2月26日の記憶18.02.26
2018年2月26日(月)
いつも、2月26日になると、パリに旅立った時の記憶が鮮明によみがえります。
毎年毎年、2月26日のブログのネタは、そんな事ばっかり書いているので、いつもブログを読んでくださっている皆さまも、「またかよ」って、うんざりしているに違いありません。
それにしても、あの日は本当、今思い出しても冷や汗が出てくるほどに、ハラハラドキドキの一日でした。
(2013/2/26 パリ・ブログ 「あの日起こった奇跡」 参照)
あれから、もう6年…
どうして、2月26日という日にちだけが、いつまでも記憶に残っているかと言うと、歴史の授業で習った「二・二六事件」のせいですね。
毎年、2月26日のブログは、いつもいつもパリの思い出話で終わってしまっているので、今回は、この82年前に起こった「二・二六事件」の事でも、少し掘り下げてみようかと思います。
僕が、中学校で初めて、二・二六事件の事を教わった時は、「なんて、血なまぐさい事件なんだ」という印象しか、残っていないです。
それと同時に、「軍隊や戦争というものは、なんという恐ろしいものなんだ」という、ごくありふれた感想を持った事を覚えています。
この「二・二六事件」によって命を奪われたのは、殉職した警察官5名を含む9名の人達でしたが、その中には、元首相で蔵相の高橋是清や、前首相の斉藤実という、その時の日本を支えていた才能のある重鎮が含まれていました。
4年前の五・一五事件で、当時首相だった犬養毅が暗殺されているので、「五・一五」と「二・二六」の2つの事件により、当時の日本にとって、国の事を冷静に考える事ができ、かつ国際社会ともパイプがあった、なくてはならない人物を失ってしまった事になります。
ところが意外な事に、戦時中や、戦後しばらくの間なんかは、二・二六事件のクーデター未遂事件を起こした青年将校たちが、英雄視される事もあったんです。
「何の私心もなく、天皇と日本の為を思って、勇敢な行動をしたのに、反乱軍の汚名を着せられ、処刑された悲劇のヒーローたち…」 と言った所でしょうか…
三島由紀夫は、優れた文学作品を多く残した作家でもありますが、そういう考え方を持った代表的な人物でした。
特に、三島自身が「二・二六事件三部作」と呼んでいた作品が収められた「英霊の声」には、それが示されていますし、三島由紀夫のあの独特な死に方も、二・二六事件の影響下にあると言って良いでしょう。
二・二六事件は、現代から見れば、テロリストが起こした襲撃事件であり、その行為自体は、許されるべきものではありませんが、彼らには彼らなりの正義がある訳で、今の現代の我々が、現代の画一的な価値観だけで、彼らの事を裁くのも、あまり良い事ではないのかも知れません。
もちろん、だからと言って、彼らのやり方を認めるつもりは毛頭ありませんが…
これは、当時の日本において、かなり根の深い事情から起こった事件であり、背景には、軍部内の「皇道派」と「統帥派」との対立、さらに、社会主義でかつ帝国主義を持つ北一輝という思想家の影響、そして、最も根底の部分には、当時の日本の農村の困窮があります。
そもそも、二・二六事件を起こした青年将校たちの思いは、「政治の腐敗による激しい貧富の格差を、いち早く是正しなくてはならない」といったもので、彼らに言わせれば、天皇の側近である奸臣達を駆逐して、政治を天皇陛下の元に取り戻し、日本を良くしようとした… という事になるのかも知れません。
青年将校たちが軍部の「皇道派」であったと聞くと、ついつい右翼的思想が暴走した結果起きた事件だと思ってしまいますが、実際には、天皇を担ぎ上げているだけで、彼らの思想そのものは左翼的思想であって、それが、この二・二六事件の奇妙な所でもあります。
これは、二・二六事件が終息してから、昭和天皇が側近に「日本もロシアの様になりましたね」と語った、という記録がある事からもわかります。
そもそも、青年将校達に影響を与えた、北一輝自身が、社会主義であり帝国主義という変わった思想家だった訳ですが、彼らにしてみれば、当時の日本は「重臣と財閥の独裁国家」であり、それに風穴を開ける為の武力行使だった、という事になるでしょう。
当然ながら、昭和天皇が、これまでの日本に多大な功績を残した、高橋是清や斉藤実らの命を奪った青年将校たちの所業を許すはずもなく、彼らの行為は即反乱とみなされて、4日間で鎮圧され、青年将校たちは捉えられて、首謀者は全員銃殺刑となりました。
本当に、不毛な物悲しさがだけが残る事件です。
首謀者の中でも、磯部浅一という人は、母思いで学業優秀な苦労人だったと記録にありますが、処刑が行われるまでの獄中の日記に「成仏する事は譲歩する事だ、死ぬものか、成仏するものか…」と何度も書き綴り、軍部首脳に対してだけではなく、天皇陛下に対してまでも、怒りと恨みの手記を残しています。
ちなみに、三島由紀夫は、いつも自分が書き上げた小説の原稿を、真っ先に母親に見せるという習慣があるのですが、書き上がった「英霊の声」の原稿を読んで、母親の倭文重(しずえ)さんは、「一度読んで、これは息子の書いたものではないと思った」と、述懐しています。
三島由紀夫に、その事を問いただした所、「書斎で原稿を書いていると、どこからか声が聞こえてきて、手が自然に動き出してペンが勝手に紙の上をすべった。自分の意思でそれを止める事もできなかったし、後で手直ししようかと思ったが、それもできなかった」と、答えたという事です。
ちょっとトリビアな話題になってしまいますが、三島由紀夫と大変親しかった、歌手の美輪明宏さんが、三島由紀夫と一緒にいる時に「三島さんの後ろに、二・二六の関係者の誰かが憑いている」と叫ぶと、三島由紀夫は「ほう、それは誰なんだい」と、青年将校の名前を一人ずつあげていったとか…
それで、「磯部…」という名前が上がると、「それに間違いない」とピンときたとか…
にわかには信じられない話ですが、例え肉体は滅んでも、目に見えないエネルギーが残るという事は十分考えらますし、そういう事もあるのかも知れません。
なんだか、訳のわからない話になってしまいましたが、そんな悲しい事件も、もう80年以上も前の出来事…
日本も、人と人とが殺し合う事によって、恨みや無念の思いが絶える事のなかった時代も終わり、少なくともそういった意味では、平和を取り戻しました。
過去の先人たちは、誰もが、みんなが理想の世の中で暮らしていける事を夢見ていて、それを実現させる為の手段としては、まずいものもあったとは思うのですが、その純粋な気持ちだけは、変わらないと思います。
もちろん、問題はまだまだ残されていますが、そんな先人たちの思いに感謝しつつ、今を生きていけたらと思います。
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トラブルが起きた時の心の持ち方18.02.21
2018年2月21日(水)
一昨日のスピードスケードでは、小平奈緒選手が、日本勢2つ目の金メダルを取りました!!
敗れて2位になった韓国の李相花選手は、これまで二連続でオリンピックで金メダルを取ってきた王者で、小平選手の大の親友でもあり、目標にしていたライバルでもあったそうですが、号泣する李選手の肩を抱きながら、「今でもあなたを尊敬している」とささやいたという逸話には、本当に感動させられました。
日本と韓国は、厄介な国家間の問題を抱えていますが、小平選手と李選手の友情は、そんなお国の事情を超えた所にあるし、この二人の心の交流のように、日本と韓国もお互いにわかりあえたなら、どんなに素敵だろうと思います。
僕も、羽生選手のフィギアスケートの動画を、妻の携帯で見たのをきっかけにして、仕事に追われながらも、ちゃっかりオリンピックのダイジェストを一日か二日遅れぐらいで見ていますが、やっぱりオリンピックというのは、感動的ですね(^^)
それに比べると、僕の日常の生活は、何とも味気ないです(笑)
ちなみに、今日は、サロン ド シルフィーユの洗濯機が故障しました。
別にわざわざ、ブログのネタにするような事でもないのですが…
常連のお客様の鑑定を終えてから、ソファーに敷いていたタオルを洗濯機に入れて回していたのですが、洗濯機がいつまでたっても脱水をしていて、一向に終わりません。
途中何度も、脱水層の傾きを直す為に、給水をしながら、もう30分以上回転しているのですが、結局、うまく脱水される事なく、ずぶ寝れのままでエラーになって止まってしまいました。
エラーの原因を調べても、それらしい原因が見つからないので、またスタートボタンを押すと、またしても30分ぐらいずっと回転して、タオルはずぶ濡れのまま、止まってしまうという繰り返しです。
2、3回繰り返した所で、いい加減にあきらめて、タオルを手で絞って、干していれば、それで済んだ話なのですけど、「今度こそ、うまく脱水できるんじゃないかな…」という淡い期待がわいてきて、ついまたスタートボタンを押してしまい、悪循環の無限ループに入ってしまいました。
こんな事を何度も繰り返していると、だんだんと腹が立ってきますね(笑)
多分これ、競馬やパチンコなんかに夢中になって、負けがこんで、辞められなくなるような時と、同じような心理状態だと思います。
思考がそこから抜けられなくなって、根拠のない期待と自虐によって、行動がパターン化すると言いますか…
洗濯の間に、仕事が少しでも進んだかというと、洗濯機の事ばかり気になってしまって、全然はかどりません。
ちょっとした、プチ・トラブルに見舞われました。
オリンピックの感動とは程遠いくだらない話で、本当申し訳ありません。
洗濯機が故障したからといって、生活に支障をきたす訳でもまいし、さっさとメーカーに修理を依頼して、タオルはコインランドリーで洗濯すればすむ話ですが、感情的になると、こんなちっぽけなトラブルでも、人生上の大問題のように思えてきます。
まるで、目の前の洗濯機が直らないと、人生が何も先に進んでいかないような気持ちになってくるから、不思議です。
長い人生の中では、洗濯機の故障よりも、はるかに厄介なトラブルに見舞われる事が、度々あるでしょう。
もっとも、日本で生活している限り、命にかかわるようなトラブルは、極めてまれで、多くのトラブルは、洗濯機の故障に比べれば大変でしょうけど、感情的にならないで、冷静に対処したなら、時間は掛かっても、確実にクリアできる事ばかりです。
トラブルを目の当たりにした時に、この「感情的にならない」というのが、きっとポイントだと思います。
感情的にならず、理性的に考える事ができる人は、例えどんなに大きなトラブルに見舞われても、淡々とやるべき事をやって、やがて、そのトラブルを切り抜けていく事ができます。
こういう人は、やがて人生で、大きな事を成し遂げる事ができるでしょう。
逆に、少しツイてない事が起こると、すぐに気持ちが塞いでしまうような人は、洗濯機が壊れたぐらいの小さなトラブルでも、精神がまいってしまうし、冷静な対応ができなくて、感情的に振舞う事で、トラブルをより大きなものにしてしまいます。
だから、やっぱりトラブルが起きた時には、「クール」になる事が大切です。
…という事で今日は、洗濯機の故障の話から飛躍して、トラブルが起きた時の心の持ち方について、ふと気がついた事を綴ってみました。
ちなみに洗濯機は、一旦あきらめてメーカーに修理を依頼したのですが、その後、急にひらめいて、少し洗濯機の位置と置き方を変えてから、スタートボタンを押してみたら、無事に脱水できました。
本当、お騒がせいたいたしましたm(_)m
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羽生結弦選手と宇野昌磨選手が教えてくれたこと18.02.19
2018年2月19日(月)
一昨日は日本中が、平昌オリンピックの羽生結弦選手と宇野昌磨選手の金メダル・銀メダルの快挙にわきあがっていました。
このブログの更新は、ボチボチですが、僕は、四柱推命講座の準備や、お客様からのメールの返信などに時間を費やしながら、忙しく毎日を過ごしています。
僕がメールの返信に時間をかけている間、隣りで妻が、携帯の動画で、フィギュアスケートの羽生結弦選手と宇野昌磨選手のオリンピックの優勝インタビューをずっと見ていました。
いつしか、そのインタビューの彼らの言葉に、僕は心を奪われてしまいました。
二人がインタビューに答えていたとはいえ、話していたのは、ほとんど羽生選手の方だったような気がしますが(笑)
これまでろくに、オリンピックを見ていなかった僕ですが、改めて、この23歳と20歳のさわやかな二人の選手の素晴らしさに、感銘を受けました。
羽生選手がインタビューの中で言っていた言葉で、すごく印象的だったのが、「オリンピックの為に、幸せを全てを捨てようと思った」という言葉…
努力というものは、もう十分過ぎるくらいやっていて、しかも羽生選手の場合は、右足を練習中の事故でけがをして、本来ならば、とても演技ができるような状況ではないのに、痛み止めを飲んでの出場だった訳ですが、残った唯一のできる事が、それ以外を全て「捨てる」覚悟だったのでしょう。
羽生選手のこの言葉を聞いた時に、僕もパソコンのキーボードを打つ手が、一瞬止まってしまいました。
そういえば、羽生選手は出場の前のインタビューの中で、いつもの羽生選手だったら恐らく言わないような、かなりストレート過ぎる発言をしていたんです。
これが、ものすごく正直な強い言葉で、「やっぱり、羽生選手は本物だ」と思った人も多いと思うのですけど、中には、反感を持つ人もいるんじゃないだろうかと思わせるような危うさもありました。
でも、今思えば、この時、羽生選手はそんな世間の評判なんてものは、もうとっくに捨てていた、という事なのかも知れません。
世界の頂点に立ったこの二人は、日本中の人に、自信と勇気を与えてくれたのではないかと思います。
もちろん、我々にはオリンピックの優勝なんて大それた事まではできないけど、「捨てる覚悟」で、自分が望む目標や目の前の仕事に、全力で立ち向かっていく事ぐらいだったら、まだ、できる気がするから…
羽生選手は、こうも言っていました。
「正直に言えるのは、こうやってもし何もなくて、このNHK杯でけがをするまで本当に順風満帆でうまくいっていたとしたら、多分オリンピックで金メダル取れていない。やっぱりそういういろんな経験があったからこそ、いろんな勉強ができたし、いろんな事を学べたし、それを生かせたと思っている」
これは、到底23歳とは思えない、すごく言葉の重みがある発言だと思います。
羽生選手の言葉の後、宇野昌磨選手のインタビューも聞いていたのですが、彼はまた、羽生選手とは対照的な意味で、素晴らしい選手だと思いました。
「捨てたものはあるか?」と聞かれて、「ないです」と素直に答える天然さに、すごく好感が持てました。
宇野選手は、オリンピックの舞台でも、全く緊張しなかったとか…
純粋にスケートが好きで、ひたむきに練習に練習を重ねてきた選手で、脇目もふらない純真さが、あの表現力になっているのでしょう。
この宇野選手の良さは、「余分な事を一切考えないというシンプルさ」にあるのかも知れません。
どうしても2番手の選手というイメージがついてしまいがちですが、羽生選手がいなければ、間違いなく世界一位だったわけですし、将来が末恐ろしいほどに楽しみな選手です。
二人の若者のインタビューを聞きながら、僕も仕事の手を止めて、妻の携帯で、オリンピックでの二人の演技を見せてもらいました。
見事な二人のオリンピックの素晴らしい演技に、遅ればせながら、猛烈に感動しました!!
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旧正月と立春との違い18.02.16
2018年2月16日(金)
いつしか、更新が1週間に1回になって、「そうなってはいけない、そうなってはいけない」と思いつつ、結局このブログも、悪い前例であるやさしい風のように化してしまいました(笑)
これは、笑い事ではない…
という事で、気合いを入れなおす為に、今、朝の7時に起きて、ブログを書いています。
今日は旧正月… 太陰暦のお正月です!!
きっと、今日の村野大衡先生のブログは、旧正月のネタに違いない… と思ってのぞいてみました(^^)
ほのぼの占い師“村野大衡” ☆五福臨門☆
こんな朝早い時間だというのに、今日のブログはとっくに更新されていて、しかも、すでに拍手が8もついていました。
さすが、村野先生です…
ところで、「あれ、旧暦のお正月というのは、2月4日じゃなかったの…」と思う方も、きっと、いらっしゃると思います。
四柱推命の世界では、一般的に立春(だいたいは2月4日)に年干支が切り替わるから、僕も、四柱推命を始めたての中学生の頃には、ずっとそうだと思い込んでいたのですが…
実はこの話題、前にもちょっと書いた事があります。
(2014/1/31 パリ・ブログ 「旧正月はシャキッと…」 参照)
「旧暦」、「太陰暦(陰暦)」、「二十四節気」… と、一見、どれも同じ事を言っているように思われがちですが、旧暦=太陰暦ですが、立春を含む二十四節気は、これとは全くの別物です。
ちなみに今使っている暦(新暦)のグレゴリオ暦は、「太陽暦」ですが、二十四節気も、立派な太陽暦です。
太陰暦と太陽暦の違いは何かというと、太陰暦は、月の周期によってみていく暦で、太陽暦は、地球が太陽の周りを回る周期によってみていく暦…、という事になります。
ちなみに、太陰暦の中にも、「太陰太陽暦」と「純太陰暦」があって、我々が一般的に太陰暦と呼ぶのは、太陰太陽暦の方です。
純太陰暦というのは、あんまり聞いた事が無い言葉ですけど、これはサウジアラビアなど、ごく少数の国で公式に使われていた暦…
月の周期(朔望月)は、およそ29.5日である事から、この純太陰暦というのは、1年を29日と30日を交互に繰り返す事によって、純粋に月の満ち欠けと対応させています。
天体の「月」と、1ヶ月の単位の「月」が一致した太陰暦であり、しかも閏月もなくて、1年の長さも完全に同じなのですが、致命的な欠点は、結果的に1年が354日か355日になるので、太陽暦の1年に比べ10日ぐらい短く、年々、季節がズレていって、いつしかお正月の季節も変わっていってしまうという事…
それに、毎年毎年10日短いという事は、年を取るのも速くなります(笑)
とは言っても、サウジアラビアでは、誕生日のお祝いをする事もないし、だいたい戸籍に生年月日を記録する制度が完備されている訳でもなく、パスポートには生年月日が記載されていない人が大半ですが…
サウジアラビアでは、つい最近の2015年まで、この純太陰暦である「ビシュラ暦」が公式に使われていたのですが、2016年、我々が使っているグレゴリオ暦に切り替えられました。
ちょっと話がそれましたが、我々が普通「太陰暦」とか「陰暦」と呼んでいる太陰太陽暦は、月の運行を元にしているものの、実際の季節と大きくズレる事のないように、閏月を入れて、1年の長さを調節しています。
だから、1年が12ヶ月の時と13ヶ月の時がある代わりに、そんなに、季節とズレまくってしまう事もありません。
太陰太陽暦や、純太陰暦のような太陰暦と違って、太陽暦の場合は、1ヶ月の事を「月」とは呼んでいても、言葉の名残だけで、実際の天体の月とは、まるで関連しません。
だから、四柱推命上で、月干支というものと天体の月とは、本来、まるで無関係なんですね。
その太陽暦の代表的なものが、我々が今使っている「グレゴリオ暦」だったり、二十四節気だったりする訳ですが、二十四節気を旧暦と呼ぶ事はなく、旧暦の太陰太陽暦では、季節のズレが出て、農耕をやる上では不便な事も多いので、農村などで愛用されていた暦が、二十四節気です。
(2013/2/4 パリ・ブログ 「二十四節気」 参照)
二十四節気で言うと、今の時期「雨水」となり、寒さが和らいで、雨が降り出すようになるという時期…
とはいえ、全然まだまだ寒いですし、正直、二十四節気の意味と実際の気候というのは、あまり合致していません。
そんな訳で、日本気象協会では、現代の日本の気候に合わせた「21世紀の二十四節気」なるものを考案して、2012年に発表しようとした経緯があるのですが、反対の声が多くてやめたそうです。
確かに、僕もその場にいたら、反対すると思います(笑)
新しい便利な暦を作りたいという気持ちは、わからなくはありませんが、歴史ある伝統的な二十四節気に慣れ親しんだ人にとっては、これは冒涜ですね。
2月4日の立春はとんでもなく寒いですし、旧正月は、中国では「春節」と呼ぶものも、まだまだ春は遠い…
それでも、じきに春はやってくる…
旧正月も、二十四節気の立春も、そんな気配を感じさせてくれる、とても素敵なものだと思います。
改めて、旧正月おめでとうございます!!
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