2019年 ヨーロッパ紀行 第5話 ~ハンガリーの隠れ家~19.05.31
2019年5月31日(金)
(In Budapest Hungary Date 11 May 2019)
経由地のモスクワに滞在する事、2時間…
最初の目的地であるハンガリー・ブダベストに向かうべく、アエロフロート便の17:55発の飛行機に乗り込みました。
この2時間あまりの間、モスクワの売店で、ノートパソコンに充電する為のUSBケーブルを、ずっと探していたのですが、結局、そういったお店はなく、次の飛行機の機内で充電しながら、講座の準備の仕事をしようという試みは、あきらめました。
まあ、せっかくこうして、日本をはるかに離れた場所に旅をしているのですから、仕事の事を忘れるぐらいの余裕も、必要なのかも知れない…
ふと、そんな風に思いました。

乗り継ぎした飛行機でも、また、機内食が出てきました。
今度の食事は、洋風の食事です。
個人的には、さっきの便の飛行機の機内食の方が、好みでした。
ぜいたくを言ってはいけませんね…
講座の準備はいさぎよくあきらめて、僕は、これから行くハンガリーという国の事を、考えていました。
あれ、ハンガリーって、「ハンガリー王国」だったっけ、「ハンガリー共和国」だったっけ…
という、素朴な疑問がわいてきました。
どうやら「ハンガリー共和国」が、正解のようですね。
もちろん、過去には「ハンガリー王国」だった時代もあるのですが…
西暦1000年、イシュトヴァーン1世がハンガリー王国を建国したのが、今のハンガリーの元になっていて、これまでには、モンゴル帝国が攻めてきたり、オスマン帝国の影響で国が二分されたりと、常に、外敵の脅威にさらされた国でした。
ハンガリーと言えば、古城が似合う風景明媚な国のイメージですが、古城が建てられた理由は、こういった外敵に備える為だったようです。
一時期は、オーストリア=ハンガリー帝国という、現在のオーストリアとハンガリーの領土だけではなく、チェコ、スロバキア、それにポーランドやルーマニアの領土の一部を複合した巨大国家の一翼を担った時代もありましたが、第一次世界大戦で、帝国は解体され、今のハンガリーに戻りました。
その後も、ハンガリーは、ナチス・ドイツの協調国になったり、ソビエト連邦の圧力を受けて、東側諸国の共産圏に組み込まれたりと、常に、苦労が多かったようです。
冷戦時代… 世界が、アメリカを中心とした西側の国々と、ソビエトを中心とした東側の国々とで、真っ二つに対立していた時代には、東側に組み込まれたハンガリーの国民は、自由に西側の国々に出国する事さえ、できなかったんです。
そして、1989年に、当時のハンガリーの首相であるネーメト・ミクローシュにより、ハンガリー(東側諸国)と、隣国のオーストリア(西側諸国)の国境間に存在していた鉄条網が撤去され、これが、東西陣営の鉄のカーテンに穴をあけ、世界の冷戦終結のきっかけにもなるのですが、その後のハンガリーは、NATO(北大西洋条約機構)やEU(ヨーロッパ連合)にも加盟し、現在に至っています。
飛行機に乗って、3時間あまり…
どうやら、ハンガリー上空に着いたようです。
(今度は、窓際ではなかったので、写真は取れませんでした…)

到着したのは、現地時間の19:40…
ハンガリーは現在サマータイムの時期なので、日本との時差は7時間になります。
つまり、我々にとって、5月22日という一日は、33時間も続く、という事になる…
もしかして、地球と反対周りにずっと飛行機で移動していたら、永遠に1日を終わらせないまま過ごせるかも… なんて、馬鹿な事を考えてみたりして(笑)
そんな訳、ありませんね。
太平洋の真ん中あたりに張りめぐらされている日付変更線を、飛行機がくぐる毎に、ちゃんと日付は変わります。
ハンガリーの入国審査を通過して、7名のメンバーは、2台のタクシーに分かれて、ブダベスト市内にある宿泊先に向かいました。

タクシーから見た、ハンガリーの首都ブダベストの車窓…
やっと長い一日も、夜が暮れ始めました。
ハンガリー人のタクシーの運転手さんは、とても陽気な方で、Red Bullを飲みながら、片言の英語で、我々を楽しませてくれました。

運転手さんに、お礼を言って別れ、我々のハンガリーの隠れ家であるアパルトマンに、いよいよ入城!!
…と、ここまでは良かったのですが、アパルトマンには着いたものの、受付がどこにあるのかがわかりません。
仕方がないので、エレベーターで、直接、借りた部屋のフロアに行ってみる事になりました。
7人一度にはエレベーターに乗れないので、僕は、後の便で、松里さんと、ヒデ君と3人で、フロアに行ってみたのですが、真っ暗です。
そのフロアに、他の4人のメンバーがいるかも知れないと思って、エレベーターを降りると、ドアが閉まって、真っ暗なフロアに取り残されてしまいました。
当然、他の4人のメンバーも、見つかりません。
初めての異国の、見知らぬアパルトマンの、明かりが消えた真っ暗なフロアに、3人で置き去りです…
もしも、迷い込んだこの場所が、ルーマニアから来たマフィアのアジトだったなら、もう、二度とは日本に帰れません(笑)
3人で相談した結果、まずは1Fの出口に戻ろう… という事になって、エレベーターに乗り込み「1」のボタンを押して降りてみると、そこは2Fでした。
そうか、確かこっちの方の国では、2Fが1Fになるんだ…
でも、運よく、そのフロアの降りた所に、アパルトマンの管理人らしき人がいるので、その人に聞いてみる事にしました。
とはいえ問題は、この場に、草さんがいない事です。
7人のメンバーの内、唯一、英語を完全に話せるのは、草さんだけ…
果たして、我々3人だけで、ちゃんと管理人さんと会話ができるのか。
ヒデ君が、持っている英語力を駆使して、会話を試みるのですが、どうも、この管理人さんには、言葉が通じていないようです。
僕も、ヒデ君の応援に回ってみましたが、やっぱりダメでした。
学校で習った英語の発音だと、現地の人に、中々通じなかったりするんですね。
それに、ハンガリーの公用語は、ハンガリー語ですから、この管理人さんが英語を話せるのかどうかも、怪しい…
その時、松里さんが「宿泊を申し込んでいる人の名前を言えば、通じるかも知れない」と、アドバイスしてくれました。
そこで、ヒデ君が「レイシュウ タカマ」と、何度も繰り替えすのですが、やっぱり通じません。
「多分、本名で申し込んでいると思うよ」と僕。
今度は「ミユキ ○○○○」と繰り返すヒデ君…
でも、やっぱり、管理人さんには通じていません。
すると、管理人さんが、「紙に書いてよ」というジェスチャーで、紙を渡してくれたので、ヒデ君が「Miyuki…」と紙に書くと、「OK!!」と返事がきました。
管理人さんの話では、ここから20mぐらい離れた場所に、受付があるとの事で、そこまでの地図を、紙に書いてくれました。

3人で胸をなでおろしながら、その地図の通りに進んでいくと、管理人さんの言う通り、アパルトマンの受付があって、そこで、残りの4人のメンバーとも、無事に落ち合う事ができました。
いやぁ、ハラハラしました。
受付で鍵をもらって、さっきのフロアの鍵を開けて、明かりをつけると、そこは、とてもきれいな部屋でした。
荷物を下ろして、中央の間に集う7人…

左から、高天麗舟先生(左下)、相模泰生先生(左上)、野尻泰煌先生、松里さん、ヒデ君、草さん、そして僕です。
この後、次の目的地であるオーストリアのウィーンで、ヒデ君の母でもあるKさんが、メンバーに合流する事になっていて、そこからは8人で行動します。
みんな、それぞれに得意分野があって、個性豊かな面々…
明日から思う存分、このメンバーとヨーロッパを楽しみつくすつもりです。
<旅の教訓5>
ピンチに陥っても、みんなで知恵を出し合って協力すれば、切り抜ける方法は見つかる。
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2019年 ヨーロッパ紀行 第4話 ~モスクワの調べ~19.05.29
2019年5月29日(水)
(In Moscow Russian Date 11 May 2019)
モスクワ行きの飛行機の中で、かなりの時間、眠ってしまったような気がします。
同じように、昨日は徹夜で夜を明かした草さんも、隣りの席でいつしか眠っていました。
飛行機の中で、いつしか9時間50分もの時間が、過ぎ去っていたようです。

「これから着陸態勢に入ります」みたいなアナウンスが、ロシア語と日本語で流れた時は、今、モスクワ上空にいるという事が、にわかに信じられませんでした。
僕の席は窓際なので、窓から下を見降ろしてみると、雲の下に街が見えます。

この街が、ロシアの首都のモスクワ…
僕が生まれた頃は、ロシアは、カザフスタンとかウクライナとか、周辺の国も支配下に置いた「ソビエト連邦」と呼ばれる超巨大な国で、当時の世界は、アメリカ合衆国とソビエト連邦の2大大国のせめぎ合いが続いていました。
幼い頃の僕には、ソビエト連邦は、何をしでかすか分からないすごく怖い国というイメージがありましたね。
モスクワなんて、日本人が入れる場所ではないと思っていました。
まあ、その当時はかなり、偏見が入っていたと思いますけど…
どんどん、飛行機は高度を下げて、地上に近づいていきます。

モスクワの街を上空から見下ろすと、正直な所、予想していたよりも、小さい町だな… という印象を受けました。
ふいに、この街に在住していらっしゃる映画監督で占星術師の木下順介先生の事を、思い出しました。
木下先生には、これまでの人生、本当にお世話になりました。
(2012/10/12パリブログ 「モスクワからの便り」 参照)
もちろん、モスクワは経由地というだけなので、会いに行く事はできないのですけど…
先日、南下した北極熊がロシアの人達を襲ったというニュースをやっていましたけど、木下先生が言うには、北極熊もそうですが、モスクワの公園には、人間の体の倍ぐらいある巨大ヘラジカが普通にいて、ビックリさせられるそうです。
そして、モスクワ空港、到着…

さすがに、空港にヘラジカはいなかった … 当たり前
ここから、モスクワの税関を通って、次の目的地であるブダベスト行きの飛行機に乗り替えます。
いつもサロン ド シルフィーユに鑑定にいらしてくださるTさんは、よく、このモスクワ空港を使うらしいのですが、ロシアの荷物チェックをする保安検査員は、無愛想でニコリともしなくて怖い… とおっしゃっていました。
ううっ… ちょっと税関に行くのが、恐ろしくなってきました(笑)
ロシアと日本との関係で言えば、常に北方領土の問題が横たわっていますし、つい最近では、ある議員の過激な発言で、さらにクローズアップされました。
ただそれでも、ロシアに親近感を抱く日本人は、やはり、どちらかというと少数派のように思います。

今まで乗っていた、SU203便の飛行機…
この飛行機は、これから次の乗客を乗せて、イギリス・ロンドンへと行くようです。
今の時刻は、モスクワ時間で16:00…
成田空港でこの飛行機に乗ったのは、お昼の12:15で、あれから、9時間50分もの時が経っているのですが、モスクワは日本と6時間の時差があるので、こちらではまだ、少し日が暮れかけたばかりです。
モスクワの地にて、草さんと写真を取りました!!

草さんと一緒に、飛行機から降りてくる野尻泰煌先生たちを待って合流し、メンバー7人でモスクワ空港に集いました。
メンバーの一人、相模泰生先生は、若干31歳の若き書家であり、そして、僕の四柱推命講座の初級編と中級編を受講してくださってもいるのですが、今回、旅の先導役を務めてくれます。
つまり、我々は基本的には、この泰生先生について行けば、目的地にたどり着けるという事です。
まあ、そうやって甘えていると、あとで先導役が誰もいなくて、一人きりになった時に、しっぺ返しが来る事になるのですが(笑)
泰生先生の道案内で、7人で入国審査の場所に行きました。
Tさんがおっしゃっていたように、ロシア人の保安検査員の人達は、本当にニコリともしません。
野尻泰煌先生が、「なんか、みんな怖い顔してるね~」と笑っていましたが、確かに、間違った事をしようものなら、手錠をはめられて、連行されそうな雰囲気です(笑)
最先端のコンピューター機器で、カバンの中をスキャンされて、厳重にチェックされます。
僕は逆に、この物々しい雰囲気が、なんだかおかしくなってきました。
それに、この新鮮な異国情緒がすごく心地良くて、とても幸せな気分です。
無意識のうちに、怖そうな顔をしている保安検査員の女性に、微笑みかけると、睨まれると思いきや、彼女も、優しそうに微笑み返してくれました。
そうか… 本当に怒っている訳じゃなくて、わざと厳しい表情を見せているだけなんだ…
そう気がつくと、いっぺんに好きになりました。
それに、全員が全員しかめっ面をしている訳ではなくて、中には、素敵な笑顔で対応してくれるロシア人の保安検査員も、いるんですね。
入国審査を無事通過して、空港内のショッピングモールに向かいました。

看板に書かれている文字は、当然ロシア語…
英語やフランス語なら、知っている単語が一つ二つあれば、そこから意味をイメージできる事も時にはあるのですが、ロシア語となってしまうと、もうお手上げです。
数字以外、まるで暗号のように見えます。

モスクワ航空の売店…
この北国を感じさせる独特の雰囲気、好きですね。

うぉ~お、マトリョーシカ人形の大群…
まるでフーガのメロディーが聞こえてきそうな、モスクワの調べにうっとりします。
案外、この国の事、好きかも知れない…
ふと、そんな風に感じました。
乗り換え予定のブダベスト行きの飛行機は、17:55発…
搭乗ゲートの前まで来ると、普段歩きなれていない野尻先生と僕は、歩き疲れて、座り込んでしまいました。
さて、これから、いよいよ最初の目的地である、ハンガリーのブダベストへと向かいます!!
<旅の教訓4>
一見すると、怖くて近づきがたい雰囲気の人が、意外と優しい事もある。
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2019年 ヨーロッパ紀行 第3話 ~青雲の向こう側へ~19.05.27
2019年5月27日(月)
(In Narita Japan Date 11 May 2019)
ヨーロッパへと旅立つ出発の朝は、一睡も眠る事なく、迎える事になりました。
これから11日間もの間、仕事部屋を空ける訳ですから、それなりに、やっておかなくてはいけない準備もあります。
この日は、サロン ド シルフィーユで総合鑑定をやらせて頂いてから、かなり間隔の空いてしまったブログを、更新しました。
スーツケースの中には、まだ何も詰まっていない状態だったのですが、旅行を終えてからのブログの更新だと、間隔が1ヶ月も空いてしまうので、何が何でも、今日中に更新しておかなければと思い、先にブログに取り掛かりました。
ブログを書き終えて、遅い夕食を取って、時計を見ると夜中の0時です。
これから、お風呂に入って、着替えや、ヨーロッパ旅行で使うものを、スーツケースに詰め込んでいかなければなりません。
この時点で、徹夜になる事を覚悟しました。
まあ、行きの飛行機に乗っている時間は、トータルで12時間以上ありますから、その間に好きなだけ寝れます。
不安なのは、朝を迎えて、それでも準備が間に合っていなかったら、どうしようかという事…
集合は、成田空港の第1ターミナルに朝の10時30分までに到着していれば良いので、準備の時間は8時間ぐらいは取れそうです。
でも、もしも、準備の途中でソファーに横たわったりして、そのままうっかり眠ってしまったなら、大変な事になります。
7年前のパリに出発した朝の悪夢を、思い出します。
(2013/2/26パリブログ 「あの日起こった奇跡」 参照)
もう、あんなハラハラした思いをするのは、こりごりです(笑)
という事で、どんなに眠くても横たわらないように、意識して部屋の中を歩き回りながら、スーツケースに荷物を詰め込んでいました。
ほどなく、午前8時…
頭はボーッとしていますが、とりあえず無事に、旅行の準備はできました!!
地下跌に乗り込んで、まずは東京駅に行き、そこから、成田行きの快速電車に乗りました。
今回は、時間のゆとりを持って、成田に到着できました(^^)

余裕で待ち合わせ時間に間に合いそうだと、タカをくくっていたのですが、成田駅から空港に向かってしばらく歩いた時、電車の中に、帽子を忘れてしまった事に気がつきました。
その帽子は、お世話になったある先生の大事な遺品なので、絶対に失くす訳にはいきません。
すぐに駅のホームまで戻って、まだそこに止まっていた電車の自分が座っていた席の辺りを慌てて見渡したのですが、どこにもありませんでした。
ここに来て、徹夜で寝不足状態のツケがきたようです。
駅員さんに聞いた所、成田空港の駅の事務室で、それらしき忘れ物を預かっているとの事…
急いで駅の事務室へと駆け込んで、無事に、大切な帽子との再会を果たしました。
大急ぎで、遺失物の書類にサインして、頭に深く帽子をかぶると、慌てて空港の方へ掛けていきました。
普段、身に着ける習慣がないものを、何気なく外して、どこかに置いてしまうと、とんでもない失敗をする…
改めて、学んだ気がしました。
帽子を電車に置き忘れた事で、20分あまりの時間をロスしましたが、それでも、今から走って行けば、チェックインの時刻には間に合いそうです。
とはいえ、道を間違えて手間取ったら、完全に遅刻してしまうので、100mおきに北ウィングの場所を人に聞きながら、北ウィングにあるアエロフロート・ロシア航空カウンターへと急ぎました。
10時30分ジャスト、航空カウンターに無事到着!!

航空カウンターに行くと、今回の旅のメンバーの一人でもある、草さんと、落ち合う事ができました。
草さんは、世界中を飛び回って活躍する実業家で、カンボジアにある団体の代表や、日本の読書普及協会の理事長でもあり、茶道にも精通しているし、小説も書いていて、最近はタロットカードの研究にも、夢中になっているという、マルチの才能を持つ男性…
性格は僕とはまるで対照的で、ものすごく行動的で、海外旅行は慣れっこです。
しかも、英語がペラペラに話せるので、とても心強い味方です。
僕が、パスポートを照合して、搭乗チケットを取る作業に手間取っていると、草さんが全部代わりにやってくださいました。
草さんと一緒に、成田空港をあちこちして、野尻先生を始め、今回一緒に旅をする残りの5名のメンバーとも無事に落ち合う事が出来ました。
そしていよいよ、ヨーロッパへの旅路の始まり…
最初の目的地ハンガリー・ブダペストへ向かう為の経由地、モスクワへと向かう飛行機に乗り込みます。

飛行機の機内の席は、草さんと隣り同士になりました。
いよいよ、離陸…
草さんは、お酒好きで、いきなり飲み物のオーダーを聞かれるや否や、ビールを注文したので、僕もそれに合わせて、ビールを注文する事にしました。
以前、パリ行きの飛行機の中でお酒を飲んで、ものすごく苦しい目に遭った事があるのですけど、あの時はワイン…
今回は、ビールだから、まあ、大丈夫だろうと(笑)
(2014/10/23パリブログ 「今ならあの時の失敗が話せる」 参照)
話を聞いてみると、草さんも、昨夜は一睡もしていないのだそうです。
別に旅行の準備に手間取っていた訳ではなく、現地での時差ボケを防ぐ為に、わざと寝ないように、一晩遊んで過ごしたそうです。
飛行機の中で、僕は26日の日曜日に行う四柱推命・上級編講座のテキストのリメイクに夢中になっていると、隣りで草さんは、小説を書くのに夢中になっていました。
草さんは、一見すると、何となくチャラそうに見えるのですが、実はものすごく真面目な努力家…
草さんも隣りで頑張っているし、僕もモスクワに着くまでに、テキストのノルマの半分を仕上げてしまうぞと、ノリノリの気分だったのですが、2時間ほどで、ノートパソコンのバッテリー切れの為、あきらめなければならない事態になりました。
飛行機内でも、コンセントと変換タップさえがあれば、充電ができると思い込んでいたのですが、飛行機内ではどこにもコンセントなんてなく、USBケーブルを持っていないと、充電ができないみたいです…
ギリギリまで、お仕事を頑張ったのですが、ついにバッテリーが切れてしまい、ノートパソコンの画面が真っ暗になってしまいました…
「カーン」という鐘の音と共に「残念… ご愁傷さまでした」という声が、どこかから聞こえてきた気がしました…
うううっ(涙)
長く悲しんでいる暇もなく、機内食が出てきました。

これは、うまい!!
僕はこれまでに、数回ほど飛行機の機内食を食べたのですが、今日、アエロフロート・ロシア航空のモスクワ行きで食べた機内食が、今までに食べた機内食史上、最高に美味しかったです。
日本人の口に合うように、考えて作られた献立だと思いました。
食事をしたら、急に眠気が襲ってきました。
丸一日眠っていない上に、ビールまで飲んでいますから、無理もありません。
今回の旅は、モスクワを経由して、ハンガリー・オーストリア、チェコの3か国を回る旅…

まずは、ロシアのモスクワの地に降りて、その後、ハンガリーの①ブダベストで3泊し、その後、オーストリアに移動して、②ウィーンに3泊、さらにチェコに移動して、③ブルノに2泊、続けて④プラハに3泊します。
どんな素敵な旅になるだろうか、と思うと、胸がワクワクします。
でも、26日の上級編当日までに、テキストとスライドのリメイクが完成していなかったらどうしよう… とか、旅行中に仕事をやる時間が取れるかなあ… とか、いろいろと心配すると、少し暗い気分になります。
とはいえ、そんな事を心配したって、なるようにしかならない訳で、まるで意味がないんすけどね。
ふと、飛行機の窓から、外を見渡してみました。

いつしか、日本の地を離れ、はるか上空の雲の上にいるんですね。
地上では、晴れたり曇ったり、コロコロと天気が変わるように、人の心も、決して落ち着かない…
それでも、雲の上に行けば、こんな風にずっと太陽が照らし続けているように、心の奥にある魂だって、どんな時でも、きっと輝いているに違いない…
どうせなら、なるようにしかならない事を心配して、心を曇らせるよりも、楽しい事を考えて、晴ればれとした気持ちでいた方がいいし、その方が、そばにいるみんなを幸せにする事ができる…
まあ、心は時々風邪をひく事もありますから、どうしても元気でいられない時だってありますけど、それでも、できる限りは、そういう気持ちでいたいと思う。
はるか上空の青雲の向こう側で、いつしか気がついたら、僕は、眠りに落ちていました。
<旅の教訓3>
どうにもならない事をあれこれ悩むよりも、楽しい事を考えて、晴れやかな気持ちでいた方がいい。
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2019年 ヨーロッパ紀行 第2話 ~旅支度~19.05.25
2019年5月25日(土)
(In Tokyo Japan Date 9 May 2019)
時間に追われる毎日を過ごしながら、気がつけば、ヨーロッパ旅行まで、あと2日と迫っていました。
それにもかかわらず、旅行の準備は、何一つ準備が出来ていません。
スーツケースは空のままですし、旅行に持っていく物の買い出しやら、現地の通貨の交換やら、やらなければならない事は山ほどあるのに、全く手つかずのまま…
昨日は、真藤昌瑳煕先生の会社である芝公園のウィスタリア・ガーデンに行って、「四柱推命講座・中級編DVD」の撮影を進めた後、その後の打ち上げに集まってくださった7名と、かなりお酒を飲んだ事もあって、目が覚めたら、もうお昼になっていました。
そして、今日の夕方からは、朝日カルチャーセンター立川のタロット講座の予定が入っています。
という事は、旅行の準備に使える残された時間は、あと3時間ほど…
今、海外旅行に行く前にやらなければいけない仕事は、明日ご予約頂いている総合鑑定1件と、2週間後に備えた上級編第2講座の準備…
上級編の準備に取り掛かってしまったら、もう旅行の準備ができないので、それは、行きと帰りの飛行機の機内でやる事にして、急いで、持ち物の買い出しに出掛けました。
近くの100円ショップとスーパーで、日用品を買って、そのまま新宿へと向かいました。
新宿の街へ向かったのは、ハンガリーとオーストリアとチェコの3か国で使う通貨を入手する為と、もう一つ、ヨドバシカメラであるものを買う為…
早速、新宿駅西口の換金所に行きました。

3か国とも使われている通貨は別々で、ハンガリーではフォリントという通貨、オーストリアではユーロ通貨、そしてチェコではチェコ・コルナという通貨が使われているようです。
という事は、この3種類の通貨を、あらかじめ準備していなければなりません。
換金所に行くと、運悪く、ハンガリー通貨のフォリントだけはストックがありませんでした。
別の換金所を探し回っていると、ヨドバシカメラでの買い物ができなくなってしまうので、とりあえず換金は後回しにして、ヨドバシカメラに急ぎました。
残された時間は、1時間ぐらいです。
新宿の街を歩いている、たくさんの外国人観光客の間をすり抜けながら、あと2日後には、自分も異国の国にいるのかと思うと、何とも不思議な気持ちになりました。

ヨドバシカメラで何を買ったかと言いますと、これです。

それぞれの国のホテルのコンセントに対応する、日本から持って行った電子機器をつなぐ為のコンセントのソケット…
一つの国の中でも、ホテルによって、コンセントが異なるあるみたいで、結果的に6つもソケットを買う羽目になりました…
でも、これでホテルで携帯を充電できるし、パソコンをつないで仕事もできます。
この日は、ハンガリー通貨は手に入らないまま、急いで家に帰って、昼食を取る事もなく、朝日カルチャーセンター立川に向かいました。
そして、翌日の総合鑑定を始める前に、また、別の換金所に行って、無事にハンガリーのフォリントも手に入れる事が出来ました。

もしも、旅行の買い出しを翌日に回して、立川の朝日カルチャーセンターに向かっていたら、結果的に、ハンガリー通貨を換金できないまま、成田空港に向かう羽目になっていたと思います。(成田空港の換金レートは、かなり割高)
やっぱり、何でも、時間がある時に早め早めに行動をするのが良いようです。
書のレッスンの時に、高天麗舟先生から預かった旅のスケジュールを、改めて、見直してみました。

ヨーロッパ11日間の日程…
最初の3泊は、ハンガリーのブダペストに泊まり、続く3泊は、オーストリアのウィーンに泊まり、続けてチェコのブルノに2泊、プラハに2泊して帰国…
一体どんな旅になるのやら…
とても、ドキドキしています。
<旅の教訓2>
物事の準備は、先送りしないで、早め早めにできる時にやっておいた方が良い。
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