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どんな状況であっても、感謝を忘れない人は、無敵18.08.26

2018年8月26日(日)

 

 夏の暑さがおさまったかと思いきや、昨日今日と、また暑い日が続いています。

 

 今日の東京なんて、37度…

 さっき、ほんの少し外を歩いただけなのに、すっかり汗ばんでしまいました。

 

 とはいえ、季節は確実に秋に近づいている事は確かで、夜な夜な大きくなっていく虫の鳴き声が、それを感じさせてくれます。

 

 学童時代の僕は、よくこの位になると、夏休みの宿題が気になりだして、いつもそわそわしていました。( …それでも結局、8月31日になるまで、宿題を始めなかった(笑)

 

 ここの所、身の回りにいろいろと変化は起きているのですが、毎日、穏やかな気持ちで、感謝しながら暮らしています。

 

 別に、感謝する事を意識している訳でもないのですが、自然にそういう気持ちになってしまう、と言いますか…

 

 こう書くと、「よっぽど、仕事や家庭生活がうまくいっていて、幸せなんだ…」などと、うらやましがられそうですけど、取り立てて、そういう訳でもないんですね。

 

 多分、今の僕の置かれているシチュエーション、2年前の僕だったら、感謝できていなかったと思います。

 

 おそらくは、目の前の思い通りにならない事に、意識をクローズアップさせて、悶々と悩んでいたかも知れません。

 

 僕にとって、2年前の2016年というのは、ここ最近ではないくらい、トラブル続きの年だったのですが、今思えば、そのトラブルの半分くらいは、自分の感謝のなさが、引き起こしたものだった気がします。

 

 もしも、今のように、穏やかな精神状態で、もう一度2016年に戻ってやり直せたなら、あのトラブルは半分ぐらいになっていたと思いますね。

 

 もちろん、残りの半分のトラブルは、絶対に避けられなかったような気もしますけど、それでも、最小限度のトラブルに食い止める事ができたと思います。

 

 よく「泣きっ面に蜂」などと言いますけど、あれはどうしてそんな事になるかと言えば、何か思い通りにならないような事が起こった時に、それに心が囚われてしまって、感謝を忘れてパニックになったり、ヤケを起こしたりするからじゃないかと思うんですね。

 

 そんな時に、ついやってしまうイライラした仕草が、周りの人から反感を買ったり、不注意によるミスや事故につながったりして、次のトラブルを呼び込むといった具合です。

 

 だから、目の前で、自分にとって思わしくない出来事が起こったとしても、それに心を囚われて怒りに心を満たされないで、クールダウンして、それでも周囲に感謝する事ができたなら、それ以上トラブルは広がっていく事もないし、そこから、また良い運気の循環が始まります。

 

 理屈ではそうかも知れないけど、これは感情の問題なのだから、そんな風になれる訳がない… と、言われる人もいるかも知れません。

 

 確かにその通りなのですが、人間の感情というのは不思議なもので、同じ体験を繰り返すと、だんだん免疫がついて来て、それと同じような事が起こっても、心が取り乱さなくなってくるものです。

 

 逆のパターンですと、どんな素晴らしい体験でも、初めて体験した時には、すごく感動した事も、何度も繰り返して体験すると、だんだん当初の感動もなくなってきます。

 

 それこそが、人の心のメカニズムです。

 

 だから、現実の世界で起こった事柄の大小というのは、心の世界において、それほど重要ではありません。

 全ては、心がどう感じるかによって、決まってしまう事になります。

 

 もちろん、だからと言って、現実から目をそむけたっていい… という意味ではなく、現実世界の出来事は、ちゃんと理性的に現実世界で処理していかなければなりませんし、周りの人に対する配慮も忘れてはいけないのですが、それを不必要に自分の心の中にまで、持ち込む必要はありません。

 

 自分の心というのは、本来、自分の思いによって、どのようにでも操れるものですから、なるべく感謝の気持ちや、幸せな気持ちに満たして、快適に過ごすのが理想です。

 

 感謝は良い事だとは思うけれど、別に今、感謝するほど幸せでもないし、感謝できるような事もない…

 

 ついつい、そんな風に考えてしまいがちですけど、感謝する事柄なんて、無尽蔵にあったりします。

 

 随分前に、感謝の達人のMさんの話を書いた事がありますが、「青空の下を歩く」とか「人との出会い」とか、そんな何気ない事でさえ、感謝の対象にもなりえます。

(2012/4/16ブログ 「感謝の達人」参照)

 

 そんな風に、ちょっと自分の心持ちを切り替えるだけで、目の前の現実そのものは変わらなくても、人生は天国と地獄ほどの差ができます。

 

 そして、その心持ちが、新たな現実を呼び込む事になります。

 

 もしも、自分自身が、少しでも周りの人を幸せにしたり、周りの人に良い影響を与える人間になりたいと願うなら、まずは自分自身が幸せな状態でなければならない…

 

 ちっぽけな現実の事柄に、落ち込んでいるような暇なんてないから、さっさと気持ちを切り替えて、今の自分が恵まれている状況に置かれている事に気づく。

 

 どんな状況であっても、感謝を忘れない人は、無敵…

 

 それができる人は、自分の人生も周りの人の人生も、この世界さえも、幸せに満ちたものに変えていく事ができるはずです。

 

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過去の人生における「瞬間のIf」は、存在しない18.08.19

2018年8月19日(日)

 

 お盆も過ぎて、「酷暑」という表現がふさわしかった、この夏の暑さもおさまり、少しずつ過ごしやすくなってきました。

 

 いつも毎年、「今年の夏こそは、海に行って泳ぐぞ」と誓いを立てるのですが、今年も、それが叶えられないまま、終わってしまいそうです。

 

 もう、20年以上、夏が来るたびに、そんな事を言っていますね。

 

 大して難しい事でもなさそうなのに、どういう訳か、毎年、予定が思うように合わなかったり、行こうと思っていた日の天候が悪くなったりして、結局、断念するという…

 

 よっぽど、海と相性が悪いのかも知れません(笑)

 

 でも、夏の時期に、海には行けていないのですが、2015年の12月に、S君夫妻とサイパンの海に入っているので、考えてみれば、20年間、全く海に入っていないという訳でも、ないんですね。

 

 あのサイパンの旅から、もう3年が経ちます。( 「サイパン・ブログ」 参照)

 

 本当に早いものです。

 

 ここ最近、かなり身の回りの環境が変化していて、時間に追われながら、あわただしく動きまわっています。

 

 昔の僕は、過去のある瞬間を振り返って、「あの時、ああしていたら、良かったのに…」などと、後悔にふける事が多かったんです。

 

 まあ、ああいうのは、暇だからできる事であって、こんな風に忙しいと、正直、そんな事を考えている時間もありませんね。

 

 それに、例え過去のその時に「こうすれば良かった」と思う事ができたとしても、どの道、最後は、今と同じような結果に導かれてしまうんじゃないかな… って、最近では、思うようになったんです。

 

 だから、そんな風に過去の事を後悔してみても、あんまり意味がないし、時間の無駄だから、今では、やらなくなりました(笑)

 

 とはいえ、もちろん僕は、「人生の筋書きなんて、全部決まっている」といった宿命論を信じている訳ではありません。

 

 それでも、たった一人の人間のたった一度の気まぐれな決断で、全体の未来が大きく変わってしまうほど、我々の生きているこの世界は、ヤワではないとも思うんです。

 

 たいがい、こういう後悔をする時のパターンというのは、何かのトラブルに巻き込まれた時とか、今までうまく行っていた人間関係がうまく行かなくなってしまった時なんかが、多いですね。

 

 そのトラブルが起きるきっかけになった自分の選択や、人間関係がうまく行かなくなる原因を作った自分の言動に対して、悶々と後悔して、食欲も無くして、ふさぎこんだりするアレです(笑)

 

 誰でも、こういう経験は、一度や二度はあるのではないでしょうか。

 

 その選択や言動というのは、自分では、その瞬間に何気なくしたつもりでも、よくよく考えると、自分の心の中には、そこにたどり着く為の伏線や道筋が、しっかりとできていたりするものです。

 

 だから、仮にその時に別の選択をして、一時的に難を逃れたとしても、結局はまた、同じシチュエーションがやってきて、遅かれ早かれ、やっぱり同じような結果に導かれてしまうような気がするんですね。

 

 トラブルが起こったり、人間関係が崩れるのは、先延ばしになったとしても、自分の心の中に、その選択にたどり着いた導線の「芽」が残っている限りは、やっぱり、同じような事になってしまう…

 

 ちょっと、究極な例ですけど、墜落した飛行機に乗っていた人が、チェックインの前に「飛行機を変える」という選択をしたなら、理屈の上では、その人の運命は全く別のものになるはずです。

 

 でも、普通は、そんな選択はしません。

 もし仮に、その過去の時点にタイムトリップして戻れたとしても、その時には、飛行機は墜落していなかった訳ですから、結局、同じ選択をしてしまうはずです。

 

 だから、急にチェックインの前で飛行機を変えたりして、命拾いした人というのは、やっぱり最初から、守られていたと思うんです。

 時間軸を超えた、何か不思議なエネルギーに…

(2014/9/16ブログ 「目の前に起こる事は、偶然のようで偶然ではない」 参照)

 

 では、結局、我々には、未来の運命を変えるすべはないのか… と言ったら、もちろん、そんな事はないでしょう。

 

 とはいえ、本当に運命を変えようと思ったら、目の前にある選択といった表面的な所ではなく、もっと深い部分を見ていかなければ、ならないでしょう。

 

 例えば、何かをやらかしてしまって、職場をリストラされてしまったとします。

 

 その時に、「あんな事を、やらかさなければ良かった」というふうに、その一瞬の決断を後悔してみても、あんまり意味はないんですね。

 

 それをやらかしてしまった原因となる、考え方の伏線や道筋が、心の中にあるのですから、そこを変えない限り、例え、その時は失敗をまぬがれて、リストラが先延ばしになったとしても、いつかはまた、同じような事になります。

 

 その失敗の原因は、自分の集中力の欠如のせいかも知れませんし、仕事に関する知識が足りなかったせいもあるでしょうし、単に油断していた、というのもあるでしょう。

 

 でも、より深く掘り下げてみると、その遠因は、自分の仕事に対するモチベーションだったり、さらに言えば、自分自身の心の状態そのものかも知れません。

 

 もし、仕事に対して、高いモチベーションで取り組んでいて、心の中に不平不満や愚痴のようなものも無くて、日々感謝するような生き方をしていたなら、きっと、周りの人も助けてくれるし、例え、少しぐらい何かやらかしてしまったとしても、即リストラされる事は、ないでしょう。

 

 例えば、目の前の人間関係が、自分のちょっとした言動が原因で、うまく行かなくなってしまったとして…

 

 その時に「あんな一言を言わなければ良かった」とか「あんな事をしなければ良かった」と、そのたった一つの言動を、後悔してみても、あまり意味はありません。

 

 その言動は、自分が意識しようと意識しまいと、自分の心の中の相手に対する気持ちから出たものなのですから、例えその時、我慢して言わなかったとしても、いつかは口に出てしまうでしょうし、言葉に出さなかったとしても、そういう気持ちは、いつしか伝わってしまうでしょう。

 

 むしろ、言いたい事を我慢し続けて、関係を無理やり維持するよりも、早い内に、うまく行かなくなってしまった方が、もしかしたら良いのかも知れません。

 

 そんなに親しい関係でなく、単に取引先の人とかであれば、我慢してやり過ごすのもありでしょうが、親しい関係で、長いつきあいになりそうな相手であればあるほど、なおさらです。

 

 いつかは、ぶつかる時が来るでしょうし、それを避ける為に、死ぬまでずっと我慢するなんて、苦痛そのものです。

 

 本気で、その人との人間関係をうまく行かせようと思うなら、心の中で、ついつい口にしてしまいたくなってしまう自分の衝動以上に、相手の事を理解して、相手を大切にしたいという思いが強くなければなりません。

 

 結局の所、過去の一刹那の言動で、今ある状態が決まった訳ではなく、やっぱり、常日頃からの自分の心の状態が、今のこの状態を作り出している…

 

 よって結論からすると、過去の人生における「瞬間のIf」というのは、やっぱり、存在しないと思うんですね。

 

 その「If」というものがあるとすれば、それは、「もしも、自分がこんな風に考えられるようになったら…」というような、自分の心の状態に関するものでなくては、ならないでしょう。

 

 そういったものは、たやすくは変えられないものですが、逆に、それさえ変えられたなら(自分の心の器が、広げられたなら)、人生は、どんな風にだって変えていけるし、未来を良くして行ける…

 

 過去にしてしまった選択を後悔する必要はないし、そんな時間があるなら、今の自分の器を広げて、未来の運命の可能性を探る方がいい…

 

 昔は、いつもいつも後悔してばかりの僕でしたが、ここ最近は、そんな風に思うようになりました。

 

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自分を責め続けている時には、再発防止の手段は講じられていない18.08.09

2018年8月9日(木)

 

 台風の影響か、東京の空はどんより曇り空で、外は風が強く吹いています。

 

 サロン ド シルフィーユの備品を補充しておこうと、中野にあるホームセンターの島忠で、買い物をして、ついでに外でお昼も済ましてしまおうと、飲食店を探しました。

 

 そして、たまたま見つけたのが、中野駅から、中野通りを少し南に進んだ所にある「横浜家系ラーメン・武道家二代目」…

 

 武道家というくらいですから、覚悟して入ったのですが…

 やはり半端ではありませんでした(笑)

 

 ラーメンを作ってくれる若人の男性店員さんの、気合いと掛け声が、まるでレスリングの練習場のように響いていて、活気があるお店でした。

 

 僕が注文したのは、麺の量は普通サイズの「味玉ラーメン」だったのですが…

 

 店員さんから、「サービスのライスを、お付けしますか」と聞かれたので、せっかくだからと思い、お願いすると、ラーメンが出てくる前に、どんぶりでライスが出てきて、それとは別に、チャーシューと、高菜と、揚げネギが入った3つのどんぶりも、目の前に置かれ、「お好みで、ご自由にお召し上がりください」と言われました。

 

 「うう… これでは、ラーメンを食べる前にお腹が一杯になってしまうのではないか」と思いながら、出されたどんぶりのチャーシューを、ライスの上に載せて食べていると、いよいよ、注文したラーメンが出てきました。

 

 これがまた、武道家のラーメンだけあって、すごい…

 

 スープは、背脂とコラーゲンそのもので、超ボリューミーです!!

 

 まあ、それでも、若い頃の村野大衡先生であれば、喜んで平然と、これを完食すると思います。

 

 しかし、これはまさしく、リング上でのラーメンとの格闘ですね。

 食欲旺盛の若者には、まさにおすすめのお店です。(ご飯もお替りできますし…)

 

 これ、20代の頃の僕だったら、「負けるもんか」とばかりに、きっと完食したと思います。

 

 でも、さすがにこの年になると、この油はちょっと厳しいですね。

 ラーメンを一口すする度に、息が上がってしまい、ついにノックアウトされました。

 

 おそらくこのボリュームになると、今の村野先生であっても、完食は難しいと思います。

 

 僕も、無理にこれ以上食べようとすれば、お店で吐いてしまいかねないと思ったので、やむなく断念する事にしました。

 

 今から6年前に、別のラーメン屋で、これと同じ経験をした事が、頭によぎります。

(2012/10/26ブログ 「秋葉原散策♪ P.S.」 参照)

 

 お腹を押さえながら、サロン ド シルフィーユのある中野坂上行きのバスに乗ったのですが、完食できなかったのは、やっぱり悔しいですね(笑)

 

 そんなつまらない事を悔しがっても、仕方ないんですけど…

 

 ラーメンの事は、とにかくとして、僕は本当におっちょこちょいで、いつもいつも、信じられないようなミスをやらかすんです。

 

 つい先日も、そんな事があったのですけど、失敗した事を思い出すと、本当に自分が情けなくて、恥ずかしくて、嫌になってきて、しばらくの間、ずっと自分の事を責め続けてしまいます。

 

 僕の場合、あんまり人を責める事はしないんですけど、その分、いつも自分を責めるような癖があります。

 

 それで、その割には、心の底で本気で改めようとしていないから、同じような失敗を、また繰り返してしまうんですね。

 

 「自分を責める」と言うと、きわめて真面目で勤勉そうなイメージがありますけど、実際の所は、ただ、自分が起こした失敗に、感情的になっているだけかも知れません。

 

 人間の心というのは、あまりにも自分を責めすぎて極限に達すると、自分が崩壊してしまうのを回避する為に、うまく言い訳して、その責任を、第三者になすりつけようとする事があります。

 

 つまり、失敗して自分を責める人よりも、失敗をいつも誰かに責任転嫁している人の方が、間違いなく、より心は弱いと言えます。

 

 でも、本当の問題は、「責任が誰にあるのか」という事ばかりに、意識が行き過ぎて、「再発を防止するためにどうしたらいいか」という、発展的な思考が完全に欠落してしまっている所に、あるのかも知れません。

 

 よく、何かの問題が起こる度に、「誰が悪いのか」という事ばかりをトップが追及して、いつもみんながも戦々恐々としているような職場が、あります。

 

 器が小さくて、人の上に立つのにふさわしくない人間が、トップに立っている時に、こういう事が起こります。

 

 こういう上司は、いつも部下に責任を押しつけて責めている割には、自分は何一つ反省しないし、対策を考えようともしません。 …こんな職場で働いている人は、今すぐ辞めて、別のもっとまともな職場を探した方がいいです(笑)

 

 でも、もしかしたら、「自分で自分を責めて、クヨクヨしている」という状態も、こういう職場の上司と同じように、責任を逃れて楽になりたい自分が、もう一人の自分の事を責める事で、「こんなに自分に対して、腹を立てているのだから、俺は悪くないんだ」と、主張したがっているだけかも知れません。

 

 そして、責められているもう一人の自分は、どんどん悲しくなって、自己憐憫に陥っていきますが、結局の所、この構図では、再発防止の手段は、何ら講じられる事もないし、おそらく近い内に、また同じような失敗を繰り返すという訳です。

 

 ついでに、あんまり自分の事を責めていると、波長の法則によって、皮肉な事に、さっきのひどい職場の上司のような、どうしょうもない人間との縁を引き寄せる事になります。

 

 だから意識して、自分を責めすぎないように、しなければいけません。

 自分の心の中で、独り相撲のパワハラが起こらない様に…

 

 自分を責め続けている時には、再発防止の手段は講じられていない…

 

 なんだか、頭の中がスッキリしました!!

 

 よし、今度こそミスしない様に、しっかり仕事するぞ~

今度から必ず、メルマガの一斉送信する前に、テスト送信したメルマガのリンクを一通りクリックするぞ~

 

 という事で、頑張ります(^^;;

 

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自分らしさを意識すると、かえって自分らしくなくなる18.08.02

2018年8月2日(木)

 

 ふと気づけば、いつしか8月…

 本当に月日がたつのは、早いものです。

 

 外はまだまだ暑いですが、日はすでに少しずつ短くなってきているし、涼しい秋の訪れも、もうそこまで来ています。

 

 僕の師匠が良く言っていましたけど、人生というのは、年を取れば取るほどに、時間の経ち方が速く感じるという事を、今、しみじみと実感しています。

 

 特に、2012年にパリに行って帰ってきてからというもの、本当、まるでジェットコースターに乗っているみたいに、僕の回りの時間が過ぎていきます。

 

 あと、どれだけの時間、この人生の中で学ぶ事ができるのかなあ… なんて、最近はふと思ったりなんかしてみて…

 

 僕の若い頃は、いつも、頭の中にモヤモヤとした悩みがもたげていて、道を歩いている時でさえ、ドヨ~ンとした気持ちでいる事がほとんどでした。

 

 あの頃は、ミュージシャンとか俳優なんかを目指していたのですが、自分の中の理想のイメージと、自分らしく生きられていない現実とのギャップに、いつも苛立ちを隠せなかったと言いますか…

 

 道を歩いている時、きっと怖い顔をしていたと思います(笑)

 

 あの頃、鏡を見るたびに、日に日に自分の顔が醜くなっていく様子がわかって、それが恐ろしくて、鏡を見れなくなった時期もあったんです。

 

 同い年の友人が、就職したり結婚して家庭を築いたりしているのを横目で見ながら、「あんな平凡な人生なんてつまらない。自分らしく生きるんだ…」なんて言いながらも、実際、自分のやっている事は、ミュージシャンでも俳優でもなく、単なるフリーター…

 

 あの頃は、雇い主の会社の社員から、上から目線で命令されるのが、すごく嫌で、なんで自分は、こんな仕事をやっていなければならないんだ… って、いつも腹を立てていました。

 まあ、辞めたら食べて行けないのだから、仕方ないのですけど…

 

 どこかの会社に就職して、社員になるなんて、もっと耐えられないと思った…

 

 今だったら「それでも、別にいいじゃない」と堂々と言えるのですが、当時の僕は、アルバイト先の会社の人に、ヘコヘコ頭を下げている自分が本当に嫌で、いつも自己嫌悪に取りつかれていました。

 

 状況は違えども、当時の僕のように、自分らしく生きられないジレンマを感じたり、劣等感を感じている人は、結構いるのではないかと思います。

 

 でも、自分らしさって何だろう… と、よくよく考えると、何だかよくわからなくなってくるんですね。

 

 もしかすると、自分らしさなどというものは、自分の作り出した思い込みに過ぎないかも知れない…

 

 別に「自分らしさなんて、捨ててしまえ」と、言いたい訳ではありません。

 

 例え、それが思い込みであろうと、自分らしく生きようとする事は、悪い事ではないし、そうやって、もがき続ける過程で、また一段と自分を成長させる糧になるはずですから…

 

 30代を迎えて、ミュージシャンの夢を捨ててからも、頭の中にはずっと、この自分らしく生きられないモヤモヤ感が、もたげ続けていました。

 

 正直、自分の夢や目標がなくなってしまった事で、全てがもう解決不能になってしまったのではないか… という、気さえしていました。

 

 その後、師と出会ったり、占いという天職を見つける事ができたり、色々と人生に変化はあったのですが、初めてこの悩みから完全に開放されたのは、つい6年前、パリの街で、まるで自分が周りの景色に溶けていくような感覚を味わった時です。

(2012/4/22ブログ 「パリに行って変わった事」 参照)

 

 思えば、あの瞬間が、これまでずっと自分が嫌いだった僕が、初めて、自分が好きになれた瞬間でした。

 

 これまでずっと、自分らしく生きるにはどうすればいいんだろう… と悩み続けていながら、答えを探していたのに、あの瞬間、もうそんな事さえも、どうでも良くなってしまっていた…

 

 そして、これまでの人生が思い通りに行かなかった事も、トラウマになって心にこびりついていた嫌な記憶さえも、全部どうでも良くなってしまっていました。

 

 それまでは、忘れたくても忘れられない記憶が、ふいに心をよぎると、その相手に対する恨みの気持ちが沸々と湧いてきて、いてもたっても、いられなくなるほどでした。

 

 今ではむしろ、それらの出来事に感謝しているくらいです。

 

 あの痛みによって、人に優しくできるようになったのは間違いないし、もしも、あの痛みを感じる事ができなかったら、僕も彼らと同じように、たくさんの人を傷つけていたかも知れないから…

 

 それにしても、あの頃を振り返ると、どうしてあんなにも、憎しみの気持ちに支配されてしまったのかなあ… って思うんですよね。

 

 もしかしたら、自分で作り上げた「自分らしさ」に、身動きが取れなくなってしまっていたせいかな… という気もします。

 

 いつもいつも、自分らしく生きられる人生であれば、それでも問題ないんですけど、人生、そううまくは行くとは限らないです。

 特に、若い頃なんて、なおさらです。

 

 でも、もしかしたら、あんまり自分らしさというものを意識しなくても、良いのかも知れません。

 

 逆説的ですけど、自分らしさを意識すると、かえって自分らしくなくなるような気がするんです。

 

 パリで3週間近く過ごしたある日、当たり前の日常の生活が、まるで光に包まれているように、感じられた事があります。

 そして、この時の感覚は、今でも心の中にかすかに続いています。

(2012/3/15ブログ 「この瞬間の光の中で」 参照)

 

 そしてその瞬間、理屈ではなく、暖かい安らぎの中で、本当の意味での自分らしさに心が満たされていくのを、ものすごく実感するんですね。

 

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