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運命の女神が微笑む人18.07.16

2018年7月16日(月)

 

 ワールド・カップ、フランスの「レ・ブルー」(日本チームと同じように、ユニホームを青一色にしている事から、こう呼ばれる)が見事に優勝!!

 

 ここの所、悲しいニュースや重いニュースばかりが続いていたので、フランスに思い入れがある僕としては、やっぱり嬉しいです。

 

 フランスは確かに実力もあるのですが、それにしても今回それ以上に、すごく運に恵まれていたように思います。

 

 決勝戦のクロアチア戦も、いきなり相手のオウンゴールで先制点を上げていますし、だいたいクロアチアは延長戦で一試合余分にやって疲れていますから、それだけでも分が悪いです。

 

 とはいえ、その運を上手に引き寄せて、見事に守り切って優勝を手に入れたのも、やはりフランスの実力とも言えましょう。

 

 20年ぶりの優勝、Félicitations!!(フェリシタシオン = おめでとう!!)

 

 という事で優勝から一夜明けて、「四柱推命講座・中級編 ~連日集中コース~」が、開始直前のしばし余った時間に、あわててブログを書いています!!

 

 それにしても、運と言うものの存在は、本当につかみ所がないし、一体何なのだろう… と思います。

 

 いつも真面目に常日頃、良い行いをしている人が、運が強いのかと言ったら、そうとも言い切れませんし、どちらかというと、むしろ、逆のようにも思えてきます。

 

 15世紀イタリアのタロットカードの「運命の輪」に描かれている「運命の女神(=フォルトゥーナ)」の図像というのは、必ずと言っていいほど、目隠しをしているポーズで描かれています。

 

 当時の人は、「運命の女神というのは、気まぐれで、善悪を正しく見極められないほどに盲目であり、いつもそれに相応しないような人間にばかり微笑む…」と考えていて、そういった皮肉も込められて、常に目隠しの姿で描かれていました。

 

 確かに、常に目の前に起こる偶然の幸運に関しては、まさにその通りだと思います。

 

 例えば、宝くじを買って当選した人は、みんな常日頃、立派な行いをしているような人かと言ったら、決してそうとも言い切れないでしょう。

 

 だから、宝くじに当たりたいから、「運が味方してくれるように、立派な行いをしよう」と思うのは、ナンセンスです(笑)

 

 では、どういう人が宝くじの高額当選金を当てているかと言ったら、何かの調査でやっていたのですけど、ズバリ、そのほとんどは、常に大量にくじを買っている人だそうです。

 (余談ですが、全部合わせると年間200億円ぐらいの当選金が、ちゃんと当選者がいるのに、未換金になっているそうです…)

 

 という事は、高額当選金を当てた人は、それまでに、はずれくじ代で、相当な費用を費やしていた可能性が高いです。

 

 ちなみに、占いの秘術や方位学なんかで、くじを当たりやすくする方法は確かにありますが、どこまで信用できるかは、かなり謎の部分です。

 

 今から100年ほど前、エドガー・ケーシーという、自分を睡眠状態にする事で、その人の前世や体の悪い部分、治療方法を読み取るという超能力者がいて、当時の資料によれば、その治療方法を施す事で、難病の患者の症状もことごとく治ったと言われています。

 

 そんなエドガー・ケーシーが、人に請われるままに、試験的に競馬の勝ち馬を当てるような事も行ったらしいのですが、結果は、うまくいったり、うまくいかなかったりと、十分に能力を発揮できなかったという話です。

 

 今や伝説化されているエドガー・ケーシーでさえも、そういう偶然性のものに関しては、その程度であったという事でしょう。

 

 目の前で起こる偶然のラッキーとか、逆に偶然の不幸というものさえも、何か因果関係があるかと言ったら、必ずしもそうとも言い切れません。

 

 もちろん、運がつき始めた時には、次から次へとツイてくるとか、運に見放された時は、次から次へとドツボにハマる… みたいな法則性のようなものは、確かにあります。

 

 これは、自分の心理状態がそれを引き寄せている部分も、かなりあると思うのですが…

 

 でも、そういった連鎖する運気の法則性ではなく、偶然に起こる可能性があるラッキーな出来事とか、アンラッキーな出来事に限って言えば、ほとんど、全ての人に平等な確率で起こると言えるでしょう。

 

 そこに何かの法則性を見出そうとしても、ちょっと難しいです。

 

 ただ、物事をうんと長いスパンで考えたなら、自分自身の生き方によって、結果的に大きな運を引き寄せて実りのある人生を歩む人と、一度や二度のラッキーな事は起こっても、自分の生き方によって、結果的に幸せに見放されてしまう人に、ハッキリと分かれてきます。

 

 さっき、目の前で起こる出来事の一つ一つのほとんどは、偶然に起こると述べましたが、例外的に、その人が内側に持っている本来の力によって、災難にあうのを未然に防いだり、偶然とは思えないような縁を引き寄せて、大きな幸せを得るという事は、確かにあります。

 

 なんとなく、その日はいつもの道を通らない方がいいような気がして、別の道を通ったら、命拾いしたとか、どういう訳か、ある場所に行きたいという心の声を感じて、実際にその通りにしたら、そこで運命の出会いがあったりとか、そういった類いのエピソードは、よく聞きますし、実際に偶然では考えられないような話も残っています。

(2014/9/16ブログ 「目の前に起こる事は、偶然のようで偶然ではない」 参照)

 

 こういった奇跡を、全て偶然がもたらせた作用だと、言い切る事は難しいでしょう。

 

 我々の心は、コンディションさえ良ければ、「時間」というファクターを超越した存在とつながる事ができますから、こういった形で、「三次元の世界」で起こる偶然を、くつがえす事も可能になります。

 

 真面目に生きていたら、運が味方する… というような法則性はないし、そんな風に運命の女神と駆け引きをしようとしても、むこうは目隠しをしているから、やっぱり難しい…

 

 でも、内なる心の声に耳を傾けて、フットワークは軽くしつつも、目の前の事にあんまり一喜一憂しないで、自分も幸せに、周りも人も幸せに… という素直な気持ちで、のほほんと生きているような人に、案外、運命の女神は微笑むのかも知れません。

 

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