ブログ

みんな、さりげなく頑張っている19.03.30

2019年3月30日(土)

 

 時が経つのは、本当に早いと言いますか…

 気がついたら、もう3月も終わりです。

 

 泣いても、笑っても、どちらにしても時間は、絶え間なく流れていくのであれば…

 

 それならいっそ、人生を思いっきり楽しんで過ごした方が、はるかにお得かも知れません。

 

 毎年、村野大衡先生の誕生日が過ぎた頃になると、外も暖かくなって、僕が大嫌いだった冬も、いつしか過ぎ去っています。

 

 昨日と今日の東京は、なぜか異様に寒かったですけど、それでも確実に春は訪れていて、これから暖かくて過ごしやすい日々がずっと続きます。

 

 とはいえ僕も、今年から花粉症に掛かってしまったようなので、手放しに喜べないのですが(笑)

 

 何ていうか、僕もそろそろ本気で頑張ろうかな… なんて思えてきました。

 

 今まで、本気で頑張っていなかったのか… なんて、ツッコミを入れられそうですけど、実は少しだけ、甘えていたんですね。

 

 いつも僕の周りには、味方になってくれるたくさんの素敵な人がいて、応援をしてもらっているというのに、どうも、踏ん張りが効かなくて…

 

 ちょっぴり、もの悲しいような、アンニュイな気持ちから抜け出せなくて、それを言い訳にして、仕事の効率がめちゃくちゃ非効率だったのです。

 

 先日、久しぶりに村野大衡先生と、電話で話したのですが、やっぱり村野先生はすごいなあ… と思いました。

 

 何て事のない雑談をしていただけなのに、村野先生と話すだけで、なぜか不思議と元気になれるんですね。

 

 やる気が体中からみなぎってくるというか… 「もっと、頑張ろう」という気持ちになるというか…

 

 これが、村野先生のパワーなんだと思いました。

 

 村野先生は、東洋占術の世界において、唯一無二の実力者ですが、会話をしていても、ほとんど占いの話題になる事はありませんし、そもそも村野先生は、あんまり占い師というイメージを感じさせません。

 

 話は面白いし、持っている知識もすごいんですけど、巷でよく見かけるような「占い師っぽさ」は、ないんです。

 何一つ偉ぶった所もないし、本当にいつも、気さくにつきあってくれます。

 

 僕が思うに、どんな世界においても、本物と呼ばれる人というのは、「いかにも、それっぽい」というのがないように感じます。

 

 それから、一流の人というのは、ほぼ例外なく「今、一生懸命に頑張っています」とか「こんなに苦しみながら、生きています」みたいな雰囲気を、出さないですね。

 だいたい、いつも涼しげな顔をしています。

 

 もちろん、努力自体は素晴らしい事なんですけど、「こんなに努力しています」みたいなオーラが、見え隠れしている内は、まだまだなのかも知れません。

 

 一流の人は、さりげなく、普通の人がしないような努力をコツコツしていたり、人知れず、葛藤を抱えていたって、気丈に振舞っていたりしますから…

 

 これは、プロボクサーが誰もいない所で、一人孤独にロードワークをやっていたりとか、野球選手が、誰も見ていない所で、汗だくになってバットの素振りをやり続けているような感じなのだと思います。

 

 アスリートは、普通の人ができないようなキツい練習を、さらりと平気な顔でやっています。

 

 僕なんかは、どうもそういうのが苦手で、あかぬけないというか… どうしても調子が悪かったりすると、すぐ雰囲気に出てしまって、人に見破られてしまいますね。

 

 そんな風に周りの人を心配させてしまうなんて、やっぱり、まだまだダメだなあ、と反省させられます。

 

 だいたい、苦しい時や不安な時というのは、孤独の中にどっぷりと漬かって、「自分だけが苦しい…」みたいな感覚になっているのですが、自分の周りにいる人だって、自分と同じくらい… もしかしたらそれ以上に、苦しい努力をしているのかも知れない…

 

 今まで僕は、その事に気づけずにいたのですが、みんな、涼しげな顔でさりげなくも、必死に もがきながら、頑張っていたりするんですね。

 

 そこに気づいたら、僕も、自分だけ負けてはいられない、という気持ちになりました。

 

 米米CLUBのカールスモーキー石井さんの本の中に「弱気な部分は、8割は隠して、2割だけ人に見せるようにするのが、良いと思う」みたいな事が、書かれていたんです。

 この比率が、逆になってしまったりすると、それは「自分をわかってほしい」という押し売りになってしまうし、逆に、10割全部余裕な表情で取り繕ってしまうと、嫌味になって、可愛げがなくなってしまうとも…

 

 カールスモーキー石井さんらしい、的を射た面白い意見だと思いました。

 

 確かに、自分の苦しそうな表情を、周りの人達の前で8割出してしまったなら、みんなに心配を掛けるだけでなくて、自ら、物事がうまく行かなくなるようなサイクルを、作ってしまう事にもなります。

 

 周りにわかるように苦しい表情をする事によって、自分からその問題に立ち向かって、乗り越えようとする気概が、いつの間にか、あきらめの気持ちや、人への依存心なんかに、すり替わってしまいかねないですから…

 こうなってしまうと、天からやってくるパワーも、10ある内の1も受けられません。

 

 もちろん、時にはそれで、周りからの助けや協力を得られる事だって、あるかも知れないけど、基本的に、そういう自分の問題って、ほとんどは自分にしか解決できなかったりします。

 

 だから、弱気な部分を出すのは、やっぱり2割までに、とどめておいた方が良いのかも知れません。

 それで、8割を隠しながら、人知れず頑張っていると、周りの人も、実は涼やかな顔をしながらも、自分と同じように苦しんでいるという事に、気づけたりします。

 

 それまでは、自分一人が孤独で、八方塞がりだと思っていたのが、実は、周りにいる人達だって、孤独と戦いながら自分と同じように頑張っている同志なんだ… いう事に気づく…

 

 そうすると、コツコツする努力というものが、楽しいものに変わってきます。

 

 努力していて、これまで結果が出てこなかった事だって、ちょっとした気づきやきっかけで、急にうまく行く事もあります。

 

 もしも万一、結果が出ないままで終わってしまったとしても、それは別の形で、人生に生かされる時があるし、頑張った事そのものが、無駄になってしまう事は、絶対にありません。

 

 みんな、さりげなく頑張っている… だから僕も、頑張ろう。

 

 いよいよ、春真っ盛り…

 僕も、このまま一直線に走り続けます。

    いつまでも このノリだから、あかぬけないんですね(^^;;

 

もし良かったら、クリックしてください(^^)

なにげない一日一日が大切な宝物19.03.19

2019年3月21日(祝)

 

 今日は、春分の日…

 「早く、春にならないかなあ…」と、ずっと待ちわびていた春が、気がついたら、もう来ていました。

 

 外を歩いてみると、暖かな春一番が吹き荒れていて、気持ち良いのを通り越して、体の細い僕は、吹き飛ばされそうでした。

 

 僕は毎年、春が来るたびに、嬉しくて大喜びではしゃぐのですが…

 (2013/4/5パリブログ 「一つにつながっていけ…」 参照)

 

 もう、これまでのように、素直にこの季節を喜べなくなりました。

 

 どうやら僕は、間違いなく、花粉症デビューをしてしまったようです(涙)

 

 先々週辺りから、しばらくずっと、熱はないのに、目が痛くて、くしゃみは止まらないし、鼻水は出るし、喉も痛くて頭がボーッとしていました。

 

 そうしたら、先週のブログを読んでくださったOさんが、素敵な漢方薬を紹介してくださいました。

 

 

 「イスクラ衛益顆粒S」というお薬なんですけど、これ本当に良く効きます。

 

 これを飲み始めたら、たちまち花粉症の症状が、ピタッと止まりました。

 しかも、自然の生薬のみで調合されているので、安心です。

 

 基本的には、朝・昼・晩、食前か食間に、1日3回飲むのですが、いつも虚弱体質のせいか、少し外出するだけで、すぐ体が疲れてしまっていたのが、これを飲んでからというもの、体中からパワーが湧いてきているような気がします!!

 

 それで、もしかしたら、花粉症はもう治ってしまったかも… と思い、忙しかった事もあって、今日は朝から薬を飲まないまま、予定を入れていた「四柱推命講座・中級編」の補講を行ったのですが…

 

 またしても、目が痛くなって、鼻水とくしゃみと喉の痛みにおそわれて、改めて、「イスクラ衛益顆粒S」のすごさを実感しました。

    別に、イスクラさんから広告料もらっている訳ではありません(笑)

 

 ちなみに、本日補講にいらした中級編の受講生のYさんも、去年はずっとこの薬を飲んでいたそうで、「ものすごく効く」とおっしゃっていました。

 

 お薬ですから、効き目には個人差があるとは思いますが、花粉症に苦しんでいる方がいらっしゃいましたら、一度試してみられるのも、良いと思います。

 

 今月の前半は、いろいろな事があって、心が本当に落ち着かなかったのですが、今になってようやく、落ち着いてきました。

 

 それにしても、人生というのは、出会いがある分だけ、別れがありますし、もう二度と会えない人の事を思うと、寂しい気持ちでいっぱいになるものです。

 

 昔、読んでいた漫画に「勝負師伝説 哲也」という、小説家である阿佐田哲也さんの生涯を、脚色化して描いた漫画があったんです。

 で、そこに出てくる「ドサ健」という登場人物が、次のような決めゼリフを言うんです。

 

 「人は一人で生まれて、一人で死ぬ。淋しいぐらいで、ちょうどいいんだ…」

 

 あの漫画を読んで、もう20年近くも経つというのに(確か「少年マガジン」だったと思う…)今でも、あの言葉が忘れられなかったりします。

 

 実は、お釈迦様が出家する時、すがりつく従者に言った言葉に「人間は一人で生まれてきて、一人で死んでいく」というのがあって、それを元ネタにしていたであろう事を僕が知ったのは、それから随分と後の事なんですけど…

 

 どちらにしても、人生というものには、寂しさというものは、つきもののような気がします。

 

 それでも、これから進んでいく未来には、たくさんの希望があるから、立ち止まってはいられない…

 

 四柱推命講座の受講生でもあり、この度、野尻泰煌先生の書のレッスンも受け始めたYさんが、オグ・マンディーノの著書を貸してくださって、今、何度もそれを、繰り返して読んでいるのですが、やっぱり、僕らの人生というのは、希望に満ち溢れたものだと思う。

 

 打ちひしがれた時には、ついつい「自分は、なんて無力なんだろう」と思ってしまいがちですし、時には「どうせ、この程度のものだ」と、自分が嫌になって、ふてくされてしまう事もありますけど…

 

 それでも、人生は何度だって、リベンジや、やり直しが効くのだから、自分が止まってしまわない限り、やっぱり、果てしなく希望は続くと思うんです。

 

 ついつい、僕らは「個」というものを重視しすぎるがあまり、自分というものを、オギャーと生まれた時から、息を引き取る時までのおおよそ100年弱の人生だけに限定してしまいがちですけど、本当はそうではなくて、あらゆるものがつながっているような気がします。

 

 僕の意志は、僕自身のものでは、あるのですけど、そこには、遠いご先祖様から受け継がれている意志も組み込まれているでしょうし、尊敬してやまない先人達の期待と遺志も宿していると思うし、途方もない話ですけど、それははるか昔、地球が誕生した時からずっと受け継がれている、神なるものの意志かも知れないし…

 

 こういう事を大真面目に熱く語るのは、ちょっと恥ずかしいのですが、ここ最近、いろいろな事があって、そんな風に感じられるようになりました。

 

 僕も、花粉症の悩みも漢方薬で解決したし、また、そろそろ歩き出そうか… と思っています。

 

 手始めに、今年の夏は、京都の地で「四柱推命講座・初級編 京都第1期」を開設する事にしました。

 

 以前に名古屋で会場を借りて、講座を開催した事があったのですが、その時に集まってくださった受講生は、お二人だけでした。

 逆に、東京から遠く離れた場所で、よくお二人も集まってくださったと思います。

 

 講座会場をレンタルして、旅費や宿泊代を掛けて講座を開いても、受講生の人が集まらなかったら、赤字になってしまうから、しばらくは、東京以外の講座はやめておこう考えていたのですが、今回また、思い切って挑戦する事にしたんです。

 

 物事はやってみなければわからないし、去年の初夢で、京都に行っている夢を見たり、去年の秋は実際に京都に行く流れになったりして、なんか、どうもこの地に導かれているような気がするんですね。

 (2018/1/2ブログ 「夢からのメッセージ」 参照)

 (2018/11/1ブログ 「雅の都・京都の地へ」 参照)

 

 理由はよくわからないのですけど…

 

 結果がどうなるか見当はつきませんが、とにかく始める事に意味があるし、例え、赤字になったとしても、その事で得られる人の縁は、それ以上のものを生み出してくれるかも知れない…

 

 僕はまだ20代の若者だった時は、「何かいい事ないかな…」なんて、よく口ぐせのように言っていたのを覚えています。

 本当、他力本願だったと言いますか…

 

 シンガーソングライターの河島英五さん(この方は「酒と泪と男と女」という曲の方が有名です)が、「何かいい事ないかな」みたいな歌を歌っているのを聞いて、まるで自分の事を言われているみたいに、恥ずかしくなった記憶があります。

 

 何もしないで、ただ幸せが来るのを待っていても、何も起こらないという事は、あの頃の自分も、良くわかっていたはずなんですけど…

 

 とはいえ、「何かを始めればいい」というものではないし、ましてや、「何かを始めなければいけない」と強制されるものでもありません。

 

 自分で、「何かを始めたい」と思った人だけが、始めればいいし、そうでなければ、それは大して意味を持たないでしょう。

 

 別に何かを無理して始めなくても、自分の目の前に与えられた一日一日を、出来る限りの力で精一杯、生きていったらいいと思うんですね。

 

 その結果が、未来を作っていくのだという気がします。

 

 さっき、いつものように、みどりん先生から「満月メール」が来ていて、ふいに、夜空を見上げてみたんです。

 

 そしたら、綺麗な満月が出ていました。

 

 

 春分の日に、偶然に満月が重なったんですね。

 

 なにげない一日一日が大切な宝物…

 

 例え100年生きたとしても、人生には36,500日しかありません。

 さすがの僕も、もうこの半分ぐらいは消費してしまったと思います。

 

 悔いがないように、これからも精一杯生きていこうと思います。

 

もし良かったら、クリックしてください(^^)

真の占いは哲学に通じる19.03.12

2019年3月12日(火)

 

 すっかり、ブログの更新がご無沙汰してしまいました。

 本当に申し訳ありません。

 

 ここの所、本当にいろいろな事があって、時には、人の生と死について真正面から考えさせられたり、自分の未熟さを痛感したりと、深海にダイヴして、そしてようやく、自分なりに成長して、また元の場所に戻ってきました。

 

 休みを取らずに動き回っていたら、風邪をひいてしまったのか、昨日あたりからずっと喉が痛いです。

 

 いや、もしかすると、花粉症に掛かってしまったのかも知れません。なんでも噂によると、今年の花粉症は、喉が痛くて頭がボーッとするらしいとか…

 しかも、睡眠不足の人は、免疫が下がって、花粉症が悪化しやすいのだそうです。

 

 もしも花粉症であれば、この状態が春の間ずっと続くのですね…

 であれば、風邪であってほしいです(笑)

 

 この間、「十干十二支気学 ~四柱推命方位学~」の著者であり、方位学の権威である笹木龍一先生とお話をさせて頂く機会があったのですが、改めて、素敵な先生だと思いました。

 

 笹木先生と初めてお会いしたのは、今から6年前… パリから帰ってきた年の翌年の1月…

 とっても寒い日だったのを、よく覚えています。

 

 初めてお会いした時は、何があってもブレない、まっすぐに前に突き進む方だなあ… という印象を持ちました。

 

 笹木先生が「十干十二支気学」を出版されたのは、その3年後…

 

 発売当初から、この本は、アマゾンランキングで、ずっと上位を保っていました。

 

 ちなみに、僕がサロン ド シルフィーユを開店させるべく、当初住んでいた千葉から東京に移動した時期と方位は、笹木先生の「十干十二支気学」で決めたんです。

 (2014/10/15パリブログ 「究極の未来派方位術」 参照)

 

 当時のブログで、“どれだけの効果があらわれるかは、これからの僕の事を見ていればわかります”と、書いているのですが、あの頃は、生活面においても、収入面においても、不安定極まりなかったのですが、今では、すっかり安定しました。

 

 これも、笹木先生の「十干十二支気学」のお陰だと思います。

 

 占いの世界には、本当に様々な秘技があって、もちろん、この「十干十二支気学」以外にも、素晴らしい効果をあげている開運法は、たくさん存在しています。

 

 ある意味、こういった占いの開運法の世界というのは、理屈では考えられないような摩訶不思議の連続です。

 だから、中には、こういったご利益主義的な開運法に、すっかりのめり込んでしまう人もいます。

 

 実際に効果が顕れる訳ですから、伝える方の先生も「これさえやれば、大丈夫」とばかりに、自信を持って教えます。

 

 ただ、ここで落とし穴が存在します。

 

 それは、開運法にばかり目がいって、現実面における、自分がやらなければいけない努力や、人に対する気配りなどがおろそかになってしまうような事…

 つまり、最初に開運法ありきで、日常生活を送ってしまうパターンです。

 

 僕が笹木先生の事を、本当にすごいと感じたのは、「十干十二支気学」が効果を上げているからではありません。

 

 もちろん、それもすごい事なのですけど、笹木先生は、「十干十二支気学」を扱う人が、決して、こういった本末転倒な事にならないように、普通の占い師なら面倒がって避けてしまいがちな、運命の法則性というものを懇々と説かれている事です。

 

 それは、笹木先生の著書である「十干十二支気学 ~四柱推命方位学~」にも、顕著に表れていて、あの本は、第1章、第2章をかけて、ずっと運命の法則性の説明をしています。

 

 しかも、「開運法は打ち出の小槌ではない」「先ずは元を蓄える事が必須」などと、否定的な事を懇々と述べているんです。

 

 これは、売れる本の書き方としては、最悪です(笑)

 

 売れる本にする為には、通常、本の冒頭である第1章に、ものすごくインパクトのある事を書いて、読者をひきつけるようにする… というのが鉄則です。

 

 笹木先生のような本の書き方にすると、方位学に興味を持っていて、題名を見て、書店の棚で本を手に取った人は、第一章を読んで、「ただ行けば、良い事が起こって幸せになる訳ではない」とか「進歩向上や徳を積む事こそが大事」という方位効果に対するマイナスの言葉に、気持ちをくじかれて、買う気をなくしてしまいかねません。

 

 とはいえ、これこそが、笹木先生の真摯で誠実な人柄を表しているのだと思います。

 だからこそ、信頼できるんですね。

 

 摩訶不思議な世界ですけど、天の法則に反しているのに運が開く… なんて、理不尽な事はありません。

 

 占いというものは、突き詰めていくと、哲学に通じるような気がするんです。

 摩訶不思議な開運法でさえも、その哲学の上に成り立っています。

 

 例えばですけど、人生をやりたい放題に生きてきて、人の気持ちも理解出来なくて、周りに迷惑をどれだけかけても平気でいられるような、適当に生きている人が、何かしらの占いの開運法を行ったからと言って、周囲の事にも気遣いながら、真面目に一生懸命努力している人を追い抜いて、運が開いてしまうなんて事はありえません。

 もし、そんな事があったなら、世の中は何が正しいのかわからなくなってしまいます。

 

 仮に一時的にそのような状態になったとしても、長続きはしないし、その後で、何かしらの反動が来ると思って良いでしょう。

 

 もちろん、こういった開運法は、時に人生の突破口にはなります。

 だからこそ、もしも占いの開運法で効果が得られたのなら、普通の人以上に善なる生き方を心掛ける必要があるし、誰も見ていない所でも、決して感謝を忘れる事のないようにする必要があります。

 

 そうすれば、その開運効果を持続させる事もできますし、それこそが、真の占いの開運法の目的です。

 

 四柱推命の研究者の中には、この四柱推命というものを、「科学」に分類しようとする方がいらっしゃいます。

 

 気持ちはわかるのですが、僕は、四柱推命を科学と結びつけるのは無理があると思うんです。

 もちろん、四柱推命を迷信だと思っている訳ではありません。

 

 というよりも、わざわざ四柱推命を科学というものに結びつけなくたって、いいと思うんです。

 どうせ、誰かから「疑似科学」だとか「エセ科学」だとか、突っ込まれるのがオチですから…

 

 僕はむしろ、この四柱推命には「哲学」という言葉の方がふさわしいと思う…

 

 笹木先生の最新のブログには、今週の3月16日(土)に開かれる「九星気学 入門セミナー」のご案内と共に、僕が描いた稚拙な「運命の絵柄」までもが掲載して頂いているのですが、笹木先生もきっと、この意見には賛同してくださっているのではないかと思います。

 

 運命の調律師~十干十二支氣学~ 別名、四柱推命方位学とは?

 人の運命と吉方位は一幅の絵画を見るように、あるがままにありのままに観て鑑定する

 

 四柱推命だけではなく、真の占いというのは全て、哲学に通じているように思うんです。

 

 それは、一切の矛盾が存在していない世界…

 

 その魅力に取りつかれてしまうと、楽しくて楽しくて、僕もいつしか時をたつのも忘れて、この魅惑的な世界に没頭してしまいます。

 

もし良かったら、クリックしてください(^^)