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人生は、目前の選択というよりは、志で決まる18.04.25

2018年4月24日(火)

 

 また、前にも増して、毎日のブログのインターバルが広がってしまいました…

 

 今日の21:00からの真藤先生との対談「浅野太志×真藤昌瑳熙 四柱推命vs五行六令運命学 どっちが当たる?!」の打ち合わせや準備、それに伴うメルマガの号外の発行、そして、お客様からのメールの返信も、今週は半端ない量があって、本当に慌ただしい一週間でした。

 

 そして、僕もいつしか47歳になりました。(4月17日が誕生日でした)

 

 あっという間に、月日が流れていきます。

 

 よく、年を取れば取るほど、時間のたち方が速く感じるとか、楽しければ楽しいほど、時間がたつのが速いとか言いますけど、まさに今の僕にとっては、リニアモーターカー並みに時間のスピードが速くて(汗)

 

 元々僕は、仕事をこなすのが人よりも遅いのもあって、ちょっとだけ、アップアップしています。

 

 でも、これからもずっと、目の前の事に全力投球のスタイルで、行きたいと思います!!

 

 よく、人生というのは常に分岐点があって、目の前にある選択肢のどちらを選ぶかによって、全く違ったものになってしまう… と言います。

 

 僕も、占い師という職業柄、タロットカードの結果や、四柱推命の命式でその人の性格の傾向をみたりして、お客様がどちらの選択をしたらよいかを占うという機会も多いです。

 

 まあ、お客様の中には、すでに自分で選択をしていて、その確認の為にいらっしゃっているというパターンも多いのですが…

 

 僕の人生にも、これまでに人生の分岐点はいくつもあったし、もしも、過去のある一つの分岐点において、今の選択ではなく、もう一方の選択肢を選んでいたなら、確かにこの人生はなかったと思います。

 

 その偶然の選択の連続によって、今の人生があると思うと、何とも感慨深いです。

 

 自分の周囲を見渡してみれば、優しくて素敵な人たちに囲まれているし、セレブな人生とまではいきませんが、それでも、そこそこ自分のやりたい事もできているし、改めて、この選択をして正解だったと思っています。

 

 もちろん、過去にしてきた選択よりも、よりベターな選択というのはあったと思いますし、それによって、周りの人に迷惑をかけずにすんだかも知れないし、もっと周りの人を幸せにできたかも知れません。

 

 そう思うと、全く後悔していないというのはうそになりますが…

 

 どちらにしても、その選択肢によって、人生は全く別のものになってしまうから、人は、分岐点を目の前にした時、動揺したり、うろたえたりもするのでしょう。

 

 でも、僕が思うに、人生において、目の前にあるどっちの道を選ぶかという事以上に、より大きな影響を与えるものがあるような気がするんです。

 

 それは、その人の志とか、心意気とか、自分の内側にあるものだと思う。

 

 確かに、目の前の選択肢のどちらを選ぶかによって、一見、人生は全く別のものになってしまうかのように見えますが、最終的には、人生はその人の志や心意気にそった場所にたどり着く…

 

 大体考えてみれば、そもそも目の前の選択肢というものも、その人の心が生み出しているものに過ぎません。

 

 結局の所、どんなにベストなチャンスをつかみやすい選択をしていたとしても、その人の実力がなければ、結局の所、そのチャンスを活かす事ができないのと同じで、もしも、志や心意気といったものが希薄であれば、幸せをつかむ事が難しくなってきます。

 

 そういった要素が、分かりやすい所で言えば、人徳ともろに連結しているし、もっと微妙な所で言えば、天運とも連動しているからです。

 

 もっと言えば、人徳や天運があれば、どんなでたらめな選択をして、ピンチにあったとしても、うまく切り抜けられるし、逆にそのピンチをチャンスにする事だって可能と言えます。

 

 大体において、そういったものは、その人がさりげなく発している言葉に、表れています。

 

 これは、史記に登場する淮陰侯韓信(わいいんこう かんしん)という人のお話ですが、韓信は、項羽の軍から鞍替えして、劉邦の軍に移ってきた人ですが、その時も最初は、雑用係しかやらせてもらえず、しかも、13人の同僚と罪を犯して、斬刑に処されそうになったんです。

 

 もう少しで首を切られそうになる寸前で、韓信は、劉邦の重臣である夏侯嬰(かこうえい)に向かって、「漢王(劉邦の事)は天下に大業を成す事を望まれているのでしょう。どうして、壮士を殺すような真似をするのだ」と訴え、この言葉を頼もしく思った夏侯嬰は、韓信を劉邦に推薦する事になりました。

 

 韓信のお話は、以前パリブログで、4日間にわたって連載しましたが…

 

 (2013/4/8ブログ 「目指しているものがあるから妥協しない」 参照)

 

 罪を犯して捕まるという、最悪の選択をしても、結果的にピンチを切り抜けるという、良い例だと思います。

 

 かの徳川家康の場合も、盟友の織田信長が本能寺の変によって不慮の死を遂げた時、少人数で境に取り残され、敗軍の将の命を狙う野武士が多い山の道を通って逃げる、危険極まりない、「伊賀越え」(伊賀を越えて、領地の三河へ帰る)という危険極まりない選択肢を選ばざるを得なかったのですが、途中何度も殺されそうになりながらも、無事に三河にたどり着きました。

 

 途中、多羅尾一族に宿を提供されて、従者50人と甲賀武士200人に警護をつけてもらったり、本多忠勝の智恵や、服部半蔵のつてや、茶屋四郎次郎の財力によって、危機を脱したと言えましょう。

 

 それは、家康の人徳と天運がなせる業ですし、同じように境遇で、別ルートで伊賀越えをした穴山梅雪(武田氏を見限り、武田の親戚筋でありながら、織田・徳川連合軍に寝返って、結果的に武田勝頼を自陣に追い込んだ人物)は、やっぱり野武士によって、命を絶たれています。

 

 同じような事は、明智光秀にも言えるでしょう。

 

 織田信長を打ち取るという事は成し遂げたものの、中国を大返ししてきた羽柴秀吉に破れ、結果的に野武士の落ち武者狩りによって、殺されてしまいました。

 

 よく、明智光秀は謀反を起こすという選択をしたのが間違いだったように言われますが、結局の所、光秀の人徳や天運に問題があったと思うんですね。

 

 厳しい事を言えば、人徳や天運を呼び込む、光秀の志や心意気というのが、せいぜいその程度のものでしかなかったという事なのかも知れません。

 

 織田信長は、確かに頭のキレはものすごい人でしたが、人に対する優しさも情けもないし、例え、光秀が手を下さなくても、どの道ああいう末路になったのではないかなと思うんです。

 

 明智光秀も頭の良い人だし、信長とは比べものにならないくらい温厚な人物である事は確かですが、天下を取って万人を幸せにしようと願う志や心意気は、秀吉や家康のそれには、遠く及ばなかったような気がします。

 

 光秀は悪い人ではないのですが、ちょっと、自分のプライドにこだわりすぎたり、保身に過ぎているような所がある気がするんですね。

 

 まあ、今度NHKの大河ドラマの主役になる人ですから、そんなに悪く言ってはいけませんが(笑)

 

 現在は、多種多様な時代で、戦乱の世に比べれば、人生の選択肢にはかなりの自由がありますが、いつの時代も、その部分は変わらないような気がします。

 

 目の前のどの選択肢を選んだとしても、その人の志によって、人生はそれに見合った場所に行きつく…

 

 だからこそ、自分自身の志や心意気をどんどん高めていく事が、より人生を豊かにする為の鍵になるし、この現代の世界を、より幸せに満ちた素晴らしいものにしていく鍵にもなるような気がします。

 

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占いは、未来を良くしていく為のツール18.04.15

2018年4月15日(日)

 

 いつしか、4月も半ば…

 

 ずっと、パソコンの画面を見すぎて、肩がこったので、気分転換にちょっとディズニー・シーでも行ってこようかと思っています。

 

 ここからディズニーシーまで、電車で1時間ぐらいで行けます。

 せっかく、東京に住んでいるのですから、これを活用しない手は、ありません。

 

 でも、よく考えたら、今月の内に、「四柱推命講座・初級編DVDセット」のチャプターをつける作業をやらなくては…

 

 チャプターというのは、DVDビデオの区切りみたいなもので、講座を小さな章立てにして、頭出しがしやすいように、付箋をつけるような作業です。

 

 のんびりしていたら、来月5月半ばの発送に間に合いませんね。

 

 今日は、四柱推命講座・初級編の第6回目だったのですが、第5講座~第7講座の講座の後半と第8講座は、実際の著名人の命式を見ての実践鑑定です。

 

 これは、DVDの中でもやっているのですが、安倍首相をはじめ、何名かの著名人を例題にして、一つ一つの命式を見ながら、どういう特徴があって、この時期にはどういう運気の流れになりやすい… みたいな事を話していきます。

 

 ちなみに、あのDVDの収録を開始したのは、2015年…
 当初は2016年に発売予定でした。

 

 四柱推命講座を受講してくださっているYさんが「デモの動画を見たら、2016年春発売開始… と最後にテロップが流れたので、もうとっくに販売が終わってしまっている商品かと思いました」とおっしゃっていましたが、実は、そんな事情があるのですね。

 

 2015年は2週に1回ぐらいの頻度で、DVD撮影に明け暮れていました。

 

 テレビカメラが回ると、僕も緊張してしまって、まる1日かけて、結局何一つ収録できなかったという日も、何度となくあります。

 

 真藤昌瑳熙先生が、常にカメラマンのSさんの画面をのぞき込みながら、いろいろとチェックをしたり指示を出してくれたりして、作業を進めていったのですが、真藤先生の「なるべく具体的に…、言葉を濁さずわかりやすく…」という注文を受けて、何度もテイクをやり直して撮影しています。

 

 結果的に、かなり際どい事も言っていますね(笑)

 

 僕自身、当てもの的な解説は、正直好きではないのですが、鑑定ではなく占いの教材ですから、見る人がわかりやすいように、ある程度割り切ってやりました。

 

 それでも、「こういう星が来るから、この人は事故に遭います」みたいに、未来を決めつけるような言い方だけは避けています。

 

 あくまでも、「こういう傾向が出やすいので、こういう部分を気をつけていく事が大切です」というような言い方でまとめました。

 

 未来は自分で変えていけるものですし、そもそも占いというのは、未来を良くしていく為のツールなのですから、大切なのは、「未来をどれだけ良く変えていく事ができたか…」 という事だと思うんですね。

 

 とはいえ、さすがに2年以上になるので、具体的に何をしゃべったかはほとんど忘れてしまいましたが…

 

 でも仮に、DVDの中で2年前の僕のしゃべった事が、後から見て、たまたま当たっていたとしても、そんな事は何の自慢にもならないと思っているし、また、そんなものを売り物にしたくもありません。
 ましてや、それが悪い未来であれば、なおさらです。

 

 もっと言えば、「そんなつまらない事を、自慢しているような占い師にはなりたくはない…」 というのが本音でしょうか。

 

 あまり人のあげ足は取りたくはないのですが、著名人の生年月日時を持ち出して、「この人は、こういう星が巡ってきたから、この年でお亡くなりになりました」とか、ネットなんかで、解説されている占い師さんもいらっしゃいますが、人の寿命なんて、そんなたやすく語れるものではありません。

 

 例えば四柱推命で言えば、生年月日時で同じ命式になる可能性は、世界で3万人、日本国内で230人いる計算になります。

 

 この同じ命式の人たちが、同じ時期に同じようにお亡くなりになったなら、もはやデス・ノートの世界です。

 

 しかも、多くの場合、出生時間もわからない著名人を、生年月日だけを元にして、後づけで語っている場合が多い…

 

 同一生年月日の人となると、世界中で382,000人存在するし、日本でも2,900人存在します。

 

 この人達が、時を同じくして亡くなるなんて、絶対にありえない事ぐらい、少し考えれば分かりそうなものですが…

 

 その人の持っている才能の可能性や、明るい未来の可能性を語るのであれば、発展的ですし、占いというものを紹介する方法としては、ありだと思うのですが、不幸な未来が訪れる事を決めつけるような言い方は、絶対にするべきではないし、ましてや、人の生死に関わるような事は、軽々しく語るべきではないと思うんですね。

 

 四柱推命を始め、世界中には本当にたくさんの占いが存在しますが、占いというのは「人を幸せにするためのツール」だと、僕は考えています。

 

 その為には、ピンポイントで、その人の運命傾向や陥りやすい癖が分かった方がいいし、その傾向が出やすい時期が分かった方が、未来をよりよく変えていくのには役に立つでしょう。

 

 でも、占いの悪い予言が一人歩きして、その人の運命を悪い方に引きづりこんでしまったのなら、本末転倒ですし、悪い予言を当てた事なんて何の自慢にもなりません。
 そんな事しかできないのなら、占いなんてものは、世の中に存在しない方が良いと思います。

 

 占いは諸刃の剣で、よく当たると言われ占いるほど、その剣の切れ味が鋭いし、それを扱う者によって、人を幸せにする道具ともなるし、人を傷つける危険なものともなりかねない…

 

 それが人を幸せにする道具となるか、恐ろしい危険なものになるかは、結局、その占いを扱う人の人間性や力量によって、決まってくるような気がします。

 

 DVDが発売される事になって、「本当にこんな僕のつたない解説でいいのかなあ…」 なんて思いもありますが、カメラマンをしてくださったSさんの完璧なまでの編集作業と、真藤先生の演出のお陰で、このDVDは確かに理解しやすい優れた教材になっています。

 

 一体、このDVDをどんな人が見てくれるのか、まるで見当もつかないのですが、四柱推命というものを、人を幸せにする為のツールとして活用してほしいなあ… って思います。

 

 僕自身、偉そうな事を語れるような大した人間ではありませんが…

 

 それにしても人生というのは、一生涯学びのような気がします。

 

 きっと、占いというものに限った事ではなく、あらゆるものがそうなのでしょう。

 

 僕自身、そういう意味でずっと学生であり続けたいし、これからも、もっともっと学び続けたいと思います。

 

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無限の運気を引き出す方法18.04.09

2018年4月9日(月)

 

 本当にもう、あっという間に時間だけが過ぎていって、いつしか前のブログから更新をしないまま1週間…

 

 ブログをお休みする事で、やりたかった原稿の仕事をするつもりだったのですが、次から次へと予定が入って、結局全く進んでいません。

 

 それでも、念願だった「四柱推命講座・初級編DVD」が完成したりと、一つ一つ自分の夢が叶っています。

 

 このDVDの企画は、真藤先生や真藤先生が紹介してくださったカメラマンのSさんがいなかったら、決して、実現できなかったと思います。

 

 今から6年前にパリに行った時には、何も実績のない無名な僕が、今こんな風にしていられるのは、全て僕の周りの優しい人達のお陰です。

 

 いつもいつも、ブログで同じような事を書いてしまいますが、僕は、運の強さ以外は、本当に取り柄のない人間ですから…

 

 とはいえ、この僕の唯一の自慢の「運の強さ」というのも、昔から、あった訳ではありません。

 

 その運の強さを実感し始めたのは、34歳の四柱推命の大運の変わり目に、尊敬する師匠から声を掛けて頂いて、トントン拍子に今まで閉ざされていた未来が開いていくようになってからでしょうか。

 

 それまでは、自分で言うのもなんですが、運はかなり悪かったと思います(笑)

 

 もちろん、34歳からは、ずっと運が上りっぱなしだったのかというと、そういう訳ではなく、全体的には運気は底上げされたものの、その中で、運の強さを特に感じる時もあれば、ちょっと不調な時もありました。

 

 本当に爆発的に運が強くなったのを感じたのは、パリに行ってからですね。

 

 とはいえ、それでも、全体的にぐんと運が上がったものの、その中で、本当に運が強いと感じる時もあれば、ちょっと不調だな… と感じる時はあったんです。

 

 一番、運気が絶頂期だと感じたのは、やっぱり2012年(壬辰年)のパリに滞在した年でしょうか。

 

 そこから、念願の出版をしたり、オフィスを持ったりと、願いは次々と叶っていったのですが、正直な事を言うと、運の強さは、わずかながら毎年弱まっているような感じがしていたんです。

 

 そして、2016年が底辺でした。
 とはいえ、20代の頃の運の悪さに比べたら、全然なんて事ありませんが、それでもここ最近においては、2016年(丙申年)が一番辛かった年でしたね。

 

 あの頃、毎日更新していた僕のブログを読んでいた人の中には、「なんか、浅野太志の調子が変だぞ」って、心配して、メールをくださった方がいたくらいです。

 

 自分では気づかない内に、知らず知らずと、ブログの文章に調子の悪さが出ちゃっていたのですね。

 

 まあ、次々と自分の願いが叶っていって、ただ浮かれているだけで、何もしなければ、徳がどんどん消費して減っていきますから、そうなってしまうのも無理はありません。

 

 2016年の暮れに、自分の中で猛省しました。

 

 そして、2017年からは、再び運気は持ち直して、今年も絶好調です。

 

 それで、自分の運気の強い時と、そうでない時では、何が違うんだろう… って、考えてみたんです。

 

 運気が強い時というのは、具体的に言うと、直感がすごく鋭くなっていますね。

 

 僕は、本当におっちょこちょいな性格で、よく忘れ物をしたり、思い違いをして、とんでもないミスをする事が多いのですが、運気がいい時というのは、直感で「何かおかしいぞ」って感じられるんです。

 

 何か自分が間違っている方向に行っていると、直感が「何かおかしいから、もう一回見直した方がいい」って、教えてくれると言いますか…

 

 それによって、何度助けられた事かわかりません。

 

 運気が弱い時には、そういう直感が感じられないから、20代の頃なんかは、何をやるにも一生懸命でしたが、もう自分でも本当に嫌になるくらい、ドジをやったり、失敗ばかりしていました。

 

 そんな状態ですから、何をやってもうだつが上がらないし、バイト先の社員さんには叱られるし、人間関係は全くうまくいかないし、あの頃の人生は最悪でした(笑)

 

 今、どうして、直感が鋭い時とにぶい時と違いが出るのかなあ… って考えてみると、思い当たる結論は一つですね。

 

 直感がにぶっている時というのは、間違いなく、心が何かにとらわれているんです。

 

 心が何かにとらわれてしまうと、雲がかかって、天からの日差しのようなインスピレーションが受け取れないという事なのでしょう。

 

 その雲は、何かへの執着だったりとか、不安だったりとか、自分の中の劣等感だったりとか、僕の20代の頃は、そういうものでがんじがらめになって、いつもボーッとしていました。

 

 こういうのがあると、直感が鈍るだけでなく、人間関係もうまくいきにくくなりますね。

 

 自分の中にこもっているから、周囲の空気も読めなくなるし、相手からは「何考えているかわからない」と思われて敬遠されますから、恋愛なんかに関しては、もう致命的になります。

 

 幸せの大部分は、周囲の人によって運ばれてくるものですから、人間関係がうまくいっていないという事は、それだけで、運気の状態が半減していると言っても良いでしょう。

 

 という事は、手っ取り早く、今の運気を上げようと思ったら、心がとらわれているものを、さっさと捨てるに限る… という事になります。

 

 とはいえ、一言で「捨てる」と言っても、そう簡単にはいかないかも知れません。

 

逆に「捨てよう、捨てよう」と過度に意識する事も、執着と変わりませんから、あまり必要以上に意識しすぎない事です。

 

 人生を体当たりでぶつかっていって、その中でいろいろと学んでいく内に、自分の中にある執着や不安が、本当は不必要なものだと気づいて、自然と捨てられたなら、それが一番良いでしょう。

 

 心のとらわれがなくなると、天からのインスピレーションが無限に受けられるようになりますから、直感が爆発的に冴えてくるし、別段意識しなくても、心が開放されて、自然と人にも温かくなれますから、人間関係もうまくいくようになります。

 

 そして、その時の感覚を、しっかりと心の焼き付けておく事で、調子が悪い時に、自分でその違いに気づけるようになりますし、慣れてきたなら、ちょっとした心の切り替えの工夫で、常に自分のコンディションを良い状態に呼び覚ます事もできるはずです。

 

 そのコツをつかんだなら、きっと、天から降り注いでいる無限の運気を、自由に引き出す事ができるようになるに、違いありません。

 

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何ができ上がるかなんて、その時は分からない18.04.02

2018年4月2日(月)

 

 気がつけば、4月になってしまいました。

 学校や会社では、いよいよ新年度…

 

 僕も最近は、ブログの毎日更新をやめて、その分、ホームページの直しや、講座の準備に時間を掛けています。

 正直、やる事が多すぎて、あっという間に時間が過ぎていきます。

 

 僕のホームページも、タロットカードが間違っていたり、段落がぐちゃぐちゃだったり、リンクが切れていたりバクっていたりで、最初は本当 悲惨な状態でしたが、今、やっと少しずつ、まともな状態に戻りつつあります。

 

 今回、リニューアルした事によって消えてしまったページのかなりの量を、自分で作り直しましたが、完全な移行までには、もう少し、時間が掛かりそうです。

 

 それにしても、思わぬ所で、我流ながらも自分のパソコンのスキルが役に立ちました。
 全く、何が幸いするか、わからないものです。

 

 ホームページの事はさておき、僕は、本当に周りの人に恵まれていて、いつも、助けられているのを感じます。

 

 何かピンチな事が起こったり、困ったなあ… と思う事があると、必ずそばにいる優しい人が助けてくれるといった感じで、どれだけ感謝してもしたらないほどです。

 

 もしも、それがなかったら、絶対にここまで来られなかったと思います。

 

 自分で言うのもなんですが、僕は、運だけは、ものすごく強いと思うのですが、それ以外、大した才能がある訳ではないですし、仕事の要領がいい訳でもないですし…

 

 たまたま自分の得意な占いというジャンルが活かされただけで、本当、人に助けてもらっていなかったら、間違いなく、今の自分はないですね。

 

 パリに行った時もそうでしたけど、本当、行き当たりばったりの人生でした。

 

 でも、思うに、未来において、計画を立てて、その計画通りに物事が全てすんなり進んでいくという事は、滅多にはないような気がします。

 

 もちろん、小さな計画だったら、そういう事もあるかも知れないですけれど、ビジョンが大きくなればなるほど、ましてや、一生モノのビジョンだったりしたら、まずは計画通りには行きません。

 

 その原因は、自分にあるという事もあれば、自分以外の人が原因の場合もあるでしょう。

 

 まあ、多くの場合、割合こそ違えども、自分にも他者にも何らかの要因があるものですが…

 

 計画通りに物事が運ばない… というのは、確かにストレスを感じるものですし、そんな時は、ついついその原因を作った誰かの事を、責めてしまいがちです。

 

 逆に、真面目な人は、その計画にのった自分自身を責めて、ずっと後悔をし続けるような事もあるでしょう。

 

 でも、僕はむしろ、「計画通りに行かない事は、当たり前だ」と考えるようにしています。

 

 計画通りに行かない事は、悪い事でも何でもないですし、必ずしも、「計画通りに行かない=失敗」とは、限らないですから…

 

 むしろ、その計画通りに行っていない所を、リカバリする事に、人生の醍醐味があるような気もします。

 

 身近な所で言えば、料理や日曜大工なんかも、そうだと思うし、芸術作品なんかは、まさにその典型だと思います。

 

 僕の場合でしたら、ちょうどこのブログやメルマガなんかが、そうなのですが、例えば、メルマガやブログを書いていて、最初に書こうした文章の内容と、出来上がった文章の内容が、まるで違ってしまうという事が、よくあります。

 

 これが、本の執筆ともなると、その傾向は顕著で、自分が想像していた本のイメージと、実際に出来上がった本は、完全に全くの別物ですね。

 

 もちろん、結果が、計画とは違って、残念なものになってしまう事もありますけど、中には、計画していたものよりも、うんと素晴らしい作品になる事だってあります。

 

 自分一人で作る作品でもそうなのですから、人とコラボしたり、協力したりして作り上げるプロジェクトや、例えば、会社を立ち上げるなんてなったら、なおさら、もう思い通りになんて行きません。

 

 もちろん、あまりにも計画と外れてしまって、維持するだけで負債がはなはだしい時には、途中で見切って断念する事も、一つの大切な選択であるとは思いますけど、ただ、出来上がったものが自分の思惑とは違う… というだけの理由で、途中でやめてしまうのは、もったいない話だと思うんですね。

 

 自分の計画や思惑通りに行かないのは、当たり前なのですから…

 

 僕が思うに、どんな作品でもプロジェクトでも、一生懸命にそれに取り組んでいると、途中から、自分の意思とは違う不思議な力が味方してくれるように思うんです。

 

 だから案外、その作品を全て自分で作っているようで、実はそうではなかったりするし、僕はむしろ、作らされているようすら、感じる事があります。

 

 ちょうど、「四柱推命完全マニュアル」と「タロット占い完全マニュアル」の2冊の本の原稿を書いていた時が、そうでした。

 

 あの本の原稿は、まぎれもなく全部、自分で書いていますが、出来上がったものを読み直してみると、到底、自分の力だけで、あれを書き上げられたと思えないと言いますか…

 

 今、もう一度、あれと同じような原稿を書けと言われても、もう、できないと思います。

 

 どちらの本も、書く前には当然、構想やビジョンは練っていますが、出来上がった本の内容は、最初に計画していたものとは、まるで別物です。

 

 僕の場合は、最初に計画していたものよりも、うんと素晴らしいものになったのですが…

 

 思うに、人生において、計画を立てる事は大切ですけど、もしも途中で計画通りに行かなくなった時には、行き当たりばったり覚悟で、冒険をしてみるのもありだと思うんです。

 

 そんな時も、無心になって、一生懸命額に汗をかきながら、真剣に取り組んでいれば、ふと湧いてきた良いアイデアや、誰かからの助けによって、窮地を乗り切る事が出来たりもします。

 

 結局、何ができ上がるかなんて、その時には分からない…

 

 だから、人生は面白いし、時には、ちょっぴり不安になりながら、どんなものが出来上がるのかを、全て天に委ねてみるのも、また一興のようにも思います。

 

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