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京都はんなり旅日記 その9 ~船岡山と上賀茂神社~19.10.22

2019年10月22日(祝)

 

 今年の秋は、ずっと夏のように暑くて、このまま寒くならないのかな… ぐらいに感じてしまったのですが、ここ最近になって、急に肌寒くなってきました。

 

 気がつけば、今日は新天皇陛下の即位式…

 今年も、残す所もう、あと2ヶ月と少しです。

 

 本当に、時間が過ぎさっていくのが、速く感じています。

 

 何かに夢中になって生きていると、時間の経つのが本当に早いと言いますが、京都にいた時も、本当にそうでした。

 

 3週間弱、滞在した京都の思い出を、こうして今、まとめてみると、思った以上に、あちこちの場所に、出掛けている事に気づかされます。

 

 前回の平安神宮のブログの中で、京都の街は「四神相応(しじんそうおう)」と言って、風水で出てくる青龍・朱雀・白虎・玄武の4つが、ちゃんと配置されているというお話をしました。

 

 これら四神(青龍・朱雀・白虎・玄武)と呼ばれる伝説上の霊獣は、それぞれ、特定の地形に当てはめられます。

 

 このブログを読んでくださる方の中には、ご存知の方も多いとは思いますが、一応説明すると…

 

 まずは、青龍と呼ばれる鱗のある青い龍ですが、これは龍の鱗から連想されるように、川を意味します。

(より細かい事を説明すると、青龍を川に当てはめるのは「山川道澤(さんせんどうたく)説」を取り入れた日本式風水で、元々の中国風水では「砂」といって、玄武のそれよりも、やや低い丘や山脈を、青龍に当てはめていました。ちなみに、山川道澤説とは、北の玄武に「山」、東の青龍に「川」、西の白虎に「道」、南の朱雀に「澤」を当てはめるという説です)

 

 山川道澤説ですと、鴨川が青龍に相当します。

 まさに鴨川は、京都の東側を滔々(とうとう)と流れている川ですから…

 

 次に、朱雀というのは、鳳凰のような神格を持った鳥の霊獣ですが、地形で言うと、池や沼などを表します。

 京都の地形で言うならば、干拓されてなくなってしまった巨椋池(おぐらいけ)が、これに当たります。

 今や、巨椋池が干されてしまっているので、京都は実際の所、もう四神相応ではありません。

 

 その次に、白虎というのは、細長い体つきをした白い虎の事を表していて、これは地形で言うと、広い道になります。(中国風水では、白虎も本来「砂」を当てはめます)

 京都の地形だと、山陽道がこれに当てはまります。

 

 最後に、玄武ですが、蛇が巻き付いた亀のような姿をした北の守護神で、地形としては、高い丘陵や山を表しています。

 そして、これが京都市内の小山である、船岡山に相当します。

 

 ちなみに「京都五社めぐり」というのがあるのですけど、これは、四神にそれぞれ、京都市内の神社が配当されているのです。

 

 すなわち、東の青龍が、四条通りの東の突き当りの八坂神社であり、南の朱雀が城南宮、西の白虎が松尾大社となり、北の玄武は上賀茂神社となります。

 これに、中央の平安神宮を足して、京都五社めぐりとなるという訳です。

 

 北の玄武の水気を補いたかった僕は、Iさんにお願いして、船岡山と上賀茂神社に案内して頂く事になりました。

 

 

 これが、船岡山の玄関口…

 船岡山の標高は、わずか111.7mです。

 

 実は今回、ここに来る2週間ほど前に、僕は、石川県白山市にある舟岡山にも登っているのです。

(2018/12/9 ブログ 「3泊4日加賀旅行記<前編>」 参照)

 

 白山の舟岡山の標高は178mですから、2つの山を比べると、この京都の船岡山は67mも低いです。

 山というよりも、小高い丘という表現の方が、船岡山には合っているように感じます。

 

 京都の船岡山は、石の階段がしっかりと敷き詰められていますし、日頃、体をちゃんと動かしている人には、そんなにキツくないはずですね。

 でも、日頃から運動不足の僕は、たかだか111mの丘なのに、少し息が切れてしまいました(笑)

 

 思い返せば、2週間ほど前、本気で2702.14mある白山登山を、一人で決行しようと、息巻いていたのですから、本当に恐ろしいです。

   止めてくださった上級編の受講生の皆さん、本当にありがとうございました(^^;;

 

 さて、この船岡山に登りたかった理由は、もう一つあって、ここには、織田信長を祭っている建勲神社(けんくんじんじゃ)という神社があるのです。

 

 先日たまたま、京都七条を歩いていて、豊臣秀吉を祀った豊国神社に参拝する機会を頂きはんなり日記・その7参照)、大好きな徳川家康に関しては、栃木県の日光東照宮占い暦「日光東照宮への旅」参照)など、あちこち参拝しています。

 

 でも、織田信長を祀った神社は、僕はこれまで、一度も参拝した事がありません。

 正直、織田信長がそんなに好きな訳でもないし…

(2012/7/28 ブログ 「三英傑の話」 参照)

 

 というか…「織田信長を祀った神社なんて存在するの?」と、つい最近まで思っていたほどでした。       なんて失礼な…

 

 ところが、桜井識子さんの「京都でひっそりスピリチャル」という本を読んで、京都の船岡山にあるという「建勲神社」という織田信長を祀った神社がある事を、つい先日、知ったのです。

 

 

 息をゼーゼーさせながら、必死なって、Iさんの健脚な歩みについていき、船岡山の頂上にたどり着くと、そこは船岡山公園になっていて、公園のベンチに腰を下ろしたら、しばらく動けなくなってしまいました(笑)

 

 夏場の船岡山は、やぶ蚊が多いですね。

 かなり食われてしまいましたが、この後、気を取り直して、建勲神社へと向かいました。

 

 建勲神社の主祭神は、織田信長公と、信長の長男である織田信忠公…

 

 どちらかというと、僕はこの二人なら、息子の織田信忠の方が好きですね。

 あんまり知名度は、ないですけど…

 

 よく、織田信忠は、信長とは似ても似つかない、凡庸な武将のように評される事がありますが、決してそうではありません。

 織田信長の命で殺された徳川家康の長男・松平信康と比較されて、大した理由もなく、凡庸という事に、されてしまっているだけです。

 

 本当に凡庸なのは、信長の次男の信雄と、三男の信孝の方です(笑)

 この二人は、お家の事情で、三男の信孝の方が、次男の信孝よりも、早く生まれていたりするのですが、日頃から仲が悪く、その反目を豊臣秀吉に付け込まれて、天下を横取りされてしまいました。

 

 それに比べると、長男の織田信忠は、信長の後継者としての器は十分でしたし、父ほどの天才ではないにしろ、逆に、父のような残忍性もありませんでしたから、生き延びていれば、十分に織田政権は維持できたはずです。

 

 本能寺の変が起こった時、父の援護をしようと京都にいた信忠は、安土城への脱出を試みる事もなく、いさぎよくその場で自害してしまいました(涙)

 

 

 建勲神社は、正式には「たけいさおじんじゃ」と読むのですが、一般的には「けんくんじんじゃ」で通っています。

 明治天皇の「日本が外国に侵略されなかったのは、織田信長が一早く戦国時代を終結させてくれたからである」というお考えから、明治2年に創建された神社です。

 

 なんで、この船岡山が神社の場所に選ばれたかというと、豊臣秀吉が、この船岡山を「信長公の廟所」という風に決めたからです。

 

 そして、その12年後、信長の長男である織田信忠も、合祀される事となりました。

 

 信忠は、信長の後継者という親のレールが完全にひかれていたのにもかかわらず、結局、それは叶いませんでした。

 やっぱり、全ては運の導きなのかなあ… と、馬鹿正直にいさぎよい織田信忠に、思いを馳せてみました。

 

 あんまり織田信長の方には、気持ちが行きませんでしたね(笑)

 

 山を下りる時も、ずっと人間の運というものについて、思いを募らせていました。

 

 運と言う意味では、織田信長という人の運は、やはり人並外れて強かった…

 

 あの時代において、性格はどうあれ、絶対的に天があの天才を必要としていた事は間違いないと思うし、長男の信忠の方は、もしも信長の息子でなかったら、正直、名前すら世に出ていなかった人だと思う…

 

 それでも、天下を最後まで掌中にする事なく、二人共、世を去ってしまいました。

 

 明智光秀の本能寺の変というのは、最初から天のシナリオに組み込まれていたのだろうか…  正直、僕にも良くわかりません。

 

 北の玄武の船岡山の気を十分に浴びて、また後日、今度は北の玄武に対応させられた神社である上賀茂神社に、Iさんに案内して頂きました。

 

 

 上賀茂神社と言えば、下鴨神社…

 

 なんで、上賀茂は「加茂」なのに、下鴨は「鴨」なのだろうと、ずっと疑問に思っていたのですが、思いのほか早く、その疑問は解消しました。

 

 

 

 上賀茂神社は、京都市の北に位置する神社…

 

 特に縁結びの神様として知られていて、紫式部の時代から、有名な神社でした。

 だから、結婚式場としても使われていますし、そういう意味では最強の神社だと思います。

 

 本当に穏やかで、すがすがしい神社です。

 

 上賀茂神社は、正式名称を「賀茂別雷(かもわけいかづち)神社」と言って、京都で最も古い社であるとされ、その起源は、はるか2600年以上前にさかのぼる事ができます。

 

 太古の昔、山城の地(京都の事)に移り住んだ賀茂一族の姫・賀茂玉依比売命(かもたまよりひめのみこと)が、川で身を清めていると、上流から丹塗矢(にぬりのや)が流れてきて、それを家に持ち帰って、床に祀って休んだら、御子を授かりました。   なんでやねん…

 

 やがて、その御子が元服し、一族の長で、御子の祖父に当たる(つまり、玉依比売命の父)である賀茂建角身命(かもたけつねみのみこと)が、その御子に「なんじの父と思う神に、盃を捧げよ」と言った所、その御子は「わが父は天津神なり」と答えて、雷と共にそのまま天に昇ってしまったというお話が、賀茂神話にあります。

 

 この御子神こそが、賀茂別雷大神であり、この上賀茂神社の御祭神です。

 

 そして、御子神の母である玉依比売命と、一族の長である建角身命が御祭神になっている神社が、下鴨神社であり、下鴨神社の正式名称は「賀茂御祖(かもみおや)神社」となっています。

 

 つまり、親子関係で言うと、上賀茂神社の御祭神は、下鴨神社の御祭神の(玉依比売命にとって)息子であり、(建角身命にとって)孫である、という事になるんですね。

 

 

 この拝殿の前に置かれている二つの砂山は「神山」を象ったものと言われていて、陰と陽の一対になっているそうです。

 

 まさに、縁結びの神様という感じです。

 

 Iさんの勧めもあって、特別拝観に申し込む事にしました。

 特別拝観と言っても、たった500円しか掛からなくて、直会殿(なおらいでん)の畳の部屋に通して頂き、ここでお祓いを受け、内庭と高倉殿(たかくらでん)に、案内して頂けます。

 

 

 まだ、直会殿の部屋に誰もいなかったので、ちょっと遊んでみました(笑)

   鞍馬山で買った天狗のお面…

 

 もしも、こんなお面をかぶった怪しい参拝客が座っていたら、神主の方は、どんな対応をするのでしょう!!

 

 もちろん、神主の方が入ってくる前に、ちゃんと面は取りましたけど…

 

 そして、この時の神主の方のお話で、なぜ上賀茂神社は「加茂」と書くのに、下鴨神社は「鴨」の字を使うのか… という疑問が氷解しました。

 

 結論を言えば、どちらでも同じという事でした。

 どちらの神社も、賀茂一族の神社であって、どうやら元々一つの神社だったそうです。

 

 どうして、下鴨神社が「鴨」になってしまったかというと、どうやら、上賀茂と混同するのを避ける為らしいです。

 

 朝廷の位階には「正一位(しょういちい)」とか「従三位(じゅうさんみ)」みたいに、色々あって、基本、正と従があって、正の方が上なのですが、これが四位以下になると、さらに上と下に分けられて、同じ四位でも「正四位上(しょうしい の じょう)」「正四位下(しょうしい の げ)」「従四位上(じゅうしい の じょう)」「従四位下(じゅうしい の げ)に分かれます。

 

 それでもって、官職と名前の前に、これを持ってくるのですね。

 

 例えば「正二位 内大臣 徳川家康」とか「従四位下 侍従 浅野長政」みたいな感じです。

 

 ちなみに、明治時代以前は、神社の神様にも、神階というのがあって、人の位階と同じように「正二位」とか「従四位下」みたいに、位があったのです。

 

 進階は、公卿の会議で議論されて、天皇陛下に奏上されて、決定がなされるのですが、神社の神様は人間と違って寿命がないので、どんどんと進階されてしまって、最高位の正一位の神様も、ザラにいらっしゃいます。

 

 それでもって、神社名の前に、この神階を持ってくるのですね。

 

 そうすると、文字で「従四位下上賀茂」とか「従五位上下賀茂」とか書かれたら、もうややこしくて、どっちがどっちだか分からなくなるので、「賀茂」と「鴨」に字を使い分けて、賀茂といえば「賀茂別雷神社(上賀茂神社)」、鴨といえば「賀茂御祖神社(下鴨神社)」にしたという訳です。

 

 ちなみに、上賀茂神社の賀茂別雷神も、下鴨神社の賀茂御祖神も、どんどん進階して、今では神階は、最高位の「正一位」まで賜っております。

 

 参考までに、熊野本宮大社の熊野坐神は「従二位」、月山神社の月山神も同じく「従二位」、白山比咩神社の白山比女神は、その一つ下の「正三位」です。

 

 正直、こんなの全然、気にしなくていいと思います(笑)

 

 上賀茂神社は、式年遷宮を終えたばかり…

 

 直会殿の畳の部屋で神主の方のお話を拝聴した後、今度は、内庭の方に案内して頂きました。

 ここの気は、本当にすがすがしくて、もう最高です。

 

 上賀茂神社の特別拝殿は、絶対にお勧めですね。

 

 その後、高倉殿の宝物を拝観して、うっとりとした気持ちになって、上賀茂神社を後にしました。

 

 京の北のみずみずしい玄武の水の気を、しっかりと体内に取り込んだせいか、ものすごく元気になりました(^^)

 

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京都はんなり旅日記 その8 ~平安神宮の情景~19.10.11

2019年10月11日(金)

 

 台風19号が、関東地方に進路を向けて、ジワリジワリと近づいてきます。

 今度の台風の前評判はすごくて、過去最強クラスの予想もつかないような、かなり、ヤバそうな代物との事…

 そんなものが上空にやって来たら、一体どうなるのだろうと思ってしまいます。

 

 天気予報を見る限り、どうやら避けて通れそうにないので、僕も極力、家に閉じこもって、溜まった仕事をこなしながら、この台風をやり過ごそうと思います。

 

 特に、河川の近くにお住まいの方や、土砂災害危険地域にお住まいの方は、本当、今の内から準備万端にして、お過ごしになってください。

 

 さてさて、僕はここ1、2ヶ月の間、首が痛くて動かなくなったり、風邪をひいたりと、これまでの自分では考えられないくらい、体調が悪かったのですが、やっとここにきて、いつもの調子に復活しました。

 

 まさに、四柱推命講座の受講生のNさんが言ってくださったように、これは僕にとってのデトックスだったと思います。

 

 その間ずっと、健康のありがたみというのを、ひしひしと考えさせられました。

 

 どんなに気合いで乗り切ろうとしても、体の調子が思わしくないと、やっぱりダメですね。

 たった一人の自営業者ですから、誰かに仕事をやってもらう訳にもいかないし、今、その分のツケで、たっぷりと仕事が溜まっています(笑)

 

 でも、もう復帰しましたから、これから思い切って、バリバリ仕事をこなしていくつもりです。

 

 という事で、ずっと、やらなきゃやらなきゃと思っていた講座の開催の告知を、ホームページ上に出しました(^^)

 

 来週の水曜日の10月16日から始まる「朝日カルチャーセンター かんたんタロット」、そして12月からの「四柱推命講座・初級編 第16期 ~日曜コース~」と、初めての試みである「四柱推命講座・初級編 大阪第1期」と合わせて、本日、前々からリクエストを頂いていた平日開催の講座「四柱推命講座・初級編 第17期 ~平日コース~」を来年2月から開催する事にしました。

 

 皆様のご参加を、心よりお待ちしております(^^)

 

 そんなこんなで、京都はんなり旅日記は、まだまだ続きます。

    一体どこまで、引っ張るつもり(^^;;

 

 今日は、古の社殿と見事な庭園が、見事に調和した京都の名所「平安神宮」の事を書こうと思います。

 

 

 平安神宮は、京都市左京区にある神社…

 二条通りか三条通りを鴨川を突き抜けて、ずっと東に行くと、神宮道と交差するので、そこを左折して北に直進したら、すぐの所にあります。

 

 この日はずっと雨…

Iさんに三条京阪の高山彦九郎像や、府立図書館を案内して頂いた後、この平安神宮に、寄ってみたんです。

 

 

 朱色で鮮やかに染められた、格調高い應天門(おうてんもん)を入ると、そこは平安神宮…

 

 ここは、平安京(京都)への遷都を実行した、かの桓武天皇を御祭神とする神社です。

 

 えっと、平安京遷都をした桓武天皇が御祭神で、しかも「平安神宮」という名前なのだから、きっと平安時代に建立された神社かな…

 

 とまあ、普通の人は考えると思うのですが…

 

 Iさんに聞いた所、この神社の建立は、比較的最近という事で、なんと、明治28年に建立されています。

 

 …って、めちゃくちゃ新しいじゃないですか(笑)

 

 明治時代、東京遷都が行われた後に、京都の街を復興させようと、古の都の象徴として、この平安神宮が創建されたという事です。

 

 そして、昭和15年、新たにご祭神として、幕末期の難局に常にお心を悩まされ続けた孝明天皇が、京都御所最後の天皇という事で、この平安神宮に祀られました。

 

 最初の計画では、京都のど真ん中である、実際に平安京の大内裏があった千本丸太町に、この神社を建立する計画をしていたらしいのですが、さすがに用地の買収ができず頓挫…

 

 仕方なく、京の中心部からは少し外れた鴨川の東側に、こうして建てられる事になったそうです。

 

 そして、平安京の正庁・朝堂院を8分の5の大きさのモデルで再現したのが、この平安神宮という訳です。

 

 

 早速、お手水で身を清めてと…(^^)

 雨が降っているせいか、人通りがすごく少ないです。

 

 平安神宮と言えば、京都の名所として誰もが知る神社ですから、普段なら観光客でごった返しているのですが、今日は少し静かです。

 

 

 広い境内を独り占めしたような、贅沢な気分です。

 

 この平安神宮は、平安京の正庁であった朝堂院を8分の5のスケールで、再現したもの…

 という事は、当時の本物の朝堂院(ちょうどういん)は、この2倍弱の大きさだったという事ですね。

 

 イメージしてみたら、あまりの大きさに、目まいがしそうです(笑)

 

 京都の街は「四神相応の都」と言って、風水で出てくる青龍・朱雀・白虎・玄武の四神が、ちゃんと配置されて、作られていると言います。

 そして、この平安神宮にも、西側に白虎楼というのがあり、東側に蒼龍楼(青龍楼)というのがあります。

 

 言うまでもなく、この白虎楼と蒼龍楼は、平安神宮のモデルである朝堂院(平安京の正庁)にも、あったものです。

 

 そして、元々の朝堂院の應天門の南側には、朱雀門というのがありました。

 さすがに、平安神宮の方は8分の5サイズとはいえ、朱雀門を作るまでの土地の余裕はなかったようですが…

 

 う~ん、残念ながら、玄武の名前だけは、どこにも見当たらないですね。

 

 まあ、京都の街がちゃんと四神に守られていますから、問題はないでしょうけど…

 

 ちなみに、京都の街の玄武は、大きく見れば、丹波高地に当たり、小さく見れば、舟岡山がそれに当たります。

 京都を守る神社で言えば、玄武に当たるのは、「上賀茂神社」となります。

 

 玄武の水の気を取りたかった僕は、舟岡山や上賀茂神社にも行っているのですが、またそれは、改めて記事に書こうと思います。

 

 

 Iさんが次に案内してくださった所は、平安神宮の中にある平安神宮神苑…

 

 明治の造園家である、7代目小川治兵衛(おがわじへえ)によって造られた名勝です。

 

 拝観料600円で、中に入る事が出来ます。

 

 

 そこは、まるで、木々の緑のシャワーが浴びているような、素敵な場所でした。

 緑色をこよなく愛する僕には、もう、たまらないです(笑)

 

 

 そして、池に浮かぶ無数の睡蓮…

 

 侘び寂び(わびさび)というか、心がしっとりとする世界です。

 

 

 この景色は、見る季節によって、全く別の物になってしまうのでしょうね。

 

 当たり前のようですが、これこそが、四季がある日本ならでは自然の姿…

 

 

 それにしても、この大自然と建物との調和が見事です。

 

 この静けさというか、その景色の中に、奥深くて豊かなものが感じられると言いますか…

 

 

 何と言ったら良いのでしょう。

 心がものすごく、満ち足りてくるのを感じます。

 

 

 石がいっぱい出っ張っていて、転びそうな所を抜けて、池の淵まで行ってみました。

 

 この平安神宮神苑の池の水は、琵琶湖の水から水路で引き込んでいるので、淡水魚や貝など、琵琶湖の生態系が同じような反映されているとの事…

 

 大きな鯉も泳いでいるし、他にも、ニゴロブナ、タナゴ、モロコ、ヨシノボリなどが生息しているそうです。

 

 

 晴れた日は晴れた日で、また、さわやかなのでしょうけど、こんな雨の日は、またそれはそれで風情がある…

 素敵な夢を見ているような気分です。

 

 

 これが東神苑(とうじんえん)

 そして、この建物を、泰平閣(たいへいかく)と言います。

 

 ここには、鯉にやるエサのお麸(ふ)が50円で売っています。

 

 

 いつもは、食欲旺盛の鯉がたくさんいるみたいなのですが、この日は雨のせいか、お麸を池に撒いても、何も寄ってきません。

 

 風が強いので、力一杯、お麸を向こうの方に投げても、風で戻ってきてしまいますね。

 

 悔し~い!!

 

 

 …と思ったら、さっき僕の撒いたお麸を目掛けて、何か大きなものがやってきました。

 

 一体何なんだろう… と思ったら…

 

 

 大きな亀でした!!

 

 鯉よりも、こっちの方が大物かも知れません。

 食べるつもりは、ありませんけど…

 

 亀と言えば、玄武です。(玄武は、足の長い亀に蛇が巻き付いているイメージの霊獣)

 

 これで、平安神宮の四神が全て揃いました(笑)

 

 玄武と言えば、方位は北、五行では水の極みです。

 僕の四柱推命の命式にとって、今、一番欲しかった五行です。

(内格ではなく、従旺格を目指しているので…)

 

 何だか、幸先がいいです(^^)

 

 平安神宮を出て、三条通りを歩いていると、一つの石碑がありました。

 

 

 何と、ここが坂本龍馬とお龍の結婚式場だったのですね。

 晴れて、二人は、この場所で夫婦の盃をあげたのかと思うと、感慨深いです。

 

 それにしても、この日は何だか縁起が良い一日でした。

 

 3ヶ月たった今でも、この日の平安神宮の情景が、しっかりと心に焼き付いています。

 

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京都はんなり旅日記 その7 ~七条界隈放浪記~19.10.03

2019年10月3日(木)

 

 いよいよ10月に入って、街もすっかりと秋らしい装いになってきました。

 なぜか今年の秋は例年になく暖かくて、寒いのが苦手な僕にとっては、何気にありがたいですが…

 

 そうか… 京都にいた時の夏の思い出は、もう3ヶ月も前の事なのかと考えたら、なんと、月日の流れは速いのだろうかと、実感せずにはいられません。

 

 この3ヶ月の間、いろいろな事があったのですけど、「何だかすごく忙しかった」という印象しか残っていなくて、何をやっていたのか、きちんと思い出せないんですね。

 

 それなのに、なぜか不思議と、京都にいた時の記憶は、割と鮮明に覚えていると言いますか…

 

 きっと、あの体験は、僕の人生の中において、ものすごく深い意味を持つものだったのだろうと思う。

 

 僕が京都でずっと滞在していたマンスリー・マンションは、七条の一橋宮ノ内町という所でした。

 

 

 マンションから出て、駅へと向かって道を歩いていくと、道の両側には、昔ながらの風情がある木造の住宅が立ち並んでいて、幼い頃の思い出の古い街並みを思い出して、懐かしい気持ちになります。

 

 そして、最寄り駅の七条駅は、鴨川に掛かっている七条大橋に面していて、そこから鴨川の流れを眺める事が出来ます。

 

 ちなみに、七条は「ななじょう」と呼ぶのが正しいのか、「しちじょう」と呼ぶのが正しいのか、最初すごく悩んだのですが、どうやら、どっちでも良いみたいです(笑)

 

 周りの人も「ななじょう」と呼んでいる人もいれば、「しちじょう」と呼んでいる人もいるんですね。

 

 京阪電鉄では「しちじょう」と呼んでいたので、僕は、やっぱり「しちじょう」が正解だと思ってしまったのですが、市バスに乗ってみたら、停留所のアナウンスは「ななじょう」でした。

 

 あれ、でも「丸竹夷」の唄(「三条通り散策記」参照)だと、七条を「ひっちょう」って唄っているんですよね。

 

 何だか、気持ち悪いのでネットで調べてみたら、面白い記事が出てきました。

 「七条通り/京都速報 ~「ななじょう」「しちじょう」どっち?~

 

 なるほど… すごく勉強になりました(^^;;

 

 

 七条大橋の上から、鴨川をのぞいてみたら、川岸にコサギがじっとたたずんで、水辺にその姿を映していました。

 

 京のコサギの優雅な姿に見とれながら、七条界隈をちょっぴり放浪してみました。

 

 京都に滞在している間、食事はほとんど、七条駅の近くにあるマクドナルドか、ラーメン屋「坊歩」で、済ましていました。

 

 いつも、ラーメン屋で食事をして、レジでお金を払う時に、お店の人が「おおきに」って言ってくれるのが、すごく好きで、「京都っていいなあ…」なんて思いながら、はんなりとしていました。

 

 もちろん、コンビニで何か買って、マンションで食べる事もありました。

 

 そうそう、それでその日は、最初コンビニに行くつもりで、家に出たのです。

 

 昔の僕のブログを読んでいる人はご存知の通り、僕はものすごく方向音痴なので、コンビニに行くつもりで、どこでどう道を間違えてしまったのか、気づいたら、昭和時代のエッチな映画館(しかもそれは、なぜか2Fはデイサービスになっているという、とてもシュールな建物だった…)に出てしまって、気まずくて、慌てて反対方向に駆け出してみたら…

 

 

 なんと、そこは、「三十三間堂」でした。

 嘘みたいな本当の話です。

 

 つまり、僕の住んでいるマンションから、三十三間堂は徒歩10分も掛からない場所にあったのですね。

 ちなみに、エッチな映画館もですが(笑)

 

 蓮華王院 三十三間堂… 偶然とはいえ、せっかく来たのですから、中に入らない手はないです。

 

 

 拝観料は600円…

 

 三十三間堂は、後白河上皇によって御所に造営されたのが、その始まりと言われています。その見どころは、1001体の千手観音像…

 

 撮影禁止となっていたので、写真ではお見せ出来ないのですが、もう圧巻という以外はありませんでした。

 

 ただ、僕にとって、ここは初めての場所ではないんです。

 

 ずいぶん昔、幼い頃に、おぼろげにここに来た記憶があります。

 

 その時に「自分に似ている観音様がこの中にいるから、探してみて」みたいな話を聞いて、一生懸命探そうとした覚えがあるんですね。

 

 改めて、こうして千手観音像を見てみると、1001体それぞれに微妙にお顔が違っていて、でも、どの観音様も本当に慈悲深くて優しそうで…

 

 40年ぶりに、この場所に来てみて、子供の頃とは、まるで違った印象を受けました。

 

 端から端までゆっくりと、千体もの観音様を拝んでいたら、もしかしたら我々の目にふれない所で、本当にこんな風にたくさんの観音様が、一生懸命我々を導いてくださっているのではないか… って、大真面目に感じました。

 

 僕らは、その観音様を見る事も感じ取る事も出来ないから、わがまま放題しているけど、それでも全部受け入れてくださって、一生懸命導いてくださっている…

 

 そしたら、ちょっぴり涙が出そうになりました。

 

 う~ん、まあこれは単なる想像ですし、「おめでたい空想してる奴だな…」って、思われるかも知れませんけど…

 

 

 これは、南大門と太閤塀…

 かの豊臣秀吉が、築いたもので、国の重要文化財にもなっています。

 

 秀吉が方広寺を建立した時に、三十三間堂も、その方広寺の敷地内に含まれていたので、この門と塀が建てられる事になったそうです。

 

 

 しばらく、三十三間堂の境内を散策して、外に出ようとしたら、ジュースの自動販売機を見つけました。

 

 このコカ・コーラ、いつものコカ・コーラと違います。

 なんと、京都仕様となっています!!

 

 250mlで、160円です。

 ちょっと、高いですね。

 

 買おうかどうしようか、少し迷いましたが、高いのでやっぱ、やめておきました(笑)

 

 三十三間堂を出て、でたらめに歩き回ってみたら、ある神社に行き着きました。

 

 

 豊国神社…

 いわずと知れた豊臣秀吉の神社です。

 

 なんか、今日は秀吉に縁がある日だなあ… と思いながら、参拝させて頂きました。

 

 

 太閤・豊臣秀吉らしく、豪華絢爛というイメージでした。

 

 僕はご存知の通り、家康びいきの人間なので、豊臣秀吉については、好きでも嫌いでもないです。

 

 前にもブログで書いたのですが、若い頃の秀吉は好きで、天下を取ってからの秀吉は大嫌いというのが本当の所です。

 (2012/7/29 パリ・ブログ 「気配りの優しい英雄」 参照)

 

 三十三間堂から、豊国神社に来るまでに、「耳塚」という慶長の役の犠牲者の為に建てられた五輪塔が思わず目に入ってしまったのですが、天下を取った後の秀吉による、慶長の役、そして関白秀次の一族の三条河原の公開処刑のやり方は、どうしても、受け入れられないんですね。

 

 

 境内の秀吉像…

 今から430年前に、裸一貫から立ち上がって、戦国時代を終わらせ、この国の天下を治めた偉人…

 

 とにかく行動が素早くて、類まれなる知恵と、人を虜にする魅力を持った天才です。

 

 

 境内には、ひょうたんが成っていました。

 

 秀吉と言えば、千成びょうたん…

 

 織田信長の美濃の斎藤龍興攻め時、秀吉が瓢箪を高く掲げて、合図を送った功績を信長に認められ、その報酬として金の瓢箪を与えられ、瓢箪を馬印にする事を許されたと言われています。

 

 

 この立て札には、この豊国神社の由来が書かれていました。

 

 慶長3年に亡くなった豊臣秀吉は、遺命により、東山の阿弥陀ヶ峯に埋葬され、後陽成天皇より、正一位の神階と豊国大明神の神号を賜り、広壮豪華な廟社が造営されましたが、その廟社は徳川幕府により、廃祀されてしまいます。

 そして、社殿がこの地に再建されたのは、明治13年の事だったようです。

 

 家康、秀吉の廟社を壊しちゃったんですね…

 

 少し考えさせられる気持ちになりながら、豊国神社を出て、おそらくこの近くにあるであろう「方広寺」に行ってみようと思いました。

 

 方広寺といえば、かの有名な「方広寺鐘銘事件」のお寺です。

 

 三十三間堂の中の太閤塀が、元々、方広寺の敷地内にあったものだというのなら、方広寺は、必ずこの辺りにあるはずなのですが…

 

 どこにも、見当たりません。

 

 Googleの地図で調べてみると、方広寺は目と鼻の先のようなのですが、それらしき立派なお寺がどこにもないのです。

 

 モタモタしている内に、雨が降ってきてしまいました。

 出掛けた時には、晴れ渡っていたというのに、本当、京都の天気は変わりやすいです。

 ここの所、ほぼ毎日、必ず雨が降っている気がしますね。

 

 僕はいつも、バックの中に折りたたみ傘を入れているので、あわてて折りたたみ傘を広げたのですが、あまりにも激しく雨が降って来るので、軒先にでも隠れさせてもらおうと、細い小道に入りました。

 

 そうしたら、その小道の先が小さなお寺になっている事に気づきました。

 

 まさか、この小さなお寺が方広寺なんて事は…

 

 そのまさかでした(笑)

 

 あの有名な方広寺は、今では、小さな本堂と鐘の鐘楼しかありませんでした。

 

 豊国神社のすぐ隣だったのですが、あまりにも小さいので、全く気づけませんでした。

 

 

 例の鐘の銘、見つけました。

 

 鐘はそのまんま、吹きさらしの外に、普通に放置されていました。

 

 さすがにこれを盗む人はいないでしょうけど、こんな風に外に放置して、いたずらされたらどうするのだろうかと、余計な心配をしてしまいました。

 

 「国家安康」「君臣豊楽」…

 ちゃんと書いてありますね(笑)

 

 この「国家安康」は、家康という言葉を「安」という言葉で、真っぷたつに切った冒涜であると、徳川方は豊臣方に文句をつけ、これが発端となって、大阪冬の陣、夏の陣へと発展していきます。

 

 これ、今の時代の常識からしたら、言いがかりとしか思えないし、徳川家康という人は何て強引で狡猾な人間なんだ、と思われても仕方ありません。

 

 でも、一応、家康の名誉の為に言い訳しておくと、当時の時代の諱(いみな/本名の事)に関する常識からして、「家康」という名前を二つに切ったかどうかは、そんな重要ではないのですが、当時の天下人の、しかもあろう事か下の名前の文字が、こんな風に丸々、こういう鐘に刻む文言の中に組み込まれてしまう事自体、あまりにも軽率過ぎて、ちょっと考えられない事なんですね。

 

 漢字文化圏では、諱で呼びかける事は親や主君などのみに許され、それ以外の人間が名で呼びかける事は、極めて無礼であるというのが常識でした。

 

 特に、天下人の諱の漢字であれば、ことさら慎重に扱います。

 ところがこれは、四文字熟語の中に、丸々「家」と「康」というのが入ってしまっている訳ですから、いくら何でも、これはマズいです。

 苗字の「徳川」とかだったら、まだマシなのですけど、下の名前ですから…

 

 当然、日本にも中国にも、過去にはそんな前例はありえないし、建仁寺、東福寺、天龍寺などの住職からは、その文言を考えた僧の清韓に対して、「天下人の諱を文言に入れるなんて、あってはならない」、と非難が来ています。

 

 例えるなら、淀君が「おのれ~、家康め~」って、大声で叫んでいるのが、徳川方の誰かに聞かれてしまった… というのと同じレベルの失態です。

 

 それで、問い詰められた文言を考えた僧・清韓はどう申し開いているかというと、「家康という言葉と、豊臣という言葉を、あえて文言に入れて、その威光が現れる事を願った」と弁明しています。

 

 つまり、当時の常識からして「気にしないで、うっかり名前、入れちゃいました…」なんていう、言い訳ができない大失態なのですね。

 もしも、そんな言い訳をしたら「家康なんて、天下人として認めていないから、どうだっていいんだ」と言っている事になってしまいます。

 

 ところが、さっきの弁明も、かたや「家康」という下の名前で、かたや「豊臣」という苗字だから、「家康を卑下して、豊臣を持ち上げているのではないか…」と言われても、仕方がない部分はあるんです。

 

 まあ、それでも、家康が「いいよ、いいよ、それくらい…」と広い心で大目に見れば、戦さにまではならなかったのでしょうけど、家康は家康で、それまでの豊臣方の態度(特に淀君の態度)には、耐えかねるものがあったのだと思います。

 

 すっかり話がそれてしまいました(笑)

 

 それにしても、太閤秀吉が建立したという方広寺の巨大な大仏殿跡というのは、一体どこに行ってしまったのだろう… と思っていたら、どうやら、大仏殿跡緑地公園というのが、このすぐそばに、あるようです。

 

 発掘調査によると、当時建てられていた大仏は、全高18mという、東大寺大仏殿をもしのぐ巨大な大仏であったそうです!!

 

 この大仏は、伏見台地震で倒壊、秀吉の死後6年した慶長6年に放火により焼失するも、豊臣秀頼により、再興されました。

 

 ところが残念な事に、江戸時代の寛政10年、落雷による火災により、焼失してしまいました。

 

 秀吉の建立した奈良の大仏をしのぐ巨大大仏が、今も京の街に残っていたら、きっと、清水寺や金閣寺・銀閣寺と並ぶ、京都の名所になっているであろう事は、間違いないと思います。

 

 方広寺を出て、しばらく歩いていたら、いつも使っていたコンビニのファミリーマートを見つける事ができました。

 

 京都の街で見かけるのはコンビニは、圧倒的に「ファミリーマート」が多くて、「セブンイレブン」や「ローソン」は、ほとんど見かけません。

 

 いつものように、ポカリスエットと六条麦茶を買って、七条のマンションに帰り、濡れた傘を広げてから、ベッドの上で少し横になって、歩き疲れた体を休めました。

 

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