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ただ、この今を淡々と生きる18.03.27

2018年3月27日(火)

 

 外はすっかりと、春らしくなりました。

 

 今日、3月27日は、村野大衡先生の誕生日なのですが、毎年、このくらいになると、すっかり冬の寒さも影をひそめて、さわやかに吹く風が気持ちいいです(^^)

 

 今年は、例年以上に花粉が飛びかっているという情報を聞いて、僕は、花粉症ではなかったのですが、今後、花粉症にならない為にも、用心の為に、外出する時はマスクをして出掛けようと、中野坂上のスーパーライフでマスクを買い込みました。

 

 

 これをつけていれば、もう花粉症に掛かる事はないだろう… と、自信満々でいたのですが、たまたま昨日、お花見に行った時、マスクをつけるのを忘れてしまいました。

 

 昨日の夕方あたりから、くしゃみや鼻水が出たり、喉か痛かったり、目がかゆかったりと、体の調子が悪くなって、最初は、昼にワインを飲み過ぎたからかなあ… とか、また風邪ひいちゃったのかなあ… と思っていたのですが、今現在も、その症状が続いております。

 

 もしかすると、もしかすると… 花粉症デビューをしてしまったかもしれません(涙)

 

 いや、数日中に症状がおさまる可能性もあるので、花粉症デビューというのは、まだ、確定という訳ではないと思うのですが…

 

 それにしても「花粉症になりたくない」と、意識をした直後にこうなるとは…

 

 本当、人生というものは、皮肉なものです(笑)

 

 ここの所、自分のホームページを手直しする為に、ずっとコンピューターの画面とにらめっこしていたのですが、昨日は久しぶりに、外に出て息抜きをしました。

 

 作業をしている時は気づかなかったのですが、大自然の中で背伸びしてみると、肩や背中が、ガチガチになっていたのが分かりました。

 

 でも、ホームページの手直しの作業をする時は、この前の反省点も含めて、淡々と無心でやっています。

 

 愚痴が出そうになった時、カウンターパンチで「こんな素敵なホームページを持っている人なんて、滅多にいないぞ。それを自分で好きなように改良できるなんて、なんて幸せなんだ」と自分に言い聞かせると、自然に、感謝の気持ちがわいてきます。

 

 確かに本当の所、どれだけ感謝してもしたらないくらいに恵まれているのに、愚痴が出ている時というのは、それを、ただ、忘れてしまっているに過ぎないんですね。

 

 その事に気づくと、もう愚痴は出てこなくなるから、ちゃんと仕事に集中できる様になるし、そういう時は、体は疲れていても、作業が楽しくなってきます。

 

 まるで、何かのスポーツ競技をやっているような感覚でしょうか…

 体は、それなりに疲れているのに、何とも言えない開放感を感じるような感じです。

 

 そして、ある程度作業が進んだ時に、そこには、仕事をやり遂げたという達成感も生まれてきます。

 

 本当、ありがたい事です。

 

 でもこの事は、仕事だけに限らず、何でもそうなのかも知れません。

 

 目前の事を、ただ淡々と虚心坦懐に行う… もっと言えば、ただ、この今を淡々と生きる…

 

 よく、禅なんかで言われる言葉ですが、このコツをつかめたなら、人生は、本当に安らかなものになります。

 

 その場その場で、本来、自分が取るべき行動も、自然と分かるようになるし、無駄に多かった人間関係のトラブルからも解放されて、物事がスムーズにいくようになります。

 

 よく、幸せというのは、自分の願い事が叶う事によって得られるものだと、考えられがちです。

 

 確かに、そういう面もあるとは思うのですが、そうやって自分の願いが叶った事によって得られた幸せは、その事が、当たり前に思えてしまった時点で、終わってしまいます。

 

 僕も、40歳の時に、これまでの長いお勤め人生が終わって、パリに旅立った時には、まるで天国に上ったように絶頂の幸福感に満たされました。日本に戻ってきた時もずっと、自分の生活があまりに自由な事に、毎日が幸せの真っ只中だったのを覚えています。

 

 でも、それがやがて、当たり前に感じるようになってしまった時には、普通になってしまいました。

 

 逆に言うと、あの幸せは、それまでの辛かったお勤めの下積み人生があったからこそ、感じられたとも言えます。

 

 自分の願いを叶える事によって、確かに、一時的に幸せになる事はできたとしても、その幸せが当たり前の事に感じるようになってしまったら、幸せはそこで終わってしまうんですね。

 

 例えばそれが、念願だった自分のなりたい職業につけたとしても、理想の異性と結婚できたとしても、憧れのマイホームを持てたとしても、そこの部分は、同じなのかも知れません。

 

 もちろん、自分の決めた目標に向かって頑張る事は、とても良い事だと思うし、そこを否定する気は、全くありません。

 

 でも、「これさえ手に入れれば、人生は変わるんだ」と、その願いが叶った後の人生に過剰に期待してみても、もしも、自分自身の考え方や価値観が変わらなければ、願いが叶った事で得られる幸福感は、一時的なものに終わってしまうでしょう。

 

 僕も、パリに旅立ったのを機に、やりたかった占い師という仕事で、オフィスを持って自立できたり、目標だった本を出版できたり、結婚をしたり、まあ、マイホームに関しては、もう少し先の話だと思いますが… 確かに、夢は次々と叶っています。

 

 それでも、毎日の日常生活が劇的に変わったのかと言えば、そういう訳でもなくて、以前と何も変わらない平凡な毎日です。

 

 でも、この淡々と過ごす、さりげない毎日の中にこそ、極上の幸せがあるという事を、やっと少し感じられるようになりました。

 

 それは、目の前で起こる事によって一喜一憂するような、軽い幸せではなくて、多少の事が起こっても揺るいだりしないような、本物の幸せとでも言ったら良いでしょうか…

 

 この幸せは、例え今の自分の状況が思わしくないものであっても、究極的には、自分の思い次第で、感じる事ができるものです。

 

 もちろん劣悪な状況でいるよりも、ある程度幸せな生活環境でいる方が、それを感じやすいのは確かですし、その為にも、自分が置かれた生活環境を幸せにする事も、大切です。

 

 その上で、この淡々とした、さりげない幸せを味わってみるのも、また人生の醍醐味です。

 

 ただ、この今を淡々と生きる…

 

 僕も偉そうな事を言えるほど、分かっている訳ではありませんし、こういうものは、そう簡単に悟れるようなものでもありませんが、その簡単にいかないのを楽しみながら、ありのままに今を生きられたらな… と思っています。

 

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目先の努力は、自分を顧みながら…18.03.23

2018年3月23日(金)

 

 一昨日の春分の日は、異様に寒かったのですが、今日はうって変わって、春らしくて気持ちが良い陽気になりました。

 

 僕もすっかり、あの寒さでは、お花見の時期もさぞ遅くなるだろうと、思い込んでいたのですが、なんと、今年はいつもよりも一週間余り早く桜の見ごろが来るとの事…

 

 予想外の早い春の到来に、心がワクワクしてきました。

 

 一昨日のブログを読み直してみたのですが、ホームページの手直しで頭がいっぱいいっぱいになっていたのと、次の予定が迫って、時間に追われていた事もあって、何が言いたいのかよくわからない文章になっています(笑)

 

 「頑張りすぎている時は危うい」とか言っても、あれでは何が危ういのか、よくわからないし、だいたい普通に考えて、頑張る事自体悪い事ではありません。

 

 もちろん、精神的に追い詰められている状態で、無理やりに自分を追い込んで頑張るのは やりすぎですし、危険ですが、当然ながら、前回のブログの趣旨は、そういったものではありません。

 

 一言でいうなら、目先の事に、なりふり構わず取り組むのはいいのですが、その時の心の状態が良くないと、ちょっと危ういですよ… みたいな事を言いたかったのですが…

 

 僕の一昨日の反省点で言えば、「何でお金を払って依頼したはずの仕事を、自分でやらなければいけないんだ…」 みたいな愚痴をこぼしながら、ずっとホームページの改良作業をしていたのですね。

 

 これは、本当に良くない事です。  反省…

 

 厳しく言えば、頑張ってはいるけれど、作業に完全に集中できていないから、こういう愚痴が出てくるのかも知れません。

 

 逆に「これを完成させて、たっぷりお金を稼いでやろう」とか「一躍有名になって、称賛を浴びよう」とか、目をギラギラさせながら頑張るのも、動機は不純ですが、人間らしくていいと思うし、努力する事を放棄して、何もやろうとしない人よりもいいでしょう。

 

 目の前の事に本当に集中できていたら、こういう雑念は消えてなくなりますから…

 

 だから、もし仮に努力をしようと思った最初の目的が、お金目当てであっても、人から注目される事が目当てであっても、そういう気持ちが出てこないくらいに集中して頑張る事ができたなら、それはそれで、とても素晴らしい事だと思います。

 

 ただ、それと同時に、「自分の性質を、少しでも善なるものに近づけよう」という努力の方も、せっかく、この世に生まれてきたのだから、忘れてはいけないな… という事が、一昨日のブログでは、つけ加えて書きたかったのです。

 

 もちろん、聖人君子を目指して、常に自分を律するべきだ… と言いたい訳ではありません。

 

 そんなものを目指して、小さく自分の殻に縮こもってしまうよりも、欠点は持ちながらも、何か大きな事を成し遂げられるぐらいの人の方が、はるかに頼もしいと思います。

 

 とはいえ、それでも、心の状態があまりにもネガティブな感情に満たされて、その勢いで頑張りすぎている時は、いろいろな問題を発生させる事があります。

 

 自分一人の問題で済むのなら、まだいいのですが、それによって周りの人を傷つけたり、負の感情の連鎖のスパイラルを生み出すリスクもありますから、ほどほどでいいので、やっぱり人格も高めていった方がいいと思うんですね。

 

 それに、一昨日僕がやっていた程度の単純作業でしたら、どんな心持ちでやっていても、大して成果は変わらないと思うのですが、目標がそこそこ大きなものであればあるほど、心の持ち方が、その結果に反映される事になります。

 

だから、本当に大きな事を成し遂げようとするのであれば、この部分は、やはり避けて通れないような気がするのですね。

 

 そういうものは、自分の努力だけでなく、天からの恩恵がなくては完成しないし、中には例外はありますけど、そういう恩恵は、基本的に、善なる性質を持っている人の方が受けやすいのは確かです。

 

 目先の努力をしつつも、自分の心の持ち方をただ放置するのではなく、時には、顧みながら反省しつつ過ごす…

 

 まあ、一度や二度反省した所で、自分の性質なんてそんなに簡単に改められるのものでもありませんが、それでも、それを繰り返していれば、いつしか変わっているものですし、自分自身、過去の自分を思い起こすと、随分と丸くなったなあ… なんて懐かしくなったりします。

 

 もちろん、性格が丸くなればいいというものでもありませんが、ふと気がつけば、周りにに感謝している自分がいるし、少なくとも、本当に幸せを感じられる人生になったという事だけは、今まさしく実感しています。

 

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頑張りすぎている時は危うい18.03.21

2018年3月21日(木)

 

 今日は、春分の日なのに、異様に寒くて、東京では雪が降っていました。

 

 ちょっとシュールな気分で雪の降るお彼岸の東京の街を、ダウンジャケットを着こんで傘を差しながら、歩いていました。

 

 この分だと、お花見の時期も少し遅くなりそうです。

 

 ここの所、ずっと、鑑定が入っていない時は、ホームページの直しに時間を割いています。

 

 少しずつ、ワードプレスの扱い方もわかってきて、だいぶ直したのですが、予想以上に不具合な所が多すぎて、まだまだ、お見苦しい点がいっぱいあると思います。

 

 どのページが、どんな風におかしな具合になっているかは、全部わかっているのですが…

 

 とはいえ、業者がやってくれていない旧ホームページの作成を優先したいし、当然、ホームページ以外にも、やる事は山ほどありますから、これは、時間との戦いですね。

 

 今、僕がやっている作業は、普通の人からしたら、かなり、気が遠くなるような作業だと思います。

 

 例えるなら、梱包の時に使うプチプチシートを、順につぶしているような感じでしょうか。

 

 う~ん、プチプチシートよりは少し複雑で、気を抜いて間違ったものをつぶしてしまうと、取り返しのつかない事になるという…

 

 こういう単純作業をしていると、いろんな事を考えてしまいますね。

 

 逆に、何も考えないでボーッと作業をしていると、眠くなってしまいますから。

 

 意外と「なんで、こんな作業やらなきゃいけないんだ」みたいに、少し腹を立てているくらいの方が、自分の中で気持ちが盛り上がって、作業がすすみます。

 

 ネガティブな感情も、使いようによっては役に立ちますし、大きな事を成し遂げた人の多くは、そのネガティブなエネルギーをうまく活用する事ができた人とも言えます。

 

 (2013/6/23 パリ・ブログ 「偉人達の隠された葛藤の日々」 参照)

 

 ただ、やっぱり体の疲れ方は半端ないですね(^^;;

 

 ネガティブな感情は、最初の起爆剤としてはいいのですが、その気持ちだけで乗り切ろうとしても長くは持ちません。

 

 それに、こういう時というのは、何か大切な事を見失っている可能性が高いです。

 

 感情の勢いのまま突っ走れば、確かに仕事は進むかもしれませんが、攻撃的な気持ちになって、自らトラブルを作り出すような事をしたり、冷静さを欠いて、全てを水の泡にしかねないような危うさがあります。

 

頑張りすぎている時は危うい…

 

こういう時は、少し仕事の手を止めて、息抜きをして、周りに対する感謝の気持ちを思い出して…

 

 少し落ち着いたら、また、作業を再開する事にします(^^)

 

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失敗で心がめげた時の処方箋18.03.15

2018年3月15日(木)

 

 外も、随分と暖かくなってまりました。

 

 本格的な春が、確実に近づいているのを感じます。

 

 この冬と春の境のような、何ともいえない微妙な時期が、僕は好きです(^^)

 

 特に良い事があった訳でもないのに、まるで、夏休みが1日1日と近づくのを楽しみにしている子供みたいに、胸をふくらませています。

 

 ふと、これまでの人生を振り返ってみると、僕は本当、いつも目の前の事に一生懸命だったなあ… って思います。

 

 いい意味でも、悪い意味でも…

 

 一つの事にのめり込むと、それ以外の事が見えなくなってしまうような所がありましたね。

 

 きっと、僕以外にも、こういうタイプの人はいるんじゃないかと思いますね。

 

 でも、時間には限りがあって、やる事は他にもいっぱいあるし、自分の体力や気力だって限界があるから、全ての事を本当に納得いくまでにやりとげる事は、不可能なのかも知れません。

 

 だからこそ、人生には、取捨選択が必要になってくるし、時には、妥協する事も覚えておかないと、自分が疲れてしまいます。

 

 僕も、この年になって、少しはそういう事もわかるようになりました(笑)

 

 人生長く生きていれば、時々、とんでもない失敗をしでかしてしまう事もあるでしょう。

 

 こういう時に、真面目な人は得てして、ついつい自分を責めすぎてしまうものです。

 

 あと、中には、失敗の原因を人になすりつけて、責めたてるというタイプの人もいるかも知れません。

 

 なすりつけられた方はこの上ない迷惑ですが、実はこういう人というのは、本来メンタルがすごく弱かったりします。

 

 もしも、「失敗の原因が自分にある」という事に、自分で気づいてしまったら、辛くて生きていけないし、「もう、自殺するしかない…」という発想になってしまうので、無意識の内に、「自分は悪くない」という思考ルーチンになるように、自己防衛本能が作動していると考えるべきでしょう。

 

 歴史上の人物で言えば、アドロフ・ヒトラーなんかがそうです。

 

 一見ものすごく強そうで、怖い雰囲気を漂わせていますが、心の中はまるでその逆だったりします。

 

 ヒトラーも、常に不眠症に悩まされていましたし、馬とか、月光とかを、普通の人には理解できないものを、とても怖がったと言います。

 

 それで、少しでも不安を覚えると、いつも自分の小指をしゃぶるように噛んでいたという…

 

 ヒトラーは度々、暗殺されかかっているのですが、類いまれなる悪運の持ち主だったせいか、終戦を迎えるまで、誰も暗殺に成功しませんでした。

 

 終戦間際の1944年の7月20日にも、爆弾で暗殺されかかったのですが(暗殺の実行者は、クラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐で、少し前に上映された「ワルキューレ」という映画で、トム・クルーズが大佐の役を演じています)ヒトラーは、奇跡的に軽傷を負っただけで生きていました。

 

 その時、ヒトラーはこう言ったといいます。

 

 「これで私の人生が終わっていたら、はっきり言うがね、それは私個人としては、心配事から解放され、眠れぬ夜に苦しむ事もなくなり、つらい心労に悩まされる事もなくなるだけの事さ。一秒のほんのひとかけらほどの時間だよ。そうすれば全てから解放されて、休息と永遠の平和が得られるんだ」

 

 つまり、強がっていても、本当は弱いんですね。

 

 ヒトラーほどの悪人ではなくても、こういうタイプの人は、時々います。

 

 たいがい周りからは「なんて、理不尽でひどい人だ」と思われているのですが、雰囲気が怖くて、みんなに恐れられていますが、実際の所、メンタルは弱くて、かわいそうな人である事も事実です。

 

 話がちょっとそれてしまいましたが、これとは逆に、失敗して自分の事を責めすぎてしまう人は、失敗を人のせいにするタイプの人よりも、根性はあるし、メンタルも強いです。

 

 ただ、きっと、完璧主義というものが「玉に瑕」なのかも知れません。

 

 完璧な人なんて、世界中に誰一人いないし、そんな事はきっと自分自身もわかっているのに、ついつい自分に自信が持てないから、自分の事を責めてしまうのかも知れません。

 

 あと、どこかで自分の事が嫌いだったりします。

 

 自分の事を好きになれると、失敗しても、自分の事が許せるようになるし、仕事運も恋愛運も爆発的に開くようになります。

 

 (2012/4/22ブログ 「パリに行って変わった事」 参照)

 

 自分の事を好きになって、大切にするというのは、神様を大切にするのと同じくらい大事な事ではないかという気がします。

 

 ある意味、自分(正確には、自分の心の奥底にある最も高貴な自分)というのは、神様みたいなものですから…

 

 さてさて、偉そうな事を言っても、僕もまだまだできていないので、ついつい失敗すると、自分を責めてしまいます。

 

 松下幸之助さんは、「失敗した所でやめてしまうから失敗になる。 成功する所まで続ければ、それは成功になる」とおっしゃっていましたが、まさにその通りで、一つのパーツだけ見たら、それは取り替えしようのない失敗であっても、人生全体から見たら、成功の為の貴重な学びである事も事実…

 

 皆さん、失敗を恐れないで、自分を責めすぎないで、頑張っていきましょう!!

 

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