寺)巡り」 参照)

 

 結果的に、応仁の乱の戦火によって、龍安寺は焼失してしまいますが、細川勝元の子である細川政元により、またすぐに再建されていますので、正真正銘500年以上の歴史を誇る古刹です。

 

 

 庫裏を上がった所にある、書が書かれた屏風…

 明治から昭和にかけて活躍した漢学者の寺西乾山(てらにし けんざん)氏による、中国の漢詩だそうです。

 

 なんだかこの屏風、もの凄い存在感が漂っています。

 

 

 庫裏から外に出て、鏡容池(きょうようち)の方に出てみました。

 龍安寺と言えば、鏡容池のほとりのお店で湯豆腐を食べるのが、粋な楽しみ方らしいのですが、まあ、今回は時間もないし、たった一人で湯豆腐を食べるのも淋しいので、パスしました。

 

 幸せな気分に満たされて、緑のシャワーがあふれている、池の周りの道を通って、龍安寺を後にしました。

 

 野尻先生がおっしゃっていた石庭も見たし、さあ、次の目的地である仁和寺に急がなくては…

 

 

 向こうに小さく見えるのが、仁和寺…

 

 龍安寺から仁和寺までは、徒歩で10分ぐらいで到着しました。

 

 外は猛烈な暑さでしたから、早歩きでここまで歩いただけで、汗がとめどなく吹き出してきます。

 

 

 この中門(ちゅうもん)を抜けると、そこは、龍安寺とはまた違った、独特の世界観があるお寺でした。

 

 本当の事を言うと、仁和寺はさらっと全体を見たら、すぐにマンションに帰って、仕事をしようと思ってたのです。

 ところが、中に入ってみたら、とてもそうはいかないという事に、気づきました。

 

 なんと、おりしもタイミングよく、観音堂と金堂(こんどう)の特別公開が行われていたのです。

 ここまで来て、これを見ないで帰るなんて、いくら何でも勿体なさ過ぎます。

 

 徒然草の「仁和寺にある法師」のように、見るべきものがある事を知らなければ、さっさと帰れるのですが、こうして知ってしまった以上は、やっぱりそうはいきませんね。

 

 

 境内を歩くと、まずは見事な五重塔が目を引きます。

 

 境内は日陰がないので、思わず、この五重塔の陰に隠れたくなります。

 シャツはもう汗だくですが、ただでさえ時間がないので、足早に回る事にしました。

 

 

 そして、この建物が経蔵(きょうぞう)です。

 これは、経典や仏教に関する書物を収蔵する為の蔵ですね。

 

 

 これが霊明殿…

 ここには、ものすごくキメ細やかに作られた、10cmほどの薬師如来座像が祀られているんです。

 

 仁和寺は、平安時代の仁和2年、光孝天皇のご意志により建て始められたもので、天皇は完成を見ないまま崩御され、その後の宇多天皇の時代になって、寺は完成しました。

 仁和に作られた寺なので、仁和寺という名前なのですね。

 

 この仁和寺は、皇族や公家が代々住職を務めた、最も歴史の古い門跡寺院であり、宇多天皇が出家して仁和寺に入ってから、明治時代に、純仁(あきひと)親王が最後の皇族の門跡となるまで、ずっと皇族が住職だったという類まれなるお寺です。

 

 仁和寺の別称を「御室(おむろ)」と言うのですが、これは「天皇の隠居所」の意味です。宇多天皇がこの仁和寺で隠居されたのをきっかけに、そう呼ばれるようになりました。

 体温計のオムロンという会社がありますけど、あの名称は、この御室から取っています。

 

 

 この建物こそが、今回のイベントの主役でもある観音堂です。

 

 今回、観音堂修復完成記念の特別公開で、拝観料が別途、1,000円掛かるのですが、中に入ると、たった1,000円でいいのか、というほどに、言葉で語りつくせない感動の連続でした。

 もちろん、中は撮影禁止ですが、丁度、拝観料を支払った時に頂いたパンフレットに中の写真が載っているので、ここから写真から掲載しますね。

 

 

 パンフレットなので、ちょっと画像が荒いですが、こんな風にたくさんの観音様がいらっしゃって、傍らには風神・雷神までいました。

 

 しかも今回は特別に、この観音様の後ろにある屏風の裏側に描かれていた絵を、拝観できるのです。

 

 そこにあったのは、驚くべきキメ細やかでリアルな障壁画でした。

 この絵は、江戸時代の絵師・木村徳応らによって、描かれたもので、373年の間ずっと秘されてきた「幻の障壁画」と言われ、今回が初公開です。

 

 上の段には、見事な観音様が描かれ、下の段には、いわゆる「六道輪廻(りくどうりんね)」の世界が、ギョッとする程、赤裸々に描かれていました。

 

 そして、壁画のそばに立っている係の方が、その絵の内容を丁寧に解説をしてくれます。

 

 撮影禁止なので、パンフレットに載っていた写真で、ちょっとだけご紹介したいと思います。

 

 六道輪廻の世界観というものについて、僕が知っている限りで説明するとですね…

 輪廻の世界にある「天道」「人間道」「修羅堂」「畜生道」「餓鬼(がき)道」「地獄道」の6つで、六道と言うんです。

 

 人気アニメの「NARUTO」に出てくる、敵の首領のペイン六道の元ネタは、これです。

  アニオタしかわからない話で、ごめんなさい…

 

 この六道というのは、人が輪廻転生する道で、自分の前世などの行いによる業(ごう)が、そこに反映された結果だとされています。

 

 もちろん、この六道輪廻が実在するかどうかなんて、誰も確かめようがありませんが、僕は何となく、この世で生きている我々の心の在り方の中に、この六道のようなものがあるような気がするんですね。

 

 

 ちょっと画質が悪いのですが、横に長い障壁画の一番左の部分が、この絵になっていて、「天道」の世界を描いています。

 天女がいっぱいいて、幸せで楽しそうです。

 

 六道の中で、一番上位にあるのが、この天道です。

 ここに住まう人は、幸せいっぱいですし、性格も極めて善良なのですが、とはいえ、悟りを開いている訳ではなく、煩悩を捨てられている訳でもありません。

 

 極楽浄土と天道というのは、同じようなものかと思いきや、仏教においては、全く別の概念であり、極楽浄土が「仏が住まう永遠の安らぎのある場所」なのに対して、天道というのは、「輪廻の繰り返しの中で、一時的に行く場所」であって、天道に住んでいる天人にも、ちゃんと寿命があります。

 

 それで、その寿命を迎えると「天人五衰(衣服が垢で汚れ、脇から汗が出て、体が臭くなり、頭上にある花が萎れ、自分のいるべき場所の事を好きでなくなる)」と呼ばれる苦しみの果てに、また、輪廻転生へと戻っていかなければならないという事。

 

 なるほど…

 この天道は快楽に満たされていて、苦しみも一つもないし、幸せいっぱいですから、もっと自分を高めようとか、人の幸せの為に生きようという気持ちにも、中々なりにくい…

 

 だから、このまま自分だけの幸せに満足してしまったら、これまで自分が積んだ功徳をどんどん消費してしまうだけになってしまう、という事を表しているのでしょう。

 

 これが本当の話かどうかは別として、言わんとしている事は、何となくわかる気がしました。

 

 

 さて、これが天道の下にある人間道です。

 

 なんか、椅子に座っている男の人が、閻魔様の姿のようにも見えるので、もしかしたら、閻魔様が判決を言い渡す場面かも… と思ったのですが、他に「人間道」の描写らしき所もないので、やっぱり、これは閻魔様ではなく、地位のある人間を描いているのだと思います。

 

 観音堂の係の人に、人間道の部分はどこですかと、尋ねてみたのですが、明確な答えは得られませんでした。

 

 人間道とは、我々が生きている地表の世界の事で、仏教でいう「四苦八苦」の苦しみに満ちているのですが、同時に楽しい事もたくさんあって、それらの苦楽を通して、自分を高めたり、徳を積んだりする事もしやすいと言えます。

 

 それで「唯一自力で、仏様に出会える世界」が、さっきの天道ではなくて、実はこの人間道だとされているんですね。

 だからやっぱり、苦しみというのも、時には人間に必要なのだと思います。

 

 

 ここから先は、気分が滅入るので、正直あんまり解説したくはないのですが(笑)

 

 人々が武器を取り合って、戦っています。大きな赤鬼のように見えるのは、多分、阿修羅を表現しているのではないかと思います。

 

 これは「修羅道」という道であり、常に他者と争って、怒りが絶えない世界です。

 慢心や猜疑心によって、生みだされる世界であり、苦しみが絶えないのですが、地獄のような場所ではないとされています。

 

 この現実世界でも、そういう人、いると思いますし、僕も今思えば、20代の頃はずっと修羅道にいた気がします。

 

 六道を2つに分け、天道・人間道・修羅道を「三善道」、のちの畜生道・餓鬼道・地獄道を「三悪道」にわけるという説があります。

 また、修羅道を後の方に入れて、修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道の4つで「四悪道」とする説もあります。

 

 僕は、後者の方に賛成です。

 確かに、畜生道・餓鬼道・地獄道に比べたら、修羅道はいくらかは向上心がありそうな感じはしますが、怒りは自分の我見の狭さから来ていますし、相手と共存する気もない我儘な心の状態なのですから、どう考えても、これを天道や人間道と一緒くたにして、三善道とするのは、明らかにおかしいと思うんですけどね。(あくまでも、個人的意見です…)

 

 

 争いの絶えない世界も嫌ですけど、これはもっと嫌です(笑)

 人間が、ケンタウルスになってます。

 

 これが「畜生道」というやつですね。

 この世界は、獣のような弱肉強食の世界です。

 周囲の事や人の気持ちなど全く考えず、自分の本能や欲望のままに生きた結果、畜生(動物)のレベルまで、堕ちてしまったという状態を言っているのでしょう。

 

 ここは、強いものが弱いものを使役して、あぐらをかくという構図で、自分より弱い者にはやりたい放題するのですが、逆に、自分より強い者に対しては、常に怯えていなければならないという、恐怖と暗黒の世界です。

 

 向上心や、人を慈しんだり、いたわる事を忘れている結果、下等動物のようになってしまった訳ですから、そこを思い出して反省すれば、一旦この畜生道の世界に迷い込んでも、ちゃんとここから、抜ける事ができると思うんですけどね。

 

 

 ちょっと、グロすぎます。勘弁してほしいです…

 

 これは「餓鬼道」の世界観を表したものです。

 

 餓鬼というのは、お腹がふくらんだ飢えた鬼の事で、この餓鬼になった者は、壮絶な飢えに苦しんでいて、常に、何でも良いから口に入れたくてしょうがないという衝動にかられています。

 だから、この人たちは、共食いをしているという描写になっています。

 

 強欲のまま、むさぼりの心に執着すると、この餓鬼道に落ちてしまうという訳ですね。

 

 何でも、餓鬼には、何一つ口に入れる事ができないという「無財餓鬼(むざいがき)」と、粗末な物を少しだけ食べられる「少財餓鬼(しょうざいがき)」と、食べるには全く困っていないが、どれだけ食べても満足できないという「大財餓鬼(たいざいがき)」の3つに分類する事ができるのだそうです。

 

 執着して、むさぼればむさぼるほどに、苦しむのがこの世の法則ですから、そのむさぼる癖をなくしたなら、この餓鬼道から抜けられるのかも知れません。

 

 

 最後は、この地獄道です。

 もう説明したくもないので、解説は省きます(笑)

 

 観音堂に入って、この障壁画を見ていて、色々と考えさせられました。

 人間が死んだら、こんな異様な世界があって、生まれ変わる度に、こんな所を行ったり来たりしなければならないなんて、考えただけでも心が暗くなります。

 仏教の教えと言うのは、「だからこそ、この六道輪廻から速やかに解脱して、仏の道に生きるべきなんだ」としているのですね。

 

 まあ、死んでからの事なんて、わかりませんが、案外この六道の考え方は、こうして生きている間に心が陥る感情を、物語っているような気がするし、そこから脱出するすべを述べているようにも感じるんですね。

 

 例えば、無性に怒りがわいてきて、ムカムカし始めた時には、自分の心は修羅道にいるし、目の前にご馳走があって、周りの人の目も忘れて、無我夢中でごうつくばっている時は、心は餓鬼道に落ちてしまっているのかも知れません。

 

 でも、「今、餓鬼道に落ちていたから、反省しよう」と思ったなら、その道から、すぐに戻ってこれると思うんですよ。

 少なくとも、行きっぱなしになんて、ならないはずです。

 

 行きっぱなしになってしまうのは、自分の人生をあきらめてしまった人か、反省心がなくて、自分は絶対に正しいと思っている自信過剰な人か、そのどちらかだと思います。

 

 観音堂の特別公開は、僕が京都にいた時には「11月24日まで」という事だったのですが、今、改めて情報をチェックしたら、なんと「12月8日まで」に期間延長されていました!!

 

 京都の近くにお住まいの方や、京都に行かれる用事のある方は、ぜひぜひ、仁和寺の観音堂にも、拝観されてみてください。

 

 観音堂を後にして、直射日光の日差しの下を、汗だくになりながら、もう一つの特別公開の場所でもある金堂へと向かいました。

 

 

 この金堂は、仁和寺の建物の中で、唯一国宝に指定されている建物です。

 

 仁和寺という寺もまた、龍安寺と同じように、やはり応仁の乱の戦火により、焼失してしまった寺です。

 龍安寺は、応仁の乱の東軍の守護大名・細川勝元の寺であった事から、燃えてしまったのですが、逆に、仁和寺の方は、西軍の守護大名・山名宗全の本陣とされた事で、そのほとんどが燃え尽きてしまいました。

 

 実は、この仁和寺を復興させたのは、江戸幕府三代将軍・徳川家光なんです。

中宮として入内(じゅだい)していました。

 

 そして、この時の仁和寺の住職は、後水尾天皇の兄にあたる覚深(かくじん)入道親王であり、徳川家光が京に上洛した時に、仁和寺の再建を頼んで、無事に受け入れられたという訳です。

 

 どうして金堂だけが、他の建物と違って国宝の扱いを受けているかと言うと、この金堂を建てるのに使った木材は、元々、京の天皇の住まいである内裏(だいり)の紫宸殿(ししんでん)に使われていた木材で、その紫宸殿をそのまま、金堂として移築したからです。

 

 その金堂に上がれるだけでも貴重なのですが、今回の特別公開では、仁和寺が建てられた平安時代の当初から存在し、応仁の乱の時は、外に持ち出されて戦火を免れたという国宝の阿弥陀三尊像も、公開されていました。

 

 

 これが、国宝の阿弥陀三尊像の真ん中の像である、阿弥陀如来坐像です。(写真は、パンフレットより拝借しています)

 

 お顔が神々しくて、見ていて、うっとりとします。

 この中には、本当に仏様の魂が入っているのではないか… というくらい神々しいです。

 

 仁和寺の係の人が、ここに来館された人全員に、さっきの話のような仁和寺の歴史を聞かせてくれます。

 

 

 仁和寺の境内の北庭にある池…

 

 まるで、極楽浄土みたいな場所です。

 

 この後、仁和寺を出た僕は、バスに乗って一直線で七条に帰り、シャワーを浴びて汗を流してから、早速、上級編のテキスト作りに取り掛かりました。

 

 それでも心は、あの龍安寺の石庭や、仁和寺にあった六道の障壁画や阿弥陀三尊像に、釘付けのまま…

 

 最高級の建築物や仏像や絵画を見て、感動して、たくさんの事を考えて、一回りも二回りも自分が成長できたような気がしました。

 

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京都はんなり旅日記 その12 ~鞍馬山と貴船神社を巡って~19.11.18

2019年11月18日(月)

 

 木曜日の夜、出雲の神在祭と、米子の神社巡りのツアーに参加し、その後に山口県を周遊するという、約1週間にわたる旅行から、無事に帰ってまいりました!!

 

 メールの返信がすっかり滞ってしまっていて、本当に申し訳ありません。

 今、徐々に返信しておりますので、まだの方は、もう少しだけお待ちになってください。

 

 今回の中国地方のツアーも、本当にすごかったです。

 

 また、このブログでも、書き綴りたいと思っていますが、まずは「京都はんなり日記」を書き終えて、続けて、出羽三山に行った事を一山ずつ3回分のブログにして書いて、その次に連載したいと思います♪

    かなり後になってしまうと思うので、その前に12月号のメルマガでご報告します(^^)

 

 さてさて、この「京都はんなり日記」も、だいぶ出し切ったので、おそらく、あと5回ぐらいで完結するのではないかと思います。

 

 それにつけても、今回の旅の中で、最も印象的だった旅は、やっぱり鞍馬山(くらまやま)と貴船神社(きふねじんじゃ)を巡った時の事かなあ… という気がします。

 

 鞍馬山と言うのは、京都の北に位置する山で、最初、僕は、鞍馬山は京都市外にあると思ってしまったのですが(… 本当スミマセン)、住所は京都市左京区で、ここはれっきとした京都市です。

 

 

 一方、貴船神社は、貴船山と鞍馬山の山間を流れている貴船川の上流に鎮座する神社で、京都府外の人からも、非常に人気のある神社です。

 

 Iさんのプランは、叡山電鉄の「鞍馬駅」で下車して、最初に、鞍馬山にある鞍馬寺を巡り、その後、貴船神社に行くというものでした。

 

 

 この経路で行けば、鞍馬山と貴船神社を同時に続けて回る事ができるという訳ですね。

 

 普通、貴船神社だけ行きたい人は、叡山電鉄の「貴船口駅」に下りる事になるのですが、その駅から貴船神社までは、かなり離れているので、バスを使わなくてはなりません。(もちろん、歩いていけなくもありませんが、相当きついです…)

 

 でも、最初に「鞍馬駅」まで行ってしまえば、鞍馬山に登って仁王門から鞍馬寺本堂に行き、そこから奥の院魔王殿を通過して、西門から山を下りて、貴船川沿いの道を上流の方へ歩いていくのだったら、バスを使わなくても、貴船神社にたどり着けるという算段です。

 もちろん、帰り道は、さすがにバスのお世話にならないと、ちょっと足がつらいですが…

 

 ちなみに、Iさんから京都で行きたい場所のリクエストを聞かれた時に、鞍馬山や貴船神社をリクエストに入れたのは、例によって、ながいつばささんが、勧めてくれた場所だからです。

 京都に長く在住していた、つばささんのお勧めの場所のナンバー1が下鴨神社で、そして、2番目のお勧めが今回の貴船神社と鞍馬寺という訳です。

 

 Iさんお勧めの叡山電車の出町柳駅構内にあるSIZUYAさんで、玉ねぎがサンドしてある「カルネ」というパンを食べて、いざ出発です!!

 

 

まずは、京阪電車から、出町柳駅(下鴨神社がある駅)まで行き、叡山電車に乗り替えます。

「えいでん」こと、この叡山電車…

 乗ってみると、すごく落ち着く電車です。

 

 終点の鞍馬駅まで、だいたい30分ぐらいで到着しました。

 

 そして、この鞍馬駅はとっても風情がある、素敵な駅でした。

 

 

 この待合室に掲げられている、鞍馬天狗のお面…

 なんか、めちゃくちゃ可愛いです。

 

 これ、天狗の正式名称としては、左側の赤い天狗を「鼻高天狗」、右側の黒い天狗を「烏天狗」と言うそうです。

 

 よく「鞍馬天狗」って言いますけど、なんでなんだろう… って、昔は思っていたのですが、考えてみれば、この鞍馬山に住んでいる天狗だからですね(笑)

    当然です…

 

 ちなみに、室町時代以前から、能の演目の一つに「鞍馬天狗」と言うのがあります。

 この鞍馬天狗は、牛若丸(源義経)に剣術や兵法を教え、別れた後も、戦場ではいつも義経を守護していたという伝説があるそうです。

 

 とはいえ、鞍馬天狗の名前がここまで日本に普及しているのは、むしろ、大佛次郎(おさらぎ じろう)さんの時代小説の影響や、それを映画化して一大ブームを起こした、アラカンこと嵐寛寿郎(あらし かんじゅうろう)さんの功績が大きいでしょう。

 ちなみに、この小説は時代設定は幕末の頃で、能の演目の鞍馬天狗とは一切関係ありません(笑)

 もう60年前の話ですので、僕もタイムリーには知りませんが、黒頭巾の鞍馬天狗が相当流行ったみたいです…

 

 

 駅の近くにあった、巨大天狗の顔…

 めちゃくちゃ、迫力あります!!

 

 何でもこの天狗さん、鼻の上に積もった雪の重みのせいで、2017年1月には、鼻がポッキリと折れてしまったのだそうです。

 その後、天狗用の特大絆創膏を、鼻の付け根の部分に貼られて、2ヶ月あまり冬を過ごした後、その年の3月に、この新しい鼻に修復されました。

 

 鞍馬駅から下りてすぐ所にあるお店に、天狗のお面がたくさん置いてあったので、早速、一つ買ってみる事にしました。

 

 

 これが、鞍馬寺の仁王門…

 とても威厳がある門です。

 

 せっかくお面を買ったのだから、早速つけてみる事に…

 

 

 誰がどう見ても、不審者ですね。

 正直、怖いです。

 

 これでは、お巡りさんがやって来て、取り押さえられても、文句は言えません(笑)

 

 

 鞍馬山の仁王門を守っている阿吽(あうん)の狛犬ではなくて、狛虎(こまとら)…

 これは、「阿(あ)」の方ですね。

 

 

 それで、こっちが「吽(うん)」の方です。

 

 お面なんか被ってふざけていると、このおっかなそうな二匹の狛虎に懲らしめられそうなので、すぐにお面を外しました。

 

 

 穏やかな顔をした観音様の所に、還浄水が湧き出ています。

 

 早速、手と口をすすがせて頂きました。

 

 山の緑の香りに、おだやかな風…

 本当にすがすがしい場所です。

 

 でも、伝承では、天狗が住まう山なんですけどね。

 

 

 早速、鞍馬山の中へと、足を踏み入れました。

 

「天狗」という言葉の由来なのですが、元々は、中国において凶事を知らせると言われる「流星」の事を言っていたそうです。

 文献によると、飛鳥時代の日本において、唐から帰国した僧侶が巨大な流星を見て「あれは天狗だ」と言ったのだとか…

 

 日本では、平安時代あたりから、「天狗=山の神」という扱いになっていき、山伏として修行を積んだ人が、死後に天狗に転生する… と言われるようになったそうです。

 

 よく「天狗になる」と言うと、慢心して得意げになっている様を言いますが、平安時代の日本では、仏教の輪廻の六道(天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道)以外に、天狗道なる道も、あるとされたんです。

    ちなみに、NARUTOに出てくるペイン六道の6人の元ネタは六道輪廻です…

 

 この六道のそれぞれの意味については、結構面白いので、また、仁和寺を訪れた時の話のブログにでも、書こうと思うのですが…

 

 この「天狗道」という特殊な道は、修験道の山伏などの修行を積んで、傲慢で慢心して我見の狭い人が行くのだそうです。

 

 この人達は、仏法を学んでいるので、地獄道に進む事はないのですが、逆に、人間道に戻る事もできず、特に、罪やむさぼりがある訳でもないので、餓鬼や畜生や修羅の道にも行かず、かといって、信心もないので、天道にも行く事できない…

 

 それで、仏教でいう所の六道輪廻から外れて、二度と救済できない(輪廻がないから)天狗道という道に行ってしまうのだそうで、この考え方は、14世紀の室町時代以前の日本からあるようです。

 

 もちろん、これが本当かどうかは、誰も確かめようのない話なのですが…

 

 

 しばらく歩いていくと、鞍馬寺の本堂がありました。

 

 参拝させて頂いてから、お守りや御朱印の受付がある社務所にいくと「御朱印は、スタンプラリーではありません。お参りを忘れずにして帰ってください」と書いてありました。

 

 確かに…

 最近、少しスタンプラリー化している所があるかも知れません(^^;;

 

 

 Iさんから教わって、本堂前にある石畳に描かれた六芒星の中に、立ってみました。

 

 ここはパワースポットとして名高く、この日も何人もの人が並んでいました。

 

 なんか、ものすごく強いパワーを、たっぷり頂けた気がしました。

 

 本堂を出て、少し行った所に「鞍馬山霊宝殿」という博物館がありました。

 Iさんに勧められて、早速一人で入ってみたのですが、とても興味深いものばかりで、かなりの時間を費やしてしまいました。

 

 1Fが鞍馬山の地層や動物や植物の事を展示したコーナー、2Fが源義経の事を事細かく展示したコーナーや与謝野晶子の書斎を再現したコーナー、3Fがたくさんの仏像が展示されいるコーナーになっていたのですが、特に2Fで、かなりの時間を費やしましたね。

 

 夢中になって、時が経つのも忘れてしまい、外で待ってくださっていたIさんに、随分とご迷惑をお掛けしてしまいました。

 

 

 いよいよ、これより奥の院魔王殿です!!

 とても、ワクワクします。

 

 

 山道を木漏れ日を浴びながら、前へ前へと進んでいきます。

 この山道は、前回ご紹介した船岡山の山道よりも、いくらかハードです。

 

 

 あまりにも暑いので、着ていたジャンパーも脱いでしまいました。

 天狗の面を、帽子がわりにして、奥へ奥へと進みます。

 

 

 そして、ついに「奥の院魔王殿」に到着!!

 長い山道を歩いただけに、感慨深いです。

 

 

 早速、参拝をさせて頂きました。

 

 さあ今度は、ここから貴船川がある西門を目指して、山を下りていきます。

 

 

 無事に到着(^^)

 良い汗かきました。体中、もうクタクタです。

 

 そして、ここから、川沿いの道を川上に向かって歩いていくと…

 

 

 貴船神社に到着!!

 まずは、この灯篭に囲まれた階段を上に登っていきます。

 

 ここは全国的に有名な神社だけあって、とても賑わっています。

 

 

 貴船神社は「水の神社」とも言われ、水を司る龍神である「高霎神(たかおかみのかみ)」が御祭神と言われています。

 この神社の御利益は、縁結びと諸願成就…

 

 また、貴船神社のおみくじは、水に浮かべると、文字が浮かび上がるという事で有名です。

 そして、ここのおみくじには正真正銘の「大凶」が存在するのです…

 

 勇気を出して、やってみました。

 

 

 水占(みずうら)みくじ

 

「吉」第一番

  願望:思うままなり

  恋愛:心おだやかにせよ

  出産:やすし

  病気:軽からず

  方向:東の方よろし

  旅行:行きて吉 盗難に注意せよ

  学問:安心して勉強すべし

  商売:買うに吉 利あり

  失せ物:おそくとも出づる

  転居:障りなし

 

 結構、良い事が書いてありました。

 それに、何となく当たっている気もします(^^)

 

 

 なんか、つばささんの紹介の神社は、前回の下鴨神社といい、この貴船神社といい、水にとても縁が深いようです。

 

 奥宮へと向かう道で、たっぷりと、水気を浴びて、めちゃくちゃ元気になりました。

 

 

 貴船神社の奥宮に到着…

 

 緑の木々が風に揺れる音と、せせらぎの音がとても心地良いです。

 

 

 奥宮の御祭神は、本宮と同じく水を司る神である「闇龗神(くらおかみのかみ)」…

 

 そして、中宮の御祭神は、古事記の天孫降臨(てんそんこうりん)の時に、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が娶(めと)った此花昨夜姫(このはなさくやひめ)のお姉さんである磐長姫命(いわながひめ)で、縁を結んでくれる神様です。

 

 ゆっくりと、参拝させて頂きました。

 

 本当に、心がしっとりと潤されて、気持ちが落ち着く神社です。

 

 

 奥宮のそばに、一本の杉が 御神木として祭られていました。

 これは「連理の杉」と言って、よくよく見ると、後ろから楓がくっついて寄り添っています。

 全く別の種類の木なのに、一つになってしまっているんですね。

 

 なんか、素敵だなあと思いました。

 

 人それぞれ、考え方は十人十色で違うのが当たり前ですが、分かり合える部分は分かり合えるし、こんな風に仲良く出来たら… 

 しばらく、この連理の杉をじっと見ていました。

 

 鞍馬山と貴船神社を巡って、心がはんなりと熱くなりました。

 

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京都はんなり旅日記 その11 ~京都の日常と茶道体験~19.11.08

2019年11月8日(金)

 

 バタバタしている内に、どんどん時間が過ぎて、あっという間に、旅行の日が来てしまいました。

 僕は明日の朝、いよいよ出雲ツアーと山口周遊に旅立ちます。

 

 という事で、もしも今日この「京都はんなり旅日記」を書いておかないと、また一週間ぐらいブログが更新できなくなってしまうので、急いで書いています(笑)

 

 京都の旅日記といっても、実際の所、京都に来た目的は、四柱推命講座を実施する事だった訳で、いつもいつも遊んでいた訳ではありません。

 

 あの時も今と同じように、時間ギリギリに追い詰められていて、旅立つ直前に、テキストこそは完成させられたのですけど、他の資料とか印刷物は、全く間に合っていなかったんです。

 

 そこで焦りながら、ヨドバシカメラに行って、京都へ旅立つ寸前に手に入れたものが、これ…

 

 

 キャノンの携帯用プリンターとスキャナです。

 

 実は最初、エプソンのプリンターを買おうとしていたんですけど、そばにいる店員さんらしき方に話し掛けたら、その方はキャノンからの出向で、ヨドバシカメラに来ていた方でした。

 これも多分、縁だと思って、キャノンで揃えてみました。

 

 そして、このプリンターが、今回の京都講座で縦横無尽の働きをしてくれたんです!!

 残念ながら、スキャナの方は、一回も使う機会がありませんでしたけど…

 

 京都滞在の半分以上の時間は、ウィークリー・マンションの部屋で、仕事漬けになっていました。

 ブログでは、遊んでいる事しか書いていないから、毎日遊び呆けているように見えるでしょうが、案外そうでもないんですよ(笑)

 

 仕事モードの日の一日の息抜きは、外で外食をする事ぐらいです。

 

 京都に滞在していた時、どこで食事をしていたかというと、だいたいはマンションから近い、「坊歩」というラーメン屋さんかマクドナルドでした。

 あと、たまにコンビニで、お弁当やカップ麺を買って、食べたりもしましたね。

 

 そして、たまに、少し遠出して、京都で一度は食べておきたい名店に、行ったりもしたんです。

 

 その一つが、「第一旭」というラーメン店…

 

 京都のラーメンの名店と言うと、真っ先に名前が出てくるのが、この「第一旭」です。

 

 

 名店だけあって、いつも人が並んでいます。

 この日は雨が降っていたので、これでも待ちは少ない方です。

 

 村野大衡先生も前に、東京に出店したお店の事をブログで書いていました。

 

 2018.12.14. ほのぼの占い師 “村野大衡”ブログ「京都の名店

 

 ブログの中で、村野先生があまり感動している訳でもなさそうなので、僕もそんなに味は期待していませんでした。

 

 お店の人が一押しだと言う「特製ラーメン」を頼んでみると…

 

 

 うお~、これは、何というボリュームでしょう!!

    この量を普通に完食している村野先生もすごい…

 

 別に大盛とか頼んだ訳ではないのですけど、この量です。

 僕には、食べきれないです。

 

 味はですね… 正直、村野先生と同じ感想ですね。

 決してマズくはないのですが、まあ普通といいますか… 確かにこういう感じの味は、何度も食べている内に、病みつきになるのかも知れません。

 

 かなりのボリュームでしたが、残すのはもったいないので、僕も、全部完食しました!!

 

 ふう~ お腹いっぱいです。

 

 あと、四条烏丸にある前田コーヒー本店にも、行って来ました。

 前田コーヒーは、京都の老舗の喫茶店という事で、すごく有名なんです。

 

 

 ここは、ながいつばささんが、勧めてくれた喫茶店でもあるんですね。

 

 つばささんは、ここのモーニングセットの中の「クロワッサンサンドのセット」が美味しいと勧めてくれたので、早速それを注文してみました。

 

 

 値段も780円とお手頃ですし、とっても良い感じです(^^)

 前田コーヒーのモーニングは、8種類もあって、その中からお好きなものを選べます。

 

 ゆったりと落ち着ける空間でした。

 

 Iさんに、第一旭と前田コーヒーに行ってきた、という話をしたら、せっかく京都に来たのだから、京都でしかできない体験をしてほしいと言われました。

 

 これは、また別の日の話なのですが、Iさんから、本当に素敵な体験ができる場所に、案内して頂いたのです。

 

 それがこのお店…

 

 

 皐盧庵茶舗(コウロアン チャホ)

 

 ここは、本格的な茶道を体験する事ができる場所…

 

 ううっ、緊張します。

 僕、まだ生まれてこの方、茶道の経験を一度もした事ないんです。

 

 

 目の前に置かれている茶臼が、ものすごく気になります。

 

 最初にこの部屋で、お茶が畑で育てられて、摘み取られて、加工されていく過程を、パソコンの写真を見ながら、わかりやすく説明をしてもらえます。

 

 そして、この茶臼を挽(ひ)いて、実際に抹茶の粉を作るのを、体験させて頂けるんです。

 

 

 大さじのスプーンで1~2杯ぐらいの量を挽くだけなのに、結構、腕がきつくて大変です。

 

 この体験をする人のほとんどが、途中で全部挽くのをあきらめて、やめてしまうそうです。

 

 それを聞いた僕は、絶対にあきらめないで、このお茶を全部挽いてやる… と、心に固く誓いました(笑)

 

 ちゃんと時間は計っていませんが、だいたい20分ぐらい茶臼を回していたでしょうか…

 

 

 やっと、全部すり終えました!!

 腕がもう、クタクタです。

 

 今では機械でする事がほとんどで、あんまりこんな風に手で挽く事はないそうなのですが、昔の人は、お茶を飲む度に、この作業をやっていたのですね。

 

 そしてこの後、この挽いたばかりのお茶で、お茶をたてて頂けました。

 

 2階にある8畳の広い茶室に案内して頂いて、そこで本格的な茶道体験…

 

 

 皐盧庵の店主で、茶道の先生でもある神田先生が、自らお茶をたててくださいました。

    ブログでの写真掲載、OKして頂けました… 本当に感謝です

 

 そして、茶道の作法や、「どうしてそのようにするのか」という理由などを、たくさん教えて頂きました。

 

 

 これは、茶道に使うお茶碗…

 

 客人や季節によって、その日に使うお茶碗を変えるのだそうです。

 その茶碗の選び方自体に、心配りやおもてなしの気持ちがあるとの事…

 

 茶道の道は、深いなあと思いました。

 

 

 僕も、見よう見まねでやってみましたが、まだまだですね。

 

 本当に、素敵な体験をさせて頂きました。

 京都の茶の湯の文化に浸って、心がはんなりと豊かになりました。

 

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京都はんなり旅日記 その10 ~下鴨神社と緑のシャワー~19.11.02

2019年11月2日(土)

 

 ふと気づけば、もう11月…

 いよいよ今年も、あと2ヶ月です。

 

 ここの所、このブログの更新度が、めっきり遅くなってしまっているのですが、相変わらず、僕は仕事に明け暮れています。

 

 ほとんど毎日、自由な時間はなく、時間に追われっぱなしですね。

 上級編テキストと、中級編のDVD用のリメイクテキストで、挟み撃ちにあっています(^^;;

 

 最近、疲れがたまってきた事もあって、家のベッドで寝そべってノートパソコンで仕事をしながら、疲れたらすぐ寝るみたいなパターンになっています(笑)

 

 でも、こうやって、やりたい仕事を朝から晩までやれている事を、本当に感謝しています。

 

 仕事が特にこんなに忙しくなったのは、やっぱり今年の夏に、京都に行ってからだと思います。

 あの旅の中で、四柱推命の貴重な資料を頂けて、上級編のテキストをリメイクに奮い立ったのですが、あまりにも、前のテキストに付け加える事が多くて、未だに出口が見えないです。

 

 それにしても、あの京都滞在の3週間の記憶は、僕の人生で忘れられない思い出になっています。

 

 特に、下鴨神社と糺(ただす)の森を訪れた時の事は、忘れられないですね。

 

 前回のブログで、上賀茂神社と下鴨神社は、なぜ「賀茂」と「鴨」で字が違うのか、みたいなお話をしましたが、この2つの神社は、元々一つの神社だったという事を書きました。

 

 一つの神社が上と下に分かれたのなら、何となく「上」の上賀茂神社の方がメインなのかと思われそうですが、そんな事はなくて、この2つの神社は、雰囲気からして全然違うし、まるで比べようがない感じです。

 本当に元は一つだったの?… というくらい、何もかもが違います。

 

 Iさんに京都の観光地を案内して頂く時、前もってリクエストをある程度お伝えしたのですが、そのリクエストの中にこの下鴨神社を加えたのは、ながいつばささんが、京都でお勧めの名所という事で、ここを一番に紹介してくれたからです。

 

 他にも、貴船神社とか、前田コーヒーとか、月ヶ瀬のあんみつとか、つばささんから、たくさん場所を教えて頂いたのですが、その中でも、一押しの場所というのがこの下鴨神社で、つばささんは昔、毎日のように、この下鴨神社や糺の森に行っていたそうです。

 …と、ユーチューブ動画で言っていました(^^)

 

 京都市内を、滔々(とうとう)と流れている鴨川…

 上流にある二つの川の流れが合わさって、鴨川となって流れているのですが、その上流の川の一本が賀茂川と言います。

 まさに、その場所こそが、下鴨神社と上賀茂神社の場所です。

 

 地図を見るとわかる通り、鴨川はきれいな形で「Y」の字に合流していて、その交わった所に、京阪電車線と叡山電車線のターミナル駅である出町柳駅があります。

 

 ここの場所には、川の中に人が向こう岸に渡れるように、上に乗る事ができる石が1m間隔ぐらいで置いてあったりするのですが、またそれは次の機会にでも書くとして…

 

 下鴨神社の場所はちょうど、このYの三角の部分に位置するんですね。

 

 

 僕がこの下鴨神社に訪れた第一印象は、女性的で、何か包み込むような感じがする神社だなあ… というものでした。

 元々、つばささんからのお勧めで訪れた神社でもあったし、それが多少の先入観になっていた事もあるかも知れませんが…

 

 前回のブログで書いた上賀茂神社は、どちらかと言うと、さわやかで男性的な威厳を感じさせるような雰囲気だったのに対し、下鴨神社は、柔らかくて、うるっとした水っぽい雰囲気が漂っているなあ… みたいに感じたんです。

 

 これは僕の個人的な感想ですし、これまでの思い込みや経験で、そう感じてしまっている可能性も、ない訳ではありませんが…

 

 

 外側から鳥居だけ見ると、確かに元は一つだというだけあって、上賀茂神社に何となく似ています。

 

 下鴨神社の正式名称は、「賀茂御親神社(かもみおやじんじゃ)」…

 前回、上賀茂神社の所でも少し触れましたが、下鴨神社の主祭神は、古代の京都を開いた神「賀茂建角身命(かもたけつねみのみこと)」と、その娘で賀茂一族の姫である「玉依比売命(たまよりひめのみこと)」の二柱です。

 

玉依比売命は、上賀茂神社の主祭神でもある賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)の母神に当たります。

 

 前回のお話で、「玉依比売命が、川で身を清めていると、上流から一本の矢が流れてきて、それを持ち帰り、床に祀って休んだら、御子を授かった…」という資料のくだりを読んで、なんて無茶な話だと思ったのですが(笑)

 

 あの資料は、どうやらかなり省略されていたみたいで、その丹塗矢(にぬりのや)の正体というのが、乙訓郡(おとくにぐん)に奉られている火雷神(ほのいかづちのみこと)だったそうで、だから、その子供である御子神が「賀茂別雷大神」と呼ばれているという訳です。

 

 そんな伝説により、この下鴨神社は、縁結びと子育てに御神徳があると言われています。

 また「賀茂始祖伝」によると、神武天皇の東征の道案内をした八咫烏(やたがらす)の正体は、賀茂建角身命であるとされ、道開きの導きや勝利といった御神徳もあります。

 

 

 これは、下鴨神社の境内を流れる御手洗川(みたらしがわ)と、川に掛かる輪橋(そりはし)

 

 僕が行った時には、ほとんど水は流れていなくて、枯れはてていました。

 

 土用の丑の日には、足を浸して病を封じるという「足つけ神事」があるそうなのですが、なぜか、その日が近づくと、不思議な事に川の水が湧き出てくるのだそうで、 これは、「京の七不思議」の言い伝えの中の一つに数えられているそうです。

 

 

 早速、下鴨神社の拝殿に参拝させて頂きました。

 写真ではわからないのですが、この拝殿の先に、左側に、賀茂建角身命が祀られた西本殿が、右側に、玉依媛命が祀られた東本殿があります。

 

 西本殿と東本殿は、国宝に指定されていて、それ以外の建物の多くも、国の重要文化財となっています。

 

 下鴨神社はとにかく広い神社で、境内の中には、たくさんの摂社末社があります。

 

 ふと、周りを見渡してみると…

 

 

 十二支によって、分けられている、小さなお社がありました。

 

 数えてみると、全部で7つあります。

 「丑と亥(北方合半会)」、「寅と戌(三合火局半会・化気せず)」、「卯と酉(冲)」、「辰と申(三合水局半会・化気せず)」、「巳と未(南方合半会)」それに「子」だけのお社と「午」だけのお社がありました。

 

 これらの社は「言社(ことしゃ)」と呼ばれています。

 どうやら、生まれた年の十二支のお社に、お参りするような感じです。

 

 この言社には「大国主さん」という別名があって、大国主神(おおくにぬしのかみ)と言えば、出雲大社の御祭神でもあり、意外な事に、下鴨神社と出雲大社との繋がりは、実は、ものすごく深かったりします。

 

 どうやら、賀茂氏の出自は、出雲の流れをくんでいるらしく、境内の摂社に「出雲井於神社(いずもいのへのじんじゃ)」という神社もあるし、下鴨神社から賀茂川に出た所に掛かっている橋は、「出雲路橋(いずもじばし)」と言います。

 

 また、この出雲路橋を渡った所にある加茂街道周辺の地名は「出雲路松ノ下町」、「出雲路立テ本町」、「出雲路俵町」、「出雲路神楽町」となっていて、出雲との深いつながりを感じさせてくれます。

 

 僕はこの時すでに、11月の神在祭に出雲大社に参拝する事を決めていたので、ものすごく感じるものがありました。

 

 調べてみると、この言社の7つのお社には、それぞれ次の神様が祀られているようです。

 

「丑亥」の社は、大物主神(おおものぬしのかみ)

「寅戌」の社は、大己貴神(おおなむちのかみ)

「卯酉」の社は、志固男神(しこおのかみ)

「辰申」の社は、八千矛神(やちほこのかみ)

「巳未」の社は、大国魂神(おおくにたまのかみ)

「午」の社は、顕国魂神(うつしくにたまのかみ)

 

 そして、「子」の社は、元祖「大国主神」です。

 

 この中で、「丑亥」の大物主神だけは、知っていましたけど、それ以外の神様の名前は、どれも初めて聞くなあ… と思って調べてみたら、なんの事はありません。

 全部、大国主神の別名でした(笑)

 

 ちなみに、大物主神といえば、三輪大社に祀られている神様で、国造りを成就させる為に、大国主神の前に現れた神様だと思っていたのですが、一説によると、これも実は大国主神の別名である(日本書紀の「一書に曰く」)としていたり、実は、大国主神の幸魂と奇魂が大物主神であるという説(大神神社ご由緒)もあったりします。

 

 何だかわからないですけど、全部、大国主神だという事です(笑)

 

 さらに、神仏習合でいうと、大黒天も大国主神…

 

 なんだか、あの大黒天様の笑顔に吸い込まれたような気持ちになりました。

 

 

 僕は、亥年生まれですから、「丑亥」の社に参拝するという事になるのでしょうけど、たまたま他の参拝客の方が参拝していたのと、何となく、こっちのお社に参拝しておきたいたいな… という気持ちになり「子」の大国主神の社に参拝しました。

 

 これで、「子」を取り入れて、子・亥・申・辰の水の亡神成立…

 水の比劫大過で、我がままのし放題… ではなくて、水の従旺格が完成です(笑)

 

 もちろん、この後にちゃんと「丑亥」の大物主神にも参拝していますよ。

    亥・子・丑の北方合も完成(笑)

 

 

 Iさんの勧めもあって、人形形代(ひとがたかたしろ)をやってみました。

 

 「人形(にんぎょう)」と呼んでしまいそうになりますが、これは紙の形代の事で、それに自分の分身を宿して、お焚き上げをして頂く為の拠り所です。

 

 という事で、なんとなく言社の参拝方法が間違っていたような気もしなくもないのですが、下鴨神社の拝殿を後にしました。

 

 

 その後、Iさんに下鴨神社で最も人気があるとも言われる「相生社(あいおいのやしろ)」に案内して頂きました。

 

 巷では、最強の縁結びのパワースポットという事で、連日、参拝客が絶えないとの事…

 

 確かに、参拝するのに、結構並びました。

 特にここで、お願い事をした訳ではありませんが、一番良い形で、人の縁というものができたら良いと思います。

 

 その後、実は一番最初に、この下鴨神社に入った時に目に飛び込んできて、ずっと気になっていた、河合神社に入りました。

 

 

 河合神社は、下鴨神社の摂社なのですけど、まるで一つの独立した神社のような風格です。

 

 前に、五条通りの「若宮八幡宮社」の事を紹介した時にも、少しだけ触れたのですが(京都はんなり旅日記 その5 「五条清水探訪記」 参照)、まさにこの神社は、美しくなりたい女性が集う神社です。

    美御前社と、若宮八幡宮社と、さらに、この河合神社に参拝すれば、もうパーフェクトです…

 

 中に入ると、あまり神社にはそぐわないような感じの若い女性ばかりが一ヶ所に集まって、何やら色を塗っていました。

 

 それは「鏡絵馬」と呼ばれる、顔が描かれた木製の絵馬で、その絵馬にお化粧を施しているのですね。

 

 目線をどこに持っていっていいのかわからなくて、そのまま、さり気なくスルーして、先に進みました。

 

 この河合神社の主祭神も、下鴨神社の主祭神の一柱である玉依比売命…

 

 何となくですが、この下鴨神社のお二柱の主祭神は、賀茂建角身命よりも玉依比売命の方が目立っている気がします。(個人的感想です…)

 

 

 河合神社の拝殿にも、参拝させて頂きました。

    女性の気持ちが、ちゃんと分かるようになれますように…

 

 その後、境内を見渡すと、何やら庵(いおり)のようなものがありました。

 

 

 なんと、これ「方丈記」で有名な鴨長明の庵を、復元したものなんです。

 

 行く川の流れは絶えずして、しかも、元の水にあらず。よどみに浮かぶ泡沫(うたかた)は、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と住処も、またかくのごとし。

 

 鴨長明、好きですね。

 

 鴨長明という名前は、まるで物書きのペンネームのような名前ですけど、本名も鴨長明(かものながあきら)と言って、下鴨神社の禰宜(ねぎ/神社のナンバー2・宮司の次に偉い人)である鴨長継の次男として生まれました。

 そして、神職の子らしく、7歳の時から神職の道に入ったんです。

 やがて、長明は学問にも和歌にも通じ、若くして歌人として有名になりました。

 

 ところが、父が亡くなると後ろ盾を失った長明は、周囲との対立を深め、神職としての出世の道を閉ざされてしまいます。

 

 長明がちょうど50歳の時、河合神社の禰宜の欠員が出て、しかも後鳥羽上皇から推薦を得るという千載一遇のチャンスをつかんだ長明でしたが、結局は、その時の下鴨神社の禰宜の長男にそのポストを奪われ、失意の末、出家してしまうのです。

 

 まあ、だからこそ、800年の時を経た現代まで、その名前が残っている訳ですが…

 

 なんだか、こんな庵に住んでみたくなりました(笑)

 

 河合神社を出て、表の参道をゆっくりと歩いてみる事にしました。

 

 

 向こう側にある緑…

 あれが「糺の森」なんですね。

 

 いてもたってもいられず、森に近づいていきました。

 

 

 降り注ぐ緑のシャワー…

 

 もう、つまらない事はどうでも良くなってしまいそうな、癒しのシャワーです。

 

 ありがとう、下鴨神社… ありがとう、京都…

 

 しっとりと、はんなりと、みずみずしい神様の気に包まれたような気持ちになりました。

 

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