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つかみどころのない話18.05.26

2018年5月26日(土)

 

 慌ただしく月日が過ぎて、もう5月も終わりなんですね。

 

 今月は 僕にとっては、連日の講座や、「四柱推命講座・初級編DVD」の発売で、本当にせわしい月でした。

 

 といっても本当に大変だったのは、僕よりもむしろ、DVDのパッケージのデザインや、お客様の注文の受注や発送に手間暇を掛けてくださった真藤昌瑳熙先生とスタッフの方のほうですね。

 

 こうしてDVDの夢が現実になった事を、心から感謝しています。

 

 このDVDの企画は、2年ぐらいの間ずっとストップしたまま動かなかったので、僕の中では、つい最近まで「おそらくこのDVDの発売はできないな…」ぐらいに考えていたのですが、本当、せきを切ったように急に話が進んでいきました。

 

 物事の展開というのは、本当にわからないものです。

 

 もしかしたら、この2年の間に、目には見えない気のようなものが少しずつ熟成されていて、それが今になって、結実したのかも知れません。

 

 僕が思うに、この世の中の出来事というのは、日常の世界の水面下にある、目に見えないエネルギーのようなものによって、突き動かされているような気がします。

 

 それが何なのかは、うまく説明できないのですが、例えばそれは、人の思いだったりとか、天の意思だったりとか、そういうものが混ぜ合わさったものではないかという気がします。

 

 だからきっと、あるプロジェクトがうまくいくかどうかとか、誰と縁ができて、その人と結ばれるかどうかとか、そういったものは、現実の世界に反映される前に、その目に見えない世界で、大元のシナリオができ上がるんじゃないかという気がしますね。

 

 それを磁場と呼んだら良いのか、波動と言ったらいいのか、分かりませんけれど、その世界では全てのものがつながっているという気がするんです。

 

 「気がする」を連呼するのは、あくまでも僕の推測でしかないし、証明のしようがないからでもあるのですけど…

 

 それにしても、こういう類いの話はつかみどころがないし、だいたい、言葉を使って正確に説明する事自体、不可能ではないかと思います。

 

 科学の実験だったら、「硫黄(S)が燃えて、酸素(O2)と結合したら、二酸化硫黄(SO2)ができました」とか理路整然と言葉にできるのですが、こういう精神世界の話は、物質とはあまり関係ない所の話ですから、そういう訳にもいきません。

 

 そもそも、頭で理解する事ができる話でもないでしょうし、こういう類いの話を理路整然と知的に語ろうものなら、たちまち嘘つきになってしまうでしょう。

 

 だいたい、物質の体の器官である脳が認識できるような代物ではありませんから(笑)

 

 もしも、誰かが「それは、こういう事でしょう」と言いきった瞬間に、その人の認識や思い込みがそこに入って、それは正しくないものになってしまいます。

 

 だから、こういう類いのものを、言葉で伝えようと思ったら、なるべく具体例をいっぱい上げて、相手に想像してもらうぐらいしか方法がないように思いますね。

 

 これはきっと、心のような抽象的なものを語る時の言葉もそうだと思うし、もしかすると、誰かを励ましたり、アドバイスをしようとする時なんかに使う言葉も、同じ事なのかも知れません。

 

 確かに一般論としてだったら、言葉で語る事もできるのでしょうが、人の認識は人それぞれですから、そのアドバイスの言葉が相手の人にとって、どれだけの意味を持つのかは、全く見当がつきません。

 

 言葉の中にある程度、言葉を発した人の主観が入ってしまうのはいいとしても、例えば、誰かに励ましやアドバイスをする時なんかに問題になってくるのは、そこに、その人のちっぱけな思い込みや、思惑やエゴが入ってしまうと、それが、相手にとって不快なものになってしまう事すらある事です。

(2012/5/23ブログ 「人の価値観はそれぞれ違う」 参照)

 

 もちろん、そういった思い違いが多少入り込む事を覚悟の上で、誠心誠意、相手の事を思って言葉を発しているのであれば、それでも伝わる事はあるとは思いますが…

 

 ただ、言葉というものは、時に相手の心を傷つける刃物になってしまうのも確かですから、やっぱり取り扱いは慎重にしなければいけないと思うんですね。

 

 だから、自分の感情のままに、人に対して失礼極まりない暴言を吐くような行為は、決して許されるような事ではないし、たかが言葉なんだから、それで相手が傷つこうが傷つくまいが、そんなの関係ない… などと開き直るのは、もっての他だと思うんです。

 

 それだけ慎重に気をつけていても、知らず知らずの内に、言葉で人を傷つけている事だって、あるのかも知れないのですから…

 

 自分は相手の為を思ってアドバイスをしたつもりなのに、かえって相手から恨まれてしまった… という経験がある人も、いらっしゃるかも知れません。

 

 僕も、過去にそんな苦い経験があります。

 

 今、その頃の自分を反省してみると、知らず知らずに、傲慢な言い方になっていたり、生意気な物言いになっていたり、恩着せがましい言い方をしてしまっていたような気がしますね。

 

 本当に、反省です。

 

 それで、その時の自分の心の中を分析してみると、「自分が、相手の間違っている部分を変えてやるんだ」とか、「自分の方が、相手よりも上なんだ」みたいな、鼻持ちならない自分がいたりする…

 

 だいたい、「自分が、相手の間違っている部分を変えてやろう」なんて、思い違いもはなはだだしいし、その考え方自体おこがましいのですが、その頃の僕には、まるでそれに気づけませんでした。

 

 もしも、仮にそんなやり方で本当に人が変わったとしたら、それは本当にその人が変わったのではなくて、ただ目の前のその人が、自分に隷属しているだけに過ぎませんし、それは、決して良い状態ではありません。

 

 とどのつまり、自分にできる事と言ったらせいぜい、目の前の人に何かしらのきっかけを与えて、その人が成長する為のお手伝いをさせて頂く事ぐらいのものです。

 

 人が成長して変わる事ができるのは、何かしらのきっかけは与えられたとしても、結局の所、その人自身が内面に持っている力と、その人を取り巻いて守ってくれているエネルギーの力によるものだと思います。

 

 もちろん、自分だってその人を取り巻いているエネルギーの一部なのだから、厳密な意味で「自分が相手を変えた」と言っても、間違いではないと思うのですが、その自分というのは、潜在意識の深い部分(ユングが言う普遍的無意識の部分)のエネルギーの自分であって、決して、ちっぽけな「個」の自分の事ではないはずです。

 

 思いのまま綴っていたら、なんだか訳のわからない話のブログになってしまいました…

 

 僕が思うに、誰もが、人生を一生懸命生きていれば、周りの目に見えないエネルギーが見守ってくれて、最終的には必ずや良い方向に導いてくれるような気がします。

 

 とらえ所のない話ですし、証明のしようもない話ですけど、今、そんな風に確信しています。

 

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人なんて、どう化けるかわからない18.05.18

2018年5月18日(金)

 

 今朝、サロン ド シルフィーユの郵便受けを見てみたら、真藤昌瑳熙先生の経営するウェストリア・ガーデンから、「浅野太志の本格的四柱推命講座DVD」のサンプルが届いていました!!   今月末までは、先行特別価格です(^^)

 

 

 ここに写っているDVDは、前半の第1講座~第4講座までの「前編」だけで、これ以外にも、第5講座~第8講座の「後編」のDVDがあるのですが…

 

 ついに、ついに、DVDが出来上がりました!!

 

 こうして念願だった四柱推命講座のDVDが形になったのは、全て、真藤先生やカメラマンのSさん、そして、つばささんをはじめとしたウェストリア・ガーデンのスタッフの皆様のお陰であり、そして何よりも、DVDの製作を支えてくださった多くの皆様のお陰です。

 

 本当に、本当に、ありがとうございました。

 

 僕自身、昔は、こんな風に自分の姿が映ったDVDというものが世に出せるなんて、夢にも思っていませんでした。

 

 今では、すっかり落ち着いてしまったのですが、若い頃の僕は、とにかく自己実現がしたくて、いつも焦っていたのを思い出します。

 

 18歳で東京に上京して、あの頃は、ミュージシャンやら俳優やら、雲をつかむような途方もない理想を追いかけていたのですが、あれからもう、30年近くたつんですね。

 

 とはいえ、こうして振り返ってみると、一瞬の出来事のようにも感じます。

 

 30年もの間、本当にたくさんの人との出会いがありました。

 

 あの頃は、バンドをやったり、俳優になる為に養成所に行ったりして、たくさんの人との出会いがありました。

 

 生活費を養うために働いていたアルバイト先でも、たくさんの出会いがありましたが、バイトでは、どちらかというと、あんまり仲の良い友達はでいませんでしたね。

 

 当時の僕は、人間関係がものすごく苦手だったので(今、振り返れば、往々にして、自分の性格に問題があったのが原因なのですが…)なかなか、心を許せる友達が出来なかったんです。

 

 ただでさえ、友達が少なかったのですが、長い年月が流れる間に、その友達ともだんだん疎遠になっていって、今ではほとんど連絡が取れなくなってしまいました。

 

 唯一の例外は、サロン ド シルフィーユの大家でもあるS君だけですね。

 

 S君とは、18歳の時に知り合っているから、もう30年のつきあいですが、バンドを組んでいた時にはドラムをやってもらったり、いつも、この中野坂上周辺でよく一緒に遊んでいました。

 (2014/11/10ブログ 「人生のシナリオは、来たるべき未来の伏線」 参照)

 

 あの頃の僕は、本当、地に足がついていなくて、誰かれ構わず、自分がミュージシャンや俳優になるという未来が、絶対であるかのように語っていました。

 

 何の根拠もなく、まるで自分に言い聞かせるように、途方もない話をしていましたから、周りの友達もいい迷惑だったと思います。

 

 本当、当時は、自分というものが見えていませんでしたね。

 

 多分、周りのほとんどの人からは「こいつがミュージシャンや俳優になれる訳はないし、おそらくこのまま、一生うだつのあがらない人生なんだろうな…」と、思われていたと思います。

 

 まあ、実際の所、その夢は叶わなかったのですが、取りあえず、今は次々と自分の理想が実現して、本当に幸せですし、一生うだつのあがらない人生… というのは、なんとか避けられました。

 

 本当、あの頃はどうしょうもなかったです。

 

 それでも、あの頃は一生懸命、ミュージシャンを目指して必死に曲を作ったり、俳優になろうと、俳優養成所では、一生懸命、練習用のシナリオを丸暗記したりしていました。

 

 俳優を目指していた時に、NHKのアクター養成所というのに、通っていた事があるのですが、そこで出会ったテレビのプロデューサーの演技指導の先生は、原石から素質のある俳優を見抜く天才で、実際に今まで、数多くの新人を発掘してきた名プロデューサーでした。

 

 その先生がおっしゃるには、大きく成功する俳優というのは、その時は、箸にも棒にもかからない大根役者でも、内面にキラリと光るものがあるそうです。

 

 僕も、もしかしたら、その先生に発掘されて一躍有名になれるかも知れない… と夢を見ていたのですが、残念ながら、僕が目にとめてもらえる事はありませんでした(笑)

 

 でも、その先生がある時、「将来成功するであろう原石を、完璧に発掘する事なんて不可能だ」と、おっしゃっていたのを覚えています。

 

 昔、その先生は、俳優を目指していた若き日の山崎努さんを見た時に、「正直、この人は才能もないし、俳優になるのは無理だろう」と思ったそうです。

 

 初めて、オーディションで山崎努さんを見た時も、あっさりと不合格にして、自分の手掛けるドラマにキャスティングする事もなかった…

 

 ところがその後、何年かすると、山崎努さんはどんどん頭角を現して、一躍押しも押されぬ大スターになってしまったそうです。

 

 その後、ドラマの企画なんかで、山崎努さんと毎回会うたびに、「あの時、先生にはオーディションを落とされた…」と、チクチク嫌味を言われるのだとか…

 

 我々はどうしても、今の現状の目の前の相手の能力や立ち振るまいで、人を判断してしまいがちです。

 

 でも、人というのは、どれだけでも変わる可能性を秘めています。

 

 本当、人なんて、どう化けるかわかりません。

 

 中国の有名なの興亡史である「三国志」には、呉の国の卓越した軍師である呂蒙(りょもう)という智将の話が載っています。

 

 関帝廟でも有名な、知勇兼備の名将である関羽を出し抜いて、討ち取ってしまうほどに智恵のある武将だったのですが、昔は、武勇一辺倒の荒武者で、「呉下の阿蒙(ごかのあもう)」などと呼ばれていたそうです。

 

 訳すと、「呉の国にいる、いつまでたっても進歩しない、おバカちゃん」みたいな意味です。

 

 呉の天才軍師・魯粛(ろしゅく)が、呂蒙に向かって、「もう、貴方は『呉下の阿蒙』ではないな…」と言った時に、呂蒙が言った「士別れて三日ならば、即ち更に刮目して相待つべし」という言葉は非常に有名です。

 (2013/4/26ブログ 「人はどう化けるかなんてわからない」 参照)

 

 人は、未来にどう化けるかわからないから、人と接する時には見くびってはいけないし、常に礼儀を持って接する事を忘れてはいけない、という事なのでしょう。

 

 この事は、特に我々占い師は、肝に銘じながら、鑑定をしなければいけない事だと思います。

 

 そしてこの言葉は、もちろん目の前の人に対してもそうなのですが、自分自身というものに対しても、あてはまるでしょう。

 

 だから、今現在の自分の状況が、何一つうまくいかなくて、全くうだつが上がらない状態であっても、それで落ち込む必要なんてないし、そんな時こそ、自分の事を強く信じてあげなければいけないと思うんです。

 

 自分の心意気とやり方次第では、どんな風にでも変わっていけるし、未来には、無限の可能性が秘められているのですから…

 

 そして、やがてその場所にたどり着いた時には、軽んじられていた頃の自分が懐かしく思えるようになるはずです。

 

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天から与えられたプレゼントに感謝して18.05.13

2018年5月13日(日)

 

 5月のゴールデン・ウィークが終わって、学生さんや会社勤めの方にとっては、休みが明けていつもの生活がのスタート…

 

 新年度の4月から、クラスや職場が変わって、新しい生活がスタートした人にとっては、中々環境になじめない、ちょっと憂鬱に感じる時期かも知れません。

 

 よく「五月病」なんて言いますけど、あまり気負わずに、上手に息抜きしながら、乗り切っていきましょう。

 

 僕の場合は、ゴールデン・ウィークを、朝から晩まで四柱推命講座三昧で気持ちを張り詰めて過ごしたので、逆に、やっと一息ついた所です。

 

 ゴールデン・ウェークを終えて、その後、妻と旅行をしながら気分転換をして、今日は、「四柱推命講座・初級編 ~日曜コース~」の7日目でした。

 

 まあ、仕事と言っても、好きな事をやっているだけですから、僕の場合、ストレスになる事もありません。

 

 それにしても、人生というのは十人十色で、当たり前の話ですが、人それぞれに全く違います。

 

 生まれながらに、お金持ちの所に生まれる人もいれば、貧困を余儀なくされる環境に生まれる事もあでしょうし、体の健康状態だって人それぞれです。

 

 たくさんの友人に恵まれる人生もあれば、人間関係に常に悩みを抱える人生もありますし、幸せな結婚をして、子宝に恵まれる人もいれば、恋愛にいつも悩みを抱える人もいるでしょう。

 

 どんな人の人生も、全ての面において、完全に恵まれている人生というのは、滅多にありません。

 はたから見たら、そう見える事はあっても、実際の所は、本人は、何かしらの悩みを抱えていたりします。

 

 逆に、「人生やる事なす事、全部ダメ…」 という事も、まずありません。

 

 まあ、人生がうまくいっていない時には、一見、自分の人生は何から何まで全くうまくいっていないように感じてしまう事もありますが、そんな時でも、実際には、一つぐらいは恵まれている部分もあるものです。

 

 例えば、お金はないし、恋愛もうまくいかないし、人間関係も最悪だけれど、体だけは元気だ… とか。

 

 人生がうまくいっていない時には、そんな時「体だけ元気で、一体何の意味があるんだ」などと、悲観的に考えてしまいがちですけど、決してそんな事はありません。

 

 体が元気であれば、再起のチャンスは、いくらでもやってくるのですから…

 

 人というのは、特に不幸なモードに陥ると、往々にして、自分の中で最も恵まれていない部分に、意識をフォーカスしてしまいがちです。

 

 そしてついつい、自分は、他の部分では案外恵まれているという事を忘れて、愚痴ばかりが出てきて、周囲に感謝する事も忘れてしまうんですね。

 

 こういう状態になると、せっかくの運気も逃げていってしまいます。

 

 サンタクロースが、クリスマス・イブの夜になると、世界中の子供たちにプレゼントを配るように、我々は、天の神様から何かしらのプレゼントを、受け取っています。

 

 そのプレゼントは、人によって全然違うので、他人がもらっているプレゼントを、自分はもらっていないという事もありますけど、その逆だってあります。

 

 そこで、ないものねだりをして、悲嘆にくれるのも人生ですけれど、もう一回、自分の人生を振り返って、天が自分に与えてくれたプレゼントは何だろうかを確かめて、それを有効利用する方法を考えた方が、はるかに得策です。

 

 生まれながらに体が丈夫な人は、それを武器にしたらいいですし、人徳があって、周りの人に恵まれている人は、その事に感謝して、より、周りの人に愛を与えるような生き方をする事で、それが最大限に生きてくるでしょう。

 

 生まれついて、手先が器用な人は、それを活かしていったらいいですし、生まれながらに容姿端麗な人は、もっとそれを際立たせて、最大限に生かしていったら良いでしょう。

 

 天から与えられたプレゼントに感謝して…

 

 これは、「自分がうまくいっていない部分は、あきらめろ…」 という意味ではありません。

 

 そのうまくいっていない部分に気持ちをフォーカスして、不満を言うのではなく、まずは、今自分に与えられているものに感謝して、そこから、ポジティブな気持ちで一歩を踏み出す事で、自分が欲しいものも手に入りやすくなるし、人生が、実りの多い素敵なものになっていくはずです。

 

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心に描く情景が、そのまま人生を作り出す18.05.04

2018年5月4日(金)

 

 いろいろとバタバタしていたら、いつの間にか、ゴールデン・ウィークの真っただ中になってしまいました。

 

 しかも、今日は「みどりの日」ではありませんか…   みどりと言えば、みどりん先生(^^)

 

 この「みどりの日」は、緑という美しい色を称えて、部屋中をペンキで緑一色に塗りまくる日 ……ではなくて、「自然にしたしむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ日」(祝日法 第178号第2条)でした。

 

(2014/5/4 パリ・ブログ 「限りある緑を守るために」 参照)

 

 さっきも、中野坂上の大通りで、とっても幸せそうな、お出かけの服装の家族連れとすれ違いました。

 

 きっとこんな風に、ゴールデン・ウィークは羽根を伸ばしてレジャーをしたり、家でゆったりと楽しんだりする事が多いと思うのですが、僕も村野大衡先生と同じく、ゴールデン・ウィークは仕事三昧です(笑)

 

 4月28日~30日の3日間は、全国から集まってくださった6名の受講生の方と、朝の10時から夜の9時まで、サロン ド シルフィーユで「四柱推命講座・初級編 ~超速習コース~」の講座を缶詰式に行いました。
 そして、今日は、4名の受講生の方と共に、昨日から「中級編 ~連日集中コース~」を開催中です。

 

 まあ、初級編の内容なら、朝から晩までの詰め込み方式でも、なんとかなるかと思うのですが、さすがに、中級編の内容ともなると、そういう訳にはいかないので、1日に1講座のみ行っています。

 

 という事で、僕の7日間のゴールデン・ウィークは全て講座三昧…

 

 村野先生もブログで書いていましたが、本当に占いが好きでないとできない事だと思います(^^)

 

 でも、このゴールデン・ウィークを返上して、講座に参加してくださっている受講生の皆様も、きっと僕と同じくらいこの四柱推命という占いが大好きだと思うし、本当に頭が下がります。

 

 講師は、あらかじめ準備した講座の内容にそって、自分の知っている知識を話すだけですが、講座を受ける方は、講座の中の一つ一つの知識を、集中力をキープして、必死に習得していかなければ行けませんから、講師とは比べ物にならないほどに、ハードです。

 

 だから、もしも講師が、単調で事務的なやる気のない講座をやろうものなら、講座を受けている方は、退屈きわまりないし、眠いしで、長い時間を拘束されて、そこにいる事自体が、苦行そのものです。

 

 だから、講師のお仕事というのは、責任重大ですね。

 

 少しでも、楽しく盛り上がるような内容にして、「この講座を受けて良かった」と言われるように、気合い入れて頑張ります!!

 

 僕は、大して頭が良いという訳でもないし、占い以外は、何もできない人間ですけど、この四柱推命が大好きで、こうやって講座をやっていると、楽しくて楽しくてしょうがないと言いますか…

 

 ふと、気がついてみると、今、大好きな講座三昧の毎日があって、本当に、幸せに満ちた人生を、過ごさせて頂いています。

 

 最近思うようになったのが、人の人生というのは、その人が心に思い描いている情景の通りに、いつしか、なっていくのではないか… という事…

 

 「毎日が楽しい」と思っている人は、本当に毎日が楽しくなるし、「毎日が嫌な事ばっかりだ」と感じている人は、本当に毎日がそんな風になってしまう… そんなものだと思います。

 

 もちろん、反対意見もあると思うし、「人生は、そんなに簡単なモノじゃないよ」とおっしゃる方も、中にはいらっしゃるでしょう。

 

 人は誰しも、楽しい事が起これば、幸せでいられるけど、嫌な事が起これば、気持ちは落ち込んでしまうし、結局の所、人が幸せになるか不幸になるかは、全て、目の前の現実が決めるものであって、心の持ちようだけで、人生が変わったのなら、誰も苦労しないよ… と、考える方もいらっしゃると思います。

 

 確かに… 僕も、それはその通りだと思います。

 

 でも、だいたいにおいて、人が、今を幸せと感じているか、不幸だと感じているかの違いは、目の前にある現実と、何かを比べてみて、それを自分自身の価値観で、判断しているに過ぎません。

 

 その比べる対象というのは、過去における自分の人生の幸福度だったり、自分の同じ年齢の人達の一般的な生活だったり、自分が意識している特定の誰かの成功度合いだったり… どちらにしても、これだけは言えるのは、幸せとか不幸とかという基準そのものに、実体がないという事です。

 

 だから、今の生活が幸せだと思えれば幸せになるし、不幸だと思えば不幸になる…

 

 もっと言えば、今、目の前に広がっている現実の中にも、「満たされている部分(幸せだと思える部分)」と「満たされていない部分(不幸だと思える部分)」の両方が、存在しています。

 

 もちろん、満たされている部分と満たされていない部分の比率については、人によって、かなりさまざまだと思いますが、人の意識というのは、一つの部分にフォーカスすると、それ以外の事は、あまり気にならなくなってしまうように、できています。

 

 極端な事を言えば、そのフォーカスしているものによって、現在全く同じような境遇の人生であったとしても、片や「幸せの絶頂」で、周囲に感謝しながら、幸せな人生を送っている人もいれば、片や「不幸のどん底」で、愚痴や不満を言い連ねながら、不幸な人生を送っている人もいる事になります。

 

 僕自身も、いつもは、本当に自分は幸せだと感じているし、どれだけ感謝しても足りないぐらいに思っていますが、ちょっと油断したなら(まあ、そう滅多には油断しませんが…)、たちまち不幸のどん底になってしまいます。

 

 例え、目の前の現実が、全く変化しなかったとしても、やっぱりそうなります。

 

 例えばですけど、「何でこのホームページの費用は、他社と比べて、べらぼうに高額なのに、当然の修正を依頼しただけで、担当者は、別途見積もりが必要だとか、言ってくるんだ…」とか、ホームページのトップ画面の修正できていない部分を見つけて、怒りに満ちた感情を心に描いたなら、さっきまで幸せだった世界が、一瞬にして修羅のどん底に落ちてしまいます。

 

 まあ、デザイナーの方が、本当に一生懸命作ってくださったのは、すごく良くわかるし、あんまり悪くは言いたくないのですけど…

 

 もちろん、だからと言って、怒りというものが必ずしも悪い訳ではなく、時に、怒りは人間が進歩向上する上で、必要なものである事は、間違いありません。

 

 ここで問題になってくるのは、怒りそのものではなく、ずっと怒りの感情に囚われて、身動きができなくなってしまう状態です。

 

 僕はそんな時、「そうはいっても、この業者に頼まなかったら、こんなきれいな緑色のホームページはできなかったし、この担当者と話をしなければ、別に腹が立つ事もないから、まあいいか…」と、気持ちをおさめて、パッと他の事に気持ちを切り替えます。

 

 だから、仮にそんな風に腹が立つ事を思い出しても、その3秒後には、またいつもの気持ちに戻っています。

 

 もし仮に、怒りの感情から抜け切れずに、ずっと腹の立つ事ばかり考え続けていたら、どうなるのかと言いますと、まずはおそらく、僕の顔つきが、だんだんと怖くなっていくと思います(笑)

 

 あとは、人の気持ちをいたわるような心の余裕がなくなって、知らず知らず自分の発する言葉が、気遣いのない言葉になっていくし、いつしかきっと、人を怒らせてしまうような失言をしてしまう事になるでしょう。

 

 こうなってしまったら、少なくとも鑑定師としては、致命的です。

 

 最初のきっかけは、どんな事であったとしても、心が怒りに支配されて、「毎日が腹立たしい」と思い続けていると、普通だったら、腹が立たないような事にまで、腹が立つようになってくるし、結果的に、本当に怒りに満ちた人生になってしまいます。

 

そうなれば、自分の周りから自然と人が離れていくし、代わりに今度は、自分と同じような怒気を持った人が集まってきて、常に、いさかいが絶えないような人生になってしまうでしょう。

 

 同じように、「毎日、悲しい事ばっかりだ」と思っていたなら、悲しい人生になってしまうし、「毎日がつまらない事ばっかりだ」と思っている人は、本当につまらない人生になってしまいます。

 

 最初の段階においては、目の前に、感謝すべき幸せな出来事と、悲しい出来事とが、両方同時に起こっているのですが、そこで、幸せな出来事の方に気持ちをフォーカスさせて、感謝の気持ちで過ごしたなら、実際にその後の人生は、幸せに満ちたものになるし、もしも、悲しい出来事の方に気持ちをフォーカスさせたなら、やっぱりその後の人生は、悲しいものになってしまいます。

 

 悲しみの感情によって、冷静な判断力を狂わされてしまい、その結果、投げやりな行動を取り続けて、本当に悲しい人生を引き寄せてしまうという感じです。

 

 同じように、いつも、つまらない事や面倒くさい事に気持ちをフォーカスさせ続けていれば、人生の楽しみも忘れてしまうし、人生はいつしか、つまらない事と面倒くさい事しか起こらないようになります。

 

 実際、我々の生きているこの世界というものだって、結局の所、人の心が作り出しているものだと思う…

 

 人の心が変われば、世界だって変わるし、今、世界で起こっている出来事は、いい意味でも悪い意味でも、全て人の心が生み出した産物だと思うんです。

 

 今、北朝鮮の金正恩氏の対応も、少し前に比べると、随分と柔和になってきていて、うまくいけば、このまま核兵器の問題も早期に解決する可能性もあるかも知れない…

 

 未来は決して、選択肢のない一本道ではないし、我々には目の前に、常に複数の道が用意されていると思う。

 

 どの道を選ぶかは、結局は全て、我々次第だと思う。

 

 心に描く情景が、そのまま人生を作り出す…

 

 せっかくだから、思い切り素敵な情景をキャンパスに描いて、本当に実りある人生にしていこうではありませんか。

 

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