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京都はんなり旅日記 その3 ~三条通り散策記~19.08.19

2019年8月19日(月)

 

 お盆を過ぎたというのに、ここの所、猛烈に暑い日が続いています。

 皆様、いかがお過ごしでしょうか。

 

 今年は、梅雨が長引いていたせいか、7月の下旬までは、すごく過ごしやすくて、「何か夏らしくない」と思ったほどですが、今頃になって、急に暑くなった様な気がします。

 

 まあ、僕はそれでも、この夏という季節は嫌いではないのですが、ここの所、部屋のエアコンをしっかりと効かせて、時間に追われながら、山積みの仕事に取り掛かっています。

 

 次回の25日の上級編講座の時に「改訂版のテキストが、間に合っていなくて、本当にごめんなさい!!」などと、前回と同じセリフは言えないですから(笑)

    と、ここで宣言した限り、もう絶対に、言い訳できませんね…

 

 他の仕事は、極力後回しにして、クーラーを利かせた部屋にこもって、せっせと頑張っています。

 

 僕が、この京都に滞在していた期間は、7月10日から7月27日までの18日間…

 まだ、梅雨が、完全に明けきっていなかった時期でした。

 

 だから、京都では、ほぼ毎日、雨が降っていました。

 もちろん、朝から晩まで雨という日は、時々しかなかったですけど、だいたい1日に1回は雨が降ってきましたね。

 

 京都は、雨のせいで全然暑くなくて、とても過ごしやすかったです。

 

 京都から東京に帰ったのが、7月28日でしたが、その頃から、急に暑くなって、「京都は、本当に過ごしやすかったのに、東京というのは、何て暑いんだ…」と思ったのを、覚えています。

 

 本当は、京都の夏の方が、キツいはずなんですけどね。

 何せ、京都市は盆地ですし、埼玉の熊谷市、岐阜の多治見市と並んで、日本で夏に最も気温が上がる、三大都市の一つですから…

 

 京都でお世話になっているIさんからは「浅野先生が京都に来はってからは、ずっと雨ばっかどすなぁ…」と言われるほどに、本当、まるで、僕が雨男ではないかと、疑われてしまうほどに、雨ばっかりでした(笑)

 

 それで僕は、来る日も来る日も、雨に降られながら、「この京都の街は、泣いているのかも知れない」なんて、ちょっぴりポエムチックに、思ったりもしたんです。

 

 というのも、僕の方で一方的に、この京都の街を恨んでいたからなんですね。

 別にこの街は何も悪くないのに、僕の方から勝手に、二度と来たくないと思っていたといいますか…

 

 そんな僕の心を知って、こうやって仲直りできた事に、京都の街は、涙を流して喜んでいるような風に感じたんです。

 

 とはいっても、それはそのまま、僕の心の中の心象風景であって、この京都の街と和解できた事に、心の中で涙を流していたのは、多分、僕の方なんでしょうけど…

 

 Iさんから前もって、この街での暮らし方をレクチャーしてもらったので、18日間の京都滞在の間、すごく効率的に、あちこち移動したり、必要な用事を済ませたりする事ができました。

 

 京都という街は、碁盤の目のようにできていて、街の呼び名は、まるで将棋の棋譜のように、縦と横の名前の組み合わせで出来ているんです。

 

 

 細かい行き止まりなんかは省略して、かなり大雑把な地図にしていますけど、だいたい、上のような感じです(^^)

 

 将棋なんかですと、「☗7六歩、☖3二金(悪手 …振飛車される)」みたいに、縦と横の数字で、駒の位置を特定するのですけど、京都の街も、まさにこんな感じで、「烏丸御池」とか、「四条大宮」とか、縦と横の2つの通りを合わせた地名によって、その場所がだいたいどのあたりかが、わかってしまうのですね。

 

 この地図には載せていないですけど、寺町よりも東にも、新椹木町通、河原町通、木屋町通、川端通…と、東大路通まで続いています。

 このあたりになると、鴨川が流れているせいか、完全に碁盤の目には、なっていないようですけど…

 

 ちなみに僕が住んでいた所は、「七条川端」ですし、今回、四柱推命講座の会場をお借りした、メガネ屋さんのコルメ京都(kolme kyoto)の場所は、「三条柳馬場」です。

 

 つまり、コルメ京都に行くには、三条通を、柳馬場通の方向へずっと進んでいけば、たどり着けるという訳ですね。

 これは、Iさんから教えて頂いた事の受け売りですけど…

 

 「姉(あね)さん六角タコにしき…」という、あの聞き覚えのある手毬歌(てまりうた)は、「丸竹夷(まるたけえびす)」という題名なのですけど、姉は「姉小路通」、さんは「三条通」、六角は「六角通」、タコは「蛸薬師通」で、にしきは「錦小路通」という事なんですね。

 

 丸竹夷二押御池、姉三六角蛸錦、四綾仏高松万五条、雪駄ちゃらちゃら魚の棚、六条三哲通りすぎ、七条越えれば八九条、十条東寺でとどめさす♪

 

 この謎めいた歌は、それだけでミステリアスなので、「名探偵コナン」の映画のテーマに出てきたりとか、古くは、「必殺仕事人Ⅴ激闘編」の時代劇のストーリーの中に出てきたりとか、色々と、取り上げられますが、実は、京都市の東西に走る通りを、北から南に順に唄ったものだったのです。

 

 Iさんから、僕が「七条川端」にあるマンションから、講座会場の「三条柳馬場」まで、無事に行けるように、しっかりとレクチャーして頂きました。

 

 僕のマンションの最寄り駅「七条」は、京阪電鉄の駅…

 

 僕が、東京でいつも利用している丸の内線の電車の中に、たまに、下のような京阪電鉄の広告が貼られるんです。

 

 

 今回、京都に行ってみたのですが、残念ながら、こんな大勢の舞妓さんがプラットホームに立ち並ぶ風景は、一度も目にする事は、ありませんでした(笑)

    この広告によって、関東圏の住人は、あらぬ妄想を抱きながら、京都に来る事となる…

 

 僕のマンションの最寄り駅「七条」から「三条」まで行こうと思ったら、この京阪電車で一本で行けます。

 

 本当、今回の京都滞在は、京阪電車のお世話になりました。

    おけいはん、おおきにどす…

 

 

 …という事で、いきなりですけど、三条駅に着きました(^^)

 

 三条周辺には、いろいろなものがありますが、名所と言えば、やっぱりこれ…

 

 

 村野大衡先生も、ブログの記事の中で紹介していましたが、これぞ勤王の志士・高山彦九郎像です。

 

2019.7.28. ほのぼの占い師 “村野大衡”ブログ「風雲児たち

 

 実を申しますと、僕は恥ずかしながら、この像を見るまで、高山彦九郎がどういう人なのかという事を、全く知りませんでした。

 

 高山彦九郎は、寛政時代に活躍した「勤王志士の元祖」と言っても良い人物で、後の時代の志士である吉田松陰らに、多大な影響を与えた勤王志士です。

 

 ちなみに、地元の若い人達には、この像は「土下座」と呼ばれているとの事…

 例えば「今度の土曜日さぁ、三条京阪の『土下座』の前で待ち合わせね~」みたいに、呼ばれるそうです。

    高山先生~ せんないねぇ ううっ(涙) By 吉田松陰

 

 ちなみに、高山彦九郎さんは、決して土下座をしている訳ではなく、帝の住まう京都御所に向かって、拝礼をしているのですが…

 

 Iさんから、三条駅周辺の施設を、いろいろと案内して頂きました。

 

 

 これは、京都府立図書館です。

 

 図書館ですから、たくさんの本が置いてありますし、自習室もあります。

 だから、本を調べながら、仕事をしたい時には、最高の場所なのですが、今回はなかなか時間の余裕ができず、この時一回だけ行ったきり… となってしまいました。

 

 そして、歴史通には、たまらない場所がここ…

 

 

 明智光秀の首塚です。

 

 とは言っても、この下に光秀の首が埋まっているというのは、かなり疑わしいですけど…

 

 明智光秀は、本能寺の変で織田信長を討った後、羽柴(豊臣)秀吉に、山崎の合戦で敗れ、坂本城に落ち延びる途中、落武者狩りの野武士に竹槍で刺され、死亡した事になっています。

 とはいえ、光秀の最期は、諸説あって判然としないのです。

 

 

 これは、三条を横切る白川…

 風情ある、柳並木が魅力的です。

 

 京都を流れる川には、鴨川、高瀬川、白川と3つありますが、鴨川は大きな川ですが、白川と高瀬川は、簡単に向こう岸にわたれるような小川です。

 

 という訳で、三条駅から、四柱推命講座の講座会場がある三条柳馬場のコルメ京都まで、行ってみました。

 

 

 まずは、この三条名店街の中に、入ってですね…

 

 そこから10分ぐらい、ひたすら真っすぐ進み、商店街を抜けて、左側にあるYMCAのビルの角を曲がると、そこは三条柳馬場通り…

 

 最初にコルメ京都に行った時は、最寄駅の烏丸御池から、地図を見ながら、迷いつつ行ったのですが、こんな簡単に行ける方法があったとは!!

 

 

 そして、ながいつばささんが勧めてくれた、喫茶店「イノダコーヒー」が、なんと、コルメ京都の目と鼻の先にありました!!

 

 講座の始まる前に、つばささんお勧めのモーニングセットを食べて、腹ごしらえしようと、入ってみました。

 

 

 すごく、おしゃれで豪華なモーニングセットに、度肝を抜かれました!!

 味も、最高に美味しいです。

 

 一人でフラフラと喫茶店に来て、こんな贅沢をしていていいのか… と思うほどに、美味しかったです(笑)

 

 もしも、誰かと大切な人と一緒に朝食をするのなら、絶対にこれはお勧めです。

 

 腹ごしらえも、しっかりとしてと…

 

 

 講座開始の時間まで、まだ少しあります。

 

 せっかくだから、お世話になっているコルメ京都で、眼鏡を作ってもらおうと思い立ちました。

 

 実は僕、最近、近くの文字が見えなくて、本を読もうとすると、字がかすむのです。

 少しだけ本を、目から離すと、見えるのですが…

    これ、老眼じゃないですよね …いや、明らかに老眼の症状です(涙)

 

 だから、ずっと、いつか眼鏡が欲しいなあ… と思っていました。

 

 店長さんに相談して、すぐに目の検査をしてもらい、初めてのMy眼鏡をオーダーしました。

 

 そして、できあがって来た眼鏡がこれ…

 

 

 この眼鏡を掛けたら、本を読む時、漢字のフリガナまでしっかりと見えるようになりました。

 コルメ京都の店長さん、ありがとうございます!!

 

 でも、近く専用で度数を合わせてあるので、掛けたままだと、危なくて道を歩けません(笑)

 

 

 さて、四柱推命講座のお時間…

 

 集まってくださった皆様、本当に本当にありがとうございました。

 

 今、京都での事を振り返ると、本当に夢のような、はんなりとした優しい気持ちになります。

 

 あの三条通りの界隈に、いつかまた、行きたいです!!

 

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京都はんなり旅日記 その2 ~銀閣寺(慈照寺)巡り~19.08.11

2019年8月11日(日)

 

 まだまだ外は暑いですが、暦の上では立秋を過ぎて、いよいよお盆休みです。

 とはいえ、あまり僕には関係なくて、休みとは縁遠い生活を送っています。

 

 仕事が山積みになっている時、あまり時間を無駄にしないで、気分転換をしながら仕事をするにはどうしたらいいかと言うと、たくさんの仕事を、根詰めないで、替わりばんこにやるのが、意外と良いようような気がします。

 

 そうする事で、仕事に飽きが来なくなりますね。

 たまに、京都やヨーロッパに行った時の楽しい思い出に浸ったりしています(^^)

 

 野尻泰煌先生が勧めてくださった「慈照寺(じしょうじ)の東求堂(とうぐどう)」を訪れたのは、まだ京都旅行をして、日が浅い頃でした。

 

 慈照寺というと、イメージが浮かばない人も、いるかも知れません。

 実は僕も、野尻先生から、この名前を聞いた時には、すぐにわからなかったのですが、これ、銀閣寺の正式名称なんです。

 

 そもそも、「銀閣寺」という名前は、後々の世になって、作られた名前です。

 とはいえ、今では、銀閣寺という名前の方が、一般的ですが…

 

 銀閣寺は、京都の東山にあって、僕の京都でのマンションがある七条からは、バスで一本で行けます。

 

 いつもは、観光客ですごい人だかりのようですが、たまたまその日は雨で、人も少なく、はんなりとした気分で、銀閣寺に行きました。

 

 

 銀閣寺に着くと、目の前に案内図がありました。

 この案内図で、「東求堂」を探すと、境内の真ん中あたりにある事が分かります。

 

 ちなみに、銀閣寺の対をなす寺として、金閣寺(鹿苑寺(ろくえんじ))があります。

 

 僕は子供の頃に、母に連れられて、金閣寺にも銀閣寺にも行った記憶が、かすかにあるのですが、細かい所の記憶は、ぼやけています。

 

 金閣寺は、室町幕府三代将軍・足利義満によって建立され、建物の内外に金箔が貼られている豪華絢爛な建築物として知られる寺…

 

 戦後もしばらくの間は、当時のままの金閣寺が存在していて、国宝になっていたのですが、昭和25年見習いで勤めていた僧侶による放火により、焼失してしまいました。

 その話は、三島由紀夫の小説「金閣寺」や、名作と言われる映画「炎上」のネタ元にも、なっています。

 

 現在は、昭和30年に再建された、新しい金閣寺が建っています。

 国宝ではなくなってしまいましたが、新しくてピカピカの金色に輝く金閣寺が池に映る姿も、また見事で、平成6年にユネスコの世界遺産に認定されています。

 

 一方の銀閣寺は、八代将軍・足利義政が建立した当時のそのままの姿であり、言わずと知れた日本最大級の国宝…

 

 たまに、銀閣寺は元々建物の内外に銀箔が貼られていて、時代と共に剥がれ落ちてしまったように錯覚している人もいますが、銀閣寺には最初から、銀箔なんて貼られていません。

 

 銀箔なんか貼られていなくても、それ以上の美しさがあるんですね。

 

 そう考えると、後の世につけられた「銀閣寺」という呼び名は、少し誤解を招きかねない呼び名のような気もします。

 

 奥ゆかしい総門をくぐって、中へ…

 

 

 いきなり、目に飛び込んでくるのは、プリンのような謎の砂のかたまり(笑)

 

 この巨大なプリン(失礼…)の正式名称は、「向月台」と言います。

 

 向月台が、何のために作られたのかは、少々謎ですが、これは、当初の室町時代からあったものではなく、江戸時代の初期に、追加で造営されたものらしいです。

 何でも、月を鑑賞するためだとか、月の光を反射させるためだとか、いろいろと言われています。

 

 

 ふと、総門の方を振り返ると、小さな祠があります。

 

 これが「八幡社」と呼ばれる寺内の祠で、この祠は、銀閣寺の鎮守社とも言われています。

 

 

 向きを変えると、見事なまでの砂の庭の芸術…

 

 「銀沙灘」と呼ばれる、銀色の砂で表現した水の流れ(灘)です。

 

 そこをさらに奥に進むと…

 

 

 目的の東求堂は、そこにありました(^^)

 

 野尻泰煌先生が、京都に行くなら、絶対に見るべきだとおっしゃった東求堂…

 

 まさに、侘び寂びの境地のような場所でした。

 

 

 さらに奥に行ってみると、そこには「お茶の井(義政公お茶用の湧水)」がありました。

 

 ここで、足利義政は、お茶用の湧き水を汲んでいたのか…

 

 そう思うと、なんとも感慨深くなりました。

 

 足利義政と言えば、応仁の乱…

 

 ちなみに今回、僕が京都に来た時に、強烈なキャッチコピーで、売り出されているお菓子がありました。

 

 それは、「ブラックサンダー」

 

 

 何と「応仁の乱以来の衝撃!!」のお菓子です。

    なんやねん、それ…

 

 このキャッチコピーは、この京都の地でなければ、通用しません(笑)

 

 このフレーズを考えた人、すごいと思います。

 

 応仁の乱を一言で言えば、足利義政の後継者問題によって起こった乱で、この乱によって、戦国時代が始まりました。

    それを最終的に終わらせたのが、徳川家康…

 

 だから、足利義政といえば「無能」とか「無責任」の烙印が押されがちですが、それだと、ちょっとだけ、義政が可哀そうかも知れません。

 

    ↑ 足利義政

 

 この人、最初は、必死になって室町幕府の威信を取り戻そうと頑張ったんです。

 途中で、力尽きてしまいましたが…

 

 大体、室町幕府は、絶頂期を極めていた三代将軍・足利義満の子で、四代将軍になった義持が長期政権を取っていた頃から、少しずつ根幹がゆらぎ始めていました。

 

 足利義政の父で、六代将軍についた足利義教は、くじで決められたような将軍でしたが、何とか幕府の威信を取り戻そうと強権政治をもくろむも、逆にそれが仇になって、赤松満祐によって、だまし討ちにされています(嘉吉の乱)

 

 その頃から、すでに室町幕府では、将軍以上に、管領家である細川氏や、赤松満祐を討ち取って主君の仇を討った山名氏が、力を持つようになっていましたし、この細川氏や山名氏は、ちょっと気に入らない事があったら、将軍の言いつけにも従いませんでした。

 

 こんな状態の時に、足利義政が八代将軍になって、何とかしようと思った所で、そう簡単に幕府の威信は復活しないです(笑)

 

 最初は、何とかしようと頑張っていた足利義政も、その内に疲れちゃったんですね。

 自分の子供が幼くして亡くなってしまった事も、きっかけになって、もう政務をとるのも嫌になったので、唯一の実弟で、すでに出家していた義視に、何度も頼んで、還俗してもらい、弟を後継者にする事にしました。

 

 ところが、そんな折に妻の日野富子が、再び出産します。

 

 日野富子は、義政から恐妻と恐れられるほどの勝気な女性ですから、当然、自分の子供(後の足利義尚)を、後継者にしようと画策します。

 

 ここで、義政がハッキリと、義視か義尚のどちらかにさっさと将軍職を譲る事を約束すれば良かったのですが、弟にも妻にも嫌われたくない優柔不断なこの人は、どちらにもその約束をしないで、うやむやにしていました。

 

 弟の義視からは「兄さん、オレせっかく還俗したのに、一体どうしてくれるんだ」という感じに言われるので、「ごめんごめん。ちゃんとお前の事、後継者にするからさ…」みたいな感じで、管領の細川勝元を、弟の義視の後見人にしました。

 

 おりしも、守護大名の細川氏と山名氏が対立を深めていく中の事…

 義政の妻の日野富子は、息子(足利義尚)を将軍にしたいので、山名宗全に、後ろ盾になってもらうように頼みます。

 

 ここで、「足利義政+足利義視+細川勝元 VS 足利義尚+山名宗全」という構図ができあがるのですが、これだと明らかに、前者(義政・義視・細川チーム)の方が優勢ですから、この時点で何もなければ、乱にはならなかったと思います。

 

 ところが、その後、足利義政は、昔、自分の腹心だった伊勢貞親という人を、復職させて仲間に入れようとしました。

 この伊勢貞親という人は、義政の息子の義尚擁立派で、弟の義視に謀反の罪を着せて殺そうとした経緯もあり、義政がこの男を復職させた事に腹を立てた義視は、義政の元を離れ、比叡山延暦寺に出奔してしまいました。

 

 その結果、義視の後見人にされた細川勝元も、義視擁立の立場から義尚擁立に立場を180度変え、逆に、山名宗全は、今までは義尚派でしたが、出奔した義視を自軍に迎え入れると、義視派にひるがえりました。

 つまり、この人達は、味方として組む相手なんて、誰でも良いんですね(笑)

 

 結果的に「足利義政+足利義尚+細川勝元 VS 足利義視+山名宗全」という形になって、血で血を洗い、京都を焼け野原にする応仁の乱が開始されたのでした。

 

 とはいえ、実際に血みどろになって戦っているのは、細川氏や山名氏といった大名で、将軍の足利義政は銀閣寺に籠って、ずっと庭を造営しているし、弟の足利義視は、戦いを逃れて美濃に亡命した後、最後は、兄の義政や義姉の日野富子とも仲直りしています。

 

 だいたい、後に十代将軍になる足利義稙は、足利義視の息子です。

 

 

 お茶の井を見た後、小高い丘に登ってみました。

 

 ここに登ると、京都の街の様子が一望できます。

 

 足利義政という人は、京都に甚大な被害をもたらした「寛正(かんせい)の大飢饉」の時も、猿楽や酒宴に興じ、ずっと「花の御所」を改築したり、邸宅や庭園の造営をしていました。

 後花園天皇が、その事を勧告したにもかかわらず、それを無視し続けたと言います。

 

 応仁の乱が起きた当時、戦火にまみれて、火の手が上がっている京都の街が、おそらく、この丘から見て取れたでしょう。

 

 この戦いの最中、京都の民衆があえぎ苦しんでいる間も、そんな事は気にも留めず、義政はずっと、庭園の造営や和歌に夢中になっていた…

 

 丘から下を見下ろすと、そこに、銀閣寺(観音殿)がありました。

 

 

 豪華絢爛な金閣寺と違い、決して、銀粉なんて貼られていない、侘び寂びの寺…

 

 

 そこは、まるで新緑のシャワーを浴びているような、血塗られた争いとは無縁の世界…

 

 

 これは、銀閣寺の洗月泉…

 

 まるで、全ての俗世の垢を洗い流してくれるような素敵な場所でした。

 

 

 下に下りて、改めて見る銀閣寺(慈恩寺)…

 

 この銀閣寺という風景の中で、足利義政は一体何を思っていたのだろう…

 

 しばしの間、ずっと考えていました。

 

 足利義政という人の生き方は、現実逃避で無責任、決して褒められたものではないけれど、責任感に押しつぶされそうな現代人に、一つのヒントを与えてくれているようにも思えます。

 

 目の前が八方ふさがりで、もうダメだと思っても、この銀閣寺の庭園の緑のシャワーを浴びたなら、そんな事はどうでも良くなってしまうかも知れない…

 

 そして、この究極の調和の世界こそが、本来の世界なのかも知れない…

 

 もちろん、だからと言って、無責任な事をしても、逃げればいいという道理にはなりませんけど、どうにもならない状況を一度リセットするのは、悪い事ではないでしょう。

 

 

 銀閣寺から外に出て、「哲学の道」を歩いてみる事にしました。

 

 

 どこまでも、まるで永遠に続くかのような道…

 

 人生という道だって、これと同じかもしれない。

 

 その道の途中で、時には感動したり、時には打ちひしがれたりしながら、自分の心を豊かなものにしていく…

 

 人生の中でいろいろな事は起きるけど、これからも、投げ出さないで歩いて行こうと思います。

 

 ちなみに、この哲学の道は、1.5kmぐらいの長さで、このまま歩き続けると、熊野若王子神社の若王子橋まで行けるそうです(^^)

 

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京都はんなり旅日記 その119.08.04

2019年8月4日(日)

 

 夏、真っ盛り!!

 暑い毎日が続いています。

 

 毎年、一年で一番暑い8月第1週目になる度に「今年は、絶対に海に行きたい!!」と強く思うのですが、今回はもう早々と断念して、全ての時間を、溜まった仕事に費やす事にしました…

 

 海にこそ、まだ行っていませんけど、今年はヨーロッパに行ったり、京都に行ったり、それなりに楽しんでいますから、この辺で真面目に仕事をしなくては、申し訳ない気分になってしまいます。

 

 という事で、今回7月10日から27日まで、僕は京都に滞在していました。

 

 決して、観光目的だけではありません(笑)

 

 きっかけは、京都で活躍している四柱推命鑑定師の「しろたんさん」こと、星河美宇さんから、ぜひ京都で講座を開いてほしいというオファーを受けたからです。

 

   しろたんさんのホームページ ♡星河美宇の占い日記♡

 

 しろたんさんは、前回、中野坂上で、僕の四柱推命講座を、中級編まで受けてくださった、くるみさんの紹介で、僕の事を知ってくださったのですが、本当に人の縁の不思議さというものを感じます。

 

   くるみさんのホームページ 四柱推命*自習ノート

 

 今回に関していえば、他に京都で講座を受けたいという人がいた訳ではありません。

 

 「関西地区での講座の開催があれば、教えて欲しい」という、メールでのお問い合わせを頂いていた方は、数名いらっしゃったのですが、その方々に「今回、京都で講座をやります」というご案内のメールした所、日程が合う人は、一人もいらっしゃいませんでした。

 

 もし、他に誰も、受講生の方が集まらなかったら、掛かった予算の半分も回収できないような状態になってしまう…

 

 それでも、今回、京都で四柱推命講座をやろうと決意したのは、去年の1月2日の初夢で「京都に行く夢」を見たからです。

(2018/1/2ブログ 「夢からのメッセージ」 参照)

 

 今回のお誘いを受けて、何となく、京都に導かれているような気がしたんです。

 

 そして、京都には、笹木龍一先生からご紹介を受けて、同じく、僕の講座を中級編まで受講してくださっているIさんという心強い味方がいます。

   今日8月4日は、笹木先生の誕生日…  笹木先生おめでとうございます!!

 

 半年前の京都旅行でも、Iさんには大変お世話になりました。

(2018/11/1ブログ 「雅の都・京都の地へ」 参照)

 

 とりあえず、会場を決めなければ… とネットであちこち探して、偶然に見つけた、店舗の2階がレンタルスペースになっている、京都三条にあるオシャレなメガネ屋さんのkolme kyotoに、電話をしてみました。

 

 その時に、電話に出てくださった店長がとても良い方で、少しお話をしただけで、遠方にいるこちらの事情を分かってくださって、面倒な手続きを何一つしないまま、その場で講座会場の予約ができてしまいました。

 

 ものすごく、幸先が良いです。

 

 

 実際に京都に来て会場に入ってみると、部屋がとてもきれいで、しかも机やいすの設備もしっかりしていました。

 それでいて、外から見ると、京都らしい古風な感じが、とてもいい…

 

 それにしても、運命というのは、不思議なものです。

 

 1年半前の京都に行く初夢を見た時と、今では、自分の置かれている状況も、何もかもが変わってしまいました。

 

 不思議な事に、今の僕は、あの初夢の中の京都の地にいる…

 

 まるで、夢が現実になって、現実が夢になってしまったような、不思議な気分になりました。

 一年半前のあの現実が、逆に今では夢のように感じます。

 

 本当に、何もかもが変わってしまったけど、今、僕がいるこの場所も、案外、悪くないかも知れない…

 

 今回の京都講座には、思いがけず5名の素敵なメンバーが、集まってくださいました。

 正直、僕の中では、これは奇跡に近い事です。

 

 だからこそ、人からのご縁と天の計らいに感謝して、自分は集まってくださった方の為に全力を尽くそう…

 そう、覚悟を決めました。

 

 京都で、僕が借りたマンションは、京阪七条駅のすぐ近く、京都駅から徒歩15分ぐらいの場所…

 夜、マンションから、外に出てふと眺めてみると、そこに京都タワーが見えました。

 

 

 30年前には、この京都に来る事は、一生ないだろうと思っていました。

 その当時の僕にとって、京都という場所は、失意の場所というか、何一つ良い印象がないのです。

 

 まずは、京都の初級編講座に全力を尽くして、東京に帰ってから行う上級編講座や、タロット講座の準備をしながらも、せっかく京都に来たのだから、この街にもっと親しもう…

 

 書のレッスンの時に、野尻泰煌先生に京都に行く話をしたら、「ここに行ったらいい」というリストを、くださいました。

 

 慈照寺(銀閣寺)にある東求堂、そして、大徳寺に、龍安寺の石庭、清水寺、三年坂に行くと良い… と教えてくださいました。

 

 あの野尻先生が勧める場所ですから、間違いなく、そこに何かしらの美があるはずです。

 

 そして、いつも真藤昌瑳煕先生がプロデュースするDVD講座の時にお世話になっている、ながいつばささんに、京都に行くという事を告げたら、「京都に行ったら、ここに行ってください…」という場所を、教えてくださいました。

 つばささんは、以前、京都の四条大宮に、ずっと住んでいたのです。

 

 まずは、下鴨神社と糺の森、それから、貴船神社、鞍馬山、月ヶ瀬のあんみつ、イノダ珈琲のモーニング、前田珈琲のクロワッサン… と、京都で食べるものまでも、教えてくださいました。

 

 これらの場所に、全て回れるかどうかは、ちょっとわかりませんが、せっかくだから、極力回ってみたいと思います。

 

 僕にとって京都は、あまりに久しぶり過ぎて、正直、右も左も分かりません。

 でも、分からない事があれば、Iさんに聞けるので、すごく心強いです。

 

 これから18日間の間、京の町を、思いっきり楽しんでみたいと思います!!

 

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