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出羽三山・生まれ変わりの旅 ~羽黒山編~20.01.20

2020年1月20日(月)

 

 毎日、喧騒に追われながら、ふと、あの出羽三山に登った時の事を思い出すと、なぜか、うんと遠い昔の出来事のように感じます。

 

 出羽三山に登ったのは、9月の初旬… あれからまだ、4ヶ月位しか経っていないのですね。

 あの2日間は、まるで真夏のように暑かったのを、覚えています。

 

 最初に登拝した湯殿山神社で、心地良い神秘的な体験をして、いよいよ我々を乗せたバスは、羽黒山にある出羽三山神社へと向かいました。

 

 この神社は、出羽三山の三社の代表のような場所…

 

 出羽三山神社には三神合祭殿があって、ここに参拝しただけで、羽黒山、月山、湯殿山の三ヶ所の神様全ての参拝をした事になるという、昔からの習わしになっています。

 

 だから、時間的にまたは体力的に、1つの山にしか行けないという人は、この羽黒山だけに登って三神合祭殿に参拝する事により、羽黒山、月山、湯殿山の三山全ての神様にご挨拶をしたという事になるんですね。

 

 羽黒山の標高は414m…

 月山(1,984m)や湯殿山(1,504m)に比べると、割と低い山で、山の入り口は、鶴岡市羽黒町という商店や宿坊が立ち並ぶ小さな街になっています。

 

 まさに羽黒山は、出羽三山の玄関口という言葉が似合います。

 

 

 月山と湯殿山は隣り同士の山ですが、羽黒山は、この2つの山から、かなり離れています。

 

 湯殿山を登ったのなら、次は、すぐ隣にある月山に登った方が効率が良さそうですが、何で、湯殿山の次に、わざわざ離れた所にある羽黒山に登るのかというと、理由は簡単です。

 

 月山と湯殿山を、たった1日で登って下りてくる事が、ものすごく大変だからです。

 湯殿山の後、月山に登ったまではいいですが、もしも1,984mの下山途中に日が暮れてしまったら、それ以上、下りたくても下りられませんから…

 

 そんなこんなで、四季の旅の一行は、2つ目の目的地である、羽黒山の出羽三山神社へと到着しました!!

 

 

 生まれ変わりの旅の過去・現在・未来で言うと、羽黒山は「現在」に当たり、今現在における現世利益を祈る場所との事…

 

 古来からの順番だと、3つの山で真っ先に登拝する山が、この羽黒山になります。

 人は誰しも、今の自分が幸せでなければ、気力がわいてきませんし、人に幸せを分け与える事もできませんから…

 

 鳥居の上の所には「出羽(いでは)神社 月山神社 湯殿山神社」と3つの神社の名が記されていました。

 この3つの神社を総称した神社が、出羽三山神社です。

 

 出羽三山神社の石段は2,446段あって、この数は、日本全国の神社の中でダントツ第1位です。

 石段の数で有名な四国香川にある金毘羅(こんぴら)様が、第2位の1,368段ですが、出羽三山神社の石段の数は、その倍です。

 それを登るのは、かなり大変だろうな… と覚悟していたのですが、今回、反対側の山の入り口から、バスで山頂に上がってしまった為、結局、石段を一段も登らずに済んだのでした。

 

 出羽三山を制覇するのは、体力的に相当キツいと、以前からみんなに聞かされていたのですが、正直いって、拍子抜けした気分でした。

 結局の所、バスに乗ったまま山の上まで行けてしまいますから、白い作務衣を羽織って、いかにもという格好をしていますが、実際には、登山らしい登山はしていません。

 まあ、僕的には、それで一向に構わないのですが(笑)

 

 2ヶ月前の7月に計画していた白山登山(結局、断念した)の為に準備した、ザックや、トレッキングポールなどの本格的なフル登山装備を、今回、持ってきていたのですが、必要なかったのかも知れない… とさえ、思うようになりました。

 

 

 ここが、出羽三山神社の参集殿…

 ツアーの31名は、ここに上がって、昇殿参拝をする事になりました。 

 

 参拝までの待ち時間、千佛堂(せんぶつどう)で、250体の仏像を拝観したのですが、それはもう圧巻でした。

 

 さあ、いよいよ昇殿参拝です。

 

 三神合祭殿で行う予定の昇殿参拝は、元々空いていた部屋の一つが、使用できなくなってしまった関係で、四国の高知県からいらっしゃった団体さんと、同じ部屋で一緒に御祈祷を受ける事となりました。

 

 その団体さんが申し込んでいた祈祷が、何と一座20万円の「太々神楽(だいだいかぐら)祈祷」という超特別な御祈祷…

 運が良い事に、我々もその末座に座らせて頂いて、ちゃっかりと、太々神楽祈祷を受けさせて頂けました。

 

 鈴がついた棒で、頭の上から少し痛い位にこすりつけられて、時間を掛けて、しっかりお祓いをして頂いたり、見事な神楽の舞を、目の前で鑑賞させて頂いたりと、生まれて初めて体験する清々しくて贅沢な御祈祷に、涙が出るくらい感激しました。

 

 受けた後、まるでデトックスをしたように、体がうんと軽くなりました。

 かなり悪いものが取れたのではないか、という気がしますね。

 

 

 この羽黒山では、何と、現地の本物の山伏さんが案内してくださいます。

    しかも、写真掲載OKとの事、本当にありがとうございますm(_)m

 

 羽黒山を登るコースとしては、商店や宿坊が立ち並ぶ町とつながっている随身門から、山に入っていくルートが一般的です。

 まずは国宝・羽黒山五重塔に向かい、その後、そこから2,446段という数の石段を、えっちらおっちらと、山頂を目指して上っていくのですが、かなりキツいと聞いていました。

 

 今回のツアーは、最初にバスで山頂脇まで行ってしまい、本殿を参拝して、帰りはその2,446段の石段を使って、下に下りてくるというプラン…

 

 同じ2,446段とはいえ、上りではなく下りならば、かなり楽に違いないと、この時、そう思っていました。

 

 

 こちらが、三神合祭殿の正面です。

 御朱印はここで頂けるのですが、僕は御朱印を集めていないので、外をぶらぶらしていました。

 

 すると、山伏さんが、すぐ近くの鏡池という池に、案内してくださいました。

 

 

 緑に包まれたこの池がこそが、鏡池…

 この池には、古来より多くの人々により奉納された銅鏡が沈んでいる事から、そう呼ばれています。

 

 何とこの池は不思議な事に、年間を通して、ほとんど水位が変わらないのだとか…

 そして、この鏡池こそが、この羽黒山・出羽神社の御神体なのだそうです。

 

 

 この龍の形をした石碑は、昇龍降龍像と言うそうです。

 

 やけに新しい石碑だなあ… と思っていたら、これが建てられたのは2018年11月23日で、つい最近の事のようです。

 

 

 三神合祭殿の隣りにあるこの神社は、蜂子神社(はちこじんじゃ)…

 

 出羽三山を開いた蜂子皇子(別名:能除仙(のうじょせん)については、前回のブログでも書きましたが、崇峻天皇の皇子であり、蘇我馬子の追手から逃れる為に、八咫烏(やたがらす)に導かれて、この出羽三山にたどり着いた人です。

 

 この神社は、江戸時代の元和5年(1619年)に、蜂子皇子の尊像を祀ったのが始まりとされています。

 

 

 これは、蜂子神社の隣にある羽黒山厳島神社…

 

 広島の厳島神社の御祭神と同じく、宗像三神と呼ばれる、多紀理比売神(たぎりつひめがみ)、市寸島比売神(いちきしまひめがみ)、多岐津比売神(たぎつひめがみ)それに、津速魂神(つはやむすぎのかみ)が、御祭神です。

 

 

 山伏さんが、2,446段の石段の入り口まで、見送ってくださいました。

 そして、ほら貝を吹いて、我々の道中の無事を祈ってくださいました。

 

 よく、お寺の御祈祷なんかでも、お坊さんがほら貝を吹く事があったりしますが、余程に熟練した人でないと、ほら貝というのは、うまく吹けません。

 階段を下りていく僕らを見送りながら、山伏さんは、ずっとほら貝を吹き続けてくれたのですが、本当に見事で、うっとりする音色でした。

 

 

 さあ、ここからが2,446段のスタートです。

 

 上りではなく、下りだから、こんな階段なんて大した事はないはず… そう侮っていたのですが…

 

 ツアーコンダクターの北さんが、階段を下りる際の楽しみ方を教えてくださいました。

 

 

 それは、この石段にある、ひょうたんやら盃やらの絵を彫られている石を見つける事…

 どうやら、こんな絵が33個あるのだそうです。

 

 言い伝えでは、その内の18個見つけると、自分の願い事が叶い、もしも33個全部を見つられると、どんな願い事でも全て叶うとの事…

 

 

 あっ、ここにもありました!!

 

 僕も最初は、息まいて挑戦してみたのですが、残念ながら見つけられたのは、10個ぐらいでした。

 

 正直に言いますと、ある程度、階段を下りていると、足がヘトヘトになって、息が切れてしまって、絵を探す所ではなくなってしまったのです(苦笑)

 

 2,446段、下りだからといって、侮れないです。

 

 

 とはいえ、階段を下りながら、そこから見える山の自然豊かな景色は、格別です。

 

 体はクタクタ、汗はダクダクですが、空気はめちゃくちゃ美味しい…

 

 

 途中にあった「芭蕉塚」…

 

 こんな名前だから、まさか、こんな場所で、松井芭蕉が亡くなったなんて事は… と真面目に考えてしまったのですが、そんな訳ありませんね。

    松尾芭蕉は、大阪の御堂筋で亡くなっています…

 

 

 この芭蕉塚は「三日月塚」と呼ばれ、1769年(明和6年)に、芭蕉を偲んで建立されたものだそうです。

 

 

 涼しさや ほの三か月の 羽黒山

 (涼しいな、ボンヤリと三日月が照らす羽黒山…)

 

 

 松尾芭蕉が、ここ羽黒山で読んだ句です。

 だから、三日月塚なのですね。

 

 

 三日月塚を後にして、ふと正面の空を見ると、夕日が出ています。

 

 この分だと、急いで階段を下りないと、真っ暗になってしまいますね。

 

 

 石段の途中にあった「火石」…

 苔に覆われています。

 

 一体これは何だろう… と、よく見てみたのですが、わかりませんでした。

 その昔、この石は夜になると光りを放ち、参道を照らしていたとの事で、ふもとがまだ浜だった頃には、漁師が灯台の代わりに、この火石を頼りにしたそうです。

 

 そんな馬鹿な事がある訳ないと思いつつ、どちらにしても「水の従旺格にするんだから、別に命式に火なんて欲しくないし、ここはスルーしよう…」と、意味不明な事を考えながら、石段を下っていきました(笑)

 

 

 さらに階段を降りると、ありました!!

 羽黒山で最も有名な建築物と言えば、おそらく、この国宝・五重塔でしょう。

 

 早速、近づいて行く事に…

 

 

 この五重塔は、東北地方で最古の塔と言われ、平安時代に、平将門が創建したと伝えられています。

 

 写真ではわかりにくいのですが、下からライトアップされていて、とても幻想的でした。

 

 

 これは、五重塔のすぐそばにある「爺杉(じじすぎ)」と呼ばれる巨木の杉です。

 

 昔は隣に婆杉(ばばすぎ)も存在したようなのですが、1902年の台風で失われてしまったとの事…

「婆杉が倒れた時、爺杉は、三日三晩泣き続けた」と、現在に語り継がれています。

 

 

 やっと、目的地の随身門に到着しました!!

 

 もう、体中クタクタで、歩く気力もありません(笑)

 

 この後、バスに乗って、宿坊の宮田坊に向かい、そこで旅の仲間と一緒に夕食を取りました。

 

 

 夕食は、超豪華な精進料理…

 

 よく見ると、肉も魚も一切入っていません。

 それでも、めちゃくちゃ美味しかったです!!

 

 

 そして、御神酒の升酒…

 初めて会った、ツアーの仲間と一緒に楽しく語らい合いながら、飲みかわしました。

 

 すごく美味しい地酒で、例によって、羽目を外し過ぎて、かなり飲み過ぎてしまいました。

 

 宿泊は、ここから少し離れた所にある、生田坊のお風呂付きの一人部屋…

 

 

 日頃から運動不足だった事もあってか、2,446段の階段を下りただけで、体中クタクタになってしまいました。

 その上に、お酒が入って、本当はすぐにでも眠ってしまいたかったのですが、最後の力を振り絞って、お風呂に入り、さらに写真をインスタでアップしました。

 

 時間はPM9:00ぐらいなのですけど、明朝はAM4:00起きです。

 

 ぐっすりと休んで、明日の月山神社登拝に備える事にしました。

 

  (「月山編」に続く…)

 

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出羽三山・生まれ変わりの旅 ~湯殿山編~20.01.11

2020年1月11日(土)

 

 早いもので、2020年を迎えて、もう十日以上が過ぎてしまいました。

 本当に月日が経つのは、あっという間ですね。

 

 今でも瞳を閉じれば、昨年 登拝した出羽三山の情景が、色鮮やかによみがえります。

 

 今回から、3回にわたって、出羽三山登山記「出羽三山・生まれ変わりの旅」を連載させて頂きます。

 

 ここの所、ずっと鑑定のお客様が続いている事もあって、その鑑定の合間に、ブログの文章を少しずつ少しずつ書きたしながら、ようやく更新にこぎつけています。

 なにせ、記事が「京都はんなり日記」以上に膨大なので(^^;;

 

 出羽三山とは、文化庁認定の日本遺産であり、古から民衆の信仰を集めてきた山々…

 昔ながらの言い伝えでは、この出羽三山をめぐる事により、生まれ変わりの旅ができると言われています。

 

 僕が、この出羽三山に登ったのは、4ヶ月前の事です。

 

 僕にとって出羽三山は、感動的でもあり過酷でもあった思い出の場所…

 特に、三山の中でも一番高い月山の登山は、とてつもなくハードなものでした。

 

 出羽三山が一体どこにあるのか、ご存じない方もいらっしゃるかも知れません。

「出羽」の国とは、現在の山形県の事であり、出羽三山とは、この東北地方の山形県にあります。

 

 

 ただし、都心からの交通アクセスは、とんでもなく悪いです。

 最寄り駅は山形県の鶴岡駅なのですが、東京から鶴岡まで、電車だと新幹線を使っても、5時間前後掛かります。さらに、そこからバスに1時間位、乗らなくてはいけません。

 待ち時間の事も考えると、片道の移動時間に半日弱ぐらいは、見ておかないといけないですね。

 

 僕が、この出羽三山の事を初めて知ったのは、今から4年前の事でした。

 

 ある人から「夫婦の新婚旅行は、必ず出羽三山に行くように…」と、勧められたんです。

 妻も、その気になっていたので、出羽三山の事を少し調べてみたら、とんでもなくアクセスが悪いし、ただ山に行くだけなのに、交通費やら宿泊代やら、やたらお金が掛かる…

 

「何でこんなにお金をかけて、こんな聞いた事もない山に登らなければならないんだ」とバカバカしく思えてきて、結局、その時は行きませんでした。

 

 それから、2年ぐらいの時が過ぎて、エテイヤのエジプシャン・タロットの事でご縁を頂いた、ベストセラーも出している小説家の方から、ある日 送られてきたメールの中に、「ひょんな事から、ここへ行くべき感じがあって、来週、出羽三山に行ってこようと思います」と、書いてありました。

 

 この時になって初めて、この出羽三山という山を、何となく意識するようになりました。

 もちろんそれでも、わざわざ時間を掛けて、この山に登ろうとまでは、思いませんでしたが…

 

 そして、2018年の暮れの事…

 四柱推命講座を受講してくださっているNさんと、黄泉の国や占いの世界を司るという月読命(ツクヨミノミコト)の話になって、興味をひかれて話し込みました。

 

 そして、その月読の神様が、出羽三山の一つ、月山の「月山神社」に祀られている、という話を聞いた時、何としても一度、この出羽三山に行ってみなくては、と思うようになったのです。

 

 

 出羽三山というのは、湯殿山・羽黒山・月山という3つの山の総称の事で、出羽三山を制覇するとは、通常は、この3つの山にある3ヶ所の神社を登拝する事を言います。

 標高は、湯殿山が1,504m、羽黒山が414m、月山はなんと1,984mもあります。

 

 羽黒山と月山・湯殿山とは、かなり距離が離れていますから、移動もそれなりに大変です。

 

 お金も掛かるし、時間も掛かる… 

 

 僕は意外と現実思考の持ち主なので、出羽三山の登りたいとは思いつつも、「この忙しいのに、そこまでして、こんな山に登る価値があるのか…」と、何度も何度も心の声が、そうつぶやきました。

 

 少し前に、白山(標高2,702m)に一人で登山をしようとして、四柱推命講座・上級編の受講生の皆さんに止められてやめたのですが、出羽三山だって、一人で登るのはあまりにも危険すぎるし、自殺行為に等しい…

 

 おりしもそんな時、上級編を受講してくださっているYさんが、「四季の旅」という、とっても良心的で格安のツアーを紹介してくださったのでした。

 

 そのツアーの事を、Yさんから聞くやいなや、僕はすぐに申し込みました。

 

 出発は、2019年9月7日の早朝…

 新宿にあるバスターミナルから、ツアーバスに乗って、途中サービスエリアで休憩しながら、一路、出羽三山の湯殿山へと向かいました。

 

 

 今回のツアーの参加者は、31名…

 ツアーコンダクターの北さんが、旅の案内をしてくださいます。

 

 東京から、出羽三山のある山形県に行くのに、埼玉県、栃木県、福島県の三県をまたぐ事になりますので、それなりに長旅ですが、ツアー料金に交通費も含まれていて、信じられないくらいに格安です。

 

 江戸時代からの伝承で、出羽三山を制覇した人は、「死と再生」をたどる事ができ、生きながらにして、新たな魂として生まれ変われる、と言われています。

 

 言い回しは大げさですが、確かにこの地に行ってみて、土地から湧き出している、ものすごいパワーというか、息吹のようなものを、肌でしっかりと感じました。

 

 この世とあの世をつないでいるパイプから、力が噴き出しているみたいな感覚といいますか、それらしいエネルギーは、本当にここにあるのかも知れません。

 

 それで、この出羽三山はそれぞれ、月山は「過去」、羽黒山は「現在」、そして湯殿山は「未来」を司るんです。

 昔ながらの出羽三山詣の巡礼では、最初に「現在」を司る羽黒山から入り、次に「過去」を司る月山で修行を行い、最後に「未来」を司る湯殿山で再生するという形で、行われていました。

 

 でも、最近では順番が入れ替わって、湯殿山→羽黒山→月山の順に参拝させる事が多くなっているそうで、今回のツアーもこの順番です。

 

 同じく上級編を受講してくださっているKさんからも、出羽三山の色々な事をが教わりました。

 そして、Kさんが貸してくださった、桜井識子さんが著した本の中に、出羽三山巡りの記述があるのですが、そこには、この湯殿山→羽黒山→月山という順番が推奨されていて、この順番に出羽三山を巡る事により、死者とのコンタクトが取りやすくなると書いてありました。

 

 という事で、我々が最初に向かった山は、未来を司るといわれる湯殿山…

 いよいよ、出羽三山の生まれ変わりの旅のスタートです!!

 

 

 ツアーバスが止まった場所は、湯殿山にある湯殿山神社の大鳥居の前…

 

 まだまだ夏の暑さがさめやらぬ9月上旬、山の高度があるので、地上ほど暑い訳ではありませんが、それでも汗が噴き出てきます。

 

 

 あまりにも暑いので、参篭所の軒下に入って、自動販売機のジュースをがぶがぶ飲みました。

 

「四季の旅」のツアーに参加している人は、無料で白装束の羽織が借りられるという特典がついていて、せっかくなので、僕もこの白装束を羽織る事にしました。

 

 

 まずは、気分からですね…

 ちょっぴり、山伏になった気分です(笑)

 

 この湯殿山が司るのは「未来」…

 修験道の山伏たちが、来世の生まれ変わりを祈った神域です。

 

 この出羽三山の生まれ変わりの伝承では、「羽黒山で現世利益の御神徳を賜り、月山で大神の元へ行って、死後の世界の体験をした後、この慈悲深い湯殿山の大神より、新しい生命を賜って、再生する」という流れになっています。

 

 だから、昔ながらの順番では、本来最後に来る山なのですね。

 

 

 この大鳥居から、湯殿山神社本宮までは、この本宮参拝バスを使います。

 

 だいたい、15分~30分おきに発車しているのですが、ほら貝の観光アナウンスが流れたりと、このバスは中々の雰囲気ものなんですよ。

 

 

「湯殿山本宮」と書かれた石碑…

 

 やっと、念願だった出羽三山に来れたんだなあ… と、しみじみと感じいりました。

 

 湯殿山神社の主祭神は、大山津見神(おおやまつみのかみ)、大国主神(おおくにぬしのかみ)、そして薬の神でもある 少名毘古那神(すくなひこなのかみ)です。

 本地仏は大日如来(だいにちにょらい)であり、出羽三山の神社は全て、神仏習合です。

 

 

 湯殿山の本宮へと向かう階段には、「この先御手洗い、ありません」との注意書きが…

 ここから先が、いよいよ聖域になるのですね。

 

 北さんに言われたように、タオルを携帯して、階段を上がっていきました。

 

 

 ふと見ると、こんな所に大黒様が…

 湯殿山神社の主祭神・大国主神は、神仏習合でいうと大黒天になります。

 

 なぜ、タオルを携帯しなければならないのかというと、足をふく為です。

 ここは、普通の神社とは違う、ちょっと特殊な聖域なのですね。

 

 

「湯殿山御神牛」と書かれた石碑…

 

 出羽三山は、崇峻天皇(すしゅんてんのう)の第三皇子、蜂子皇子(はちこのおうじ)によって開山された山…

 

 崇峻天皇といえば、蘇我馬子に暗殺された悲運の天皇という事で、あまりに有名ですが、その皇子の蜂子皇子(別名:能除仙(のうじょせん)は、蘇我馬子の追手から逃れる為に、京都の宮津から船で日本海を北上し、出羽の国の由良に入ると、八咫烏(やたがらす)に導かれて、この出羽三山にたどり着いたと言います。

 

 そして、三山で最後に開いた山こそが、この湯殿山であり、それは丑年丑日の出来事だったと言います。

 

 

 ここにも、牛がいました(笑)

 

 湯殿山神社では「丑歳御縁年」と言って、丑の年に登拝すると「12年分参詣したのと同じご利益がある」 と言われているほどなんです。

 

 

 もっと写真を撮りたかったのですが、「禁撮影」の立て札が掲げられていました。

 

 この湯殿山神社の神域の事は、古来から「語るなかれ、聞くなかれ」と言われていて、むやみやたらに、人に話してはいけない事になっています。

 だからインターネットで検索しても、湯殿山神社についての詳しい記事は、あまり出てきませんね。

 

 俳聖・松尾芭蕉も、出羽三山詣の巡礼を成し遂げた人ですが、この湯殿山を読んだ句にはこうあります。

 

 語られぬ 湯殿に濡らす 袂(たもと)かな

 

 そして「奥の細道」の中でも、「三山道中の事は、修行者の法式として他言する事を禁じているので、これ以上の事は書かない」と記しています。

 

 という事で、僕もこの湯殿山神社の中の事を詳しく書くのは、差し控えようと思うのですが、おそらく許される範囲で書くとすれば、ここは靴下を脱いで登拝する場所であり、この湯殿山神社には、神社の御社のようなものは、一切ありません。

 

 湯殿山の御神体は、褐色に染まった、とんでもなく巨大なものであり、これこそが「新たな生命」の象徴なのでしょう。

 特に、この御神体の事は「言わず語らず。語らば聞くな、聞かば語るな」と、古くから戒められています。

 

 実際に、この湯殿山神社に参拝されたなら、必ずや誰もが、あっと驚く事は間違いありません。

 おそらく、こんな形態の神社は、日本中どこを探しても、ここ以外ないはずです。

 

 言葉ではうまく説明できませんが、理屈を超えた世界で、身も心もじんわりとくる神社です。

 

 この神域に参拝できて本当に良かった…

 

 心の底から、そう思いました。

 

 湯殿山と言われるくらいですから、お湯に関係している何かなのですが、その先は、参拝した人だけが知る独特の聖域ですので、皆さま、機会がありましたら、ぜひとも、参拝されてみてください。

 

 必ずや満足して頂ける事は、間違いありません。

 

 さてさて、湯殿山の神域で、ものすごいパワーを頂いて、ツアーは、2つ目の目的地である羽黒山へと向かいました。

 

 (「羽黒山編」に続く…)

 

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京都はんなり日記 後日譚 ~紅葉の京都へ、いざ再び~19.12.31

2019年12月31日(火)

 

 いよいよ今年も、あと数時間で終わろうとしています。

 来年も、皆さまにとって、素晴らしい年でありますように…

 

 来たるべき2020年「庚子」の運勢を、僕の講座の中級編の受講生でもある、くるみさんが占ってくれました。

 実はこの記事、書いたのはくるみさんですが、僕が監修させて頂いていますので、かなり内容はマニアックです。

 

 もちろん、こういう形で占いをすると、どうしても最大公約数的で大雑把な内容にならざるを得ないのですが、参考になる部分はあると思いますので、よろしかったら、ぜひ、ご覧になってみてください(^^)

 

 全体運気編 https://suimei-note.com/archives/9460

 

 個人運気編 https://suimei-note.com/archives/9432

 

 さて、今日のブログは、「京都はんなり日記」の後日譚です。

    この期に及んで、まだ続けるか…

 

 2週間ほど前の12月13日、僕は京都の地を再び訪れて、一日だけ、京都の紅葉を満喫してきました。

 

 今年の夏に京都に滞在していた時は、常に「四柱推命・上級編」のテキストの進捗が気になり、慌ただしく時間に追われていた事もあって、あまり、京都を満喫した気分にはなれなかったので、1日だけですが、ちゃんと京都を楽しみたいと思ったのです。

 

 東京から京都を、新幹線を使って往復すれば、2万7千円ぐらい掛かってしまいます。

 でも、夜行バスを使えば、うまく日程を選べば、最安値で片道1,800円からありますから、たった3,600円で往復できてしまうという事に気づいたのも、そのきっかけになりました。

 

 という事で、格安で往復のバスチケットを予約した僕は、前日12月12日の夜中の23:50に池袋から、バスに乗り込んで京都へと向かいました。

 

 しかし、確かに値段は安いのですが、結構シートが狭くてですね…

 途中、インターチェンジでの休憩はあるのですが、7時間バスに乗り続けるのは、かなり苦しかったです(笑)

 

 朝の7:00に、京都駅近くのヨドバシカメラの前の停留所に着くと、Iさんが待っていてくださっていました。

 

 Iさんとは半年ぶりの再開です。

 

 そして今回も、Iさんが今日一日に巡る場所とタイムスケジュールをしっかりと考えてくださっていて、あいさつもほどほどに、すぐにIさんが指し示すバスに乗り込みました。

 

 

 バスの正面行き先表示は、28系統「嵐山・大覚寺行き」となっています。

 

 一体、どこに案内されるのか…

 

 Iさんからメールで、どこに巡るのか詳細に書かれたものを頂いたのですが、時間がなくて、さらっと読んだだけなので、頭の中にきちんと入っていませんでした。

 まあ、Iさんが計画したスケジュールなら、安心できるので、全て委ねています。

 

 Iさんから、メールで行き先のリクエストを聞かれた時「下鴨神社と糺の森(ただすのもり)だけは、ぜひ寄ってみたいですが、後は全てお任せします」と答えました。

 

 あらかじめ、京都の紅葉の情報をインターネットで調べてみた所、紅葉を見る時期としてはちょっと遅くて、すでに落葉しかかっている場所も多かったのですが、下鴨神社と糺の森は、ちょうど見頃との事でした。

 それに、あの緑にあふれていた素敵な場所に、もう一度、訪れて見たかったのもあります。

 

 バスは、四条通を西に西にと進んでいきました。

 

 さすがに京都に3週間ぐらい滞在していましたから、だいぶ街の地理的なものも、分かるようになっていました。

 あと、このブログを書きながら、京都の地理を覚えたというのもあります。

 

 四条通の東のつき当たりは、確か八坂神社だったはず、では、西のつき当りにあったのは、何だったのだろう…

 

 僕は以前自分が書いたブログの内容を、思い浮かべてみました。

(2019/9/1 ブログ 「京都はんなり日記 その4 ~四条祇園は夢のあと~」 参照)

 

 「この四条通りの先には桂川があって、それを越えた所にあるのは、えーっと… 松尾大社ですね」というと、Iさんは、うなずいてくれました。

 

 

 四条通りの西の突き当り、松尾大社に到着です。

 ここは、文武天皇(もんむてんのう)の勅命を受けた秦忌寸都理(はたのいみきとり)が勧請して建立した神社で、主祭神は「大山咋神(おおやまぐいのかみ)」…

 

 松尾の神は「神々の酒奉行である」とも言い伝えられていて、松尾大社は、酒造関係者の信仰を集めています。

 ここには、お酒の資料館があって、日本酒も売っているのですが、あいにく松尾大社に到着した時間は、朝の7:40だったので、残念ながら、まだ開いていませんでした。

 

 なんと「松尾大社 酒-1グランプリ」というのが、ここで毎年開催されているんです。

 これは、全国の酒蔵の日本酒がここに集まり、参加者が飲み比べをして一票を投じ、その勝敗が決まるというもの… 機会があれば、いつか参加したいです。

 

 

 そして、周りを見渡すと、そこは見事な紅葉でした。

 

 あらかじめ、Iさんが、どの場所が紅葉の見頃なのかを、全部調べていてくださっていました。

 

 

 亀の口から水が出ています!!

 これは「亀の井(かめのい)」という松尾山の湧水の泉… 「よみがえりの水」とも呼ばれています。

 とても美味しい水で、酒蔵の仕込水にも使われていると聞きます。

 早速、ペットボトルに、たっぷりくみました。

 

 松尾大社の神使は、なんと亀なんですね。

 亀と言えば玄武であり、五行で言えば水…

 Iさんは、僕が水の五行を取りたがっている事を知っていて、水に関わりの強いこの松尾大社を選んでくださったのですね。

 

 

 下を見下ろすと、晩秋の美しい景色がそこにありました。

 

 他にも、相生の松(あいおいのまつ)とか、幸運の撫で亀(こううんのなでがめ)とか、松尾大社は、見どころ満載でした。

 

 

 ふと、東の方を見ると「伊勢神宮遥拝所」がありました。

 僕は、その一週間後に伊勢神宮に行く予定を立てていた事もあって、自然と足がそちらに向いて、参拝していると、ちょうどそこから、朝日が照りだして、光が眉間の所に当たりました。

 

 とっても心地よくて、光に包まれたような気持ちになりました。

 

 

 松尾大社を出て、すぐの所にあったのは「月読神社(つくよみじんじゃ)」です。

 実は、この月読神社、松尾大社の摂社なのですね。

 

 月読命の神様とは、色々と思い入れがあります。

(2019/9/1 ブログ 「天照大御神と月読命 ~近畿への旅<7>「三重・伊勢神宮外宮へ」」 参照)

 

 時間を掛けてしっかりと、参拝させて頂きました。

 

 月読神社を出て、徒歩でひたすら道を北上していきます。

 20分ぐらい、歩いたでしょうか…

 そこには、嵐山の「虚空蔵法輪寺(こくうぞうほうりんじ)」がありました。

 

 

 知らない内に、いつしか嵐山まで歩いていたのですね。

 

 虚空蔵菩薩とは、虚空(宇宙)を蔵する菩薩… 広大無辺の宇宙の徳を蔵し、我々のみ親であって、無限のご利益を与えてくれると言われている菩薩様です。

 

 この法輪寺は、可愛い羊の使者の像があったり、「電電宮」という電気の神様がいたり、電気の恋愛のおみくじがあったりと、見どころ満載の古刹(こさつ)です。

 

 それにしても、電気が科学として人々に意識されるようになったのなんて、どんなに古くても16世紀の欧米の歴史までしか、さかのぼれません。

では一体、この電電宮の由緒とは何だろう… と調べてみました。

 

 西暦800年前後、道昌僧都(どうしょうそうず)というお坊さんが、求聞持法(ぐもんじほう)の満願の日、井戸で水を汲んでいたら、天空より明星が降り注ぎ、虚空蔵菩薩がおりてきたとの事…

 

 ゆえに最初は「明星社」と呼ばれていたのですが、建物は禁門の変で焼失… やがて電気業界や関係者からの信仰を集めるようになり「電電宮」という名前で、新たに奉祀されたとの事です。

 

 

 法輪寺を出て、しばし歩くと、桂川に出て、そこにはあの有名な「渡月橋」がありました。

 

 渡月橋と言えば、倉木麻衣さんの「渡月橋 ~君 想ふ~」でしょうか。

 名探偵コナンとのタイアップ曲でもあるのですが、とても京都らしくて、素敵な歌だと思います。

 

 

 

 唐紅(からくれない)に染まる渡月橋、導かれる日、願って

 川の流れに祈りを込めて♪

 

なんとなく、口づさんで見ました。

唐紅は、濃い紅色の事… ちょうど今頃の紅葉の時期の歌なんですね。

 

 

 道路沿いを歩いていたら、ほっこりとするお地蔵様が…

 

 写真を撮っていると、Iさんから「そんなもっさいもん、その辺のどこにでもおます」と言われました(笑)

 

 

 次にたどり着いた先は、野宮神社(のみやじんじゃ)

 

 この野宮神社は、その昔、天皇の代理で伊勢神宮にお仕えする斎王(天皇の親族から未婚の女性が選ばれる)が伊勢へおもむく前に、身を清められた所です。

 境内には、苔(こけ)がじゅうたんのように、きれいに敷かれた庭園もあります。

 

 そして、嵐山と言えば…

 

 

 やっぱり、この竹林の小径(ちくりんのこみち)ですね。

 

 だいたい、京都嵐山の写真というと、この竹に囲まれた道が幻想的に写されています。

 こうして紅葉の時期に竹を見るのも、また良いものですが、やっぱり、この竹林を見るなら、新緑の季節が一番なのかも知れません。

 

 竹林の小径には、人力車のお兄さんがたくさんいて、「人力車に乗りませんか」と話しかけられます(笑)

 

 

 この後、竹林の小径の所にある「奥野々宮地区」の百人一首の歌碑を見ました。

 

 秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ  天智天皇

 これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも あふ坂の関  蝉丸

 筑波嶺の 峰より落つる みなの川 恋ぞ積もりて 淵となりぬる  陽成院

 わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ  元良親王

 名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで 来るよしもがな  三条右大臣

 白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける  文屋朝康

 浅茅生の 小野の篠原 忍ぶれど あまりてなどか 人の恋しき  参議等

 

 竹林を出て、Iさんに導かれるままに、しばらく歩き、天龍寺に到着しました。

 

 天龍寺は、臨済宗天龍寺派大本山の寺院…

 

 元々、後嵯峨天皇(ごさがてんのう)とその皇子である亀山天皇が、檀林寺(だんりんじ)の地に「亀山殿」という離宮を作ったんです。

 その後、70年ほどの年月が経った時、北朝を立てて、室町幕府を強引に成立させた足利尊氏が、南朝の天皇で、自分の敵となった後醍醐天皇の菩提を弔う為に、この亀山殿を天龍寺として改造しました。

 

 これを足利尊氏に勧めたのは、禅僧・夢窓疎石(むそうそせき)であると、伝えられています。

 

 

 この天龍寺の方丈は、世界遺産…

 そして、ここから見た紅葉の曹源池は格別で、美しい水面と調和した風景は、本当に素敵です。

 

 その後、Iさんと天龍寺の中の精進料理屋さんで、日本酒を飲みながらお食事をして、天龍寺を後にしました。

 

 

 次に向かった先は「御髪神社」です。

 

 ここは、日本で唯一の髪の毛の神社と言われていて、理容師関係の人が多く参拝されるようです。

 あと、髪の毛が薄くなってきた人も…

 

 何となく目に入ってきてしまった絵馬の祈願文を読むと、どうやら、後者の人の方が多いみたいですね(笑)

 

 

 御髪神社から、さらに歩いて、嵐山の奥の方へ入っていきます。

 

 松尾芭蕉が何度も訪れたという「落柿舎(らくししゃ)」に立ち寄り、さらに、なだらかな坂道を登っていきました。

 

 たどり着いた場所は、「化野念仏寺(あだしのねんぶつでら)」…

 

 

 この竹林の坂道を上へ上へと登っていきます。 

 

 すがすがしくも、なにか神秘的で厳かな雰囲気が漂っています。

 

 

 化野念仏寺も、見事な紅葉でした。

 

 化野念仏寺は浄土宗のお寺で、空海が五智山如来寺(ごちさんにょらいじ)を建立し、野ざらしになっていた、たくさんの遺体を埋葬して弔ったのに始まり、後に、法然はここで念仏道場を開いたと言います。

 

 写真には撮らなかったのですが、「西院の河原」と言って、八千体という、おびただしい数の石仏や石塔が一ヵ所に集められていました。

 これは明治時代に、この辺りに埋められていた無縁仏を掘り出して、この場所に集めたのだそうです。

 

 8月最後の土日の縁日になると「千灯供養」と言って、この石仏や石塔の全てにろうそくが灯され、特に夜は、すごく幻想的な雰囲気となるそうです。

 

 

 こちらは「六面六体地蔵」と言って、六角柱のそれぞれの面に、天道・人間道・修羅堂・畜生道・餓鬼道・地獄道の六道にさまよえる人を救うお地蔵様が張り巡らされています。

 そして、これら一つ一つのお地蔵様に水をかけて、お参りをする事で、罪障から救われていくそうです。

 

 六道の事は、仁和寺の所でも書きましたが、どうやらこれが、仏教の基本的な考え方のようですね。

(2019/11/27 ブログ 「京都はんなり日記 その13 ~龍安寺と仁和寺、京の古刹を巡って~」 参照)

 

 一つ一つのお地蔵様に水を掛けながら、丁寧にしっかりと参拝させて頂きました。

 

 化野念仏寺を後にして、おしゃれな喫茶店でコーヒーとケーキを食べながら、ふと時計を見たら、もう夕方近くになっています。

 

 いよいよ次は、本日最後の紅葉の見納めです。

 

 

 向かった先は、僕があらかじめリクエストしていた下鴨神社と糺の森…

 見事な紅葉になっています。

 

 

 ここに来たのも、半年ぶり… 懐かしいです。

(2019/11/27 ブログ 「京都はんなり日記 その10 ~下鴨神社と緑のシャワー~」 参照)

 

 この後、下鴨神社の拝殿と言社に参拝させて頂いて、次に摂社の河合神社へと向かいました。

 

 

 河合神社も、すっかり秋の色ですね。

 例によって、美顔絵馬にお化粧をさせている女性がたくさんいました。

 

 

 ふと、糺の森のある方向を見ると、夕日が沈んでいくのが見えました。

 

 

 もう、旅も終わりか… ちょっぴり切ない気持ちになりながら、河合神社の中を歩き回ってみました。

 

 

 河合神社にも、しっかり参拝させて頂きました。

 

 最後は、糺の森の紅葉を見て、いよいよ紅葉の京都ともお別れです。

 

 

 あの緑一色だった糺の森が、今ではすっかり、秋色に色づいています。

 

 半年前に訪れた京都は、新緑の若々しくて溌溂(はつらつ)とした元気な京都でした。

 今日の京都は、しっとり大人の色を醸し出した、半年前とは別人の麗しい京都…

 

 どちらの京都も、愛おしいと思う…

 

 

 糺の森の紅葉を背にして、この後、Iさんお勧めの京都の老舗で夕食を取り、23:00に京都駅近くのバスターミナルから発車する夜行バスに乗って、一路、東京へと戻りました。

 

 京都はんなり日記 今度こそおしまい(^^)

 

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京都はんなり日記 最終話 ~思い出いっぱいの時間~19.12.28

2019年12月28日(土)

 

 「京都はんなり日記」も、今回が最終話…

 

 元々は、京都で四柱推命講座を開催するのが目的で、その為に、ウィークリーマンションを借りて京都に滞在する事になったのですが、こうして振り返ってみると、そういったこの世的な理由だけではなく、何かに導かれるように、この京都という場所に来たような気も、するんです。

 

 昨年の初夢が「京都に行った夢」だったのも関係があるし、どちらにしても、今後の僕の仕事のビジョンは、京都を切り離す事ができなくなるのではないかと思う…

 

 京都にお住いの星河美宇さんから、四柱推命講座開催の依頼があった事が、そもそものきっかけだったのですが、この時に、すんなりと京都で講座を開催しようと思わなければ、やっぱりここに来れていなかったし、もしも、京都にIさんという強力な味方が京都にいなかったら、少なくとも長期滞在は、絶対にしなかったと思う…

 

 さらにたどっていけば、くるみさんと出会っていなければ、星河美宇さんと出会う事もなかったし、笹木龍一先生と出会っていなければ、Iさんと出会う事もありませんでした。

 

 こうして考えていくと、人の縁というものは宝物だし、周りの人に対して、僕は感謝の気持ちを、絶対に忘れまいと思う…

 今の僕があるのは、もう100%周りの人のお陰なのだから…

 

 

 京都駅のレストランから見た「京都タワー」…

 

 僕が小学生の時、確か小学3年生か4年生だったと思うんですけど、図工の時間に「粘土で塔を作って、焼き物にする」みたいな授業があったんです。

 

 みんな思い思いに創造して、トーテンポールみたいなのを作っていましたが、僕がその時作ったのが、この京都タワーだったんです。

 京都タワーは改装はされたものの、昔から色も形も変わっていなくて、ずっと白地に赤い輪のデザインでした。

 

 小学校の頃は、僕にとって、京都はずっとあこがれの地だったんですね。

 だから、親に京都へ連れて行ってもらった時に、この京都タワーを見た記憶が、しっかりとまぶたに焼き付いている…

 

 でも、その後の人生、色々な事があって、京都はもう二度と行きたくない場所になってしまいました。

 あれほど昔は好きだった京都だったのに、新幹線に乗っていて、途中で京都駅に停車しても、絶対に窓から景色を見ようとは思いませんでした。

 

「可愛さ余って憎さ百倍」という言葉がありますが、僕にとって、京都という街は、まるで、自分の思いが通じない片思いの恋人のようなものでした。

 

 そして、今になってまた、京都は僕に、たくさんの思い出をくれました。

 

 

 京都という街は、本当に水が豊かな場所だと思う…

 

 おりしも、僕が滞在している時は、本当に雨が多かったのですが、京都には、この高瀬川を始め、本当にたくさんの川があるんです。

 

 鴨川、桂川という大きな川が東西にあって、他にも、堀川や白川、天神川など、いたるところに川が流れています。

 

 

 鴨川が2つの支流(賀茂川と高野川)に分かれる分岐点のあたりには、亀石がいっぱい置いてあって、これを跳びながら向こう岸に渡れるようになっているんです。

 もちろん、落っこちたらびしょ濡れですが、浅瀬なので、溺れてしまう事はありません。

 

 子供達は、川に足を入れて遊んでいるし、たくさんの人が楽しみながら、石を飛び越えて、向こう岸に渡っていました。

 

 京都というのは、本当に素敵な街です。

 

 そうそう、講座の時に使うネクタイピンを買おうと、ある日、京都駅の駅ビルにある伊勢丹に行ったんです。

 

 紳士服コーナーで、たくさんあるネクタイピンを選んでいたら、急に周りが何やら騒がしくて、何が起こっているのだろうと、後ろを振り向いたら…

 

 

 そこには、俳優の竹内力さんがいました!!

 

 しかも「ISETAN 竹内力」のネームプレートをつけていました。

 

 なんでここに… と、一瞬面くらいましたが、「力祭(りきまつり)」と題して、竹内力さん自身がプロデュースしたグッズの数々が、ここ伊勢丹で販売されていて、そこには、こだわりの特製オーダースーツもあるとか…

 

 気さくな感じで、人だかりの中、接客されていました。

 

 この「京都はんなり日記」は、いつも観光の事ばかり書いているから、ずっと京都で遊んでいるように思われてしまいがちですけど、本当はそうではないんですよ(笑)

 

 

 いつもはこんな風に、コルメ京都で作ってもらった眼鏡をして、仕事に精を出していました。

    最近、パソコンの使い過ぎで、目がすっかり悪くなった…

 

 純粋に、まる一日観光した日というのは、4日にも満たないのではないかと思います。

 

 京都のIさんは、僕の観光したい場所のリクエストを聞いてくださって、即座に一番効率が良い観光スケジュールを立ててくださるので、時間を無駄にする事なく、たくさんの観光ができているのです。

 

 ちょっと裏話になってしまいますけど、例えばこんな感じです。

 

 例えば7月12日(金)の日程は、皐盧庵茶舗(コウロアン チャホ)で茶道をたしなんで、その後、大徳寺に行き、さらに船岡山に登って建勲神社へ行きました。

 この一日の出来事は、京都はんなり日記の「その9(船岡山・建勲神社)」「その11(茶道体験)」「その14(大徳寺)」のブログのネタになっています。

 

 また、7月15日(祝)の日は、朝一番で叡山電車で、鞍馬寺と貴船神社に行き、その後、下鴨神社に行って、糺の森を巡り、上賀茂神社へ行って、京都御所、梨木神社を通り、夕食を取って、祇園祭に参加するというスケジュールでした。

 そして、この一日の出来事が、京都はんなり日記「その6(祇園祭り)」「その9(上賀茂神社)」「その10(下鴨神社・糺の森)」「その12(鞍馬寺・貴船神社)」「その14(梨木神社)」に反映されています。

 

 今回の京都滞在の中で、Iさんは、このプロジェクトに欠かせない影の助っ人でした。

 

 ある時、Iさんから「京都講座の最後の日に、参加される受講生の方に、京の老舗の弁当を差し入れるのはどうか…」という提案を頂いたのです。

 

 僕も、京都の地に集まってくださった方に、何らかの形で、お礼の気持ちを伝えたかったので、これは素敵なアイデアだと思いました。

 そこで、講座会場のコルメ京都の店長さんに、会場で弁当を食べて良いかどうかの確認をすると、即OKしてくださいました。

 

 

 Iさんが選んでくださったお弁当…

 もちろん、僕も中身は知りません。

 

 お店も商品も、全部Iさんに任せきっています。

 

 

 二段重ねの見事なお弁当…

 

 味もとっても美味しかったです!!

    僕の分まで、ちゃんと用意してありました(^^)

 

 受講生の皆さんも、喜んでくださいました。

 

 今回は、京都講座の最終講座が終わると、すぐに東京にとんぼ返りしなければいけないという、ハードスケジュールでした。

 実は、その翌日に、上級編講座の日程を入れているのです。

 

 

 明日の講座で使うプロジェクターの機械とスクリーンは、ちょっと重いですけど、このまま新幹線で持ち帰って、それ以外、明日の講座で必要でない物は全て、宅急便で東京に送りました。 

 

 そしてその後で、Iさんと四柱推命講座が無事に終了した事を祝して、ささやかな打ち上げをやって、ほろ酔い気分で、プロジェクターとスクリーンを抱えて新幹線に乗り、夢み心地の京都を後にしました。

 

 さようなら、京都… 思い出いっぱいの時間をありがとう…

 

 明日からは、また東京での生活!!

 

 頑張るぞ… と、心の中で気合いを入れました。

 

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