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自分の中の直観の羅針盤に従って18.06.28

2018年6月28日(木)

 

 なんか、あっという間に月日が過ぎて、気がつけば、いつしか夏至を通りこしてしまっているのですね。

 

 外は、こんなに昼が長くて、これからもっともっと暑くなるというのに、もうすでに、昼の時間は日に日に短くなっているのかと思うと、何とも不思議な気分になります。

 

 今年の夏至は、半夏生のタコを食べたりとか、何一つ夏至らしい事をしないまま、終わってしまいました。

 

 というよりも、忙しさにかまけて、夏至の事、すっかり忘れていました(笑)

 

 季節の移ろいを大切にするこの日本で、しかも、「暦」というものを仕事として扱っているのに、こんな事ではいけませんね。

 

 本当、反省です。

 

 ここ最近、やたら時間に追われているのは、立て続けに開催している講座の準備や、溜まっているメールの返信という理由の他に、ワールドカップの日本の試合を見ていて、ついつい夜更かししてしまっているのも、原因の一つです。

 

 でも、これは、どんなに仕事に追われてもやめられません(笑)

 

 僕は滅多にスポーツ観戦をしないのですが、ワールドカップだけは毎年(と言っても4年に1回ですが…)、どんなに遅い時間にキックオフが始まっても、見ています。

 

 千葉の八柱に住んでいた時代なんて、ワールド・カップを見るだけの為に、インターネットカフェに行っていました。

(2014/6/25パリブログ 「精一杯やるだけやって倒れたのなら未来がある」 参照)

 

 今日の試合は、トーナメント戦出場を決める大事な試合ですが、日本チームは、コロンビア戦の金星のお陰で、引き分け以上でトーナメント進出できちゃうし、最悪もし負けても、セネガルが勝てば、トーナメント進出できちゃうんですけど、こういう時だからこそ、油断しないでポーランド戦を戦ってほしいですね。

 

 ポーランドは、今回はちょっと調子が悪いみたいですけど、何と言ってもFIFA8位の強豪ですし、まあ、大丈夫だとは信じていますが…

 

 という事で、今夜もまた、妻と一緒に夜更かしする事になりそうです(笑)

 

 かなり、話がそれてしまいました。

 

 これから、夏に近づいて行くにもかかわらず、日の長さはどんどんと短くなっていて、それはまぎれもなく、冬の訪れを意味している…

 

 「諸行無常、盛者必衰(じょうじゃひっすい)」などと言いますが、この世界のあらゆる事物はすべからく、盛んになって勢いづいている時には、すでに衰えは始まっているし、逆に、物事が八方塞がりに見えるような時には、すでに水面下で復活の兆しが表れているものです。

 

 陰陽の「陰陽転化」という考え方は、陰が極まれば陽になるし、陽が極まれば陰になるという事なのですが、これこそが、全ての真理なのかも知れません。

 

 易教の中には、「昇竜悔いあり」(乾為天 上九)という言葉があって、「天に昇りつめてしまった竜は悔いるように、栄達を極めてしまったら、あとは衰えるしかない」と言っていますし、逆に、「一陽来復」という言葉は、悪い事が続いた後に、物事が良い方に向かうというような意味合いの言葉です。

(2012/12/22ブログ 「一陽来復」 参照)

 

 こういった言葉は、「良い事なんて、いつまでも続かない」とか「悪い事が続いた後は、必ず良い事が起こるから大丈夫だよ」みたいな意味で使われる事が多いですし、僕も、これまでそういった意味で使ってきたりしました。

 

 でも、夏が良いとか、冬が悪いとか、季節に良い悪いなんてないように、もしかしたら、人生で起こる事象に本当の意味で「良い」とか「悪い」なんてないのかも知れません。

 

 一見、思わしくないような出来事が、人生上の貴重な学びとなっていたり、大きなチャンスをつかむきっかけとなっている事だって、多々ありますし、その逆もまたしかりです。

 

 人間は動物と違い、知能が極端に発達した分、いろいろと考え過ぎて物事を複雑にして、相対的にする事で、悩みを作り出しているような部分もあるような気がします。

 

 その点、動物というのは、知能は人間には及ばないですが、いろいろな事象を自然と共に考え出して、その時期その時期に必要な行動を前もって取っていたりします。

 

 夏が終わって、少し涼しくなってくると、リスやキツツキは冬の為に食べ物を蓄え始めたりします。

 もしくは、たくさん食べて脂肪という形で体に蓄える動物もいます。

 

 ちなみに、動物というのは、山火事が起こる前には、みんな山から降りてしまいます。

 

 だから、山火事が起きても、ほとんど動物の死骸は出てきません。

 

 スマトラ沖の地震で津波が来る直前には、ゾウや水牛などは、ものすごい鳴き声を挙げて、近くの丘や高台に突進していったそうです。

 それを見て不審に思い、動物を追いかけていった現地の人達は、津波に呑まれる事なく、命拾いしたとか…

 

 きっと、感覚的なもので、危険を察知するのでしょう。

 

 「将来の計画をしっかりと立てて生きる」というのは、確かにとても大切な事ですし、貯蓄というものももちろん素晴らしいものですけど、常にそんな事ばかり考えて意識しすぎると、つまらない人生になってしまいます。

 

 それよりも、自分の中の直観の羅針盤に従って、「今なすべき事は何か…」 と常に意識して生きる事によって、結果的に将来を見据えた人生にもなるし、充実した中身のある人生になるような気もするんですね。

 

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自分の生き様は、常に何かにみられている18.06.22

2018年6月22日(金)

 

 梅雨の時期に入って、雨の日が多くなりました。

 

 皆様、いかがお過ごしでしょうか。

 

 先週の土曜日、カルチャーセンター立川の「かんたんタロット」を終え、さらに今週の水曜日、「四柱推命講座・中級編」も無事にスタートしました。

 

 中級編のスタートの日、講座の休憩時間にお出しするおやつを買いに行こうと、雨の中を歩いていると、ふと、水たまりに出くわしました。

 

 

 あっ、癸(みずのと/四柱推命の十干で、雨や水たまりを表す星)が、こんな所に(笑)

       日主・癸の人に失礼だ…

 

 毎日のように、四柱推命に触れていると、ついつい何でも十干十二支に見えてきます。

 

 なんて事のない、ただの水たまりだったんですけど、僕は、しばらくの間(30秒ぐらい)傘を差しながら、そこで立ち止まってしまいました。

 

 水たまりに落ちる雨が作り出す泡沫(うたかた)を見つめていたら、なんか見いってしまって…

 講座の準備で、それなりに、時間には追われていたんですけどね。

 

 もしかしたら、天の神様の大きな目から見たら、人がこの世に生まれてくる時も、こんな具合かもなのかも知れない…

 そして、この泡だって、ほんの一瞬で消えてしまう…

 

 何か、ポエムチックな気持ちになって、この感覚を忘れたくなくて、携帯のデジカメで写しておきました。

 

 最近になって、思う事があるんですよ。

 

 それは、自分の行動とか、さらに言えば、自分が思いや考えている事さえも、何かに見られているのではないか… みたいな感覚です。

 

 「ストーカーに狙われているかも知れない…」とか、そういう意味じゃなくてですね(笑)

 

 きっと、自分の全ては、天の神様にはお見通しなんだろうな… 的な…

 

 ことわざの中に、「小人閑(閒)居にして、不善を成す」という言葉があります。

 

 この言葉は、儒教の四書の一つ「大学」に書かれていた言葉で、小人というのは、小者とか、品性に欠けている人というような意味なのですけど…

 

 一般的に「小人というのは、暇を持てあますとろくな事をしない(だから、もっと働け…)」みたいな訳され方をしますが、こんな風に訳してしまうと「大学」に書かれている原文とまるでかみ合わないし、明らかにこれは、本来意図している所とは異なってしまった誤訳です。

 

 これって、四柱推命の原書の中の「八字用神 專求月令」という文を「八字の用神は、ただただ月令からのみ求めます(だから月令さえ見れば、全部開運法が分かりますよ。正財の人は銀行員になりましょうね…的な…)」と訳してしまうのと同じくらい、ひどい誤訳だと思うんですけど(笑)

    「八字用神 專求月令」の本当の意味は「格局用神は、月令を見て算出します」というだけの意味です。

 

 ちなみに「小人閑(閒)居にして…」の「閑居(かんきょ)」は、「誰も見ていないような静かな場所」という意味で、「大学」の著者が本当に言いたかった事は、「小人というのは、誰も見ていない所で、良くない事をやっているものだ」という意味です。

     ちなみに、ここに詳しく書いてあります。

 

 「ちっぽけな人は、人が見ていない所では、ろくな事をしない。だから、本当に優れた人物になろうと思ったら、人が見ていない所でも立派な行いをしなければいけないし、良からぬ事を決して考えてはいけない…」

 

 僕は昔、「大学」にあるこの言葉を、こんな風に堅苦しく認識していた時期があったんです。

 

 でも、こんな捉え方をすると、人生、息が詰まりそうになります(笑)

 

 思うに天の神様は、人目につかない所でやっている僕の行動や、僕の頭の中で考えている事も、全てお見通しだと思うんですね。

 

 だからといって、「人が見ていようと見ていまいと、常に立派な行動をしなければいけないし、良からぬ事を考えてはいけない」みたいに、必ずしも堅苦しく考える必要なんてない… という事が、今ならわかるようになりました。

 

 それじゃあ、人生が息苦しくてしょうがないし、天の神様は大らかだから、人間がそんな生き方をする事なんて、少しも望んでいないと思うんですね。

 

 別にどんな事を考えたって構わないし、法律にふれる事は別としても、人に迷惑さえ掛けなければ、何をしたっていいと思う。

 

 ただ、「今の自分の行動や考え方を、他の人が知ったなら、どう感じるかな…」 というイメージ力だけは必要かな… と思うんです。

 

 それは、目の前にいる人に対してだけではなくて、そこにはいない人に対しても…

 

 「他の人に、自分の行動や、頭の中で考えている事を知られたら、どうしよう…」と、人目を気にして恐怖するという意味ではなく、その人の気持ちになり切って「その人がそれを知ったら、どう感じるかな…」と、自然とイメージがわいてくるようになったなら、例えば、その場に相手がいない時に、その人の悪口雑言をとめどなく言ったりするような事は、自ずとできなくなります。

 

 さらに、そのイメージ力がもっと強くなれば、そこに相手がいなくても、自然とその人が喜ぶような事に、時間を使ってあげたくなるでしょう。

 

 こんな風に、自分の思惑が一切ない状態で、相手の為にした行為は、かなりの成功率で、その人が喜んでくれるような結果に結びつきます。

(自分の思惑が混ざれば混ざるほど、相手にとって、有難迷惑な結果になりやすい…)

 

 このイメージ力が強まれば、人間関係がうまく行かないという事はほとんどなくなるし、おのずと、そう言った悩みからは、解放される事になるでしょう。

 

 少なくとも、誰も見ていない所であっても、人に迷惑を掛けるような良からぬ行為は、あまりできなくなります。

 

 公衆便所の壁に落書きをしたりとか、駐輪場に止められている自転車のカゴの中に自分が飲んたペットボトルの空き容器を捨てたりとか、そういう事をしちゃう人というのは、「次にトイレを使う人や自転車の持ち主の人が、それをどう感じるか…」というイメージ力が不足しているのが、明らかに原因だと思うんですね。

 

 人の気持ちを自分の事のように考えられるようになった上で、未来の自分をイメージできるようになると、ふと「今の自分では、何もできないな…」 という気持ちになって、人が見ていようが見ていまいが、何かを前向きに頑張っていたりするものです。

 

 人間というのは誰もが多かれ少なかれ、心の中には煩悩を抱えているものですが、善なる気持ちがそういった煩悩以上に強くなれば、意識しなくても良い行いができる様になります。

 

 逆に「欲望を律して、良い事をしなければいけない」などと堅苦しく考えていても、そこに人の気持ちを思う心が伴っていなければ、心が葛藤するだけで行動がフリーズしてしまうし、仮に行動できたとしても、随分と方向性がズレたものになってしまいかねません。

 

 心理学者のカール・ユングは、「人の意識は、潜在意識よりさらに深い所にある普遍的無意識でつながっている」と、提唱しました。

 

 まさしく本当の事だと思うんですけど、誰もが、そのイメージがうまくできないゆえに、ついつい「個」というものに閉じこもって、物事を考えてしまうのではないかという気がします。

 

 ちなみに、人が見ていない所でする立派な行いであっても、それが本当に自分の魂の奥からの善意の衝動であれば、問題ないのですが、例えばその行いが、「こうあらなければならない…」みたいな、観念的な理想論から発しているような場合には、行いそのものは素晴らしくても、いろいろと弊害が起こる事も多いです。

 

 まずもって、自分の行動と本心が一致していないと、心に負荷がかかって、非常に苦しくなります。

 

 それだけならまだ良いのですが、その内に「なんで自分がこんなに頑張って立派な事をしているのに、他の人はやってくれないんだ」という思いが募るようになります。

 

 さらに、これがひどくなると、相手がいない所で、他人の行いを逐一あげつらって、悪くののしったりするようになってきます。

 そういう時の自分というのは、ものすごく傲慢だったりします。

 

 こうなると、せっかく立派な行いをしていても、心の状態は、「小人閑居にして…」に出てくる小人と、大して変わらないんですね。

 

 「つまらない相手に対して腹を立てると、相手と同じレベルに落ちる」というアレです。

(2012/5/31パリブログ 「くだらないものを相手にしない 参照)

 

 自分の生き様は、常に何かにみられている…

 

 かといって、人生に「こうしなければいけない」なんて堅苦しい決まりはないし、だからこそ、生きている事は自由で素晴らしい…

 

 後はみんなが、「人が知ったらどう思うか…」とか「天の神様が知ったらどう思うか…」というイメージ力が加われば、自ずと世の中が良くなっていくような気がするんですね。

 

 なんか、今回のブログは随分と生意気な事を書いてしまいましたけど…

 

 水たまりに降る雨粒のように、泡沫(うたかた)は、やがて消える定めでも、全体の水に溶けた後も、ずっとそこに居続ける…

 

 人の人生は、長ければ100年ぐらいはあるから、泡沫と比べれば随分と長いですけど、それでも、いつか消える事は変わりありません。

 

 100年後もこの先もずっと、この世界が、うんと素敵な平和で素晴らしいものになったら… と、願ってやみません。

 

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自分の思いが運命をたぐり寄せる18.06.14

2018年6月14日(木)

 

 梅雨入りをして、空はどんよりと曇って、ちょっと肌寒いです。

 

 夏だからと薄着で寝ると、うっかり風邪をひいてしまいかねない天候不順な時期ですから、どうか皆様、体調に気をつけてお過ごしください。

 

 トランプ大統領と金正恩氏による米朝首脳会談が実現して、北朝鮮も核兵器を放棄する約束もしたし、日朝首脳会談の実現も、拉致被害者の問題も進展の兆しを見せているし、いろいろと賛否両論あっても、とりあえず良い方向に向かっている気がします。

 

 もちろん、「北朝鮮の思惑通りになった…」と言われれば、そうかも知れないし、あの国に依然としてはびこっている人権問題とか独特の政治体制とか、いろいろ問題は残っているし、北朝鮮が本当に約束を果たしてくれるのかどうかとか、心配な面もあります。

 

 それでも、もしも会談が決裂して、一歩間違えば戦争になっていた訳ですし、ここは前向きに考えるべきだとも思うんですね。

 

 最終的には、北朝鮮が、罪もない人々を殺戮したり、拷問したりという事のないような民主主義の国家になって、他の国々と友好的に接しているという未来の構想と描ける事が大切なんですけど、とはいえ、あの国の欠点ばかりをつついていても何も始まらない気がするんですね。

 

 アメリカだって日本だって、国内にたくさんの課題はある訳で、一方的に相手を責めるのではなく、お互いに良くなっていこう… というような気持ちが、今こそ大切なのかも知れません。

 

 もちろん、拉致被害に遭われて、家族とバラバラにされてしまった方の立場からすれば、「北朝鮮は決して信用できない許すまじ国」である事は良くわかりますし、今でもおそらくは、北朝鮮の国内には、罪もないのに監禁されている人たちがいるでしょう。

 

 だからこそ、早く北朝鮮に、モラルのある国家に早く変わってもらいたいな… と思います。

 

 第二次世界大戦の時代まで戻れば、世界中の多くの国家が、戦争という名の元に凶悪な犯罪をやっていた訳ですが、少なくとも今はそうではないですし、あの国だって、決して変われない事はないと思うんです。

 

 一朝一夕にはいかないし、根気強さが求められる所ですが、「あの国はもう変わらないんだ」と諦めてしまったら、残る選択肢は戦争しかありませんから、そこはもう、国と国との、もっと言えば人間と人間との信頼関係だと思います。

 

 ちょっぴり、偉そうに政治の事を語ってしまいました。

 

 国家単位で考えると、事が大きくなり過ぎて、手に負えない問題になってしまいますが、この世界も、究極は一人一人の人間から成り立っている訳で、一人一人の意識が変われば、もしかしたら世界も変わっていくのかも知れません。

 

 カール・ユングは、人々の心は普遍的無意識で一つにつながっている… と言っていましたが、一人一人が、ただ目の前の相手を責めるだけのような狭い了見ではなく、「共に変わっていこう」という大らかな気持ちがあれば、世界だって、良くなっていくと思う…

(2012/10/28パリブログ 「人は「忘れ神」 参照)

 

 「世界を変える」なんて、ちょっとスケールが大きくなり過ぎてしまいましたが、それに比べれば、個人の未来を変える事は、本来もっとたやすいはずです。

 

 それで結局の所、マーフィーの法則じゃないんですけど、その人が思い描いた通りの未来がやってくると思うんですね。

 

 望んでいる事も、恐れている事も、その人が心の中でイメージした事は、実際に起こるというアレです。

 

 幸せな未来をイメージすれば、幸せを引き寄せやすくなるし、不幸な未来をイメージすれば、やっぱりその通りになっていきます。

 

 だから、占い師は、悪い結果を人に伝える時に「必ず悪い事が起こります」などと、断定的な言い方をしてはいけません。

(2018/1/4ブログ 「運気を上げる占い師」 参照)

 

 その言葉が相手にの意識に働きかけて、本当にお客様を不幸にしてしまうから…

 

 もちろん、きちんとした占いは、れっきとした学問ですから、そこから導き出される結果には、それなりに的中しやすいのも確かです。

 

 しかしながら、未来は100%決まっているものではないし、占いの役割というのは、悪い結果が出たなら、それが起こらない様にする為のものです。

 

 悪い結果が出ていたなら、その人がどうしたら、それを乗り越えていく事ができるかを、相手の目線に立ってアドバイスをする必要があります。

 

 でも、基本的には、その人が幸せをつかんでいる未来をなるべくイメージしやすいような鑑定をするべきでしょう。

 

 これは、「何事も、楽観的に考えましょう」というような理由ではありません。

 

 ちょっといきなりですが、例えば、目の前に幅3mの大きな地割れがあったと仮定しましょう。

 

 背後から、火山の噴火で溶岩が迫ってきていて、一刻も早く、向こう側に渡る為に、この3mの地割れを跳びこさなければいけないとして…

 

 その時にどういうイメージをして、この地割れをジャンプをするのがいいのか… と言った事と同じです。

 

 もしも、地割れにハマって下に落っこちてしまうイメージをしながら跳んだ人は、十中八九、本当に真っ逆さまに落ちます。

 

 向こう岸まで、無事にジャンプをして渡れる人は、もちろん命がけで飛ぶのですが、心の中では、すでに向こう岸に着地しているイメージを持っている人です。

 

 これはテレビで言っていた話ですが、高層ビルで窓の清掃作業をしている人というのは、作業中は、自分の体とビルの壁がピッタリとくっついているようなイメージをしているそうです。

 

 「もしも、下に落ちたらどうしよう」なんて考えながら作業をしたら、いくら命綱を体にくくりつけているといっても、足が震えて仕事になりません。

 高所恐怖症の僕には、到底できない仕事です(^^;;(パリブログ「パリの休日」参照)

 

 これと同じように、もしも占い師から、悪い未来を断定されて、言われた本人がそれを真に受けてしまったら、やっぱり、その悪い影響を受けてしまいます。

 

 つまり、その占い師の「不幸になる」という世界観の傘の下に入れられてしまうんですね。

 

 にわかに信じられない話ですけど、幸せな結婚生活をしている女性に、聞いてもいないのに「この先、ご主人とは必ず別れますから、心の準備をしておいてください」とか平気で言う占い師がいるそうです。

 

 例えこれが、占術的に全く根拠のないデタラメであっても、占いを受けた人が真に受けて、そんな未来をイメージしてしまったら、やっぱりそういう未来を呼び込びやすくなるし、この場合、占いを受けていないご主人まで、そのとばっちりを食らうから、本当いい迷惑です。

 

 こういうひどい事を言う占い師の言葉を、絶対に真に受けない事です。

 

 さらに凶悪なのは、しっかりと悪い未来を断定した後に、「そうならない為には、この壺を買いなさい」とか「この宗教に入信しなさい」とか、高額なグッズを売りつけたり、相手の不安に付け込んで無理難題を押し付け、自分の言いなりになるようにコントロールしようとする輩です。

 

 もちろん、占いで悪い結果を告げてはいけない… と言っている訳ではありません。

 

 誠意ある占い師であれば、「なぜ、今この未来が導き出されているのかと言えば、この部分に問題があって、そこを是正しようとして、そういう未来の筋書きができているのだから、そこの部分を改善したら大丈夫ですよ」と具体的に解決策を与えてくれるはずです。

 

 人生上で起こる出来事は、一見不幸な出来事であっても、全てに意味がありますし、そこから学ぶべき事もいっぱいあります。

 

 もちろん、再起不能になるくらいに、精神や肉体に負荷がかかるトラブルは極力避けるべきです。

 

 でも、楽な道ばかりを選んでいたら自分が成長しませんから、結局、大きな成功を掴めなくなってしまいます。

 また、占いに頼りすぎて、常に自分の目先の損得に意識が行き過ぎれば、大切な事を見失ってしまいます。

 

 僕が知っている、本当に心ある占い師と言うのは、そういった所までちゃんと踏まえた上で、人が幸せになるアドバイスをしてくれる人です。

 

 今から20年ぐらい前…

 

 ミュージシャンを目指していた頃の僕は、マーフィーの法則にならって、毎晩寝る前に必ず、目を閉じて15分ぐらい、「ミュージシャンとして成功して、ステージで楽器を演奏しながら歌を歌っている自分」を瞑想していた時期があったんです。

 

 でも、結局の所、そうなりませんでした。

 

 30歳を迎えて全ての夢を諦めた時、「あんなイメージ法は、いい加減なくだらないものだ」などと、過去の自分の無駄の努力を自嘲しながら、自暴自棄になって嘆いていたのを思い出します。

 

 でも、今、思い起こせば、あの時やっていたイメージ法は、明らかに間違いだらけだった気がします。

 

 というのは、あの頃の僕は、ただ15分間目を閉じて、自分の表面の意識に願望をイメージしていただけで、全く、潜在意識の部分にアクセスできていませんでした。

 

 ユングも言うように、人の心は何層にも分かれていますから、表層意識の部分だけで願を掛けても、うまく行かない事が多いです。

 

 もしも、自分の深い部分の意識が「そんな風にはなりたくない」と思っていたら、残念ながら、夢は叶いません。

 

 今だからこそ、分かる事なのですけど、あの頃の僕の潜在意識は多分「ミュージシャンになりたい」ではなくて、「早く、この自分で自分をがんじがらめにしている呪縛から抜け出して、自由になりたい」というような気持ちだったはずです。

 

 でも、その意識の奥にある意識は「夢を追いかけて、もがき苦しむ事で、自分の課題を消化しながら、将来、人を幸せにできるような自分になりたい」と、考えていたのではないかな… という気もするのですね。

 

 こういうイメージ法は、ある程度、達観できた人でないと、扱うのが難しいし、ちょっと逆説的になってしまうのですけど、人はイメージすれば何でも叶うのか… と言ったら、そういう訳でもありません。

 

 潜在意識にちゃんとイメージがインプットされれば、話は別ですけど…

 

 では、不幸な予言は、それを信じると引き寄せるかというと、表層意識が恐れや不安を感じた時に、潜在意識がそれをなだめて「例えそういう事が起こったって、ちゃんと強く生きていけるよ。それを体験して、それが大した事ないって事を知ろうよ」とばかりに、余計なおせっかいを焼いちゃうからだと思うんですね(笑)

 

 潜在意識は、本当に自分が幸せになるにはどうしたらいいか… を、ちゃんと知っていますから、自分の願望やプライドで振り回された表層意識では、とても太刀打ちできません。

 

 そして、ユングが言う所では、この潜在意識の奥には、普遍的無意識という世界中の全ての意識につながっています。

 だから、自分の潜在意識の深い部分が本当に望んでいる事が叶う事は、この世界が幸せになる事だとも思う…

 

 もちろん、人は体をまとっているから、現実世界で生きていくにおいて、自分の願望や欲望を切り離す事はできません。

 

 それは、生命体として健全な事ですし、その自分の願望や欲望を捨てる必要もないし、否定する必要もなくて、それが度を過ぎたものでなければいいし、それに振り回され過ぎなければいいと思うんですね。

 

 時々は、愛とか受容とか、つかみ所のないものを感じながら、自分の潜在意識は何を感じているのだろう… と、イメージしてみるのもいいし、また、現実の世界に戻って、自分の体が望んでいる事や、人間らしい願望や欲望を叶えようと努力する事も、いいと思う。

 

 もちろん、この世界や周りの人の幸せを、無償な気持ちで願う事も…

 

 案外、今の自分の人生というのは、本当の自分の奥深い意識が望んだものだったりします。

 

 だから、そこにアクセスできたなら(もちろん、それはそう簡単な事ではありませんが…)、未来はどれだけでも変えられるはずです。

 

 自分の思いが運命をたぐり寄せる…

 

 自分の深い意識と対話しながら、素敵な運命をたぐりよせようではありませんか。

 

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チャンスの時はすかさず、ピンチの時は慌てず18.06.05

2018年6月5日(火)

 

 だんだんと梅雨の時期が近づいてきて、蒸し暑くなってまいりました。

 

 気がついたら、もう6月…

 今年ももう、半分が終わってしまったのですね。

 

 人それぞれ、いろいろな人生があって、穏やかでどちらか言うと単調な感じの人生を歩む人もいれば、まるでジェットコースターみたいに浮き沈みの激しい、スリリングな人生を送る人もいます。

 

 どちらがいいとは限りませんし、穏やかな人生がいいと思っても、浮き沈みが激しい人生になる事もあるし、スリリングな人生がいいと思っても、単調な刺激のない人生になってしまう事もあります。

 

 いや…、もしかしたらそうではなくて、今の目の前の人生というのは、その人の深い潜在意識が望んでいるものなのかも知れませんが…

 

 どちらにしても、誰の人生にも、多かれ少なかれ波はあります。

 

 どんなに単調な人生であっても、その中で何回かは、大きく飛躍したり、幸せをつかむチャンスが訪れるし、それと同じように、ピンチを迎える時もあるでしょう。

 

 四柱推命や紫微斗数、西洋占星術と言った「命」に属する占いは、そのバイオリズムを見るのに適しています。

 

 ただし、ここが重要なのですが、例えチャンスがやってきても、それを活かせる人も活かせない人もいるし、例えピンチがやってきても、そこで大パニックになって悲惨な境遇になる人もいれば、うまく乗り切って、何事もなかったように過ごす人もいるという事です。

 

 その時期をどのように過ごしていくのが、最も効率がいいか… というのは、占いでも出てくるのですが、一般論でいうなら、「チャンスの時にはすかさず行動して、ピンチの時には慌てずに落ち着いて行動する」というものです。

 

 決して、今は運気が悪いから、「行動はしない」とか、「家にじっとこもっている」とかではないんですね(笑)

 

 そんな事をしていたら、その時期に学ばなければならない事が学べなくなって、本来開運すべき時期に、運が開かなくなっています。

 

 僕はいつもブログで、徳川家康の人生を引き合いに出す事が多いのですが、まさに、あの人の人生は、ピンチをうまく乗り切って、その時期さえも開運期として過ごしてしまう理想的なものです。

 

 徳川家康が、もしも不遇の時代に、「ちょっと、調子が今一つのような気がするので、5年間大名はお休みして、城にこもって英気を養う事にします」なんて言っていたら、おそらくその間に、他国から攻め込まれているし、場合によっては、首が飛んでいるでしょう。

 

 まあ、あの人の場合は、一般で言われているイメージとは違って、感情的で、何かにつけ無茶をしすぎるような所があった気がするのですが、結果的には、それで天下を取ってしまいました。

(2014/9/11ブログ 「あえて勝負に出なければならない時もある」 参照)

 

 運が味方してくれたから、この人の場合は助かったものの、やっぱり無茶は禁物です。

 

 現代の平和な日本においては、戦国時代とは違い、さすがに命を失うまではいかないとしても、人生には時折、ピンチがやってくる事があるし、それを避けては通れません。

 

 いや、「ピンチ」というピリ辛のスパイスがあるから、人生は味わい深くて素敵なものになるのではないかと、最近の僕は、考えるようにもなったのですが、ピンチの時には「慌てず、落ち着いて…」というのが基本です。

 

 ピンチの時に感情的になるのが、一番いけません。

 

 家康の場合は、感情的になって人生一世一代の大失態をしたのですが、それでもこの後の家康は、それを教訓にして、二度と軽率な行動は取らなくなりました。

(2014/9/12ブログ 「運に助けられている事に、感謝を忘れてはいけない」 参照)

 

 武田信玄亡き後も、武田家は息子の武田勝頼という猛将が後を継いで、その後も何度も徳川家に攻めかかってきて、その度に家康はピンチを迎えているのですが、冷静沈着に対応して、結果的には武田勝頼を滅ぼしてしまいます。(まあこれは、織田信長の助けがあったから、できたようなものですが…)

 

 ピンチが来て、本当に人生が悲惨な事になってしまう人というのは、だいたいにおいて、ピンチがやって来ると、自ら感情的に行動して墓穴を掘ってしまうような人です。

 

 例えば何かトラブルが発生した時に、勇んで喧嘩腰になって孤立無援な状態を招いたり、「何とかなるだろう」とばかりに、その場しのぎの最悪の方法を取って、どうにもならなくなって、窮地に追い込まれる… といった具合です。

 

 最近やたらメディアに取り上げられているパターンは、後者のものが多いです。

 

 財務省の公文書改ざんもそうですし、日大のアメフトの会見だったり、神戸市教育委員会による、いじめで自殺した少女の遺書の隠蔽指示だったり…

 

 こういったものは、もう最悪の部類ですが、もっと身近にありがちな例としては、商売がうまくいかなくて、生活に困窮した家族を救おうと、宝くじに全財産を投入… みたいなパターンです(笑)

 

 こんな風に短絡的で性急過ぎる考え方が、全てをダメにしてしまうんですね。

 

 目の前にピンチが起きているという事は、天から「そこから学べ」と言われている訳ですから、こういう無計画な他力本願的な行動に出れば、完全に墓穴を掘ります。

 

 ピンチがやってきた時には、まずは慌てないで、それ以上に問題が大きくならない様に対処するのが大切です。

 

 普段よりも、より一層、慎重さと誠実さを心掛けるべきでしょう。

 

 天が味方するのは、有り金を全て宝くじにつぎ込む人ではなくて、目の前の物事に誠実に真摯に取り組もうとしている人のはずです。

 

 もしも借金を抱えてしまったなら、アルバイトでもなんでも始めて、今よりも状況が悪くならないようにする事こそが肝要で、一気に借金を何とかしてしまおう… などとは考えない事です。

 

 例えば、人間関係で周囲から誤解されて孤立無援になってしまったとしても、そこで声を荒げて喧嘩腰に自分の主張をするのではなく、淡々と今やるべき事をきちんとやって、周囲の信頼を取り戻しつつ、その時期が来るのを待つのが賢明です。

 

 どんな状態でも、自分の味方になってくれている人は必ずいますから、その人達への感謝と愛情を忘れないように、心掛けるべきでしょう。

 

 徳川家康という人のその辺りの人生の乗り切り方と言うのは、本当に絶妙ですね。

 

 家康というと、戦さの名手で、負け知らずのように言われていますけど、実際には、思い通りにならなかった戦さもあれば、死ぬ思いをするような苦難もいっぱいあります。

 

 武田家の戦いは、その代表のようなものですが、他にも、真田昌幸にしてやられたりとか、木曽義昌に裏切られて敗戦したりとか、局地戦ではいろいろとピンチにあっています。本能寺の変の後の伊賀越えでは、家康は感情的になって、何度も死のうとしたと言います。

 

 でも、部下にたしなめられながらも、何とかピンチを乗り越えていったのですね。

 

 後半生の家康は、ピンチの時にも決して焦りませんでした。

 

 もしも、人生でチャンスが来た時には、間髪入れず、すかさず行動するのが良いです。

 

 何か大きな仕事の話が来た時に、「本当に自分なんかにできるのかなあ…」などと考え込まないで、「絶対にできるし、やる…」 という意気込みで行く事です。

 

 もちろん、リスクがある投資のようなは、これとは別で、慎重に決断をする必要がありますし、周囲の人に迷惑をかける悪質なネットワークビジネスに関しては、論外です。

 

 「楽して儲かる」という言葉には、決して振り回されるべきではありません。

 

 そうではなく、その仕事(もしくは、その仕事で家族や身内を養う事)に自分のやりがいを感じられるかどうか、という所が大切のような気がしますね。

 

 そういうチャンスというのは、人生でそうそうやってきません。

 

 その時期が、例え大殺界などというものであろうが、そんな事は気にしないで、とりあえす始めて見るべきです。

(2013/3/20ブログ 「神様のリズムに乗って」 参照)

 

 それで物事がうまくいけば、それが一番理想です。

 とは言っても、絶対にうまくいくという保障なんてないのが人生です。

 

 でも、仮に万一うまくいかなかったとしても、そこで自分が本当に一生懸命取り組んだ事というのは、血肉となって、目に見えない財産になっているものですし、その分は、後で必ず取り返せるのが人生の面白い所です。

 

 チャンスの時はすかさず、ピンチの時は慌てず…

 

 わずか100年前後の人生、思いっきり楽しもうではありませんか。

 

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