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京都はんなり旅日記 その14 ~大徳寺を拝観して~19.12.08

2019年12月8日(日)

 

 時間が経つのも忘れて、目まぐるしく生活しながら、ふと気づいたら、もう12月…

 

 あまりにも時が過ぎるのが早過ぎて、全然、自分のスピードがそれに追いついていなくて、正直、戸惑っています。

    皆さま、たくさんの心のこもった贈り物を、本当にありがとうございます…

 

 新宿のヨドバシカメラに、講座のテキストに使うコピー用紙とインクジェットを買いに行った時に、ふと、丸の内線の電車の中の広告を見たら…

 

 

 きらり紅葉  おけいはん、染まる季節…

 

 おけいはんの京阪電車、懐かしいです。

 

 紅葉と言ったら、普通は、10月とか11月ぐらいの事だと、勝手に僕は思っていたのですが、こと「京都の紅葉」というと、どうやら11月下旬から12月上旬ぐらいが見ごろのようです。

 場所によっては、12月中旬ぐらいまで、紅葉が楽しめる神社仏閣も、あるとの事…

 

 でも、もう今ぐらいの時期が、京都の紅葉を見るラストチャンスですね。

 またもう一度、京都に行きたいです。

 

 大徳寺を訪れたのは、京都に滞在して、間もなくの事でした。

 

 大徳寺と言えば、臨済宗大徳寺派の大本山であって、「龍寶山(りゅうほうざん)」とも号する有名な禅寺です。

 

 

 今回、Iさんからのお勧めで、ここを訪れる事になったのですが、僕の書の師匠である野尻泰煌先生も、京都に行ったら訪れると良い名所の一つに、大徳寺を挙げられていました。

 

 このお寺も、仁和寺や龍安寺と同じく、応仁の乱によって、荒廃しきってしまったのですが、それを復興させたのが、かの有名な一休宗純です。

 

 一休宗純と言えば、アニメの「一休さん」のモデルとしても、おなじみですが、「一休」という道号を授かったのは実際には51歳の時で、子供の頃は「周建」と呼ばれてました。

 

 子供の頃にお寺でやったトンチやいたずらのエピソードは、おおよそアニメの通りですが、大人になってからも、やっぱりいたずら好きで、しかもかなり型破りな破戒僧でした。

 

 正月元旦のおめでたい日に、墓場に行って拾ってきた髑髏(しゃれこうべ)を竹の先にくっつけて、京の家々の軒先から、ヌッとのぞき込ませて「ご用心、ご用心」と言いながら、歩いて回ったとか…

 その晩年期には、40歳以上も年の離れた若い女性とずっと同棲して、毎夜、愛し合ったとか…

 

 おおよそ僧侶がやる事とは思えないようなエピソードは、他にもたくさんあります。

 

 一休は、そんなハチャメチャな人だったのですが、庶民からの人気は絶大で、権威に媚びる事なく、下々の人々の為に教えを説いて行脚する生き様は「生き仏」と称されるほどでした。

 

 確かに、この大徳寺を復興させたのは一休だとは言われていますが、別に、一休自身が本気で、大徳寺を復興させたいと思っていた訳ではありません。

 

 自由気ままに生きていた一休に、ある日、後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)からの勅命が下って、大徳寺の住職に任命されてしまったので、しぶしぶ、一休は承諾したんです。

 

 だから、大徳寺の住職に任命されてからも、一度も大徳寺に住まう事はありませんでしたし、今まで通り、寺から離れた粗末な小屋で、年の離れた若い恋人と共に過ごしていました。

 

 ところが、一休が大徳寺の住職になったといううわさが広まるやいなや、商人や武士、一般庶民からも、大徳寺にどんどんお布施が集まってきて、あっという間に、それによって、大徳寺の法堂が再建される事となってしまったという訳です。

 

 もしかすると、これこそが後土御門天皇の狙いだったのかも知れませんが(笑)

 

 

 大徳寺の案内の看板…

 

 これを見るとわかるのですが、敷地の中で、本堂や仏門、三門(金毛閣)といった、大徳寺のメインの部分は、ほんのちょっとしかなくて、4分の3以上は、敷地の中に建てられた塔頭(たっちゅう)です。

 

 塔頭とは、大寺院の敷地内に新たに建てられた小寺院や別坊の事で、脇寺(わきでら)とも言います。

 桃山時代に、豊臣秀吉が織田信長の菩提を弔う為に、総見院(そうけんいん)という塔頭を建立したのが発端になって、その後、大名や武将が次々に、大徳寺内に塔頭を建てていきました。

 

 養徳院、徳禅寺、龍源院、黄梅院、芳春院、竜泉庵、如意庵、聚光院、三玄院、總見院、大仙院、真珠庵、高桐院、玉林院。竜光院、大光院、正受院、興臨院、瑞峯院、大慈院、瑞運軒…

 これ全部、塔頭です。

 

 ちなみに、この塔頭の中を見ようと思ったら、それぞれに拝観料が掛かります(笑)

 それから、開放されていない塔頭も、かなりあります。

 

 Iさんから、どの塔頭に行きたいかと尋ねられた僕は、あまり考える事なく、とっさに「龍源院」と答えました。

 

 何でそう答えたのか、明確な理由はないのですが、何となく直感で、龍源院だと思ったのです。

 

 という事で、本当に龍源院に行く事に(笑)

 

 

   自分で龍源院を選んだのに「本当にここでいいの?」って顔してます(笑)

 

 門の中は、そんなに広くはなさそうです。

 

 

 立札には、龍源院の事が色々と書かれていました。

 

 どうやら、文亀2年(1502年)に建てられた塔頭のようです。建てたのは、戦国大名の畠山義元と大友義長…

 あまり聞いた事のないお名前です。

 

 織田信長が亡くなったのが1582年ですから、その80年前ですね。

 えらく古い塔頭です。

 

 でも、立札の最後の一文を読んで、龍源院を選んで良かったと思いました。

 

「寺宝として、豊臣秀吉と徳川家康が対局したと伝えられる四方蒔絵の碁盤がある…」

 

 その碁盤、絶対に見たいです!!

 

 

 拝観料を払って、中に上がると、とても落ち着く部屋がありました。

 

 そして…

 

 

 ありました!!

 今から、430年ほど前、この碁盤で徳川家康と豊臣秀吉が対局していたのですね(感涙)

     「対局したと伝えられる…」という事ですから、本当かどうかは少しだけ怪しいですが…

 

 とはいえ、この碁盤を、あの徳川家康がさわっていたのかと思うと、何とも感慨深いものがあります。

 

 

 廊下の外に出てみたら、そこは方丈前庭(ほうじょうまえにわ)でした。

 この庭は「一枝坦(いっしだん)」と、銘を打たれています。

 

 そして、こちら側の左の方に見える丸い苔の生えた敷地が「亀島」、向こうにある2つの石が「蓬莱山」、そして、ちょっと写真から切れてますが、右の方にある石が「鶴島」と名づけられています。

 

 これは、「言葉で表す事のできない境地を、視覚を通して表現している」という禅の世界ならではの庭園…

 

 

 何とも言えない雄大な世界観に、心が呑み込まれたような感覚になりました。

 

 こういうの、うっとりしますね。

 

 

 こちらは、北側に位置する「竜吟庭(りょうぎんてい)」と呼ばれる庭です。

 ちなみに、向こう側に出っ張っている石が「須弥山(しゅみせん)」を表しているとの事…

 

 須弥山というのは、仏教でいう所の「九山八海(くせんはっかい)」の中心にある山の事を言い、ここには甘露の雨が降っているので、須弥山に住まう者は常に空腹を免れる… とされています。

 

 

 龍源院を出て、次は三玄院(さんげんいん)に入ろうと思ったのですが…

 残念ながら、門の左側に「拝観謝絶」の表札が掛けられていました。

 

 

 外に掲げられていた立札に、浅野幸長と石田三成と森忠政が創建したと書かれていたので、見てみたかったのです。

 

 石田三成という人は、浅野幸長からも、その父の浅野長政からも嫌われていましたし、だいたい、浅野幸長は、三成に不満を持つメンバーと三成の屋敷を襲撃したりもしているので、この二人が協力して、一つの塔頭を建てたというのが、何とも不思議だったのです。

     ちなみに、この襲撃事件をとりなして、三成の命を救ったのが、徳川家康…

 

 あと、浅野幸長が建てた塔頭なら、同じ浅野の僕にも、何かしら縁があるかもしれないと思ったのもあります。

 

 まあ、拝観できないものは仕方ありません。

 素直に諦めました(笑)

 

 次は、高桐院(こうとういん)に、行ってみる事にしました。

 

 

 この高桐院は、細川忠興とその妻・ガラシャの墓がある塔頭で、細川忠興が、父の細川幽斎の為に作ったとされています。

 

 ちなみに、「○○院」という名前がつけられているものは、大名など武家の人が寄進した塔頭である事を表しています。

 

 高桐院は、大徳寺の西の外れにあるのですが、何とこちらも拝観中止でした。

 

 一瞬、拝観時間が過ぎて、入れなくなったのかと思ったのですが、そうではなくて、2017年からずっと修復工事をしていたのですね。

 そして、先月の11月10日から、拝観再開されましたから、今はちゃんと拝観できます。

 

 

 ここは、大徳寺の三門(山門)です。

 下層部しか完成していなかった門の上層部を建てるのに、寄進をして援助したのが、かの千利休です。この三門の上層部の事を「金毛閣(きんもうかく)」と言います。

 

 それで、この時の大徳寺の僧侶が、利休に感謝の意を表して、上層部の門の所に利休の木像を立てました。

 

 ところが、この利休の像と言うのが、等身大で草履をはいた立ち姿で、結果的に、この三門を通る人を踏みつけるような形になってしまう…

 

 それに怒った豊臣秀吉は、この木像を三門から引きずり落して、磔(はりつけ)にし、千利休に切腹を命じて、殺してしまいます。

 

 こういう所が、秀吉の器の小ささと言いますか…

 徳川家康だったら、腹を立てる事ぐらいはあるかも知れませんが、間違っても、そういう決断はしないと思います。

 

 悲しい事に、茶道の天才である千利休は、秀吉の命によって70歳の生涯を閉じてしまいました。

 

 Iさんと共に、大徳寺を出て、その後、京都のあちこちを散策しました。

 

 

 これは、京都御所の石薬師御門(いしやくしごもん)

 

 他にも、京都の名所や神社なんかを、いっぱい散策しました。

 

 神社の中には、神話の神様を祀ったものもあれば、時の天皇や戦国武将を祀った社や、明治維新の時の功労者を祀った神社もあります。

 

 ある神社に行った時、その参道のど真ん中に、マンションが建てられているのを目にして、一瞬、目を疑いました。

 

 何と、神社の鳥居をくぐると、そこがマンションになっている…

 なんだこれは… という感じです。

 

 すがすがしいはずの参道が、建物で完全に遮断されていますし、これは、風水的にも完全にアウトでしょう。

 

 京都の土地の高騰や神社の経済事情なんかで、仕方なく、こんな事になってしまった…

 

 Iさんから、様々な京都の街の事情を教わりました。 

 

 それにしてもひどい… と思いましたが、確かに、昔と今は時代も違いますから、やむを得ない所もあるのかも知れません。

 

 今でも、石清水八幡宮のある山に、太陽光発電のパネルを取り付けようとする業者とか、景観の風情がぶち壊しになってしまう動きが、後を絶ちません。

 普通の山だったら、全然問題になる事もないでしょうし、これは、古き良き都の京都だからこその問題とも言えるでしょう。

 

 とはいえ、できうる限り、この素敵なままの京都の街を、未来の子供たちに残していけたなら、どんなに素敵だろうと思います。

 

 大徳寺を拝観して…

 心がはんなりと、優しくなれた気がしました。

 

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京都はんなり旅日記 その13 ~龍安寺と仁和寺、京の古刹を巡って~19.11.27

2019年11月28日(木)

 

 早いもので、今年もあと1ヶ月余りで終わり…

 さっき、サロン ド シルフィーユで仕事をしていたら、クロネコヤマト宅急便で、笹木龍一先生からのお歳暮が届きました。

 

 もう、そんな季節になってしまったのかと、思いを巡らせながら、包みを開けたら…

 

 

 笹木先生の出身地である宮城県の旬の具材が詰まった、美味しそうな鍋セットでした。

 しかも、今の僕にとってありがたい事に、電子レンジですぐ調理できるという…

 

 笹木先生の心づくしに、本当に感謝です。

 

 そして、この度、ホームページリニューアルをされたとの事、本当におめでとうございます(^^)/

 

 笹木龍一先生ホームページ↓↓

   https://sasaki-unmei.com/

 

 思えば、笹木先生が紹介してくださったIさんが、いろいろと段取りを整えてくださったお陰で、あの京都滞在は成功したようなものです。

 

 もう、あれから、4か月近くが経つんですね。

 

 龍安寺(りょうあんじ)と仁和寺(にんなじ)に訪れたのは、京都に滞在している期間の中でも、特に暑い日だったのを覚えています。

 

 京都滞在の3週間余りの期間は、雨降りの日が本当に多かったのですが、この日は、からっからの快晴で、少し外を歩いただけでも、汗が噴き出すような暑さでした。

 

 意外に思われるかもしれませんが、京都に滞在している間、ずっと僕は、毎日が時間との戦いだったのです。

 

 なにせあの時は、上級編のテキスト作りに追われていましたから、正直いって、観光なんてしている場合ではなかったのかも知れません。

 

 そんな無理をしてでも、この2つの古刹(こさつ)に巡るのを、強引に敢行したのは、僕の書の師匠である野尻泰煌先生から、「京都に行ったら、ぜひ龍安寺の石庭(せきてい)は見た方が良い」と言われていた事と、龍安寺のすぐ隣りにある仁和寺は、今回の京都講座の受講生で、広島から通ってくださったUさんが、「講座のついでに仁和寺に観光したら、ものすごく良かった」と報告してくださったからです。

 

 7年前の僕だったら、絶対に仕事優先にして、マンションに籠って、ずっとテキストを作っていたと思うのですが、パリで色々あって、だいぶ考え方が変わりました。

 (2012/3/16パリブログ 「気づきの薬」 参照)

 

 という訳で、そんなこんなで、七条のマンションからの最短ルートを検索して、早速出発です。

 

 

 インターネットでルートを調べてみると、三条まで京阪電車で行って、このバスに乗るのが一番早いようなので、早速、バスに乗り込みます。

 

 今回は、Iさんはいないので、完全に一人…

 

 まあ、言葉の通じないパリで、どこに行くのかよくわからないバスに乗って、凱旋門まで行った経験を思い出せば、何も怖くありません(笑)

 (2012/3/5パリブログ 「雨のパリと凱旋門」 参照)

 

 乗車時間40分ぐらいで、最初の目的地の龍安寺に到着しました。

 

 

 「名勝 龍安寺庭園」

 どうやら、ちゃんとたどり着けたようです(^^)

 

 

 拝観受付で、拝観料500円を払って、中に入ると、「石庭拝観」の立て札があって、その矢印の方向に沿って、進んでいきます。

 

 驚いたのは、観光客の3分の2以上が外国人の方だった事で、英語や中国語が当たり前に飛び交う中で、まるで異国に迷いこんだような錯覚に陥りました。

 

 

 庭の途中にある優しそうな石仏様…

 

 思わずほっこりと、心が癒されます。

 

 

 そして、庫裏(こり)の入り口から方丈(ほうじょう)に入ると、その縁側から、目的の石庭が見えました。

 

 

 これが、野尻先生がおっしゃっていた石庭か…

 

 しばらくの間、感慨深く見つめていました。

 

「この空間の意味って、何だろう」と考えてみても、答えは出ませんね。

 ただただ、侘び寂び(わびさび)の宇宙観が、心を洗い流してくれるというか…

 

 もしも、冬、雪が降り積もっている時にここに来てみたなら、また、全く違う景色を見せてくれるかも知れません。

 

 

 石庭も素晴らしいけれど、この仏殿前の庭園の緑も、中々のものです。

 思わず、時間が止まったような感覚になります。

 

 

 というか… この方丈という建物自体が、日本家屋の芸術そのものと言っても、良いかも知れません。

 自分がいるこの空間さえも、日常と違って感じます。

 

 龍安寺を建立したのは、細川勝元…

 この人は、室町幕府の管領の守護大名のトップであり、応仁の乱で足利義政側について、山名宗全らと戦った人です。

(2019/8/11 ブログ 「銀閣寺(慈照寺)巡り」 参照)

 

 結果的に、応仁の乱の戦火によって、龍安寺は焼失してしまいますが、細川勝元の子である細川政元により、またすぐに再建されていますので、正真正銘500年以上の歴史を誇る古刹です。

 

 

 庫裏を上がった所にある、書が書かれた屏風…

 明治から昭和にかけて活躍した漢学者の寺西乾山(てらにし けんざん)氏による、中国の漢詩だそうです。

 

 なんだかこの屏風、もの凄い存在感が漂っています。

 

 

 庫裏から外に出て、鏡容池(きょうようち)の方に出てみました。

 龍安寺と言えば、鏡容池のほとりのお店で湯豆腐を食べるのが、粋な楽しみ方らしいのですが、まあ、今回は時間もないし、たった一人で湯豆腐を食べるのも淋しいので、パスしました。

 

 幸せな気分に満たされて、緑のシャワーがあふれている、池の周りの道を通って、龍安寺を後にしました。

 

 野尻先生がおっしゃっていた石庭も見たし、さあ、次の目的地である仁和寺に急がなくては…

 

 

 向こうに小さく見えるのが、仁和寺…

 

 龍安寺から仁和寺までは、徒歩で10分ぐらいで到着しました。

 

 外は猛烈な暑さでしたから、早歩きでここまで歩いただけで、汗がとめどなく吹き出してきます。

 

 

 この中門(ちゅうもん)を抜けると、そこは、龍安寺とはまた違った、独特の世界観があるお寺でした。

 

 本当の事を言うと、仁和寺はさらっと全体を見たら、すぐにマンションに帰って、仕事をしようと思ってたのです。

 ところが、中に入ってみたら、とてもそうはいかないという事に、気づきました。

 

 なんと、おりしもタイミングよく、観音堂と金堂(こんどう)の特別公開が行われていたのです。

 ここまで来て、これを見ないで帰るなんて、いくら何でも勿体なさ過ぎます。

 

 徒然草の「仁和寺にある法師」のように、見るべきものがある事を知らなければ、さっさと帰れるのですが、こうして知ってしまった以上は、やっぱりそうはいきませんね。

 

 

 境内を歩くと、まずは見事な五重塔が目を引きます。

 

 境内は日陰がないので、思わず、この五重塔の陰に隠れたくなります。

 シャツはもう汗だくですが、ただでさえ時間がないので、足早に回る事にしました。

 

 

 そして、この建物が経蔵(きょうぞう)です。

 これは、経典や仏教に関する書物を収蔵する為の蔵ですね。

 

 

 これが霊明殿…

 ここには、ものすごくキメ細やかに作られた、10cmほどの薬師如来座像が祀られているんです。

 

 仁和寺は、平安時代の仁和2年、光孝天皇のご意志により建て始められたもので、天皇は完成を見ないまま崩御され、その後の宇多天皇の時代になって、寺は完成しました。

 仁和に作られた寺なので、仁和寺という名前なのですね。

 

 この仁和寺は、皇族や公家が代々住職を務めた、最も歴史の古い門跡寺院であり、宇多天皇が出家して仁和寺に入ってから、明治時代に、純仁(あきひと)親王が最後の皇族の門跡となるまで、ずっと皇族が住職だったという類まれなるお寺です。

 

 仁和寺の別称を「御室(おむろ)」と言うのですが、これは「天皇の隠居所」の意味です。宇多天皇がこの仁和寺で隠居されたのをきっかけに、そう呼ばれるようになりました。

 体温計のオムロンという会社がありますけど、あの名称は、この御室から取っています。

 

 

 この建物こそが、今回のイベントの主役でもある観音堂です。

 

 今回、観音堂修復完成記念の特別公開で、拝観料が別途、1,000円掛かるのですが、中に入ると、たった1,000円でいいのか、というほどに、言葉で語りつくせない感動の連続でした。

 もちろん、中は撮影禁止ですが、丁度、拝観料を支払った時に頂いたパンフレットに中の写真が載っているので、ここから写真から掲載しますね。

 

 

 パンフレットなので、ちょっと画像が荒いですが、こんな風にたくさんの観音様がいらっしゃって、傍らには風神・雷神までいました。

 

 しかも今回は特別に、この観音様の後ろにある屏風の裏側に描かれていた絵を、拝観できるのです。

 

 そこにあったのは、驚くべきキメ細やかでリアルな障壁画でした。

 この絵は、江戸時代の絵師・木村徳応らによって、描かれたもので、373年の間ずっと秘されてきた「幻の障壁画」と言われ、今回が初公開です。

 

 上の段には、見事な観音様が描かれ、下の段には、いわゆる「六道輪廻(りくどうりんね)」の世界が、ギョッとする程、赤裸々に描かれていました。

 

 そして、壁画のそばに立っている係の方が、その絵の内容を丁寧に解説をしてくれます。

 

 撮影禁止なので、パンフレットに載っていた写真で、ちょっとだけご紹介したいと思います。

 

 六道輪廻の世界観というものについて、僕が知っている限りで説明するとですね…

 輪廻の世界にある「天道」「人間道」「修羅堂」「畜生道」「餓鬼(がき)道」「地獄道」の6つで、六道と言うんです。

 

 人気アニメの「NARUTO」に出てくる、敵の首領のペイン六道の元ネタは、これです。

  アニオタしかわからない話で、ごめんなさい…

 

 この六道というのは、人が輪廻転生する道で、自分の前世などの行いによる業(ごう)が、そこに反映された結果だとされています。

 

 もちろん、この六道輪廻が実在するかどうかなんて、誰も確かめようがありませんが、僕は何となく、この世で生きている我々の心の在り方の中に、この六道のようなものがあるような気がするんですね。

 

 

 ちょっと画質が悪いのですが、横に長い障壁画の一番左の部分が、この絵になっていて、「天道」の世界を描いています。

 天女がいっぱいいて、幸せで楽しそうです。

 

 六道の中で、一番上位にあるのが、この天道です。

 ここに住まう人は、幸せいっぱいですし、性格も極めて善良なのですが、とはいえ、悟りを開いている訳ではなく、煩悩を捨てられている訳でもありません。

 

 極楽浄土と天道というのは、同じようなものかと思いきや、仏教においては、全く別の概念であり、極楽浄土が「仏が住まう永遠の安らぎのある場所」なのに対して、天道というのは、「輪廻の繰り返しの中で、一時的に行く場所」であって、天道に住んでいる天人にも、ちゃんと寿命があります。

 

 それで、その寿命を迎えると「天人五衰(衣服が垢で汚れ、脇から汗が出て、体が臭くなり、頭上にある花が萎れ、自分のいるべき場所の事を好きでなくなる)」と呼ばれる苦しみの果てに、また、輪廻転生へと戻っていかなければならないという事。

 

 なるほど…

 この天道は快楽に満たされていて、苦しみも一つもないし、幸せいっぱいですから、もっと自分を高めようとか、人の幸せの為に生きようという気持ちにも、中々なりにくい…

 

 だから、このまま自分だけの幸せに満足してしまったら、これまで自分が積んだ功徳をどんどん消費してしまうだけになってしまう、という事を表しているのでしょう。

 

 これが本当の話かどうかは別として、言わんとしている事は、何となくわかる気がしました。

 

 

 さて、これが天道の下にある人間道です。

 

 なんか、椅子に座っている男の人が、閻魔様の姿のようにも見えるので、もしかしたら、閻魔様が判決を言い渡す場面かも… と思ったのですが、他に「人間道」の描写らしき所もないので、やっぱり、これは閻魔様ではなく、地位のある人間を描いているのだと思います。

 

 観音堂の係の人に、人間道の部分はどこですかと、尋ねてみたのですが、明確な答えは得られませんでした。

 

 人間道とは、我々が生きている地表の世界の事で、仏教でいう「四苦八苦」の苦しみに満ちているのですが、同時に楽しい事もたくさんあって、それらの苦楽を通して、自分を高めたり、徳を積んだりする事もしやすいと言えます。

 

 それで「唯一自力で、仏様に出会える世界」が、さっきの天道ではなくて、実はこの人間道だとされているんですね。

 だからやっぱり、苦しみというのも、時には人間に必要なのだと思います。

 

 

 ここから先は、気分が滅入るので、正直あんまり解説したくはないのですが(笑)

 

 人々が武器を取り合って、戦っています。大きな赤鬼のように見えるのは、多分、阿修羅を表現しているのではないかと思います。

 

 これは「修羅道」という道であり、常に他者と争って、怒りが絶えない世界です。

 慢心や猜疑心によって、生みだされる世界であり、苦しみが絶えないのですが、地獄のような場所ではないとされています。

 

 この現実世界でも、そういう人、いると思いますし、僕も今思えば、20代の頃はずっと修羅道にいた気がします。

 

 六道を2つに分け、天道・人間道・修羅道を「三善道」、のちの畜生道・餓鬼道・地獄道を「三悪道」にわけるという説があります。

 また、修羅道を後の方に入れて、修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道の4つで「四悪道」とする説もあります。

 

 僕は、後者の方に賛成です。

 確かに、畜生道・餓鬼道・地獄道に比べたら、修羅道はいくらかは向上心がありそうな感じはしますが、怒りは自分の我見の狭さから来ていますし、相手と共存する気もない我儘な心の状態なのですから、どう考えても、これを天道や人間道と一緒くたにして、三善道とするのは、明らかにおかしいと思うんですけどね。(あくまでも、個人的意見です…)

 

 

 争いの絶えない世界も嫌ですけど、これはもっと嫌です(笑)

 人間が、ケンタウルスになってます。

 

 これが「畜生道」というやつですね。

 この世界は、獣のような弱肉強食の世界です。

 周囲の事や人の気持ちなど全く考えず、自分の本能や欲望のままに生きた結果、畜生(動物)のレベルまで、堕ちてしまったという状態を言っているのでしょう。

 

 ここは、強いものが弱いものを使役して、あぐらをかくという構図で、自分より弱い者にはやりたい放題するのですが、逆に、自分より強い者に対しては、常に怯えていなければならないという、恐怖と暗黒の世界です。

 

 向上心や、人を慈しんだり、いたわる事を忘れている結果、下等動物のようになってしまった訳ですから、そこを思い出して反省すれば、一旦この畜生道の世界に迷い込んでも、ちゃんとここから、抜ける事ができると思うんですけどね。

 

 

 ちょっと、グロすぎます。勘弁してほしいです…

 

 これは「餓鬼道」の世界観を表したものです。

 

 餓鬼というのは、お腹がふくらんだ飢えた鬼の事で、この餓鬼になった者は、壮絶な飢えに苦しんでいて、常に、何でも良いから口に入れたくてしょうがないという衝動にかられています。

 だから、この人たちは、共食いをしているという描写になっています。

 

 強欲のまま、むさぼりの心に執着すると、この餓鬼道に落ちてしまうという訳ですね。

 

 何でも、餓鬼には、何一つ口に入れる事ができないという「無財餓鬼(むざいがき)」と、粗末な物を少しだけ食べられる「少財餓鬼(しょうざいがき)」と、食べるには全く困っていないが、どれだけ食べても満足できないという「大財餓鬼(たいざいがき)」の3つに分類する事ができるのだそうです。

 

 執着して、むさぼればむさぼるほどに、苦しむのがこの世の法則ですから、そのむさぼる癖をなくしたなら、この餓鬼道から抜けられるのかも知れません。

 

 

 最後は、この地獄道です。

 もう説明したくもないので、解説は省きます(笑)

 

 観音堂に入って、この障壁画を見ていて、色々と考えさせられました。

 人間が死んだら、こんな異様な世界があって、生まれ変わる度に、こんな所を行ったり来たりしなければならないなんて、考えただけでも心が暗くなります。

 仏教の教えと言うのは、「だからこそ、この六道輪廻から速やかに解脱して、仏の道に生きるべきなんだ」としているのですね。

 

 まあ、死んでからの事なんて、わかりませんが、案外この六道の考え方は、こうして生きている間に心が陥る感情を、物語っているような気がするし、そこから脱出するすべを述べているようにも感じるんですね。

 

 例えば、無性に怒りがわいてきて、ムカムカし始めた時には、自分の心は修羅道にいるし、目の前にご馳走があって、周りの人の目も忘れて、無我夢中でごうつくばっている時は、心は餓鬼道に落ちてしまっているのかも知れません。

 

 でも、「今、餓鬼道に落ちていたから、反省しよう」と思ったなら、その道から、すぐに戻ってこれると思うんですよ。

 少なくとも、行きっぱなしになんて、ならないはずです。

 

 行きっぱなしになってしまうのは、自分の人生をあきらめてしまった人か、反省心がなくて、自分は絶対に正しいと思っている自信過剰な人か、そのどちらかだと思います。

 

 観音堂の特別公開は、僕が京都にいた時には「11月24日まで」という事だったのですが、今、改めて情報をチェックしたら、なんと「12月8日まで」に期間延長されていました!!

 

 京都の近くにお住まいの方や、京都に行かれる用事のある方は、ぜひぜひ、仁和寺の観音堂にも、拝観されてみてください。

 

 観音堂を後にして、直射日光の日差しの下を、汗だくになりながら、もう一つの特別公開の場所でもある金堂へと向かいました。

 

 

 この金堂は、仁和寺の建物の中で、唯一国宝に指定されている建物です。

 

 仁和寺という寺もまた、龍安寺と同じように、やはり応仁の乱の戦火により、焼失してしまった寺です。

 龍安寺は、応仁の乱の東軍の守護大名・細川勝元の寺であった事から、燃えてしまったのですが、逆に、仁和寺の方は、西軍の守護大名・山名宗全の本陣とされた事で、そのほとんどが燃え尽きてしまいました。

 

 実は、この仁和寺を復興させたのは、江戸幕府三代将軍・徳川家光なんです。

中宮として入内(じゅだい)していました。

 

 そして、この時の仁和寺の住職は、後水尾天皇の兄にあたる覚深(かくじん)入道親王であり、徳川家光が京に上洛した時に、仁和寺の再建を頼んで、無事に受け入れられたという訳です。

 

 どうして金堂だけが、他の建物と違って国宝の扱いを受けているかと言うと、この金堂を建てるのに使った木材は、元々、京の天皇の住まいである内裏(だいり)の紫宸殿(ししんでん)に使われていた木材で、その紫宸殿をそのまま、金堂として移築したからです。

 

 その金堂に上がれるだけでも貴重なのですが、今回の特別公開では、仁和寺が建てられた平安時代の当初から存在し、応仁の乱の時は、外に持ち出されて戦火を免れたという国宝の阿弥陀三尊像も、公開されていました。

 

 

 これが、国宝の阿弥陀三尊像の真ん中の像である、阿弥陀如来坐像です。(写真は、パンフレットより拝借しています)

 

 お顔が神々しくて、見ていて、うっとりとします。

 この中には、本当に仏様の魂が入っているのではないか… というくらい神々しいです。

 

 仁和寺の係の人が、ここに来館された人全員に、さっきの話のような仁和寺の歴史を聞かせてくれます。

 

 

 仁和寺の境内の北庭にある池…

 

 まるで、極楽浄土みたいな場所です。

 

 この後、仁和寺を出た僕は、バスに乗って一直線で七条に帰り、シャワーを浴びて汗を流してから、早速、上級編のテキスト作りに取り掛かりました。

 

 それでも心は、あの龍安寺の石庭や、仁和寺にあった六道の障壁画や阿弥陀三尊像に、釘付けのまま…

 

 最高級の建築物や仏像や絵画を見て、感動して、たくさんの事を考えて、一回りも二回りも自分が成長できたような気がしました。

 

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京都はんなり旅日記 その12 ~鞍馬山と貴船神社を巡って~19.11.18

2019年11月18日(月)

 

 木曜日の夜、出雲の神在祭と、米子の神社巡りのツアーに参加し、その後に山口県を周遊するという、約1週間にわたる旅行から、無事に帰ってまいりました!!

 

 メールの返信がすっかり滞ってしまっていて、本当に申し訳ありません。

 今、徐々に返信しておりますので、まだの方は、もう少しだけお待ちになってください。

 

 今回の中国地方のツアーも、本当にすごかったです。

 

 また、このブログでも、書き綴りたいと思っていますが、まずは「京都はんなり日記」を書き終えて、続けて、出羽三山に行った事を一山ずつ3回分のブログにして書いて、その次に連載したいと思います♪

    かなり後になってしまうと思うので、その前に12月号のメルマガでご報告します(^^)

 

 さてさて、この「京都はんなり日記」も、だいぶ出し切ったので、おそらく、あと5回ぐらいで完結するのではないかと思います。

 

 それにつけても、今回の旅の中で、最も印象的だった旅は、やっぱり鞍馬山(くらまやま)と貴船神社(きふねじんじゃ)を巡った時の事かなあ… という気がします。

 

 鞍馬山と言うのは、京都の北に位置する山で、最初、僕は、鞍馬山は京都市外にあると思ってしまったのですが(… 本当スミマセン)、住所は京都市左京区で、ここはれっきとした京都市です。

 

 

 一方、貴船神社は、貴船山と鞍馬山の山間を流れている貴船川の上流に鎮座する神社で、京都府外の人からも、非常に人気のある神社です。

 

 Iさんのプランは、叡山電鉄の「鞍馬駅」で下車して、最初に、鞍馬山にある鞍馬寺を巡り、その後、貴船神社に行くというものでした。

 

 

 この経路で行けば、鞍馬山と貴船神社を同時に続けて回る事ができるという訳ですね。

 

 普通、貴船神社だけ行きたい人は、叡山電鉄の「貴船口駅」に下りる事になるのですが、その駅から貴船神社までは、かなり離れているので、バスを使わなくてはなりません。(もちろん、歩いていけなくもありませんが、相当きついです…)

 

 でも、最初に「鞍馬駅」まで行ってしまえば、鞍馬山に登って仁王門から鞍馬寺本堂に行き、そこから奥の院魔王殿を通過して、西門から山を下りて、貴船川沿いの道を上流の方へ歩いていくのだったら、バスを使わなくても、貴船神社にたどり着けるという算段です。

 もちろん、帰り道は、さすがにバスのお世話にならないと、ちょっと足がつらいですが…

 

 ちなみに、Iさんから京都で行きたい場所のリクエストを聞かれた時に、鞍馬山や貴船神社をリクエストに入れたのは、例によって、ながいつばささんが、勧めてくれた場所だからです。

 京都に長く在住していた、つばささんのお勧めの場所のナンバー1が下鴨神社で、そして、2番目のお勧めが今回の貴船神社と鞍馬寺という訳です。

 

 Iさんお勧めの叡山電車の出町柳駅構内にあるSIZUYAさんで、玉ねぎがサンドしてある「カルネ」というパンを食べて、いざ出発です!!

 

 

まずは、京阪電車から、出町柳駅(下鴨神社がある駅)まで行き、叡山電車に乗り替えます。

「えいでん」こと、この叡山電車…

 乗ってみると、すごく落ち着く電車です。

 

 終点の鞍馬駅まで、だいたい30分ぐらいで到着しました。

 

 そして、この鞍馬駅はとっても風情がある、素敵な駅でした。

 

 

 この待合室に掲げられている、鞍馬天狗のお面…

 なんか、めちゃくちゃ可愛いです。

 

 これ、天狗の正式名称としては、左側の赤い天狗を「鼻高天狗」、右側の黒い天狗を「烏天狗」と言うそうです。

 

 よく「鞍馬天狗」って言いますけど、なんでなんだろう… って、昔は思っていたのですが、考えてみれば、この鞍馬山に住んでいる天狗だからですね(笑)

    当然です…

 

 ちなみに、室町時代以前から、能の演目の一つに「鞍馬天狗」と言うのがあります。

 この鞍馬天狗は、牛若丸(源義経)に剣術や兵法を教え、別れた後も、戦場ではいつも義経を守護していたという伝説があるそうです。

 

 とはいえ、鞍馬天狗の名前がここまで日本に普及しているのは、むしろ、大佛次郎(おさらぎ じろう)さんの時代小説の影響や、それを映画化して一大ブームを起こした、アラカンこと嵐寛寿郎(あらし かんじゅうろう)さんの功績が大きいでしょう。

 ちなみに、この小説は時代設定は幕末の頃で、能の演目の鞍馬天狗とは一切関係ありません(笑)

 もう60年前の話ですので、僕もタイムリーには知りませんが、黒頭巾の鞍馬天狗が相当流行ったみたいです…

 

 

 駅の近くにあった、巨大天狗の顔…

 めちゃくちゃ、迫力あります!!

 

 何でもこの天狗さん、鼻の上に積もった雪の重みのせいで、2017年1月には、鼻がポッキリと折れてしまったのだそうです。

 その後、天狗用の特大絆創膏を、鼻の付け根の部分に貼られて、2ヶ月あまり冬を過ごした後、その年の3月に、この新しい鼻に修復されました。

 

 鞍馬駅から下りてすぐ所にあるお店に、天狗のお面がたくさん置いてあったので、早速、一つ買ってみる事にしました。

 

 

 これが、鞍馬寺の仁王門…

 とても威厳がある門です。

 

 せっかくお面を買ったのだから、早速つけてみる事に…

 

 

 誰がどう見ても、不審者ですね。

 正直、怖いです。

 

 これでは、お巡りさんがやって来て、取り押さえられても、文句は言えません(笑)

 

 

 鞍馬山の仁王門を守っている阿吽(あうん)の狛犬ではなくて、狛虎(こまとら)…

 これは、「阿(あ)」の方ですね。

 

 

 それで、こっちが「吽(うん)」の方です。

 

 お面なんか被ってふざけていると、このおっかなそうな二匹の狛虎に懲らしめられそうなので、すぐにお面を外しました。

 

 

 穏やかな顔をした観音様の所に、還浄水が湧き出ています。

 

 早速、手と口をすすがせて頂きました。

 

 山の緑の香りに、おだやかな風…

 本当にすがすがしい場所です。

 

 でも、伝承では、天狗が住まう山なんですけどね。

 

 

 早速、鞍馬山の中へと、足を踏み入れました。

 

「天狗」という言葉の由来なのですが、元々は、中国において凶事を知らせると言われる「流星」の事を言っていたそうです。

 文献によると、飛鳥時代の日本において、唐から帰国した僧侶が巨大な流星を見て「あれは天狗だ」と言ったのだとか…

 

 日本では、平安時代あたりから、「天狗=山の神」という扱いになっていき、山伏として修行を積んだ人が、死後に天狗に転生する… と言われるようになったそうです。

 

 よく「天狗になる」と言うと、慢心して得意げになっている様を言いますが、平安時代の日本では、仏教の輪廻の六道(天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道)以外に、天狗道なる道も、あるとされたんです。

    ちなみに、NARUTOに出てくるペイン六道の6人の元ネタは六道輪廻です…

 

 この六道のそれぞれの意味については、結構面白いので、また、仁和寺を訪れた時の話のブログにでも、書こうと思うのですが…

 

 この「天狗道」という特殊な道は、修験道の山伏などの修行を積んで、傲慢で慢心して我見の狭い人が行くのだそうです。

 

 この人達は、仏法を学んでいるので、地獄道に進む事はないのですが、逆に、人間道に戻る事もできず、特に、罪やむさぼりがある訳でもないので、餓鬼や畜生や修羅の道にも行かず、かといって、信心もないので、天道にも行く事できない…

 

 それで、仏教でいう所の六道輪廻から外れて、二度と救済できない(輪廻がないから)天狗道という道に行ってしまうのだそうで、この考え方は、14世紀の室町時代以前の日本からあるようです。

 

 もちろん、これが本当かどうかは、誰も確かめようのない話なのですが…

 

 

 しばらく歩いていくと、鞍馬寺の本堂がありました。

 

 参拝させて頂いてから、お守りや御朱印の受付がある社務所にいくと「御朱印は、スタンプラリーではありません。お参りを忘れずにして帰ってください」と書いてありました。

 

 確かに…

 最近、少しスタンプラリー化している所があるかも知れません(^^;;

 

 

 Iさんから教わって、本堂前にある石畳に描かれた六芒星の中に、立ってみました。

 

 ここはパワースポットとして名高く、この日も何人もの人が並んでいました。

 

 なんか、ものすごく強いパワーを、たっぷり頂けた気がしました。

 

 本堂を出て、少し行った所に「鞍馬山霊宝殿」という博物館がありました。

 Iさんに勧められて、早速一人で入ってみたのですが、とても興味深いものばかりで、かなりの時間を費やしてしまいました。

 

 1Fが鞍馬山の地層や動物や植物の事を展示したコーナー、2Fが源義経の事を事細かく展示したコーナーや与謝野晶子の書斎を再現したコーナー、3Fがたくさんの仏像が展示されいるコーナーになっていたのですが、特に2Fで、かなりの時間を費やしましたね。

 

 夢中になって、時が経つのも忘れてしまい、外で待ってくださっていたIさんに、随分とご迷惑をお掛けしてしまいました。

 

 

 いよいよ、これより奥の院魔王殿です!!

 とても、ワクワクします。

 

 

 山道を木漏れ日を浴びながら、前へ前へと進んでいきます。

 この山道は、前回ご紹介した船岡山の山道よりも、いくらかハードです。

 

 

 あまりにも暑いので、着ていたジャンパーも脱いでしまいました。

 天狗の面を、帽子がわりにして、奥へ奥へと進みます。

 

 

 そして、ついに「奥の院魔王殿」に到着!!

 長い山道を歩いただけに、感慨深いです。

 

 

 早速、参拝をさせて頂きました。

 

 さあ今度は、ここから貴船川がある西門を目指して、山を下りていきます。

 

 

 無事に到着(^^)

 良い汗かきました。体中、もうクタクタです。

 

 そして、ここから、川沿いの道を川上に向かって歩いていくと…

 

 

 貴船神社に到着!!

 まずは、この灯篭に囲まれた階段を上に登っていきます。

 

 ここは全国的に有名な神社だけあって、とても賑わっています。

 

 

 貴船神社は「水の神社」とも言われ、水を司る龍神である「高霎神(たかおかみのかみ)」が御祭神と言われています。

 この神社の御利益は、縁結びと諸願成就…

 

 また、貴船神社のおみくじは、水に浮かべると、文字が浮かび上がるという事で有名です。

 そして、ここのおみくじには正真正銘の「大凶」が存在するのです…

 

 勇気を出して、やってみました。

 

 

 水占(みずうら)みくじ

 

「吉」第一番

  願望:思うままなり

  恋愛:心おだやかにせよ

  出産:やすし

  病気:軽からず

  方向:東の方よろし

  旅行:行きて吉 盗難に注意せよ

  学問:安心して勉強すべし

  商売:買うに吉 利あり

  失せ物:おそくとも出づる

  転居:障りなし

 

 結構、良い事が書いてありました。

 それに、何となく当たっている気もします(^^)

 

 

 なんか、つばささんの紹介の神社は、前回の下鴨神社といい、この貴船神社といい、水にとても縁が深いようです。

 

 奥宮へと向かう道で、たっぷりと、水気を浴びて、めちゃくちゃ元気になりました。

 

 

 貴船神社の奥宮に到着…

 

 緑の木々が風に揺れる音と、せせらぎの音がとても心地良いです。

 

 

 奥宮の御祭神は、本宮と同じく水を司る神である「闇龗神(くらおかみのかみ)」…

 

 そして、中宮の御祭神は、古事記の天孫降臨(てんそんこうりん)の時に、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が娶(めと)った此花昨夜姫(このはなさくやひめ)のお姉さんである磐長姫命(いわながひめ)で、縁を結んでくれる神様です。

 

 ゆっくりと、参拝させて頂きました。

 

 本当に、心がしっとりと潤されて、気持ちが落ち着く神社です。

 

 

 奥宮のそばに、一本の杉が 御神木として祭られていました。

 これは「連理の杉」と言って、よくよく見ると、後ろから楓がくっついて寄り添っています。

 全く別の種類の木なのに、一つになってしまっているんですね。

 

 なんか、素敵だなあと思いました。

 

 人それぞれ、考え方は十人十色で違うのが当たり前ですが、分かり合える部分は分かり合えるし、こんな風に仲良く出来たら… 

 しばらく、この連理の杉をじっと見ていました。

 

 鞍馬山と貴船神社を巡って、心がはんなりと熱くなりました。

 

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京都はんなり旅日記 その11 ~京都の日常と茶道体験~19.11.08

2019年11月8日(金)

 

 バタバタしている内に、どんどん時間が過ぎて、あっという間に、旅行の日が来てしまいました。

 僕は明日の朝、いよいよ出雲ツアーと山口周遊に旅立ちます。

 

 という事で、もしも今日この「京都はんなり旅日記」を書いておかないと、また一週間ぐらいブログが更新できなくなってしまうので、急いで書いています(笑)

 

 京都の旅日記といっても、実際の所、京都に来た目的は、四柱推命講座を実施する事だった訳で、いつもいつも遊んでいた訳ではありません。

 

 あの時も今と同じように、時間ギリギリに追い詰められていて、旅立つ直前に、テキストこそは完成させられたのですけど、他の資料とか印刷物は、全く間に合っていなかったんです。

 

 そこで焦りながら、ヨドバシカメラに行って、京都へ旅立つ寸前に手に入れたものが、これ…

 

 

 キャノンの携帯用プリンターとスキャナです。

 

 実は最初、エプソンのプリンターを買おうとしていたんですけど、そばにいる店員さんらしき方に話し掛けたら、その方はキャノンからの出向で、ヨドバシカメラに来ていた方でした。

 これも多分、縁だと思って、キャノンで揃えてみました。

 

 そして、このプリンターが、今回の京都講座で縦横無尽の働きをしてくれたんです!!

 残念ながら、スキャナの方は、一回も使う機会がありませんでしたけど…

 

 京都滞在の半分以上の時間は、ウィークリー・マンションの部屋で、仕事漬けになっていました。

 ブログでは、遊んでいる事しか書いていないから、毎日遊び呆けているように見えるでしょうが、案外そうでもないんですよ(笑)

 

 仕事モードの日の一日の息抜きは、外で外食をする事ぐらいです。

 

 京都に滞在していた時、どこで食事をしていたかというと、だいたいはマンションから近い、「坊歩」というラーメン屋さんかマクドナルドでした。

 あと、たまにコンビニで、お弁当やカップ麺を買って、食べたりもしましたね。

 

 そして、たまに、少し遠出して、京都で一度は食べておきたい名店に、行ったりもしたんです。

 

 その一つが、「第一旭」というラーメン店…

 

 京都のラーメンの名店と言うと、真っ先に名前が出てくるのが、この「第一旭」です。

 

 

 名店だけあって、いつも人が並んでいます。

 この日は雨が降っていたので、これでも待ちは少ない方です。

 

 村野大衡先生も前に、東京に出店したお店の事をブログで書いていました。

 

 2018.12.14. ほのぼの占い師 “村野大衡”ブログ「京都の名店

 

 ブログの中で、村野先生があまり感動している訳でもなさそうなので、僕もそんなに味は期待していませんでした。

 

 お店の人が一押しだと言う「特製ラーメン」を頼んでみると…

 

 

 うお~、これは、何というボリュームでしょう!!

    この量を普通に完食している村野先生もすごい…

 

 別に大盛とか頼んだ訳ではないのですけど、この量です。

 僕には、食べきれないです。

 

 味はですね… 正直、村野先生と同じ感想ですね。

 決してマズくはないのですが、まあ普通といいますか… 確かにこういう感じの味は、何度も食べている内に、病みつきになるのかも知れません。

 

 かなりのボリュームでしたが、残すのはもったいないので、僕も、全部完食しました!!

 

 ふう~ お腹いっぱいです。

 

 あと、四条烏丸にある前田コーヒー本店にも、行って来ました。

 前田コーヒーは、京都の老舗の喫茶店という事で、すごく有名なんです。

 

 

 ここは、ながいつばささんが、勧めてくれた喫茶店でもあるんですね。

 

 つばささんは、ここのモーニングセットの中の「クロワッサンサンドのセット」が美味しいと勧めてくれたので、早速それを注文してみました。

 

 

 値段も780円とお手頃ですし、とっても良い感じです(^^)

 前田コーヒーのモーニングは、8種類もあって、その中からお好きなものを選べます。

 

 ゆったりと落ち着ける空間でした。

 

 Iさんに、第一旭と前田コーヒーに行ってきた、という話をしたら、せっかく京都に来たのだから、京都でしかできない体験をしてほしいと言われました。

 

 これは、また別の日の話なのですが、Iさんから、本当に素敵な体験ができる場所に、案内して頂いたのです。

 

 それがこのお店…

 

 

 皐盧庵茶舗(コウロアン チャホ)

 

 ここは、本格的な茶道を体験する事ができる場所…

 

 ううっ、緊張します。

 僕、まだ生まれてこの方、茶道の経験を一度もした事ないんです。

 

 

 目の前に置かれている茶臼が、ものすごく気になります。

 

 最初にこの部屋で、お茶が畑で育てられて、摘み取られて、加工されていく過程を、パソコンの写真を見ながら、わかりやすく説明をしてもらえます。

 

 そして、この茶臼を挽(ひ)いて、実際に抹茶の粉を作るのを、体験させて頂けるんです。

 

 

 大さじのスプーンで1~2杯ぐらいの量を挽くだけなのに、結構、腕がきつくて大変です。

 

 この体験をする人のほとんどが、途中で全部挽くのをあきらめて、やめてしまうそうです。

 

 それを聞いた僕は、絶対にあきらめないで、このお茶を全部挽いてやる… と、心に固く誓いました(笑)

 

 ちゃんと時間は計っていませんが、だいたい20分ぐらい茶臼を回していたでしょうか…

 

 

 やっと、全部すり終えました!!

 腕がもう、クタクタです。

 

 今では機械でする事がほとんどで、あんまりこんな風に手で挽く事はないそうなのですが、昔の人は、お茶を飲む度に、この作業をやっていたのですね。

 

 そしてこの後、この挽いたばかりのお茶で、お茶をたてて頂けました。

 

 2階にある8畳の広い茶室に案内して頂いて、そこで本格的な茶道体験…

 

 

 皐盧庵の店主で、茶道の先生でもある神田先生が、自らお茶をたててくださいました。

    ブログでの写真掲載、OKして頂けました… 本当に感謝です

 

 そして、茶道の作法や、「どうしてそのようにするのか」という理由などを、たくさん教えて頂きました。

 

 

 これは、茶道に使うお茶碗…

 

 客人や季節によって、その日に使うお茶碗を変えるのだそうです。

 その茶碗の選び方自体に、心配りやおもてなしの気持ちがあるとの事…

 

 茶道の道は、深いなあと思いました。

 

 

 僕も、見よう見まねでやってみましたが、まだまだですね。

 

 本当に、素敵な体験をさせて頂きました。

 京都の茶の湯の文化に浸って、心がはんなりと豊かになりました。

 

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