目の訳の試練は、大きな幸せにたどり着く為にある18.11.26
2018年11月26日(月)
いつしか月日は過ぎて、気がつけば今年も、あと35日あまり…
すっかり外は寒くなって、いよいよ冬の到来を感じさせます。
昔の僕は、本当に冬が嫌いで、この位の時期になると、気持ちが、どよ~んと暗くなったものですが、今は少し変わりました。
「冬には、冬の良さがある」という事に、やっと気がついたと言いますか…
(2014/2/7パリブログ 「冬もまた良いものだ…」 参照)
人生というのも、巡る季節と同じで、花が咲きほこる春のような幸せな日々もあれば、寒い冬の吹雪の中を歩くような試練もあったりしますが、どちらも、ありがたいものだなあ… と最近は感じるようになりました。
昨日は、真藤昌瑳煕先生からお誘いを受けて、真藤先生の五行六令運命学入門講座の受講生の素敵なメンバーの皆様と7名で飲み会に行ったのですが、真藤先生からは、これから僕の人生は「夏の季節」に入ると言われました。
何気に僕は、夏が大好きなんですね。
だから、すごく嬉しいです!!
それはともかく、誰の人生にも、幸せに満ちた日々が必ずあるように、時には、試練のような事もある訳ですが、この試練というものも、受け取り方次第で随分と意味が変わってくるような気がします。
最近思うのは、必要以上にそれを恐れたり、いたずらにそれを避けようとするのは、あまり得策ではないな… という事。
ちなみに、寒いのが苦手な僕は、水風呂も大の苦手で、今でも入れないのですけど、昔、まだ夏日になっていない肌寒い日になんかに、水泳の授業がある時には、朝から嫌で嫌で震えていました。
水泳そのものも嫌いだったのですけど、冷たい水の中に入るのが、本当に辛かったんです。
その中でも一番きついのは、「さあ、いよいよ水の中に入るぞ」という瞬間だったりします。
案外、水の中に入ってしまうと、水の冷たさに慣れてしまって、平気になってきますね。
話は変わりますが、僕は10代・20代の頃は、本当にたくさんの数のアルバイトをやってきたのですが、どんな仕事でも、楽なものではありません。
その職場での人間関係のしがらみも、結構面倒ですし…
でも、新しいバイトを始めて、僕が一番辛いと思った瞬間はというと、仕事の初日、新しい職場の場所に案内されて、その部屋に入る瞬間だったりします。
あれ、胃がキリキリと痛くなって、吐き気を催しそうな気持ちになりますね(笑)
でも、一旦乗り越えて、新しい職場になじんでしまえば、最初のような辛さはもうないし、案外、仕事だって楽しく感じられたりします。
いきなりバイト先の上司や社員さんから叱りつけられるのも、きついですけど、「いよいよこれから叱られる」という前置きの時間がない分だけ、まだマシだったりします。
この「前置きの時間」というのが辛いんですね。
お医者さん行って、注射を打ってもらう時、一番辛いのは、実際に注射針が刺さっていたい時よりも、針が肌に刺さるその前の数秒間だったりすます。
僕は昔、冬が大嫌いでしたが、中でも今のこれぐらいの時期が一番暗くなりました。
「さあ、これから冬が来るぞ、来るぞ…」みたいな感覚が辛いと言いますか…
一旦、体が冬の寒さに慣れてこれば、案外、寒いのも平気になるし、さあ、いよいよクリスマスだ、お正月だ、という頃になると、確かに寒さはその頃から一番極まってくるんですけど、そんなに辛いとは感じなくなります。
それに、冬の寒さも、人生の試練も、確かに辛いと言えば辛いのですが、どんなものにも、裏側には逆の本質があります。
冬の寒さがあるからこそ、春の暖かさが際立ってありがたく感じられる訳ですし、大根だって、冬の寒さによって、身が引き締まると言います。
新しい職場のドアを開ける瞬間は、胃が痛くなっても、そのドアの向こうには、新しい出会いと新しい人生の可能性が満ちあふれています。
仕事は決して楽ではないかも知れませんけど、その仕事をする事でお給料が出て、生活が潤いますし、働く事によって社会に貢献して、その結果、それに関わる人が恩恵を受ける事で、それが巡り巡って自分も恩恵を受ける事になります。
同じ試練でも、その裏側にある本質に目を向けると、そんなに嫌なものでもないし、それによって幸せをたぐり寄せられるのだと思えば、俄然やる気がみなぎってきたりします。
人は試練を乗り越えて、自分が成長する事によって、より大きな幸せが手に入れやすくなります。
これだけは間違いなく言えるのは、今の境遇がどんな状態であっても、人が見ていようが見ていまいが、自分が正しいと思える行動を常に取って、その結果、周りの人達が幸せになっていけば、自分も必ず運が開くという事…
目の訳の試練は、大きな幸せにたどり着く為にある…
これから、冬がやってきますが、寒さに負けないで、この季節の良さを感じながら、思い切り楽しみましょう。
P.S.
「藝文東京ビエンナーレ」に、ご来場くださいました皆さま、本当にありがとうございました。
同じ会場の池袋の東京芸術劇場にて、11月27日~12月2日の間、書家・野尻泰煌先生の泰永会による「第29回泰永書展〜チェコ共和国 国際交流展〜」が開催されます。
ちなみに浅野太志(雅号:豊峰蓬莱)も、作品を一点、出展しております。
第29回泰永書展 公式ページ
もしお時間がありませたら、ぜひ、池袋までお越しになってみてください♪
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「East Etteillaプロジェクト」始動!!18.11.19
2018年11月19日(月)
大分、ブログをご無沙汰してしまいました…
久しぶりに更新したブログの題名が、いきなり「East Etteillaプロジェクト始動」って、一体何なんだ… と思われた方も、いらっしゃると思います。
実はこれは、6年前にパリに行った時からずっと、僕の妄想の中に存在していた言葉なんです。
「East」は英語と同じように、フランス語でも「東」の意味で、フランス語の場合、若干発音が英語と違って「イースト」ではなく「エスト」となります。
「Etteilla」は、言わずと知れたパリの占い師「エテイヤ」の事で、伊泉龍一先生がこの読み方を広げたのですが、日本では古くから「エッティラ」の名前で親しまれていました。
でも、フランスの人の発音を聞くと「エテラ」とか「エテーラ」みたいな感じに聞こえます。
だからきっと「East Etteilla」は、「エスト エテーラ」という感じでしょうか。
でも、読み方は別に何でも構わないです(笑)
「エスト エテイヤ」でも、「エスト エッティラ」でも、「イースト エッティラ」でも…
これを直訳すると、「東のエテイヤ」となります。
僕は、パリにいる時からずっと、エテイヤ・タロットの系統のオリジナルタロットを作りたいという夢がありました。
エテイヤ・タロットというのは、数あるタロットの中でも、かなり扱いにくい代物で、エテイヤのタロットを扱っている占い師は、日本でも、ラム子さんを始めごく少数ですし、おそらくそれは、世界でも同じです。
ちなみに、フランスでは、通訳のステファンさんが必死になって、エテイヤタロットの占い師を探してくださったのですが、一人も見かりませんでした。
(2012/3/20パリブログ 「かき消されたエテイヤの足跡」 参照)
実際にあれを使って占おうとすれば、わかるのですが、正位置・逆位置に当てはめられた、ことごとく意味を限定するキーワードや、事細かいコンビネーションリーディングの指示など、余程によくカードを租借しない限り、本当に扱いが大変です。
それに基本的に、ネガティブなカードが多いんですね…
だから僕は、特別に依頼がない限りは、エテイヤタロットを使って鑑定する事はないし、相変わらずウェイト版を使っています。
リーディングをするのに、すごく疲れるので(笑)
そんな訳で、あのエテイヤ・タロットを、もっと占いに使いやすく改良したオリジナル・タロットが作りたいと、前から本気で思っていました。
とはいえ、それは、もし仮にエテイヤが今、生きていたとして、彼が、ちゃんと納得してくれるようなものでなくてはならない…
適当に意味を考えて、オリジナルタロットを作るのなら簡単ですが、それでは意味がないし、エテイヤに失礼です。
これでも僕は、エテイヤに関しては、人には負けないくらいそれなりの時間を掛けて、リサーチをしてきました。
それでもまだまだ、知識が足りないのはわかっていますし(主に言語能力の無さがネックで…)彼がしたかった「エジプトで作られたタロット(実際には存在しませんが…)の復元」を、よりもっと深めていく延長線上に、そのオリジナルタロットは、なくてはいけない…
そんな中、高天麗舟先生の紹介で、書の師匠・野尻泰煌先生に出会い、素晴らしい仲間達と一緒に「藝文東京ビエンナーレ」という2年に一度、大掛かりな展覧会を行う「藝文会」という芸術集団に所属する事になりました。
僕は2年前から、「藝文東京ビエンナーレ」に出展しているのですが、2年前にはまだ、オリジナルタロットを手掛けるほどの勇気はありませんでした。
その時は、油絵「パリの風景 ~セーヌ川とノートルダム寺院~」と、オリジナル曲 “Songe à Paris ~改良版~”を出展しました。
(2016/11/20ブログ 「占い暦325」 参照)
タロット78枚を描くなんて、時間的に無理ですし、そもそも不可能にしか思えなかったんです。
だいたい僕は、絵だってシロウトですし…
でも、今回はもう逃げない事にしました。
78枚全部は無理でも、自分なりに意味が解明できつつあるカードから、描いていけばいいし、これは油絵の特権でもあるのですけど、もしも出来が不完全なら、上から色を重ね塗りして、また2年後の展覧会の時に提出し直す事もできる…
今年こそ、何枚かは描いて、夢をスタートさせようと思いました。
無理がない範囲という事なら、3枚、多くても5枚かな… と最初思ったのですが、2年に一度の展覧会で例え5枚ずつ絵を描いたとしても、78枚仕上げるのに32年掛かってしまいます。
その時、僕は79歳です。もしかしたら、これまでの不摂生がたたって、この世にいないかも知れません(笑)
やっぱり10年以内には描き上げたいです。
そうなると、展覧会は2年に1度だから、78枚÷5で、16枚提出するのが4回、14枚提出するのが1回で、描き上げる事ができます。
正直、2年前から、展覧会がある事はわかってはいたのですけど、何も準備をしていませんでした。
だから、今回は2週間で2年分の作品の製作をしなければなりませんが、それでも最低、14枚は描き上げよう…
そう決めて、講座と鑑定の合間を縫って、寝る時間も惜しみながら、今日の朝まで掛けて、何とか描き上げました!!
間違っても、名画と言えるような立派な作品ではありませんが、それでも惜しみなく努力を情熱は注ぎました。

絵を描きながら、いつも考えていたのは、ウェイト版の78枚の絵を描き上げたパメラ・コールマン・スミスの事です。
パメラ・コールマン・スミスは、アーサー・ウェイトからはスズメの涙ほどの賃金しかもらう事なく、生涯独身で、借金を背負ったまま亡くなった女流画家…
パメラは、この世的には、あまり幸せと言える人生ではなかったかも知れませんが、それでも彼女は自分の使命をちゃんとやり遂げて、死してなお、パメラの名前は、ウェイト版タロットを扱っている人には、広く知れ渡っています。
改めて、自分で絵を描いてみると、これがいかにすごい事なのかが、身にしみてわかりますね。
ちなみに、僕の作品は、今年は14点しかありませんが、これらの作品は、また上から色を塗ったりして修正を加えて、2年後の展覧会にも登場します。
ですので、稚拙な状態の作品が見られるのは、今年が最後です(笑)
そうすると、2年後の展覧会では、また新たに16枚の絵を追加するので、結果的に作品は30点になります。
そして、4年後には46点となり、6年後には62点、そして8年後に78点の作品が完成します。
という事で勝手に、「East Etteilla 8ヶ年プロジェクト」と銘打つ事にしました。
「藝文東京ビエンナーレ」は、本日11月19日(月)~11月25日(日)まで、東京池袋の東京芸術劇場で開催されております。
僕の作品は、中でも異色なものですが、本当に実力がある16名の芸術家の精魂込めて作った芸術作品は、もう圧巻です。
僕もしっかりと拝見させて頂きましたが、かなりレベルが高い作品が揃っています。

藝文東京ビエンナーレ 公式ページ
皆さまのご来場を、心よりお待ち申し上げております!!
ちなみに浅野太志(豊峰蓬莱)は、明日11月20日は、確実に会場におります(^^)
もし良かったら、クリックしてください(^^)
近畿への旅 第1話~第8話+後日譚18.11.10
2018年10月23日から出発した「近畿への旅」のアーカイブです!!
全てはここから始まった
~近畿への旅<1>「滋賀・多賀大社へ」~
http://asano-uranai.com/blog/52/
雅の都・京都の地へ
~近畿への旅<2>「京都探索・その1」~
http://asano-uranai.com/blog/53/
歴史と史跡を訪ねて
~近畿への旅<3>「京都探索・その2」~
http://asano-uranai.com/blog/54/
いざ、天河神社へ
~近畿への旅<4>「奈良・天河神社へ」~
http://asano-uranai.com/blog/55/
大峰山の紅葉
~近畿への旅<5>「大峰山・洞川温泉にて」~
http://asano-uranai.com/blog/56/
古の神を求めて
~近畿への旅<6>「奈良・三輪大社へ」~
http://asano-uranai.com/blog/57/
天照大御神と月読命
~近畿への旅<7>「三重・伊勢神宮外宮へ」~
http://asano-uranai.com/blog/58/
目に見えないものとのつながりを確かめながら
~近畿への旅<8>「三重・伊勢神宮内宮へ」~
http://asano-uranai.com/blog/59/
旅の後日譚 ~変わりゆくものと変わらない真実と…~
http://asano-uranai.com/blog/60/
北陸への旅・アーカイブは、こちら
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旅の後日譚 ~変わりゆくものと変わらない真実と…~18.11.09
2018年11月9日(金)
今日の東京は朝から、雨がシトシトと降り続いています。
また、いつものように、時間に追い立てまわされる生活…
今日は3件の鑑定をやらさせて頂きながら、その合間に溜まっているメールを返信したり、その途中で、少しウトウトしてしまったり… と、いつも通りの生活が始まりました。
でも、この慌ただしい生活、何気に好きです。
今回の近畿の旅の途中で、失くしてしまった携帯電話は、意外な形で発見されました。
携帯がなくなった時の状況をもう一度、整理すると…
下市口駅前から、近鉄線8:46発「特急・大阪阿部野橋 行き」に乗って、インスタグラムで京都の写真をアップして(つまり、この時点で確実に携帯はあった…)その後、橿原神宮前(かしはらじんぐうまえ)駅に降りた。
そして、橿原神宮前のホームにあるベンチにいったん腰を下ろして、そこで荷物を整理して、今度は「青山町行き」の電車に乗り込み、電車の中で、初めて携帯がない事に気づいた。
この中で、携帯がなくなる可能性があるとしたら、
<1つ目のパターン>
「特急・大阪阿部野橋 行」の電車の中に、携帯電話を置きっぱなしにして、橿原神宮前駅に降りてしまった。
<2つ目のパターン>
橿原神宮前のホームのベンチで、荷物を整理している時に、携帯電話をバックに入れず、ベンチに置いたままにしてしまった。
という、2つのパターン以外には、考えられません。
もちろん、歩いている途中で、携帯を落としたという可能性も、ゼロではないのですが、基本、持ち物を用心深くポケットの奥にしまう僕は、歩いていて、物を落とす事は、まずありません。
とはいえ、駅事務所で調べてもらった結果は、僕が乗った「特急・大阪阿部野橋 行き」は、すでに車内点検も済んで、とっくに車庫の中に入っているが、携帯電話は、どこにも発見できなかったとの事…
また、橿原神宮前のプラットホームのベンチは、自分の足でその場所に行き、そこには確実にない事を、この目で確認しています。
にもかかわらず、その日の夕方になっても、携帯電話の落とし物の届け出はない…
この結果をふまえると、「誰かが、特急電車の中、もしくは橿原神宮前のプラットホームのベンチで携帯電話を見つけて、その場から持ち去ってしまった…」という結論に、どうしても、たどり着いてしまいます。
それからというもの、心の中が、何とも言えない怒りに支配されて、翌日の月読宮に行って参拝するまでは、ずっと気持ちが塞いだままでした。
失意のまま東京に帰り、その日は、夕方からの用事で夜遅くなってしまったので、翌日、I Phoneの会社であるアップル社に、携帯の止めてもらって、可能であれば、遠隔操作で中のデータを抹消してもらうべく、電話をしました。
その時のアップル社の電話対応は、まさに「神対応」と言っても良いくらい、親切で最高のものでした。
「携帯を失くしてしまわれたのですね。それは大変心配ですね。まずは、GPSで携帯の場所を特定してみましょう。パソコンをお持ちでしたら、リモートサービスでつないで、ご案内させて頂きますが、いかがでしょうか。」
「そんな事ができるのですね!!ぜひとも、お願いします。」
「はい。もしも、携帯に電源が入っていれば、現在の携帯の場所の特定は可能です。それでは、次のページで「ICloudID」と「パスワード」を入力してみてください」
そして、僕のパソコンには、次のような画面が映りました。

地図の真ん中の緑色の丸印が、ピコピコ動いています。
「どうやら、携帯はこの場所にあるようですが、心当たりはありますか?」
「河内天美駅ですか… 行った事もないし、初めて聞く名前の駅ですが、携帯を失くした日に僕が利用した近鉄線の駅のようです。あとは近鉄線の人に聞いてみます。本当にありがとうございました。」
「また、お困りの事がございましたら、遠慮なくお電話ください」
まさか、こんなに簡単に携帯の場所がわかるとは…
この地図を目を凝らして、よくよく見ると、「河内天美」という駅の線路の上にあるのですね。
大体の事情は、何となく把握できた気がしました。
つまり、「特急・大阪阿部野橋 行き」の車内点検が甘くて、車内にある僕の携帯電話が発見できないまま、ずっと放置されていたに違いありません。
そして、点検の後、電車はそのまま、発着駅である河内天美駅に、止められたままになっているという事なのでしょう。
この後、近鉄に電話をして、「河内天美」駅に止まっている特急電車の中を調べてもらいました。
そして、無事に、電車が止まっているそのポイントの場所で、携帯電話は発見され、それを無理にお願いして、着払いの宅配便で、至急、東京に発送してもらいました。
それにしても、GPSというものの機能と正確さには感服です。
一番悪いのは、携帯を電車の中に置き忘れた僕ですが、電車の点検のチェックが甘く、携帯電話を乗せたまま、電車が車庫に入ってしまったので、ずっと発見されないままの状態で、時間が過ぎてしまったいう訳です。
携帯電話を持ち去った悪人なんて、どこにも存在していないにもかかわらず、僕はずっと、疑心暗鬼の思い込みから抜け出せずにいました。
本当に、恥ずかしい話です。
それにしても、今回の旅行は、僕に素晴らしい体験をさせてくれました。
人というものは弱いもので、物事が自分の思惑とは違った風に動くと、途端に不安になって、何とか、元の通りにならないものかと、焦ったりするものですが、それを一旦受け入れる事によって、次のステージに進む事ができる…
携帯電話をなくしてしまった時の僕のように、「何でこうなるんだ」と心を閉ざしてしまえば、途端に疑心暗鬼に陥って、怒りのスパイラルから出られなくなったり、普通なら、絶対にやらないようなミスをして、とんでもない時間が無駄になったりと、何もかもが、チグハグな状態になってしまいます。
人生もこれと同じで、いきなりのハプニングで、自分が思い描いていた未来のビジョンがいきなり崩れてしまう事だって、あるかも知れない…
そんな時には、一旦その状況を受け入れて、冷静に最善の方法を考えてみるのが良いでしょう。
人生はまさに「塞翁が馬」で、まさしく禍福はあざなえる縄の如しなのですから…
(2014/3/13パリブログ 「人生、塞翁が馬」 参照)
変わりゆくものと変わらない真実と…
今、自分の周りの縁が、音を立てて、変わっていくのを感じています。
僕自身は、今のまま、縁が続いてくれたらいいと思っていても、どうやらそういう訳にも行かないようで、例え、安井金毘羅宮の「縁切り縁結び碑」をくぐらなくたって、切れていく縁は切れていく…
確かにそれは悲しい事だけど、それと同時に、また新しい縁が結ばれていく…
全てが変わりゆくのが、この世の定めですし、その変化が人生に、大峰山の紅葉のような彩(いろどり)を与えてくれる…
とはいえ、この世界の屋台骨は、変わらない真実によって、できているとも思う。
どんな状況になろうが、自分の心にやましい所がなく、常に自分が正しいと思う生き方が貫ければ、必ず、ピンチから抜け出せるし、今の自分にふさわしい縁がどんどんできてくる…
だから、今、目の前の縁のある人に、自分ができる精一杯の事をしながら、共に楽しんで生きていこう…
ふと、そんな風に、思いました。
P.S.
「近畿への旅」を、これまでの8回のブログで綴ってみたのですが、眠気や疲れと戦いながら文章を書いていたので、アップしたての時の最初の文章は、本当に申し訳ないぐらいに、読むに堪えないリズム感のない文章でした。
あとから何度か推敲し、内容は変える事なく、加筆修正しておりますので、まだ、アップしたての時の文章でしか読んでいない方は、ぜひ、もう一度ご覧になってみてください。
全てはここから始まった ~近畿への旅<1>「滋賀・多賀大社へ」~
雅の都・京都の地へ ~近畿への旅<2>「京都探索・その1」~
歴史と史跡を訪ねて ~近畿への旅<3>「京都探索・その2」~
天照大御神と月読命 ~近畿への旅<7>「三重・伊勢神宮外宮へ」~
目に見えないものとのつながりを確かめながら ~近畿への旅<8>「三重・伊勢神宮内宮へ」~
※ちなみに、これ以外の過去のブログも、時々読み直しては、内容は変えないで、加筆修正しています(^^;;
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