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一年を振り返って思う事18.12.29

2018年12月29日(土)

 

 いよいよ2018年も、残す所あと2日…

 

 いろいろと慌ただしく過ごしている内に、随分と間隔が開いてしまいましたが、おそらくこれが、本年最後のブログになりそうです。

 

 それにしても、今年の年始めには、「このブログは、可能な限り、毎日書く」とか言っておきながら、たった1週間で風邪をひいてダウンして、結局その後は、「やさしい風のように」のごとく、週1回のペースになってしまいました。

 

 本当、一体何なんでしょう。

 

 きっと、この「可能な限り…」という言葉が、クセモノなんですね。

 可能か、可能でないかというのは、本人(つまり僕)の主観で、自由に決められますから。

     …などと、言い訳してみる(^^;;

 

 でも、もしも、年初めに「絶対に毎日書く」と誓っていたとしたら、おそらくちゃんと毎日書いていたと思います。

 

 ただ、それだと、例え風邪をひいて熱があっても、書かなければ行けなくなるし、その日に本当に大事な何かがあっても、毎日のブログを優先する事によって、本末転倒になってしまいかねないですから、「絶対書く」と宣言してしまうのも、一概に良いとは言えないのかも知れません。

 

 パリブログを書いていた時が、まさにそうで、今、振り返れば、よくあのボリュームのブログを1,000回も続けたなあ… と思うのですが、いつも「今日のブログ、どうしよう」というのが常にあって、毎日がそわそわして落ち着きませんでした。

 

 まあ、これは臨機応変に行動できない僕の性格にも、問題があるのでしょうが…

 

 皆様にとって、2018年は、どんな年だったでしょうか。

 

 僕にとっては、あらゆる意味で、2018年は転機の年でした。

 

 この新しいホームページにリニューアルしたのも、このブログをスタートさせたのも、今年の元旦…

 

 2018年の前半は、常にホームページの事でいろいろな問題が起きていて、本当に手掛けたい仕事は進められないまま、時間が過ぎていきました。

 

 そして、年の後半はあらゆる意味で、僕にとって、人生の方向転換を迫られたような年でした。

 

 昔の僕だったら、「ああ、今年は最悪の年だった」と言ってしまいかねない所ですが、実は今、本心から、「今年は、ものすごく実りの多かった年だった」と思うんです。

 

 と言うのは、いろいろな事が整理された事によって、本当に僕がやりたい事がハッキリしたから…

 

 ホームページのリニューアルでは、予想外に自分の時間を取られる事になったし、今でもまだ、完璧なサイトにはなっていないのですが、少しずつ直していけば、いつかは完成します。

 

 年の後半には、滋賀、京都、奈良、そして伊勢神宮を巡る近畿への旅も、できたし、白山比咩神社や永平寺を巡った北陸への旅も、できました。

 

 どちらの旅も、ただの観光だけではなくて、何気に将来の自分のビジョンに必要な目的を兼ねているものです。

 

 それにしても、本当に今年の1月2日の朝に見た、「京都に行く」という初夢が実現する事になるとは、思ってもいませんでした。

 (2018/1/2ブログ 「夢からのメッセージ」 参照)

 

 あとは、山本印店で作った実印や銀行印を、ちゃんと役所や銀行に登録する事もできたし、聖蹟桜ヶ丘の先生にも会いに行く事ができたし…

 

 おそらく、この内のどれも、自分が方向転換を迫られなかったら、やらなかったと思うんです。

 

 特に年末の「お宝期間」と言われる期間は、本当に忙しくて、寝る時間もないくらいでしたけど、これは確実に、来年以降の人生につながっていくような気がします。

 

 そんな風に考えると、一見、自分の思惑と反して、人生が思い通りに行かないように思える事が起きたとしても、必ずしも、悲しむ必要はないのかも知れません。

 

 その方向転換を迫られた時に、やる気を失くして現状を放置したり、ヤケになって、でたらめな行動を取るから、本当にツイていない年になってしまうのだと思います。

 

 ちょうど、僕にとっては、2年前の2016年がそういう年だったのですが、あの時もクールに方向転換をしていたなら、そんなに悪い年にはならなかったような気がします。

 

 前にも書きましたが、2016年と今年の2018年は、僕にとって、非常によく似た事が起こっているのです。

 ただ、それに対する僕の受け止め方と行動が、全く違っていて、その結果、2016年は、かなり苦しかった一年だったのですが、2018年は僕にとって、実りが多くて充実した一年になりました。

 

 考えてみれば、絶対に悪い事が起こる年とか、ツイていない年なんて存在する訳はないし、例え、その年に思惑と反する事が起こったとしても、当人の受け止め方が変われば、最終的には、実りの多い年になると思うんですね。

 

 だって、人生の一年一年は、学びの為にあるのですから…

 

 僕が思うに、何か意図しない事が起きて、苦しかったり、辛かったり感じるのは、もちろん、きっかけは、その何かの出来事である事は間違いないと思うのですが、それ以上に、自分の中にある、それを受け入れられない気持ちによる所の影響が大きいと思うんですね。

 「何で、こんな目に遭わされるんだ」みたいな…

 

 これは、僕が30歳を迎えた時に、ものすごく実感した事です。

 

 30歳の誕生日を迎えた時、何か嫌な事が起きたかと言ったら、別に何も起きていません。

 

 あの時は、たいして貯金はありませんでしたけど、生活も苦しかったわけではないし、体もいたって健康でした。

 

 でも、20代には必ずミュージシャンとして成功する… などと、訳のわからない事を自分にも周囲にも宣言していた当時の僕にとって、30歳の誕生日を迎えて、何もできていない自分を受け入れる事ができませんでした。

 

 あの時は「何で、こんなに頑張ってきたのに…」とか、「何で、大して頑張っていないアイツが成功しているんだ」とか、「何で、よりによって自分がこんな惨めな目に遭わされるんだ」とか、今思えば「何で」を連発して、現実から目をそらして、自分で闇を作り出していたんですね。

 

 客観的に、他の誰かから見たら、別に惨めでもなんでもないでしょうけど…

 

 結局、自分の気持ち一つで、今がどんなに平和な状態であっても、真っ暗な闇ができてしまいます。

 

 逆に、全ての状況において逆境であったとしても…

 例えば、経済的に困窮していて、健康状態も最悪で、今がにっちもさっちも行かないような状態であったとしても、素直な心で、現状を受け入れる事さえできれば、今、やらなければならない事をやりつつ、冷静に方向転換ができるし、それを全てやりきったなら、後は天を信じて、ゆったり時を待つ余裕もできるようになります。

 

 状況は急には良くならなくても、どんどんと自分を高みに上げていけるし、いつしかそれが実りに結びつく事は、間違いありません。

 

 一年を、自ら辛くて苦しい年にしてしまうのは、何かが起きた時に、落ち込んで、何もする気をなくしてしまったり、焦って、でたらめな行動に出たりするからだと思う…

 

 よく、人生で落ち目になった人の事を「坂道を転がり落ちていくように転落した」などと言ったりしますが、今の時代、本当にそんな風になってしまう事は、極めてまれですし、もしもそういう人がいたら、それは、やけっぱちになって踏みとどまる努力を放棄した人です。

 

 もしも実際の坂道を転がり落ちたとしたら、それはもう、自分の力では止められませんが、人生上の坂道であれば、冷静に我に返って、正しい方向転換さえすれば、ちゃんと踏みとどまれるし、ちゃんとまた、上にだって登って行けます。

 

 例え、今年は結果が出せなくたって、来年があるし、まだまだその先には、長い未来があります。

 

 僕が思うに、結局の所、「未来を信じられるかどうか」という一点で、もっと言えば「天を信じられるか」という一点で、随分と人の人生は違ってきてしまう気がするんですね。

 

 今年も、もう間もなく終わり…

 

 来年の2019年も、皆さまにとって素晴らしい一年になります事を、心よりお祈り申し上げます。

 

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